今日あったこと、日常の出来事、読んだ本など身近なことを書いていこうと思います。
昨夜、落語会に行って来ました。出演の噺家さんは『 立川晴の輔さん 』と、お弟子さんの『 志の麿さん 』。それと、色物は『 江戸曲独楽の三増 れ紋さん 』の3人でした。
曲独楽は真剣(?)の刃の上を這わせたり、扇の上で回すなど独楽を使った伝統的な芸であります。独楽の芸人さんは全国でも10人くらいしか居ないそうです。独楽はふつう紐を使って回すことが多いですが、曲独楽に用いるものは『 振り独楽 』と言って、紐を使わずに回転させます。注文生産のとても高価な独楽なのです。落としたりすると芯が狂ってしまい、修理しないと使えなくなってしまう。
ジジイはかつて、江戸東京博物館に独楽の芸人さんが来ていて、振り独楽の回し方を伝授して頂いて、多分今でも回すことできると思います。当時、芸人さんも素人の僕に大切な商売道具を使わせたものです。落としたらもうパ一なのですから。
『 志の麿さん 』演目は『 真田小僧 』、『 晴の輔さん 』は『 死神 』でした。『 死神 』の方は暑い時期ですから、怪談に近い噺なのでしょうかね。
川崎市の教職員互助会の主催の落語会でしたが、どうもテレビ番組の「笑点《に出演なさっているメンバ一を演者に選んでいるようです。
いつもそうですが、観客の方々はとても大人しい。会場の雰囲気を和ませ、噺家さんもやりやすいように、晴の輔さん登場の際に『 待ってました!龍角散ダイレクト! 』と声を掛けました。僕の声は大きくて通る声をしているのですがね。拍手に打ち消されてしまったかも知れません。今回はクリ一ンヒットではなかったかも。声を掛けるのにも、タイミングが大切。
なにか見たり、聞いたり、読んだりすると直ぐに影響されてしまう。ジジイなのにしっかりとした『 芯 』が一本確立されていないのか、知らなかった情報を得て直ぐに吸収できる『 若さ 』をまだ持っているのか?
昨日、『 決断する力 』(猪瀬直樹著 PHPビジネス新書)を読み終えた。改めて書く必要もないが、著者は石原都政の時に副知事を務めていた方だ。
2011年 東日本大震災の際、首都圏では交通網は停まってしまい、帰宅困難者が溢れ、通信が集中して固定電話、携帯電話もメ一ルも使えなくなってしまった。私も携帯電話はもちろん、メ一ルも使えず、勤め先から25kmほど歩いて帰って来たことを思い出した。次の朝は確か歩きでなく、チャリンコ通勤したっけ。
その時、猪瀬副知事はSNS、この場合は Twitter を使った情報収集・発信、即断即決にと、大いに役に立った例が書かれていた。
今、SNSの良い面、悪い面が盛んに言われています。折角の良い機能も悪いことに使われては影響も大きいし、残念だ。
SNSではありませんが、我が家の固定電話も常時『 留守番設定 』にしてあります。折角の電話と言う便利な機能も、特殊詐欺と言う悪事に使われるようになると、自衛手段で防御せざるを得なくなります。大変迷惑しています。(我が家にも留守電のメモリに詐欺の伝言が入っていました)
『 決断する力 』を読んで、Twitter も Facebook も一時期よく覗いていたことを思い出しました。(今は両方とも違うなまえに成っているんですよね)。少なくとも今年は Twitter に一度もアクセスしていませんでした。 Twitter に最後に投稿したのは2024年の1月でした。 Facebook にもときたま知人のなまえを見掛ますが連絡を取らずにいます。今さら過去のしがらみを掘り起こしても仕方がないことです。
電話もメ一ルも繋がらなくなってしまった時、SNSも情報収集・発信の一つにに使えること再認識しました。以前のように話題を見付けて、 Twitter に投稿してみようかなと言う気に成っています。自分でも普段から触れていないと、いざと言う時に役に立たない。
世の中、今週が何処も『 お盆休み 』のようです。僕なんか毎日が休日だから、特にお盆だからと言って何か行う訳ではない。子供の頃、セミ取りに行こうとすると、『 お盆だから止めなさい 』と言われたものです。今は遊びの種類が多いから、虫取り網を持った子共すら見かけない。
お盆は3回ある。7月中旬のお盆。今は『 月遅れのお盆 』である。よく、間違えて『 旧盆 』と言う人がいる。『 旧盆 』は別にあります。今の時期は『 旧盆 』ではありません。今年は9月6日が『 旧盆 』であります。カレンダ一に書いてあるから確認しておいて下さい。大人の常識としてよく覚えていた方が良い。
僕がここで『 お盆が3つある講釈 』をしたからと言って、僕のHPを見て下さる方など、ごく限られている。相も変わらず『 旧盆 』と云う方はたくさん居ると思う。講釈を言ったところで流れは変えられない。そんな時、『 独擅場(どくせんじょう)』と言う言葉を思い出す。『 独擅場 』を『 どくだんじょう 』と誤って読んでしまった方がたくさん居た。『 多勢に無勢 』ですね。それで、『 独壇場 』と云う漢字すら出来あがってしまった。『 手へん 』と『 土へん 』の違いだけ。 昔、『 それでも地球は回っている 』とコペルニクスは言った。後に地球は回っていることが解ったけど、『 どくだんじょう 』は覆られないだろうな。以前、NHKのアナウンサ一は『 どくせんじょう 』と言っていた。念のため
お盆だからと言って、都会では特に先祖の供養をしている様子もない。まとまった休日の口実にしているに過ぎない。亡くなった先祖の方がお盆の時期に家に戻って来ると言うことになっています。花屋さんの店先に行けば、『 おがら 』やその他のお盆の用具を売ってはいます。路地裏に行っても、キュウリやナスに足を付け、馬や牛を付けて『 迎え火 』や『 送り火 』を行った痕跡など全く見掛けなくなってしまった。
ご先祖様がキュウリの馬に乗って早くやってくるように、ナスの牛に乗ってゆっくり戻られるようにと言うのだ。『 十万億土 』と言うとてつもなく遠くから旅して来られるのだから、来るのも帰るのも大変遠い。
お盆明けが近付いてくると、どのテレビ、ラジオでも決まりきった、使い古された言葉を言う。『 お盆休みをふるさとや行楽地で過ごしたご家族連れが一斉に移動します 』。子供連れの親子が新幹線ホームにいる姿や、首都に向かう高速道路の渋滞状況が映し出される。 『 お盆休み 』を『 ゴ一ルデンウィ一ク 』や『 正月休み 』に変えるだけで、いつもどの放送局も同じ言葉を使う。 手垢の付いたことばかり言っていないで、何か違う言葉考えろよ。
今年の春先にホ一ムセンタ一で『 巨大朝顔 』、『 白色夕顔 』、『 ミニカボチャ 』のタネを買った。朝顔はなるほど、大きなピンク、白い縁の付いた淡いピンク、紫の3種の花を付けた。ミニカボチャもプランタ一に合計6株と成ったが、今のところ5ヶ収穫し、3個は現在進行中で生育中であります。
白色夕顔は過去に2年育てたことがあり、今年で3回目です。夜間に咲くちょっと変わったタイプの花なのです。ツボミの段階では、普通の朝顔の3~4ばいの大きさになります。これが中々気難しくて、機嫌が悪いとツボミのまま咲かずに枯れてしまうのです。
過去の例だと、7~8月にはまったく咲かず、9月になってやっと咲き始めたこともあります。昨年は夕方になって噴霧器を使って、葉に水をかけて冷却を試みましたけれど、機嫌を直してくれませんでした。3年間お付き合いした結果、暑過ぎるとツボミはつけるけど開花まで至らない性質なのではと、結論付けています。
昨夜は台風9号の接近で、雨交じりの強風が吹き、いつもより夕方から夜間の気温が下がったのでしょう。パッと全開ではなかったようですが、まあ全開から見れば6分くらいの割合で3つ咲いてくれました。中々気難しい花なのです。でも咲いてくれればとても嬉しい。
何かもっと『 良い生活をしたいな 』とつくづく思う。僕にとって、ここで言う『 良い生活 』はもっと広々とした豪華な家に住みたいとか、もっと美味しい物を食べる、もっとよい衣類を着る、旅行に行って良い宿に泊まる、『 あれが欲しい、これが欲しい 』と言うようなことではありません。今更、そんなモノ望んだところで叶う筈もありません。
僕は年金生活で、働いていません。風呂の掃除やら、食後の食器洗いなどの家事のほんの一部はやりますが、そんなものはどうと言うことありません。ボケ防止に毎日数時間は必ず机には向かいます。そんなことは僕の好みの問題、個人的なことで、日常生活に困るような病気をしている訳でないのに、毎日単にブラブラしているだけ。全くの『 無為徒食 』なのです。
ここのところ、HPの更新も滞りがちです。毎日危険なほど暑い日が続いています。熱中症になる虞があるから、用事がなければふ要な外出はするなと言う。家の中にばかり居たのでは、何か書くネタもないよ。朝起きてご飯を食べて、クソして寝るだけの生活していたら、今度は『 認知症 』になってしまうわナ
今は持て余している『 時間 』も、壮年期は『 もっと時間が欲しい 』と思っていた。時間は子供にも、若い人にも、働き盛りの壮年期の人にも、そして僕ら老人にも平等に与えられている。
時間は無駄遣いしても何も残らない。時間は貯蓄も出来なければ借金、翌日への繰り越しも出来ない。使い方に拠ったら財産のようなものだが、大抵の人にとっては、『 あの時、もっと(勉強、仕事など)やっておけば 』と嘆く日が必ず来る。
僕にとって『 良い生活をしたいな 』と思うのは、心臓病の持病があるから、きつい仕事は出来ないし、若い人のように機敏には動けないけど、他には体が動かないところもないのに、毎日ブラブラしてばかりで、『 時間を有効に使えていない 』と申し訳なく思っているからなのだろう。
『 梅雨明け十日 』という言葉がある。梅雨が明けてから十日間は良い天気が続くと言う意味だが、昨今は殺人的な猛暑だ。ジジイのような老人には、暑さにはもううんざりだなぁ。
この暑さの中、ショ一トステイのため、長男を支援施設に連れて行かねばならない。支援施設は最寄りバス停を降りてから、急な坂道を登って行かなければならない山の上にある。ほぼ毎月、今までにもう何十回も登ったり、降りたりしたことか。
山の上をくまなく探検した訳ではないけど、私が知っている範囲では商店もコンビニもない。私は1回/月だけど、この近くにお住いの方は、それこそ毎日のように買い物やら通勤、通学で山登りをしなければならない。歳を取って、運転免許証を返上した後、どうする気なのか? 他人事ながら心配してしまう。家を買うのは一生に一度か二度の事なのですが、余程、場所も考えた上でないと、『 終の棲家 』とするにはキツイ。
対向車が来たら、車の底が見えるような、長さ100m以上ある坂を、ジジイも休み休み登り切った。この猛暑の中、日影もなく登り切ったら、Tシャツは汗びっしょり。これから何度登れることやら、ジジイの『 衰え具合を測る目安 』になるに違いない。もちろん冬場となれば、少しは気が楽になる。
昔の話だが、暑い地域では何もやる気が起こらない。どうしても、生活が怠惰となる。ヨーロッパの国々がアフリカ、アジア、南米の国々をしょく民地としたことがある。文化や文明にも暑さ寒さが大いに関係があることが推測される。関係ないことを書いてしまったようだけど、事実だろう。
我が家は子供たちが通学路として使う道路に面している。今日は『 参議院選挙の投票日 』である。選挙の投票日と言うと、投票に向かうであろう人々が三々五々通る。今は午後2時ちょっと前、この暑さでは小学校まで投票に向かうであろう人は全く見られない。投票率は低くなるのかなぁ? こうなると、創価学会会員が必ず投票に行く公明党など、必ず投票する計算できる党が有利になるのか? ちなみにジジイは暑さを予想した訳ではないが、期日前投票でもう済ませてある。
ここのところずっと、『 中学生までに読んでおきたい日本文学 ①~⑩ 』、『 中学生までに読んでおきたい哲学 ①~⑩ 』(あすなろ書房)と言う本を、図書館に行くたびに2冊ずつ借りて来て読んでいる。本の中身はおおむね短編の集合である。『 中学生までに読んでおきたい 』という言葉に騙されてはいけない。
本に載せられた短編のレベルはとても高い。入念に読まないと書いてある内容すら理解できない。本に収められた短編の大半を読んだ経験がない。ジジイはろくな中学生活を送っていない劣等生だったのであろう。
『 中学生までに~ 』と書いてあるから、次のような配慮がされている。
① 小学5年生以上で習う漢字にはルビがふってある。
② 詩などを除いて、旧仮な遣いはほぼ現代仮な遣いに直してある。
③ 難しい言葉に対する脚注がとても充実している。
正直に言えば、こんな言葉の意味も知らない中学生が、脚注によって単語の意味だけ知っても文章を理解できるのかな? と思ってしまう。それだけレベルが高い。元々中学生向けに書かれた作品ではない。題めいのせいか、図書館でも小学生、中学生向けの書籍のエリアに所蔵されている。大人が読むのにも十分適用できるような内容の本です。全部で20冊もあります。出来れば読み終えたい。
明日(7/13)がお盆の入りなのだが、連日の猛暑も今日は曇っていて、暑さも一休みと云うようなので、目黒線ふ動前駅下車で墓参りに行ってきました。目黒ふ動尊周辺は寺の町で、墓に供える花を持った方に必ずと言って良いほど巡り会います。
帰りには目黒ふ動尊に寄ってお参りもして来ました。広い境内には樹木も多く、セミが盛んに鳴いていました。私の耳に住み着くセミは一定鳴くだけですが、本物のセミは鳴き方に抑揚があり、やはり迫力が違う。
今日の朝日新聞、土曜日版『 be 』に漫画家の東海林さだおさんの ”セミ、トンボ 他、夏の虫 ”に関するエッセイが出ていた。私も小学生の頃は夏休みに盛んに『セミ取り』をしました。今と違って他に遊ぶものも無かったのでしょう。
子供と云うのは、残酷なものであります。小学校も高学年になると、パチンコ(Sling shot Y字の物にゴムを付けた物で、小石を飛ばす遊具)を使ってセミを狙った。セミ取りと云うより、セミ殺し。小石が命中すれば、それまで気持ち良く鳴いていたセミは一瞬にして砕けてしまう。
当時は小石を飛ばしても、人や人家がない場所がたくさんあった。今そんな事をしたらたちまち通報されてしまうであろう。実は私、その Sling shot を自作して所持している。工具のプライヤーの握り部分と木材の破片を使ってY字部分を作り、ニスを塗って仕上た。ジジイがそんな子供が使う遊具でお咎めを受けたら、外出も出来なくなってしまうだろう。自家製 Sling shot の性能を試す機会も場所もジジイの腕前を確認することも無く、ずっとしまったまま置いてある。バカなジジイである。
新聞に書いてある記事について、言葉尻をとらえて言っているのかも知れません。また、自分を信じて『 関税について 』調べ直しもせずに書いています。もし間違っていたら、ゴメン。
『 対日関税交渉 』が中々決まらないことに、トランプ大統領が痺れを切らして、『 日本については、30%か35%、あるいは我々が決める数字を支払ってもらうと伝える 』と今日の新聞朝刊に書いてあった。
『 本当かよ?! 』私が言いたいのは、『 支払ってもらう』と書いてありますが、『 関税による上乗せ価格は誰が支払うのか 』と言う事なのです。 支払うのは米国の消費者が負担するものだと思っているのです。
仮の話で、業者の手数料や利益がゼロだとして考えます。日本の会社から100ドルの商品を輸出しようとします。米国の輸入業者は、品物と引き換えに、日本の業者に100ドル支払います。利益を考えませんから、米国の輸入業者は消費者に販売する時に、関税分を上乗せして、130ドルとか135ドルで販売しなくてはならないのです。それが関税だとずっと思っていました。
消費者にとって今迄、100ドルで買えた物が、関税によって130ドルや135ドルになるのです。余程欲しい物で無い限り、米国の消費者は買い控えるようになってしまう。米国消費者も買いたいのに買えなくなってしまうのです。日本の会社も売れなくなって、輸出が伸びずに困ってしまうのです。
ちなみに、関税で上乗せされた30あるいは35ドルは米国の国庫に入るのだと思います。現実に、利益や手数料、あるいは中間の流通業者などあるでしょうから、価格はずっと上がって皆さんが苦しむのだろうと思っています。時代に逆行した政策なのではと思いますけどネ
箱根に行って来ました。箱根はもう何十年ぶりでしょうか。僕らの歳になると、自分で旅行のプランを練ったり、交通手段を考え、乗車券の手配など、もう面倒くさくてできません。例によって読売旅行会のお世話になって、添乗員さんの持つオレンジ色の旗を目印に、ゾロゾロ付いて行くしかありません。
画像は『 箱根ガラスの森美術館 』の庭園部分の一部を写したものです。建物の中には精巧に加工されたガラス工芸品・芸術作品が展示されています。画像をちょっとだけ解説すると、アジサイの花の部分のほとんどはクリスタルガラスで出来ています。全部ではなく、中に本物の花も混じっております。
小田急線箱根湯本駅辺りからは、毎年のテレビで見慣れた、正月の『箱根駅伝・5区』のコ一スに沿って走ります。こちらは大型バスに揺られてゆったり登って行きます。このコ一スを日頃練習しているとは言え、学生が延々と続く登坂を走って行くとは、『 こりゃ、拷問だな 』と思った次第。後ろからは『 陸上部(駅伝部)の監督 』が伴走車に乗りスピ一カを使って叱咤激励し、全国で何千万と言う人達がお屠蘇気分で『 視線のムチ・アイ・ビ一ム 』を振るっているのです。選手は苦しくて、口から心臓が飛び出しそうになっても、足を止めて休むと言う訳にも行きません。この責めは拷問と言う以外譬え様がありません。
しかも、駅伝部の部員諸君は、どなたも艱難辛苦の山登りの5区を走って『 被虐の喜び 』を味わいたいのだと言うのですから、これはどうも驚きで、駅伝部は倒錯の世界の集団なのか?!
そんなことを考えながら、冷房の効いたバスに乗って、『 ここが、大平台のヘアピンカ一ブだな 』と想いながら、爺は気楽に揺られて登って行きました。『 左脳 ヨイヨイ 』だなこりゃ
今日も、とてつもなく暑い。その暑さを少しでもしのごうと、グリ一ンカ一テンで日陰を作ろうとしている。今年はプランタ一にミニカボチャをうえ、ネットに這わせてカ一テンを作ろうとの目論見である。
カボチャやキュウリなどは雌雄で花が別々なのである。当たり前だが、雄花だけでも、雌花だけでも、花が咲いても実は付けない。花の数では雄花の方が圧倒的に多く、雄花はせっかく咲いても本来の役を演じる機会もなく、悲しい運命をたどる雄花が多い。
3階バルコニ一で、昨日雌花が1個、今朝2個咲いた。本来なら虫が来て、受粉の運びとなるのだが、受粉を確実とするためにジジイが仲介している。
そのうち、3人家族が食べるには1個で丁度良いほどの大きさの実がなる筈である。
いつからなのか、確とは分からないのだけれど、皮下に何かが集中し、局部的にコブのような出っ張りが出来ていた。ほとんどは痛くも痒くもなく、放っておいた。主に右半身に多く、稀に左側にも出て来るようになった。
あまり多くあるので、6/3 最寄り駅前の形成外科に行って診察を受けた。医師曰く、『 良性の脂肪種であると思うが、切り出して病理検査をしてみないと分からない。紹介状を書くから、提携している日医大の形成外科に行ってはどうか 』と
その日に電話連絡して日医大に行き、CT検査、超音波検査、感染症対策の血液検査を行った上、手術日程を決め、本日、手術の運びとなった。
朝から晴天の絶好の手術日和である。そんな手術日和などあるのかよ。とにかく朝から猛烈に暑い。行く先々でなまえ、生年月日など繰り返し確認を受けておよそ、予定時刻より10分ほど遅れて手術開始。執刀は若い女医さん一人である。右上腕内側のしこりを取り除くのであるから、部分麻酔である。
人によっては、切開の模様など見たくないと言う方もおられようが、ジジイは手術の様子をずっと見ていた。切り口から脂肪の塊が直径10mmほど、高さ5mmほど顔を出しているが、その先が中々進展しない。そののち、ゴチョゴチョしていたら、長さ25mmほどのプヨプヨと思われる脂肪の塊が掘り出された。(プヨプヨはジジイの推測) ブヨブヨのモノはその後、良性か悪性か判定され、抜糸の日にジジイに通告される。一箇所だけ調べただけで、その他大勢の塊も同様であろうとの判断が下されるのである。
私が自分の皮膚の上から想像していたよりもずっと大きな塊であった。今日取り出した部位は私の身体に出来ている皮下の塊では、大きさで言えば5~6番目くらいのものである。1番大きなものを取って頂いたら大変な事になっていただろう。この部分を選んだのは、唯一触ると痛いからである。
僕は肉の脂身が好きなのです。鳥のササミなど油っ気がなくどこが美味しいのかと思っている。皮のすぐ下の黄色い所が美味しい。すき焼きをする時にも、最初に脂身で鍋に油を引く。最期に残ったあの脂身が好きなのです。そんなものだから、脂肪種が出来てしまうのか? 裕福な方はそんな所は取り除いて食べない。貧乏人丸出しだ。
手術している最中に、おとぎ話の『こぶとり爺さん』のコブも脂肪種なのか聞いてみたら、恐らくそうであろうとの回答でした。女医さん、きっと『 こっちが真剣に仕事しているのに、全くうるさいジジイだね 』と思っていたに違いない。
手術終了後、抜糸予定日を決め、代金払って帰って来た。今のところ工事をした部分は痛くも痒くもない。ただ、この猛暑で汗をかいたのに、今日は入浴もシャワ一もふ可。シャワ一のみ明日からOKとのこと。受ける前はふ安だったけれど、やってみてしまうと何てことはないね。人生の出来事もやってしまえば、それほどでもないことが多い。人生訓のようなものでした。
横浜と言うとすぐに港町を思い浮かべてしまうのは、頭が固くなってしまったか、想像力の欠乏・貧弱さの証拠。『 横浜と言っても広うござんす 』なのであります。横浜市営地下鉄ブル一ラインの “センタ一南駅” 下車6分ほどの『 正覚寺 』までアジサイを見に行って来ました。市営地下鉄ブル一ラインに乗ったのは、生涯2回目であります。前回乗ってから20年以上経過している。ジジイの生活する世界は狭く、行動範囲に偏りのある表われであります。
横浜市内でも繁華街とは大違いです。センタ一南駅周辺こそ賑やかですが、少し離れれば、住宅街が続きます。正覚寺には竹林があり、水連、菖蒲が咲き、ウグイスまで鳴いて、落ち着いた雰囲気に浸って来ました。
簡単に『 菖蒲 』と書きました。本当のところを吐露すれば、ジジイはアヤメ、ショウブ、カキツバタ、アイリスの区別を何度教わっても習得できません。3歩歩くと区別の方法をすっかり忘れてしまうのも一因ではありますが、ヤツめらも似通った花あるだけでなく、それぞれの花にバリエ一ションも多く、あながちジジイの記憶力・判断力が衰えていると結論付けるのも酷なのであります。(自己を正当化する) 先ほど書いた菖蒲も『多分』と追加した方が良いのかも知れない。
この日は日中28℃まで上がるとの天気予報でした。正覚寺境内の鬱蒼とした木々の下では、おそらく1~2℃は気温が下がっているのではとの推測です。(気分的に)
この時期、毎年のようにアジサイ見物に行っています。ごく近場で我が家にも1株アジサイが咲いています。やはり広い境内のお寺や神社に行くと、様々なアジサイを見ることができます。
私の住む川崎市内の近場でも、長尾の妙楽寺、生田緑地、柿生駅近くの浄慶寺とアジサイのめい所があります。足を伸ばして鎌倉まで行けば、長谷寺、明月院、成就寺、光則寺、東慶寺、円覚寺などなどアジサイのめい所は数々ございます。もう、おさむジイも後期高齢者で、足腰衰えております関係上、パソコンでアジサイのめい所を探す場合にも、すでに行ったことのある場所は避けた上で、『 安・近・短 』が選択の大きな要素とならざるを得ません。簡単に書いてしまったけど、『 短 』って何だろうな?
何はともあれ、静かな雰囲気の中で落ち着いた時間を過ごすことができました。
今日は一日中雨が降る空模様だ。49年前の今日も同じような一日中、雨降りの日でした。実は今日、カミさんと僕の結婚記念日なのです。時の経つのが早いような、ようやくなのか、ともかく丸49年経ちました。変人の僕を相手にカミさんはよく耐えたものだと思います。僕も暴力をふるったり、ギャンブルしたり、ふ倫をしたことは一度もありません。二度住宅ロ一ンのお世話になり、一所懸命働きました。ごく平々凡々の『 亭主の鏡 』のようだったのではと自分では思っております。
来年は『金婚式』なのでしょうが、改まって何か旅行するとか、会食をする積りもありません。今日もカミさんは夕食に『 ちらし寿司 』の準備をしています。僕も後でささやかながら、ケーキでも買いに行く積もりです。
49年経ちましたが、僕が26歳の時の結婚式前後のことはよく覚えています。それまで独身寮に住んでいました。新婚旅行に行くのに、新しい背広でも新調しようと、町田のデパ一トに行った。およそ、僕は身なりに気を配るタイプではない。下駄を履いて紳士ふく売り場に行った。身なりからなのだろう、『 変な客だ 』と店員さんが寄って来ない。已む無く、若い女性の店員さんに声を掛け、新婚旅行に行くための背広を調達したい旨を言って、背広だけでなく、ワイシャツやネクタイまで揃える助言を頂いたのでした。
結婚すると決まってから、式を上げるまでの期間が比較的短かった。場末のホテルで結婚式をあげました。その日は『 赤口 』であまり日柄が良くなかったのでしょう。当日、そのホテルでは1組しか挙式がありませんでした。通常、新郎新婦は披露宴では座っているのが普通です。披露宴の出席者には芸達者な方が多かったせいもあって。新郎も自らも演芸を披露した。ホテル側からも『 好きな時間だけやって良いですよ 』と言われ、3時間半披露宴をやってしまった。まだまだ、人々の心に余裕がある時代だったのでありましょう。
今ではそんなことする人たちはいませんが、東京駅の新幹線ホ一ムの一画で『 胴上げ 』されたのも懐かしい思い出です。新婚旅行にはごく普通の格好をして、その後も1~2度しか乗ったことのないグリ一ン車に乗りました。
49年間を思い出しても、失業したり、転職、引っ越し、中古住宅の購入、単身赴任、家の建て替えなど色々ありました。もちろん、辛いこともたくさんあった。うつ病にも苦しめられました。でも、何とか乗り越えて来られたのも、若かったからです。若いことは財産だとつくづく思います。今から引越しなど、とてもで来ません。そんな意欲も活力も最早ほとんど残っていません。これからはごくごく普通に、周りにあまり迷惑の掛からないよう静かに生きて行こうと思っています。
僕のように老人となると、自分で旅行の計画を立て、自分で車を運転して移動するとか、計画も立てずに風の吹くまま気の向くままの旅など出来なくなってしまった。毎度のことで読売旅行のバスツア一に行って来ました。バスで移動中は居眠りが自由にできるのが最高。
バスツア一はコ一スも旅行会社が決め、こんなコ一スがありますよとパンフレットが新聞広告に入って来るから、希望するものが有れば申し込む。全てあなた任せ。バスの席も決められ、行った先の場所では自由行動ですが、会場入口まで添乗員さんの掲げる旗に従ってゾロゾロ歩く。次の場所に向かうバスへの集合時間は指定され、時間までに戻って、次の目的地へと移動する。何も考えなくて良い。全く以って老人向けのバスツア一であります。
今回の参加者は44人でその内、男7人、女37人で、圧倒的に女性の方が元気なのであります。50歳以下と思われる人は2~3人しかいなかった。バ一ちゃんばかり。
ともあれ、本日参加したコ一スは栃木県方面のプログラムです。
① イチゴの30分間食べ放題
② アウトレット
③ 足利フラワ一パ一ク
が今回組み込まれたバスツア一プログラムでした。
イチゴ30分食べ放題は会場に到着すると、バスの中に係員が乗り込んで来る。イチゴのむしり方をレクチャ一後、旗に連なってゾロゾロとビニ一ルハウスに案内される。温室の入り口で食べたイチゴのヘタを入れる紙コップを渡される。練乳が支給されるのかと思ったがナシ。食べ放題と言うけれど、イチゴばかりそんなにガツガツ食べられるものではないよ。『 腹いっぱい食べるぞ! 』の初めの意気込みは直ぐに消え去り、大抵の方は10~15分くらいで食べ飽きてしまう。
次はアウトレット。コ一スの中にアウトレットが組み込んであるけれど、老人ばかりの集団をアウトレットに連れて行ったって、どなたも買う物などアリャしない。買い物したと思われる紙袋をバスの中に持ち帰った方は若干めいでした。
5月1日は平日とは言え、GW中ですから、足利フラワ一パ一クは人が一杯。しかもあっちを向いてもこっちを見ても中国人がたくさん来ている。黙っていれば日本人と区別が付かないが、彼らはやたら騒々しく、声高に喋るものだからすぐ分かる。
足利フラワ一パ一クと言えば大藤ですが、フジだけでなく、他の花もとにかく一杯の花がこれでもか、これでもかと言うほど咲き誇っています。もちろん大藤も咲いていましたが、薄紫色のフジは最盛期をちょっと過ぎている感じ。代わって白い花のフジが最盛期でした。パ一ク内はとにかく目を楽しませてくれますが、香りもすごいのです。フジの花がこんなに匂うなんて思っても居ませんでした。
もうじき、菖蒲湯に入る時期になります。菖蒲湯は5月5日の『 端午の節句 』に行う日本の風習です。
中国では菖蒲の香りが邪気を払い、無病息災を祈る厄除けの行事として、『 端午の節句 』の日に菖蒲を風呂に浮かべて入浴するという事に成ったようです。
今日、ス一パ一に行ったら、変わったものを売っていました。紅茶のティ一パックのような方式にして、菖蒲の葉を乾燥させ、細かく刻んで袋入りにしたものを売っていました。
菖蒲のエキスを抽出させようと思っているらしいけど、僕はそんな菖蒲湯には入りたいと思わないな。
大相撲の地方巡業であります、川崎場所に行って来ました。巡業と云うのは年6回の本場所に間に、地方巡業と言ってあちらこちらで興行を行うものであります。
朝9時から、おおむね午後3時くらいまで、大相撲を知って貰うための催し物を実演するものです。主なプログラムは、
1.幕内力士の稽古の実演
2.ちびっこ相撲 幼稚園児~小学3年生くらいの子供と力士の取り組み
3.相撲甚句実演
4.初っ切り
5.相撲の太鼓を打つ実演
6.横綱の装着の実演 土俵入りのある日は毎回、伸ばしてある綱を装着する。
7.序二段~幕下力士の取り組み
8.幕内力士の土俵入り
9.横綱土俵入り
10.幕内力士取り組み
11.弓取り式
ざっと、このようなプログラムで巡業がおこなわれます。力士の稽古は別として、力士同士の取り組みが行われますが、巡業で怪我をしては力士に取って大変なことになります。どうしても、傍から見て、手抜きで、手加減しているなと云うのがミエミエでちょっと残念なところであります。
力士は大きな体をしています。ちょっとした所で怪我をしては堪りません。まあ、仕方ないですね。
相撲の席は平らな床に座布団を敷いて座るのが、土俵近くの上等な席なのでしょうが、6時間も座って居るのは大変辛いことです。私は正面側の椅子席にしました。それでも腰もお尻も痛くなってしまった。その席で¥1万円で、お弁当が¥3000一であります。床に座っている人は土俵に近いことは近いですが、6時間は苦痛でしょうな。
公園内に桜の木が1700本あると言う小金井公園まで花見に行って来ました。風もなく、花も丁度満開で、青空に桜の花が映えます。ビニ一ルシ一トを敷いて花見をしているグル一プや家族連れが多数。平日の昼間ゆえ、お酒を呑んでいる方は見掛ませんでした。
ベンチで隣に座ったお爺さんと話をして驚きました。小金井公園まで一時間歩いて来たと言っています。杖も使わずにスタスタ歩いてきた小さなお爺さんで、80代後半かなと思っていたら、大正14年生まれの、今年7月で100歳に成るのだと言います。
学徒動員で戦争にも行ったと言っていました。男ばかりの5人兄弟の末っ子で、兄たちは戦死して早死にだったので、兄たちの分まで自分は長生きしなければいけないと言っていました。頭もはっきりしていて、認知症なんか縁がない、とても羨ましいような方でした。
その後話は進んで、第35回全国日曜画家大展覧会で、特賞『銀杏並木』と言う油絵の作品を絵葉書にしたものまで頂戴した。
話が終わって立ち去ったが、とても99歳とは思えぬ歩みだった。75歳の僕なんか鼻垂れ小僧なのでした。
昨日(3/30)、NHKテレビ『 日本の話芸 』という演芸番組で、演者の春風亭昇太さんが、『 大晦日の紅白歌合戦の番組を年配者がご覧になって、若い出演者の歌や演技を見ても、誰も知らないと年配者がぼやいていると言っているようですが、全部の出演者を知っている方なんて居ないのです。若い人たちだって、年配の出演者のことを知らないのです 』と言っていた。 なるほどね。
この文を読んでいる方は僕よりずっとお若いのだと思います。こんな曲きっと聞いた事ないでしょう。
『 愛ちゃんはお嫁に 』(1956) 『 さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる オイラの心を知りながら~~』
守屋 浩さんの『 僕は泣いちっち 』(1959) 愛ちゃんは年号から言えば、僕の小1、僕は泣いちっちは小4年くらいでしょうかね? 僕もラジオのリクエストの番組でも聴いた記憶がありません。
最近のことは覚えられないし、一時覚えても直ぐに忘れてしまうのに、小学1年頃の歌は覚えている。このほかにも、フランク永井さんの『 有楽町で会いましょう 』も確か小1の頃だった。僕が育った所の最寄り駅に、映画館が在って、同めいの映画も見た記憶が有るけど、雨の西銀座でパ一トの情景を覚えているだけで、小1には映画の意味も内容もちっとも理解できなかった。負け惜しみではないけれど、色々なことを知っているのは言ってみれば財産だよね。役に立つかどうかは別として。
お彼岸なので、墓参りに行って来ました。我が家の墓は宗派をと問わずの墓苑に在る。前から気が付いていたのですが、お墓に『 ○○家 奥津城 』と文字を掘ってあるお墓があります。何なのだろうと思っていましたが、そのままにしていました。3/14に川崎市麻生区に行った時に、琴平神社という神社の傍にあった墓地には軒並み『 奥津城 』と書いてあるのです。
墓参りから帰って来て調べたよ。まったく意外な結論でした。神道ではお墓と言わないで、お墓のことを『 奥津城 』と云うのだって。仏教徒のお墓と区別する神道のお墓なのでした。ついでに読み方も『 オクツキ 』と云うんだとか。僕は75歳なのですが、まだまだ知らないことばかりですね。
墓参りに行くのに電車に乗って、JR南武線がワンマン運転になった事を初めて知りました。各駅にホームドアが設置され、駆け込み乗車がされ難くなったからだと思います。運転手さんもますます厳しくなったような気がします。そういえば3月15日がダイア改正だったから、ワンマン運転はその時からなのでしょうか? 『 ワンマン 』と云うと、『 ワンマン社長 』とか自分の思い通りに何か貫きたい人のことも云いますが、電車の運転はくれぐれも『 安全第一 』でお願い致します。
川崎市には7つの区があります。市内に住んでいても、麻生区の方には滅多に行くことがありませんでした。川崎市は細長い自治体で、両端では様子が大違い。JR川崎駅があったり、東京湾に面した臨海部の京浜工業地帯がある川崎区と、もう一方の多摩区や麻生区は大違い。特に麻生区は山坂が多く、場所を選べば里山の雰囲気も残っております。
今日は野越え、山越え王禅寺方面に行って来ました。王禅寺に行くにはバスで行ったのですが、上り下りの坂道の連続でした。バスの通るような道沿いには、市内の別の区に比べれば、大きな家が多いと思いましたが、商店やコンビニが見当たりませんでした。電車駅近くまで行かないと商店がない。日常の買い物に行くにも、車かバスに頼らざるを得ないようで、普段の買い物はどうなさっているのかな?
まさに里山がありました。王禅寺と言うお寺さんはかなり大きなお寺ですが、参拝者はどなたも居りませんでした。次に琴平神社と言う神社に行っても誰も居ない。まあ、静かで良いですけど。
小田急線 柿生駅近く(それでも10分くらいは歩く)の浄慶寺で、フキノトウを見付けました。境内にはたくさんの羅漢さんが、それぞれ様々な演技をしておりました。浄慶寺さんは以前にも行った事があり、今回は全部の羅漢さんの写真を撮ってきた積もりです。60体以上ありましたが、全部載せるわけに行かないのが残念です。
小石川後楽園に観梅に行って来ました。梅のめい所なら他にもっと梅の木の本数が多かったり、規模の大きなところがあると思います。
都会の喧騒を逃れて静かな一時を過ごすには良い所かなと思います。そうでもないかな。車や電車の音はほとんど気になりません。隣に後楽園遊園地があるのです。そのジェットコ一スタ一がコ一スの急な下り坂を降りるときには、悲鳴が聞こえました。今日は平日の昼間でしたので、遊園地の入場者も少ないらしく、そう頻繁ではありませんでしたが、聞こえることは確かです。
日記なのに書きそびれてしまい、2/24(月)のことを書きます。
私の住んでいる所から、池袋はなかり遠い。僕が育った家を出るまで、住んでいた目黒区からでも、同じ東京23区内でもかなり離れていて、池袋は馴染みの薄い所です。行った場所は、池袋からさらに東武東上線の各駅停車の電車に乗って、3つ目の大山駅まで行って来ました。
武蔵小杉駅から池袋に行くには、ずっと以前だったら東横線で渋谷まで行き、山手線に乗り換えて池袋まで行くのが常套な経路です。今なら、東横線から地下鉄 副都心線で乗り換えせずに行けることは、ジジイでも知っています。念のためにスマホのアプリで検索したら、武蔵小杉から湘南新宿ラインで行けば、運賃も安くて早く行くことが出来ると知り、スマホの提示された通りの経路で往復しました。まったく、ジジイの頭は世間の進歩から遅れてしまっている。
池袋には僕の生涯でも2~3度しか行ったことがない。それも前回行った時から何十年も経過している。初めて乗る東武東上線に乗り換えるのには、駅に表示されている矢印に従うしかない。
大山駅に行く目的は『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』と『 遊座大山商店街 』を見に行くためであります。商店街には何か欲しい物を売っている店があって、それを買い(あるいは見に)行くのが、普通である。ジジイは特に買いたいものがあった訳ではない。商店街を見に行ったのであります。商店街を見に行く僕の趣味のようなものです。
東京都内には有めいで大きな商店街が幾つもあります。『 戸越銀座商店街 』、『 十条銀座商店街 』、『武蔵小山商店街パルム 』、もちろん、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』もいずれ劣らぬ商店街であります。他の商店街には何度か足を運んだのですが、遠いせいもあって、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』には一度も行った事が無かった。前々から機会を探していて、『 遊座大山商店街 』も合わせて、3連休の1日を使って行って来ました。
東武東上線の大山駅は各駅停車しか停まらない、はっきり言ったら、あまり風采の上がらないような駅でした。そんな駅に何でこんなに大きな商店街が出来、多くの買い物客で賑わっています。何処からこんなに多くの人が湧いて出て来るのでしょうかね? 後になりますが、商店街の自称研究家としては調べてみる必要がありそうです。
駐車場の完備した大規模小売店の影響で、多くの商店街の中でシャッタ一を閉じてしまう店が存在している。こんなに大きな商店街が栄えて、存続しているのには関係者の並々ならぬ努力があった筈です。
僕は古臭い昭和の趣がする商店街が好きだな。予め発泡スチロ一ルのお皿に乗せて、ラップで包んで値札のラベルが貼られているのでなく、客の指示で量り売りする惣菜屋さんがあること。骨董品屋さんでなく、『 古道具屋 』さんが在るような商店街が好きなのです。古道具屋さんはリサイクルショップとはちょっとイメ一ジが異なります。
残念ながら、ハッピ一ロ一ド商店街には、量り売りの総菜屋さんと、古道具屋さんは見掛けませんでした。往復で¥1300一近く電車賃かけて行ったけど、買ったのは歩きながら食べるように鯛焼き1個と、ノ一ト2冊を買っただけでした。趣味でなければ、こんなにコスパの悪いものはありません。
先日行った『 ジョイフル三ノ輪商店街 』や、埴輪展を見に行ったついでに行った『 佐竹商店街 』のような昭和の匂いのする商店もありませんでした。でもね、僕の郷愁に合わせて商店を運営して行ったなら、たちまち潰れてしまうかもね。昭和の匂いのする商店街を探す方が頭がおかしいのです。
東京都荒川区の『 ジョイフル三ノ輪商店街 』に行ってきました。丁度、都電荒川線の起点 『 三ノ輪橋駅』から都電の線路に沿って伸びている商店街です。一部に昭和の商店街の雰囲気を残しているような情報を得て行ってきました。確かに私の住んでいるところ近くとは違った雰囲気を持った商店街でした。
この商店街もそうでしょうが、広い駐車場を持つ大規模ショッピングセンタ一に押されて、経営が成り立たずに廃業されてしまう商店が多いそうです。ジョイフル三ノ輪商店街 もシャッタ一を下ろして営業されていないような商店も多かった。雨の日も買い物が出来るようにと、商店が揃ってア一ケ一ドを作りました。廃業する時にネックになるのではないかなぁ。
三ノ輪橋駅にオロナミンC、ボンカレ一、金鳥の鉄の看板が有ったけど、最近はほんと見なくなって、記念に写真を撮りました。懐かしいね。
連日、新聞やテレビで北海道や本州の日本海側、および九州や四国の豪雪の状況が報じられています。あまりの凄さにもう可哀想になってしまうが、こちらではどうすることも出来ない。相反して私の住む南関東では、連日晴天が続いている。
府中の『 郷土の森 』までロウバイを見に行った。何百本のロウバイがうえられているのか分かりませんが、一斉に咲くとそれは見事なものです。ちょっと高いところに立つと多摩川の流れが見えます。多摩川まで距離にすれば、100mくらいでしょうか? 土手を自転車を連ねサイクリングしている様子が見えます。
郷土の森では 2/1 から、『 梅まつり 』を開催していて、あちこちに幟が立てられています。梅の咲き具合はまだまだで、ほとんどがツボミを固く閉じているようです。樹の根元には夜間のライトアップ用にライトが配置されています。日向はとても暖かかったですが、雲で日がかげるとやはり風は冷たい。ライトアップされても、夜間の観梅は震えながらで、風流とは程遠いものと成りそうでした。
4~5日前から、2/2は雨か雪が降ると天気予報で言っていた。昨日ですら、さも雪が降りそうな言い方をしていた。ニュ一スでもホ一ムセンタ一で、雪かき用のスコップや融雪剤の売れ行きが上昇している様子を映していた。
私の住む太平洋側の南関東でも1年に一度くらいは雪が積もる。積もると言ってもほんの1cmくらいであります。2月から3月くらいになると、南岸低気圧と言って、列島の太平洋側を低気圧が通過するようになります。昔、一時期は『 台湾坊主 』と言っていた時期もあったが、外交上まずいと言う理由で『 南岸低気圧 』となまえが変更となった。
この南岸低気圧がどのコ一スを通るかによって、雪となったり、雨になったりするのだと言う。低気圧が八丈島の北側を通ると、大陸から下がってくる冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がって来られずに雨となる。
低気圧が八丈島の南側を通ると、大陸からの冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がることが出来るので、太平洋岸にも雪が降ると言う理屈だそうで、大雑把な境目は八丈島にあるそうな。
東京など南関東では雪が1cmでも積もるのは、年に一度ほどである。どなたもが雪に慣れていないものですから、歩いていて滑って転んで骨折したり、雪が凍って車がスリップして事故を起こしたりして困るのです。でも基本的には、大人も子供もたまに降る雪が嬉しいのだと思います。
一応、東京都ではありますが、青梅線の奥多摩の方では、雪が降る前の2/1 夜の段階で、電車を運休することに決めたとニュ一スで言っていた。南関東では雪が降らなくても、東京都でも奥多摩方面では積雪があるのかも知れない。電車の運行情報で、”シカと衝突して電車に遅れが出ている”なんて言っていて、都会では想像出来ないことが起きている。雪が降る前から運休を決めるなんて気が早いと言うのは、当地の状況が分からない者の言い方で、それぞれ事情はシカと分からん。
斯く言うジジイも、頭の片隅に雪を期待する所があるのであろう。起きて直ぐに窓のカ一テンをずらして見たら、冷たそうな雨が降っていた。
長女の嫁ぎ先の義父が亡くなり、葬儀に参列して来ました。白木の箱に入れられ、参列された皆さんに間近でマジマジ視られ、おまけに寄ってたかって、顔以外の全身に花を置かれる。多分、飾られているのであろう。
こんなこと、もし自分が生きていたなら、恥ずかしくて、照れ臭くて、とてもじゃないけど出来ない。死んだ人だから照れずに耐えられるのであろう。
僕も近々経験するのだろうから、予行演習の積もりでよく見てきた。きっと照れ臭いことだ。
年末にのし餅を4枚頂戴しました。今朝、雑煮にして全て食べ終えた。私、雑煮が好きなのです。
ずっと以前、山形県に単身赴任していた時、飲み会以外で、外食したことが8ヶ月間で一度も有りませんでした。すべて自炊しましたと言うと体裁が良い。コンビニ弁当も買った記憶がありません。温泉街の裏に有ったアパ一トの近くに飲食店が無かったこともありますが、雪掻きして車で出掛けるのも面倒だったからでしょう。
思い起こせば、チンゲン菜と豚バラ肉の雑煮ばかり食べていたような気がします。野菜を食べる量が少ないといけないと思って、野菜ジュ一スばかり飲んでいたっけ。
雑煮を食べる度に、侘しかったことを思い出します。『 男やもめにウジがわく 』と云う言葉が有ります。私はやもめでなく単身赴任でしたが、男の一人暮らしなんて、いい加減な生活をしているものです。
昨日、図書館に行って、落語のCDを借りようとして探していた。ふと、他の棚に研 ナオコさんのCDが有るのに気が付いて借りてきました。2枚一組で、昨日から2回聴きました。その30曲全てが失恋の歌。
もちろん虚構の世界のことなのですが、女性もこんなに失恋の哀しみに苦しんでいるのかと、ちょっとしんみりとした気分に成ります。男の方でも、”彼女の居ない歴、何十年 ”なんて方はそれこそ掃いて捨てるほど居るのですから、何とかマッチングする方法などないものですかね。今になって思うのは、全ては『 勇気を出すことと、行動力の問題 』だと思うのですけどね。
75歳の今、若かった頃の妄想に浸っても遅いのですが、独身の頃、もっとたくさんの女性とお付き合いしてみたかったなぁ。『 ヤセのチビなんか魅力ないわ 』と言われましたが、あれからもう何十年も経過していますが忘れませんなぁ。
知人が亡くなったと云う知らせが来ました。寒い日が続いていたり、インフルエンザが流行して年配者には厳しい環境になっているのではないのでしょうか。
式に出席することを想定し、もう暫くのあいだ着ていない礼ふくの点検をした。
この年になれば、周囲のかた関連の結婚式や葬儀の時期・機会もほぼ通り越してしまっいる。ここ数年、私に関しては礼ふくを着る機会などほとんど無い。それどころか、立場は逆転して、自分の葬儀のために、周囲の方に礼ふくを着て頂く立場が間近に迫っているのではないか。
ダブルの礼ふくの上着はパンパン、はちきれそう。ズボンの方はまったく受け付けない。リタイアして体型がまったく変わってしまったのだ。夏用のシングルの礼ふくは何とか着る事が出来た。ズボンは黒色の他のモノで間に合わせることにするか。
今更、これから着る機会もほとんどないふくを新調する気もほとんど無い。レンタルを考えるか?
カミさんの方はどうにもならなくて、午前中、急遽吊るしのフォーマルを買いに行った。女性のふくのサイズは判らないけれど、若い頃は確か9号であった。今日買ったのは17号。夫婦共々高齢になって横に背が高くなって、困ったものだ。
秋に買ったシクラメンも春に花が終わり、球根が猛暑の夏を越して、次の冬にまた咲かせるのは中々難しい。
画像の シクラメンは一昨年の秋に購入したものですこの冬にやっと咲かせることが出来ました。
正月も5日とも成れば、少しは混雑も緩和されるのではと、『 相模 一之宮 寒川神社 』まで行って来ました。今時分、首都圏では珍しい単線の相模線 宮山駅を降りれば、正月限定の『 臨時職員 』の応援の駅員さんも喉をからしての混雑でありました。駅から徒歩5~6分なのでありましょうが、寒川神社の場所が分からなくても、行列についていけば、神社まで辿り着けると云う状態でありました。
『 御縁がありますように 』と5円玉を握り締めた、他力本願のご利益を求めた欲深のにわか信者が列を成して進む。山門にはネブタの飾り付けがしてあった。新聞にも出ていたけど、『 参拝者寄せネブタ 』でした。
拝殿に臨めば、お賽銭の額にそぐわないほどたくさんのお願いをして来ました。賽銭箱に入らない硬貨も落ちていました。100円玉もある。諸般値上がりの折、『 やはり、5円ではダメか? 』
年賀状の宛な書きをやりました。パソコンとプリンタ一を使って、住所録のデ一タがあれば、直ぐに終わってしまう。先日、図柄を印刷したから、後は一枚ずつ裏面の手書きをするだけ。
来年は全部止めてしまうわけではないが、年賀状の枚数を大幅に減らす予定です。ワ一ドで縦書きにして年賀状に止める挨拶の文言も作って印刷した。ハガキの代金が上がったのは確かだけれど、年賀状の枚数を大幅に減らすのも何となく寂しい。実は来年、数え年77歳で、ジイも『 喜寿 』なのであります。終活もしなければね。
義妹のところから、野菜が来ました。そのうち大根2本を切り干し大根にするために刻んだ。地方ならともかく、今時切り干し大根など作る家庭など珍しいのではないか?
妹の自家製の大根なので、ス一パ一などで売っている物より遥かに大きい。僕も以前、家庭菜園をやっていたから分かるけど、冬大根は畑で放っておくと、どんどん大きくなる。当時は自分の栽培した大根は、売っている物より遥かに大きいと思ったものです。
本当は、プロの農家の人と競争して敵う訳が無いのに、世間知らずであった。大根をどんどん大きく育ててしまうと、流通用の箱に入らなくなってしまって、ふ良品になってしまうのだ。農家ではほど良い大きさになったところで出荷するのです。
例年、切干大根用に刻むのは僕の役目。大根2本も刻めば、飽きるし、肩が凝ってしまうのです。
久しぶりにア一ケ一ドの商店街を歩いた。『 何か変だな 』と思った。いつも道にはみ出して置いてあった"テリ一伊藤さん”の似顔の人形の像が置いてなかった。『 から揚げの天才 』と云うから揚げ屋さんが閉店するようだ。店舗の中には灯りは点いていないし、厨房設備も搬出されてしまって、閉店の旨、張り紙がしてある。
この店はどのくらいの期間営業していたのであろうか。多分、2年間くらいだろうか? 開店当初は客が列を成していて、から揚げを予約しないと買えないなんて言っていた。
たかが、から揚げである。ニンニク味にしようが、その店の特徴を出そうが、驕ってはいけないよ。物珍しさが無くなれば、客足は遠のいてしまう。その内、から揚げだけでは勝負が出来ないと、弁当屋のようなこともやっていたが、ついには客足は戻らず、閉店になってしまったようだ。
閉店となったことを知って、思い浮かべたことは、『 驕る平氏は久しからず 』と、方丈記の『 消えてはすぐに結ぶ”うたかた”のように、人の命も、人のすみかも、消えたと思ったら生じ、生じたと思ったら消えることを繰り返す 』 のことであった。
最近ちっともHPを更新していない。おさむ爺も老いたのである。それと余り家から出なくなってしまった。外出してこその話題である。出なければ、話題が無い。題材が無ければ、おさむ爺とて書けないのである。それではいけないと思うし、認知症予防のためにも、努めて外出をしなければと思う。
モミジが色付いたかと思って、世田谷区の九品仏浄真寺に行ってみた。ごくごく一部が色付いていましたが、他はまったく緑色。何でもかんでも温暖化のせいにするのは嫌なのだが、11月も下旬と云うのに、歩くと汗をかく。子供の頃、父に連れられて、酉の市に行った記憶がある。その時には寒くて厚手のジャンパーを着て、マフラーに手袋をして行った。数字が伴っていないけれど、昔の方がずっと寒かった。
浄真寺にある東京都天然記念物の大銀杏も、まだ、半分くらいしか黄色くなっていない。
大相撲の大関 大の里も大銀杏がまだ結えない。 まだのモノばかりです。
九品仏浄真寺には大きな阿弥陀様の座像が9体ある。それで、九品仏と言うのだろうけど、参道は昔の風情が継続して残っている。浄土宗のお寺です。我が家の宗旨は日蓮宗なのだけれど、皆、宗旨に関係なくお寺にお参りに行く。
『 日本人には宗教がない 』と言う人が居る。それどころか、何でもかまわず多神教でもある。その時々の都合で神様、仏様、イエス様、その他宗教を変える。信仰とは関係ないものなのであろう。それでも、苦境に陥ると『 神様、お助け下さい 』と思うから身勝手なものだ。
私の好きな落語の世界には『 今日様(こんにちさま)』と言うのがある。先代の桂 文楽の噺によく出て来る。『 お天道様はお見通しだ 』とか、何かって言うと、『 天が許しません 』と言っていたっけ。
まったく持って、日本人には宗教に関して、定見がないな。
ガラリ、話し変わって、南関東の平地の紅葉は 12月初旬らしい。
先日サツマイモを蒸かして、縦方向に10mmほどの厚さに切り、干し芋を作ろうとした。干し加減が分からず、どうも、干し過ぎてしまったようだ。結果は硬くて歯が立たない。再び蒸かして、何とか食べられるようにした。
ネットで検索したら、干し芋の作り方などいくつも書いてあった。中にはオーブンで作るものさえあった。作る前にネットで調べれば良かった。
まったく、徒然草のようだな。『 仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝がまざりければ~~~、少しのことにも先達はあらまほしき事なり 』 である。
懲りずに今度は干し柿を作ろうと柿を10個ほど皮を剥いて干し始めた。干し柿は以前、作った事がある。その時は知人から頂いた渋柿で作った。今度の柿は甘柿である。甘柿でも作れないことはあるまい。ちょっと信じられないようなことなのだが、糖度の面では渋柿の方が糖度が高いのだという。
孫の七五三で 溝口神社に行って来ました。前日の天気予報では荒天との事でした。神社に行く時から、帰りまでの間は、ごく弱い雨か、雨が止んだ時で無事済ますことが出来ました。
神社には令和7年分の厄年や、年祝い、その他の表示がもう貼られていました。年祝いは還暦、古稀、喜寿、傘寿、・・・・などのお祝いを言います。年祝いは数え年で祝うもの。来年、私が該当するようです。
各自の誕生日に関わらず、『 昭和24年生まれ 』の人は令和7年元旦を以って、皆さん一斉に『 喜寿 』であります。大き目の神社には大抵の場合、表示されておりますから、初詣にでも行った際に確認して下さい。それでも、自分なりの解釈で、満年齢で自分の誕生日を以って『 喜寿 』であると云う方はきっといらっしゃいます。そんなことは自由ですから、自分の好きなように勝手に祝って下さい。
七五三ですが、孫は現在満年齢で5歳です。七五三も本当は数え年でやるもの。私、息子に言っておかなかった。本来は昨年が七五三を行う年でした。
元気であれば良いのですから、『 まっ、いいか! 』
やっと心地良い気候になって来ました。食品ス一パ一に行くと、白菜の1/4カットが200円くらいする。早く寒くなって白菜漬けを食べたいなと思う。白菜漬けは自分で漬けます。
後期高齢者でありますが、焼肉、トンカツ、ステ一キなど脂っこいもの大好き。(多少見栄はってます)
でも、時には、白菜漬けの薄い緑色の葉のところに、ちょっぴり醤油を付け、熱いご飯を巻いて食べることや、温かいご飯に削った鰹節をたくさんのせて、ちょっとお醤油を回して食べるのも大好きなんです。
次男のところの孫は今幼稚園の年中5歳男児である。以前、彼の好きな物は働く車だった。消防車、救急車、ゴミ収集車、ブルド一ザ、クレ一ン車などなど。ミニチュアの車だって、たくさん持っている。カミさんがTシャツを買ってやるときも、働く車の絵が描かれたTシャツを買っていた。我が家に来ても、ゴミ収集車が発する音楽が聞こえてくると、夢中になって見ていたものでした。
ここに来て、興味の先が電車に代わってしまったようで、次男の仕事が休みの時にはせがんで、あちこちに電車を乗りに行くようなのだと言う。
10/12に次男のところから、東急電鉄の『 電車とバスの博物館 』に行きませんかの誘いが有って、我が家も同行することになった。
孫はあっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロする。館内のスタンプラリ一も行った。次男夫婦はもうジイジとバアバが面倒を見てくれるのだと思って、椅子に座って平気な顔をしている。孫だって2時間もチョロチョロしていれば、草臥れて来て帰ることになった。
ジイジとバアバはもっと草臥れて、疲れが今日まで持ち越した。今日、昼寝2時間してやっと調子が戻った。子育てなんか若くなければとてもじゃないけど出来ない。かぐや姫や桃太郎の家では、よく育てたものだ。
昨日(10/8)まで半ズボンと云う半袖Tシャツという男児小学生のような格好をしていた。
今朝も始めの内はそうしていた。風邪でも引いて『 年寄りの冷や水 』と云われると嫌なので、Tシャツの上に長袖シャツをはおり、長ズボンに替えた。 更に、後になって靴下も履いた。寒くなって来たね。
私は本好きですが、それでも一日中本を読んでいる訳ではありません。気が多いものですから、本を読む以外にもやりたいことがたくさんあります。本を読むのは夕食後の2~3時間と云ったところでしょうか。
よく『 ヒマを持て余している 』と云って居ますが、それは私の外交上、発している言葉に過ぎません。
もう。歳もだいぶ取っておりますから、私に残された歳月は少ない。本を読んでみてガッカリするような内容のモノはなるべく避けたい。されど、本の内容の良し悪しは読んで見なければ判らない。
『 徒然草 』に『 先達はあらまほしきことなり 』と書いてあります。明治大学の斉藤 孝教授が、”大学生ならこれくらいの本は読んで欲しい ”と云う本の題めいのリストを提示しておられます。
そのリストの中にあります、遠藤周作さんの『 海と海藻 』と云う本を読みました。たぶん2回目かな。
作品中の文章と少し違いますが、
『 俺もお前も、こんな時代の、こんな立場に居たからやっただけや。俺たちを罰する連中かて、同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ 』
『 俺たちの中には、世間や社会の罰しか知らない。発覚しなくて、罪に問われていないかも知れないが、我々は実に多くのやましいことをやって来た 』
そうなのです。私も罪に問われていませんが、実にさまざまな犯罪や、悪ガキの悪戯をやって来た。多分良いこともそれ以上にして来たとは思うが、小学生の時に始まって、実に様々なことをやって来た。ここで一々白状するつもりはありませんが、悪いことをやったのは今でも覚えている。多分、時効だと思うが、申し訳ないと思うことばかりだ。
昨日は10月になっても、30℃を超える暑さだった。玄関に在ったカミさんの夏用のサンダルがだいぶ草臥れていた。
『 サンダルが大分草臥れているじゃないか、新しいの買いなさいよ 』
『 ああ、それ、慣れて履き易いのよ。でも、つま先がちょっと剥がれているけど 』
買いなさいと言っておきながら、接着剤を持って来て、剥がれた部分を補修した。
10月だから、店では夏物のサンダルは、商品の入替で、もう倉庫にしまわれて出ていないのかも知れない。10月が終われば、サンダルを履くような、暑い日もないであろう。カミさんは10月末に捨てようと思っているらしい。
老夫婦の家庭なんて、こんなやり取りをするものだ。
昨日(9/23)墓参りに行った。お盆の時は余りに暑くて、墓参りに出掛けるのは良いけれど、途中で老人が干からびて倒れていたなんてことになると困るのでパスした。春のお彼岸以来の墓参りとなった。お彼岸の休日ともなると、やはり墓参りも混雑する。
8/1の日記に、卒塔婆に書かれている文字はシルク印刷で書かれていると本に出ていたことを書いた。実際に確かめなければならない。卒塔婆に書かれている文字の内、その宗派やお寺さんの決まりきった定型部分は間違いなく印刷だな。人が書いた場合にはこれほど画一的に記載出来ない。個別のおなまえ部分などを比べると、明らかに文字に差が出ているから、お坊さんが書いたものらしい。
墓参りの帰り道にある食品ス一パ一の『オオゼキ』があるので入ってみた。オオゼキさんは『OKストア』と並んで、食品ス一パ一でも安売りで有めいな店舗です。食品ス一パ一は何処も同じようですが、実際に入ってみると雰囲気がそれぞれ違うものです。カミさんも確かに安いと言っています。別にオオゼキさんの宣伝をしている訳ではありません。簡単に言ったら、近くに高級住宅地を控えている店舗と、下町の雰囲気の漂う店舗では明らかに違うね。
季節は秋なのですね。栗が出ていて、2袋買いました。一袋は『渋皮煮』にして、もう一袋は今夜、栗ご飯にする予定です。栗も良いのですが、皮を剥くのが面倒です。
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、本当によく言ったものです。昨夜はエアコンを点けずに寝ること出来ました。
もうたくさん働いたのだから、今の生活を変えようと云う望みもない。一日、一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じない。
それでも、夕方は苦手で夕焼けも時間が過ぎて暗い部分が増してくると、何とも言い難い虚しさを覚えてしまう。
あとは時間の問題で、このまま終わってしまうであろう自分の生涯に対する漠然とした遣り切れなさで溢れて来る。
新聞に、マウスやブタなどの哺乳類のお尻から酸素を注入して、腸呼吸することを発見して、イグ・ノ一ベル賞を受賞した記事が出ていた。将来、人間にも適用し、呼吸ふ全の人の治療に適用できるのではと期待されている。
肛門と言うと直ぐに大便を連想してしまい、何かふ潔のような気がするのは、素人の浅はかな考えのようだ。
でもね、考えてみれば、これも何か嫌な気もする。教室や職場、会議室などの空間で、誰かが知らぬ顔でスカシッペをしたとする。オナラは腸内で大便を掻き分けて出て来たもの。掻き分けなくても、少なくても大便と接触はしているよね。それを冬だったら閉ざされた空間で、皆が共有して肺に取り込んで呼吸していることになる。ただの空気よりは栄養分はありそうな気はするけど。
よくチ一ムワ一クの良さや絆を表わす言葉に、『 同じ釜の飯を食う 』と言うけど、『 同じオナラを呼吸した 』なんて絆は遠慮したいけれど、皆知らん顔してスカシッペをするからどうにも成らない。
月並みな言い方だけれど、台風7号が通り過ぎて、汚れた部分を洗い流して行ったようだ。夕べ、カミさんがパソコン部屋に入って、『 何だかすごく臭い 』と言っていた。そうかもしれない。夕方になると、ほぼ毎日ちょっとした体操をしたり、自重の筋トレなんぞする。真夏であるから汗びっしょりになる。下にバスタオルを敷いたり、汗拭きタオルで汗を拭く。その後、汗をかいたモノを椅子か何かに吊るして干して置くものだから、臭ったのだろう。朝早くから、パソコン部屋では掃除が始まり、汗臭さの温床に成っていそうなタオル、バスタオル類は洗濯に回された。この晴天だから直ぐに乾くであろう。
連日、熱中症警戒アラ一トが出され、ふ要ふ急の外出はするなと言っている。外出は2週に一度図書館に行くだけである。老人が干からびて倒れたと言われるのも嫌だ。ほんの近場に行く以外、『 徘徊 』や『 逊遙 』なるものをしていない。この調子だと、秋になって足が弱ったことを痛切に感じるに違いない。
人がいっぱいの観光地などに行きたいとは思わない。『 ボンカレ一 』とか『 金鳥の蚊取り線香 』など、半分錆びたような琺瑯の看板が壁に貼ってあるような、古い家並みでも歩けたら最高です。目黒川沿いにそんな看板を付けた家があった。
『 東京23区外さんぽ 』と言う本を読んだ。まだ歩く所はたくさんある。東京の日の出町に、”卒塔婆 ”を作っている工場がある。東京でも五日市線沿いの地域なら、卒塔婆の材料を入手するのに立地が良いのかと思ったら、材料は輸入木材で、卒塔婆に書かれる『 定型の部分 』はシルク印刷なんだってね。ビックリだねエ
毎日、暑い日が続き、老体としてはもうバテている。早く涼しくなることを望むが、こればかりは如何ともし難い。よくふ動産屋の広告に『 日当たり抜群 』なる決まり文句がある。我が家は、冬場は日が当たって、暖かく誠に結構な家なのだが、朝から夕方まで途切れることなく日が当たっている家は夏場は『とにかく暑い!』。しかも、パソコン部屋のある3階は耐えられない。かつてはエアコンもあったのだが、壊れて以来更新せず、扇風機のみに頼っているのだ。
新聞に12日夜から14日未明まで、『 ペルセウス座流星群 』の流星を見ることが出来ると言う記事があった。午前3時にトイレに行くのを切っ掛けに起き出して、3階バルコニ一から観測(?)した。
15分間ほど北東の空を眺めたが、それらしき流星が流れるのを観測出来なかった。もちろん、流れ星が見えたときに備え、願いごとは用意しておいたが、極秘である。初め、空を見上げたら、2つしか星が見えなかった。起きたばかりの目が暗さに慣れると、微かではあるが、何十もの数の星を見ることが出来た。
50年ほど前に川崎は『 公害の町 』として、汚れた空が全国に知れ渡った。今は『 環境の町、川崎 』となって、冬の晴れた日には富士山も望まれるのではあるが、夏の晴れた夜でも多くの星をはっきりと見ることは出来ないのです。
昼食にインスタント・ラ一メンを食べた。こちらは昨日のような、非常食ではなく、購入してから幾らも経っていない。
元祖、日清食品の鶏がらス一プの『 チキンラ一メン 』である。袋にSince1958と書いてある。かつて、NHKが『 まんぷく 』と言う題で、朝の連続ドラマとしたから、ご存じの方も多いと思います。
安藤百福さんが開発した当時から、改良は重ねられていると思うが、当時の形態を踏襲しているのであろう。
他のほとんどのインスタント・ラ一メンが粉末ス一プを別袋にしているのに対し、『 チキンラ一メン 』は麺自体に味付けされている。お湯を差す前の、味付けされたカリカリした麺は、駄菓子にも同様のモノがあったような記憶がある。
かつて、『 即席ラ一メン 』と言われたモノに相応しい製品なのであった。
このところ、地震が続いている。我が家でも災害に備えて、非常食の点検をしてみた。1 食ずつ小分けにされた非常食には賞味期限が5年間と書いてあった。保存していた非常食は、その賞味期限が切れて、更に5年が経過していた。製造から都合10年が経過したことになる。ずっと、点検していなかったことになる。
昼に『 白粥 』を食べてみた。我が家は3人家族だから、3個減った。まだ5個残っている。
夕方になっても、誰もおなかが痛くなるとか、下痢も起こっていない。賞味期限は書いてあったけど、消費期限は書いていなかった。
ラ一メンもあった。試しに一つ作ってみたが、こちらはちょっと臭いがきつく、捨てることにした。
どちら様も、非常食の点検をお願い致します。
新型コロナがまた流行しているようです。まだ具体的に『いつから』、『どの医療機関で』と言う事は分かっていませんが、一部費用負担でワクチン接種を受けられるとの通知が来た。
今度受けたら8回目の接種となる。きっと根絶は出来ないで、これからもずっとコロナウイルスとお付き合いするらしい。歓迎しないけど。
今、『 つやつや、ごはん 』と云う本を読んでいます。39人の著めい人が自分の好きなご飯の食べ方を書いた本です。
例えば、『 新米を炊いておかずなしで 』、『 新米を塩おにぎりにして 』、『 新米の冷めたご飯 』などなど、それぞれ好きな食べ方を書いている。
僕は子供の頃からとても幸せな生活を送って来たのかもしれない。自営業の職人だった父の都合で毎日、木の切れ端が出た。その切れ端を処分するために22歳で家を出るまで、かまどを使って、羽釜で炊いて、木のおひつに入れたご飯をずっと食べ続けてきたのです。ご飯の美味しさにはどん感な方ですが、子供の頃からずっと美味しいご飯を食べ続けて来たのでした。本を読んで居て、昨夜、気が付きました。
『 先ず頼む 椎の木も有り 夏木立 』 (芭蕉)
子供だった頃、どの家にもエアコンなど無かった。地面はこんなにもアスファルトに覆われていなかし、木々も多かった。
『 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 』 (芭蕉)
夏の山寺(山形県)に行った事がある。山に登った後は、頭のテッペンから汗だくだった。もう遠い昔の話です。
夏の激しい日差しは人生の過酷さの象徴だろうか? もう勘弁して欲しい。
長い間ずっと更新していませんでした。我が家の3階に在る、パソコン部屋に形だけのエアコンが有っても故障していて使えないのです。コスパを考えて更新する気に成れません。早く涼しくなって欲しいものです。
昨日、浅草演芸ホールに行って来ました。コロナ禍前には毎年2~3回は寄席に行って居ました。コロナ後は今日が初めてです。
寄席は普通、写真撮影、録音はNGですが、最期の大喜利の芸人バンド 『 アロハ・ハワイアンズ 』 の演奏と歌のショーは、写真撮影自由でした。芸人さんのバンドですから、ハワイアンなのに『 高校三年生 』の歌を歌ったり、ハワイアンの曲なのに最期の方で、艶歌のようにこぶしが回ってしまったりと、素人バンドですから何でもありなのです。
寄席の演芸の中に『 紙切り 』 と云う芸があります。観客から希望する題目を聞き、芸人さんが構図を考え、紙に下書きもせずに、即興で紙を切り作品を作る芸です。紙を切っている最中も、客を飽きさせぬように話をしながら切る話術も必要な芸です。
私もリクエストして切って貰いました。今回で2回目です。今回は『 浴衣 』をリクエストしました。前回は『 夕涼み 』 です。季節感のある、芸人さんの遣り易いものをリクエストしなければいけないと思っています。
例題で5年前に切って頂いた作品と、今日切ってもらったものを示します。
令和1年7月14日に『 林家今丸さん 』に切って頂いた『 夕涼み 』の作品です。左が作品本体で、右が紙から作品を切り抜いた『 ヌケガラ 』です。『 ヌケガラ 』も作品に劣らぬものです。
昨日、令和6年7月14日に『 林家喜之輔 』さんに切った頂いた『 浴衣 』です。ヌケガラは他の方が貰ってありません。
今回も『餃子』と云った人が居て、切って貰っていました。餃子を紙切りで明確に示すことが出来ると思っているのか? バカなやつです。説明されなければ分から無い言葉を言っても詰まらない。過去にも『 闇夜のカラス 』、『 雪中の白ウサギ 』など芸人を困らせる目的の題目を求めた客も居たようです。良い趣味ではないと思います。
客の方も何か切って貰いたい場合は、芸人さんのつばが飛んでくるのを覚悟に最前列に座り、前もって題目を考えておいて、問われたら即座にリクエストするタイミングが必要です。希望者の競争率は激しい。
毎日本当に暑いです。僕なんかいつもTシャツに短パン、坊主頭だからまだ良いけれど、女性は本当に大変です。
『そうなのよ。女は大変だわ。家に居るときは、それでもアッパッパのようなものを着て、中はスッポンポンでも分かりゃしないけど。 外出する時にはそういう訳に行かない。ブラ・パン・ガ一ドル・パンスト着けて、 あっ、それだけでもう蒸れちゃうわ。髪だって、薄くなってしまっているから、ウィッグを付けなくちゃ。考えただけで頭がボーッとしそう。どうしても、避けられないのが壁塗り。シミを隠そうと思うとどうしてもファンデ一ション厚塗りになってしまう。こう暑いとしたくないんだけど、指輪、耳飾り、首飾りに鼻輪でしょ。あっ、鼻輪は要らないんだ。』
炎天下に曝されて、帰宅したら、ドアを閉めた途端、全てをおっぽり出して、お風呂にザブン。また、スッポンポンに、アッパッパを被って、エアコンかけて、お昼寝が一番。それほど、暑いのです。
今年は靴下だったけれど、長女のところから、父の日のプレゼントにブル一ベリ一、マダガスカルジャスミン、コ一ヒ一の木と毎年何らかの鉢うえを頂戴してきた。いつ、何を頂いたかは忘れてしまった。
昨年までは、葉が茂るばかりで、いずれも花を付けることは無かった。今年になってブル一ベリ一が咲き、十数粒の実をつけた。そして今、マダガスカルジャスミンが開花した。まだつぼみはたくさん有る。
枕草子 第百五十五段 『 愛(うつく)しき物、瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』
当時の女児は小さな瓜に人間の顔を描き、玩具にして遊ぶ風習があったのだとか。
6月1日に開花し、受粉させた糸瓜、直径90mm、長さ117mmと成りました。何か随分早く成長するものだと思います。6月5日に書いたように、ジジイも戯れに目鼻口など描いてみました。
3階のバルコニ一に置いてあるプランターに毎年、ツルの出る作物をうえて、ネットに這わせて日除けにしょうと言う企みである。今迄に試みたモノは、千成瓢箪、大瓢箪、ミニカボチャ、糸瓜(ソウメン瓜)である。今年は去年と同じく糸瓜にした。どうせなら、食べられるものが良い。タネは買ったものではなく、前年できた実から得たものを使っている。瓢箪も面白いが、中身を腐らせてのタネを取る際に猛烈に臭い。ひょうたんは観賞用、オモチャにしか成らない。いつまでも臭いが取れないので、酒を入れる気にはならない。
今年は何故かうまく発芽して順調に育った。糸瓜が6月になってよく咲くようになった。瓢箪もキュウリの様な瓜も、雄花と雌花が有る。雄花と雌花が同日に咲いて、受粉させないと実は結ばない。ハチが受粉させて呉れれば良いのだが、午前9時くらいまでに済ませないと花は萎み始めてしまう。
左の画層は本日咲いて受粉させた雌花です。将来瓜に成長する部分はまだ2cmほど。右の画像の、実に成り始めているのは6/1に受粉させたもので、花の元の方に5cmほどに成長している。毎朝、仲人をしている。
清少な言の枕草子 第百五十五段に『 愛しき(うつくしき)物 瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』という文が有る。糸瓜は長さ15cmほどに育つ。育ったら目鼻口でも書き込んでみようと思っている。
我が家の外壁に多分アゲハチョウのサナギが付いていた。気が付いたのは5/22のことです。お隣の家にはチョウが好のむ柑橘系の木が有り、以前から青虫が葉をかじったり、サナギとなっているのを見てきました。
我が家には柑橘系の木はありません。ただ、玄関先には花が多くアゲハチョウがたびたび飛来して来ていました。よりによって外 壁にサナギが付くとは思っても居ませんでした。
友人から1週間か10日ぐらい経った、午前中に羽化すると聞かされていました。私もネットで調べて、羽化直前にはサナギが黒っぽく変色すると知りました。
サナギの存在に気が付いたのは5/22ですが、実際にはサナギがいつから外壁に付着していたのか分かりません。雨の降る日に羽化することはないであろう。日数と天候から考えて羽化の予測は5/30と想定して、何度も見に行きました。サナギに動きはなく、黒っぽくもなりませんでした。
5/31は朝から雨降りで『この雨じゃ、今日はないな』と思っていた。雨の様子を見るため、外を見ていたカミさんが『黒っぽい鳥がサナギの傍から飛び立った』と言うではありませんか。
早速、傘をさして見に行ったら、サナギはもう跡形もなくなってしまっていた。自然の摂理で起こっても仕方ありませんが、羽化が見られると思って期待していた分、とても残念です。
友人に報告したところ、『目玉の大きなテルテル坊主でも近くに吊るしておけば良かったかも、ヒヨドリの仕業かな?』と言う事でした。外壁にサナギが付くなんてことは滅多にない事でしょうが、もし次もあったら、ピカピカ光るCDでも吊るそうかと思っています。
3階のバルコニーのプランターにタネからうえた糸瓜が順調に育っている。ネットに這わせて日除けにと目論んでいる。
すべてのツル草花に適用できるかどうか知りませんが、発芽後、本葉が5~6枚出た時に目の先端を摘んでしまう。すると、脇から子ツルが出てきます。花芽は子ツルや孫ツルに多く付くのです。アサガオもこうするとたくさん花を付ける。
カボチャやキュウリなど、そして糸瓜も雌花と雄花がある。どちらも満遍なく咲いて呉れれば良いが、単独では結実しない。我が家の糸瓜も既に雌花のツボミがいくつも出来ていて、2~3日うちには咲きそうだ。それに対して、雄花の方は咲くのはまだ先が長そうだ。
かくして、失恋する雌花がいくつも現れそう。管理人であるおさむ爺としては、京都・大原三千院にでも一人旅させてやりたい所ではあるが、叶わぬことである。
三千院ならおさむ爺が行きたいのである。もしかして、失恋して一人旅している女性と出会えるかもしれぬ。出会った後の展開は、川上宗薫先生や、渡辺淳一先生にお任せ致します。両先生に置かれましては、主人公(私のこと)が高齢者であることゆえ、今後の展開にご苦労があるに違いないと察するところであります。
『なに!、両先生とも既にお亡くなりになっている!?』
それでは他の先生に執筆をお任せするしかない。老人と言えど、なるべく濡れ場の多い展開をお願いしたい。
昨日(5/16)、川崎市立図書館に行った。
川崎市の図書館では、皆さんがよく読むような本は開架に置いてあります。読みたい人が自由に手にとってペラペラとペ一ジを繰って確かめてから、借りたり、館内で読むことができる。図書館の所蔵する本は開架に置いてある資料だけでなく、その楽屋裏にもたくさんの本を所蔵しているのである。
検索機では市内の別の図書館に在る本の検索が出来る。開架にないような古い本や貴重な資料は、検索機でこの図書館に在る事を確かめ、印字して職員に申請して閉架より出してもらう。
検索機で吉屋信子作『もう一人の私』という本を探し出し、印字して窓口に持って行った。
『これは大変古い本ですよ』 ほか、職員がブツブツ言っている。構わず、待っていたら、如何にも古そうな本が出て来た。
『こちらの資料は大変こわれやすくなっておりますので、このカバ一を付けたままご覧下さい』と注意書きの貼った透明カバ一に包まれて本が出て来た。
なるほど、今にも壊れそうで、漢字もひらがなも旧字で書かれている。発行は昭和30年である。実際に書かれたのはその2~3年前の短編小説であった。小説の終盤にはいずれもどんでん返しのような展開があり、とても楽しい。僕の未就学の頃には、漢字もひらがなもまだ旧字を使っていたのか。改めて言うほどではないが、私も骨董的存在なのであるな。
三年に一度開催の、東京都無形文化財、九品仏の通称『お面かぶり』が行われるので、九品仏山 浄眞寺へ行って来ました。
浄眞寺が通称九品仏と呼ばれるのは、上品上生、中生、下生、中品上生、中生、下生、下品上生、中生、下生の九体の阿弥陀様が三体ずつ分けられてまつられているからです。
上品堂を極楽浄土に、本堂を現生に見立て、その間に懸橋を設け、阿弥陀如来と25体の菩薩様がお面をかぶり、その他の方々が3回練行列すると言うものです。
私はこの行事を見たのは初めてではありません。30数年前、その当時は八月に行われていた。炎天下にお面をかぶるなんて、灼熱地獄ゆえに5月に開催時期の変更となった。雲ひとつ無い好天で都内でも30℃近くとなった。お面をかぶって懸け橋を往復した方々はさぞや暑かったに違いない。
連休中にお金の掛からない『お面かぶり』見物に身動きが取れないほどの人出がありました。みなさん、『安近短』なんですな。私もおにぎりとゆで卵を作ってもらって、掛かったのは交通費だけの節約モードでした。
昭和記念公園にはそれこそ何万人もの人出がありました。昔、『安近短』と言う言葉があって、円安でなくても、元々海外旅行に行けない、ひたち海浜公園にも行けない人達がたくさん来ておりました。昭和記念公園にもネモフィラの丘があります。
こんなに良い天気の屋外では、熱中症に成らぬよう十分水分補給しなくてはと分かっていても、トイレのことを考えて無意識のうちに水分補給をセーブしてしまっていたようだ。家に帰って何だかお茶ばかり飲んでいる。水も滴るいい男を維持するには、十二分の水分補給をしなくてならないのじゃ一
日焼けしたのだろう。感じもする。顔が突っ張るような感じがする。
『七輪、羽釜、五徳、十能って知っている?』とカミさんが言う。
カミさんは今、南伸坊さんの本を読んでいる。本の中に昭和30年代を懐かしんでいる記述が有るようだ。南伸坊さんは1947年生まれで、ジイより2歳上の団塊の世代である。何故か、昭和30年代が静かなブ一ムになっているようだ。
ジイは昭和31年小学校入学、昭和37年卒業だから、昭和30年代真っ只中で育って来た。
七輪、羽釜、五徳、十能はもちろん知っている。ただ十能だけはジイとカミさんの持つイメ一ジが違った。ネットで調べて見たら、小さなスコップのようなものと、火のついた炭を運ぶ片手鍋のようなものがあり、両方とも十能と言うようだ。
他にも、ハエ取り紙、火消し壷、トイレットペ一パ一の前に『落とし紙』と云うのもあった。落とし紙は今でも雑貨屋さんで置いておく店が有る。
古典落語の世界では、”へっつい”、”水瓶”などが出て来るけれど、どんな物だか分からない若い方も居て、噺家さんも演じ辛いことでありましょう。小田急線向ヶ丘遊園駅から歩くけど日本民家園では大抵の物を見ることが出来ると思います。
今日は雨模様で何とか涼しいけれど、4月末から30℃越えの真夏日やそれに近い気温に成っている。これじゃ、7月、8月となったらどんなことになるやら、先が心配だ。
こんな日が続くとジジイなど干からびてしまう。指を広げて手の甲に現れたシワは隠すことが出来ず、手を見れば年齢を偽ることが出来ない。焼きたてアツアツのハンバ一グを切るとその断面から肉汁が出てとてもジュ一シ一。痛いからやらないけれど、僕の手は切ってももはや肉汁は出ない。こう言うのを『枯れる』と言うのだろう。
枯山水は水気が無くても良いものだが、ジジイの干からびた手は救いようがない。
今年は時間差で3回に分けてタケノコを頂戴した。ありがたいものである。タケノコご飯は大好きです。カミさんが大きな鍋で、ヌカを入れてタケノコを下茹でしようとしている。軟らかそうな先端部と、硬くて時間の掛かりそうな根元に方を同時に茹でるのはおかしいのではないか?
硬そうな根元の方は圧力釜で、軟らかそうな先端部は鍋で別々に茹でてみてはとカミさんに提案した。こんなことは世の中では常識なのかも知れない。圧力釜を使えば短時間で軟らかくなる。効果は上々だった。
玄米を精米すると胚芽が取れる。ヌカを分離して胚芽米や胚芽入りパンにして食べると何となく健康によいような気になる。もう十分長生きしたから、そんなに気にしなくても良いのにと、思うのだが。
歳を取ると云うことは本当に弱ったものだ。4/2に引いた風邪がまだ本調子ではないが、やっと治ってきた。体の具合が悪いと何かをしようと言う気力が起こらない。頑張りが利かなくなっている。
私は子供の頃、3人姉弟であった。姉弟ケンカをすると、『離れていなさい。近付くからケンカになるんだから』と両親から良く言われた。
海上自衛隊のヘリコプタ一2機が深夜の訓練中に衝突して墜落したようだ。またバカなことをして、国の財産と人命をそこねたと思う。ヘリコプタ一が近付き過ぎて接触すれば、落ちるに決まっている。そんな分かり切ったことをして失敗している。
①鳥を含めて、空を飛ぶものは確率は低いかも知れないが、何らかのふ具合で必ず落ちる。飛ぶという事は地球の引力に逆らったことなのだから、ふ具合があれば必ず落ちる。
②近付き過ぎれば、衝突して落ちる。分かり切ったことだ。近付かなければ成らないなら、高低差を付けるとか、これ以上近付くと危険だから、回避する装置を付けるのが当然だ。
訓練中に衝突して墜落するなんて、あまりにバカバカし過ぎて、開いた口が塞がらない。同情する気にもならない。
3月末に私の住む南関東でも気温が上昇して夏日となることがありました。お調子者のおさむ爺はすぐさま穿いていたスパッツを脱ぎ、ポロシャツも半袖とし、おまけに伸びていた髪を3mm坊主としてしまったのがいけなかった。
今までもちょっと具会いが悪いなと思うことが有っても、寝る前に風邪薬を飲んで寝てしまうと、翌朝はもう大丈夫と云うので乗り越えて来ました。油断したせいもあってか、今度ばかりはもうダメだ。医者に行って処方された薬を飲んでも中々症状が改善しないで寝てばかりして居ります。ダメで昼間から寝込んで居るのは10年ぶりくらいでありましょうか?
夏日だからと言って直ぐに調子に乗って脱いだり、坊主になったりは『年寄りの冷や水』であり、一旦こじらせてしまうと中々立ち直れないのは『歳のせい』であります。
4/10くらいに更新できたらと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
他の新聞はどうか知らないけれど、朝日新聞では週に一度テレビ番組の週間視聴率ランキングが発表される。
テレビ局関係者やCMを出している人たちにとっては、重要関心事なのかもしれない。テレビ関連の人は別の方法で視聴率を確認しているのかどうかは分かりません。
同じテレビ番組で何百万人の人たちが一斉に笑ったり、あるいは感動したりとする方が何かとても恐ろしくて可笑しな現象と思わねーのかな? そんなこと思う僕が異常なのか?
みんな一緒とか、テレビ漬けの人生に何かおかしいのではと感じないのかなあ? やっはり、私が異常なジジイなのか?
3/5 図書館から『東京人』と言う雑誌を借りて来た。2023年7月号で、特集は『僕らが愛したなつかしの子供雑誌』であります。『小学 一年生』、『よいこ二年生』と言うようなこども雑誌を特集しています。
『東京人』の表紙からレトロな感じです。雑誌の表紙はパッチリ二重瞼の輝く瞳の、丸い顔。そんな愛らしい子供たちの絵が定番だった。
表紙の題めいが『セイガク』や『コクミン』であったり、横組みのタイトルを左から右へ読ませるなど、戦時下の時代を反映させるものもあってとても興味深いです。こんなものを借りて来て見始めたら終活なんてとても出来ないものです。
昼食におろしニンニクとマヨネ一ズを混ぜてパンに塗り、ト一スタ一で焼いて食べている積もりだった。
『 何よ!これ生姜じゃない!』
とカミさんに言われるまで、生姜と気付かずに食べていた。
徳用の量の多いサイズの容器で、外側の表示は取り除かれていた。まあ、容器も中身の色も似ていると言えば似ているけどね。
『 食べていて、気付かなかったの? 』
『 ウン、人間だもの 』
『 ボンヤリしているのね 』
『 そうさ、人間だもの 』
相田みつをさんは、何にでも活用出来る言葉を見付けてくれた。ありがとう
どうやら、カミさんは僕より鋭いようだ。僕がもし鋭かったら、もうとっくに別れていただろうね。
昨日(2/11)、小田急線 梅が丘駅近くの梅のめい所であります羽根木公園の梅まつりに行って来ました。公園までは駅から歩いてほんの2~3分で、近くて無料となればたくさんの人たちが観梅に来ておりました。皆さん、花鳥風月を愛でる方々なのです。
公園内に”中村汀女”さんの俳句の碑文がありました。
『 外(と)にも出よ ふるるばかりに 春の月 』 です。
外に出て御覧なさい。手を伸ばせば触れられそうなほどの 春の月ですよ。こんな意味です。
大分暖かくなって来ました。
家人がコタツに入ってテレビを見ている。私もコタツで本を読もうと思うのだが、テレビの音声が気になって、本のペ一ジがちっとも進まない。私にとって、テレビの音声が本を読むことの妨げに成っている。番組の音声が気になって、集中出来ない。私はマルチ人間ではないから本を読むことと、テレビの音声を聞くことの両方を同時に出来ないのです。
机の引き出しから耳栓を引っ張り出してきて、耳栓をしながら本を読むことにした。この耳栓は硬めの発泡材で出来ている。耳に入れる部分を指で押し潰して細くした上で、耳の穴に挿入する。少し経つと押し潰されて細くなっていた部分が復元して耳の穴にフィットする仕組になっている。良いアイディアだと思う。
耳栓をしてもテレビの音声が聞こえなく成る訳ではないが、相当減ぜられる。耳栓をすれば脇でテレビがついていても本を読む事が出来る。
テレビやラジオの音声や、音楽などを聴いていない時でも、私たちの耳は絶えず周囲の音を聞いている。これを『暗騒音』と言う。本を読んでいない時でも、耳栓をしていると、『暗騒音』も減ぜられて、いつもとは違った世界に居るような気がする。私に取っては、快適な世界だ。
朝のテレビ番組で、スギ花粉の状況を放送していました。これから花粉症の季節です。私は今のところ、花粉症はOKです。
マスク、アルコ一ル消毒、手洗いうがい、浄水器、空気清浄機、サプリメントなどと言って、人間が本来持っていた免疫力、抵抗力を壊してしまったのか。
内臓も甘やかしてはいけません。まずは肝臓を鍛え上げるには、繰り返して酒を呑んだ方が良いのでは。私は呑みませんけど。
夜店の露店で亀を買ったら、翌朝になったら死んでしまっていた。露店のオニイサンに
『 鶴は千年、亀は万年生きると云うけど、夕べ買った亀が死んでしまった』と言ったら
露店のオニイサン曰く、
『あの亀、丁度、今朝が万年目だったのです』
そんな、小噺があった。
1/28 午前中に久しぶりに私の住む川崎でも『 震度4 』の地震があった。机の前に座って居たので、目の前の本棚の本を押さえてしまった。能登半島地震は『 最大震度7 』と云うから、とても大きな地震です。地域の防災訓練で起震車で震度7を体験したことがあります。それはもう筆舌で言い尽くせないほど、強烈なものでした。
能登半島地震は千年に一回レベルの地震であったと言います。能登半島での余震が収まり、インフラが復旧し、平常な生活に戻れば、たとえ活断層が有っても、あと千年間は大きな地震が起こらない安全な地域と言うことになります。
亀の話ではありませんが、原発の稼働でも、これから延長されて1基100年稼働となったとしても、それより遥かに長い1000年間は大きな地震が発生しない能登半島は安全な地域と言えるのでは・・・?!
昨日から長女の一家4人が1泊していった。孫は小1と小4の女子である。女の子は男の子より大きく成長する時期が早い。女の子の多くは小学校の高学年の時期に大いに伸びる。小4女子の孫は前回見た時よりも随分大きくなっている。
食べる量も『 おい、おい、そんなに食べて大丈夫かよ 』と思うほど良く食べる。まあ、成長期なんてそんなものだろう。おさむ爺だって、中学生の頃は好きなおかずの時は、ご飯茶碗5杯くらい食べていたし、食後1時間も経てば、まだ何か食べたいなと思っていたものです。
今日はドンド焼きの日だった。朝、小学生が登校する群れに混じって、会場の小学校校庭まで正月飾りを持って行った。実際に焼き始めるのは9時40分開始と云うから、正月飾りを持ち込んだだけです。場所によったらこんな行事は出来ないでしょうね。そう言えば、私が行った小学校ではドンド焼きはやらなかった。
新年になって行った所は、1/3~1/4に7つのお寺と、1/7に神社が1つ。ところで、神社やお寺を数える時の単位は何と言うんでしょうね? 『 社 』かな? お賽銭だって、ご縁が有るように全て5円ずつ。何か買った時のお釣りで、1円玉や5円玉がインスタントコ一ヒ一のビンの中にたくさん溜まっている。こんな時に消費? してしまわないと。
神様も仏様も金額の多寡で願い事を叶えて下さる、下さらないはないであろう。『 浮世の沙汰も金次第 』と言うのは人間の世界だけと言う事にして欲しいな。その他の出費は交通費だけの全くの『 年金老人節約モ一ド 』である。
我が家では年金以外に収入は全くない。普段の生活でも行くような場所は、映画館を除けば、主に図書館、神社、寺院、お墓参りくらい。交通費他が掛かるほどです。僕の衣類は、結婚して家を出た息子が残していった『 お上がり 』で済んでいる。ここ数年、パンツ、肌着以外買っていない。
スマホの通信費も格安プランである。水道光熱費、通信費などは仕方ないとして、外食は少ないし、食費は特にセ一ブしているわけでなく、好きなものを食べている。我が家のエンゲル係数はきっと高いに違いない。
正月飾りは今朝外した。どうも正月の雰囲気は好きではない。ただ、お餅はまだ残っているようだから、早めに食べてしまわないと。
噺家の林家木久扇師匠の持ちネタ・・・・若い頃に師匠の林家正蔵(彦六)さんに訊ねた噺
『 師匠、何故お餅にカビが生えるんでしょうね? 』
『 ばかやろ一一、早く喰わねえからだ 』
カビが生える前に食べなくちゃ!