入学式ってセリ市場?
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1994年4月の小学校入学式
まったくもってシンガポールの情報に無知だった私は、日本の淡路島ぐらいの面積のシンガポール、それに現地の小学校ではなく日本人小学校だから、山の分校程度の小さい小学校を想像していた。小学生は少ないから、複式学級とかするのかしら?とか。(後からこの話をしたらダンナから、あきれられた・・・「君は、常識がなさすぎる」と・・・でも、いいわけをするなら3月にあった事前説明会には私は、まだ来星前だったからダンナだけが出席していたし・・・)
その日の朝、入学式にダンナの運転する車に乗ってシンガポール日本人学校クレメンティ校へと向う。駐車場はいっぱいだ。ってことは相当な人数の子が入学するのかしら?と思うとゾロゾロいるは、いるは、いったいシンガポールのどこにこんなに日本人が住んでいるのかと驚くほど集っていた。入口で名前をいうと蘭の花のコサージュを子供がもらい壁に貼ってある所で組を確認。
「え?1年生って10組もあるの?」 |
驚いたね〜〜ひと学年が10クラスもある小学校なんてこの少子化で、日本でも稀にしかないでしょう。親の席にすわって待っていると子供達が担任の先生に連れられて体育館に入場してくる。「はい、1組入ります。1組入ります。」と頭に小型マイクを付けて応対している先生を発見。まるでセリのよう。あ〜〜〜私の想像していた個人まりしたアットホームな入学式は・・・
シンガポールに来てから1週間ほどでの入学式、誰ひとり知り合いもいない親子4人しか頼るものがない時でしたが、なにもわからないまま通り過ぎた時間でアッという間でした。。
マレー語のシンガポール国歌にとまどい、頭の上を扇風機が回る南国の入学式でありました。
1997年4月の小学校入学式
下の娘の入学式。やはり上の娘と同じように1年生は、10クラスありました。大きく違ったのは、もうすっかり慣れ親しんだシンガポール国歌をスラスラと大きな声で歌えたこと。3年間のシンガポール生活で友人知人も多くなりあちこちで写真の取り合いをしたこと。もうどっぷりシンガポールにはまった生活の中での入学式でした。そしてこの年が最後の10クラスある入学式となりました。翌年1998年からはクレメンティ校とチャンギ校の2校となったので5クラスづつの入学式となったからです。 |