FEBRUARY
2004年2月27日(金)
今日は修士論文の差し替えの締め切り日です。昨日から最後の修正を加え、研究室のパソコンに完成版を
取り込むなどしていたら、終電を逃してしまいました。おそらく、これが慶応での最後のステイとなりそうです。
ページが多い上に、パソコンへの取り込みに難航してしまったのでした。ひと段落してから寝たのですが、3時
くらいになってしまいました。まあ、4月からはこんなことになっても自分の部屋で寝ることは可能ですけど。
朝はいい目覚めでした。そして、先生が出勤されてからすぐに修士論文を入れ替えに立ち会っていただき、これにて
ようやく肩の荷がおりました。 昼にエステル化の反応の後処理をしました。かなり結晶性の高い化合物であったため、
カラム精製に苦労しましたが、きれいなものがとれていました。夕方にサークル時代に同期とパン屋でお茶をして、
その後はきれいにした化合物の構造をNMRで確認した後、保護基導入の反応をかけました。これは、いきすぎることも
なく、ずっと反応をかけても反応が汚くなることはないと予想できたので放置です。一部は再結晶の操作により、純度
向上を狙いました。融点の幅が小さくなったので、成功では。とりあえず、最後のあがきでもないですが、天然物の合成
中間体に持っていきたいです。
2004年2月20日(金)
今日は運命の日。2月4日に行われた入試の合格発表なのです。それなのに、午前中は気分をまぎらわすかのように、
テニスをしました。そして午後母を連れて千葉に行きました。西千葉駅から徒歩2分で千葉大学南門に到着するのですが、その
後薬学部の敷地までは10分近くも歩くのです。確かに、西千葉の「奥の院」といった感じです。掲示板に行き、自分の受験番号
が載っているのを見て、すごくほっとしました。4月からの進路が決定したことに関する安堵感、そしてあこがれの国立大学
薬学部にうつれることに対する喜びがこみあげてきました。もし、一人で見に行っていたら、トイレで泣いていたと思います。
そして、事務で合格者に配られる資料を受け取り、実感がわきました。私が千葉大学を受験すると言ってから、ずっと支えてくださった
両親、妹、そして祖父母、叔父・叔母に感謝いたします。さらに、本当は辛いのだろうに、私の出願書類を添削してくださった
須貝先生には、なんと言ったらいいのだろうと。ありがとうございました。
2004年2月06日(金)
今日は修士論文の口頭発表の日。うちの分子化学専修は、あいうえお順で発表していくことになっており、私はかろうじて
本日発表することができます。こういうのは、さっさと終わらせたいですからね。午後2時くらいに自分の番が回ってくるのですが、
昼は軽めに。
そして、自分の発表の時が。いくら論文を2報通しているとはいえ、天然物全合成ではないので、自分的には内容がぱっと
していないような気がしました。スライド17枚を15分で説明するのですが、前半8枚があまりにもすらすらといきすぎてしまい、
後半は少しペースを落としたら、15分10秒くらいでプレゼンできました。その後の質疑応答ですが、2日前とは大違いですごく
レベルの低い質問に、こちらがきれそうになりました。一つ目のコメントは、こちらが知らなかったアミノ酸の酸化還元酵素の話だった
ので、すごく参考になりました。問題は2つ目。これ以上言うと、毒が続くのでやめますが。もっとましな質問をして欲しかった。
発表が終わった後は、弟子の卒論の直しをやっていました。本当に明日に提出できるのだろうかと不安になりました。
2004年2月04日(水)
今日は、千葉大学大学院薬学研究院の後期博士課程の入学試験がありました。千葉に移ろうと思いはじめたのは、昨年の
4月下旬くらいから。実は修士課程から移りたかったのですが、それが許されない状況だったので、目をつぶっていました。今では、
この時の自分の決断に後悔しております。さて話を戻しますと、朝9時集合で、9時半から英語の筆記試験がありました。大問3問で、
一つは有機化学のねた、二つ目は遺伝子関係、そして最後に英作文がありました。今まで有機化学ばかりをやっていたので、遺伝子は
ちんぷんかんぷんでした。残りは何とかなっていたはず・・。
筆記が終わって、しばらく休憩。その間に学食で昼食をとりました。安さにびっくりしました。矢上にいると、1回の食事で
600円近くになることは当たり前だったのに。
午後は、面接とプレゼンテーションでした。私は最後だったので、3時間近くも待ちました。その間に、2日後に迫った
修士論文発表の練習もしながら、目前に迫ったプレゼンの最終確認をしていました。そして、16時からスタートしました。
千葉大院薬の有機合成系研究室の教授3名(石川先生、西田先生、濱田先生)に囲まれて非常に緊張しましたが、
始まったらすいすいと時は流れていきました。プレゼンは10分、質疑応答が10分くらいあった後に一般の質疑応答になり、
いろいろと世間話をしました。すごく有意義な時間を過ごすことができました。どうか、この私をとって下さいと心の中で
願っていました。
面接後、私が希望する指導教授である石川先生の部屋に案内されました。そこで、石川先生から最近書かれた論文の別刷りを
いただきました。本当にありがとうございました。千葉を出たのが18時過ぎで、矢上には20時近くに着きました。そこから
急いで修士論文のモードに戻そうとしました。本当に長い1日でした。
2004年2月03日(火)
今日は、朝千葉まで行って明日の入学試験の時間を確認してきました。しかし、千葉に行くたびに思うことは、
同じ関東圏なのに意外と遠いこと。うちから2時間近くもかかるのです。まあ、無事に決まったら千葉で一人暮らしする
つもりなので、ちょっとの間の辛抱です。
午後は日吉に戻ってプレゼンの練習と、修士論文の修正をしていました。そして、明日は朝早いので20時すぎには
帰りました。明日が、人生の一大イベントです。
2004年2月01日(日)
早いもので、2004年も1ヶ月が過ぎ去ってしまいました。さて、今週は本当に正念場です。何しろ、修士論文の提出、そして
修士論文の口頭発表があり、それに付け加えて私は入試も控えております。来週の日曜日は全てというわけではありませんが、ある
程度は終わっていますので、解放された自分を想像しながら、目の前に控えていることを処理していくだけです。ところが、そんな
ことを言っていたら、またまた熱が出てしまいました。昨日の夜から、結局午前中はずっと寝ていました。そして、熱冷ましを飲んで
強引に起き上がって、論文作成とプレゼンテーションの練習をしていました。ああ、早く終わらないかな。
