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おさむの書斎

 僕の家には狭いながらも自分の書斎があります。広いスペースではありません。たった3畳の大きさ
 長年、書斎が欲しいと思って来て、家を建て直す際にやっと出来た一人きりになれる唯一の空間。
 他の人が何と言おうと断じてここは僕の書斎なのだ。(実情は、パソコン部屋!!??)
 日記とは別にもう少し長いスパンで、普段思っていることを書こうと思って居ります。
 このHPのメインになるようにしようと思っています。

第573  整理整頓               2012.02.04 (土)

 電車内の壁に、身の回りの整理術の本の広告が出ていた。
 ねずみ年の生まれではないのに、私は何でもとっておくタイプの人間です。周囲には自然と物が溜まっていく。「もったいない」「いつか使える」「記録として残しておきたい」等々の理由で物や書類が溢れかえる。それでなくとも、私は文書にして何でも残しておきたい種族だ。よく古民家の土蔵の中から古文書が出て来たと言うニュースがある。あれは当主が僕と同じ性格であったに違いない。一方、国では今、議事録がないと大騒ぎしているが・・・
 物が増えても、
「あれはどこにある」
と分かっていれば良いのだが、記憶力が乏しくなってしまった今は、結局は探し回るということになる。良くて目出度く探し出せ、悪くて見つからない。
「そのうち、出て来るだろう」
と言う事になる。それは正解で、捨てられないのだから、そのうち出て来るに決まっている。
 会社では今「5S」という活動をやっている。知らない人のために書くと、5Sとは「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「躾」の5つを言います。活動のポスターを見ると、次のように書いてある。
「整理」とは要るものと要らないものを区別し、要らないものを捨てる。
「整頓」とは要るものを必要な時には、いつでも使える状態で安全に取り出せるように並べる。と書いてあった。
 私にとっては始めは何でも要るものだ。よって整理は出来ていると言える。ただし、要るか要らないかは、時間の経過による評価が必要だ。経時変化により、始めは要ると思って取っていたものも、時間を経過してもちっとも使わず、要らないとの評価を受ける。評価するには時間の経過を要する。
 しかる後、不要と評価された物は廃棄処分となるが、貯蔵より廃棄の方が速度が遅いため、物はいつしか溢れかえる。整頓は本当に必要だと思う。いくら物が溢れかえっても良いが、必要になった時にいつでも取り出せるようになっていなければならない。これは同感である。ただ、物量が多いため仕分には困難を極める。
 私はあと1ヶ月半程で退職しようと思っています。空いた時間を使って、会社の机、引き出しの中の書類の整理をしています。大抵は途中の「時間の評価」をしなかったために、そのまま溜め置かれて来たものばかり。取り出して見れば、当時を思い出して懐かしい物ばかりだが、それは自分だけの感傷に過ぎない。引き継ぐ書類を残して、あっさり捨てることにしました。丁度、会社の隣が古紙をトイレットペーパーへ再生する工場なので良かった。いつでも古紙を受入れている。私が若い頃から掛かって作成した書類はお尻を拭く紙となりまた日の目を見ます。

              

第572  四国遍路               2012.01.21 (土)

 読売新聞夕刊に四国遍路のことが連載されている。空海(弘法大師)がなしたと言う、四国八十八箇所の霊場巡りだ。ほぼ、四国を一周し、全工程約1400kmだという。歩いておおよそ40日の日数を要する。
 機会があれば、やってみたいと思うが、40日、1400kmと知ると、その前に鍛錬しなければならない。
 会社の同僚で、私と同年齢の女性が一人で旧東海道を数年前に踏破した。会社勤めをしているので、平日は会社で勤務、週末は旧東海道を歩く。次の時は、その続きを歩くと言うように分割して、遂に成し遂げてしまった。彼女は日頃から鍛錬している。通勤の時に、雨の降らない限りは、毎日4kmずつ歩いている。今ではもう習慣になってしまい、何ともないと言っている。旧東海道や毎日歩いている意志の強さには頭が下がると共に、失礼だが呆れてしまう。
 さて、小生の実力はどうかと言うと、東日本大震災の日に電車が全面運休してしまい、已む無く約20kmを5時間掛けて帰った。足には豆など出来なかったが、最後の方には トイレにも行きたい、足は重く、歩くのが嫌になってしまった。日頃の不摂生を感じる。
 5時間かけて歩いたのは家に帰るための已む無くである。いつでも止めることの出来る四国遍路や旧東海道それに毎日の鍛錬のために歩いていることの意志の持続には、本当に尊敬に値する。
 四国遍路約1400kmを40日で歩くことは、1日当り35kmを歩かなければならない。1日だけなら、あるいは歩けるかもしれない。それが毎日となると・・・
 意志薄弱で劣等感の塊になりそうだが、チリも積もれば式に考えると、私は今勤務している会社で勤続34年である。距離のはっきりしているところで、家から最寄り駅まで、片道800m、1日で1.6kmは必ず歩く。1年で250日勤務があるとして、34年で12000km以上歩いている。地球の直径くらいに相当する。これは家から最寄り駅までだけの話で、以前万歩計で測ったら、1日に歩く歩数は最寄り駅までの往復の3倍以上は歩いていた。地球一周以上歩いてきた勘定になる。
 チリも積もれば式に分割すれば、たいへんな距離を歩いてきた計算になるが、40日間で約1400kmは大変だ。34年間の計算なんて所詮は負け惜しみの計算に過ぎない。

第571  白髪                 2012.01.21 (土)

 以前はまだ少しは色気があって、白髪染めをしていた。黒い髪に染まった所を鏡に映して見れば、幾分若く見えるような気がする。しばらく染めていなかったものだから、以前は黒く染まっていたところも、色あせて茶色に変わってきた。
 1/15に床屋に行った。髪が伸びるにつれ、茶色かった部分は髪の先端方向に移動し、髪を切ってもらった後は、茶色の部分はなくなって白髪が大変目立つ。頭の右側に特にくっきりと白髪が多いような気がする。脳の働きが頭髪に影響を及ぼすのであろうか。?右脳の働きに衰えが出てきたのだろうか。人間、左脳の機能が低下するともう、ダメなのだそうだ。炭坑節でも唄われているように「サノウヨイヨイ」と言う。
 昔、ロマンスグレーという言葉があった。ロマンスグレーと言うのは、どういう状態を言うのか知らない。もし、今の自分の状態がそうならありがたいのだが、小生、ロマンスには全く縁がなさそうだ。もし、あったとしても、愚息が主人の言うことを全く聞かない。自分で負い目を持っているところ、女性から
「あら、ダメなのね」 と劣等感の追い討ち、ダメ押しをされるのはとても辛い。それなら、いっそ家庭内不和の原因となるロマンスなどない方が良い。
 幸い髪の量はいまだに豊富だから、まだ良いかなと思う。白髪は黒色の色素生成能力の欠落である。老年のことを熟年と言い換えようが何しようが、本質的に変わりはない。もう終わってしまったが、テレビドラマ水戸黄門に出ていた入浴シーンの由美かおるさんだって、スリーサイズはデビュー当時(15歳)とほぼ同じだって言うけれど、61歳だ。ばけものと言われようが、美しく老いるなどは根本的にありっこない。老年とは残酷なほど醜いということを、鏡に映る自分の顔や肉体を見ただけで良く分かる。

 

第570  青春には壁がある           2012.01.15 (日)

「青春には壁がある」と言う言葉がある。子供から大人へと移り進む過渡期である青春時代に、誰もが打ち当たり、挫折する壁である。大人になるには、この壁を跳ね除け、乗り越えて行かなければならない。
 高校2年の時、昼休みに友人に押され、はずみで顔から壁にぶつかってしまい、上の前歯を折ってしまった。その時、痛い思いもしたが、「青春には壁がある」という言葉を実感した。その場で歯を戻し、学校を早退して歯医者に行ったが、1ヶ月ほどで付くと言われ、当時は柔らかいパンばかり食べていた記憶がある。
 その後、別な地で働くようになってから、4本繋がった差し歯にした。確か、当時1本7万円取られたような気がする。更に後になって虫歯が出来て、6連の差し歯にした。6連の時は確か、1本4万円だったようだ。斯様に前歯の差し歯には大層お金が掛かる。
 1/12朝食をとっていたら、6連の差し歯が外れてしまった。年末年始の休暇中に餅を食べて、緩んでしまったものと思う。差し歯を作ってもらった歯科医は電車に乗って行かねばならぬ所にある。会社に遅刻をする連絡をした上で、その歯科医の所に行ったら、廃業してしまったらしく、もぬけの空だった。
 これから治療に通わざるを得ないので、我が家の近くの駅に戻った。今、駅の周りには歯医者はたくさんある。何処が良いかという判断のための資料も基準も持ち合わせていない。かみさんが以前行ったことがあるという、歯科医へ行ってみた。以前作った差し歯は15年以上経過していて、口の中の状態が変わり、合わぬのだという話。取り敢えずは、今までの物を仮歯として付け、新しい差し歯を作り直さなければならぬのだという。
 治療が終わった時点で、費用が概算どの位掛かるのか質問した。これから年金生活に入るというのに法外な金額を言われても困ると思ったからだ。先生は価格表を見ながら、保険でやって1本¥5,000位だという。6本だから3万円として、その他、治療費として、何千円が何回くらいと言っていた。
 「何」と思う。15年以上前の1本4万円だの7万円だのというのは、一体何だったのだろうか。今度の先生はそんな価格の歯の事は一切言わない。もちろん、患者が希望すれば高いものを作って暮れるだろうと思う。今まで多くの歯科医に掛かってきた。いずれも患者に口を明けさせたまま、ろくな返事もさせない状況下において費用の説明をし、こちらも「あー」とか「うー」としか返事が出来なかった。今度の歯医者は設備も良く、面と向かって誠実に説明してくれた。歯医者によってこうも違うものか。開いた口が塞がらないというのはこのことだ。
 そもそも、開業の医者や歯科医というのは高額所得者なのは皆が知っていることです。歯医者も「良い鴨が来た」とばかりに、保険がきく歯があるのに、そんな説明もせず、高い歯を入れるように進めるのは許せないな。青春の壁が何十年後も影響してくる。

第569  雪中に筍を探す            2012.01.08 (日)

 舟橋聖一氏の「花の生涯」という本を読んでいます。この本の主人公は井伊直弼です。そう、日本史の授業で習った「桜田門外の変」の大老井伊直弼です。僕は舟橋聖一氏の小説を読むのは初めてですし、お侍の出てくる小説もほとんど読んだことはありませんでした。読んでみて感心するのは、小説家と言うのはなまじの教養では出来ないものだと言うことです。文のそこここに色々な引用があり、本の後ろにある注解なしでは意味が分からず、読み進めることが出来ません。その知識の深さに驚いてしまいます。
 何でもやろうという意味の箇所に、さりげなく「雪中に筍を探しても歩こう」と書かれていました。僕はすぐにこれは中国の「二十四孝」の孟宗という人の話だなと気が付きましたが、こういうことが小説のあちこちに出てきて、大変興味深い。
 儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目とした。二十四孝というのは、後世の模範として孝行が特に優れた24の逸話を取り上げた書物です。
 「雪中に・・・」はその中のひとつで、病気の母親の「筍を食べたい」という望みに、雪の中に筍を求め、孝の一心でついに筍を掘り出したと言う孟宗の故事です。なお、孟宗竹の名前もここから出ています。
 僕が二十四孝を知っているのは、落語に「二十四孝」と言う演目があるからです。落語好きですから、何度か聞いて知っていました。 「困ったもんだ。おめえのおとっつあんてえものは、食べる道はしこんだが、人の道というものを教えねえから、おめえのようなべらぼうが出来あがちまったんだ。・・・」
落語というのも馬鹿にできません。為になるでしょう。
 雪中に筍を探すのは、まず無理でしょう。家庭菜園をやっていますから良く分かりますが、植物は土の温度が一定以上の高さにならないと芽が出ません。例えば、借りている畑の大家さんは大変気が短い。例年、2月中旬にジャガイモの種芋を植えてしまいます。僕は3月中旬に種芋を植えます。結局は早く植えても芽は出ず、発芽は同じ時期になってしまいます。発芽温度にならないと芽は出ないのです。土の温度が低い雪の中で孟宗がいくら探しても、筍は見つからないでしょう。むきになって言うつもりは決してありませんが、話を面白可笑しくした筍の故事は作り話なのです。
 今では、病気の母親に筍を食べたいとねだられても、容易に叶えてあげることが出来ます。スーパーに行くと一年中、筍を売っています。それは冷蔵庫があり、保存できるからなのです。冷蔵庫のなかった孟宗の時代に筍を所望するのは、母の我が侭だと思います。孟宗も、時期でないので、母親の要望に答えられないと述べるのが正しいと思います。母の望みだからと言っても、病気の母を放置して、筍を求めて温暖の地に旅するなどのことをしなければ、無理な事は無理なのです。余りに突拍子もない話は、儒教の教えの有り難味も薄れてしまうな。

第568  季節                 2012.01.02 (月)

 「冬きたりなば 春遠からじ」と言いますが、冬の寒さはまだこれから。早く暖かい春が来ることを望みます。暑い夏が良いか、寒い冬が良いかとなると、私は断然夏がいい。冬はどうも寒くて活動が鈍ります。
 夏にはTシャツに短パンで良いし、寝ると言っても何も掛けないで済みます。活動的だし、気が楽です。暑い夏を克服するのは、何と言うことはありません。
 家にかみさんが居る時には「そんなバカなことはするな」と言われて出来ませんが、まず、袋のまま温めればよい、激辛カレーを買ってきます。クーラーもつけずに窓を閉め切ります。これだけで汗がだらだら出てきます。風呂を熱めに沸かしておきます。パンツひとつになって、先ほど買ってきた、激辛カレーを温め、熱いご飯に掛け、一気にカレーライスを水も飲まずに食べてしまいます。口の中はヒリヒリするし、汗がしたたり落ちます。食べ終わったところで、熱い風呂に飛び込みます。
「夏だ−」湯船につかって、叫びます。
 最高です。暑い夏を満喫します。汗をたくさんかくと、後はかえってすっきりしてしまいます。
 これが、冬となると大変です。まだやったことはありませんが、夏と反対のことをやればよいのです。北風の強い、寒い日にカップに入ったカキ氷、アイスクリームを買ってきます。窓を開け放ち、パンツ一丁になって、カキ氷、アイスクリームを寒さ堪えて食べます。体温が下がったところで、水風呂に飛び込みます。
「冬だー」湯船につかって、叫びます。冬を満喫しますが、もしかしたら、心臓麻痺で死ぬかも知れません。チーン〜。
 斯様に冬を越すのは大変です。早く、暖かい春になって欲しいと思います。

 

第567  正月                 2012.01.01 (日)

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 もう去年になってしまったが、昨日、午後5時頃かみさん、芋やニンジン、ハス、ゴボウなどの煮物を終えたので、二人で商店街まで散歩に出かけた。もう、改めて買う物もない。商店やスーパーを何軒か覗いてみた。安売りしているスーパーはもうこの時間では、棚もガラガラで商売はもう終わりに近づいている。
 一方、別のスーパーでは客はまばらで、午後5時過ぎだと言うのに、まだ棚には今年中に売り切ってしまわなければならない惣菜や正月用品が山になっている。今日中に売れるのかしら。客は安い店を良く知っている。他人事ながら心配になる。出れば、やはり何かを買ってしまう。かみさん、レジの所に並んでいる間、僕は店の外に立っていた。こうして、かみさんと正月を迎えるのはもう何年目になるのだろうと感傷的になってしまった。 多分、まだ明るい時間ならそうは思わなかったと思う。暗くなって、寒くなって来たから 感傷的になってしまったのだろう。
 夕飯後、コタツに寝転んで本を読んでいた。テレビで「紅白」の放送をしていた。NHKも1曲ごとに随分金を使っているものだ。これほどまでにしなくても良いのにと思う。聴視料を払いたくなくなる。日本は経済破綻しそうで、軒並み増税しようとしている国なのに、一方でこれほど金を使うのは自粛すべきじゃないのかなぁ。
 正月は暇である。年賀状の返事も書き終わった。ポストに出しに行きながら、パトロールをして来よう。年の暮れの買出しの喧騒で、100円玉でも落ちていないとも限らない。コタツにでも入って、ミカンでも食べていれば良いのに、世の中には僕同様に暇を持て余している人がたくさんいる。パチンコ屋、おもちゃ屋、弁当屋その他、数店しか開店していないから、アーケードの商店街も照明を減じている。結局、100円玉は先に拾われてしまったらしく、成果なし。成果を求めるには朝一番でパトロールしなければならぬことが良く分かった。

第566  落語                 2011.12.30 (金)

 落語が大好きである。ipodに無料の落語を入れて、毎日とっかえひっかえ聞きながら寝ている。寝付きがとても良いものだから、残念なことに最後まで聞かないうちに 寝入ってしまう。何度も何度も聞いているので、噺の筋も、結末の「落ち」も分かっている。それでも、同じものを何度も聞いていて飽きない。噺の仕方、間の取り方を聞いていると言った方が適切なのかもしれない。当然、本の落語全集も持っている。やはり、耳で聞かなければ、演者の間の取り方など本当の良さは分からない。
 落語には新作・創作落語と古典落語がある。やはり、噺の原点は古典落語にあると思っている。僕は新作落語、創作落語を聞かないことはありませんが、俄然、古典落語が好きです。古典落語の方が噺が練れている。新作・創作落語は普通、噺を創った落語家さんしか演じません。著作権があるのかどうか知りませんが、一人でしか演じないので、練りが足らないのだと思う。古典落語は同じ題の噺を、多数の落語家さんが演じる。噺の大筋は同じでも、落語家さんによって少しずつ演じ方が違う。他の噺家さんが演じているのを、舞台のそでや楽屋で、他の噺家さんも聞いている。自分の噺の仕方に取り入れるのかも知れない。
 名人、上手と言われた落語家さんのレコードや、DVDが販売されています。現役の落語家さんも、それらをきっと所有していると思います。故人の噺家さんの演目を自分の持ちネタとして演じるには、それらの媒体を利用して習得することもあると思いますが、一般には、落語は師匠から弟子へ、また、同じ一門でなくとも他の師匠から若手へと、稽古をつけてもらうと言って「口伝」で伝えられます。噺の題は同じでも、噺の内容は少しずつ変化してくる。もちろん、噺家さん本人のアレンジもあるのだろう。このようにして古典落語は練れて行く。
 落語と言えば寄席ということになりますが、実情は中々そうではありません。寄席に行くと落語の他に、講談、漫才、手品、太神楽、漫談などの演者がとっかえひっかえ出てきます。それはそれで、大変楽しいものです。でも一人当たりの持ち時間はせいぜい15分ほど。落語を演じるには持ち時間が少なすぎて、噺家さんは落語の一部だけを演じたり、漫談をして高座を降りてしまいます。ですから、寄席に落語を聞きに行こうと言うのはほとんど無理です。
 噺家さんが実際に演じる落語は寄席でない、ホール落語会、噺家さんが企画した「二人会」「三人会」「○○落語会」他などでしか聞くことが出来なくなりました。今年、立川談志さんが亡くなりました。かつて聞いた名人、上手と言われた噺家さんの本格的な噺は、放送局で所蔵しているテープをラジオで聞くか、DVDなどの媒体でしか聞くことができません。故人だから当たり前ですけど。とっくの昔に故人となってしまった名人、上手を知っているのは、自分も歳を取っているからです。歳は取りたくないけど、この面では、昭和30年代、40年代の名人を知っているのは誇りだな。明日は大晦日。昔は年越しに街の角々に来たという厄払い。桂文楽の「厄払い」の口上は、確か高校生の頃、覚えたと思うが、未だに忘れず言える。

 

第565  掲示板                2011.12.29 (木)

 私のHPには、日記、趣味、書斎の3項目しかない。個人のHPを持っておられる方の多くは掲示板を設置されています。私は掲示板を備えるかどうか迷っています。以前のHPには掲示板を設置していた。出来ればご意見、ご感想など知りたいと言う考えがあるのは確かです。
 一方では、このHPは他の人の意見を聞くことなく、その時々の自分の考えを勝手に述べる場であるとも思っています。以前考えていて、すでにHPに書いた内容と食い違いが生じたり、矛盾が出て来ても構わない。その場、その場で感じたことを書いているだけだ。前に書いた500項目以上の書斎の内容はすでに捨ててしまった。忘れてしまって過去に書いた内容と重複することを書いているかもしれない。でもそんなことは一向に構わないと思っている
 このように一方では意見、感想を聞いてみたい。他方では一方的に書いて配信するだけだと言う気持ちもある。
 そんな私だが、自分個人では違った性癖を持っている。私はテレビをほとんど見ない。テレビから一方的に放送される事柄に反発したくなる事がよくある。テレビに対してブツブツ独り言を言っても仕方がない。それはラジオ、新聞でも同じだと言えるが、顔が見える分、テレビは癪に触る。  テレビで誤ったことを放送したり、何かあると放送局にすぐ電話を入れる方がいらっしゃるとのこと。これはどこかで聞いた話だが、ひどい方になると、ミステリー番組の後半、まだ犯人が分かっていない段階で
「私は、真犯人を知っています」とテレビ局に電話をして来る方がいらっしゃるのだとか。まったく、笑い話だ。私はそこまでしたくない。そこまで真剣にのめり込む必要もない。その番組はフィクションなんだから。  掲示板を設置して面倒なことになるのも嫌だ。もう老人だから議論は遠慮したい。思ったことを勝手に書いて配信し、読んで下さる方もそんな考えがあるのかくらいで、読んでしまったら終わりにして欲しい。私もそんなに真剣に書いている訳でもない。
 斯様に、私は他の人がどう思っているのか知りたがる一方、孤高を守ろうとする気も強い。誠に勝手なものだ・・・。

第564  カマキリ               2011.12.24 (土)

 12/18(日)は良く晴れた。前日からの好天で、畑には霜柱が立ち、3階のバルコニーに貯めておいた水には氷が張った。午後に畑に行き大根を1本抜いて、台所の流しの中に入れておいた。
 台所でかみさんが大声で呼んでいる。何が起こったかと思って行くと、大根の葉に大きなカマキリが1匹とまっていたのだ。指先で摘もうと手を近づけても大人しくしている。普通なら鎌を振り上げて威嚇するのに、なすがままになっている。寒さが厳しく、活発に動けなくなって、余命いくばくもないのだろう。腹が大きいから多分メスだと思うが、詳しいことは分からない。摘んで外に行きパンジーの鉢の上に置いた。
 私達の生活の中で、今、昆虫をあまり見かけない。菜園をやっていると、蝶、トンボ、テントウムシ、カナブン、バッタ、カマキリ、カメムシなど様々な虫たちが集まってくる。こんな虫たちが今までどこに住んでいたんだろうと思うほどだ。これを目がけてだろうと思うが、トカゲ、カナヘビ、ヤモリなども見かける。多分、菜園を無農薬で運営し、消毒していないからなのだろう。
   僕が小学生の頃、昭和30年代なのですが、映画「Allways 3丁目の夕日」そのままの生活でした。東京目黒区、木々もたくさんあり、布を丸めてボールにし、棒切れをバットに三角ベースの野球をした空き地が周囲にはいくつもあった。当然、草も生え、そこには色々な昆虫がいた。「手のひらを太陽に」の歌のおけらだって、ミミズだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ。そんな中で僕は育ってきた。
 コンクリートやアスファルトや緑化率のために植えられたマンションの周囲の申し訳程度の管理された植栽では虫達は生きて行けない。今の子供たちは虫に触れることなく育っていく。それが良い事なのか悪い事なのか一概には言えないけれど、私たちの周りの緑が減り、土が少なくなって行くのだから環境が悪くなっていることには間違いがない。
 夕食後、タバコを吸いに外に出た。さっき置いたパンジーの所にはもうカマキリはいなかった。産卵を終えているのかどうか分からないけれど、来年の4月ごろ、3mmくらいの極小カマキリとなって無事生まれ代わってくれることを祈ります。
 ここまでは当たり前の言い回しなんだけれど、考えてみれば、哀れな昆虫もいる。それはゴキブリだ。台所に姿を見せれば、はえたたき、はたまたスリッパで叩かれ、すばやく冷蔵庫の陰に逃げ隠れ「ほっ」としたのもつかぬま、暗い所を目がけてやみ雲に放射された殺虫スプレーをかけられる。苦しさにヨタヨタして這い出してきた所、新聞の折り込み広告か何かで摘まれ、ギュと潰されゴミ箱入り。あるいは餌付きの粘着剤で待ち伏せされることもある。似た様な形状の昆虫でクワガタ虫は高額で売買されたり、大事にされ、大人でも飼っている人がたくさんいる。待遇の格差が激しい。
 昆虫と言って一くくりに物が言えないものだね。
 

第563  忘れられないこと           2011.12.17(土)

 おそらく誰しも、友人、知人、または家族にも言わないで、自分の心の中だけにしまっている秘めた事柄があるのだろうと思う。それは、大勢の人の前で恥ずかしい思いをしたり、辛い出来事だったり、発覚しなかったものの、一時の気の迷いで盗みなどの犯罪を犯してしまったり、犯人として捕まっていないが殺人をしてしまった(おっと、これは冗談です)などということは、誰しも十や二十は心の中に秘め隠したまま、生きて来たのではないでしょうか?
 誰も自分を善良な市民だと思っています。一時の迷いで犯してしまったことは、自分の自尊心をめちゃくちゃにしてしまった。それらのことは自分一人の心の中で、時の経過と共に消え去って行く事を望んでみても、いつまでも消滅することなく心の中で小さなしこりとして残って、これからの生涯を共に生きて行くのだとおもう。
 もしそれが受けた屈辱だった時、その絶望を与えた相手はとうにそんな出来事を忘れてしまっているのだ。受けた方のみがその痛みを心の奥深く刻み付けている。気の迷いの盗みも後悔し、二度とそんなことはしまいと誓い、耐え、忍び一人でそのことと戦って行く。
 分かった振りして難しいことを書いてしまった。僕自身も60余年生きてきた中で、それこそ様々な屈辱や呵責を味わい、生きているのだけれど、誰にも告げていない。そんなこと、きれいさっぱり忘れてしまえたら、どんなに気持ちが楽であるかと思うな

第562  行方不明               2011.12.10(土)

 午前6時にいまいましくも携帯電話のアラームが鳴る。携帯電話を目覚まし時計代わりにしている。暖かい布団からは離れがたく、アラームを止めて、またうとうとしてしまう。5分後にまたアラームが鳴る。仕方がなしに起きる。自分でそのようにアラームのセットをしてあるのだが、いまいましい。12月の今時分では6時だとまだ、真っ暗だ。
 起きるとまず、コップ1杯の水を飲む。タバコを吸って、トイレに行く。次は歯を磨くが、顔は洗わない。パジャマから着替えて朝食。急いでご飯をかき込む。本当はもっとゆっくり寝ていたいし、ゆったり朝食も食べたい。それなら、もっと早く寝て、早く起きればいいと思うのだが、夜は夜で好きな本を読みたい。これだって、明日朝また早く起きなければいけないと思って、絶ちがたいのを我慢して本を読むことを止めているのだ。十年一日の如き朝の身支度の手順だ。本当は会社にも行きたくない。
 どうしてこんな生活になってしまったかというと、妻帯してしまったのが主な原因であろう。結婚すれば子供も出来るし、生活や養育費、教育費、その他諸々の費用が掛かる。働いて家族のためにお金を持ち帰らなければならぬ。稼いだ金、全部自分で自由に使える訳ではない。かみさんにそっくり渡した給料の中から小遣いを貰う。小遣いを貰う時に、つい「すみません」と言って頭を下げてしまう。自分で稼いだ金なのに、何か貰う時には「すみません」と言うのが癖になってしまっているのだろう。
 今、朝の決まりきった手順を書いた。通勤だって多少の時間のずれが有るもののいつも同じだ。
 会社にいる時も、毎日、仕事の内容は違いこそすれ、仕事はしなければならない。大抵は売上げや納期に縛られ、予定に拘束され、追われるように仕事をしている。会社の中で自由に遊んでいる訳ではない。例え、サボって仕事をしていなくとも、僕は内勤だから身体は拘束されている。
 営業などの外回りの仕事でも、ホワイトボードに行き先と帰社予定時間を書くようになっているのが、何処の会社でも普通であろう。場合によっては営業日報も書かされる。変な行動をすれば、たちまちの内にばれるようになっている。外勤の人にとっても、いわゆる勤務時間中は自由になる時間はないのだろうと思う。
 帰宅の時だって同じだ。「魚を焼く都合があるから、帰る時間を連絡して下さい」とか何か言われて、バスの中から携帯電話で『帰るメール』を出している。事故でもない限り、僕の帰宅時間はメールの「帰宅予測」と10分は狂わない。 『帰るメール』を出さないで帰宅すると、それからおかずを温め直したり、「メール忘れたの?」とか言われてしまう。  先ほど、「妻帯」だからと書いた。一人住まいの独身者は確かにもっと自由な時間が有るのだろうと思う。ただ、自炊をしたり、食器の後片付けは面倒だし、帰宅して、寒くて暗い部屋に灯りを点すのも寂しいものだ。おならをしても、一人ではおかしくも何ともない。
 普段の生活の中に「行方不明」の時間をもてたら良いのになと思う。単なる行き先不明、どこへ行ったのか分からないというのではない。これでは家に戻った時に「今まで、どこに行っていたのさ?」と言われてしまうのが落ちだ。僕の希望しているのは、行方不明になっていること自体、相手に知られていない密かな「行方不明」だ。これならば、後で何処で何をやっていたのか問われることも、釈明することもない。何食わぬ顔で帰っていれば、何も言われない。なにやら、かみさんに知られたくない秘密めいた自由時間だ。こんな時間を1週間に2時間ほど持てたら良いのにな。
 一人住まいの独身の人は、年がら年中、行方不明でも誰も何も言わない。こういうのは、スリルもないし、心の中に後ろめたさもないから、つまらないものだろう。妻帯でも、相手の行動に無関心な、行方不明でも何でもないような夫婦の関係になってしまうのも困ったものだと思うけど・・・・

第561  苦労の果て              2011.12.03(土)

 時々、BOOK・OFFを覗きます。BOOK・OFFを知らない人は居ないと思うが、念のため書けば、古本屋さんだ。本だけでなく、ゲーム機やCD、DVDも売っている。
 「現代日本文学館」という全43巻の文学全集のうちの一部12冊が棚に並んでいた。この本は僕が高校生の頃、刊行されたものだからもう45年ほど経つものだ。ハードケースに入っていて痛んでもいない。1冊¥105−。早速GETすることにしたが、一度に買って12冊は電車で持ち帰るには重い。3回に分けて12冊全部購入した。
 僕は本を読むのが好きだ。もうすでに1冊を読み終えたが、四百何十ページもあるのだから読むだけでも簡単ではない。これだけ楽しめて105円は本当に安いと思う。読むだけで時間が掛かるのだから、作家が創作しながら書くのは並大抵のことではない。1冊分で1年以上掛かるのではないか。力作が¥105に成ってしまうのは情けないと思うだろう。もちろん、刊行されてから時間は経っているし、今頃、夏目漱石や島崎藤村などの作品を読む人も少ないだろう。需要と供給でこんな価格になってしまうのだろうと思うけど、全43巻の内、12冊しかないとは言え、創作の苦労の果てが¥105では作家もやりきれないだろうな。

第560 北 杜夫さん             2011.11.20(日)

 もう時間が経ってしまいましたが、北 杜夫さんが亡くなった。最近は北 杜夫さんの作品はちっとも読んでいない。読んだのは中学か高校の頃だと思うから、45年ほど経ってしまったと思う。石坂洋二郎さんの作品と同じように、青春の一時期誰もが通り過ぎるところなのだろうと思う。
 北氏はその作品の中で躁うつ病だと書いていた。精神科医のなだいなだ氏の談話が新聞に載っていました。躁うつ病という病気の名を世間に広めたのは、北氏の功績が高いと書いてあった。
 僕もうつ病で精神科に通っています。僕の場合には「躁」の状態はほとんどなく、うつばかりのような気がする。「うつ病」が理解されていない頃は、単に「なまけ病」と思われていたこともあり、中々辛いものがあります。
 躁うつ病は気分障害です。風邪のように熱が出たり、手術が必要な病気でないので、理解されにくいところがあります。「躁」は気分がハイなので良いでしょうが、うつは本人にとっては誠に辛い。誰しも気分が良い時ばかりではないでしょうから、うつ病と健常者の境目が曖昧であることも確かです。
 交通事故で亡くなる方は毎年1万人弱います。労働災害で命を落とす人も毎年1100人ほどいます。それに対し、自殺者は毎年3万人を超えます。この記録が十何年も続いている。全部がうつ病ではないでしょう。借金で首が回らなくなるとか、理由は色々だと思いますが、この世に受けた生を自ら絶つ時、自殺を実行する際の精神は健全だとは思えません。
 精神科を受診しても、2〜3分医師と話をするだけで、後は薬の処方をして下さるだけ。僕の場合、自分では中々分からないのですが、状態が悪くなるとほほはこけ、目付きが悪くなるそうです。考えても仕方がないことが頭の中を巡り、堂々巡りの繰返し。そんな事を考えても仕方がない、無駄だと思いながらも、また頭に浮かんできてしまう。朝の通勤時に電車がホームに入って来る。ここで数歩前に進めば、きっと楽になるだろうなと何度思ったことか。
 夏目漱石の著書「こころ」の中の「先生と遺書」で、先生の手紙の中に書かれている状態になってしまう。症状が悪い時にはひたすら一人で耐え忍ぶしかない。それでも普段は薬を飲んでいさえすれば、何とか勤務は出来ています。
 うつ病が治るのはいつのことやら。休日に家に居る時にはまあ状態が良いので会社を辞めれば良くなるのではと思っていますが・・・ ほんとかな。