今よみがえる昭和41年当時の国鉄・田端機関区 |
関東地区で活躍したSLは比較的早期よりヘッドライトがシールドビーム(LP405)化されて、特にボイラーの太いC62やD52のそれは見るに堪えられないショックを受けたものです。冒頭のC5755号機は煙突こそ火の粉止め装備ですが大型ライト(LP403)で何よりも貴重な形式入りプレートがそそられます。煙突脇のリンゲルマン濃度表は九州のカマによく見られましたが、最近見た写真集で新小岩区の88622号機にもその濃度表をつけていましたが、のちに九州若松に転属になり私も筑豊線の中間から分かれる香月線でその姿をキャッチしました。私が初めて田端機関区を訪れたのは鉄道100年の記念イベントの時で仕切られたスペースに都内の公園に保存される直前のD51513号機が大宮工場で化粧直しされて展示されていたのが一番の人気で輝いていました。構内の外れのヤードの片隅に黒いシートを被ったSLらしき姿を発見しました。それが本文でも紹介されていた三河島事故のD51364号機の変わり果てた姿でした。イベントでこれに気が付いた人が何人いたことでしょうか。この頃は鉄道100年記念のイベントとSLお別れ運転とで、東奔西走していました。『あと10年、せめて5年早く生まれていたら慌てる事も無かったのに…。』と当時は悔しい思いをしたものです。 新座市/Y・Tさんより |
とても良いものをありがとうございました。予想外に懐かしい写真が入っており感動しました。またの機会を楽しみにしております。 青梅市/I・Aさんより |