何をちまよったか、日吉10年連続が嫌であったのと、SFCのI部長(当時)が嫌いであったことから、すごく
印象のよかったT校長(当時)擁する慶應義塾志木高等学校に1995年4月進学(妹はSFCに)。東京都を通り越して、埼玉ま
で片道1時間の通学をしていた。当然のように、電車の中では睡眠。武蔵野線では、よく終点の府中本町駅で「お客さん、終点
ですよ」と駅員にたたき起こされていた(笑)。
高校2年のときからお世話になった化学の先生が、またまた応用化学科出身で、さらに影響を受けたようだ。でも最終的
に理工学部に行こうと決断させてくれたのは、3年間お世話にもなり、今でも時々メールを交換している数学のM先生(女性)です。
楽しい高校時代は、1998年3月に終了。1月下旬に授業が終わったあとの2ヶ月間の休みは、旅行と免許取得にあてる。
[この時のクラブ活動]
弓道。中学時に少々かじっていたわけだけど、この時から本格的にやっていた。何故か、クラブで一番体力があった。
全校生徒で行われるマラソン(10km)大会では、クラブで一番のタイムを出していた(3年のときに、つい
に後輩に負けるまでのおはなし・・)。2年の秋から一年間主務を任される。苦労して、高校3年に初段を取得。