今よみがえる横浜市電の時代
〜あの頃の市電通りへ〜

横浜駅東口
神奈川区



A5版・カラー32頁
写真点数:59点
(カラー28点・モノクロ31点)
天野洋一&武相鉄研OB会
本体価格1000円



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内容見本

 

 
横浜駅東口から国道1号線上を東京方面へと走り、運河を渡った先の神奈川区内には、青木橋から六角橋方面と、鶴見区にあった生麦車庫へと分岐する路線が伸びていた。市電は昭和41(1966)年、生麦への路線(2・3系統)から廃止が始まったが、この路線は旧東海道上を走り、途中単線で中央市場へ分岐する路線(7系統)や、東神奈川で国鉄の貨物線(現在廃止)と平面クロスしたりと変化に富んでいた。終点・生麦車庫の手前では国鉄(現JR)・高島貨物線の下を潜り、生麦事件碑を横目に車庫への出入りが行なわれていた。現在では、かつての市電通りの上を首都高速が覆い被さるように走り、その景色は激変している。
一方、青木橋から六角橋までの路線は、国道1号線上を東海道本線に沿って走る1系統で、東神奈川駅前まで並んで走り、ここから左折し新横浜方面へ。東白楽駅前で東横線を潜れば、すぐに終点・六角橋であった。広い六角橋交差点の中央で、市電は発着を繰り返す毎日であった。この路線は、青木橋から横浜西口、鶴屋町方面へ向かう路線(9系統)と共に、昭和43年(1968)には廃止されてしまった。