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作文練習帳

 僕の家には狭いながらも自分の書斎があります。広いスペ一スではありません。たった3畳の大きさ
 長年、書斎が欲しいと思って来て、家を建て直す際にやっと出来た一人きりになれる唯一の空間。
 他の人が何と言おうと断じてここは僕の書斎なのだ。(実情は、パソコン部屋!!??)
 日記とは別にもう少し長いスパンで、普段思っていることを書こうと思って居ります。

 第 1668   ラジオ深夜便      2026.10.04 (日)

 世の中には、 『 私は夜にもう、横になったら、バタン・キュ一 』 だとおっしゃる方がいらっしゃる。僕も若い頃はその 『 バタン・キュ一 』 だとおっしゃる方も驚くほど、それこそ秒単位で寝入ることもありました。
 壮年になって役職が付いて、責任など取らされる役目に付くと、寝入りは良いのに決まって午前3時ころに目が覚めて、その後はしばらく寝付けないと言う時期を、長い期間経験してきました。
 リタイアして、お取引先や組織内のしがらみや、雑事などの責任などもなくなったのに,得意だった 『 寝付きの良いこと 』 からも見放されるようになった。なかなか寝付けず、おまけに夜中に目が覚めてしまう。その後、眠れずに悶々する習慣になってしまった。昼間の運動量が足りないせいかもしれない。
 先日、NHKラジオの 『 ラジオ深夜便 』 という番組を初めて聴いた。今までだって、 『 ラジオ深夜便 』 と言う番組があるのは知っていて、1分間以内なら、何度か成り行きで聴いたことがある。恐らく夜眠れない人がたくさん居て、それぞれ苦労しているのであろう。
 深夜番組で 『 ジェットストリ一ム 』 と言う番組がある。城 達也さんが出ていた頃、聴いた時期がある。番組のオ一プンナレ一ション 『 遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を流れる気流は~~ 』 で、城さんの低音が好きで、覚えて何度もつぶやいてみた。
 福山さんになってからの番組は一度も聴いたことがない。別に福山雅治さんが嫌いなわけでは決してない。それどころか、福山さんは若い頃の僕と顔立ちが瓜二つで、遠い親戚ではないかと思っていた。冗談はともかく、まだ売れない頃、我が家から歩いて3~4分のアパ一トに住んでいた。そんな事、関係ないか。
 『 ジェットストリ一ム 』 を聴いていた時期は、僕がまだ学生の頃で、眠れないどころか、まだ寝てもいない。 午後0時は若い人や学生にとってはまだ就寝前なのだろうが、高齢者にとっては 『 真夜中 』 なのである。高齢者は寝始める時刻が早過ぎるせいもあるのかな。
 僕の父母と同居していた頃、二人とも小さな携帯ラジオを持っていた。二人ともそれぞれ眠れずに、夜中にラジオを聴いていたのであろう。それでいて、朝ごはん食べては居眠りし、昼ごはん食べても居眠りして、夜も早々布団を敷いていたから、夜中に眠れないのは当たり前かな。
 僕も後期高齢者になる前は、夜中に起きてトイレに行くようなことはほとんどなかった。ここ数年は週に何日かオシッコに起きるようになり、その後は寝付くように苦労するようになった。要するに歳をとったと言うことなのであろう。
 ただ何もしていないと言う訳ではない。本やネットから仕入れた 『 快眠のツボ 』 を何か所も押す。静かに呼吸し吐き出す試みを実行し、『 羊の数 』 も数えているのである。
 先週から、携帯ラジオを枕元に置くようになった。でも、聴いた番組はジェットストリ一ムではなく、ラジオ深夜便であった。番組も対象とする年齢層と云うのも有るのだろう。

 第 1667   余命          2026.09.29 (火)

 多分毎年度、平均寿命と言うものが厚生労働省から発表される。2025年版によれば、男は81.35歳で、女は87.33歳であった。これを以って、世界の長寿と比較している。果たして平均寿命が高く、世界の1位、2位を争うほど高いことが良いことなのかどうか分からない。
 もちろん平均なのだが、この数値と自分の年齢を比較して、 『 自分は後何年生きるかな? 』 と今の自分の年齢と比較する方が多くいらっしゃる。思うのは勝手だが、ちょっと違う。 ここで発表される数値は、生まれたばかりの0歳児が将来平均して何歳まで生きるかを示したものである。現在生きているジジ、ババを対象としたものではありません。
 生まれたばかりの子は、これから病気になったり、交通事故や他の事故に遭ったりと、さまざまな試練が待っている。発表されているものは、生まれたばかりの赤ちゃんにとって、 『 平均寿命 』に変えて、『 0歳児の平均余命 』 と言った方が適切なのです。 一方、私たち高齢者ジジ・ババは、これまで既に多くの試練を乗り越えてここまで生きているのです。発表される平均寿命の数値よりは、たいてい長生きする場合が多いし、実際の数値も高い。
 ネットで調べると厚生労働省から 『 令和7年(2025年)簡易生命表 』 と言うのが示されている。その中の 『 統計表 』 と言う項目を見るとPDFで男女の年齢ごとの平均余命が表示されている。僕は今77歳である。表を見ると77歳の平均余命は男で 10.94歳、女で 14.27歳なのである。
 高齢者なら何歳でも良いのですが、例えば僕の年齢の77歳の男の場合で、 『あと11年近くの期間を有効に埋める多彩なプログラムを誰が持っている 』 と言うのだ。ほとんどの方がそんな事まったく考えていないで、タダ生きているだけなのだ。
 70代ならまだたぶん動けるであろう。団塊の世代は旅が好きだ。日常を捨ていつもと違う雰囲気に身を置きたい。すぐに旅に出たいと思うのは、本当は逃げているだけなのだけれど、旅に出れば何かが吹っ切れ、何かが始まると思っている。
 体が動けばNPOにでも参加して、ボランティアで社会貢献が出来れば、Very good.後は何でしょうかね。そば打ち、陶芸、絵画、彫刻なんていうのは良い趣味だと思います。そうそう、お金をたくさん持っている人は遺産相続なんかも考えておいた方が良いのでは。
 趣味に生きると言っても、周囲の方に迷惑の掛かけるようでは困る。 『 そば打ち 』 を習って自分で打てるようになっても、打ったそばは食べなければならない。量も多いであろう。夫婦2人ではとても食べきれない。2週間に一度とか、月一回位ならまだ家族も許してくれるであろう。これが週一とか週二になったら敵わない。
 先日、ラジオで落語を聞いていて思い出しました。落語の 『 寝床 』 のように、大店の旦那が義太夫に凝った。習い事が一応出来るようになると、どうしてもやりたくなるのが、成果発表である。長屋の住民や店の従業員に下手な義太夫を聞かせて苦しめるようになっては困るのである。
 それまで汗水垂らして懸命に働いてきたのですから、リタイア後はゆっくり余生を過ごしてくださいと思います。
 でもね、モノには必ず限度と言うものがある。体は丈夫なのですが、脳の方に支障が出てボケてしまう。どこかから何かを無断で持ってきてしまう。たびたび行方知れずになってしまって、周りの人が苦労する。首に縄を繋いで縛っておく訳にもいかない。本人が自ら“青木ヶ原の樹海”にでも入り込んで行方知れずとなるならともかく、周囲にいる家族が疲れてしまう。
 いくら長生きが良いと言っても、寝たきりで年齢だけ積み上げても、実際には傍に居て介護する人の人生を台無しにしてしまうのである。単に平均余命を伸ばすために生きているだけと言うのも困る。先日も、どこかで書いたけど、ほかの動物は自分で獲物を獲れなくなったら死ぬのである。
 自分も後期高齢者なのだけれど、日本は高齢者を優遇し過ぎているような気がする。医療保険の窓口負担でも、1割、2割負担と現役で働いている人よりも減額になっている。これを、逆に高齢者は医療費の窓口負担を 『 4割 』、『 5割 』 負担にしたら、医療を受けられない人が出て、平均余命は間違いなく短くなる。
 リタイア後は何かボランティアで社会貢献するとか、余暇活動でもして、ある日ちょっと草臥れたかなと思って、早目に横になったら、お迎えが来たという 『 ピンピンコロリ 』 が理想だな。

 第 1666   覚えられない        2026.09.27 (日)

 人間は忘れる動物だと言います。だが、どなたも、他の誰にも話すことのできない心のキズの一つや二つは必ず持っているものだと思います。これを知っているのは自分だけです。いつか間違えて誰かに告げてしまう前に、本当に心の底から忘れ去ってしまいたい。
 『 忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。 忘れ得ぬ人とは、遠き人を云うなり。人は常に忘れ得ぬ人を忘れよと云う 』 これは昭和28年のラジオドラマ 『 君のなは 』 と言う番組のナレ一ションです。放送時間になると、銭湯の女湯がからになると言う伝説のラジオ番組です。
ジジイとてまだ3歳の頃のラジオ番組で、大人になってその評判しか知りません。ただ、外観の美醜は避けることが出来ないことである。生まれついて、美男美女であることは全く羨ましい限りで、ジジイには全く生涯無縁の羨ましい話です。いくら悲劇であっても、そういう経験を一度でもしてみたかったなあ。でもね、これはあくまで 『 虚構 』 だからね。
 人の気質には種々あるようで、嫌な経験だと一応は承知していても、あっけれかんと気にもかけない人がいる。一方で、そんなこと今更考えてもどうにもなる訳ではないことを知っていながら、いつまでも何十回も頭に嫌な出来事が繰り返し浮上して来て、憂鬱な気分になる人がいるものです。私は悲しいことに、どうも後者であるように思える。
 頭に繰り返して浮かぶそのしつっこさは、フランス料理のすぐ後に、中国の満漢全席が控えていて、仕上げに焼肉食べ放題ごとき有様である。あたかも、ガチョウに無理にこれでもかと言うほど食わせて、肝臓を肥大化させるがごとき、無理に詰め込まされたような 『 しつっこさ 』 であります。
 ちなみに補足すれば、ジジイはそのしつっこさも、『 多分、そうではないか 』 と思うだけで、未だフランス料理のフルコ一スも、中国の満漢全席のテ一ブルに着いた経験はないのです。
 忘れられない、とてつもないしつっこい記憶を持っている一面で、神様が人間に与えてくれたとても素晴らしい能力は 『 忘れる 』と言うことだとも思っています。これは更に老年になって、『 忘れる能力の過剰付与 』に違いないと思うほど、何でもかんでも直ぐに忘れてしまうのです。これは本当に何とかしたい。
 生きているっていうのは困ったもので、忘れたい記憶がいつまでも頭の中に詰まって残っていたら、生きているのが本当に嫌になってしまうのでありましょう。忘れると言う素晴らしい能力を授けてくれた神様に感謝しなければなりません。
 リタイアしたからと言って、ジジイも毎日、新聞を読んで、テレビを見て、本を読んで、昼寝して、飯食って、散歩して、暇つぶしに鼻クソをほじくっているわけでもありません。これでも、ボケて周囲の方に迷惑を掛けぬよう、認知機能が衰えぬように、毎日弛まぬ努力をしている積りなのです。
 書き取りや、算数のテキストの他に、かつてテキストとして使っていた英語の読本を引っ張り出して来た。もう単語はすっかり忘れてしまったが、改めて思い出そうと試みたり、再び覚えようと努めるのだが、これがまた情けないほど覚えられないのである。覚えるには書くことが有効だと聞けば、何度も書くことを繰り返す。その場は何とか覚えられたかなと思っても、翌日になればすっかり忘れている。
 神様に申し上げます。忘れる能力を授けて下さることは大変ありがたいのです。忘れる能力の緩和と、新規に覚える能力の増進に重ねてご配慮下さるよう、どうぞよろしくお願いしたいと思う次第であります。

 第 1665   東下り           2026.09.23 ( 水 )

 1~2カ月に一度歯医者に歯のメンテナンスに通っている。歯科衛生士さんより口を大きく開け、舌を滑らかに動かすようにと、『 パタカラ体操 』 の指導を受けた。『 パタカラ、パタカラ・・・ 』 と声を出して言っているうちに、舌が滑らかに動くようになり、唾液の分泌も良くなるのだと言う効能である。
 僕は言われたからと言って、そんなに素直ではない。『パタカラ、パタカラ』など意味のない、呪文のようなモノを言うのは嫌だ。その代わり毎日 『 音読 』 をするからと言って、パタカラは断りました。
 以来、落語の 『 寿限無 』や『 厄払いの口上 』をしばらくの間やっておりましたが、これとて毎日では飽きる。今は明治大学教授の斉藤 孝教授 著の 『 声に出して読みたい日本語 』 を教材として、ほぼ毎日、5~6ページ分の音読を欠かさない。日々内容が変わるのが良いのであろう。本の終わりまで、行くとまた本の巻頭に戻る。もう3回ほど循環した。
 何回読んでもいつもきっと新しい発見がある。ジジイのように77歳となっても、今まで気付かなかった新たな発見があると、とても嬉しいものです。
 『 伊勢物語 』 は在原業平の一代記として、編まれたものです。ちょっと前後の要約を入れないといけません。
 昔、一人の男がいた。男は自分が用のない存在に思え、東国に居を求めようと、わずかの友を連れて出かけた。伊勢物語の 『 東下り 』 と言います。
 ジジイは4/9 に向島に行きました。向島をご存じない方に注釈します。上野や浅草方面から見て、隅田川を渡った向こう側が向島です。そう、スカイツリ一がある方です。野球の王さん、評論家の半藤一利さんが育った地です。隅田川沿いは両岸桜のめい所として知られています。
 ジジイ、向島の探検が終わった後、 『 言問橋 』 を歩いて渡って浅草、浅草寺方面に行きました。 隅田川の川面を見ると、都鳥(ユリカモメ)らしき水鳥が何十羽も浮いていました。
 『 なにし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと 』(都というなまえを負うなら都鳥よ、尋ねよう。私の思う人は無事か否か) 在原業平没年は880年と言いますから、1100年以上も前のことです。変わらずに都鳥が何十代にも渡り生息し続けている情景を思うと感動します。 もしかして、川面に浮かんでいた鳥がユリカモメでなく、違う種類の鳥であったら、なんと空気の読めない KY bird で有りましょう。

   今日、感動したのはこれではなく、同じ 『 東下り 』で、業平一行は三河の国の八ツ橋と言うところに来た。川が蜘蛛手に分かれ橋を八つ掛けているから八ツ橋という。その沢にカキツバタが趣深く咲いているのを見て、ある人が 『 カキツバタの五文字を句の頭に入れて、旅の思いを詠め 』 と言った。
 『 から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ 』 (着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ京の妻を思うと、ここまで来た旅の遠さが思われる) この和歌を今までジジイは知っていて、諳んじていたのです。ジジイは工学系の方面に進学しましたが、実は高校生の頃一番好きな科目が国語でした。その頃から本好きだったものですから、本ばかり読んでいて、国語は特別に試験勉強せずに済んだ教科だったのです。併せて、この 『 から衣~~ 』 は古文の時間に教師に指めいされ、訳を他の生徒の前で答えた歌なので、とてもよく覚えていたのです。
 ただ、このカキツバタの話は今日初めて知って、大変驚き、また感動しました。カキツバタという五文字を句の上に据えて旅の心を読むなんて、並みの技ではありません。そんなからくりがあったなんて、ちっとも知らなかったのです。77歳にして新しいことを知ってとても嬉しい。
 いずれがアヤメかカキツバタなんて言いますが、菖蒲、アヤメ、カキツバタ、見分け方の説明を何度聞いても分かりません。ジャ一マンアイリスも

 第 1664   敬老の日            2026.09.16 ( 水 )

 もうじきシルバ一ウイ一クと言われる連休が来る。土曜日を含めれば5連休になる。毎日が休日のジジイにとっては、普段の日々と格別の違いはない。9/21は 『 敬老の日 』 だと言う。休日であることは一向に構わないが、そのなまえを違うモノと変えるべきだと思っている。
 『 敬う 』と言う文字を国語辞典で調べたら、『 相手を尊んで、礼を尽くす 』、『 尊敬する 』 すると書いてあった。
 敬われるなら、それに相応しい尊厳ある人物であるべきだ。少なくとも自分は周囲の皆さんから尊敬されるに値するような人物ではない。その他の大多数の高齢者も含め、ただ単に年齢を積み重ねて来たに過ぎないと思っている。それで何故、敬老の日などあるのだ!?
 だからと言って、『 私の人生はどうだったのだろうか? 』 などと真面目になって反省などしない方が良い。普通の男の人生なんて波乱万丈なんてことはなく、そうそう世のため、人のために役に立って来たなんてことはなく、せいぜい所得税や住民税を払った他に住宅ローンを組み、自分や家族のために頑張って来たという程度が正直なところ。『 社会貢献したか? 』 など大それたことを考えない方が精神衛生上良いのです。
 どなたも勤務先を辞めた後、その自分が居なくなって、職場が滞ってしまうことなどなく、次の人が何の滞りもなく後の役目を果たし、別にあなたでなければ世の中うまく回らないなんてことは全くありません。自分を過大評価、思い上がらない方がよろしいようです。
 人間を含むすべての動物は、最後まで歯を食いしばって獲物を追いかけ、自分の餌の調達をすると考えるのがむしろ自然です。かつての日本各地には 『 棄老伝説 』と言うのが在るように、老人はある年齢になると、食い扶持を減らすために山に捨てられた。
 現代の日本人はちょっと特異であり、高齢者は施設に入って、三度の飯を自分で作らなくても済むようなる。家事から解放されることを一概に悪いとは言わないけれど、色々なことに気配りしないで済むように成ったら、急速に老化は進むに違いない。
 人間には賞味期限や消費期限と言うモノはないでありましょうか? 高齢者など差し詰めカビが生えて、食べられなくなって留め置かれたもの。まだ、廃棄はされていないところか?
 高齢者にはとかくお金が掛かる。年金は支給しなければならないし、多額の医療費も掛かる。これが将来成長して大人に成り働いて、税金を払うようになり、社会貢献してくれるであろう子供にお金を掛けるなら承知できる。高齢者にかける費用は Sunk Cost だよ。
 そんな、早くフェ一ドアウトした方が良いようなこと言っておきながら、私自身、大変な矛盾に満ちている。内科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、歯科に通い、医療費が掛かっている。その上、体のあちこちにふ具合個所があり、その原因を若い医師より 『 加齢 』 と言われるとガックリ来るし、ムカッともする。高齢者でも大ベテランともなれば、言われ慣れていて聞き流すことが出来るであろう。自分はまだまだだと思っていると、その 『 加齢 』の一言が胸にグサッと突き刺さる。自分と同じような高齢の医師であるなら、原因が加齢と言われてもまだ素直に受け入れられる。これが同じことを若い医師から言われると無性に腹が立つのだ。自分でこの膝の痛いのを経験したこともないような奴に軽々しく加齢と言われたくないのだ。
 高齢となることは実に心細い。だが、いざとなったら、子供に面倒を見てもらおうなんて思うこと自体が大間違いなのである。期待するから、もしダメになった場合、裏切られたと勘違いしてしまうのです。子供にとっては裏切っている訳でも何でもない。親の老後のことを話し合ったことも、約束したこともない。親がどう思っているかの思惑すら分からないのです。
 恐らく、日本の高齢者は世界でも一番恵まれているに違いないと思っております。こんなに恵まれていて、更に何を望むのでありましょうか? 高齢者をないがしろにしろとは言いませんが、高齢者は自分を見つめ、もっともっと自分を高めることを考えなければいけないと思っております。
 『 甘ったれるんじゃない! 高齢者 』

 第 1663   価値観を変えなくては 2026.09.14 (月)

 いつも同じようなこと書くけど、後半は違った展開にしたいと思います。  72歳まで勤めに出ていた。通勤のバスの中でも、お付き合いさせて頂いた色々な会社の中で周囲を見回しても、私より年上であろう方はほとんど見受けられなかった。
 ちょっと後ろめたいと思ったのが、通勤に利用していた市バスの運賃は70歳以上になると、半額になるという制度があった。仕事を辞めて家に籠っている、70歳以上の人が外出し易く成る様に半額とする制度なのだが、その半額のバス賃を利用して私は通勤に利用していた。
 体の状態はまだ大丈夫かなと思ったが、気持ちが萎えてしまって勤めを辞めた。辞めるに際して、予め心に決めておいた事は、家に居るようになっても 『 TVべったりにならない事 』 である。現在の1日のTV視聴時間は、多い日でも1H以内。通常の日で天気予報やニュ一スを見るなど、15分間程度といったところです。
 私の生活は落語の世界では隠居と言うことなのだろう。 『 社会で何の役割も果たしていない人 』 とのイメ一ジを持っていたのであろうか。心の片隅にはまだ存在を認めて欲しい。社会と関わりを続けていたい。そんな思いはあった。
 仕事を辞めて、直ぐにパソコンで写真入りのめい刺を2種類作ってみた。日本は大雑把に言えば、何処かの組織に帰属する社会、肩書のある社会という様相が強い。めい刺に記載するのに 『 無職 』 という肩書はどうも馴染めない。 『 Retired 』 としてみた。同じことだけれど。
 『 無職でも無価値ではない 』 と思いたかったのであろう。肩書が無くても、仙人や単身で山に籠って修行する行者ではない。人との繋がりはなければ生きてはいけない。
結局作っためい刺は、私のことを前から知っていて、改めてめい刺など渡す必要のない数人の方に配っただけで、その後はめい刺交換などした記憶がない。だから、ちっとも数が減らない。
 いまだにこんな言葉が使われているのかどうか知りませんが、定年後の男を表す 『 産業廃棄物 』 や 『 ぬれ落ち葉 』 などとお荷物的な存在として扱われないよう、家の中ではそれなりに努力して来た積りです。

 『 働かざる者、食うべからず 』 古今、人間社会は労働価値に重きを置いてきた社会です。ここ数年、AIの急激な進歩により、 『 人間に残された仕事は何だろうか? 』 なんてことが言われ続けて来ました。今のところ人間は高い知能を持ち、会話や文章による意思疎通ができ、事務作業や、力仕事、ガテン系の仕事も出来、一方では野球も趣味の将棋も指せる汎用の仕事・作業ができます。
 従来のAIは一つの作業、たとえば溶接をするロボットとか、将棋を指すロボット他、特定の仕事をする単一作業のものでした。ここ数年で人型ロボットが多様な仕事をする汎用型ロボットが見られるようになって来た。
 人間は休憩を取らなければいけません。同じ仕事をする能力があれば、人より安くてよく働くなら、企業や経営者は必ずAIを使った機械を選ぶ。何年か何十年後には人間同士で、仕事の争奪戦が激しくなりそうだ。AIを使ったロボットを所有する資本家のみがお金を得て、創造的な仕事をする人、医療系、マネジメントの仕事など以外の特技や、いわゆる手に技術・技能を持っていない人は仕事を失い、飢えてしまう世の中に成ってしまうのでしょうか?
 何もAIに仕事を奪われるばかりでなく、AIが普及したからこそ新たに生み出される仕事も必ず出て来る筈だから、悲観的な話ばかりではない。新しく創生された仕事は画期的な雇用を生むかもしれない。
 先日、学校の授業が終わった後、塾に向かう子供たちのことを書いた。勉強して良い学校へ行き、良い会社に就職したり、上級公務員に成れば幸せな生活が約束(?)されると言い聞かされていた構図が今後も引き続き描かれる保証など全くなく、きっと根底から崩されてしまう。 『 暗記 』 の勉強から、 『 物事をどのように考えるか 』 への変換を今まで以上に要求される。以前なら、ふ登校になってしまった子供の将来は危ぶまれていたけれど、光が見えて来た。
 2030年なのか、いつだか分かりませんが、私たちジジ・ババと同じに、職にあぶれた人々が世の中に充満するのでしょうか? 無職は同じだけれど、同列に位置づけされるときっと嫌がるだろうな。
 ガリバー旅行記の中で、 『 賢人の国 』 では召使いや労働する人が居て、賢人たちは働くことなく、役にも立たない数学の問題の解答を考えてばかりいた。古代ギリシャでも労働は奴隷がするもので、労働は忌み嫌われていた。
 『 労働は尊いもの 』、『 働かざる者、食うべからず 』 と言う考え方、つまり 『 労働に対する価値観 』 が変わらざるを得なくなる社会になると思う。年金や生活保護とは性格の違う 『 富の再配分 』 が制度化されないと社会が成り立たない。労働しなくても普通の生活ができるような制度改革が必須だと思います。
支給されるお金で生活できるなら、人々は働くこと以外にも素晴らしいことを考え出すかもしれない。こうなると自分の資金を使って製品を作り、価値を生み出す資本家はバカバカしくなるけど。・・・・・(高額支給はないだろうから、きっと贅沢な生活は出来ると思うけど)
 いずれにしてもAIの進歩によって労働の価値観は変わらざるを得なくなると思う。

 第 1662   ガリバ一           2026.09.04(金)

 幹事さんのご尽力で、ほぼ毎年、小学校のクラス会が有る。卒業してから65年ほどになります。幹事さんも『 今年は開催をサボろうか 』と言うお気持ちにもなるのだろうが、『 今年はいつやるんだ? 』とグル一プラインで催促が入るので中々休止できないようだ。
 クラス会の日は、開催時間よりずっと前に行き、自分が育った地域を歩き回ってみるのです。小学生以下のときに駆けずり廻っていた地域を大人に成ってから訪ねてみるのは、楽しくワクワクしますが、自分があたかもガリバーにでもなったかのような奇妙な居心地の悪さも併せて感じる。他の皆さんも、そんな風に感じるらしく、その手の体験談を何度か聞かされたことがある。
 角の酒屋がコンビニになっているとか、時々総菜を買っていた店が駐車場になってしまったなどと、半世紀以上経っているのだから、それぞれ様々な違いがある。方丈記にもそんなことが書いてあったね。概して言えば、かつて商店街の中にあった個人商店は壊滅状態となってしまって、ある特定の方面の商品を商う個人商店はほぼなくなってしまった。
 肉屋さん、魚屋さん、豆腐屋さん、八百屋さん、金物屋さん、お米屋さん、小間物屋さん、雑貨屋さんなどなどは、食品ス一パ一や、ドラッグストア、DIYの店、\100shop、携帯電話の販売店などの、資本の大きな事業者の進出で、個人経営の店はもう本当に成り立たなくなってしまって居る。
 昔有った店が無くなってしまって、大型店舗に変わってしまったなどの、見かけの変化に由来する懐かしさの消失とは別の、何の関係もない、違う感覚を持つ。
 今の自分より遥かに低い視線(目線)、遥かに狭い歩幅でとらえて、頭の中に描いていた 『 空間認識の基準 』があった。その後の成長による身体的変化で視線にズレを起こしてしまっているのであろう。大袈裟に言えば、商店街、原っぱだった所、住宅地、神社、小学校など、その町の地図がすっかり変わってしまったのである。
 これが無くなってしまった、あれが消えた、こんなものが出来てしまったと驚くよりも先に、かつて毎日のように歩いて、見知った道幅が実に狭い。今の子はそんなことはしないと思うが、他人の家の塀の上を、両手を開いてバランス取りながら歩いたりしていた。乗り越えたり、飛び降りたりしていた塀が、思っていたよりずっと低かった事に衝撃を受ける。
 家から小学校までの距離や、駅までの歩く時間が、何故かずっと短く感じられる。大人に成ると言うのは、多分、子供の時に描いていた感覚や頭の中に描き込んでいた地図の尺度を書き換えることなのだろうなと、曖昧になっ得してその場をやり過ごしていくのであろう。

 第 1661   田舎暮らしができる人 できない人   2026.08.28 (金)

 土曜日の朝日新聞朝刊には本を紹介する記事のコ一ナ一があり、読書好きのジジイは毎週楽しみにしています。8/22の記事で、東京大学めいよ教授の御厨 貴さんが、玉村豊男さんの『 ブドウ畑の傍らで暮す 』と言う著作の評を書いておられた。
 この本は何も最近書かれた作品ではありません。評の中で御厨さんは玉村さんのことを『 玉さん 』と書いてあったから、親しい間柄であったのでしよう。
 ジジイ恥ずかしながら、玉村豊男さんの作品やお人柄どころか、おなまえすらこれまで全く知らなかったのです。ネットで図書館の蔵書を調べ早速、『 田舎暮らしができる人 できない人 』 と 『 エッセイスト 』の2冊を借りて来て、『 田舎暮らしができる人 できない人 』を読み始めたところでした。気取るところのない、とても読みやすい文体です。
 8/26 の朝刊に玉村豊男の訃報が載っていたのです。8/9 に肝細胞ガンで既にお亡くなりになっていたのでした。何の因縁だか分かりません。丁度、玉村さんのことを初めて知り、その作品を読んでいる最中だったので、とてもビックリしました。何かが僕を玉村さんに引き繋いだのでしょうか ⁉
 8/26 夜には 『 田舎暮らしができる人 できない人 』 を読み終えました。玉村さんとその奥さんとも、東京生まれの東京育ち。玉村さんの若い頃はフランスに留学され、通訳、ガイド、翻訳、文筆など多彩な能力を発揮されていた。38歳から軽井沢に住み、46歳で長野県東御(とうみ)市に移住して暮らしておられました。
   玉村さんは長野県東御市では畑仕事をしています。それどころかブドウ畑を持ち、ワイナリ一の経営もなさっていた。本の中で、田舎暮らしには付き物の、川さらいや農道の整備など、村での共同作業や田舎暮らしの人間関係他、留意することなどが書かれていました。
 私は田舎暮らしができる人なのか、できない人なのかどちらでしょうかね? およそ20年前の8月21日から翌年の4月20日までの丁度8か月間、単身赴任で山形県上山市にある温泉街の裏手のアパ一トで暮らしました。僕は東京生まれで、雪国の経験はまったくありません、丸一冬雪国の経験はとても新鮮だった。僕はもちろん山形では工場勤めでした。現在の住まいの近くで猫額の土地を借りて、ホンの趣味レベルの家庭菜園は経験したことがあります。
 本音を言えば、8か月間で、四季がはっきりしていて、自然満点の山形の生活が好きになってしまったのです。住んでいたのが温泉街の裏手のアパ一トだったものですから、農業を営んでいる地域の田舎暮らしの人間関係はほとんど違い、地方と言っても、都会と変わらなかったのではないかと思っています。
 山形が好きと言っても時期が来れば、川崎に帰らなければなりません。川崎にはカミさんと子供がいる。では、子供が成人となった後の定年後(65歳以降)の移住はどうかと言うと、移住先の田舎の自治体がきっと迷惑すると思います。
 仮に退職金と貯蓄を叩いて、住まいを購入して移住したとします。自治体に払うのは多分、固定資産税と消費税だけ。もちろん健康保険料の負担はありますが、ジジイの負担分より自治体の負担の方が多くなるでしょう。ジジイは年金生活で、在職中は低額所得者だったから、おそらく市県民税非課税世帯となるかな? 高齢者はひときわ、医療費他の社会保障費が掛かる。地域の消防団に入って地域貢献など出来ないだろうし、病気になって救急車を呼ぶ機会も若い人よりきっと多い。高齢者の移住は自治体にとって全くの赤字、お荷物なのですね。
 若者が都会に出て行ってしまった自治体が、移住して来て欲しいのは税金を払ってくれる若者、壮年者なのです。移住して来て欲しくないのは税金を払ってくれない高齢者なのだと思います。『 定年後は田舎生活が良い 』 などと言って、移住して来ては困るのです。
 斯くして、できる、できないに関わらず、高齢者の移住は 『 田舎暮らしができる人 できない人 』 の対象外なのだと思います。残念!

 第 1660     タネ              2026.08.26 (水)

 『 8/9の日記 』 で提示しました、自家製のカボチャの 1/4 を食べました。国内の農家が栽培したカボチャのタネではないことは知っていました。そのカボチャは南米の 『 チリ 』 で収穫され、輸入されたものです。昨年、食品スーパーで売られていた物を買い、中身のワタから取ったタネを乾かしておいて、今春蒔いたものです。今は食品ス一パ一などで物を買う場合は、産地表示されているので、何処が産地だか直ぐ分かります。
 家庭菜園のできる土地を所有していません。だから細々とプランタ一にタネを蒔いて育てている。成育すればもちろん食べています。
 小松菜は江戸時代から東京の小松川と言うところが原産地だろうと思っていた。¥100ショップで2袋100円で買った袋の裏の表示を見たら、『 イタリア 』 だった。一緒に買ったカイワレ大根のタネも『 イタリア 』 だった。イタリアは農業が盛んなのかぁ。
 プランタ一に恐らくもう5年以上もうえっぱなしで、継続していたニラが大分草臥れて来た。野菜炒めや、餃子を作る時に重宝していました。新たにタネを蒔いて育てようと考え、タネを購入に行きました。今、園芸店でもニラのタネは中々見当たらないのです。
 ネットで 『 サカタのタネ 』 からニラのタネを購入しました。袋の裏側を見たら、『 チリ 』 産と書いてあった。ブランドの 『 サカタのタネ 』 と言えども、自家栽培したタネでなく外注したものだった。
 グロ一バルな社会ですから、作物のタネと言っても、外国産であることは仕方ないことなのでしょう。
 食に関するものがすべて国内産なんてことは、日本ではもう有り得ません。日本の食糧需給率は39%なのですから。もし仮に、外国から経済制裁にあったり、『 ○○国と取引している国は敵とみなす 』 なんて脅しにあったり、まさかの戦争当事国にでもなったら、日本はたちまち食糧難となってギブアップ間違いなし。単に自衛隊の装備の性能で表面的に優れているものを持っていたと仮定しても、食料需給率と言う 『 体力 』 を持っていないのだから持ちこたえられないよ。
 道の駅に行くと、地元の農家直送の野菜の袋に生産者のなまえの入ったラベルが、貼られて置かれ、 『 朝取り 』 なんて表示があると何だかとても安心します。これは鈴木さんの畑で出来たホウレンソウ、加藤さんの畑のジャガイモ、佐藤さんのタマゴ・・・・・・などなど。タマゴのケースには佐藤さんの顔写真付き付きのラベルが貼ってあったりして、『 へぇ~、このおじさんがタマゴを産んだのか・・・ 』 とは思わない。
『 アホカ、 オスがタマゴを産むか、オバサンだろ 』 なんて混ぜっ返してはいけないけれど、写真付きだと何となく安心感がさらに高まるのである。
 戦争、早く止めてくれ、

 第 1659     子供の将来           2026.08.18(火)

 僕自身は既に子育ても終わったポンコツジジイです。僕ら夫婦の娘や息子は、結婚が遅かったことも有って、まだまだ子育て真っ最中。彼らの子育て、つまり孫についてはまったく干渉していない積りです。心中では、小さな時が肝心、甘やかせ過ぎかなと思うところがあるものの、口出しはしません。
   夫婦にとって、自分らの子供が出来た時に、親が描く『 子の将来 』の夢。十年先の小学生や、二十年先の花嫁姿などなど、様々な形があるのだと思います。
 今は夏休みで、時間帯が代わっているのだろうと思います。休み期間中以外の夕方に、マ一クの付いた揃いのブル一のバッグを背負って塾に通う小学生を見掛けます。ここでの話では類似した塾へ通うのであれば、どの組織でも良い。
 親御さんが自身の子供に対して、将来良い生活をするには、大企業や上級の公務員試験に合格しなければならない。そのためには良い学校に入って、良い成績を取らねばと筋書きを作って、『 今頑張れば、きっと先で良い結果が追い付いて来るんだよ。誰も君を苦しめようとしている訳ではないのだ。君のためなのだ 』 と励ましていないのかな。
 当の子供たちにとって、何とウソ寒い言葉なのであろうか。本来なら遊びたい盛りの年頃なのに、親と周囲の期待に押し潰されそうに、訳も分からないまま一つの方向に走らされて来た。勝つ(?)ための宿命は親が勝手に描いたもので、子供自らが選んだものではなかった。
 親バカはいつの時代にも存在する。そして子供はまだ自分の判断基準を持てず、明確な意思を持たないまま、親の望む方向に押し流されて行くのである。

 ずっと以前から、将来この仕事はなくなってしまうと予想されるリストがあちこちで見受けられました。例えば、車は自動運転になるから、タクシ一の運転手の仕事は無くなってしまうとか、様々な無くなると予想される仕事のリストを見て出来ました。無責任にも多岐に渡って予想される職種が載っておりました。
 8/17の朝日新聞 一面に『 あなたの職務 撤廃されます 』『 AI が代替 米IT企業人員削減 』と言う見出しが出ていました。メタ (旧 Facebook ) は今年5月、従業員の1割に当たる8000人の削減を表明し、マイクロソフトは米国内従業員9000人の希望退職募集したのです。
 こういった人員削減は業績が悪くなった会社がよく行いますが、両社とも業績は好調で、AI に巨額な投資を続けているのであります。
 この記事に写真が添えられていて、 AI 企業がビルの壁に 『 STOP HIRING HUMAN(人を雇うのを止めよう) 』 という大きな広告が表示されているのでありました。世界の労働の1/4が AI に代わる可能性があるのだと言います。
 米国でもこの種の仕事なら AI に奪われることはないと、うえ木屋さんとか、電気工事士など、いわゆる『 手に職の有る 』 身体を使う現場仕事を考えるべく、大学に進学することをやめ、職業訓練コ一スに進むよう方向転換されている動きも見られるようです。
 ずっと前ですが、資格を取るのには 『 士業 』 つまり弁護士、司法書士、行政書士・・・などの 『 士 』 が付く仕事が良いと考えられていた時代もありました。考えると弁護士さん以外はあまり望みはないのではと思います。忘れてましたけど、『 力士 』 つまりお相撲さんは残る仕事かもしれない。ただ、30代前半までに余程頑張って稼いでおかなければならない。
 もう50年も前のことですが、私の20代後半に数値制御を使った工作機械が世の中に浸透して来ました。ただ、加工しようとする製品の情報は、人間が工作機械のコンピュ一に読み込ませて稼働出来るような 『 言葉 』 に直さなければならない。そのデ一タは製品ごとに人が作ってやらないとその工作機械は動きません。私は20代後半の時、図面を見ながら、電卓片手に大変な労力と時間をかけ、手書きでコ一ディングシ一トに書き、加工のデ一タ作成していた。
 だが、恐らくその20年後には、私が当時やっていた仕事など、誰もやっている人はいなかったでしょう。自動プログラムソフトが売られ、ソフト搭載のパソコンを使ってデ一タを作れば早いし正確です。そんなに短い時間で世の中はどんどん変わってしまうのです。
 小学校での授業が終わった後、青いバッグを背負って、更なる勉強にでかける小学生が大人になって働き始めるには、あと10年くらいかかる。
 ジジイは既にリタイアしていて、しかも先がない。まだ若い方や子供たちが将来どうなるか全くわかりません。 『 今頑張れば、きっと先で良い結果が追い付いて来るんだよ。誰も君を苦しめようとしている訳ではないのだ。君のためなのだ 』 と、軽々しい言葉を使って大丈夫なのだろうか。夏休みは遊びたいよな。寄らば大樹の陰で大企業を目指すとか、キャリアの公務員に成れれば将来は安泰だと言う考え方、誰にも正解は分からないよ。

 

 第 1658   終戦記念日            2026.08.15(土)

 予め書いておきます。いつもそうですが、このブログを書くに当って、パソコンの横に本を置いて参照したり、メモ用紙を見ながらキ一を打っている訳ではありません。ポンコツジジイの記憶を元に書いているものですから、あるいは中身に多々誤りがあるものと思われます。ジジイの記憶なんてこんなものだと思いながら、ご笑読下さるよう、予めお伝えしておきます。
 今日は81回目の終戦記念日です。
 私の父は戦争に行って、左肩に銃弾を受けました。傷痍軍人です。戦時中、腕を切り離す話もあったようですが、幸い何とか指が動くので、切り落とさなかった。戦後何度か手術を受けたそうで、ふくを着れば外観からは分かりません。ただ、左手に力を入れるような仕事は出来ませんでした。
 昭和30年代半ばまでは、繁華街や駅の入り口で4~5人で帽子を被り、白衣を着た傷痍軍人の方々がアコ一ディオン演奏などして、物乞いをしているのを見かけるのはとても怖くて嫌でした。ただ、昭和39年の東京オリンピック開催を前に、外国人観光客には見せられないとの考えで、街頭に立つ白衣の姿は見られなくなりました。
 父が戦争で負傷したものですから、僕が育った家の中では、父が嫌がったのでしょう、戦争の話はほとんどありませんでした。そのせいも有って、僕も学生時代に戦争に関するような本を全くと言って読んで来ませんでした。
 先に僕の立場を明確にしておきます。『 戦争には絶対反対です 』
   今の若い人の中には、過去に米英中露と戦争をしていたことさえ知らない能転気な方もいるようです。戦争には反対でも、常識として戦争についての知識や考えを持っていなければいけないと思っております。
 太平洋戦争では軍人、軍属、民間人を含め、320万人ほどの日本人が亡くなりました。空襲で日本は焦土と化し、2発の原子爆弾が投下され、沖縄の集団自決やインパ一ル作戦、漫画『はだしのゲン』などの話を断片的に聞いたり、読んだりしていると、あたかも日本は戦争の被害者であるかのような気分になってしまいます。そもそも、アメリカに戦争を仕掛けたのは日本の真珠湾攻撃なのです。それも、手違いで宣戦布告がアメリカに届く前に攻撃が始まった。別に以前から中国大陸には、日本は侵略戦争を仕掛けて来ていました。
 結果的には日本は4年後に無条件降伏となるのですが、何かちょっと、2023年のハマスがガザとイスラエルの壁を越えて、ロケット弾を撃ち込み200人以上の人質として拉致した戦闘に似ているような気がする。圧倒的に戦力に格差があるにもかかわらず、先に手を出したのはパレスチナである。人質として連れ去られたことが大義めい分と言うことも有り、イスラエルは停戦合意後も戦闘を止めずに徹底的に攻撃しまくった。
 どなたもご存じですが、ドイツのヒットラ一によって、ユダヤ人はホロコ一スト、集団殺害にあった。同じユダヤ人が今度、立場が替われば、加害者になるのである。もはや戦闘能力のない人たちを相手に集団殺害を行なっているのである。人間の浅ましさの本質を露呈している。
 なおかつ、イスラエルも米国も自分たちは核兵器を持っているのに、持つ準備をしているらしいイランを突然攻撃しているのである。自分たちの考えに賛同しない国は 『 ならず者国家 』 なのである。
   以前より読みたいと思っていた本があった。作家の猪瀬直樹さんの 『 昭和16年夏の敗戦 』 です。図書館で借りようにも、予約している訳でもないものですから、希望者が多くて未だに読むことが出来ません。戦争を始める前から負けると分かっている、圧倒的に戦力に違いのある米国に何故、戦争を仕掛けたのでしょうかね。
 それまで、日本は幾多の戦争に負けていなかった。古くは鎌倉時代の元寇から、秀吉の朝鮮侵出、日露戦争、日清戦争、その後の大陸への侵出など負け知らずで、いつも『 神風が吹く 』と思い込んでいた。
 8/10に図書館に行き書棚を見ていて、ほんとの偶然に半藤一利さんの『 日本のいちばん長い日 』と言う本を見付けた。長年捜していた本で期せずして終戦記念日の今日、読んでいる最中です。
 連合国側から『 ポツダム宣言 』の提示があり御前会議にて、天皇が受け入れて戦争を終結されるとの意思表示をする。 『 自分の身はどうなっても構わないから、原爆も投下され、これ以上戦っても被害が拡大し、国民が苦しむだけだから戦争を止める 』 と言う趣旨の言葉を述べた。
 もちろん、若手将校の中には本土決戦まで持込み最後の一兵卒まで戦うと意気込んでク一デタ一を計画する人たちもいた。結局は天皇の言葉で戦争終結への道を辿ることになる。
 今日の題を 『 終戦記念日 』 ではなく、『 本音と建前 』 にしようかと思っていた。こぶしを振り上げて『 本土決戦まで持込み最後の一兵卒まで戦う 』と意気込んでク一デタ一を計画する若手将校とて、戦況分析出来ない筈はない。これ以上戦って勝てる見込みのない事も分かっていたはず。分からなかったらボケナスで、指揮者である将校の資質などない。ただ、メンツがあるだけだ。これが 『 建前 』 である。天皇陛下がそれほど言うのだから、止むを得ず戦争を止めるのだが、 『 本音 』 のところは 『 良かった 』 ときっと思っているのである。昭和11年の 『 2.26事件』 の時も、天皇が 『 やめろ 』 と言ったら、ク一デタ一を起こした若手将校は萎えてしまって終結した。
 天皇はそれほど大きな力を持っているのだが、多分、古代において、めちゃくちゃに喧嘩の強い人が居て、それが天皇の由来に違いなく、周囲の者が権威を付けるために神格化したと思っています。戦後、国も人事異動を行い、天皇は 『 神より人間に格下げ 』 になったそうです。これほど大幅な降格人事はない。
 今、大国と呼ばれるロシア、アメリカ、中国の指導者がどう考えて、戦争したり領土拡大する準備をしているのだか良く分からない。結局は自分のなまえを輝かしく歴史に残したいと思っているだけのような気がする。
 習近平が 『 中華民族の偉大なる復興 』 と言う、中国の夢の実現の目標として、中国の領土をアヘン戦争と日露戦争前の状態に戻すと言うスロ一ガンを立てている。領土や人が多くなると、それだけ目が届かなくなり、維持するのにお金と軍備費用が掛かり、税金で賄わなければいけなくなる。そのことは十分知っている筈です。それが 『 中華民族の偉大なる復興が建前 』 で、本音は何かな? 『 偉大な指導者としての自分の功績を歴史に残す 』 かな?

 第 1657   多勢に無勢            2026.08.08(土)

 いつも行く図書館では一人につき、1回に10冊まで、2週間借りられる。大抵カミさんと行って本を借りている。カミさんは図書館の貸し出しカ一ドの登録をしておらず、ジジイのカ一ドで概ね半分ずつの冊数を借りる建前にしている。最近はジジイも読書量が大分減って、自分用に2~3冊借りるので十分となっている。
 今回に限っては、自分が借りた2冊を早々読み終わってしまい、家人が借りた、北 杜夫さんの『 マンボウ最後の家族旅行 』も読んだ。『 航海記 』『 昆虫記 』 他、マンボウシリ一ズを読んだのはジジイが10代の時以来である。
 北 杜夫さんが亡くなって、もう15年経過する。亡くなったのは 84歳の時である。『 最後の家族旅行 』と言う題めいだから、亡くなる少し前の記述もあるのでしょう。何にも高齢になるまで書かない方が良かったと思うな。はっきり言って申し訳ないが、プロの作家が書いたモノとは思えない部分も散見した。
 書中に夏は軽井沢の別荘にて著作活動なさっている作家の方々の様子を書かれた部分もあった。ジジイも小学生の林間学校で、ただ一度だけ軽井沢に行ったことがある。もうほとんど記憶にないが、たぶん涼しかったのであろう。
 各地で猛暑日、酷暑日が続出している中で、朝晩は別として、今は軽井沢、上高地辺りでも、日中は連日暑い日が続き、避暑どころではないのではないのかなぁ。
 8/12を休み、月遅れのお盆休みで『 6連休 』、さらに8/10も休んで『 9連休 』と言う方もいらっしゃるようだ。早朝のテレビをちょっと見たら、もう高速道路では渋滞が始まっているんだって、何ともご苦労さんな事です。今年は何処に行っても暑いのですよ。
 テレビなどで平気で8/15を『 旧盆 』と言っている人がいます。正しくは8/15は『 月遅れのお盆 』です。旧盆は別にあって、8/27ですからお間違えなく。疑っている方はカレンダ一で確認して見て下さい。
『欲しいままの、ひとりぶたい』と言う意味の言葉で『 独擅場 』と言うのがあります。読み方は『 どくせんじょう 』と言うのが正しい。これを多くの人が『 どくだんじょう 』と読んでしまった。その内、『 擅 』と言う文字まで『 手偏から土編 』に変えられ、『 独壇場 』と言う文字と読み方が普及してしまった。多勢に無勢で、間違って覚えている人が大多数となってしまうと、そのうち情勢が全く変わってしまうことがあります。困ったものです。誰も困らないか?!

 今年などは5月のうちから30℃を超える日があって、いつも連休のジジイも、避暑など行かず、連日エアコンの掛かった処でじっとしております。夜はエアコンの『 おやすみモード 』にて寝ても、夜中に何度も目覚め、反動で日中眠たくなってしまう。その分、昼寝で補充するが故、今度は夜睡眠が浅くなってしまう悪循環。贅沢なこと言って申し訳ありませんが『 暑さ疲れぎみ 』で、体が重いのであります。暑いので外出もままならず、運動ふ足の分、食べる量を減らせば良いのに、通常通り食べてしまうので夏痩せどころか、体重が増えてしまう有様。こちらの次第によるのが、体が重い主な原因なのかもしれぬ。

 第 1656   音読               2026.08.02(日)

 毎日暑い日が続きます。幸いジジイの住むところでは40℃以上の酷暑日にはまだなっていませんが、猛暑日にはなっています。テレビでもふ要な外出はなるべく避けるように言っています。
 でもね、こうしてずっと家に居て体も動かさず、夫婦も50年以上もやっていると、余り会話することもなくなってしまったのだよ。会話しないのは認知症となるリスクも高まり、また会話をしないと舌の動きも悪くなって、誤嚥性肺炎の原因ともなるそうです。会話でなくても声を出して、音読でも大丈夫なのだとか。
 明治大学の斉藤孝教授の著書に『 声に出して読みたい日本語 』と言う本があります。会話の代わりにほぼ毎日5~6ペ一ジずつ、大きな声を出して音読しています。例えばどんなものがあるかと言うと、
*白波5人男の『 知らざあ言って聞かせやしょう~~』
*ガマの油の口上 『 てまえ持いだしたるは、四六のがまだ。~~』
*平家物語『 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり~~』
に始まって、落語、和歌、俳句、小説、講談などなど、リズム・テンポに乗るような言葉がおよそ80種類ほど乗っている。毎日5~6種類ずつ音読していくのだから、およそ2週間ほどで、また初めからと言うことになる。数えていませんがもう何回転もしました。
 普通に音読すれば良いのですが、経文の般若波羅蜜多心経 『 観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時~~~』は普通に音読しようと思って読み始めるのですが、どう考えても自然とお経を読むような調子になってしまって、自分でも読みながら可笑しくなってしまう。
 ご近所に宗教を信じているお宅が有って、朝に開け放った戸口からお経が聞こえてくる。どうも、お経と言うものはどれも同じような調子に聞こえるようなものらしい。
 ジジイも声が小さい方ではない。般若心経を音読していれば、あの家もお経を上げているのだから、近所の方からは『 どこぞの宗教を信じているに違いない 』 と思われていることだろう。実際のジジイは『 葬式仏教 』で、知識としては宗教関連の本を読んだりしますが、基本的には無宗教。困った時だけ 『 神様、仏様 どうかお願いいたします 』 なのであります。
 ちなみに、日本の仏教でも般若心経を唱える宗派と唱えない宗派があるそうです。唱える宗派は、真言宗、天台宗、曹洞宗、浄土宗、臨済宗などで、読まない宗派は浄土真宗、日蓮宗なのだとのこと。我が家のご近所のお宅は日蓮の系統ですから、ジジイも般若心経を唱える場合は、窓を閉めて音読した方が無難かもしれません。
 般若心経と言うのは、皆さんよくご存じの西遊記の三蔵法師玄奘が訳したものです。よく 『 般若心経の写経 』 と言うものがあるそうで、ジジイもやったことがあります。世の中には 『 なぞり写経 』の用紙も販売されているようです。薄く書かれた文字の上をなぞっていく写経です。ジジイはA4のレポ一ト用紙のようなものに書きました。ただ文字を写し取ればよいと言うのではなく、丁寧に一文字ずつ精魂込めて書いた積りなので、かなりな時間掛かりました。集中力育成にはもってこいです。

 第 1655  ピ一ピ一              2026.07.10(金)

 暑いからほとんどずっと家の中に居る。もう歳だからボケが出て何かとドジなことして、カミさんに叱られてばかりいる。言い返せば、後が面倒だから 『 はい、はい 』 と言っておく。こうしておけば、波風立たない。
 カミさんとは歳が半年しか違わないから、ボケさ加減は同じようなものである。ただ、カミさんがドジを踏んでも、ジジイの方が半年でもオニイチャンだから、ここぞとばかりと指摘するようなことは決してしない。 台所では色々な機器で警報音が出る。
① 昔から電子レンジが調理を終わった完了の音は 『 チン 』 と言うことが定番になっている。電子レンジで調理をすることを 『 チンする 』 などと言ったりもする。我が家では電子レンジを何度か更新したが、『 チン 』 と音が出たことは一度もなく、いつも 『 ピ一ピ一 』 である。
② 冷蔵庫の扉の締まり具合が完全でない時の警報音も 『 ピ一ピ一 』 です。
③ ガスコンロに魚焼きのグリルが付いている。グリルの中に入れる容器が有って、その中に入れて焼くと一種の蒸し焼きのようになる。魚も焼ければ、菓子も焼ける。その焼き上がりを知らせるのも 『 ピ一ピ一 』 だ。
④ ホ一ムベ一カリ一、つまりパン焼き機がある。これもパンが焼き上がると 『 ピ一ピ一 』 と鳴る。
⑤ 時々しか使いませんが、家庭用の精米機を持っている。これも精米が終わると 『 ピ一ピ一 』 と音がなって精米完了を知らせてくれる。
 我が家の台所周辺では、何かの警報音は 『 ピ一ピ一 』 ばかりなのである。 主(あるじ)の懐具合を象徴しているのでありましょう。
 買い物から帰って、カミさんが食材を冷蔵庫に入れている時、ある一定の時間以上が経過すると、冷蔵庫は扉の閉め方がふ完全だと認識して、 『 ピ一ピ一 』 鳴り出す。 『 分かったよ 』 と冷蔵庫と会話している。まだ、買って来た食材を冷蔵庫に押し込み終わっていない。再度警報音 『 ピ一ピ一 』 。 『 分かったって言ってるでしょ! 』 と冷蔵庫と喧嘩している。

 カミさん、パン焼き機でメロンパンを焼こうとしていた。いつもは胚芽入りパンとか、ブドウパンと言うような食パンを焼いている。メロンパンに挑戦するのは初めてである。レシピと首っ引きでやっているのである。 パン焼き機には必要な材料を計って投入、機械に材料をセットした後は 『 機械任せ 』 なのです。いきなり焼き始めるのではなく、材料を捏ねた後、生地を寝かせて置く時間が必要なのである。所定の作業を終え、焼き上がると 『 ピ一ピ一 』 と警報音が鳴ります。庫内が熱くなっている関係から、鳴った後は速やかにパンを取り出さないと、焼き過ぎて焦げてしまう。
 今回も材料をセットしスタ一トボタンを押した後は他の調理をしていた。 『 ピ一ピ一 』 と言う警報音が鳴ったものだから、もうパンが焼き上がったものだと思って、パン焼き機から引き出した。中身はまだ生地を捏ねた状態のまま、全く焼けていなかった。何しろメロンパンは初めての挑戦だったから要領が分からなかったのでしょう。また元に戻して継続したら何とか出来上がった。
 実は 『 ピ一ピ一 』 の警報音は冷蔵庫の扉が半開きであることを知らせるために冷蔵庫が発した警報音だったのでした。それをパンが焼き上がったものと勘違いして、取り出したらまだ途中の生地の寝かせ状態であったのだ。
 警報音も同じ 『 ピ一ピ一 』 でなく、変えてくれないと困ってしまうのだよね。本当は機器によって警告音は微妙に違っているのかもしれない。年寄りには皆同じ音に聞こえてしまう。

 過日もパン焼き機で失敗していた。パン焼きに使う粉は 『 強力粉 』 である。パンを焼くのは初めてのことでなく、もう何十回と経験している。それを、どう勘違いしたのか 『 薄力粉 』 を投入してしまったのだ。
 焼き上がりを見たらちっとも膨らんでいない。それでも小麦粉だから硬めの焼き菓子の様なモノが焼き上がった。もったいないからと切って、その後、何回かに分けてジジイも文句を言わず食べているのである。
 老後の余生を平穏に暮らすには、忍耐と弛まぬ努力、様々な工夫が必要なのだ。

 第 1654   2027年            2026.07.04(土)

 6月末日を以って、2026年も無為に半分消化してしまった。来たる2027年は何かと面倒な年になりそうな気がする。
 在職中は周りの人との会話などから、色々な情報を得ることが出来た。リタイアした今は情報を入手することが中々難しくなって来ている。新聞を読んでも中々理解できないのだ。新聞の記載が雑なのか、ジジイがボケているのか。ジジイは世間から段々取り残されて行く。

 ネット通販でクレジットカ一ド決済できなかったことは今までなかった。つい先日もモノタロウで買い物したが問題なかった。昨日、大相撲の巡業のチケット申し込みしたら、カ一ドが 『 3Dセキュア2.0 』 に対応できていないからダメですと、はねられてしまった。そんな本人確認を重視するチェックシステムがあるなんて初めて知った。 昨年まで、相撲の巡業は新聞の折り込み広告が入って、カミさんがFaxで申し込みしていた。今年は折り込みチラシすら入っていない。巡業と言うイベントが開催されること自体どうして老人に分かるのか? ネットで見たら確かに開催を告げるサイトはあった。

 2027年末を以って、蛍光灯の製造が終了となり、28年以降も在庫のある限り販売は続くが、その内に入手が難しくなるそうだ。
 『 お前は蛍光灯だな 』 と、我が感覚がにぶいことを揶揄されることが無くなるのは結構なのだが、蛍光灯が無くなる対策は考えておかねばならない。
 蛍光灯そのものが入手できなくなるのはまだ先の話だが、当方の老化問題も考慮しなければならない。我が家で天井照明の LED化が終了できていない個所が3カ所あった。
 天井照明器具の交換は脚立に登って行わなければならない。 天井照明器具の交換も同様、先延ばしすればするほど、老化は進み平衡感覚が衰える。脚立の上で 『 オヨヨ 』 とふらつく可能性が高くなるのである。
 3カ所の内、2カ所は量販店にて、6畳用 税抜き¥2998一にて購入、すでに取り換えた。残念なことに見栄えが落ちた。およそ26年前、拙宅の建て替え時期と、ハウスメーカーの住宅展示場の見本の建物解体の時期が重なり、住宅メ一カ一の営業マンの計らいで、展示場の照明器具他の電化製品が無償で、我が家に移動して来たのである。我が家の粗末な部屋にそぐわない、結構見栄えの良い照明器具が今まで付いていたのである。
 それが今般、¥2998(税抜き)に取って替わったものだから、その見栄えの落差は計り知れない。( 当時シャンデリアも運ばれて来たが、恐れ多くて取り付けなかった )
 あと1カ所はなん戸用なので、ジジイが改造して蛍光灯⇒LED 電球が取り付けられるようにした。すべて既製品を買って来て取り付けるのでは、ジジイの創作意欲も能力もにぶってしまうのである。 
 I would rather do it myself.

 もう一つはエアコンである。今、寝ている部屋のエアコンが5月に稼働26年を以って、動かなくなってしまった。エアコンも随分長持ちしたものだ。
 2027年4月から、家庭用エアコンの省エネ基準が大幅に厳しくなり、現在主流の安価なスタンダード機種の製造販売が出来なくなり、価格上昇が予想される。
 ジジイは風流の心を解さない。窓を開け、自然の涼風にてオネンネすることが出来ないのだ。以前から休止していた3階パソコン部屋も含め、2台更新した。
 26年前建て替え時に工事した電気屋は足場のある状態でエアコンを付けて行った。今回更新する時には足場がない。今回の工事店と協議を重ね、何とか取付完了した。拙宅は節操がなく、5台あるエアコンの全てメ一カ一が異なるのには自分で呆れてしまった。行き当たりばったりの性格なのである。
 今度壊れた時には、ジジイはきっとお空のお星さまに成っているだろうから、息子が何とか考えるであろう。

 時々、妙に憂鬱な気分になる。何か人に誇れるような才能もない。やりたいことも特にない。立派な会社に勤めていた訳でもない。今さら何かを目指すには遅すぎる。やりたいことがある人生が必ずしも偉いと言う訳でもない。本当は楽しく生きていけたら、それが一番なのじゃないかな。
 今日改めて新事実を認識した。ジジイはほぼ毎日漢字書き取りをやっている。数冊のテキストを順にやっている。1回分廻るだけで 4~5カ月 掛かる。 もう10回近く循環させているのだが、これくらいと思うような簡単な漢字が、即座に思い浮かべることが出来ない事態に遭遇する。
 これがボケと言うか老化の症状なのであろう。日々このことを認識し、自分の衰えを感じている。日々認識していれば、体操したり、散歩したり、音読、指の運動など認知症に向かう下り坂の傾斜をいくらかでも緩和する対策を摂ることが日常の生活の中で出来るのではないか。
 一方、同年代で自らに何も課していない人も、ジジイ同様に老化、ボケと成っているのに、自らの 『 衰え に気付き、認識する 機会がない 』 のである。ある日、何かの折に気が付いた時には、大きな落差に成っているのである。
 でも、こんなこと感じている方がよほど困った結果を導き出すのかも知れないな。

 第 1653   持久力              2026.06.30(火)

 本を読むのが好きなのですが、寿命が続く限り本を読み続けられるわけでもありません。息をしていたって、つまり生きていたところで、ボケてしまったり、目が悪くなって読めなくなったりします。『 健康寿命 』と言う言葉がある様に、『 読書可能寿命 』とか、もっと簡単にして『 読書寿命 』と言うのが有って当然だと信じています。
 ただ、本好きの私にとって残酷なのが、私は既に77歳なのです。残された読書寿命がもはや、極めて少ないと言うのが事実なのである。
 残された少ない時間は有効に活用しなければなりません。言葉を変えて言えば、自分にとってあまり有益でないと思われるような本は極力避けなければいけないと言うことなのです。
 本はその題や外観を見ただけでは、内容が分かる訳ではありません。その本を既に読んだどなたかに教えて頂かなければならない。
 毎週土曜日の朝日新聞朝刊に本の紹介と、たくさんの方に読まれている本のベストテンが掲載されます。たくさんの方々に読まれているのだから、きっと良い本なのでありましょう。自分の読みたい本の一覧表としてメモしておき、図書館の貸し出し状況に合わせて、本を借りて来ます。
   ジジイも以前は借りずに、随分たくさんの本を購入して来ました。ジジイにとって、本の購入と言う経済の話もあるのですが、既に自分の周囲の身辺整理、つまり終活をしなければいけない年齢になっているのです。今持っている本ですら減らしたいのに、新たに本を購入して、更に蔵書を増やすわけにはいかないのです。
 最近、ちょっと困った事態に陥ってしまっています。たぶん、ジェネレ一ションギャップとでも言うのでしょう。たくさんの皆様に読まれている筈の、ベストテンに乗っている本を読んでも、ジジイがどこか馴染めない場合が発生してしまって困っているのです。
 ジジイの読解力が時代の変化や趨勢に追い付いて行けないのだと思います。著めいな文学賞受賞作品でも読み進んでいっても、馴染めなかったり、何でこの本が500ペ一ジもあるのだ、回りくどくなく、もっと簡潔に切り詰め書けるじゃないか、などとトンチンカンなことを思い始めたら、もうダメなのです。集中力、持久力が衰えてきて、長い本が読めなくなって来ているのです。
 本の良し悪しでなく、読者である『 ジジイの資質 』に起因する要素で、ジジイが読むには本のレベルが高いのでしょう。ジジイの読解力に年齢による(個人差がある?)陰りが出て来てしまって居るのだと思います。単に読書寿命の問題だけでなく、読解力も下降線を辿って行くものなのでしょう。
 ジジイが今一番無難なところが、いわゆる近代文学で、つまり明治から昭和の戦前くらいまでの作品なのかなと思っております。時の流れがゆったりしている。先日までで、谷崎潤一郎さんの『 瘋癲老人日記 』『 痴人の愛 』『 春琴抄 』『 刺青 』など続けて読んで来ました。やはり後世になを残している大家の作品は何度読んでも素晴らしさを感じています。 多分、個人的相性と言うのも、あるのでしょうかね。

 第 1652  『 あっち 』            2026.06.20(土)

 以前見たり聞いたりしていたことで、『 人間の脳細胞はおよそ140億個あって、20歳過ぎると1日に何十万個の脳細胞が死滅する 』 ということが言われて来た。最近この言葉をちっとも聞かなくなってしまったけど、どうしたのでしょうかね。間違いであったのでしょうか?
 僕は今月77歳となった。仮に1日20万個ずつの脳細胞が死滅し続けていたのであれば、僕なんか20歳からもう57年も経っているのだから、およそ42億個も死滅してしまった事になる。割合にしたら丁度3割減に当たる。
 会ったばかりの人のなまえを忘れたり、読んだ新聞の内容が分からなくなりはするけど、まだ昼ご飯を食べたかどうかは覚えているし、最近行った鎌倉への経路や、電車の乗り換えが分からなくなったこともない。一人で外出した後、帰宅出来なくなることに備えて、住所、氏めい、電話番号などを記載したカ一ドは、まだ首から吊るしてもいない。
 ただ、毎日弛まぬ努力はしている。漫然と脳細胞が死滅するのを待っているのではなく、細胞が死滅して認知症になるのを少しでも遅らせようと、雑誌に 『 指の運動 』 の記事が出ていれば切り抜いて保存し、ネット上の情報も記録している。これらを信じてセッセと指の運動を重ね、脳細胞が死滅するグラフの傾きを少しでも緩やかにするための涙ぐましい秘密練習をしているのであります。 思い出しました。どれだけ効果が有るのだか知らないけど、漢字の書き取りも、算数の計算ドリルも、毎日やっています。まあ、何もやらないよりはマシかな?
 そうは言っても毎年、歳を取っているのであります。昨日まで出来たことが、今日そのやり方が分かんなくなってしまうのは自然の成り行きなのです。日常生活を何とか遂行するために、きっと残った7割の脳細胞で何とかやり繰り算段しているに違いありません。
 よく言われることで、自分自身でも感じることなのですが、モノや人のなまえが咄嗟に出て来ない。 『 あれ 』だの 『 それ 』だのと代めい詞を使った会話が増えて来ています。話し手と聞き手の間で、それぞれが思い描いた主語や目的語に差異が出てしまうと甚だ困るのである。
 最近気が付いたのだけれど、 『 あっち方面 』、つまり下ネタ方面の話では、『 あっち 』を主語や目的語として発しても、聞き手の方でも、『 ああ、あそこらへん 』のことの話だなと察しが付いて、何とか収まっているような気がする。
『 あそこ 』や『 あっち 』にも正式めい称や、地域によって異なる俗称もある筈です。そう言うモノのなまえに限っては、忘れる確率が極めて低く、誰もが忘れることのない関心事項なのです。その単語をズバリ言うと、話す方も聞く方も何となく気恥ずかしい。だから双方暗黙の了解のもと、あえて『 あそこ 』や『 あっち 』と言っておく方が良いと考えているのでしょう。
 アメリカやイスラエルでも、イランでも戦闘停止合意はレバノンを含むの、含まないのとそれぞれに解釈しているけど、あっち方面では、きっと双方の考えに隔たりは生じないのだよね。

 第 1651  最近、嬉しかったこと        2026.06.14(日)

 時計を持つなら、正確な時刻を示すものが欲しい。だからと言って、自分は分、秒刻みの生活や仕事をしている訳ではありません。私が中学1年になった時、買ってもらったゼンマイ式の時計など一日で2~3分くらいは平気で狂った時刻を示していた。
 今、¥100ショップで、220円で売っている時計でもバカにしてはいけない。Quartと書いてあり、かなり正確だ。複数個買って来て、家の中のあちこちに置いてある。たまに示す時刻が狂ったら修正すればよいのだ。
 自分にとってマスタ一の時刻を知るのに使っていた電波時計があった。長女が結婚する時に 『 お上がり 』でもらった『 Baby G 』だから、もう15年以上経過したモノで健気に正確に時を刻んでいたが、先日電池切れで止まってしまった。他の腕時計ならボタン電池を買って来て、自分で電池交換してしまうのだが、僕としてもマスタ一にしている時計だから、本職に電池交換してもらおうと、『 電池交換 』の幟を立てている時計屋さんに持って行って交換の依頼をした。
 店では時計の側面の押しボタンなど押して確かめていた。この時計は古過ぎてボタンも動かず、下手に電池交換して、ふ具合だからと因縁でも付けられては敵わないと、店側の思惑を想像しましたが、『 電池交換できません 』 と断られてしまって帰って来た。
 それでも、未練があるから『 ダメもと 』で裏ブタを開け、電池の銘柄を調べ、自分で電池交換してみた。時計は動き出したが日付、曜日、時刻も全てメチャクチャ。何時間後かに何回か見たけど誤った表示のまま。何しろボタンで合わせることが出来ないのだから。
 15年も経つのだから、やはりダメかと放置しておいた。丸1日以上経過しただろうか、ふと見たら、日付、曜日、時刻が合っていたのだ。念のためにラジオの時報と合わせてみたらバッチリなのである。さすが電波時計。時刻を合わせるために発する時間帯があるらしい。もうダメだと思っていたものがうまく動いたのだから、何だかとても嬉しくて、ウキウキした気分となった。
 リタイアして年金生活とは言え、ジジイでも同等の電波時計くらいたぶん買えると思う。イザその場になれば、そんなにシビアな生活を送っている訳でもなし、どうしてもコスパを考え、新しいものを買うのを躊躇してしまう。子供の頃からの貧乏根性が浸み込んでしまったジジイには手が出せないのである。
 我が家のテレビはいわゆるケ一ブルテレビなのである。台所に置いてあるラジオと、今のテレビでは時報にズレがある。1秒の何分の1なのだろうが、ラジオの方が早いのです。 大相撲の優勝力士の表彰式などで、ラジオとテレビで同じ放送をしていると、明らかにラジオの方が早い。ケ一ブルテレビも光回線なのに、途中の手順が多い分、直接電波で受信するラジオの方が早いのであろう。
 でもね、そんなことリタイアしてブラブラしているジジイにはまったく関係ないことなのです。

 第 1650  なまえ               2026.05.17(日)

 数日前の朝日新聞朝刊一面に『 ニデック品質ふ正 云々 』の記事が出ていた。はて、見慣れない、聞き慣れないなまえだなと思っていたら、『 旧 日本電産 』と書いてあった。私は株だの投資をやっている訳ではありませんが、こんな私だって日本電産と言う会社がモ一タ関連の製品を作っているくらいは知っています。
 日本電産と言う会社に利害関係は有りません。伝統的で知られた社めいをどうして 『 ニデック 』 と言うカタカナ社めいにしたのですかね。カタカナの方がモダンで親しみやすく高尚だと考えたのですかね。
 カタカナのなまえの会社を見ると 『 ○○ック 』、『 □□ックス 』 なんて言う会社が随分たくさんあります。社めいを変えるのにはお金がたくさんかかります。お金をかけて、伝統あるなまえが何処にでもありそうな、有り触れた軽薄ななまえになってしまったとジイは思います。
 面白いなと思っているのが、『 象印マホ一ビン 』と『 タイガ一魔法瓶 』 と言う会社です。この両社が今も魔法瓶を作っているかどうかは知りません。我が家は物を捨てられない家なので、まだ魔法瓶があります。
 頭の部分のボタンを掌で押すと、中に入れておいたお湯が出るようになっていた。常に熱に曝されて、経時変化で魔法瓶の中のパイプの樹脂部品に穴が開いてしまった。頭のところを押すとボコボコ音が出てお湯が良く出ないようになってしまった。すぐに3リットル用の電気で沸かし、保温するポットを購入した。
 実はジイは魔法瓶の中のパイプの部品に穴が開いてしまった部分をエポキシ樹脂で塞ぎ、使えるようになったのだが、魔法瓶君は一旦奪われた保温・給湯する役目の座を奪い返すことはできなかった。尚、現在はまだ階段の隅に、役を離れたまま置かれている。
 多分、彼は30年以上、我が家に居てお湯の保温、給湯の役を一手に担って来た。彼がいたから新しいものを買う必要がなかった。買いたいとも思わなかった。これ以上モノを増やしたくない。それが正直な気持ちであった。
 実際に調べたわけではありません。一般家庭でやかんを使ってガスで水を沸かす。熱湯を魔法瓶の中に入れ替えて保温し、食卓の脇に置いていらっしゃるご家庭は少ないのではと想像します。日本旅館の部屋とか、町会の集会場などではきっとまだ存在感を示しているかもしれません。事に拠ったら小学生くらいでは、『 魔法瓶 』と言われても、分からない子がいるかも知れない。
 前時代的な製品を会社のなまえの中に入れている 『 象印 』も『 タイガ一 』 もこれから先、社めいから魔法瓶を外さないと思うのです。それほど会社のイメ一ジ・伝統は大切だと思うのですがね。

 第 1649  たられば              2026.05.15(金)

 ユダヤ教は現存する最古の宗教で、4000年の歴史を持つと言われています。僕はふ届き者で、ほとんど、自分の信じる宗教観を持っていません。もちろん、困った時、また何か希望でもある時には、 『 神様、仏様どうぞよろしくお願いします 』とお祈りする都合の良い宗教観は有ります。先祖は日蓮宗ですが、自分の本心では 『 葬式仏教 』 なのです。ここで宗教のことなど軽々しく書いて、石など投げ付けられたらかないません。どの宗教に対しても敵対する考えなど微塵も持っておりません。どうぞご勘弁のほど、予め申し上げておきます。
 今、イスラエル、アメリカ 対 イランが戦争をしています。イランが 『 核 』 を持つことに関する事が表向きの戦争の理由に成っています。根底では宗教が絡んだ戦いなのです。
 キリスト教側から見て旧約聖書と言われるものが、ユダヤ教の聖書です。私は旧約聖書にも興味が無くて、実際に自分自身で読んで確かめていないのに書いて大変恐縮ですが、神が天地を創造した話から始まっているそうです。
 神は最初の人間であるアダムを作って、楽園に住まわせます。その上で、アダムの肋骨を使って、イブを作ったのである。この話に似たことは、『 何処かで聞いたような話 』 ではないですか? つまり、神は肋骨からIPS細胞を作った。そのどんな部位をも作り出す機能を使ってイブを作り出したのです。
 京大の山中伸弥教授からさかのぼる事、4000年も前からIPS細胞の働きは、神によって使われていたのです。山中教授の手法は 皮膚の細胞⇒受精卵を作る⇒胚性幹細胞(ES)細胞を作る。胚性幹細胞は体のあらゆる組織に成り得る 『 多様性 』 を持っているのだと言います。
 病によって機能ふ全となり、治らない病を背負って来た人が、この働きによって助かる可能性が出来たと言うのですから、画期的なことなのであります。
 それでも、宗教的な理由でIPS細胞に反対している人たちもいるのですから、世の中分からないものです。  この話って、4000年前の人が考えた 『 たられば 』なのだと思うのです。『 もしも、○○できたら・・・・』、『 □□できれば・・・・』と空想した人が居たからこそ、旧約聖書に天地創造という物語が出来たのではないですか ?
 『 たられば 』のことなんか空想したって無駄だとおっしゃる方は必ずいます。それはきっと見当が甘いのではないかと思います。それどころか私たちの世界は空想に満ち溢れています。例えば私たちが読む本、小説ですが、あれは本当のことではなく虚構の世界です。漫画家の手塚治虫さん、やなせたかしさん、藤子ふ二雄の鉄腕アトム、アンパンマン、ドラえもんなども皆、空想の世界の産物です。ネコ型ロボットがあったら、空を飛ぶ正義の味方の少年のロボットがあったら、こんな風になるのではと言う想像から出来上がったものです。
 特別の人だけでなく、私たちだって常に空想しています。『 あの可愛いいおネエさんと知り合って、手を繋いで歩きたい。キスしたい ⇒⇒⇒⇒ 』 (これは妄想かな) どんどん、何、何できたらいいなと限りなく広がって行きます。 『 たられば 』 あるいは空想が無ければ世の中きっと進歩しないのではと思います。
 私は精神科医でも何でもありませんけど、今はこんな出来もしない事でも、将来実現できるかも知れません。空想はとても大切なのではないかと思っています。空想するって、脳に良い効果をもたらすに違いないと信じています。

 第 1648  日常                2026.05.10(日)

 ホ一ムペ一ジ上の日記は別として、僕はふだん日記を書いていません。それでも卓上に置いたカレンダ一には、予定やら、その日の出来事をなるべく書き込むようにしています。
 とは言え、書き込み忘れることは度々あります。譬えそれが1週間以内のことであっても、後から思い返して、この日は何があったんだっけ、何をしたのか、全く思い出すことが出来ずにいる事がほとんどです。
 勤めに出ていた時は、得意先からの訪問など人に会う機会もあったり、何処かに出掛けたり、どなたかから電話が有ったり、クレ一ムなど嫌な事が有ったりと何かと頭の記憶機能に印象付ける出来事があったりしたものです。これがリタイアしてしまうと、途端に生活の範囲が狭まり、情報の伝手が途絶えてしまう。あたかも、現実世界に戻った浦島太郎状態になってしまうのです。
 人間関係の嫌な事も大幅に減って来るでしょう。ストレスも減ってきます。きっと何の変化もない穏やかな、いつもの暮らしがあっただけで、その日の出来事が特段カレンダ一に書き込むに値するほどのトピックスがなかったに違いありません。そんな日々の暮らしのことをきっと 『 日常 』 と言うのでしょう。
 これが旅行にでも行くことになれば、普段体験することでない行動をとることになります。旅行ではいつもの生活圏に居るのとは違って、多少は興奮の度合いが増して、血圧も高くなって記憶に焼き付く程度も上昇するのです。これが 『 非日常 』 と呼ばれるものです。
 作家の太宰治の 『 斜陽 』 と言う小説に
 “ 昨年は、何もなかった。
  一昨年は、何もなかった。
  その前の年も何もなかった。
  いま思い出してみても、さまざまなことがあったような気がしながら、やはり何もなかったと同じような気もする
 “  と言ったような記載があります。 『 日 』と『 年 』 の違いが有っただけで、今の自分と同様なのでありましょう。
 脳に刺激のない生活はボケに通じます。きっと、こんな生活をずっと続けて行くと認知症のリスクが高まっていくに違いない。いけないなと思いながらも、脳に刺激を与えることもない日常を送っております。

 第 1647  子供の頃の記憶           2026.05.06(水)

 作家の高橋源一郎さんのエッセイを読んでいました。高橋さんと僕は2歳違い、僕の方が上ですが、ほぼ同世代です。
 昭和30年代前半、僕らがまだ小学低学年の頃、テレビはまだまだ一般庶民には普及しておらず、ラジオが主流でした。エッセイの中に当時を回想して、ラジオ番組のことが出てきました。『 赤胴鈴之助 』『 三つの歌 』『 とんち教室 』『 おとうさんはお人好し 』『 少年探偵団 』『 二十の扉 』『 話の泉 』 番組のなまえは覚えていても、どんな内容だったか断片しか覚えていません。
 ただ、『 赤胴鈴之助 』 と『 少年探偵団 』の主題歌の一番は今でも覚えていて歌うことが出来ます。(ちょっと、間違っているかも)
 赤胴鈴之助:『 剣を取っては日本一の夢は大きな少年剣士~~』
 少年探偵団:『 ぼっ ぼっ 僕らは少年探偵団 勇気凛々 瑠璃の色~~』
 ちなみに、小学校の校歌だっていまだに、一番だけなら覚えている。
 次は別な話で、『 鉄腕アトム 』 の主題歌も分かる。今の主題歌は
 『 空を超えてラララ 星のかなた~ 行くぞ アトム ジェットの限り~~』 なのだけれど、この歌の前に、今はちっとも聞くことがない別の歌が有った。絶対に有った。
 『 僕は無敵だ~鉄腕アトム~~ よい子のために戦うぞ~~パンチだ 空手だ 誰にも負けないぞ~~さあ来い 悪者 やぁ~て来い~ジェット推進 10万馬力~僕は鉄腕アトム~7つの威力を持っている~~』
 多分、65年以上前の話だと思うけど、忘れずに覚えている。すごいでしょう。この記憶力を現在も持っているようなら、僕はきっととてつもない有能な人物となっていたに違いない。(仮定法) 本人が言うのだから、これほど確かなことはない。
 ただね、子供の頃の記憶力の良さを今も維持していたら、これまでの人生で味わって来た嫌な記憶、忘れてしまいたいことも、しっかり頭に鮮明に残ってしまうのだ。自分にとって都合の良いことだけ記憶し続けると言う訳にはいかない。僕が戯れに使っている、都合の良いことだけ聞こえて、都合の悪いことは聞こえない耳の症状 『 選択性難聴 』 は通用しないのである。
 忘れることがなければ、有能だけれど、気違い、気が狂った人間になっていることは間違いないのだ。忘却と言う機能があってこそ人間は生きていける。だけど、ここ数年の僕を見ても、老人の忘却過ぎるのも少し手加減して欲しいのです。
 忘却の機能が働き過ぎて、3歩歩くともう覚えていられないことも多く、メモする分量が多くて困っている。そこらにある紙にちょっとメモしておくのはすぐに紛失してしまうのでダメである。必ずメモ帳を携帯して、ジャンルを問わず書き込んでおくのが良い。
 この短文を書き終わった後、念のためにネットで調べたら、赤胴鈴之助、少年探偵団の主題歌もサイトに載っていた。老人が子供の頃の記憶を懐かしんでいるのに、懐古趣味を踏み潰してしまう。『 嫌な時代だ 』  ただ、『 僕は無敵だ~鉄腕アトム~~ よい子のために戦うぞ~~』 の歌詞は見当たらなかった。もっとよく探せばあるのだろうけど、見つからなくても良い

 第 1646  カイワレ大根            2026.04.30(木)

 『 桃太郎 』や『 竹取物語 』と言うおとぎ話ではある日、特異な出来事により老夫婦の間に子供が出現して育てることになります。一寸法師や金太郎の話の中では、生育過程がどうであったのかは、私にとってもう70年以上も前に聞いたのか、読んでもらったかなので、分かりません。
 哺乳類の動物の中には、生後わずかな時間で自ら立ち上がり、歩き出すモノもいる。そうでなければ、他の動物に食われてしまう環境にあるのだ。
 人間の赤ちゃんの場合は、そんなことは全くなく、未成熟の段階で生まれてくるのだと言います。二足歩行するまでおよそ1年掛かる。親にとって子育ては大変な負担となります。
 桃太郎やかぐや姫を育てた老夫婦には、以前彼らがまだ若い時分に産み育てた子があり、子育てを経験し、その子はすでに自立して、老夫婦だけが残されたのであろうか? そんな状況は物語の中からは分かりません。
 私のご近所や知人でも、子供が小学生高学年になって子育てに手間が掛からなくなったのか、犬や猫などのペットを飼うようになったご家庭がある。初めは子供の方が『 犬を飼いたい 』と言うのが切っ掛けかも知れない。そのうち、子供の方は興味の対象が変わってしまい、ペットの世話は親の方がやらざるを得なくなって、引き続き親がペットの面倒を見ているなんて家庭はどこにでもありそうだ。
 我が家でも昨年末から、障害の長男がグル一プホ一ムに入り、平日はGHで暮らし、週末に自宅に戻る生活になった。従い、平日は老夫婦での生活となった。
 どうした風の吹き回しか、『 カイワレ大根 』を育てている。食品ス一パ一でヒョロと10cmほどに伸びて、ビニ一ル袋の中で数十本塊になって売っているアレである。育ったものはサラダの上にのせてたべる。
 はじめはサンチェと言う葉物野菜のタネを買いたかった。100均でサンチェのタネを購入したが、2袋で110円なのである。已む無く、カイワレ大根のタネも買って、放置しておいた。
 ある時、カイワレ大根のタネの存在に気が付き、ヨ一グルトの400gの容器の底にキッチンペ一パ一を敷き、水を入れてタネを蒔いたら、それなりに育ったのが切っ掛けである。
 水は余りたくさん供給してもダメだし、静かに入れないとタネが移動して、偏ってしまう。また水がふ足してしまうと生育に著しい影響がでてしまう。手抜きをして水遣りを忘れてしまうと、もうダメである。商品と同じような出来栄えにするには、手抜きはダメで、試行錯誤の必要がある。
 もしかしたら、カイワレ大根が我が家の『 子育ての代替 』なのかなと思ってしまった。何と言っても、タネ蒔きから、収穫まで1週間~10日ほどとサイクルが短いのが気楽で良い。失敗したらやり直せば良いのだから。たとえ失敗したとしても、犬や猫のようなペットを飼う場合とは全く違うであろう。
 カミさんは牛乳を密封できる容器に入れ、市販のヨ一グルトを加えて撹拌し、これをバスタオルに包んでアンカで20時間温めてヨ一グルトを作っている。ちょっと酸っぱ目のヨ一グルトになっている。これもあるいは『 代替 』かな。

 第 1645  老い                2026.04.23(木)

 前回ブログを更新したのは4/9だから、もう2週間も更新していなかったことになる。気持ちの上では 『 放ったらかし 』『 放置 』している訳では決してありません。
 リタイアしているものだから、時間がない訳ではありません。本当のところは、書こうと思うネタがないのです。結局のところ、リタイアしていることが災いしているのかも知れない。ほぼ、ずっと家の中にいるものだから、生活に変化がないのです。変化がなければ自然と書くネタもない。
 リタイアしていますが、自分の感覚で『 暇を持て余している 』と感じたことは有りません。寝転んで一日中『 テレビ三昧 』なんてことは、僕には当てはまりません。僕のTV視聴時間は2時間/週ほどだと思います。
 本は好きで毎日2時間ほど読んでいます。これはあまりブログのネタにはならない。このブログを読んで下さっている方が、たまたま僕と同じ本を読んでいて下されば共通の話題となるかも知れません。一カ月に1冊も本を読まない方はザラにいる。私の考えは『 好きな人はやればいい。嫌いな人はやらなければいい、それだけだ、強制しない 』を基本としている。人それぞれです。

 日本には老齢年金制度と言う仕組みがあって、65歳に達すると年金を貰えると言う有りがたい制度があります。ただ私たちも現役で働いている時には、働き具合に応じて、かなりの額をおさめていたのだけどね。
 この制度も多くの人々が長生きするようになり、年金を受給する人たちが多くなっているにも拘らず、若い人たちや子供がちっとも増えないので、実は困っているのです。私が子供の頃には『 人生50年 』という言葉があって、人々はそう長生きではなかった。ところがどっこい、今は『 人生100年時代 』と言って90歳は当たり前、中には100歳を超える人が居てもそれほど驚かない。
 人に飼われているペットの犬猫は別として、『 人以外のほとんどの動物の場合、長い老いた状態の期間がほとんどない 』と言います。ほとんどの動物は生殖可能な期間が終わると、『 老化 』の時期を過ごすのではなく、死んでしまう場合が多い。よくTVで見たりしますが、サケが生まれた川を遡上し、産卵を終えると死んでしうことはよく知られています。
 人の場合ですと、女性は50歳前後となると、閉経となります。閉経に成る動物には、人間とある種のクジラだけしかいない。人とチンパンジ一は遺伝子情報が98%同じなんて聞きますが、チンパンジ一には閉経がなく、お婆さんのチンパンジ一も妊娠するそうです。チンパンジ一も『 老い 』とはならず、『 死 』を迎えてしまう。神様もチンパンジ一には閉経という仕組みを与えなかったのでありましょう。
 人間の場合は、生殖可能な期間が終わっても、『 死 』ではなく『 老化 』の期間を過ごすようになる。一体、『 老い 』とは何なのでしょうね。
 正直なところを言えば、気が付くと後期高齢者になっていた。かつて、僕は歩くのが早かった。若い頃は歩いていて、追い越されることなんかなかった。今は無意識のうちに、転倒しないようにゆっくり歩いている。老人が転んで大腿骨骨折して入院したり、リハビリしていると言う話もよく聞きます。手をポケットに突っ込んで歩くなんてことはない。少しの段差のところでよくつまづきます。足が上がっていないのでしょう。骨折が怖くて、ちょっとの高さのところからでも、飛び降りるなんてことは決してしません。色々な事例を見聞きして、危険だと知っているから。骨密度が低下しないように、煮干しを食べてカルシウムの供給にも心掛けている。
 今更ここで書かなくてもみなさんご存じの通り、頭も老化して衰えているのです。記憶力が減退し、物や人のなまえをすっかり忘れたり、新たに覚えられないのであります。それは自身でも『 情けない 』と嘆くほど衰えている。
 私はこの作文を横に本を置きながら書いているのではありません。私は学者でも研究者でもありませんから、人間とある種のクジラしか閉経がないなんか分かる訳がない。何処かの本に書いてあった。本来なら参考図書として記載しなければならないのですが、ボケているものだから出所が分からない。それなので、スミマセン、ごめんなさいと言うしかない。
 大昔、作家の五木寛之さんが手書きで原稿を書いていると言っていて、パソコンなどのワープロ機能を使うデメリットを何処かに書いてあった。読んでみて、その時、私が感じた事は、『 ワープロ機能は、切り取り・貼り付け、あるいはコピー・貼り付けなどの機能を使えば原稿書きも便利なのになぁ。言っているデメリットだって、五木さんが実際に体験したことでなく、誰かに聞いたことを書いている様子だった。五木さんは歳を取っていて、ワープロ機能に馴染めないのだ 』と思った。すごく面白いことに、私が今、生成AIに対して同じような感覚を持っているのです。

 老いに関して、例え話で言います。今はどうか知らないけれど、感覚でなく、具体的な数字で議論しなければいけない。かつて日本人は欧米から『 働き過ぎ 』と非難された。有給休暇も取らない、おまけに労働時間も長い。これはある種の固定観念で言われているのではないか。本当は勤労の密度が低く、ダラダラと仕事をしているのではないか。サッサと帰れば良いのに、職場に残っている。仕事の割り切りの良い人ほど、仕事に対する集中力が高く、浮かした時間を有効活用している。かつての日本人は周囲の人たちと同じような働き方、暮らし方をしていないと心が落ち着かなかったのであろう。
 今、他の方から見たら、自分はダラダラとした生活をしているのかも知れない。年老いたからと言って目標、心掛けだけはしっかりしていたい。  『 今できることは、先延ばしせずに今する 』を心のモットーにしている。

 第 1644  早4年               2026.03.19(木)

 3/18夜のテレビニュースで、東京の桜の開花状況を伝えていた。靖国神社の桜標準木で2輪しか咲いて居ないので、3/18東京のソメイヨシノの開花宣言は、明日以降に持ち越しなのだと言う。そんな桜の開花なんて気象庁の人が宣言したり、それを報道するためにいい大人が何十人も集まってする事が仕事で、給料がもらえるのかと羨ましい。他の仕事はきっと厳しいことやっているのでしょう。
 僕は72歳の時の3月末に仕事を辞めた。リタイアしてからこの3月で、丸4年経ってしまったことになる。丸4年と言うまとまった歳月を経ながら、特に何もして来ず、無駄飯を食べて来たことに少しばかり罪悪感がある。  日記でも書いておけば良かったのかもしれない。生まれたばかりの子だって、4年も経てばやんちゃ坊主になっているだろう。フランス語でも、スペイン語でも習っていたら、少しは喋れるようになったかもしれない。もっとも、7年以上学んだ英語ですらモノに成らなかったのだから、無理か。
 その歳月を無為に過ごした、もったいない気持ちが身に染みる。後悔するなら、小さいことで良いから、何か形になるものでもやって来たら、それが契機となって、きっと力が湧いてくるのではなかったのか。
 自分の周りを観察して見ることにする。世の中の話でとかく定年後、夫はリタイアして特に何もせず、テレビを見てゴロゴロしている上に、三度三度の食事の準備しなければいけない事態に、嫌気をして困り果てている女房たちの話はよく聞きます。
 僕の場合、朝食後、食器洗いと風呂掃除を終えたら、パソコン部屋である3階に『 出勤 』してしまいます。弁当は持って出ないので、昼食時は階下に降ります。昼食後食器洗いの後はまた『 出勤 』して、帰宅(1階に降りる)するのは午後5時半以降です。帰宅後は3階パソコン部屋に戻ることはほぼありません。この生活形態を基本路線として生活しています。
 歳月を無駄に過ごしたと書きましたが、
①今更、この歳で何かの資格を取ったところで何の役にも立たないでしょう。資格取得目的の勉強はしていません。
②認知症にどれほど効果が有るのか分かりませんが、漢字の書き取りと中1~高1の算数のテキストの演習をほぼ毎日やっています。
③ここ1年ほどは初級の英語の読本の英訳もやっています。ただ在職中、英語を使う仕事ではなかったので、50年以上英語から遠ざかっていた。まだ覚えていた英単語は極々少ない。これから先、国内旅行すらあまり遠くに行くこともないのに、海外旅行へ行く可能性は極めて低い。何のために英語を選んで毎日、本を開いているのか全く分からん。これから先使う予定が全くないことのために辞書を調べる自分は、もう全く狂っているに違いない。認知症以外の目的を考えたら全く意味がない。
④町内会の事業で、およそ週1回の割で学童の通学路の巡回をずっと続けている。週の別の日は町会内の別の区域の方の担当で、何処も役割分担は週1回の割合になっている。1回行くとおよそ8000歩は歩く。通学路には山もあるので登りは辛い。健康のためと思ってやっている。
⑤ほほ毎日、運動をやっていますが、ストレッチから若干の筋トレまで、30分~1時間ほど体を動かしています。
 ②~④まではほぼ日常の習慣となっている。夜はなるべく本を読むこととして、僕の生活の中でテレビを見ながらゴロゴロしていることは少ない。それでも、小さいことで良いから、何か形になるものでもやって来たら、もっと充実した歳月を過ごせるのではないかと、リタイア後の4年間を振り返って後悔している。自分自身で充実している生活の実感がないのだ。
 静物の自己流水彩画をやっていた時期もあったが飽きてしまった。お迎えが来るまではせめて頭と体が動くようにしておいて、ある時、心筋梗塞か何かで逝きたいものだ。母がよく言っていた『 ピンピンコロリ 』が理想だな。

 第 1643  心・技・体             2026.03.12(木)

 今日書くことはいつもよりちょっと過敏かなと思うけど、これはあくまで『 僕の考え方 』であって、読んで下さっている方は違うお考えを持っていても当たり前です。
 大相撲春場所も3/12の朝現在、『 荒れる春場所 』と言われる通り、横綱 『大の里』は初日からの3連敗で休場してしまった。私の応援する『 隆の勝関 』は珍しくも初日からの4連勝でバンバンザイなのであります。応援すると言っても、過去に大相撲の巡業の際に一緒に記念に写真を撮らせて頂いただけで、単に声援を送るだけの応援です。
 お相撲さん関連の言葉かどうか定かではありませんが、『 心・技・体 』ということばがあります。おさむ爺は現在76歳で、年齢的には確かにジジイですけど、ジジイならジジイなりの『 心・技・体 』を磨いたって良いじゃないかと思っています。特に『 体 』については、もうこの歳になってしまえば、有り得ないでしょうが、異性の前で、『 いつでも脱げる体にしておけ 』というのも目標です。
 学校も色々卒業しました。どれでも良いけど、学校を卒業して現在までの何十年間を経た期間をどう過ごしたかと言う集大成が、現在の自分の姿かたちなのだと思っています。同じ歳なのに若々しい方も居れば、大変老けてしまったような容貌の方もいらっしゃるでしょう。先ほど脱げる体と言ったけど、肉体のことだけでなく『 心・技・体 』の総合を言っています。
 事故や病気などの特別な理由がある場合を除いて、その方が怠慢の人生を送っていたり、日々緊張感のない生活を送って来たとしたら、たとえ現在、息をして、ご飯を食べるだけの張りのない生活を送っていたなら、人生なんて終わりだと思うのです。人から必要とされたり、人の役に立つと言うのは、きっと何より励みになると思いますけど。
 さて、『 心 』から始めて、私にとって『 心 』を磨くことは何かな~~。本を読むこととしておきましょう。私に残された『 読書寿命 』を考えて、本は選んで読んでいる積りです。その他、無理やりこじつけかも知れませんが、およそ週1回学童の通学路の巡回をやっています。通学路には山があってちょっと辛い場所もある。社会貢献となっている事としておきましょう。
 『 技 』はリタイアしてしまった身分では、何も無くて困ります。2つ持っている国家資格も、クレ一ン、玉掛け、フォ一クリフトの資格も企業に勤めていてこそ有効な資格で、リタイアしてしまった身では何の役にも立ちません。
 もっと視野を広げて、自分を磨くこととすれば、認知症にならないように、ほぼ毎日、漢字の書き取り、中学1年から高校1年までの算数のテキストを演習し、音読をやっていることにて勘弁して欲しい。
 『 体 』について、おさむ爺は72歳で仕事を辞めました。その後、特に何もやっていなかったら、たちまち腹部に脂肪が溜まり、健康診断で腹囲 91cmのメタボとなりました。BMIも24.○と肥満の一歩手前まで上昇した。これではいかんと体操を始めました。特にジムに通うことなしに自分で項目を定めの自主トレ一ニングです。
 自主トレ一ニングとは言え、ほぼ毎日30分~1時間ほど体を動かしています。奮闘努力のかいも現れず、腹筋はまだ割れておりませんが、ズボンのベルトの穴の位置は明らかに縮まっております。特にボディビルダ一のようなマッチョな体付きになるなんて、これっぽっちも思っていませんが、ほぼ毎日運動していれば、体つきに変化が現れることは必然です。
 ジジイは10年ほど前に、全身脱毛になりました。一番被害から免れたのは頭髪です。頭髪もだいぶ抜けましたが、全部は抜けずに済み、私の周りにいる人でも僕が脱毛症になったことに気付かなかった人も居るくらいです。頭髪以外はそれこそ全部一度は抜けました。着衣がありますから、頭髪と眉毛さえ何とかすれば脱毛症は何とか隠せます。
 眉毛がないのは困ったもので、のっぺらぼ一のように見えます。女性のように鉛筆で眉毛を書いていました。今では首から上はほぼなんとか戻りました。首から下は依然として陰毛以外は、今も無毛状態です。お金を出して脱毛している可哀想な人も居るのですから、考えようではラッキ一と言えます。
 体毛の話へ脱線してしまいました。と言う訳で私の脚には毛が生えていません。ほぼ毎日スクワットを行っていますから、筋肉もそれなりに付いて脚にシワなどありません。風呂に入る時に美脚を眺めて一人ウットリしております。今度から『 ナルシスおさむ 』と改めいしようかと思っております。誰にも見せたことがないから、自脚自賛です。
 『体』については日頃から体操をしていない方でも、最低でも自分のBMIくらいはチェックしておく必要があると考えます。
 以上、勝手なことを書き連ねました。『 心・技・体 』はジジイの現実でなく、目標です。『 年寄りの鼻水 』と言われようが、くじけません。最期にこの場をお借りして、『体』の成果発表として、『 お互いに脱いで見せ合ってもOK』とおっしゃる異性の方を広く募集致します。(年齢問いません)

 第 1642  とばっ口            2026.02.18(水)

 もう35年近く前、僕の長女が中3の時、高校受験を控えて学習塾に通っていた。数学の問題で分からないことがあって、塾の先生に訊ねたら、塾の先生もその場で解くことが出来ず、解き方は次回まで待ってくれと言うことがあった。アルバイトの先生だったのか情けないけどね。
 長女は父親を試してみようと思ったらしく、塾から帰って僕に問い掛けた。たまたまだろうが、僕は問題をすぐに解いてしまって、解き方を長女に教えた。
次回、長女が塾に行った際に、塾の先生が長女に前回の解法を教えようとした。長女が『 父さんに教えてもらったから、もう分かりました 』と言ったら、先生が『 君のお父さんは何者なのだ? 』と言ったそうな。 恥ずかしながら、遥か大昔の自慢話である。
 僕は昨年数え年77歳の喜寿を通り越した後期高齢者であります。もうだいぶ前から、今自分でメガネを掛けているのに関わらず、メガネを探したり、読んだばかりの新聞の内容が分からなくなったり、覚えようと思っている言葉や数字が覚えられなくて自分でも困っている。テレビに出て来る俳優さんや、歌手の顔は見たことあるが、たまに見るそのなまえはもうほとんど忘れている。思い出せても遥か時間が経ってからである。そんなボケの自覚症状ばかりで、実態を認めざるを得ない。自分で自分に言い聞かせたくないが、ボケ、認知症『 真っただ中 』なのであります。
 昨日(2/17)は県立高校の受験日だったようだ。今日の朝刊に神奈川県の県立高校の試験問題が載っていた。実は僕は自分では『 国語 』が得意科目だと思っているので自信がある。それほどでもない『 数学 』の問題をやってみました。
 数学の問題でも、高校受験レベルの計算問題は今でも何ということなく、たいていできると思っています。ただ、『 文章問題 』と言うのか『 応用問題 』となると難しくて、正直言って出来ずにギブアップしてしまった問題も有りました。
 この結果を見て、もう大分時間が経っているから、出来なかった理由を『 試験慣れしていない 』『 年月が経って解答する勘が衰えた 』せいにしておきたい。
 日常生活での記憶面では全くダメだけれど、高校受験レベルの計算能力は大丈夫だから、『 ボケ・認知症もまだ、とばっ口 』という甘い自己評価、結論・認識を導き出したいのである。

 第 1641  忘却              2026.02.13(金)

 今、『君のなは』という言葉をネットで検索しても、2016年のアニメーション映画が出て来る。  ジジイが検索して知りたかったのは、昭和27年4月から始まった菊田一夫さん脚本のNHKラジオ連続放送劇『 君のなは 』であります。番組の冒頭『 忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ 』という言葉が好きなのです。
 昭和27年4月と言うのは、このおさむ爺もまだ2歳児で、当然、当時のことなど分かりません。ラジオ放送の時間には、銭湯の女湯が空になったと言われるほど人気であったとの伝説があったようです。後になって作られた映画の一部を大人になってから、テレビで見たようなうっすらとした記憶があります。
 時間と言うのは喜びの気持ちや、憎悪の感情を希薄にしてくれます。何でも覚え込んでいたのなら、脳はパンクするか、気が狂ってしまうことでしょう。人に『 忘却 』という作用を与えていることが、救いになっているというのは年齢が若いうちまでのことでしょう。高齢になると、昔の出来事はよく覚えているのに、最近の覚えておきたいのに、言葉や数字、予定、やらなければいけない事など、たちまち忘れてしまうのだから、自分でも情けなくなってしまいます。忘却以前の、記憶を溜めて置く倉庫で門前払いを喰らってしまうかのようです。
 『 何か始めるのに、遅過ぎることはない 』と言うけれど、きっと年齢的に適用年齢に条件がある筈です。高齢者は時間がふんだんにあるものだから、何か学ぼうと思っても、中々そうはいかない。
 何事をやるにも、基本はある程度の『 記憶力 』が必要である。ボケがこれ以上進展しないようと言ったら、ずうずうしい。ボケの進行状況を少しでも遅らせたい。前からやっている漢字書き取りや、中学生くらいの算数に加えて、同じく初等レベルの英語の読本を読み始めた。英語にはなにしろ、50年以上触れていない。嘆かわしいことに、簡単な単語すら全て忘れてしまったと言っても過言ではありません。
 単語を暗記するには単語帳が必要であると思って、単語帳も買って来て、単語と発音記号、意味など記入している。中学、高校生の頃にはスルスルと覚えられた英単語も、まったく覚えられず、一つ覚えると前に覚えた二つの語の意味がわからなくなってしまう。
 高齢者となれば、英単語に限らず、『 学んだこと 』も三歩あるけば忘却してしまう。本当に始末が悪いし、情けない。時間があるけれど、覚えるのに若い方の何十ばいも時間が掛かるとなると、今度は根気の方が息切れして続かない。
 『 精出せば、氷る間もなし水車 』という言葉があるけれど、根気が続かないのだよ。一つ覚えたと思うと、その前に思えたものが覚束なくなってしまうのは、本当のことなんだよ。

 第 1640  Yahoo             2026.02.06(金)

 ダ一ウィンの進化論で言えば、私たち人間はアダムとイブの子孫ではない。類人猿から進化したものだ。
 テレビで見る○○大統領の顔の表情の中に、ニホンザルの生態を記録したテレビ番組の中に出て来たボスの顔と酷似したところがあるのを見付けた時、とてもビックリした。
 “Yahoo”という言葉を知らない人は余り居ないのではないかと思う。ヤフ一ショッピング、ヤフ一ニュース、ヤフ一オ一クション、ヤフ一メ一ルなどなど、『 ヤフ一、Yahoo 』という言葉が頻繁に使われている。でも、『 Yahoo 』という言葉がどんなモノか知らない人がほとんどでありましょう。少なくとも、僕の持っている中学生用の英和辞典には載っていません。
 スウィフトの『 ガリバ一旅行記 』の中にYahooは出て来る。ガリバ一は小人国⇒大人国⇒賢人国⇒馬の国を旅します。最期の馬の国に Yahoo が出て来ます。類人猿のような人々のことです。にぶくて、賢い存在ではない。商用で『 Yahoo 』という言葉を使っている人達は、当然そんなことをご存じで、『 賢くない人々 』を対象に商売をなさっているのだと思っております。
 体験談、『 なんと3か月で9kg痩せた上に肩こりまで解消! 壮快、安心 』
 パソコンに出ていた、こんな言葉に触発されて、体操をほぼ毎日やっています。その結果、ベルトの穴の位置が変わり、お腹の脂肪は確かに減った様な気がする。でも、まだまだ9kg減まで程遠い。体重は1年以上続けて、一時3.5kgくらい減ったが、正月の餅が影響したのか、気を抜くとまた増えて来た。やはり僕もYahooなのである。
 どうせ、Yahooなのだから、Let it be.  (そのままにしておけ) が良いのか?! 自然に任せておいた方が楽だ。

 第 1639  由無し事           2026.02.01(日)

 本棚に日本の近代文学全集全43巻が並んで居る。こういった全集は並んで居るだけで読まれないのが定番である。自民党総裁の机の後ろに本がずっと並んで居る。あれは読まれることが有るのであろうか、飾りかな。落語ではないが、あれは『 絵 』なのかな。
 我が家の文学全集も読み終わっているのは6~7割くらい。今年はその読み終わっていない部分を何とか減らそうと思っている。
 昨夜から、夏目漱石の『 それから 』を読み始めた。若い頃は夢中になって読んだが、もう十何年間か夏目漱石の作品を読んでいない。
 高学歴で30歳以上になっても、親の遺産か援助で働かずブラブラし、そのくせ理屈ばかり言う人、いわゆる『 高等遊民 』ばかり出て来るのがイヤなのだ。しょせんは小説など虚構、作り物なのに、自分と照らし合わせてしまうのがいけない。つい自分との境遇の違いに腹を立ててしまって、読まなくなってしまった。
 どなたも30~40代は働き盛りである。僕も懸命に働いた。サブプライムローンなんて言葉は米国の話で日本にはなかったけれど、貯金もしていなかった銀行から8.76%と言う金利で住宅ローンを借りていたせいで、ズボンも買えずにずっと、独身の頃買ったモノを着続けた。
 やりたいこともやっていなかったから、ウツにもなったし、いつもふ機嫌であったように思う。いつも、『 あと〇年も経てば…』と思っていた。今と成っては、時間の余裕がたくさん有っても、当時のやりたいことが何であったか、すっかり忘れてしまい思い出せなくなってしまった。やりたいことはその場でやらなければいけない。
 ウソだよ。やりたいことは分かっていても、若からこそできる事が有って、こんなジジイになってしまったら、出来ない事ってたくさんあるな。

 老化細胞を体内から排出してしまう薬が見付かったという記事が新聞に載っていた。とんでもない話だ。これ以上日本人の『 平均余命 』を伸ばしてどうする積りだ。団塊の世代の昭和22年~24年の3年間だけで、800万以上の子供が生まれた。その人たちが今、後期高齢者になっている。(今、700万は居ない)。一方で現在は年間で70万人未満しかの子供しか出生していない。これで将来、若い人たちだけで国の活動を支えられる筈がない。
 地球全体でみると、人口は増加しているのに、出生率で言えば、韓国、中国は日本よりさらに悪い。若い人の労働人口が多いのは国力だから、韓国、中国、日本は衰退して行く国だというわけだ。
 『 ハンメルンの笛吹き 』のように、笛を吹いて老人を何処かに連れて行くしか方法はない。
 少子化なんて、最近分かったことではないのに、どうしてこんな国になってしまったのか。『 高齢者の経験と知恵が役に立った 』のは遥か大昔、原始時代のことである。今は衆議院議員選挙期間中だけど、年齢の高い候補者が実に多い。大臣に成るには衆議院当選5回が目安だなんて(参院は知らない)、仮に40歳初当選だったら、大臣に成れるのは60歳前後。自分に照らし合わせて考えたって、高齢者に AI が関連して作り出す将来のことが分かる訳もないし、諦めてしまって、初めから理解しようとする意欲もない。83歳の立候補者に何が解ると云うのだ?
 今、討論されているのは消費税減税や社会保障制度、移民、少子化対策などなど、今直面して、尻に火が付いていることばかり。将来を見据えたビジョンを政策として掲げている党なんてない。みんな高齢者だから本当に困る頃には、自分たちは死んでしまってこの世に居ない。
 過去の選挙に若者で投票に行かなかった人はもちろんいけないが、有権者だって議員を選らぶ責任がある。政治家だって人の子だから、自分に投票してくれる人重点の施策をするのは当たり前だ。
 政治家と高齢の会社経営者の人たちが、目先の自分たち優先で社会を作り上げてしまった結果が、今の世の中なのであろう。議員の60歳定年制を早急に考えるべきだ。

 第 1638  散策             2026.01.26(月)



 小田急線梅ヶ丘駅近くの梅のめい所 『 羽根木公園 』に行って来た。白梅、紅梅、ロウバイが咲いていました。桜と違って梅は華やかさがないけど、とても清楚な感じです。紅梅は盛りが過ぎているかなといったところです。梅にはウグイスが定番ですが、来ていたのはメジロでした。
 『 梅まつり 』の期間中ですが平日ですから、公園に来ていたのは保育園の子供たちの一団と、ジジ、ババばかり。ゆっくり観梅が出来ますが、人出が多く賑わっていないと何か物足りない感じです。
 どくとるマンボウの作家 北杜夫さんはこの辺りにお住まいだったと、エッセイに書かれていたと思います。電車で新宿へは直ぐですし、梅ヶ丘は静かなところで良い所にお住まいでした。
 公園内を一回りぐるりと散策した後、まだ時間もあまり経っていないので、『 豪徳寺 』へ行くことにしました。梅ヶ丘駅から豪徳寺駅は電車で一駅です。年寄りの散策はなにしろ『 安上がり 』をモット一としております。一駅くらいはもちろん徒歩で。昼食用には、途中コンビニでおにぎりとサンドイッチを調達しました。
 豪徳寺に近付くに連れて、インバウンドの人たちと大勢すれ違います。『 豪徳寺って、外国人客が訪れるほど、そんなに有めいなの? 』 豪徳寺で有めいなのは、私の認識では『 井伊直弼のお墓 』と、『 招き猫 』くらいなもの。豪徳寺に行くまでの途中の商店の店先には大抵招き猫の置物が置いてあります。
 静かなお寺だと思っていましたが、大雑把な見方では日本人より外国人の方が遥かに多い。渡航自粛と言っても中国人もまだ居ました。それでも、井伊家の墓地エリアまで来るのは日本人だけのようです。
 外国人の方々は江戸時代の大老 井伊直弼はご存じないようです。作家 舟橋聖一さんの『 花の生涯 』でも読みました。NHKの大河ドラマにもなったようですが、私その頃はまだ働き盛りで、大河ドラマを見る心の余裕がなかったようで見ていません。
 豪徳寺の次は『 松陰神社』に行った。もちろん徒歩でテクテクと。地図など持っていなくても、スマホのナビの機能を遣えば、『 ○○m先右折です』と教えてくれるからその通りに行けば、国士舘大学の前を通って15分程度で到着しました。
 外国人の旅人にとって、吉田松陰は興味の対象ではないのでしょうかね。松陰神社では、外国人らしき人には一人も巡り合いませんでした。豪徳寺とは大違い。
 江戸時代末期から明治時代の初めに活躍された方々が寄進された燈籠がずっと並んでいます。今と成ってはもう薄くなってしまってとても読みにくいけれど、燈籠に彫られた寄進された方々のなまえを読むのがとても興味深い。
 『 松下村塾 』を模した建物も立てられています。残念ながら土日のみ雨戸が明けられるとのことで外観のみ見学となりました。
 東急世田谷線の『 松陰神社駅 』から電車に乗って、三軒茶屋駅まで行き、帰宅しました。普段歩く機会が少なくなってきています。帰宅後歩数計を見たら13500歩余りとなっていました。安上がりの散策も急にたくさん歩くのはキツイ。

 第 1637  読書寿命           2026.01.18(日)

 毎度書いていますが、本が好きです。『 あと何年間本を読めるかなぁ 』と思ったりします。『健康寿命』という言葉があります。たとえ生きているという寿命があっても、自分でご飯を食べたり、歩き回るなど、元気で生活できなければ、生きていても悲しい状況なのです。
  同じように『 読書寿命 』と言う考えも有って、ボケてしまったり、本を読む気力がなくなってしまったら、その方の『 読書寿命 』も尽きたと言わざるを得ません。僕は今、76歳ですから読書寿命というロウソクが消えるまで、あと何年かなと、とても気に成ります。
 若い頃は読みたい本はたいてい買っていました。でも、本は読み終わると溜まって困る。終活の意味からも、図書館から借りて来て読んでいます。図書館に行ってから書棚を眺め、闇雲に借りて来るなんてことはしていません。
 図書館では何を借りるか、予めリストを作って行きます。公共図書館ですから、読みたい本が所蔵されてなかったり、他の人が借りてしまって、借りられない場合が多いと考えた方が良い。だから、リストには借りる冊数よりずっと多くの題めいが書いてあります。
 予め、読みたい本のリストを作らなければなりません。本は読んでみなければ内容が分からない。徒然草の吉田兼好さんが書いているように、『先達はあらまほしきことなり』なのであります。先導者が必要です。エッセイなど読んでいると、その作者の方が推奨する本や、新聞の読書欄、ネットでも『 読んでおきたい100冊の本 』などを参考に、リストに載せる候補の本を探す狩場は何処にでもあります。丁度、見かけた本の題めいをメモしておいて、リストに載せます。
 身辺整理していたら、大分古い“PRESIDENT”という雑誌が出て来て、その中に『 絶対外れなし。超一流24人のわが生涯最高の本1冊 』と言う物々しい表題が書いてありました。この雑誌を過去に読んでいますが、早速読み返してみました。なにしろ『 生涯最高の1冊 』です。それも一流企業の社長さんやら取締役さんです。たいそうな本の題めいが書いてあります。
 『 本棚を見ると、その人の頭(嗜好、職業など)が分かる 』という言葉があります。並べてある本から推量して、人物像を探るという意味です。ただ、本を読んで、その人が何を感じたか、何を得たか、何を学んだか、その本にどのような読む価値があるのかは、それぞれ読む人によって異なります。他人がとやかく言うことではない、と思いはするものの、自然と想像してしまうものです。
 僕も超一流の人が読んで感銘を受けた本の題めいを見て、『 ははん、この人はふだん余り本を読む習慣がないだろうな!? 』と、本の内容のレベルから自然に推測してしまうことは当然あることなのです。いくらなんでも、この本を超一流の人が『 生涯最高の一冊 』と思うなんて・・・。頭の程度を疑ってしまうモノもある。だから、本のなまえも、人物も書きません。
 一概に本と言っても、そのの内容は様々です。例えば小説を考える時、『 小説 』とは何だ? 純文学もあれば大衆小説、あるいはボ一イズラブもあるだろう。とても範囲が広い。一方、『 物語と小説の違いって何だろう 』という問いかけもあると思うのです。
 私の考える『 物語と小説の違い 』は何かを披歴してみたいと思います。
『 昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山に柴狩りに、お婆さんは川に洗濯にいきました。すると川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと、流れて来ました・・・』
 このように、物語は話のスジをばかりを追っています。その場で主人公あるいは登場人物が何を考え、何を思い、何に悩み、何に葛藤するかが無いか、あるいは少ない。『浦島太郎』『かぐや姫』『一寸法師』などもお伽話はみな話のスジを追っているだけ。一般に小説と言われるモノの中にも、この傾向が強いものがある。逆に題めいに『 物語 』という文字のある本格小説もありますが、困った存在です、
 一方、その場で主人公あるいは登場人物が何を考え、何を思い、何に悩み、何に葛藤するのが小説の特色です。同じ小説と言われるモノの中でも将来に残って行く小説も有れば、消えてしまうものもある。その境目は登場人物の心を如何に掘り下げていくかに掛かっているかが焦点だと思うのです。
 生意気だとは百も承知ですが、超一流の人の『 生涯最高の一冊 』に挙げられた本の中にも、話のスジばかり追っているなと思える軽いような本もあれば、この人の読書嗜好はこうなのではと自然と想像できてしまうことも有るのでした。
 超一流の人も雑誌記者に乗せられて、よく考えずに『 生涯最高の一冊 』などを披歴してしまうと、嗜好がバレてしまうな。

 第 1636  参拝             2026.01.08(木)

 大昔に恐れ多くも、恥知らずに『村の鎮守の神様』と言うHPを開設していたことが有ります。
 参拝などすると、賽銭箱の中に硬貨ではなく、1000円あるいはそれ以上の高額紙幣が入っているのが見えることが有ります。
 『 地獄の沙汰も金次第 』という言葉があるように、金額の多寡で神仏の御利益を操れると思っているふ届き者の仕業であります。『 喝!』 神仏はお賽銭が多い少ないには関係しません。
 従いまして、弊ジイは10円以上のお賽銭をおさめた記憶がありません。それほどご利益を期待することなく、コスパを考慮した妥当な線だと思っているからなのです。別の言い方をすれば、弊ジイは『 けちん坊 』なのであります。
 どちら様も同じでしようが、ふだん買い物していると、小銭入れの中に1円硬貨、5円硬貨が溜まってしまうことが有ります。そんな時は机上に置いてある瓶の中に入れておきます。社寺参拝の予定がある時に持ち出して、お賽銭用に使うことにしています。
 以前は『 ご縁があるように 』と5円硬貨を専ら使用していました。何処かの書籍に神様は5円や10円のような『 赤 』系統の硬貨より、白系統を望むという情報を得て、今年からは参拝には1円玉5枚をおさめるように変更致しました。
 宗教と言えば、旧統一教会、幸福の科学、創価学会、立正佼成会他、数多の団体があります。宗教団体と献金は切り離して考えることは出来ません。76年間生きてきた中で幾多の勧誘がありましたが、ジイは唯物論者故、無宗教と言って良いのではと思います。
 ただ、今迄生きてきた中で、二進も三進も行かず、苦しい事態に直面することは何度も有りました。そんな時、『 神様、どうかお助け下さい 』と願ったことは数知れません。都合の悪い時だけ、神様が必要なのです。
 正月3ヶ日の参拝者が300万人を超えたのは、明治神宮、川崎大師平間寺、成田山新勝寺なのだとか。皆さんそれぞれ、『 家内安全 』『 商売繁盛 』『 病気平癒 』『 受験合格 』その他、様々なお願い事をしたのでありましよう。いくら神様、仏様と言えど、住所氏めいを告げずに願い事だけ告げられ、押し流されて行く参拝者のデ一タを神仏の頭の中のめい簿に書ききれません。
 まだ正月ですから特別に神様にお願いする言霊を教えましょう。
 『 祓え給い 清め給え 守り給い さきわえ給え 』
 神社の拝殿、本殿の前でなくても、脇の方からでも合掌の上、心安らかに唱えて下さい。これは神社の言霊ですから、お寺で唱えてはいけません。念のため。
 斯様に弊ジイは宗教心が乏しく、困った時だけ神様のことを思い出す。それでも思い出した時に、また観光などで神社に参拝した時に声を出して唱えています。その時に願い事はせず、これまでの神のご加護に感謝して『 ありがとうございます 』と言うことが大切です。
 その他、言霊、呪文など知っています。大切なことがあり、他人のふ幸を願ったり、他人を呪うことをお願いしてはなりません。
 くどくど書きました。どことなく弊ジイの心のストライクゾ一ンの広さ、読書範囲の豊富さが滲み出ているのではないかと、誰も言ってくれないから言っておくのです。

 第 1635  謹賀新年           2026.01.01(木)

 年賀状では『 謹賀新年 』という言葉を使うかもしれませんが、こうした雑文の中でお話しするには『 明けましておめでとうございます 』と云う方が軽くて、相応しいのではと思います。
 ともかく『 今年もどうぞよろしくお願い致します 』。私、いま76歳です。この挨拶の言葉をもう何年言い続けてきたのでしょうか? おさむ爺もつくづく歳を取りました。
 昨日の続きが今日で、今日の次が明日と云うように、日にちは連綿と続いていますが、人間は1年と云う区切りを付ける。どなたも大晦日の次に新年の元旦が来て、皆さん、同じように申し合わせて、明けましておめでとうと云う。何故、区切りを付けるんでしょうね。?
 明日(1/2)、息子の家族が来ることになっています。孫が一人。今年四月に、小学校に入る予定です。お年玉をあげようとポチ袋にお金を入れて用意しましたものの、孫はこのお金を貰ってどうするのでしょうか?。貯金をしておくからと、親に巻き上げられてしまうのか? 僕らの子供の頃には、町なかにおもちゃ屋、本屋、駄菓子屋、文房具屋さんなど、子供が自分の裁量でお金を使える個人商店がたくさんあった。
 今、自分の住んでいる所を基準に考えると、そんなお店は無くなってしまった。もちろん地域に拠ってはそんなお店がある場所もあると思う。そういう所に住んでいらっしゃる方にはゴメンなさいなのだが、少なくとも私の周りにはない。
 私の認識ふ足で、小学生でも何ら躊躇することなく、ス一パ一マ一ケットや百貨店で、子供だけで買い物できるのだとしたら、この話は終わってしまう。子供たちが自分の裁量で躊躇することなく買うことの出来る商店が身近に無くなってしまったなら、貰ったお年玉は何に使うのだろうと、疑問に思った次第なのである。今の子は、『 うるさいから、外で遊んできな! 』なんて親に言われて、外に遊びに行くことなんか無いのだから。

 昨年の年初に『 今年は年間に100冊の本を読もう 』と目標を立てました。年間100冊の本を読むという事は、およそ週に2冊平均で、1年間コンスタントに読み続けなければならないと言うことなのです。僕も余命幾ばくもありません。喩え生きていたからと言って、ヨイヨイになってしまったら本も読めません。だから、僕だって読む本を考えて選択しなければならないのです。
 選んだ本の全部がなっ得できるようなものではないですが、都合107冊読みました。無理して後1冊読めば、平均で月に9冊読んだことになります。108冊と言えば『 煩悩 』の数と同じになる。でも正直に言えば、これはキツイ。字面を目で追ってはいるが、内容が頭に入っていない、集中力が欠けているところも多かったことは否めません。本を読む時間を確保するため、新聞を読むことが疎かになってしまったことも事実です。
 今年は冊数に捕らわれず、1冊ずつじっくりと読みたい。併せて新聞も丹念に読もうという事を目標にしたい。