<マカハの空>2001年8月から2004年までの記事です。

2004年に思う事     04・5・30

普通こういうタイトルをつける文は新年が始まったら書くのかもしれないけれど、この5ヶ月は今までに無く身辺が多忙で「思う事」は日々あっても「文字」にするという作業ができなかった。<今までに無く>というより、<今まで>がただ平和に過ぎていっただけなのかもしれないが。ここ2,3年スタジオは順調に発展を続け、仕事は忙しいけれどそれなりに悩む事も少なく過ごしてきた。私は心のどこかで「いつかどんでん返しが必ず来る・・」と確信し、それを待っているようなところもあったかもしれない。1番の「どんでん返し」はミルキーの死だった。13年間毎日抱きしめ、語りかけ、一緒に寝ていた子が突然消えてしまった。可愛いままで小さいままで私を置き去りにして消えていなくなってしまった。その事実はとても重く、辛かったけれどその反面心の片隅で安堵に似たものも芽生えた。その感情をうまく表現する事は難しい・・。夜中に具合が悪くて鳴くミルキーを抱いてあやしたり、1日4回の薬・・新鮮な空気、水・・。毎日毎日仕事をしながら世話にあけくれたもんだった。なんだかもう遠い昔の出来事のようだ。ミルキーを恋しがって泣いても、なつかしがってもあの子はもうここにはいない。
ミルキーが逝ってまだ1週間もたたない時に次の「どんでん返し」がやってきた。それは確かに「どんでん返し」だったのだが、なぜか私は平気だった。もうイヤッというほど「人の心」の裏表を知っていたからかなり冷静にやり過ごしたと思う。ただ、その「やり方」は今までになく悪質で私を傷つけた。それでも私は客観的に現実を把握して、「他に言いようがあるだろうに」と思っただけだった。悲しいとか辛いとかよりも「出直そう!」という感情の方が強く、実際にそれからは必死に体を動かし、お稽古に励んだ。<発表会>の事だけを考えて突き進んだと思う。幸い<発表会>が目の前に迫っているその時期はとても忙しく、心に傷ついた部分の痛手は少なかっただろう。今振り返ってみると「その事」は私にとってプラスになっているとさえ思える。これからの生徒との接し方、指導の方法、スタジオ経営など今まで以上にコントロールし、向上させていけるに違いない。
その後の「どんでん返し」は不覚にも自分の身に起きてしまった。あんなに張り切って頑張っていたのに、発表会の1週間前に動けなくなった。病院で点滴がポタリポタリと落ちていく様子を見ながら泣いた。「あと1週間なのに!」最後の最後までみんなのお稽古に関わりたかった。そして最後のお稽古の後に「頑張って!」と言ってあげたかった・・。それなのに私ときたらこんな所で寝てるなんて・・、なんてひどい先生だろう、今頃みんなは・・次から次へと生徒達の顔を思い浮かべては泣いた。映画のシーンのように点滴の針を抜いてお稽古に行こうか・・と何度も考えた。発表会当日、元気な生徒達の顔を見て、リハーサルをみて上げられてよかった。そして無事に会が終わってよかった。今は心からホッとしている。今年に入って始めての「やすらぎ感」でいっぱい。
心ない生徒達によって傷つけられ悲しまされるのも現実だけど、又生徒達によって癒され、幸福感を与えられるのも事実だ。これからも私がこの仕事を続けていく限りまだまだ傷つけられ追い込まれていくのだろう、でもそこには私を愛し、励ましてくれる生徒達もいる。誰がなんと言おうとその生徒達がいる限り進んで行かなければならない。ずっと一緒に手を繋いで歩いていかなければならない、最後の1人になるまでは・・・。
HULAを踊り、教えていく事はそんなにたやすいことでは無い。HULAの周りには<情熱と嫉妬、寛大さと偏屈、喜びと悲しみ、美しさと醜悪>さまざまな感情や形容詞が浮遊し、その人の心の弱い部分にとり憑いてくる。聖人でありえない今、願わくばひとつひとつの醜い感情が浄化され、心穏やかに過ごしていけるよう願い、努力していこうと思う。

マカハの空  03・4・1

いつもマカハへ行くのは迎えに来てもらったり、レンタカーを借りたりして車に乗って行っていた。この日は何年ぶりかに一人でシティバスに乗り、バスを降りてトコトコ歩いてみた。全然しらなかったけれどバスはルートを変えてあっちこっちに止まり、アラモアナからマカハの先生のお宅まで2時間半もかかった。もう永遠にたどり着かないのではないかと不安になる程の時間だった。けれどその間私は色々な事を思い出し、まだ若かった頃通った道をなつかしく眺めた。不思議なくらいこの20年間マカハで過ごした頃の事がはっきりと思い出される。
マカハへ向かうバスはワイキキやアラモアナ地区を走るバスとは違い見るからに貧しい人々が乗っている。成功し得なかった日系人、フィリピン人、中国系の人やサモア、トンガの血をひくポリネシアン人など、みんな汚れた服で濁った目をボンヤリとさせ疲れてみえる。私は普通のTシャツにパンツだったがそのバスの中では1番キレイな服装をしていたに違いない。ただその中にいても誰も私の事をホテルに泊まっている日本人とは思わないらしくかまわれる事も無かった。日本人観光客も白人もそのバスには乗ってこない。
ダウンタウンを過ぎて、ワイパフ、パールシティを抜けて山沿いを走り、1時間もたつとなつかしい景色が見えてくる。左にコバルトブルーの海、そして真っ青な空。右にはカアラ山脈。バスは1本道をマカハに向かって走る。私はその景色が大好きだ。そこを見なければハワイに帰ってきたという気になれない。コオリナ、ナナクリを過ぎるとやっとワイアナエい入る。もうその辺は<地元>感覚で胸が躍る。「この町で私のフラは生まれた」と感じる一瞬、体中から力が湧き上がってくる。なつかしくて、恋しくて涙が出そうになる。「あそこのポストオフィスで日本に手紙を出したっけ」「ここのドライブインでハンバーガーを買った」「ポーカイベイで泳いだ」「あの教会でフラシスターの結婚式に出たっけ」思い出す事は山ほどあり、全てがつい最近の事のようにはっきりしている。
前にバスで来た時はあった停留所がなくなり、私の乗ったバスは又山の中に入り、グルリと遠回りをしてマカハビーチの先まで進んだ。私はビーチでバスを降り、15分くらい歩いた。行き過ぎる人はなく、車もまばらだ。よくこの道をパレオを巻いただけの姿で歩いたものだ。(上の写真)先生のお宅がある住宅地区に入ると見覚えのある犬達が騒ぎ始める。私は1軒1軒を観察しながらゆっくり歩いた。こんな所でも変わるもんだ、きれいに立て直してあったり、住む人が変わったり。
やっと家に着いてゲートを開け、出迎えに駆け寄ってきたクレオ(先生の飼っている犬)の頭をな
、中に入ると私は大きな声で叫んだ。「Mom! I'm Home!!」いつもの様に彼女は返事をしない。私が彼女を探し回って叫ぶのが楽しいらしい。そしていつもの様に私は最後に彼女の寝室を覗き、気づかぬフリでテレビを見ている彼女を発見し、小さな子供のように彼女に飛びつく。

コンペの話   03・ 3・ 20

3ヶ月以上もたって昨年行われた<キンカメコンペティション>のビデオが送られてきた。コンペが終った直後は虚脱状態が続いていたし、初めから期待もしてなかったはずの<入賞>にも入れず意に反してかなり落ち込んでいた。「もうこの話題には触れまい」と思っていたが、届いたビデオを見て考えが変わった。クプナ、ワヒネとも最高の出来じゃん。(興奮しているので言葉使いの悪い箇所はお許し下さい)
私は内心、「どんなにひどい出来か?」と不安だった。誰かが間違えてたり、何かしでかした所が写っていたら・・と心配だった。ところが、ところが!もう〜上出来き!!もちろんカメラワークもあるし、テレビの画面の中なので実際とは異なるかもしれないけれどね。とにかく私の生徒達は最高だった。私はクッションを抱きしめてワナワナ見ていたんだけれど終った瞬間にクッションをテレビに投げつけ「いんちきだっ、ウチが優勝だ!」とわめきだしてしまった。
なんと感動的だったカヒコ、みんなの目がまるでペレが乗り移ったかようにキラキラ光り、もう言葉では表せないくらい良かった。ワヒネ部門は可愛くて躍動的で見ながらウキウキしたし、クプナだって上品でスッキリしてた。くやしい〜、あんなにいいのにっ!!どこがいけないんだぁ〜。
                        ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆
さてすっきりしたところでまじめなコンペの感想を・・・。まずはっきり解かった事はフラのコンテスト(先のウチの出場したコンペに限る)とは各ハラウのセンスやカラーを出し、技術を競い合うものでは無いという事。アレは80%審査員の好みで賞が決まり残りの20%は<コネ>だと思う。(敗者の戯言かもしれないが)多分3年、4年続けて審査員の好みを取り入れその間にハワイ側とのコネをしっかり結んでいけばそのうち入賞するのだろう・・・そんな気がする。
ま、もういいや・・、終った事だし。でもビデオを見て初出場の感激や緊張を又思い出し、辛かった練習の時を思うと今でも胸が熱くなる。本当にみんな良く頑張った。あのハードなレッスンの日々、寒い体育館で繰り返しやった練習。その成果がビデオで見るとはっきりわかる。他の誰にも分からなくたって私には分かる。他の誰もが「全然ダメ」と言っても私は大声で言ってやる。「出場したみ〜〜んな、すごく上手!良くやった!!」と。
今後ウチのスタジオがコンテストに再挑戦するか、二度と参加しないかはまだ分からない・・。まだまだ考えるべき事がたくさんあって今は何も言えない。けれどあのコンペは後悔すべきものではなかった。それどころか私達に強い勇気と友情、信頼や情熱など挑戦する者達だけが得られるたくさんの贈り物をしてくれた。私は貴重な体験ができた期間としてあのコンペに感謝している。そして支えてくれたサポーターの応援、出場してくれた全員にもう一度「Mahalo&Aloha」と言いたい。


2003年3月

ほんとに久しぶりの<ひとり言>です。朝の4時頃に目が覚めてしまい、前から気になっていたこのコーナーをいじってみました。前回は去年の7月だったんですね・・。この間、色々な事がありました。1番辛く悲しかったのがビーグルのチーちゃんが亡くなった事です。あんまりショックで口に出す事もできないくらいでした。チーちゃんはたったの2歳だったんです。タバサの後にきたやんちゃさんでした。ちょうど暮れのキンカメに向かって多忙な時でした。でも今考えるとキンカメがあったからこそ乗り越えられた<悲しみ>だったのかも・・・。今はチーちゃんにそっくりなマイカイがいるので寂しさも薄らいでいます。「今年の冬を越せるか・・」と心配していたミルキーも元気で頑張っています。
私のように毎日たくさんの人と接してる仕事を持つ人は、常に相手からの<気>を受けてしまうそうです。良いにつけ、悪いにつけ受けた<気>は浄化させなければなりません。一番簡単な方法は「お風呂に入る」事、「炎を見つめる」事、そしていつも「邪気の無いものに触れる」事だそうです。私にとって「無邪気」なものはミルキーとマイカイなんです。私は家にいる時間はいつもどちらかの子を抱っこしてます。(今もミルキーを抱いて右手でキーボードを叩いてる)この子達は常に私を癒してくれています。

今年に入ってからどのクラスも<復習>に力を入れているのですが、まあホントによく忘れてる!今習ってる曲はちゃんと踊れるのに、数ヶ月前にやった曲はほとんど覚えてないし、数年前の曲なんか<新曲>のよう・・。もうビックリ!!なんですぐ忘れちゃうのかなぁ〜。あ〜、教える事に自信が無くなっちゃう!私、本気でガッカリしてます。だって何曲教えても忘れられちゃうんだもん。すごくカナシイ・・・。

 <2002・7・23>

短い滞在でしたが昨日帰国しました。日本とハワイでは気温はそれほど変わらないのに、ハワイは朝晩涼しく、昼間も風が爽やかなので少しも暑さを感じませんでした。それに比べて日本はなんて不愉快な暑さでしょう。成田空港の外へ出た時あまりの蒸し暑さにびっくりしました。こんな暑さが続いていたそうですね。

さて今回の1番の思い出は1日ずっとマカハにいてPat先生と過ごした事です。マカハは相変わらず静かで海はコバルトブルーに輝き、空は真っ青に澄んでいました。先生はここ数年、会う度に痩せて小さくなってます。どこか体でも悪いのかととても心配です。(本人はいたって健康だと言ってますが)痩せると同時に昔のような気迫が無くなり、声も小さくなりました。生徒達にレッスンをつける時もやさしくて、厳しかった頃のレッスンを思うと気持ちが悪いようでした。久しぶりに私達は色々な事を話し合いましたが、やはり前と違って「あなたのいいように・・」というような事を言うのです。前は何を言っても聞き入れず先生の言うとおりにしなければすごく怒られたものですが。先生は「あなたはもう何でも一人でできる」とか、「あなたはクムなんだから」と言います。私は確かに日本でフラスタジオを持ち、生徒もたくさんいます。けれど今でも私はPat先生の生徒で教えてもらう事が山ほどあるのに・・さみしい気持ちはありますが、彼女の言葉の中に「一人になってもやっていけるように・・」という意図が感じられるので私は反論はしませんでした。
小さな変な日本の女の子が20年たってクムフラになった・・・先生は私よりもずっと寂しいに違いないと思うのです。帰りぎわに小さくなった細い肩を抱きしめた時、私は悲しくて悲しくて涙が出ました。先生も泣いてました。どんなに私にそばにいて欲しいと願っている事でしょう。私が一緒にマカハにいてスタジオを継いで欲しいと思っている事でしょう。けれどそれは出来ないし、今は約束もできないのです。いつか先生の願いを叶えてあげたいとは思いますが・・・。この次会える時までどうかお元気でと祈るようにマカハを後にしました。外は真っ暗で風と波の音しか聞こえてませんでした。マカハの先生のお宅にステイしていた頃、いつもこの風と波の音を聞いて眠ったものです。

Pat先生はあまりにも痩せて風貌が変わったのでUPでの写真は控えました。いつになくやさしい笑顔で接してくれました。

次の日はカネオヘのアル先生を訪ねました。アルの所でカルアピッグを作るので見に行ったのです。私は何かパーティでもあるのかなぁと思っていましたが、そうではなくて今度スタジオの子達とタヒチへ行くのでカルアピッグを作り、売ってお金を作るのだそうです。そういえば、マカハのプアイモハラフラスタジオでもウニキの時にみんなでソーセージやパンを作り売りに行ってコンサートの費用を作りました。カネオヘのスタジオに着いた時は大きな穴に石を詰めているところでした。ブタを丸焼きにするのは石に火をつけて石が熱くなってからだそうです。私も小さな石を運んで少しだけ手伝いました。(じゃまをしたのかな?)
アルは私のクムではありませんが、Pat先生とは異質なHULA、歴史、古典などのストーリーをいつも教えてくれます。アルは誰にでも自分の持っている全ての知識を惜しみなく分け与える事が使命だと考えています。特に男の子へのフラ指導はすばらしく、スタジオにはたくさんのカーネフラダンサーがいます。みんなイヤな顔もせずアルのお手伝いをしていました。Pat先生の所もそうですが、生徒達はクムを信頼し、尊敬して何でもシェアしあっているのです。クムは自分の持てる全ての知識と力と愛を与え、生徒達はそれに答えるべく手伝い、教わり、後世に伝えていくのです。そしてもし誰かがその場を去ってもクムは何も言わず、残った生徒達と分かち合い、永遠に「伝える」という行為を続けます。なんて悲しい、難しい行為でしょう。私は2人のクムに共通のものを感じました。そして今私が生徒達と分かち合える事は何なのか、私にそれができるのだろうかを考えています。日本とハワイのフラの流れの違いの中で私には何ができるのでしょう・・。
Pat先生が私を一人立ちさせようと考えている理由がぼんやりとわかった今回のハワイでした。


2002年6月

早いもので発表会が終わって2週間が過ぎました。今回の発表会はスタジオにとって今までで1番の出演者の多さでその準備は大変でした。5月の連休の間もあれやこれや無事にその日が過ごせるように、楽屋割りやらタイムスケジュールやら頭の中がごちゃごちゃ状態。私が1番心配したのは頼んである衣装が間にあうのかという事と、楽屋の使い方でした。衣装の方は今年1月からどんどんオーダーしていきましたが、ギリギリまで気を揉んだクラスが2,3あり、しかも生地が足りないとか、求める色が無いとかでストレスはたまりっぱなしの数ヶ月を過ごしました。楽屋の方は優秀なスタッフが細かく時間を区切りまとめてくれたので何とかなりましたが、それでも生徒さんには迷惑をかけたと思います。なにしろ300人がいっぺんに入れる楽屋を持つホールなんてめったには無いでしょうし。
当日は数日前から風邪をひいていて咳が止まらずとてもつらかったです。(未だに咳は出続け状態)ただ熱がなかったのが幸いでした。カヒコでは何が何でも歌わねばならず<咳込んだらどうしよう・・>と心配でした。本番は気合いで咳は出なかったのですが、ステージの細かいチリが鼻に入りくしゃみが出そうになりました。多分誰も気づかなかったとは思うけれどずっと鼻がムズムズしていたのでした。ちょうどイプヘケからパフドラムに移動する時、我慢ができなくて立ち上がりながら鼻に手をやっているのがビデオにはっきり写ってました。(ビデオを見た方確認できました?)
それはともかくとして、今回の皆さんの踊りは各クラス共とても良かったですよ。2部、3部とも色々構成をしたせいかお客様も楽しまれたようです。初舞台のクラスの方々も良く頑張りました。2年前にも出演したクラスは誰が見てもレベルアップしています。3部のスタジオ生の踊りも2年前よりずっと良かったです。お客様に褒められた事の中で<各グループの衣装がステキ>という言葉もたくさん頂きました。全体を通して<大成功>だったのではないでしょうか?(ただひとつ、前に掲示板にも書いた生徒の席でのゴミちらかし放題事件以外は)最もこれは人間のマナーの問題なのでここでとやかく言っても無駄ですね。今後の各自の精神的成長を期待します。
私は今回の発表会で特に感じた事があります。それは私の想い以上にほとんどのクラスが仲良くレッスンに励み、本番で一生懸命踊ってくれた事です。ビデオで見てもそれがはっきり分かります。みんなこの数ヶ月、ご苦労様でした。そしてありがとう。私は皆さんにフラを教える事ができてこんなに幸せに思った事はありません。これからもたくさんのイベントやステージで踊ってもらう機会を作っていきますが、どうか<何かに向かってチームで一体になる>という事を忘れないで下さい。1人1人の心がバラバラでは決して<いい踊り>は踊れません。フラはその人の心、生活環境を全て見せてしまいます。常に<平常心と和>を持って下さい。そうすればもっともっと貴女方のフラは上達するでしょう。今週から又通常にお稽古が始まりますが、振り出しに戻った気持ちで頑張りましょうね。まずは無事に終わって良かった!

                               2002・4・25

暑かったり、少し肌寒かったり、なんだか変な天気が続いていますね。この時期体調を崩している人が多いのでは?私もしばらく調子が良かった喉が最近悪化ぎみです。でもこれには理由があって「声の出し過ぎ」なんですが。発表会で行うカヒコの歌を歌いすぎだと思います。今度のカヒコは今までで1番多くの生徒さんが踊るので、レッスンで歌う事が多いのです。(これは自分の練習でもありますが)歌っている時はつい力が入り大声になってしまいます。発表会で声が出ないと困るので少し自重しなくては・・・。
発表会の準備は少しづつがんばっていますが、やはり大変。約300名の生徒さんが踊るので今まで以上に気を使います。でも各クラスのみんなはそれぞれ「いい仕上がり」になってますよ。初参加のクラスもベテラン組も私の考え以上に頑張ってくれているので安心です。ここ数年クラスが増えているのでとても毎週見てあげられなかったり、代行だったりとみなさんに迷惑をかけてますが、<親はなくても子は育つ>とばかりにみんな上達しています。(たとえが良くなかったかな)とにかく力を合わせて発表会に全力投球しようね!
プライベートな事では、先月引越ししてやっと毎日の生活パターンが起動に乗ってきました。あまり家でのんびりする時間は無いけれど、快適に過ごしています。けれど今年12歳になるプードルのミルキーちゃんの具合があんまり良くないので不安な日々です。(心臓が悪いのです)毎日忙しく過ごしながらも精一杯家にいる時間を増やしてミルキーのそばにいてあげなくちゃ・・・。タバサのように突然逝かれるのもつらいけど、だんだん弱っていく姿を見ていくのも本当に苦しいです。ビーグルのチーちゃんは我が家で1番元気で今の私には救いになります。救いといえば今の家には小さな庭があるのでたくさんの花を植えました。朝、その花の成長を見るのも心を癒してくれます。ハイビスカスはもちろんあるのですが、今度プルメリアを植えてみようと思ってます。プルメリアの苗を持っている友人がいるので貰ってこようと思います。私は今までコンクリートの中で生活していたので土に触れる機会なんてなかったのですが、土のある生活っていいですね。でも小さな虫やミミズを見ると「・・・・」まだ未熟です。というよりまだ土には触ってません。(~_~;)
とりとめなく書いてしまいましたが、発表会をひとつの区切りとして又踊っていきましょう。出演する方々くれぐれも体調に気をつけてね。皆さんの晴れ舞台楽しみにしていま〜す。

                         2002・2・3(雨の日曜日)

冬休みが終わり、ハワイから帰国してから初めてのお休みです。ちょうどいい具合に雨が降り、どこへも外出しないですむ日曜日はとっても幸せ・・・

しばらく更新しなかったのでリンクの張り方を忘れてしまいました。(笑)みんなが楽しみに待っていると思うと「更新しなくちゃ」って気が急くけど、なかなか仕事の合間にはかどらなくてごめんなさい。
今私の頭の中はかなり<混雑>しています。3月のコンサートや5月の発表会の準備等々バクハツ寸前!お稽古中に訳のわからない事言っても許してね。そして「変」な時は「変」って指摘してくれていいですよ。
すごくおもしろい話があります。自分では気づかないのだけど、先週(又は前回)習った振りと、今週(又は今回)復習した時の私の踊りが違うというのです。たとえば左手が上の<場所>だったのに右手が上になっているとか・・・手の平が上だったのに下になってるとか。それでも生徒さん達は「ああ、今週はこうなんだな」って黙って踊っているというのです。私はその話をアラカイから聞き、大笑いしてしまいました。もう何年も私に師事しているアラカイ達は「今日は先生のフィーリングがこうなんだ」と考え何も言わないとの事です。生徒たちもその時は何も言わず、次のレッスンの時にアラカイ達に確認するらしいです。みなさん、そういう経験ってありますか?これからはその時に言ってくれていいですよ。ただ、意図的に振りを変える時は確かにあるのです。そのクラスのレベルや、ステージ向きの構成を考える時は振りが変わったりしますのでそのつもりでいて下さい。

さて、どうして私の右手が上だったり下になったりするかという弁解をします。私は振りを覚えないのです。その曲の歌詞と、物語だけで踊ります。ですから、便宜上<右手が上の場所>と振付けますが、自分が踊る時は気分次第なのです。だから私がステージで踊っている振りはいつも違うでしょ?ステップも体の動き次第なので決めてません。皆さんに教える時はちゃんと決めて教えていますが、1週間たつと忘れてしまうのです。曲を忘れるのではなく、皆さんにどう教えたのかを忘れてしまうのです。それでよくアシスタントや皆さんに「どういう振りだった?」って聞いてる訳です。分かってもらえました?あとは同じ曲なのにクラスによって振り付けやステップが違いますよね、それも教えるその時の自分のフィーリングと、そのグループのフィーリングがそれぞれみんな違うからです。それにどんどん自分の曲のイメージが膨らむ場合、かなり違った振り付けになります。(これは後々合同で踊らせる時に苦労するので極力控えようとは思ってるけど・・・)。
ついでに書きますが、「いったい何曲覚えているのですか?」って聞かれる時があるけれど、私は歌詞さえ覚えていれば何万曲でも踊れます。ただし、みなさんにどう振付けたかはすぐ忘れます。ですから、これからはもし前と振りが違っていたら遠慮なくご指摘下さいませ。忘れていても「ああ、そうだった」と素直に聞きますから。

発表会の準備はボツボツ煮詰まりつつあります。なにしろクラスが年々増えているので、早め早めにやっていかないと間に合わなくなるという強迫観念に追いかけられ、かなり疲労度が増しています。体より頭の方が疲れてるかなぁ。だからお稽古中、「変」な事になっていてもやさしく見守って下さいまし。なんだか今回は<言い訳>と<お願い>のテーマでしたね。

皆さん、風邪などひかないように気をつけて・・・5月はすぐやって来ますよ〜。
3月のコンサートに来て下さる予定の方々、MAHALOです。24日のチケットの売れ行きが悪いのでまだどちらを見ようかと思案中の方、よろしくお願いします。

                                   2002・1・1(新年を迎えたハワイにて)

ラジオから流れるハワイアンソングを聞きながら書いてます。
新年を迎えた実感は実はほとんど無いのですが、長いと思っていた冬休みももう後半になりました。
ハワイでの2週間は「あれして、これして」と考えていたのに、まだな〜んにもやってません。頭が働かないというか、つい「明日にしよう・・」と後回し。少しのんびりしすぎて気持ちだけがあせっています。
でもそれでいいのかなぁ・・だって<お休み>なんだもん。

仕事でなく踊るのはすごく気分がいい・・なんか、自然にニコニコしてしまう。だいたいフラとはもっと<自然>なものなんだと改めて思う。ハワイにいて思うのは日本でのフラは少し難しすぎるって事。もっと、もっと楽しんで気楽に踊った方がいいよね。まあ、グループで踊るにはある程度手の位置を揃えたり、顔の向きを揃えたりした方がきれいだけど、あんまりそればかりでもねえ・・
私が言うのも変だけど、私の生徒はみ〜んな<真面目>。だからフラもすごく<真面目>に踊っている。それはいい事だけど、もう少し<ハワイアンフィーリング>が欲しいな・・今年の目標はそれにしようっと。みなさ〜ん、今年は<have to>を止めて<relax>したフラを踊りましょうよ。楽しい気持ちが見てる人に伝わるように自分自身も楽しんで踊りましょ。


リラックスし過ぎている私は髪はこんな色、ボディはこんなに太りました!
日本に戻ったら少しはミバ良くなるかしら?
ほとんど国籍不明です。

01・12・7

先週は「ウィルス」騒ぎで大変でしたが、ここ2,3日は数も減って少し落ち着いています。掲示板にしつこく書きましたが、パソコンを使っている皆さん、充分に自己管理をお願いします。

さて、クリスマスパーティーがいよいよ来週になりましたね。今回はどんな会になるかしら?今から楽しみです。それに今回は290人の生徒さんが集まってくれるのも、とても嬉しく思っています。
思い起こせば私が教え始めた頃、5,6人の生徒さんしかいませんでした。発表会やパーティーをしてあげたくても、その人数では何もしてあげられませんでした。それが今はたくさんの生徒さんに囲まれて幸せです。その頃からずっとそばにいてくれるマルヒアやプアマリエには心から感謝しています。本当に2人には苦労をかけたなぁとつくづく思います。もちろん今私を師事し、ついてきてくれている大勢の生徒さん達にも同じように感謝しています。ありがとう、みんな!!

「先生」というのは難しいものだと思います。ただフラを教えるだけではなく、私達を取り巻くさまざまな問題をも解決していかなければなりません。人間同志の複雑な感情をコントロールしながら、良い方向へ道案内もしなければなりません。まだまだ私は未熟です。そんな私を支え、力づけてくれるのは、毎週笑顔を見せてくれる生徒さん一人、一人です。これからもよろしくね。(今日はいつもと違いしおらしいですね)
「や〜ね、いつもの先生じゃない」って笑いながら読んでいる皆さんの顔が目に浮かびますよ。
大丈夫、又お稽古ではいつものようにワーワー言いますから、ご心配なく。
とにかく、あと1週間でパーティーです。皆さん風邪などひかないように、健康管理をよろしくね。元気で楽しく踊ってくださ〜い。

                       2001年11月20日

<近況報告>
こんにちわ、しばらく更新しないでごめんなさい。実は10月の初めに新しいパソコンに入れ替えたのですが、その子がちっとも言う事を聞いてくれなくて、又入れ替えるというアクシデントが続きデーターを入れたり、出したりして時間を費やしてしまいました。まあ、今回は大丈夫そうです。

<Party>
最近の各クラスは、12月16日のXmasPartyに向けてのレッスンで盛り上がっていますね。年に一度のスタジオ忘年会なのですが、年々参加者も増えて嬉しい限りです。いつも思うのですが、皆さんどこできれいな衣装を探してくるの?このクリスマス会は自分の好きな服装でいいのですけれど、毎年皆さんのムームー姿には関心します。華やかでとてもキレイ・・・女性は幾つになっても「美」を追求していかなくてはね。そう考えるとHulaって本当に自分発見になります。「きれいな衣装を身に着ける」「お化粧をして髪に花を飾る」「女らしくやさしく踊る」自分が女性に生まれて良かったと思いませんか?早く16日が来ないかなぁ・・・きれいなみんなを早く見たい!ステージで振りを間違えても気にしないでね、だってパーティなんですから。しかもみんなウチのスタジオの生徒さんだし、楽しみましょうよ。
今年は初めて参加するクラスもたくさんあるので、先輩方よろしくお願いしますね。

<声帯様ポリープ>
私の喉について色々ご心配かけました。完治にはまだまだですがとても良くなりました。大きい声を出したりするとまだ痛いですが、もう大丈夫だと思います。お稽古中に私がコーヒーを飲んだり、飴を舐めていても許してね。お稽古していると、喉がくっつくような感じになるのです。実際に何も喉を潤わさないで1時間お稽古すると、喉がとても痛くなるのです。ご容赦を!

<冬休み>
私自身は12月23日〜新年8日までお休みを頂きます。ちょっと長いですが、これもお許し下さい。発表会の準備も兼ねて2週間ほどハワイで過ごします。ハワイからこのHPを更新しますのでお楽しみにね。ハワイ情報もお知らせしますので・・・

<Hula大好き>
投稿文がパタンと無くなりました。皆さん、どんどん書いて送って下さいませ。皆さんの「Hula」を聞かせてくださ〜い!!

では、皆さんも体調に気をつけてお過ごし下さい。パーティーでお会いしましょう!

  

                      2001年10月20日

すっかり涼しくなってきました。(寒いくらい・・)皆さん、お元気ですか?
9月22日のコンサートが終わったと思ったら、もうクリスマスパーティーの準備で相変わらずバタバタしている私です。毎年参加クラスも増えているので下準備も結構大変なんです。でもみんなが楽しみにしてくれているし、一生懸命レッスンしてくれているので、それを励みに私も頑張ります。
最近フト考え込む事があります。それは「フラを教える事の難しさ」についてなんですが、その基にある「クラス編成」の事です。私が育ったハワイのスタジオでは毎年<ウニキ>という日本でいう発表会のようなものがあり、そのウニキ後に次の1年のクラスが決まります。つまり、完全に実力の世界です。ですから去年は自分より下のクラスにいた人がウニキが終わったら同じクラス、もしくは自分より上のクラスになったりするのです。しかも、お稽古時間も曜日もクムの決めた日になるので「その日は仕事が・・」なんて言えないのです。日本と比べとても厳しい環境でした。日本ではそんな事、絶対できないですよね。だって日本のフラブームはカルチャーチックなところからきているし、生徒たちも「厳しさ」より「楽しさ」を求めているもの。私は基本的にはそれでいいと思っています。楽しくなければ続けられないし、「厳しい」より「楽しい」方がいいに決まってるものね。ただ、同じクラスの中にそれぞれ違う考えの人がいると・・やりにくいです。一応私のスタジオでは、外部のクラスとスタジオとはきっちり分けて考えてもらっていますが、それでもまだまだ甘い考えの人がいます。スタジオでやる以上「どうにかなる」はありません。全て自分の努力、精神力、向上心がものをいいます。それは他のカルチャースクールでレッスンしていても同じですが、スタジオでは更にそれを求められるのです。それでも私はよっぽどの事が無い限り、「あなたはスタジオを辞めなさい」とは言わないので自分のジレンマは続くのです。あ、この話は生徒達の問題ではなく、私の問題なので気にしなくても大丈夫ですよ。ただの<ひとり言>ですから。
もうひとつ<最近思う事>があります。これは私にとって嬉しい事です。
いつか「ククナオカラコミュニティー」にも書いたのですが、ウチの生徒さん達は年齢に関係なくパソコンを操り、このHPを見てくれています。特に嬉しいのは「熟年」といわれる年代の生徒たちがメールをくれたり、書き込みをしてくれたりする事です。このHPの「Hula大好き!」への投稿もそうです。私は独学でパソコンが使えるようになったのですが、すごく苦労したせいか「みんな偉いな、すごいな」って感心しています。つい先日も73歳になる生徒が「先生にメールができるように・・」とパソコン学校へ通い始めたと聞きました。何事にも興味を持ち挑戦するってステキですよね。フラを続けるにはこの<興味への挑戦>は絶対必要です。身の回りの出来事にもっと敏感になって下さい。どんな事でもフラを踊るのに<無関係>な事はないと思うのです。
では、12月のクリスマスパーティーでの皆さんの素晴らしいフラを拝見するのを楽しみにしています。

                      2001年9月5日


突然声が出なくなって1週間。今は大声は無理だけど少しの時間なら声も出る。前よりもっと低く、かすれてはいるけれど・・・
やはり声が出ないというのはかなりつらいものだ。お稽古の時にとても不自由を感じる。とっさに注意が出来ない、歌いながら教えてあげられない、カウントを言ってあげられない等々。今までレッスン中にどれだけ声を張り上げていたのか改めて知った。それに、フラってやっぱり歌詞を口ずさみながら踊るものなんだなあとつくづく思う。歌う事によって内容を確認して、表現するものなんだって。私がいつも皆に言っている「歌詞を覚えなさい」「順番で覚えるのではなく、言葉で振りを覚えなさい」というのは間違いなかった。
よく質問する時、「あそこのここは・・」と言いながら両手をバタバタする人がいるけれど、それじゃダメ。まず何を質問しているのか私には分からないし、必ず「2番のKa Puaのところは・・・」というように歌詞を言ってもらいたいです。まったくの初心者ならともかく、2年以上フラを習っている人ならそのくらいはお勉強しなくてはね。よく「先生の説明はわかり難い」とも言われるけれど、歌の内容が分かって、じっと私を見ていれば理解できますよ。技術は習っている年数に比例して自然についてくるものだけど、フィーリングは歌の意味をしっかり頭に入れておかないと表現しきれないよ。
私の声はまだまだ元には戻らないから、各クラスの皆が代わりに歌ってくれるとすごく助かるんだけど。この機会に今習ってる曲の歌詞を覚えてね、私からのお願いです。けれど、皆に迷惑をかけている事は深くお詫びします。ごめんなさい!
やっぱり禁煙かしら・・・(..)

                         2001年8月13日


私は1日24時間のうち、15時間はHULAに費やしている。体は踊っていなくても、常に頭の中でHULAに関するあらゆる事を考えている。
たとえば、目に写る色彩を見ては衣装のデザイン、色を連想して、テレビを見れば役者や歌手の動きに見入り、季節の移り変わりの中での植物の生態には敏感だ。こうして20年近くをHULA一色で過ごし、もはやHULAは私そのものになってしまった。人はそれを「天職」とかいうけれど、そうだろうか?私はそれよりももっと「因縁」じみたものを感じるのだけれど。おそらく遠い祖先の血だろうと思う。何かのいたずらで日本に生まれたけれど、何百年の昔にはきっと南太平洋のどこかの島にいたのだろう。多分、私の回りにいるHULA好きの人達も昔、昔はどこかの島で過ごしていたに違いない。そう考えると楽しいね、HULAを通じて又会えたのだから・・・。 


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