撮影・天野洋一
玉電末期の時代を象徴する風景の中を、 人気者200形204が三軒茶屋を後にし、国道 246号線上を渋谷方面へと走り去る。'69.5.3 |
「玉電」の愛称で長年親しまれた東急・玉川線が廃止され、すでに31年。その路線の大部分が交通の大動脈・国道246号線上にあったことが、当時の印象をよりいっそう深くしている。
昭和44年(1969)5月10日限りで玉川線は、その路線の大部分を廃止し、同ルートの地下を走る東急・新玉川線にその任を譲り、残された三軒茶屋から下高井戸方面へ向かう路線が、世田谷線と命名され現在に至っている。玉電が果たしてきた大きな使命を思い出しつつ、今、現地を訪ねても線路跡は首都高速3号線の巨大な帯に頭上を覆われて、昔をしのぶことは難しくなってしまった。
かつての写真からのんびりとした玉電の時代へ。 (2000.11記)