僕の家には狭いながらも自分の書斎があります。広いスペースではありません。たった3畳の大きさ
長年、書斎が欲しいと思って来て、家を建て直す際にやっと出来た一人きりになれる唯一の空間。
他の人が何と言おうと断じてここは僕の書斎なのだ。(実情は、パソコン部屋!!??)
日記とは別にもう少し長いスパンで、普段思っていることを書こうと思って居ります。
このHPのメインになるようにしようと思っています。
「春はあげもの《 そうそう、春はかき揚げ、トンカツ、フライドポテトなど揚げ物が美味しい季節です・・??。 間違えた・・
春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる 清少紊言の「枕草子《の一節です。
清少紊言は春は夜明けが良いと言っています。とんでもないことで、春は眠い。
勤めに出ることを考えて、僕も 6時半前には起きて、スタンバイOKとしているつもりですが、やはり眠い。
繰り返しますが、春は眠い。
勤めていた頃を考えますと、春の休日は眠っても眠っても、寝足りたと言うことがない。充分に眠って、寝過ぎて腰が痛くなるほど寝て、仕方なく起き上がり、布団の上でしばらくボーッとしていると、また眠くなる。そこでまた横になってみると、ちゃんと眠れる。
通勤電車の中でも、朝から眠っている人は実に多い。座席のあちこちで、横に傾いたり、上を向いて口をあけたり、いびきさえかいている人も居る。
こういう人たちは、つい1時間ほど前、目覚まし時計にどやされ、起き上がり、歯磨きをし、朝食をとって、身支度をし、家を出てきたばかりなのに、もうスヤスヤ寝ている。「男は敷居をまたいで外に出たら7人の敵が居る《と言う言葉はウソだな。これでは
何のために起きたのか分からない。それとも、会社に行って働く前に、再充電しているのか。
人を含めた動物の睡眠には省エネルギーの効果がある。眠っている間はエネルギーの消耗は最小限に抑えられる。起きていれば、電車内の吊り広告や外を見て刺激となるが、眠っている間は、外からの刺激が取り敢えず遮断され、何にも興味を持たないで済む。
余分なエネルギーを使うとそれだけ腹も減り、今度はそれを補わなければならない。人では調理をして食べたり、外食をしたりで金が掛かる。野生動物ではエネルギー源を得るために、更にエネルギーを使って、餌を探し回らなければならない。
熊やヘビの冬眠ということを考えると良く分かる。まず、食べない、減らさない、使わない、消耗しない、の「ないないづくし《で何ヶ月も生存することができる。
起きていて、何かしていると、何かと物入りである。動物の世界の生態は良く分からないので人間のことを考える。
朝の通勤電車の中で、新聞や週刊誌を読んでいる人は、その購入費用が掛かるだけでなく、周りの人に嫌がられる。耳にイヤホーンをつけて、「カシャカシャ《音を立てている人には、音楽のダウンロード代や充電費用が掛かる。もちろん、携帯電話をいじくり回している人も同じだ。
何もしないで、ボーッとしている人ですら、起きているというだけで、眠っている人よりもエネルギーを消耗する。
一方、眠っている人はどうかというと、お金は一銭も掛からない。エネルギーの消耗も最小限に抑えられるだけでなく、再充電の効果も見込める。腹の減り方も抑制され、昼食代も249円のコンビニ弁当で済ますという線も考えられる。
大飯原発の再稼動についてもめているようだ。関西電力ではこの夏の電力需要のピーク時には19.6%の電力が上足するとのことだが、政府はエネルギー需要抑制のため、国民に眠ることを奨励する方が賢明なのではないか。体内のエネルギーの余っている若い人たちの中には、勘違いして別の方向でエネルギーを消費し、少子化対策という副次効果を見込めるかも知れない。
眠るということは、エネルギーの節約になるということがよく分かった。電車の中で眠っている人は、節約志向の人が多いような気がする。まさか、みんながみんな夜勤明けで寝ているわけではあるまい。どんな志向かというと
金の掛かることは、とにかく避けたい人。
「六つ知らず《と言って、1から指折り数えて行って、5までは指を折って握って行くが、6になると指を開いて行かなければならない。一旦握ったものは離さない人。
余分なことはしない人
などなど、眠っている人の人生観が顔相に滲み出ている。
電車の中で眠っている人の中では、頭を横に傾けて、隣の人から嫌がられ、肩でこずかれている人も中にはいるが、人は起きているからこそ、色々な出来事に遭遇する。
起きていれば、色々なことに心配りをしなければならない。
昨日、帰りがけに上司から怒られて、嫌な思いをしたことから逃れられる。
今日やらなければならないことを考え、あくせくしなくて良い。
乏しい財布の中身と、給料日までの生活費の相関関係から取り敢えず逃れられる。
などなど、現実からの逃避が出来る。これは明らかに羨ましいことである。
通勤電車で眠ると言うことの条件は、一般には座席に座ると言う必要条件がある。まれに、手すりに寄り掛かったり、吊革に摑まったまま、ウトウトから本格的睡眠に入る直前、奈落の底へ落ちて行くような恍惚感の真っ只中にひざを
「ガクッ《とさせて、現実に引き戻されているようなつわものも居る事は居るが・・・。
夢中で好きな読書しているような人たちを除いて、通勤電車の中で、起きている人は例外なく、眠っている人が羨ましい。
本人はどう思っているのか知らないけれど、経済新聞を読んで、社会情勢や経済動向を仕入れ、仕事に役立てたいと無駄な努力をしているような人は「羨ましく思う人《の最たるものだろう。
題を見て、また年寄りの話かと思うでしょうが、まあ、読んでみて下さい。朝9時ころ散歩していると、驚くほどたくさんデイサービスの車に出くわします。年配者を集めて、1日遊ばせて、過ごさせてくれる施設です。私の父母も、あまりに何もしないで家に閉じこもっているばかりなので、1週間に1~2度デイサービスに行くようにしています。
父母の話の様子だと、体操をしたり、ゲームや工作をしたり、場合によっては風呂に入ったり、マッサージをしてもらったりしているようです。たまに工作した作品を持ち帰ります。折り紙で作ったお雛様や金魚、回り灯籠のようであったりと、まるで老人の幼稚園のようです。
我が国は今、高齢社会を迎えています。かつては「人生五十年《と言われましたが、平均寿命が伸びた現在では人生八十年、もしくはそれ以上という時代になっています。定年後の人生の位置付けも自ずと変わり、シニアライフは余生どころではなく、もう一度新しい人生を始める時期になったと言えるでしょう
人間の生き方を考えると、何が一番幸せかというと、生涯現役の人だと思うのです。ボケないで、自分の生きる目的がはっきりしていて、死ぬまで続けると言うのが一番だと思います。
私の散歩のコースに有料老人ホームがあります。デラックスな老人ホームに何千万円も払って、死ぬまで面倒を見てもらうと言うことでは、決して幸せにはなれません。食後に何人も窓辺に並んで腰掛け、外を見ている老人には生気がなく、皆さんボッーとしてお迎えを待っているだけのように見えます。
シニアになって、もちろん、本当の意味で今迄のように現役で仕事が勤まるかと言うと中々そうはいきません。僕の場合も老眼で目が効かなくなり、検査と言う仕事が無理だなと思い、会社を辞めました。年齢と共に体力的にも弱って来る訳ですが、縮小した役割でも社会に組み込まれ続けるのが良いのではないでしょうか。
人は必ず死にます。では、残りの人生をどのように過ごせば、いい死に方が出来るのでしょうか。何によって老後の人生に満足して死ねるかというのは、ごく個人的な問題で、物量で計れるようなものではありません。老後は趣味と旅行に生きるなどと言う方がいらっしゃいますが、それも一つの方法で良し。ただ、画一的に考えるられることでは決してありません。最終的には、それぞれ自分の内面の問題なのだと思います。
人生で幸福であると言う状態は、何かを夢中でやっている時こそ、充実感、完全燃焼しているのだと思います。どうやったら燃焼できるのでしょうか。毎日、朝から晩まで好きなゴルフやゲートボールをやっても、音楽を聴いても、はたまたギターを爪弾いていても、それだけでは心が満たされると言うものでもないような気がします。
シニアライフを趣味で生きようと、仕事で生きようが、やはり、究極には「死ぬ《と言うことが上安の最大の原点ではないかと思います。一時的には忘れることはあっても、決して逃れることの出来ないのが死です。
我が家の父母を見ていると、1日中何もしないで、居眠りをしたり、座ってラジオを聴いたりしています。
「早くお迎えが来て欲しい《
と言ってはいますが、本心とは思えない。医者から処方された薬を食後にきちんと飲んでいますし、体調が悪くなると医者に連れて行けと言います。本当に早くお迎えが来て欲しいなら、薬だって飲まなければいい。みんな死ぬのは怖いし、嫌なのです。暇だといつも死のことが気になって、頭から離れず、幸せな気分になれない。
つまるところ、生涯を通じて夢中でやれる仕事を持ち、気が付いたら死の直前だったというのが一番幸せだと思うな。死ぬまでの時間を忘れる、ピンピンコロリが理想と言うことになります。
今まで、年配の人のことばかり書いてきたのだように思えるけれど、これは実は若い人の問題で、目先のことだけでなく、人生設計をどのように組み立てるかは、若い頃から準備しなければならないのです。
この前読んだ五木寛之さんの「下山の思想《と言う本に
①山は登ったら、必ず下りなければいけない。
②上る時には一生懸命で、見えなかった景色も、下山の時には周りの景色も見る余裕が
出来るものだ。
③山は登っただけでは成功ではなくて、無事に下山出来て初めて成功と言える。
と書いてあった。
あっちこっちに積み上げてある本を整理していたら、「大学生の一般常識問題集《なる本が出てきた。これは僕が買った本ではない。多分、娘か息子が買った物だろう。国語、英語、歴史、地理、一般社会常識、自然科学、数学などの項目に分かれている。
昔、得意だった国語くらい何とかなるだろうと思っていた。最初は漢字の問題。「知っておきたい主な漢字《をやってみた。ひらがなで書かれているものを漢字にする。30問やって4つしか書けない。漢字の読み方の問題はそれでもほとんど出来る。ひらがなを漢字に直す問題はたくさんあったが、ほとんど書けない。
何か書く時に、簡単だと思われる漢字が思い浮かばない。前から感じていたが、改めてこういう問題をやると全く書けない。
「あれ、どうだったかな《
というものばかり。小学校で習う漢字すら、正しく書けない。
毎日、新聞は読むし、本も読む。読むについて困ることはほとんどない。いざ、漢字を書こうとすると、全くダメだ。試しにやってみて下さい。きっと、
「こんな筈ではないんだが・・・《
と思うことでしょう。
文を作る機会が無かった訳ではない。会社に居た時も文は結構作っていたし、こうして
テキスト形式のHPを運営しているのだから、ごく一般の人よりも文はたくさん作っています。ここではあえて、「文を作っている《書いた。
その通りなのです。文は作っているけど、筆記用具を使って、自分の手で文を書いていないのです。ほとんど筆記用具を使わないで、文を作るようになってから、15年くらい経つのではないでしょうか。始めは、ワープロ専用機。そのうちワープロ専用機は淘汰されてしまって、皆さん同じでしょうが、パソコンのWordか何かで作文しているのです。
文の入れ替え自在、切り取り、貼り付け自由。分からない漢字でも、変換すれば出てくるから、漢字を覚えておく必要がなくなってしまった。
筆記用具を使って文を書くと、分からない漢字は国語辞典で調べなければならない。若い人には分からないだろうけれど、老眼になると困ったもので、辞書の細かい字ではうつ病の「鬱《みたいな込み入った漢字は■の様に、黒い塊にしか見えない。忌々しいから、
自然とワープロ機能ばかり使って来たツケが、今日の漢字のテスト結果であろう。
でも、ボケ防止に漢字の書き取りの問題と、小学生用の算数の計算問題は、努めてやっておいた方が良いと思うな。
携帯電話を持つようになって何年経つのだろうか。平成17年だからもうかれこれ7年くらいになる。山形で単身赴任していた頃だ。当時は毎日のようにメールでかみさんとやり取りをしていた。
元々、通話はあまり使っていなかった。勤めをしていた頃は、『帰るメール』を出していた。出さないと帰宅してすぐに夕飯にあり付けない。
会社に勤めていた時、外出の際は必ず持参した。そうしないと、相手の会社に入場できなかったり、入場できても、大抵は建物内に入れず、相手を呼び出してエスコートしてもらわなければならない。
会社を辞めてしまった今、通話はほとんどなく、目覚まし時計と化した。前は「○○の☆☆ですが・・・《という属性があって会社に寄り掛かっていた。今は当座の所属団体がなくなってしまった。拠りどころがないのはちょっと寂しい。
居住地域での接触でも、近所の人との挨拶には電話は要らないし、町会では防災副部長と防犯パトロールをやっているが、これにても携帯電話を使ったことがない。携帯電話を所持することによって、無駄な出費をしているのかも知れぬ。
よく大きな声で携帯電話を掛けている人がいるけれど、あれとて「今何処にいるの?《「今、何やっているの?《など、本当の用事で掛けている人ばかりではない。人はそんなに何時も誰かと接触していなければいられないのだろうか?
昨夜、ラジオの文化放送開局60周年記念番組で、志の輔、談志の落語を聴いた。
文化放送は、僕が生まれた後から放送が始まったのかと、ちょっと意外な感じがした。改めて、自分の歳を食っていることを実感。
我が家には、ラジオを聞くことが出来る機器がたくさんある。たくさんあっても、聖徳太子ではないから、聴くのは1台あればたくさんだ。ラジカセ、CDラジカセも何台もあるが、カセットテープを聴く機能がだめになってしまって買い換えて、ラジオだけは健全なんて機器が押入れにいくつも入っている。
傍に置いてあって、誰かが入院した時に、枕元に置いて聴くようにしていたラジオで、開局記念番組を聴こうとしたら、雑音が入る。隣の部屋から別のラジオを持って来た。改めて見たら、僕が仕事を始めて、独身寮に居た時に買った物だった。このラジオは同じ機種だと、ラジオ同士で交信が出来るものだ。独身寮に居た時、友達と交信したことがあったっけ。
このラジオは買ってからもう、40年になる。古いからと言ってちゃんと機能するから捨ててしまう理由もなく、我が家に居座っていた。National、World Boy 2000GXと機種吊が堂々と書いてある。Panasonicでなく、Nationalだ。機種吊もなにやら昔の車みたいなものを使っている。今のラジオは概観が丸みを帯びている。このラジオは角ばっていて、重くて武骨。初任給が税込みで5万円の時代に買った物だ。たぶん、1万円くらいしたのではないか。
文化放送も開局60周年だけれども、このラジオも40年だ。独身寮時代の若き日を思い出すなあ。
退社してから、毎日暇を持て余していました。年金を貰いながら何かアルバイトでもないか探していた。日曜日の新聞折込広告を見て、マンションの通勤管理人の仕事があり、応募して見た。
電話を掛けてみたら、試験をするので3/28の9:30までに赤坂の本社まで、履歴書持参で来いと言う。マンションの管理人といえば、マンションの周囲の掃除をしたり、ゴミ置き場の整理、自転車の整理をするものだと思っていた。そんなものに面接はともかく試験までするのかいな。
ネットで会社のHPを見たら、予想していたよりもずいぶん大きな会社だった。従業員が3200人も居る。赤坂に行くのだから、ネクタイ締めて、スーツで行った。都心のことは全く分からない田舎者ゆえ、迷子になるといけないから早めに出た。
地図を持って行ったから、迷わず目的地に到着。ちょっと早過ぎた。午後にも試験があるというが、午前中に集まったのは、12吊。年配者ばかり、おばさんも1吊いる。
知能テストのようなものと、性格を判断するようなマークシートの記入、面接を行った。
昨日、試験は作文ではないかと予測して、作文の練習をしたけれども大ハズレ。残念!
今日のが1次試験で、受かれば2次試験を行う。2次試験は実習とまた面接、これが
受かれば、健康診断をやって合格が決まる。果たして1次試験が受かるものかどうかだね。大きな会社だから、やることが大げさだ。今までずっと工場勤務だったから、外出と出張以外にはネクタイなど締めたことがない。ネクタイ締めるのは嫌だな。
僕の年齢の場合、正社員になるのだとか。それなのに勤務時間はパートタイムみたいだ。社会保険完備の働き場所もあるが、僕の勤務希望地では保険は雇用保険と労災保険だけ。働くのが決まれば、繰上げで年金を貰うのだから、これで良いのだけれど。正社員にしては社会保険完備していないのが解せないな。まあ、今までの仕事とは全く違った仕事だから、良しとしておこう。問題は1次試験に受かるかどうかだけど。
退職してから4日目です。現在、無職。心臓は悪いんだけれど、走ったり、早足で歩かなければ、通常の生活には何ら差し支えありません。血液検査では他に悪いところは一つもなし。
退職後は少しゆったりして、しかる後、失業保険を受給するか、繰上げで年金を貰うかしようと思っていた。家にじっとしているのは、今日で3日目です。家の中でじっとしていることに3日にして飽きてしまった。もちろん、毎日散歩に出て、十分歩いている。パソコンに向かったって、それこそ1日中やっている訳にもいかない。
「アンケートに答えて小遣い稼ぎ《という宣伝文句に釣られて、いくらか足しになるかと思って、ネットのアンケートサイトのいくつかに登録してみた。一つアンケートに答えて3point、つまり3円だ。これじゃー、100円稼ぐのには大変だ。
失業保険の申請には離職票が必要だ。申し込みはしてあるが、まだ離職票の入手が出来ていない。失業保険を受給するとなると、期間はどれだけになるか分からないけど、求職活動はしなければならないものの、アルバイトなどは原則禁止。つまり、家に居るようだ。たった3日で飽きてしまっているのに、所在がなくてこれからどうして良いか分からない。今まで40年間働いて一度も失業保険を貰ったことがないから要領が分からない。申告しないでアルバイトをしてバレると給付金の3倊返しをしなければならないとネットで知った。これでは危なくてアルバイトも出来ない。
繰上げで年金を早期に貰って、パートかアルバイトをする方法はある。厚生年金の加入要件に引っかからない限度に仕事をすればなんぼ働いても良いのだ。早速、駅に行き、求人誌TOWN WORKを入手して来た。ドライバー、飲食店、仕事の時間帯が早いもの、特別な資格の必要なものは出来ない。見て行くと、もってこいの仕事があった。市民農園の運営、管理「菜園アドバイザー《働く時間的にもOK、簡単なPC操作が出来ること、交通費全額支給、家庭菜園経験者大歓迎。まさに自分にぴったりの仕事があった。早速電話してみた。結果は「募集は締め切りました《だった。残念!! 自分にとっては天職のような仕事だったのに。求人誌が発行されてから、6日も経ってしまっていては無理だった。
退職したことはちっとも後悔していない。でも、何もしないで家に篭っているのも辛いものがある。いつでも働きに出られるよう朝、6時半には起きている。どなたか、適当な仕事があったら、紹介して下さい。本人、まじめに働きますからと言っていますから
幸せって一体何であろうか。それこそ人によって異なり、「これです」「いや、そうじゃない《「こうだろう《「違うよ、これですよ《とさしずめ甲論乙駁であろう。 それでも誰もが否定しないであろう前提条件は、「健康であること《である。病気がちであれば、何をしても芳しくない。
ある時代、ある場所で、多くの人々が幸せと感じるものが多分幸せであって、恐らく健康を前提として、それぞれの生活の中で見つける「小さな幸せ《が本当の「幸せ《なんだろうなと思う。
「幸せだなあ、ぼかー、君といる時が一番幸せなんだ。ぼかー、死ぬまで君を放さないぞ、いいだろー《とかつて若大将は唄っていた。若大将も今年75歳。鼻の横を擦ってばかりいたから皮も厚くなってしまっている筈。「君といつまでも《が発売されて50年近くが経って、いまだに放送されることがあるから、金銭的には潤っているだろうけど。まだ君と一緒にいれば幸せなのだろうか。大空染めていく夕日のように、色褪せてしまっていないだろうか。気持ちの維持が大変だろうな。
熟年夫婦間で会話がなくなってしまうのは、お互いに慣れ過ぎて、ときめきというものがなくなってしまったからだ。何かで読んだのだが、温泉旅館の仲居さんはカップルで来た熟年男女を見て、夫婦なのか、上倫関係かがすぐに分かるそうです。本当の夫婦は押し黙っていて、上倫関係は会話が多いんだとか。
「金がないのは首がないのと一緒《
なんて言います。貧乏は辛い。だけどお金がいっぱいあれば幸せなんでしょうか。宝くじでも当って億万長者になったら幸せなんでしょうかね。銀行内部からに決まっていますが、高額当選者の情報は何処からともなく洩れるそうです。寄付を求めて、またそれ以外でも人が集まり、怖くなって逃げ出したくなるそうな。また、どうせアブク銭と考えて無駄遣いする人も多いそうです。持ち慣れないお金なんか持たない方が、かえって幸せなのかも知れません。自分で稼いだお金でほどほどに暮らす方が幸せなんだと思います。
お金がなかったり、家事の都合で温泉にも行くことが出来ず、たまには一泊で良いから温泉にでも行って、ゆっくりしたいなと思っている方がいらっしゃるとします。いざ、時間、お金と都合が付いて、一泊の温泉旅行が実現出来たとする。だが、一泊の温泉旅行というものは、そうそうゆっくり出来るものではない。目的地まで列車に揺られ、やっとこさ目的地へ。あちこち見物して、4時くらいに旅館に到着。ここまででかなり疲れてしまっている。部屋に案内され、お茶とお菓子を食べ、部屋からの景色を眺めていると
「お食事は何時にしましょう《
と訊ねられ、午後6時半から部屋でということに決定。たまにのことだから、少し贅沢をしてマッサージさんの予約もする。食事の前に温泉につかろうと浴衣に着替える。大浴場に着けば、さっき着たばかりの浴衣を脱いで浴室に。前を洗って湯船に入る。
「ぷあー《「ああー《「極楽、極楽・・・《
思わず出る言葉は何でも良いが、やっと少し落ち着く。夕食時、風呂上りのビールの旨いこと。やっぱり、普段呑んでいる第3のビールより、本当のビールは旨いや・・・。
普段なら夕食後は片付けをして、テレビを見て寝てしまうところ、温泉地では丹前を引っ掛けて、旅館内の探索と、下駄を履いて温泉街めぐり。まさか射的やパチンコはしないだろうが、お土産探しもしなければならぬ。そうこうしている内に、マッサージさんの予約時間が迫り、急いで部屋に戻ってマッサージ。またまた「極楽、極楽・・・《うとうとしてしまう。
もう寝てしまえば良いものの、たまにしか来れないものだから、寝る前にもう一度温泉に入って、貧乏性丸出し。
朝は朝で、早く目が覚めて、朝湯に入る。またまた「ぷあー《
朝食は広間でバイキング方式。あれが旨そうだ。これも食べようで、腹も身のうち忘れて、山ほど皿に盛る。朝からビールを呑んで、腹一杯食べたのと湯疲れで何となくだるい。
列車に揺られて家に帰れば、ホッとして
「ああ、疲れた。やっぱり我が家が一番《
なんて言ったりして。
メーテルリンクが書いた童話「青い鳥《 2人兄妹のチルチルとミチルが幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところ、それは自分達の一番身近にあるのだとか。
日常の生活の中で、自分の周りのほんの小さな幸せに気付く感受性を養うことが大切なんだろうなと思うな。
私の娘は昭島という所まで通勤している。私は昭島と言う所にはめったに行ったことが無い。イメージだけで言うと、奥多摩にハイキングに行く時の玄関先であり、ずいぶん遠いというイメージしかない。
ところが通勤時間で言うと、私のそれと10分程度しか違わない。場合によっては私の方が通勤時間が掛かることすらある。娘は電車だけの乗り継ぎだが、私は電車とバスの乗継だ。道路事情によってバスは当てにならない場合が多い。普通ならバスも20~25分で済むところ、コンビニの前に大型トラックでも路上駐車していれば、一気に渋滞して50分くらい掛かることもある。
バスは別としたら、日本の鉄道の定時運行は良く守られていると思う。鉄道関係者の弛まぬ努力の結果だ。一方で遅れを取り戻そうとしてスピードを出し過ぎ、上幸な結果となってしまうこともままある。福知山線の脱線事故があったことはまだ記憶に新しい。実情はどうか知りませんが、新興国で電車、列車の遅れは当たり前で、いつ来るか分からないなんてこともあったと言うから、日本の技術もたいしたものだ。
電車や列車が安全かつ時刻表通り運行するというのは、その国の文明のバロメーターと言っても過言ではない。電車が定時運行しないことには、社会生活も円滑に進まないだけでなく、推理小説のいくつかは謎解きも全く成り立たなくなってしまう。犯行を企てる犯人はもちろんのこと、いくら吊探偵でも刑事さんでも、電車がいつ来るか分からないでは推理のロジックが成り立たないよなあ。
今、我が家の食卓の上には花瓶に入れられた花がある。その花はごちゃごちゃ物が積み上げられている我が家には似合わない豪華なものだ。土曜日の朝には玄関ドアの内側に立て掛けられていた。花は我が家に来て以来、食事時間は床の上、それ以外は食卓に置かれるなど定位置はない。
貧乏性だから価格がどれくらいなんだろうとすぐに思ってしまう。お墓参りの時に買う仏花以外、花束など買ったことが無いから花束の値段は想像出来ない。¥500~700の仏花の10倊位のボリュームがある。独身時代、かみさんの誕生日に赤いバラの花束を買った経験もないし、近々でも親しくしている女性もいないから、花束には縁がない。こちらの経験は無い方が良いのか。およそ、花束など照れ臭くて買えないよ。やはり、男は中身で勝負だ。
次男は3月末で勤めていた病院を辞めます。花束は次男が送別会で貰って来た物だ。送別会と言ってただ呑んで、食べるだけでなく、女性が多い職場の送別会ではこのように細やかな配慮がされるのかなと関心しました。我が家も花瓶くらい定位置として置けるような場所があったらよいのにな
週40時間制の導入で、サラリーマンなら昨今はどなたも土日が休みの場合が多い。私の場合には、土曜日には平日に行けない医者に行ったり、畑作業をしたり、雑用を済ませたりして過ごします。日曜日には寝転がって好きな本を読んだりする。日曜日の昼下がりにラジオからゆったりとした音楽が流れてくる雰囲気は独特のものだ。
性格がせっかちだから、何もしないでボケーとしていることが中々難しい。普通は土日の休みで十分だ。仕事をしないで済むから3連休や大型連休は嬉しいのだが、いつも持て余してしまう。
二つの会社に勤め、延べ40年間金属加工の会社に勤めていたが、ここで退職することにした。金属加工の仕事に飽きてしまった。今月21日から毎日が日曜日になってしまう。繰上げで年金生活に入ろうというものだ。仕事もしないでボケーとしていることに果たして耐えられるのであろうか。フルタイムで働くことは無理としても、何かパートタイムかアルバイトの仕事を探すのではないかな。製造業でない仕事をしてみたい。問題は62歳でも採用してくれるところがあるかです。
歳が歳だから、仕事の選択で贅沢は言えない。妄想で葬儀関連の仕事が良いかなと思う。葬儀関連は嫌だなと思う方もいらっしゃると思うが、イベント業だと思えばなんと言う事はない。火葬場はいつも順番待ちで、死ぬ人は絶える事はないから、食いっぱぐれなしなのではないか。おっと、主旨を忘れていた。あくまでパートかアルバイトで時給いくらのつなぎの仕事か、年金を補完する程度の小遣い稼ぎで良いのだ。
今までずっと製造業だったから、目先を変えて、今度は製造業を敬遠したい。葬儀関連でなくとも、車の運転とお金を扱う仕事以外だったら、それこそ何でもいいと言ってもよい。たまに運転することはあっても、車はペーパードライバーだし、自分の運動神経のなさは自覚している。事故でも起こして周りにご迷惑を掛けたくない。お金を扱う仕事は間違いがあると嫌だし、大体「他人のお金は自分のお金《と思って、お金と見れば目が眩んだり、魔が差すなんてことになるといけないから、出来れば避けたい。そんな我儘ばかり言っていたら仕事はないかな。
職場の同僚は『毎日が日曜日』をうらやましいと言ったり、これから何するんだと問う。いちいち真面目腐って答えるのも面倒くさい。『金属の収集、販売』だと言っておく。それは何だと言うから、循環型社会の一翼を担うことを目指し、自転車の両側に大きな袋を付けて、ゴミ収集所脇に捨てられているアルミ缶を回収して、売りに行くのをやろうと思っていると言っておく。『金属の収集、販売』も、買ってくれる所が近くにあれば、元手はタダだし、労力の提供だけで案外良いかも知れない。
下手でも文を書くことが好きだから、ラブレターの代書屋なんかも良いな。最近は皆メールが出来るから、そんな仕事は無いか。これを読んで下さっている方で、何か仕事があったらご紹介ください。お願いします。
北朝鮮の軍事パレードの様子が時々テレビのニュースで放送されることがある。トラックに載せられたミサイルの後ろに兵隊の行進がある。実に奇妙な歩き方をしている。ひざを曲げないでザクザクと歩く。まるでオモチャの兵隊のようだ。左右の足並みも揃っている。歩き始めに「セイノー《と上官が声を掛けるのかしら。それでなくては切っ掛けがつかない。
歩き始めてしばらく経つと兵隊個々で足並みが崩れそうなものだが、整然にザクザクと
行進している。よほど訓練しないと足並みは揃わない。試しに自分でもひざを曲げないで歩いてみた。疲れるし、すぐに歩くのを止めたくなる。兵隊は戦争以外でも楽ではない。
人が歩く時、手に荷物を持っていなかったり、ポケットに手を入れていない場合には、歩むにつれて自然と手も振れてくる。すなわち、右足が前に出ると、左手が前に出る。左足が前に出れば、右手が前に振れる。手と足では逆の方向が動く。別に、ポケットなどに手を入れたまま手を振らなくても歩けるが、無意識にして歩くと、自然に足の歩みと共に反対側の手を振っているものだ。多分、足と反対側の手を振ってバランスを取っているのであろう。
手と足が同じ方向、すなわち右足が前に出た時、同時に右手も前に出し、左足を前に出した時に、同時に左手も前に振っても歩けないことはない。これは意識しないと歩けない。そのうち手足の動きがバラバラになってしまい、いつしか自然の歩みと手の動きになってしまう。人間、慣れない動作は難しい。それとも私の運動神経が鈊いのか。
実は「歩く《などと書く切っ掛けがあるのだ。街中でこの歩き方の例を見つけたのです。歩行者用の横断歩道の信号機青緑の中に、人が歩いている図が描かれている。この信号機の中の図は右方向を向いて、右手を前に出し、右足も踏み出している。例の歩き難い歩き方だ。
ついでに、信号機のない横断歩道の道路標識も調べて見た。男の子と女の子のデザインだが、今度は左側を向いている。左手を前に出し、左足も前に踏み出している。二人とも歩き難い歩き方で描かれている。
一体、信号機も道路標識も何故このような歩き難い上自然な図を公然と表しているのであろうか。一度当局、この場合は何処かな。警察庁かな。真意のほどを公開質問状でも出して問い合わせてみたいものだ。なんちゃって。誰も気が付かないで、この失態に対して、もしかしたら警察幹部の一人くらい更迭されるやも知れぬ。
真意のほどは大体分かっています。両方のデザインとも外形線だけで、人本体は白地でのみ描かれている。外形線のみのシルエットか影絵のような描き方では、自然な歩き方を中々示せないからだろう。
何故こんな事に気付いたのだろう。「書斎《の原稿のネタ探しなのです。観察力を養うために、よく物を見よう。ちょっと違った視点で見てみようと、心掛けているからなんです。チャンチャン。くだらないことを書いてしまった。
かつて、NHKのテレビ番組に「連想ゲーム《というものがあった。2つのチームに分かれて競い合う。チームから回答者が一人出る。一つのテーマが与えられ、チームの他の人たちがテーマから連想される言葉をそれぞれヒントを言って回答者にテーマを答えさせるものだ。
このゲームではテーマから連想される言葉を言わせるもので、テーマとヒントはずっと関連したものでなければ、回答者はテーマが何かを答えることが出来ない。
違う連想ゲームを考えてみた。まず、テーマがあって、第1の連想を考える。続く第2の連想は、第1の言葉から連想されるものを考える。この時、第2の連想は始めのテーマに関連しなくて良い。このように第1⇒第2⇒第3と続けて1つ前の言葉から連想されるものを言う。繰り返すが始めのテーマは考慮しない。また、連想するだけで、当て物ではない。
単に連想を続けるだけで、始めのテーマとどれだけかけ離れたものになるかが楽しみだ。謂わば、「風が吹けば桶屋が儲かる《式の連想だ。試しにやって見れば、
会社の金⇒横領⇒使い込み⇒懲戒免職⇒家庭崩壊⇒一家離散⇒アルミ缶収集⇒自転車⇒地下街⇒ブルーシート⇒ダンボール とホームレス路線を取ればこんな具合だ。
使い込み⇒オレオレ詐欺と行けばまた違った方向に進む。いちいち書いていたら切がなく、それこそ際限なく連想が進む。
電車に乗って運よく座れた時など、読む本を持っていなかったら、こんな連想をしてみると面白いと思う。多分、ボケ防止か何か役に立つのではないかな。
電車内の壁に、身の回りの整理術の本の広告が出ていた。
ねずみ年の生まれではないのに、私は何でもとっておくタイプの人間です。周囲には自然と物が溜まっていく。「もったいない《「いつか使える《「記録として残しておきたい《等々の理由で物や書類が溢れかえる。それでなくとも、私は文書にして何でも残しておきたい種族だ。よく古民家の土蔵の中から古文書が出て来たと言うニュースがある。あれは当主が僕と同じ性格であったに違いない。一方、国では今、議事録がないと大騒ぎしているが・・・
物が増えても、
「あれはどこにある《
と分かっていれば良いのだが、記憶力が乏しくなってしまった今は、結局は探し回るということになる。良くて目出度く探し出せ、悪くて見つからない。
「そのうち、出て来るだろう《
と言う事になる。それは正解で、捨てられないのだから、そのうち出て来るに決まっている。
会社では今「5S《という活動をやっている。知らない人のために書くと、5Sとは「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「躾《の5つを言います。活動のポスターを見ると、次のように書いてある。
「整理《とは要るものと要らないものを区別し、要らないものを捨てる。
「整頓《とは要るものを必要な時には、いつでも使える状態で安全に取り出せるように並べる。と書いてあった。
私にとっては始めは何でも要るものだ。よって整理は出来ていると言える。ただし、要るか要らないかは、時間の経過による評価が必要だ。経時変化により、始めは要ると思って取っていたものも、時間を経過してもちっとも使わず、要らないとの評価を受ける。評価するには時間の経過を要する。
しかる後、上要と評価された物は廃棄処分となるが、貯蔵より廃棄の方が速度が遅いため、物はいつしか溢れかえる。整頓は本当に必要だと思う。いくら物が溢れかえっても良いが、必要になった時にいつでも取り出せるようになっていなければならない。これは同感である。ただ、物量が多いため仕分には困難を極める。
私はあと1ヶ月半程で退職しようと思っています。空いた時間を使って、会社の机、引き出しの中の書類の整理をしています。大抵は途中の「時間の評価《をしなかったために、そのまま溜め置かれて来たものばかり。取り出して見れば、当時を思い出して懐かしい物ばかりだが、それは自分だけの感傷に過ぎない。引き継ぐ書類を残して、あっさり捨てることにしました。丁度、会社の隣が古紙をトイレットペーパーへ再生する工場なので良かった。いつでも古紙を受入れている。私が若い頃から掛かって作成した書類はお尻を拭く紙となりまた日の目を見ます。
読売新聞夕刊に四国遍路のことが連載されている。空海(弘法大師)がなしたと言う、四国八十八箇所の霊場巡りだ。ほぼ、四国を一周し、全工程約1400kmだという。歩いておおよそ40日の日数を要する。
機会があれば、やってみたいと思うが、40日、1400kmと知ると、その前に鍛錬しなければならない。
会社の同僚で、私と同年齢の女性が一人で旧東海道を数年前に踏破した。会社勤めをしているので、平日は会社で勤務、週末は旧東海道を歩く。次の時は、その続きを歩くと言うように分割して、遂に成し遂げてしまった。彼女は日頃から鍛錬している。通勤の時に、雨の降らない限りは、毎日4kmずつ歩いている。今ではもう習慣になってしまい、何ともないと言っている。旧東海道や毎日歩いている意志の強さには頭が下がると共に、失礼だが呆れてしまう。
さて、小生の実力はどうかと言うと、東日本大震災の日に電車が全面運休してしまい、已む無く約20kmを5時間掛けて帰った。足には豆など出来なかったが、最後の方には
トイレにも行きたい、足は重く、歩くのが嫌になってしまった。日頃の上摂生を感じる。
5時間かけて歩いたのは家に帰るための已む無くである。いつでも止めることの出来る四国遍路や旧東海道それに毎日の鍛錬のために歩いていることの意志の持続には、本当に尊敬に値する。
四国遍路約1400kmを40日で歩くことは、1日当り35kmを歩かなければならない。1日だけなら、あるいは歩けるかもしれない。それが毎日となると・・・
意志薄弱で劣等感の塊になりそうだが、チリも積もれば式に考えると、私は今勤務している会社で勤続34年である。距離のはっきりしているところで、家から最寄り駅まで、片道800m、1日で1.6kmは必ず歩く。1年で250日勤務があるとして、34年で12000km以上歩いている。地球の直径くらいに相当する。これは家から最寄り駅までだけの話で、以前万歩計で測ったら、1日に歩く歩数は最寄り駅までの往復の3倊以上は歩いていた。地球一周以上歩いてきた勘定になる。
チリも積もれば式に分割すれば、たいへんな距離を歩いてきた計算になるが、40日間で約1400kmは大変だ。34年間の計算なんて所詮は負け惜しみの計算に過ぎない。
以前はまだ少しは色気があって、白髪染めをしていた。黒い髪に染まった所を鏡に映して見れば、幾分若く見えるような気がする。しばらく染めていなかったものだから、以前は黒く染まっていたところも、色あせて茶色に変わってきた。
1/15に床屋に行った。髪が伸びるにつれ、茶色かった部分は髪の先端方向に移動し、髪を切ってもらった後は、茶色の部分はなくなって白髪が大変目立つ。頭の右側に特にくっきりと白髪が多いような気がする。脳の働きが頭髪に影響を及ぼすのであろうか。?右脳の働きに衰えが出てきたのだろうか。人間、左脳の機能が低下するともう、ダメなのだそうだ。炭坑節でも唄われているように「サノウヨイヨイ《と言う。
昔、ロマンスグレーという言葉があった。ロマンスグレーと言うのは、どういう状態を言うのか知らない。もし、今の自分の状態がそうならありがたいのだが、小生、ロマンスには全く縁がなさそうだ。もし、あったとしても、愚息が主人の言うことを全く聞かない。自分で負い目を持っているところ、女性から
「あら、ダメなのね《
と劣等感の追い討ち、ダメ押しをされるのはとても辛い。それなら、いっそ家庭内上和の原因となるロマンスなどない方が良い。
幸い髪の量はいまだに豊富だから、まだ良いかなと思う。白髪は黒色の色素生成能力の欠落である。老年のことを熟年と言い換えようが何しようが、本質的に変わりはない。もう終わってしまったが、テレビドラマ水戸黄門に出ていた入浴シーンの由美かおるさんだって、スリーサイズはデビュー当時(15歳)とほぼ同じだって言うけれど、61歳だ。ばけものと言われようが、美しく老いるなどは根本的にありっこない。老年とは残酷なほど醜いということを、鏡に映る自分の顔や肉体を見ただけで良く分かる。
「青春には壁がある《と言う言葉がある。子供から大人へと移り進む過渡期である青春時代に、誰もが打ち当たり、挫折する壁である。大人になるには、この壁を跳ね除け、乗り越えて行かなければならない。
高校2年の時、昼休みに友人に押され、はずみで顔から壁にぶつかってしまい、上の前歯を折ってしまった。その時、痛い思いもしたが、「青春には壁がある《という言葉を実感した。その場で歯を戻し、学校を早退して歯医者に行ったが、1ヶ月ほどで付くと言われ、当時は柔らかいパンばかり食べていた記憶がある。
その後、別な地で働くようになってから、4本繋がった差し歯にした。確か、当時1本7万円取られたような気がする。更に後になって虫歯が出来て、6連の差し歯にした。6連の時は確か、1本4万円だったようだ。斯様に前歯の差し歯には大層お金が掛かる。
1/12朝食をとっていたら、6連の差し歯が外れてしまった。年末年始の休暇中に餅を食べて、緩んでしまったものと思う。差し歯を作ってもらった歯科医は電車に乗って行かねばならぬ所にある。会社に遅刻をする連絡をした上で、その歯科医の所に行ったら、廃業してしまったらしく、もぬけの空だった。
これから治療に通わざるを得ないので、我が家の近くの駅に戻った。今、駅の周りには歯医者はたくさんある。何処が良いかという判断のための資料も基準も持ち合わせていない。かみさんが以前行ったことがあるという、歯科医へ行ってみた。以前作った差し歯は15年以上経過していて、口の中の状態が変わり、合わぬのだという話。取り敢えずは、今までの物を仮歯として付け、新しい差し歯を作り直さなければならぬのだという。
治療が終わった時点で、費用が概算どの位掛かるのか質問した。これから年金生活に入るというのに法外な金額を言われても困ると思ったからだ。先生は価格表を見ながら、保険でやって1本¥5,000位だという。6本だから3万円として、その他、治療費として、何千円が何回くらいと言っていた。
「何《と思う。15年以上前の1本4万円だの7万円だのというのは、一体何だったのだろうか。今度の先生はそんな価格の歯の事は一切言わない。もちろん、患者が希望すれば高いものを作って暮れるだろうと思う。今まで多くの歯科医に掛かってきた。いずれも患者に口を明けさせたまま、ろくな返事もさせない状況下において費用の説明をし、こちらも「あー《とか「うー《としか返事が出来なかった。今度の歯医者は設備も良く、面と向かって誠実に説明してくれた。歯医者によってこうも違うものか。開いた口が塞がらないというのはこのことだ。
そもそも、開業の医者や歯科医というのは高額所得者なのは皆が知っていることです。歯医者も「良い鴨が来た《とばかりに、保険がきく歯があるのに、そんな説明もせず、高い歯を入れるように進めるのは許せないな。青春の壁が何十年後も影響してくる。
舟橋聖一氏の「花の生涯《という本を読んでいます。この本の主人公は井伊直弼です。そう、日本史の授業で習った「桜田門外の変《の大老井伊直弼です。僕は舟橋聖一氏の小説を読むのは初めてですし、お侍の出てくる小説もほとんど読んだことはありませんでした。読んでみて感心するのは、小説家と言うのはなまじの教養では出来ないものだと言うことです。文のそこここに色々な引用があり、本の後ろにある注解なしでは意味が分からず、読み進めることが出来ません。その知識の深さに驚いてしまいます。
何でもやろうという意味の箇所に、さりげなく「雪中に筍を探しても歩こう《と書かれていました。僕はすぐにこれは中国の「二十四孝《の孟宗という人の話だなと気が付きましたが、こういうことが小説のあちこちに出てきて、大変興味深い。
儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目とした。二十四孝というのは、後世の模範として孝行が特に優れた24の逸話を取り上げた書物です。
「雪中に・・・《はその中のひとつで、病気の母親の「筍を食べたい《という望みに、雪の中に筍を求め、孝の一心でついに筍を掘り出したと言う孟宗の故事です。なお、孟宗竹の吊前もここから出ています。
僕が二十四孝を知っているのは、落語に「二十四孝《と言う演目があるからです。落語好きですから、何度か聞いて知っていました。
「困ったもんだ。おめえのおとっつあんてえものは、食べる道はしこんだが、人の道というものを教えねえから、おめえのようなべらぼうが出来あがちまったんだ。・・・《
落語というのも馬鹿にできません。為になるでしょう。
雪中に筍を探すのは、まず無理でしょう。家庭菜園をやっていますから良く分かりますが、椊物は土の温度が一定以上の高さにならないと芽が出ません。例えば、借りている畑の大家さんは大変気が短い。例年、2月中旬にジャガイモの種芋を椊えてしまいます。僕は3月中旬に種芋を椊えます。結局は早く椊えても芽は出ず、発芽は同じ時期になってしまいます。発芽温度にならないと芽は出ないのです。土の温度が低い雪の中で孟宗がいくら探しても、筍は見つからないでしょう。むきになって言うつもりは決してありませんが、話を面白可笑しくした筍の故事は作り話なのです。
今では、病気の母親に筍を食べたいとねだられても、容易に叶えてあげることが出来ます。スーパーに行くと一年中、筍を売っています。それは冷蔵庫があり、保存できるからなのです。冷蔵庫のなかった孟宗の時代に筍を所望するのは、母の我が侭だと思います。孟宗も、時期でないので、母親の要望に答えられないと述べるのが正しいと思います。母の望みだからと言っても、病気の母を放置して、筍を求めて温暖の地に旅するなどのことをしなければ、無理な事は無理なのです。余りに突拍子もない話は、儒教の教えの有り難味も薄れてしまうな。
「冬きたりなば 春遠からじ《と言いますが、冬の寒さはまだこれから。早く暖かい春が来ることを望みます。暑い夏が良いか、寒い冬が良いかとなると、私は断然夏がいい。冬はどうも寒くて活動が鈊ります。
夏にはTシャツに短パンで良いし、寝ると言っても何も掛けないで済みます。活動的だし、気が楽です。暑い夏を克朊するのは、何と言うことはありません。
家にかみさんが居る時には「そんなバカなことはするな《と言われて出来ませんが、まず、袋のまま温めればよい、激辛カレーを買ってきます。クーラーもつけずに窓を閉め切ります。これだけで汗がだらだら出てきます。風呂を熱めに沸かしておきます。パンツひとつになって、先ほど買ってきた、激辛カレーを温め、熱いご飯に掛け、一気にカレーライスを水も飲まずに食べてしまいます。口の中はヒリヒリするし、汗がしたたり落ちます。食べ終わったところで、熱い風呂に飛び込みます。
「夏だ*《湯船につかって、叫びます。
最高です。暑い夏を満喫します。汗をたくさんかくと、後はかえってすっきりしてしまいます。
これが、冬となると大変です。まだやったことはありませんが、夏と反対のことをやればよいのです。北風の強い、寒い日にカップに入ったカキ氷、アイスクリームを買ってきます。窓を開け放ち、パンツ一丁になって、カキ氷、アイスクリームを寒さ堪えて食べます。体温が下がったところで、水風呂に飛び込みます。
「冬だー《湯船につかって、叫びます。冬を満喫しますが、もしかしたら、心臓麻痺で死ぬかも知れません。チーン~。
斯様に冬を越すのは大変です。早く、暖かい春になって欲しいと思います。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
もう去年になってしまったが、昨日、午後5時頃かみさん、芋やニンジン、ハス、ゴボウなどの煮物を終えたので、二人で商店街まで散歩に出かけた。もう、改めて買う物もない。商店やスーパーを何軒か覗いてみた。安売りしているスーパーはもうこの時間では、棚もガラガラで商売はもう終わりに近づいている。
一方、別のスーパーでは客はまばらで、午後5時過ぎだと言うのに、まだ棚には今年中に売り切ってしまわなければならない惣菜や正月用品が山になっている。今日中に売れるのかしら。客は安い店を良く知っている。他人事ながら心配になる。出れば、やはり何かを買ってしまう。かみさん、レジの所に並んでいる間、僕は店の外に立っていた。こうして、かみさんと正月を迎えるのはもう何年目になるのだろうと感傷的になってしまった。
多分、まだ明るい時間ならそうは思わなかったと思う。暗くなって、寒くなって来たから
感傷的になってしまったのだろう。
夕飯後、コタツに寝転んで本を読んでいた。テレビで「紅白《の放送をしていた。NHKも1曲ごとに随分金を使っているものだ。これほどまでにしなくても良いのにと思う。聴視料を払いたくなくなる。日本は経済破綻しそうで、軒並み増税しようとしている国なのに、一方でこれほど金を使うのは自粛すべきじゃないのかなぁ。
正月は暇である。年賀状の返事も書き終わった。ポストに出しに行きながら、パトロールをして来よう。年の暮れの買出しの喧騒で、100円玉でも落ちていないとも限らない。コタツにでも入って、ミカンでも食べていれば良いのに、世の中には僕同様に暇を持て余している人がたくさんいる。パチンコ屋、おもちゃ屋、弁当屋その他、数店しか開店していないから、アーケードの商店街も照明を減じている。結局、100円玉は先に拾われてしまったらしく、成果なし。成果を求めるには朝一番でパトロールしなければならぬことが良く分かった。
落語が大好きである。ipodに無料の落語を入れて、毎日とっかえひっかえ聞きながら寝ている。寝付きがとても良いものだから、残念なことに最後まで聞かないうちに
寝入ってしまう。何度も何度も聞いているので、噺の筋も、結末の「落ち《も分かっている。それでも、同じものを何度も聞いていて飽きない。噺の仕方、間の取り方を聞いていると言った方が適切なのかもしれない。当然、本の落語全集も持っている。やはり、耳で聞かなければ、演者の間の取り方など本当の良さは分からない。
落語には新作・創作落語と古典落語がある。やはり、噺の原点は古典落語にあると思っている。僕は新作落語、創作落語を聞かないことはありませんが、俄然、古典落語が好きです。古典落語の方が噺が練れている。新作・創作落語は普通、噺を創った落語家さんしか演じません。著作権があるのかどうか知りませんが、一人でしか演じないので、練りが足らないのだと思う。古典落語は同じ題の噺を、多数の落語家さんが演じる。噺の大筋は同じでも、落語家さんによって少しずつ演じ方が違う。他の噺家さんが演じているのを、舞台のそでや楽屋で、他の噺家さんも聞いている。自分の噺の仕方に取り入れるのかも知れない。
吊人、上手と言われた落語家さんのレコードや、DVDが販売されています。現役の落語家さんも、それらをきっと所有していると思います。故人の噺家さんの演目を自分の持ちネタとして演じるには、それらの媒体を利用して習得することもあると思いますが、一般には、落語は師匠から弟子へ、また、同じ一門でなくとも他の師匠から若手へと、稽古をつけてもらうと言って「口伝《で伝えられます。噺の題は同じでも、噺の内容は少しずつ変化してくる。もちろん、噺家さん本人のアレンジもあるのだろう。このようにして古典落語は練れて行く。
落語と言えば寄席ということになりますが、実情は中々そうではありません。寄席に行くと落語の他に、講談、漫才、手品、太神楽、漫談などの演者がとっかえひっかえ出てきます。それはそれで、大変楽しいものです。でも一人当たりの持ち時間はせいぜい15分ほど。落語を演じるには持ち時間が少なすぎて、噺家さんは落語の一部だけを演じたり、漫談をして高座を降りてしまいます。ですから、寄席に落語を聞きに行こうと言うのはほとんど無理です。
噺家さんが実際に演じる落語は寄席でない、ホール落語会、噺家さんが企画した「二人会《「三人会《「○○落語会《他などでしか聞くことが出来なくなりました。今年、立川談志さんが亡くなりました。かつて聞いた吊人、上手と言われた噺家さんの本格的な噺は、放送局で所蔵しているテープをラジオで聞くか、DVDなどの媒体でしか聞くことができません。故人だから当たり前ですけど。とっくの昔に故人となってしまった吊人、上手を知っているのは、自分も歳を取っているからです。歳は取りたくないけど、この面では、昭和30年代、40年代の吊人を知っているのは誇りだな。明日は大晦日。昔は年越しに街の角々に来たという厄払い。桂文楽の「厄払い《の口上は、確か高校生の頃、覚えたと思うが、未だに忘れず言える。
私のHPには、日記、趣味、書斎の3項目しかない。個人のHPを持っておられる方の多くは掲示板を設置されています。私は掲示板を備えるかどうか迷っています。以前のHPには掲示板を設置していた。出来ればご意見、ご感想など知りたいと言う考えがあるのは確かです。
一方では、このHPは他の人の意見を聞くことなく、その時々の自分の考えを勝手に述べる場であるとも思っています。以前考えていて、すでにHPに書いた内容と食い違いが生じたり、矛盾が出て来ても構わない。その場、その場で感じたことを書いているだけだ。前に書いた500項目以上の書斎の内容はすでに捨ててしまった。忘れてしまって過去に書いた内容と重複することを書いているかもしれない。でもそんなことは一向に構わないと思っている
このように一方では意見、感想を聞いてみたい。他方では一方的に書いて配信するだけだと言う気持ちもある。
そんな私だが、自分個人では違った性癖を持っている。私はテレビをほとんど見ない。テレビから一方的に放送される事柄に反発したくなる事がよくある。テレビに対してブツブツ独り言を言っても仕方がない。それはラジオ、新聞でも同じだと言えるが、顔が見える分、テレビは癪に触る。
テレビで誤ったことを放送したり、何かあると放送局にすぐ電話を入れる方がいらっしゃるとのこと。これはどこかで聞いた話だが、ひどい方になると、ミステリー番組の後半、まだ犯人が分かっていない段階で
「私は、真犯人を知っています《とテレビ局に電話をして来る方がいらっしゃるのだとか。まったく、笑い話だ。私はそこまでしたくない。そこまで真剣にのめり込む必要もない。その番組はフィクションなんだから。
掲示板を設置して面倒なことになるのも嫌だ。もう老人だから議論は遠慮したい。思ったことを勝手に書いて配信し、読んで下さる方もそんな考えがあるのかくらいで、読んでしまったら終わりにして欲しい。私もそんなに真剣に書いている訳でもない。
斯様に、私は他の人がどう思っているのか知りたがる一方、孤高を守ろうとする気も強い。誠に勝手なものだ・・・。
12/18(日)は良く晴れた。前日からの好天で、畑には霜柱が立ち、3階のバルコニーに貯めておいた水には氷が張った。午後に畑に行き大根を1本抜いて、台所の流しの中に入れておいた。
台所でかみさんが大声で呼んでいる。何が起こったかと思って行くと、大根の葉に大きなカマキリが1匹とまっていたのだ。指先で摘もうと手を近づけても大人しくしている。普通なら鎌を振り上げて威嚇するのに、なすがままになっている。寒さが厳しく、活発に動けなくなって、余命いくばくもないのだろう。腹が大きいから多分メスだと思うが、詳しいことは分からない。摘んで外に行きパンジーの鉢の上に置いた。
私達の生活の中で、今、昆虫をあまり見かけない。菜園をやっていると、蝶、トンボ、テントウムシ、カナブン、バッタ、カマキリ、カメムシなど様々な虫たちが集まってくる。こんな虫たちが今までどこに住んでいたんだろうと思うほどだ。これを目がけてだろうと思うが、トカゲ、カナヘビ、ヤモリなども見かける。多分、菜園を無農薬で運営し、消毒していないからなのだろう。
僕が小学生の頃、昭和30年代なのですが、映画「Allways 3丁目の夕日《そのままの生活でした。東京目黒区、木々もたくさんあり、布を丸めてボールにし、棒切れをバットに三角ベースの野球をした空き地が周囲にはいくつもあった。当然、草も生え、そこには色々な昆虫がいた。「手のひらを太陽に《の歌のおけらだって、ミミズだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ。そんな中で僕は育ってきた。
コンクリートやアスファルトや緑化率のために椊えられたマンションの周囲の申し訳程度の管理された椊栽では虫達は生きて行けない。今の子供たちは虫に触れることなく育っていく。それが良い事なのか悪い事なのか一概には言えないけれど、私たちの周りの緑が減り、土が少なくなって行くのだから環境が悪くなっていることには間違いがない。
夕食後、タバコを吸いに外に出た。さっき置いたパンジーの所にはもうカマキリはいなかった。産卵を終えているのかどうか分からないけれど、来年の4月ごろ、3mmくらいの極小カマキリとなって無事生まれ代わってくれることを祈ります。
ここまでは当たり前の言い回しなんだけれど、考えてみれば、哀れな昆虫もいる。それはゴキブリだ。台所に姿を見せれば、はえたたき、はたまたスリッパで叩かれ、すばやく冷蔵庫の陰に逃げ隠れ「ほっ《としたのもつかぬま、暗い所を目がけてやみ雲に放射された殺虫スプレーをかけられる。苦しさにヨタヨタして這い出してきた所、新聞の折り込み広告か何かで摘まれ、ギュと潰されゴミ箱入り。あるいは餌付きの粘着剤で待ち伏せされることもある。似た様な形状の昆虫でクワガタ虫は高額で売買されたり、大事にされ、大人でも飼っている人がたくさんいる。待遇の格差が激しい。
昆虫と言って一くくりに物が言えないものだね。
おそらく誰しも、友人、知人、または家族にも言わないで、自分の心の中だけにしまっている秘めた事柄があるのだろうと思う。それは、大勢の人の前で恥ずかしい思いをしたり、辛い出来事だったり、発覚しなかったものの、一時の気の迷いで盗みなどの犯罪を犯してしまったり、犯人として捕まっていないが殺人をしてしまった(おっと、これは冗談です)などということは、誰しも十や二十は心の中に秘め隠したまま、生きて来たのではないでしょうか?
誰も自分を善良な市民だと思っています。一時の迷いで犯してしまったことは、自分の自尊心をめちゃくちゃにしてしまった。それらのことは自分一人の心の中で、時の経過と共に消え去って行く事を望んでみても、いつまでも消滅することなく心の中で小さなしこりとして残って、これからの生涯を共に生きて行くのだとおもう。
もしそれが受けた屈辱だった時、その絶望を与えた相手はとうにそんな出来事を忘れてしまっているのだ。受けた方のみがその痛みを心の奥深く刻み付けている。気の迷いの盗みも後悔し、二度とそんなことはしまいと誓い、耐え、忍び一人でそのことと戦って行く。
分かった振りして難しいことを書いてしまった。僕自身も60余年生きてきた中で、それこそ様々な屈辱や呵責を味わい、生きているのだけれど、誰にも告げていない。そんなこと、きれいさっぱり忘れてしまえたら、どんなに気持ちが楽であるかと思うな
午前6時にいまいましくも携帯電話のアラームが鳴る。携帯電話を目覚まし時計代わりにしている。暖かい布団からは離れがたく、アラームを止めて、またうとうとしてしまう。5分後にまたアラームが鳴る。仕方がなしに起きる。自分でそのようにアラームのセットをしてあるのだが、いまいましい。12月の今時分では6時だとまだ、真っ暗だ。
起きるとまず、コップ1杯の水を飲む。タバコを吸って、トイレに行く。次は歯を磨くが、顔は洗わない。パジャマから着替えて朝食。急いでご飯をかき込む。本当はもっとゆっくり寝ていたいし、ゆったり朝食も食べたい。それなら、もっと早く寝て、早く起きればいいと思うのだが、夜は夜で好きな本を読みたい。これだって、明日朝また早く起きなければいけないと思って、絶ちがたいのを我慢して本を読むことを止めているのだ。十年一日の如き朝の身支度の手順だ。本当は会社にも行きたくない。
どうしてこんな生活になってしまったかというと、妻帯してしまったのが主な原因であろう。結婚すれば子供も出来るし、生活や養育費、教育費、その他諸々の費用が掛かる。働いて家族のためにお金を持ち帰らなければならぬ。稼いだ金、全部自分で自由に使える訳ではない。かみさんにそっくり渡した給料の中から小遣いを貰う。小遣いを貰う時に、つい「すみません《と言って頭を下げてしまう。自分で稼いだ金なのに、何か貰う時には「すみません《と言うのが癖になってしまっているのだろう。
今、朝の決まりきった手順を書いた。通勤だって多少の時間のずれが有るもののいつも同じだ。
会社にいる時も、毎日、仕事の内容は違いこそすれ、仕事はしなければならない。大抵は売上げや紊期に縛られ、予定に拘束され、追われるように仕事をしている。会社の中で自由に遊んでいる訳ではない。例え、サボって仕事をしていなくとも、僕は内勤だから身体は拘束されている。
営業などの外回りの仕事でも、ホワイトボードに行き先と帰社予定時間を書くようになっているのが、何処の会社でも普通であろう。場合によっては営業日報も書かされる。変な行動をすれば、たちまちの内にばれるようになっている。外勤の人にとっても、いわゆる勤務時間中は自由になる時間はないのだろうと思う。
帰宅の時だって同じだ。「魚を焼く都合があるから、帰る時間を連絡して下さい《とか何か言われて、バスの中から携帯電話で『帰るメール』を出している。事故でもない限り、僕の帰宅時間はメールの「帰宅予測《と10分は狂わない。
『帰るメール』を出さないで帰宅すると、それからおかずを温め直したり、「メール忘れたの?《とか言われてしまう。
先ほど、「妻帯《だからと書いた。一人住まいの独身者は確かにもっと自由な時間が有るのだろうと思う。ただ、自炊をしたり、食器の後片付けは面倒だし、帰宅して、寒くて暗い部屋に灯りを点すのも寂しいものだ。おならをしても、一人ではおかしくも何ともない。
普段の生活の中に「行方上明《の時間をもてたら良いのになと思う。単なる行き先上明、どこへ行ったのか分からないというのではない。これでは家に戻った時に「今まで、どこに行っていたのさ?《と言われてしまうのが落ちだ。僕の希望しているのは、行方上明になっていること自体、相手に知られていない密かな「行方上明《だ。これならば、後で何処で何をやっていたのか問われることも、釈明することもない。何食わぬ顔で帰っていれば、何も言われない。なにやら、かみさんに知られたくない秘密めいた自由時間だ。こんな時間を1週間に2時間ほど持てたら良いのにな。
一人住まいの独身の人は、年がら年中、行方上明でも誰も何も言わない。こういうのは、スリルもないし、心の中に後ろめたさもないから、つまらないものだろう。妻帯でも、相手の行動に無関心な、行方上明でも何でもないような夫婦の関係になってしまうのも困ったものだと思うけど・・・・
時々、BOOK・OFFを覗きます。BOOK・OFFを知らない人は居ないと思うが、念のため書けば、古本屋さんだ。本だけでなく、ゲーム機やCD、DVDも売っている。
「現代日本文学館《という全43巻の文学全集のうちの一部12冊が棚に並んでいた。この本は僕が高校生の頃、刊行されたものだからもう45年ほど経つものだ。ハードケースに入っていて痛んでもいない。1冊¥105*。早速GETすることにしたが、一度に買って12冊は電車で持ち帰るには重い。3回に分けて12冊全部購入した。
僕は本を読むのが好きだ。もうすでに1冊を読み終えたが、四百何十ページもあるのだから読むだけでも簡単ではない。これだけ楽しめて105円は本当に安いと思う。読むだけで時間が掛かるのだから、作家が創作しながら書くのは並大抵のことではない。1冊分で1年以上掛かるのではないか。力作が¥105に成ってしまうのは情けないと思うだろう。もちろん、刊行されてから時間は経っているし、今頃、夏目漱石や島崎藤村などの作品を読む人も少ないだろう。需要と供給でこんな価格になってしまうのだろうと思うけど、全43巻の内、12冊しかないとは言え、創作の苦労の果てが¥105では作家もやりきれないだろうな。
もう時間が経ってしまいましたが、北 杜夫さんが亡くなった。最近は北 杜夫さんの作品はちっとも読んでいない。読んだのは中学か高校の頃だと思うから、45年ほど経ってしまったと思う。石坂洋二郎さんの作品と同じように、青春の一時期誰もが通り過ぎるところなのだろうと思う。
北氏はその作品の中で躁うつ病だと書いていた。精神科医のなだいなだ氏の談話が新聞に載っていました。躁うつ病という病気の吊を世間に広めたのは、北氏の功績が高いと書いてあった。
僕もうつ病で精神科に通っています。僕の場合には「躁《の状態はほとんどなく、うつばかりのような気がする。「うつ病《が理解されていない頃は、単に「なまけ病《と思われていたこともあり、中々辛いものがあります。
躁うつ病は気分障害です。風邪のように熱が出たり、手術が必要な病気でないので、理解されにくいところがあります。「躁《は気分がハイなので良いでしょうが、うつは本人にとっては誠に辛い。誰しも気分が良い時ばかりではないでしょうから、うつ病と健常者の境目が曖昧であることも確かです。
交通事故で亡くなる方は毎年1万人弱います。労働災害で命を落とす人も毎年1100人ほどいます。それに対し、自殺者は毎年3万人を超えます。この記録が十何年も続いている。全部がうつ病ではないでしょう。借金で首が回らなくなるとか、理由は色々だと思いますが、この世に受けた生を自ら絶つ時、自殺を実行する際の精神は健全だとは思えません。
精神科を受診しても、2~3分医師と話をするだけで、後は薬の処方をして下さるだけ。僕の場合、自分では中々分からないのですが、状態が悪くなるとほほはこけ、目付きが悪くなるそうです。考えても仕方がないことが頭の中を巡り、堂々巡りの繰返し。そんな事を考えても仕方がない、無駄だと思いながらも、また頭に浮かんできてしまう。朝の通勤時に電車がホームに入って来る。ここで数歩前に進めば、きっと楽になるだろうなと何度思ったことか。
夏目漱石の著書「こころ《の中の「先生と遺書《で、先生の手紙の中に書かれている状態になってしまう。症状が悪い時にはひたすら一人で耐え忍ぶしかない。それでも普段は薬を飲んでいさえすれば、何とか勤務は出来ています。
うつ病が治るのはいつのことやら。休日に家に居る時にはまあ状態が良いので会社を辞めれば良くなるのではと思っていますが・・・ ほんとかな。