10つれづれなるままに

元気で長生き   26/02/2002
このごろケアセンターでボランティアしていてよく思うのであるが、どうすれば元気で長生きできるか・・・

そのコツなるものを発見したような気がする。元気でなんでも自分でできるような老人を観察していると共通点がある。
  ・ニコニコいつもしている。
  ・なんでもおいしいと言いながら食べる。
  ・人の悪口を言わない。
  ・ちょっとしたことでも感謝の言葉を人に言う。

これがコツのような気がするんですよね。

ま、その反対な方がいるわけで
  ・いつでも変わらずむす〜〜としていて怒っているんだかなにが不満なのかよくわからない。
  ・ケアセンターの食事も嫁が作った食事もまずくてかなわない・・・と食べながら言い大半を残す。(あとで気に入ったものを自分で買って食べる)
  ・「ここに来ている○×さんはね、こ〜〜〜んな嫌な性格なんだよ」と言う。(そんなことを言うご自分が嫌な性格だとは決して思わないらしい)
  ・自分は老人だからやってもらって当たり前。いままで苦労したんだから少しは恩返ししてよね!という態度で接する。
そういう人に限って目が悪い、腰が痛い、と体の節々に渡って病気をひけらかして同情を買おうとしているように思う。さてさてあなたは、どちらのタイプの老後を過ごしたいですか?
私は・・・元気で長生きしたいけど・・・ここに書いたのが悪口になるなら、・・・人間なかなか元気で長生きは難しいことですね。

ディケアセンター    07/07/2001

週1回ディケアセンターでボランティアを(12:30〜3:30pm)しています。
一番初めに行った時お遊戯タイムで皆で手をつないで「ゆうやけこやけ」を歌ったけれどなんだかじ〜〜んとして涙が出てきた。

この施設には、95歳〜105歳までのおばあさん達が多く、「あ〜〜〜私もこんなに年になっても元気で生きているかな?」なんて思っちゃった。足が少し悪い人、大声を出して会話しないと聞こえない人など多少若い時と違うけど人間としての基本的なことがちゃんとできる。
かわって、痴呆が始まったら60歳から来ていいんだけど60〜70歳の人で痴呆のおじいさんが多い。仕事一筋に生きてきて、さて定年したら趣味もなんにもない・・・途端にぼけが始まった。
なんかこれもとっても悲しい。

「私はドイツ語しかわからない。」と独り言をブツブツ言って皆に「これはドイツ語で○○と言う」と教えてくれる70歳代男性。ただしドイツ語は5ぐらいしか思い出さないらしくなにを聞いてもだいだい同じ単語しか言わない。働き盛りの時には、この男性はドイツに長年住んでバリバリと日本との貿易につくしたらしい。
私はシンガポールに住んでいた時には、中高生の軽度知的障害者の施設にボランティアに行っていたけど、そこでは、少しでも技術を身に付けて世間に対応できる力を子供達につけてあげようという、明るい展望を持ちながら私も接することができたけど今回は、いずれ遅かれ早かれ自分が通る道だと思うと切なくなる。
100歳の女性が「嫁がなんにも家事をさせてくれない」と嘆く。お嫁さんの年を聞くと70歳すぎだという・・・
この方に「○○さんにとって、なにが一番この施設で楽しい時間かしら?」と訪ねると・・・
「ここへ来ているのは人のためになるからだよ。タオルをたたんだりお手紙を折ったりするから」
そっか〜〜〜歌を歌う時間よりもお昼を食べる時間よりも軽い体操や書道でも手芸でもなく自分が人の役に立つという時間が一番なんだ〜〜〜。
こんな自分でも人の役に立っている・・・そこに人として生きているという証を感じるものなのだ。
(ちなみにタオルはトイレで使うものや、食器を拭く布巾など、お手紙は、利用者の家族に伝える連絡の手紙など)
この施設には、おばあちゃんふたり仲良く同じ家から来る人もいる。おばあちゃん達・・・嫁と姑ふたりして・・・80歳代の嫁、100歳を越える姑。
ここでは、おばあちゃんと言ってはいるが、施設利用者を呼ぶ時にはきちんと「×○さん」と名前で呼ぶ規則がある。どんなに年をとっても人権は守らなくちゃね。
規則では、ボランティアの人は自分の住所を教えてはいけない。というものもある。なぜなら老人になって宗教に走る人も多く自宅にそういうお誘いに来てもらっては困りますものね。
もちろん利用者の住所を聞いてはいけない。夢の中の世界に入っている人もいるので本当は普通の家に住んでいても豪邸に住んでいると他人に思わせたい人もいるから。

ボタンティアの人も「え?この人利用者じゃなくてボランティアなんだ!」というような人も多い。70歳代でもボランティア。そりゃ〜〜100歳の人をお世話するんなら30歳も若いものね!私なんて孫、ひ孫と同じような年だと言われています。まだまだ”ひよっこ”の私です。

老いたら「ああゆう人になりたい」「ああは、絶対なりたくない」とボランティアというより人生勉強をさせてもらっているという心境です。

ディケアーセンター 3回目 11/07/2001

3回目にして思ったことは、” 年寄り ”という私の考えが変わってきたこと。ただ単に生きている年数が長いということだけで年寄りとは考えないほうがいいのではないか。その人が「自分は年寄りだ。年をとったのだ。」という自覚症状が出てきた時が、” 年寄り ”だということ。何歳になろうとも自分はしっかり意志を持って生活していると思える人はまだまだ90歳100歳になろうとも”年寄り””老人”なんて呼んではいけないのだと考えるようになりました。
「私は米寿(88歳)になりました。」という男性の方とお話をした。
「そうですか。私の義父は喜寿(77歳)になったんですよ」と私が言うと
「お若いですね、私より11才も年が下ですね。」と返事が返ってきた。
う考えるなら・・・
「○○さん、それじゃ100歳の×○さんよりも12歳もお若いじゃないですか〜〜」と私が言った。
すると「そうですね。わたしでもお若い方になってしまうとは、考えもしませんでした。ありがとう。自分だけが年寄りになった気分で落ち込んでいましたが、なんだか元気がでてきましたよ。ありがとう。」と何度もありがとうと言って、本当にうれしそうに目をキラキラさせていました。
この話をうちに帰って娘達にすると「やったじゃない!お母さんいいことしたよ。きっとこの人うれしかったんだろうね」と一緒に喜んでくれた。
自分だけが取り返しのつかない年寄りになってしまったと考えるだけで憂鬱になってしまう。
それはそうだ、自分だけが病気になってしまったら嫌な気分で「なんで自分だけ・・・」と落ち込むだろうし。
ゆっくり年輪を重ねていくのか、それとも急に老け込んでしまうのか大いに自分の気持ちが左右する。
考え方しだいでずいぶんと人生が違って見えてくる。
「お若い人を見ていると肌がピチピチしていていいね〜〜」といつも私に言ってくれる100歳過ぎの女性がいる。
「え〜〜もう40才だから若くないですよ。」と2回目までの私。
3回目の私は、そうだ!彼女にとって20歳代の職員さんと私では20歳ぐらい違うけど20歳ぐらいの差なんて100歳のこの女性にとってはたいしたことではない。私が生まれた年には彼女は60歳だったのだから・・・そう考えると大抵のことは、小さいことだ。そう考えるようになると「こんなことを悩む私はなんて小さい人間なんだろう」と思えるようになった。

このディケアセンターで私は、人生の勉強させてもらってます。


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