今日あったこと、日常の出来事、読んだ本など身近なことを書いていこうと思います。
正月休みの暇を持て余し、欲張りな家族が一家揃って神仏のご利益、ご加護を求めて、地元の千年神社⇒影向寺⇒野川神明社⇒能満寺⇒橘樹神社と3社2寺と初詣のハシゴをして来ました。初詣のハシゴというのは、『 自分は頼りにされていないのだな 』と、神様も仏様にも思われてしまい、ご利益が増すどころか、反対にご利益、ご加護が希釈されて、本当はよろしくないのかも知れません。神社やお寺のなまえを書かれても知っているのは爺だけでどちら様もご存じないなまえを書いて申し訳ありません。
3社2寺も歩いて廻ると、もう少しで歩数は10,000歩となりました。私の住む町会には『 橘樹官衙遺跡群 』と言う古代の史跡が有ります。影向寺は7世紀後半に創建された、由緒あるお寺です。7世紀後半と言ってもピンときません。聖徳太子よりは後、遣唐使、中大兄皇子(後の天智天皇)が歴史の教科書に出て来るような時代に建てられた寺院なのです。もちろん後に再建されています。本堂の裏には薬師如来木像があり、国指定の重要文化財になっています。普段は閉じている堂の開帳もしていました。
私、薬師如来の癒しの呪文を知っているのです。『 オン コロコロ センダリ マドウギ ソワカ 』。 この呪文の言葉を知っていたのですが、幼児期に祖父に教えてもらったらしく、何の呪文か全く解らなかったのです。幼児期の記憶はこんな老人になっても残っていて、この呪文が薬師如来にお願いする時の呪文であることを、最近になって、偶然知りました。
正月も3日ともなれば、私などが参拝する神社やお寺さんには参拝者などほとんど居ません。もちろん、声を出してお願いして来ました。一方、神社にも言霊があります。こちらも参拝の際に声を出してお願いして来ました。ただ、ここに書いてしまうと、有難味が薄れてしまうといけないので止めておきます。
その他、参拝した能満寺、橘樹神社も歴史ある寺社でありますが、説明は省略。
お正月ですから、ほんの少しだけお酒を呑みました。普段、全く呑まないので、少しのお酒が効いて、何かに集中できなくなり、普段の自分とは違った感覚となります。こんなことやっていて、1年365日の内、ろくに何もしないで、もう3日も無為徒食で過ごしてしまった。多少、ウツ気味です
今年(2025年)発行、2026年用のお年玉付き年賀状の発行枚数は7億5000万枚とラジオで言っていた。実に最盛期の6分の1なのだそうです。使い古されたことですが、LINEや e-mail、SNSが普及した影響なのだと言っています。
皆様のお考えはどうでしょうか? 最近の郵便事情について、僕はあまりよく思っていません。以前は都市部で投函された郵便物で市内であれば、翌日には着いて居ました。今は3~4日掛かるのではないでしょうか? ネットで買い物をして、ヤマト運輸や佐川急便なら、発送しましたとMailがあれば、翌日には品物を入手できます。置き配ではなく、荷物が来ることを知れば、受け取りのため在宅しなくてはと言う気が有ります。日本郵便だといつ来るか分からない。土日に集配を行わなくなってからずっと遅くなったような気がします。実情はどうか分かりませんが、民営化された後も、『お上』の仕事をしていた時の気分が抜け切れていないようだと私は感じています。
あまり関係ない事をぼやいてしまいました。そうそう、年賀状の話です。私もLINEやe-mailを使っています。今年(2025年)の年賀状で、2026年分の年賀状から『 年賀状欠礼します 』とお伝えしました。もう何年も何十年もお目に掛っていない方に『 今年もよろしくお願いします 』はないでしょう。
それでも全部ヤメタと言う訳でなく、今日6枚だけ裏面の図柄と表面宛なと差出人の印刷をパソコンにて終えました。所要時間1時間程ですか。これから先、ハガキの余白部分に、相手の方に合わせて一枚ごとに手書き文を書き加えます。今年は枚数が少ないからとても楽そうです。
パソコンで年賀状を作るようになっても、必ず手書き文を書き加えていたと思います。働いていた時分は、それぞれ相手の方に合わせて書くのに、毎年手間取ったものです。でも枚数が少なくなったのも、何となく寂しいものです。
毎年初めに『 今年は100冊の本を読もう 』と目標を立て、読み終わった本を記録している。 今日(12/12)、100冊目を読み終えた。100冊読んだから、どうしたと言う事は全く無い。自分に課したただの目安である。
ここ数年は目標達成できなかった。できなかった理由は明白で、勤めていなかったからである。通勤に要していた時間の内、電車かバスで座れさえすれば、その乗車時間が読書タイムとなる。安定した時間が確保されていたからである。
毎日が日曜日となった今では、時間は十分にあるのだが、自らを律して意識して本を読まなければ、他に『 楽なこと 』はたくさんあるのだ。
この歳になれば、もう僕に残された時間はふんだんに有る訳ではない。経験上読まなければ良かったと後悔するような内容を予測される本は、なるべくなら予め避けたい。残念ながら、本は読んでみないと内容の良し悪しが分からない。途中まで読んで、止めてしまったもの多数。ただその中には難しくて僕には理解できず、ただ字面を目で追っているに過ぎなくてギブアップしたものも多い。
本の選択には他の助けによるものがほとんどでした。
① 新聞に紹介されていたモノ
②『 一生の内に読んでおきたい100冊の本 』と云うようなリストがネット上にはたくさんある。そこから探す。
③ エッセイなどを読んでいると、著者が良いと思った本の題めいが記載されている。
これらの本のなまえをメモしておいて、主に図書館から借りてきて読んでいます。ハズレの本はほとんどありません。
来年は『 100冊 』にこだわるのを止めようと想っています。拙宅にはブックオフで買い集めた43冊の近代文学の全集があって、まだ全体の半分ほどしか読んでいません。こちらも交えて、もう少しじっくりと読んでみたい。


いつもの繰り言かもしれませんが、日付と行先を決め、お金を払い込めさえすれば、旅行のプランや足の確保も考えてくれる。例によって添乗員さんの持つ旗の後を付いてゾロゾロと歩くジジ、ババが多く参加するバスツア一に行って来ました。
いつもと違うのは、今回は『 読売旅行 』ではなく、『 クラブツ一リズム 』と言う会社のプランでした。旅行会社は違いますが、両社のやり方はほぼ同じであります。今年は都合4回も行っただよ。
今回の行先は静岡県の三島、修善寺方面。11月も後半となれば、『 紅葉狩り 』と言うところでしょうか。静岡、山梨方面は今までに何度も行きましたが、心掛けが悪いのか、いつも晴天に恵まれず、『 富士山 』を見ることが出来ませんでした。今回は “うがい手水で身を清め”で出発した甲斐もあってか、富士山のテッペンから裾の方までバッチリと見えました。日本人は皆さん、どうも富士山を見るのが大好きなようです
『 富士見台 』あるいは、これと類似した地めいはあちこちにあります。ビルやマンションが建てられ、昔は見えた富士山を、今はほとんど見ることが出来ません。ジイの方でも冬になると最寄り駅のホームからビルの隙間を通して見ることが出来るだけです。
当たり前のことですけど、バスが東めい高速を進むに従い、富士山が段々大きく見えるようになる。日常生活の中で、見上げれば富士山が見えると言うのは幸せですよね。
バスツア一のプログラムの中に『 海鮮&ミカン詰め放題 』と言うプランがあった。どうも『 放題 』と言うと無尽蔵に、獲りたい放題と言うイメ一ジが先行します。そこに参加者側と業者側の攻防戦が展開するのです。
以前に行った読売旅行で『 イチゴ30分間食べ放題 』と言うプランがあったけど、頑張ったってイチゴばかり30分も食べ続けるなんて出来ないのです。まして参加者が年配者ばかりでは、食べ放題プランはイチゴ農家の『 楽勝 』なのであります。
今回の旅行にも『 海鮮&みかん詰め放題 』と言うプランがありました。参加者に無制限に詰め込まれてしまったら、業者側は商売になりません。海産物を入れる容器は深さが5~6cmほどしかなく。角の出ている大き目のサザエはもうダメ。きちんと蓋が閉まらなければNGなのです。必ず保冷剤を入れなければいけないし、その他にもたくさん詰め込むことが出来ないように、イカには太い櫛が刺さっている。可笑しいのは、こちらに伊豆半島近くの海産物と言う先入観があるのか、詰め込む対象品に、貝殻付きのホタテやホッケの干物がある。両方とも北の海の産物です。
ミカンを詰め込む袋も15cmx25cmと小さくて無理して詰め込もうとするとすぐに破けてしまう。袋が破れたらそこで終了。
参加者と業者の攻防はいつも業者側に軍配が上がるようになっているのです。
とかなんとか言いながら、お天気も良く、交通渋滞にも巻き込まれずに無事帰って来ることが出来ました。めでたしめでたしでした。
『 紅葉? 』 もちろん十分堪能いたしました。
毎年のことですが、今頃から12月初めにかけて嫌なハガキが届きます。それは年賀状欠礼の連絡。
自分だけでなく、カミさんのところに来たハガキも含めて、自分よりずっと歳が上の方ならまだしも、自分と同年代の方が亡くなった知らせは嫌なものです。『 来年は自分の番かな 』 なんて思ってしまいます。
この歳になって、お金がなくてふ自由な生活をするのは身に詰まされます。お金も大切ですが、いくらお金があったところで、自分自身の力で歩けない、食べられないでは長生きしたって意味がない。
天気の良い日には散歩が出来、温かいご飯が食べられれば、幸せなのです。
昨日に続き、今日も天気が良い。『 農業まつり 』をやっていると言うので、散歩がてら覗きに行って来ました。会場に行くまでの道で、農業まつりから帰って来る人たちに出会います。手提げのバッグからはみ出した『 葉っぱ付きの大根 』を買った人に会います。
僕が行った時間帯ではもう既に遅く、長ネギは早々売り切れてしまったようです。率直なところですが、『 農業まつり 』だからと言って、野菜を特別安く売りだしているわけではありません。ネギや大根、ニンジンなどが山積みにされていて、売り子さんが大声で叫んで、盛り上げるものですから、皆さん、雰囲気で購入されてしまうのでしょうね。
我が家では野菜は買いませんでした。買ったのは『 からみ餅 』、『 あんころ餅 』と育苗ポットのに入ったパンジーの苗、そして私だけ『 フランクフルト 』でした。
作文練習帳に息子が知的障害で、グル一プホ一ムに体験入所することを書きました。先週金曜日の夜に拙宅に戻って来ました。時たま、いつもの独り言、鼻歌など出ている所を見ると、ホ一ムでも快適に過ごしたと想像しています。体験入所する前は心配で、心配で食事も中々喉を通らなかったことが嘘のようです。週末は自宅で過ごして、月曜日からまたホ一ムの暮らしになることを本人もなっとくしているようだ。
自宅では自分で洗濯など決してしなかったのに、体験入所中に洗濯の仕方を教えてもらって、自分で洗濯をしたと連絡帖に書いてあった。一旦、自分で洗濯ができるようになると、1日分のパンツとシャツしかないのに、毎日洗濯をしているようだ。そこら辺の判断が出来ないのが、障害の所以なのです。
体験入所に引き続き、グル一プホ一ムで暮らすようになるのだから、自室での生活用に布団とテレビ、ラジカセを買いに行ってきました。(11/8)
昔のテレビはアンテナの端子を接続し、電源を入れれば、見ることが出来たのに、今は色々な設定があるのだと言う。ジジイがホームに持ち込む前に色々設定をしておかなければいけない。今のテレビはHDDを内蔵していて、テレビで録画ができるのだとさ。たまげたもんだよ。
まあ、ジジイも説明書を読みながらも、色々な設定が出来ないと困るのだ。面倒くさくても、説明書を読みながら設定すれば、きっと認知症予防になるに違いないと思っている。
息子の入所に関してあちこち歩き回っていて、胃の調子が悪くなっていた。こちらは歳のせいもあって、医師に処方された薬を飲んでいますが、まだ思わしくありません。19日に胃カメラの検査受ける予定です。
ついでに、他方に神経が向いていたせいもあって、このHPが満25年経過したことも忘れていて、本日『25年』と表示の変更を致しました。でも、『 こんなことを25年も続けていて本当にバカだね 』と本人は思っているのですがね。

旅行の楽しみと言うのは、行き先を決めるのはもちろんのこと、行程を考えたり、何処で何を食べるなど、あれこれ計画を立てたり、想像することに旅の楽しみの半分は有る。
もちろん行先すら決めずに風の吹くまま、気の向くままの行き当たりばったりの旅もあるのだが、これはもう若い独身者に限られるのではないか。
老人にとって足の手配や行程など計画の立案はもう面倒で、旅行会社が立てたプランの中から、自分に合いそうな行き先のものを選択して、その後は『 あなた任せ 』の旅を行うのが安直なのである。言葉を変えれば、それしか出来ないのである。
添乗員さんの持つ旗の下に集い、バスの決められた席に着き、旗の後をゾロゾロと決められたコ一スを見て回り、同じメニュ一のご飯を食べ、適宜トイレ休憩をして日程を過ごす旅に行って来るのである。
例によって読売旅行の『 秋色のわたらせ渓谷鐡道 』の日帰り旅に参加してきました。
弊爺の日ごろの行いが悪いせいか読売旅行には事故渋滞に巻き込まれたり、時間的に『 運 』が悪い。昨日(10/29)もバスの出発時刻になっても、初めて参加の老夫婦が集合場所に現れない。携帯も持っていない。家電に連絡しても留守。連絡の取りようがない。初めて参加なら、集合場所を予め確認しておくくらいの配慮が欲しい。30分経過しても現れず、已む無くバスは30分遅れで発車。
10/29朝は、来日していた米国トランプ大統領が羽田空港から韓国に向けて出発した。これに伴い、幹線道路には交通規制が掛かって、東めい高速もちっとも進まない。東めい川崎から用賀までは10kmもないだろうに、1時間以上掛かった。
その後もノロノロは続き、途中のトイレ休憩の段階で2時間半遅れ。これからわたらせ渓谷鐡道の乗車予定の足尾駅まで行き、予約してある列車に乗るのはとても無理。
添乗員さんからの連絡で、『 読売旅行 』の銃後に控える部隊が計画を練り直すのである。わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車に乗ることを目的としているのに、譬えトランプ大統領出発の交通規制で遅れたからと言って、『 トロッコ列車に乗れませんでした 』では会社の面目丸つぶれである。
会社はトロッコ列車に乗ることを最優先に、鐡道会社に指定列車とコ一ス変更と指定席の予約を取り、昼食を取る場所に時間変更の連絡をし、途中の事故渋滞にはバスにコ一スの変更を指示し、なんとか遅れ遅れで13:50に昼食を取るドライブインに到着させた。
当初、トロッコ列車は始発の足尾駅から神戸(ゴウド)駅まで乗る予定であった。足尾駅まで行く時間がなく、列車を変え、途中の神戸駅から終着駅の大間々(オオママ)駅までにコ一ス変更する旨、添乗員とバスドライバ一に指示するのであった。当然指定席の変更も済ませるのである。
旅行の申し込みをしたのは9月の初めです。パンフレットには紅葉の山を見ながら渓谷沿いを走るトロッコ列車が映されていました。残念ながら渡良瀬川沿いの山々は全山紅葉ではなく、ほんのりと言った程度でした。
今年、全国的に騒ぎとなっているクマの出現もありませんでした。昼食を取った草木湖近くのドライブインの食堂で、私が食べていたテ一ブルの直ぐ脇にツキノワグマの剝製がありました。多分、草木湖辺りにもクマが生息しているのでしょう。
帰りのバスの経路も東北自動車道を通って、蓮田ICでトイレ休憩する予定で走っていた。蓮田IC手前で事故が起きた情報を入手するや、帰路を関越自動車道に切り替え、帰って来たのであった。
以前なら、一旦出発してしまったら、もうバスのドライバ一やガイドさん、添乗員の判断に任せるしかなかった。乗客のジジ、ババが居眠りこいている間に、事態は刻々と変化して、最新の情報を基に前線のバスに、銃後に控える部隊から最新情報や指示を伝えるようになっていた。定刻より遅れてはいたのだろうが、無事午後7時半くらいに出発地点に帰還したのである。
この小文を読んで下さっている方にはジジイの日常のことなど、どうでも良いことなのであります。まして、ここでは一応、日記の体裁である。著めい人や文学者、作家ならイザ知らず、日記なら本来人様にお見せすべきものではありません。それなのにネット上では個人の日記を大っぴらにする露出狂が横行している。それに乗じて、ジジイが平然と自らの考えや行動の一端を晒すのは本来図々しいことなのである。
10月某日、前夜遅くまで起きていたせいであろう。早々眠くなって午後9時半には寝床についたしまった。ジジイは睡眠薬をふく用していない。子供の頃から、寝つきがとても良い。
夜中にトイレに起きることもなく、翌朝目覚めた時は6時半を過ぎていた。時計を見て慌てて起床した。
高齢者となると、体力が減少して、睡眠時間は一般的に5~6時間と言うくらいの方が多い。それも途中で目覚めて、睡眠中に『 トイレ休憩 』を挟まなければいけない方がほとんどなのです。
某日のジジイは一度も目覚めることなく、『 トイレ休憩 』もなしに、丸9時間眠り続けたのです。
これが小中高生、10歳未満や10代の方が、1日半眠り続けたなどと言う話は時々聞きます。寝るのにも体力が必要だと言う話も聞きます。
おさむ爺は後期高齢者です。7時間程度なら一度も目覚めず、トイレに起きることなかった事は度々あります。9時間眠り続けたとなると、ジジイでも珍しい。さすがに自分でも『 よく寝たな~ 』の充足感いっぱい。
もしかしたら、ずっと眠り続けてしまう『 永眠 』の練習をしたのではと思ってしまう。友人でも気の早い何人かは彼方へ行ってしまった。世間一般なら『 永眠の適齢期 』だものね。
昨日(10/3)、新型コロナウイルスとインフルエンザの予防接種を受けてきました。10月1日から医療機関で接種が始まっている筈なのですが、それを知らせる10月の『 市政たより 』がまだ届いていない。市のホームページで探して調べ、情報を得ました。
医療機関にも1日に接種する数に枠があるようです。3年連続接種をお願いしている子供クリニックで予約を取ろうと電話しました。受付のオネエサンが午後は混むから、午前中にして欲しい旨を言う。こちらも午前中は用事がある。何とかお願いして午後の予約を取った。指定の時間に行った。午後は学校を終えた児童がたくさん来院するのかと思っていた。待合室には誰も居ない。僕とカミさんが接種に要した30分ほどの時間に、小児科の患者もその他の人の来院ゼロなのよ。何で午前中、結構オネエサン強行に言ったのか、訳が解らん。
厚労省から昨日丁度、『 昨年よりほぼ1ヶ月早く、インフルエンザの流行期に入った 』と言う発表があった。抗体が出来るまで接種から1~2週間掛かると言いますから、早目の接種をお薦めします。
病気に罹らない為の予防接種でも、65歳以上の高齢者で、新型コロナワクチン¥7000、インフルエンザ¥2300は辛いよね。(この費用は自治体によって変わります)
今日は接種翌日です。接種の影響か何となく体全体がダルイ。それだけ。
今日は、川崎市政100年目を記念した『 多摩川の花火大会 』が今夜6時から7時まで実施される予定です。先ほどから開催を告げる空砲の音だけの花火が何回か打ち上げられている。
花火と言えば夏の夜空を飾ると云うのが定番なのでしょうが、どういう訳か川崎市の花火大会は10月に実施される。時間も午後7時終了と時間帯が早い。近隣住民から『 うるさい 』とか『 ゴミが出る 』、『 交通渋滞が酷い 』などの苦情が出るのでありましょう。気分の問題なのですが、やはり花火は夏が良いな。時期をずらして、花火屋さんの繁忙期を外せば安く出来るのかな?
私が現住地に引っ越して来た45年以上も前には、拙宅からも花火を見る事が出来ました。花火の発射会場までの間にビルが建てられ、今では拙宅から花火を見ることは出来ません。音だけです。『 音はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁のような 』であります。
まだ若い頃は子や孫に浴衣や甚平を着せて見に行ったものです。今となってはそんな気は少しも起こりません。
昨日(10/01)、図書館から『 東方見便録 』と言う題めいの本を借りてきました。アジアの国々のトイレとウンチの事情を書いた本です。まあ、はしたないと思われる方もいるでしょうが、あらゆる動物にとって避けて通れないことではあります。
排泄についての羞恥心の少ない中国では、公衆トイレには個室がなく、仕切りもないとのことです。全部が全部のことではないと思いますが、日本とはだいぶ事情が違うようです。ただ、これを以って中国のトイレ事情が悪いと言ってはなりません。それぞれの国の文化や習慣なのですから。
インドネシア郊外の屋外のトイレで、水が流れて水洗なのですが、人間の排泄物を溜池のようなところに流れ込むようにしている。微生物の効果で浄化させると共に、池では魚を飼っていて、魚に便を食べさせるようにもなっている。住民は池で釣りをして、その釣った魚を食べ、また排泄をして、魚を育てるという『 循環型社会のシステム 』に成っている地域もある。
しょく物と動物の違いこそあれ、おさむジイの小学低学年頃まで、畑で下肥を使って作物を作っていたし、江戸時代には下肥は貴重な有価物として取引されていたのだから、日本でも同じようなことをやってきたのです。
おさむジイもマレ一シアに行った際、ホテルではもちろん洋式トイレで水洗だったけど、飲食店などではしゃがむ方式だった。日本の和式トイレの前方のいわゆる『 金隠し 』の無いような便器がトイレにあった。どちらを向いて使ったらよいのか迷ってしまった思いがある。『 TOTO 』と書いてあったから、日本のTOTOの製品なのであろう。
ちょっと話がずれるが、日本の和式トイレを男が使用する場合は良いが、あの『 金隠し 』と云う前方のカバ一状の覆うモノのなまえは、隠す金の無い女子の場合、どうなるのであろうか。便器のなまえの付け方が適切でなかったのではと想像したりするのである。
実はまだ本の半分も読んでいない。後ろの方のペ一ジの挿絵を見ると、人間が排泄するのを、下でブタが待っているような図も書かれている。このブタもいずれは売られたり、住民の食料になるのかもしれない。
現在の日本人の心情的からは忌避したい気持ちは有るのだろうけど、文化や習慣の違いを軽々に云々することはしてはいけないと思うな。

白色ユウガオの花です。春先にタネをまき、9月も下旬になり、枯れてしまうまでをユウガオの生涯と考えたら老齢期になって、やっと花が咲きました。それもユウガオと言うなまえの通り、夕方から夜になってから咲くのです。
中々気難しくて、夕方から夜にかけて咲くと言っても、ある程度気温が下がらないと咲かないようです。今までも何度も大きなつぼみを付けていましたが、熱帯夜が続いたせいで、つぼみのまま開かずに萎んでしまっていました。お彼岸となり夜の気温も下がって来たので咲く気になったのでしょう。
白色ユウガオはここ数年ほど連続して栽培しています。どうも温度の加減で咲かないのだと経験上分かったので、昨年は夕方に噴霧器を使って葉を湿らせ気化熱で温度を下げようと試みたのですが、ダメでした。
花は大きな方で直径10cm以上になります。画像の花は夕方の5時半ころに撮ったものです。かなり風が吹いていまして、まだ完全には咲いていないような状況かと思います。午後10時ころに再度見に行きましたら、風もなく大輪の朝顔のように咲いておりました。朝になってまた見に行ったら、しおれてクチャとなっていた。
よく海苔巻きに使う『 かんぴょう 』と言うのはユウガオの実を薄く剥いて乾かしたものです。白色ユウガオを数年育てておりますが、実はなったことはありません。かんぴょうを作るには種類が違うのかも知れない。
私、源氏物語には縁がありません。源氏物語に夕顔と言うお方が登場するそうですが、夜に咲く花に関係するのでしょうかね? 感じとしてはネガティブと言っては相応しくありませんが、何処となく幾分暗めのおとなしい感じがします。ジイの感じですから当てになりません。
朝日新聞東京本社発行5万号記念『 写真館 』を見ました。記念の『 写真館 』と言っても、本ではなく、過去の写真とその説明文が書かれた幾分厚い新聞状のものです。
自分が生まれた頃や、もう忘れてしまった小学校入学当時の世相、その他私が育って来た世の中の様子の一部が分かってとても興味深いものです。
私が初めて乗った飛行機は国産初の旅客機、YS一11です。もちろん、プロペラ機でした。そのYS一11の写真も載っていました。初めて飛行機に乗ったものですから、とてもワクワク、ドキドキしました。窓から見える翼もゆらゆらして見えるものですから、ふ安もありました。実は新婚旅行の帰路に乗ったのです。もう49年以上前の事になります。老人の懐古趣味を刺激する『 写真館 』でありました。
このところ、天気予報で 『 ところに拠り雷雨が有るでしょう 』 の予報に関わらず、ジイの住む所は、『 ところに拠り 』 にずっと見放されていた。昨日、ジイの住む関東地方南部でも久しぶりに大雨が降った。降ると言っても50mほど先が霞んで見えなくなるほど一度にたくさん降らなくとも良い。後でニュ一スを聞けば100mmほどの雨が一度に降ったとのこと。降るにしても、ほどほどに降って頂きたい。
二ュ一スに拠れば、東京目黒区の緑が丘では134mmの降雨だったとの由、緑が丘と、ジイの育った大岡山はほぼ隣町のようなもの。多分、大岡山もたくさん降ったものと推測します。ただ、大岡山は大きな山のような台地だから、大岡山が冠水すると言うことはない。ジイは大岡山の産で、小学校の友はかなりたくさん住んでいる筈。クラス会のグル一プラインからは被害にあったことなど来ていない。
一方緑が丘は、丘と言うものの、確かに丘もあるが、川も有り、谷も有るようなところ。冠水した住宅も有るのではと思います。
さてさて、さては南京玉すだれ。
ジイの家の前の道路は幾分低くなっているようで、最大で深さ10cmほどの水が溜まった。こんなに水が道路に溜まってしまったのは、現在位置に引っ越して来てから、45年になりますが、2度目の経験になります。ただ、拙宅は道路よりちょっと高い所にありますので浸水は有りませんでした。
水が溜まっていた時間は多分30~40分程度だと思います。近隣住民含めて、排水溝の入り口に溜まっていた落ち葉、ゴミ、吸い殻などを取り除いたら、水はほどなく引いた。
よく駐車場を地下にしている家が有ります。直ちに車を退避させ、ポンプ車を依頼して、溜まっている水を除去して貰っているようでした。
ジイの家に4.5畳より少し大きいくらいのル一フバルコニーが有ります。3~5cmほど水が溜まってしまった。排水溝に落ち葉がたまっていて、雨が止んだ時に落ち葉、芥など除去したら、見る間に水が退散した。
と言う訳で、家の被害は有りませんでした。我が家からの最寄り駅前は膝くらいの深さまで冠水したようです。JR南武線も線路冠水により2時間程停まってしまった。
今朝に成ったら、気温が大分下がりましたよね。このまま秋の気候になってくれることを望みます。
昨夜、落語会に行って来ました。出演の噺家さんは『 立川晴の輔さん 』と、お弟子さんの『 志の麿さん 』。それと、色物は『 江戸曲独楽の三増 れ紋さん 』の3人でした。
曲独楽は真剣(?)の刃の上を這わせたり、扇の上で回すなど独楽を使った伝統的な芸であります。独楽の芸人さんは全国でも10人くらいしか居ないそうです。独楽はふつう紐を使って回すことが多いですが、曲独楽に用いるものは『 振り独楽 』と言って、紐を使わずに回転させます。注文生産のとても高価な独楽なのです。落としたりすると芯が狂ってしまい、修理しないと使えなくなってしまう。
ジジイはかつて、江戸東京博物館に独楽の芸人さんが来ていて、振り独楽の回し方を伝授して頂いて、多分今でも回すことできると思います。当時、芸人さんも素人の僕に大切な商売道具を使わせたものです。落としたらもうパ一なのですから。
『 志の麿さん 』演目は『 真田小僧 』、『 晴の輔さん 』は『 死神 』でした。『 死神 』の方は暑い時期ですから、怪談に近い噺なのでしょうかね。
川崎市の教職員互助会の主催の落語会でしたが、どうもテレビ番組の「笑点《に出演なさっているメンバ一を演者に選んでいるようです。
いつもそうですが、観客の方々はとても大人しい。会場の雰囲気を和ませ、噺家さんもやりやすいように、晴の輔さん登場の際に『 待ってました!龍角散ダイレクト! 』と声を掛けました。僕の声は大きくて通る声をしているのですがね。拍手に打ち消されてしまったかも知れません。今回はクリ一ンヒットではなかったかも。声を掛けるのにも、タイミングが大切。
なにか見たり、聞いたり、読んだりすると直ぐに影響されてしまう。ジジイなのにしっかりとした『 芯 』が一本確立されていないのか、知らなかった情報を得て直ぐに吸収できる『 若さ 』をまだ持っているのか?
昨日、『 決断する力 』(猪瀬直樹著 PHPビジネス新書)を読み終えた。改めて書く必要もないが、著者は石原都政の時に副知事を務めていた方だ。
2011年 東日本大震災の際、首都圏では交通網は停まってしまい、帰宅困難者が溢れ、通信が集中して固定電話、携帯電話もメ一ルも使えなくなってしまった。私も携帯電話はもちろん、メ一ルも使えず、勤め先から25kmほど歩いて帰って来たことを思い出した。次の朝は確か歩きでなく、チャリンコ通勤したっけ。
その時、猪瀬副知事はSNS、この場合は Twitter を使った情報収集・発信、即断即決にと、大いに役に立った例が書かれていた。
今、SNSの良い面、悪い面が盛んに言われています。折角の良い機能も悪いことに使われては影響も大きいし、残念だ。
SNSではありませんが、我が家の固定電話も常時『 留守番設定 』にしてあります。折角の電話と言う便利な機能も、特殊詐欺と言う悪事に使われるようになると、自衛手段で防御せざるを得なくなります。大変迷惑しています。(我が家にも留守電のメモリに詐欺の伝言が入っていました)
『 決断する力 』を読んで、Twitter も Facebook も一時期よく覗いていたことを思い出しました。(今は両方とも違うなまえに成っているんですよね)。少なくとも今年は Twitter に一度もアクセスしていませんでした。 Twitter に最後に投稿したのは2024年の1月でした。 Facebook にもときたま知人のなまえを見掛ますが連絡を取らずにいます。今さら過去のしがらみを掘り起こしても仕方がないことです。
電話もメ一ルも繋がらなくなってしまった時、SNSも情報収集・発信の一つにに使えること再認識しました。以前のように話題を見付けて、 Twitter に投稿してみようかなと言う気に成っています。自分でも普段から触れていないと、いざと言う時に役に立たない。
世の中、今週が何処も『 お盆休み 』のようです。僕なんか毎日が休日だから、特にお盆だからと言って何か行う訳ではない。子供の頃、セミ取りに行こうとすると、『 お盆だから止めなさい 』と言われたものです。今は遊びの種類が多いから、虫取り網を持った子共すら見かけない。
お盆は3回ある。7月中旬のお盆。今は『 月遅れのお盆 』である。よく、間違えて『 旧盆 』と言う人がいる。『 旧盆 』は別にあります。今の時期は『 旧盆 』ではありません。今年は9月6日が『 旧盆 』であります。カレンダ一に書いてあるから確認しておいて下さい。大人の常識としてよく覚えていた方が良い。
僕がここで『 お盆が3つある講釈 』をしたからと言って、僕のHPを見て下さる方など、ごく限られている。相も変わらず『 旧盆 』と云う方はたくさん居ると思う。講釈を言ったところで流れは変えられない。そんな時、『 独擅場(どくせんじょう)』と言う言葉を思い出す。『 独擅場 』を『 どくだんじょう 』と誤って読んでしまった方がたくさん居た。『 多勢に無勢 』ですね。それで、『 独壇場 』と云う漢字すら出来あがってしまった。『 手へん 』と『 土へん 』の違いだけ。 昔、『 それでも地球は回っている 』とコペルニクスは言った。後に地球は回っていることが解ったけど、『 どくだんじょう 』は覆られないだろうな。以前、NHKのアナウンサ一は『 どくせんじょう 』と言っていた。念のため
お盆だからと言って、都会では特に先祖の供養をしている様子もない。まとまった休日の口実にしているに過ぎない。亡くなった先祖の方がお盆の時期に家に戻って来ると言うことになっています。花屋さんの店先に行けば、『 おがら 』やその他のお盆の用具を売ってはいます。路地裏に行っても、キュウリやナスに足を付け、馬や牛を付けて『 迎え火 』や『 送り火 』を行った痕跡など全く見掛けなくなってしまった。
ご先祖様がキュウリの馬に乗って早くやってくるように、ナスの牛に乗ってゆっくり戻られるようにと言うのだ。『 十万億土 』と言うとてつもなく遠くから旅して来られるのだから、来るのも帰るのも大変遠い。
お盆明けが近付いてくると、どのテレビ、ラジオでも決まりきった、使い古された言葉を言う。『 お盆休みをふるさとや行楽地で過ごしたご家族連れが一斉に移動します 』。子供連れの親子が新幹線ホームにいる姿や、首都に向かう高速道路の渋滞状況が映し出される。 『 お盆休み 』を『 ゴ一ルデンウィ一ク 』や『 正月休み 』に変えるだけで、いつもどの放送局も同じ言葉を使う。 手垢の付いたことばかり言っていないで、何か違う言葉考えろよ。

今年の春先にホ一ムセンタ一で『 巨大朝顔 』、『 白色夕顔 』、『 ミニカボチャ 』のタネを買った。朝顔はなるほど、大きなピンク、白い縁の付いた淡いピンク、紫の3種の花を付けた。ミニカボチャもプランタ一に合計6株と成ったが、今のところ5ヶ収穫し、3個は現在進行中で生育中であります。
白色夕顔は過去に2年育てたことがあり、今年で3回目です。夜間に咲くちょっと変わったタイプの花なのです。ツボミの段階では、普通の朝顔の3~4ばいの大きさになります。これが中々気難しくて、機嫌が悪いとツボミのまま咲かずに枯れてしまうのです。
過去の例だと、7~8月にはまったく咲かず、9月になってやっと咲き始めたこともあります。昨年は夕方になって噴霧器を使って、葉に水をかけて冷却を試みましたけれど、機嫌を直してくれませんでした。3年間お付き合いした結果、暑過ぎるとツボミはつけるけど開花まで至らない性質なのではと、結論付けています。
昨夜は台風9号の接近で、雨交じりの強風が吹き、いつもより夕方から夜間の気温が下がったのでしょう。パッと全開ではなかったようですが、まあ全開から見れば6分くらいの割合で3つ咲いてくれました。中々気難しい花なのです。でも咲いてくれればとても嬉しい。
何かもっと『 良い生活をしたいな 』とつくづく思う。僕にとって、ここで言う『 良い生活 』はもっと広々とした豪華な家に住みたいとか、もっと美味しい物を食べる、もっとよい衣類を着る、旅行に行って良い宿に泊まる、『 あれが欲しい、これが欲しい 』と言うようなことではありません。今更、そんなモノ望んだところで叶う筈もありません。
僕は年金生活で、働いていません。風呂の掃除やら、食後の食器洗いなどの家事のほんの一部はやりますが、そんなものはどうと言うことありません。ボケ防止に毎日数時間は必ず机には向かいます。そんなことは僕の好みの問題、個人的なことで、日常生活に困るような病気をしている訳でないのに、毎日単にブラブラしているだけ。全くの『 無為徒食 』なのです。
ここのところ、HPの更新も滞りがちです。毎日危険なほど暑い日が続いています。熱中症になる虞があるから、用事がなければふ要な外出はするなと言う。家の中にばかり居たのでは、何か書くネタもないよ。朝起きてご飯を食べて、クソして寝るだけの生活していたら、今度は『 認知症 』になってしまうわナ
今は持て余している『 時間 』も、壮年期は『 もっと時間が欲しい 』と思っていた。時間は子供にも、若い人にも、働き盛りの壮年期の人にも、そして僕ら老人にも平等に与えられている。
時間は無駄遣いしても何も残らない。時間は貯蓄も出来なければ借金、翌日への繰り越しも出来ない。使い方に拠ったら財産のようなものだが、大抵の人にとっては、『 あの時、もっと(勉強、仕事など)やっておけば 』と嘆く日が必ず来る。
僕にとって『 良い生活をしたいな 』と思うのは、心臓病の持病があるから、きつい仕事は出来ないし、若い人のように機敏には動けないけど、他には体が動かないところもないのに、毎日ブラブラしてばかりで、『 時間を有効に使えていない 』と申し訳なく思っているからなのだろう。
『 梅雨明け十日 』という言葉がある。梅雨が明けてから十日間は良い天気が続くと言う意味だが、昨今は殺人的な猛暑だ。ジジイのような老人には、暑さにはもううんざりだなぁ。
この暑さの中、ショ一トステイのため、長男を支援施設に連れて行かねばならない。支援施設は最寄りバス停を降りてから、急な坂道を登って行かなければならない山の上にある。ほぼ毎月、今までにもう何十回も登ったり、降りたりしたことか。
山の上をくまなく探検した訳ではないけど、私が知っている範囲では商店もコンビニもない。私は1回/月だけど、この近くにお住いの方は、それこそ毎日のように買い物やら通勤、通学で山登りをしなければならない。歳を取って、運転免許証を返上した後、どうする気なのか? 他人事ながら心配してしまう。家を買うのは一生に一度か二度の事なのですが、余程、場所も考えた上でないと、『 終の棲家 』とするにはキツイ。
対向車が来たら、車の底が見えるような、長さ100m以上ある坂を、ジジイも休み休み登り切った。この猛暑の中、日影もなく登り切ったら、Tシャツは汗びっしょり。これから何度登れることやら、ジジイの『 衰え具合を測る目安 』になるに違いない。もちろん冬場となれば、少しは気が楽になる。
昔の話だが、暑い地域では何もやる気が起こらない。どうしても、生活が怠惰となる。ヨーロッパの国々がアフリカ、アジア、南米の国々をしょく民地としたことがある。文化や文明にも暑さ寒さが大いに関係があることが推測される。関係ないことを書いてしまったようだけど、事実だろう。
我が家は子供たちが通学路として使う道路に面している。今日は『 参議院選挙の投票日 』である。選挙の投票日と言うと、投票に向かうであろう人々が三々五々通る。今は午後2時ちょっと前、この暑さでは小学校まで投票に向かうであろう人は全く見られない。投票率は低くなるのかなぁ? こうなると、創価学会会員が必ず投票に行く公明党など、必ず投票する計算できる党が有利になるのか? ちなみにジジイは暑さを予想した訳ではないが、期日前投票でもう済ませてある。
ここのところずっと、『 中学生までに読んでおきたい日本文学 ①~⑩ 』、『 中学生までに読んでおきたい哲学 ①~⑩ 』(あすなろ書房)と言う本を、図書館に行くたびに2冊ずつ借りて来て読んでいる。本の中身はおおむね短編の集合である。『 中学生までに読んでおきたい 』という言葉に騙されてはいけない。
本に載せられた短編のレベルはとても高い。入念に読まないと書いてある内容すら理解できない。本に収められた短編の大半を読んだ経験がない。ジジイはろくな中学生活を送っていない劣等生だったのであろう。
『 中学生までに~ 』と書いてあるから、次のような配慮がされている。
① 小学5年生以上で習う漢字にはルビがふってある。
② 詩などを除いて、旧仮な遣いはほぼ現代仮な遣いに直してある。
③ 難しい言葉に対する脚注がとても充実している。
正直に言えば、こんな言葉の意味も知らない中学生が、脚注によって単語の意味だけ知っても文章を理解できるのかな? と思ってしまう。それだけレベルが高い。元々中学生向けに書かれた作品ではない。題めいのせいか、図書館でも小学生、中学生向けの書籍のエリアに所蔵されている。大人が読むのにも十分適用できるような内容の本です。全部で20冊もあります。出来れば読み終えたい。
明日(7/13)がお盆の入りなのだが、連日の猛暑も今日は曇っていて、暑さも一休みと云うようなので、目黒線ふ動前駅下車で墓参りに行ってきました。目黒ふ動尊周辺は寺の町で、墓に供える花を持った方に必ずと言って良いほど巡り会います。
帰りには目黒ふ動尊に寄ってお参りもして来ました。広い境内には樹木も多く、セミが盛んに鳴いていました。私の耳に住み着くセミは一定鳴くだけですが、本物のセミは鳴き方に抑揚があり、やはり迫力が違う。
今日の朝日新聞、土曜日版『 be 』に漫画家の東海林さだおさんの ”セミ、トンボ 他、夏の虫 ”に関するエッセイが出ていた。私も小学生の頃は夏休みに盛んに『セミ取り』をしました。今と違って他に遊ぶものも無かったのでしょう。
子供と云うのは、残酷なものであります。小学校も高学年になると、パチンコ(Sling shot Y字の物にゴムを付けた物で、小石を飛ばす遊具)を使ってセミを狙った。セミ取りと云うより、セミ殺し。小石が命中すれば、それまで気持ち良く鳴いていたセミは一瞬にして砕けてしまう。
当時は小石を飛ばしても、人や人家がない場所がたくさんあった。今そんな事をしたらたちまち通報されてしまうであろう。実は私、その Sling shot を自作して所持している。工具のプライヤーの握り部分と木材の破片を使ってY字部分を作り、ニスを塗って仕上た。ジジイがそんな子供が使う遊具でお咎めを受けたら、外出も出来なくなってしまうだろう。自家製 Sling shot の性能を試す機会も場所もジジイの腕前を確認することも無く、ずっとしまったまま置いてある。バカなジジイである。
新聞に書いてある記事について、言葉尻をとらえて言っているのかも知れません。また、自分を信じて『 関税について 』調べ直しもせずに書いています。もし間違っていたら、ゴメン。
『 対日関税交渉 』が中々決まらないことに、トランプ大統領が痺れを切らして、『 日本については、30%か35%、あるいは我々が決める数字を支払ってもらうと伝える 』と今日の新聞朝刊に書いてあった。
『 本当かよ?! 』私が言いたいのは、『 支払ってもらう』と書いてありますが、『 関税による上乗せ価格は誰が支払うのか 』と言う事なのです。 支払うのは米国の消費者が負担するものだと思っているのです。
仮の話で、業者の手数料や利益がゼロだとして考えます。日本の会社から100ドルの商品を輸出しようとします。米国の輸入業者は、品物と引き換えに、日本の業者に100ドル支払います。利益を考えませんから、米国の輸入業者は消費者に販売する時に、関税分を上乗せして、130ドルとか135ドルで販売しなくてはならないのです。それが関税だとずっと思っていました。
消費者にとって今迄、100ドルで買えた物が、関税によって130ドルや135ドルになるのです。余程欲しい物で無い限り、米国の消費者は買い控えるようになってしまう。米国消費者も買いたいのに買えなくなってしまうのです。日本の会社も売れなくなって、輸出が伸びずに困ってしまうのです。
ちなみに、関税で上乗せされた30あるいは35ドルは米国の国庫に入るのだと思います。現実に、利益や手数料、あるいは中間の流通業者などあるでしょうから、価格はずっと上がって皆さんが苦しむのだろうと思っています。時代に逆行した政策なのではと思いますけどネ


箱根に行って来ました。箱根はもう何十年ぶりでしょうか。僕らの歳になると、自分で旅行のプランを練ったり、交通手段を考え、乗車券の手配など、もう面倒くさくてできません。例によって読売旅行会のお世話になって、添乗員さんの持つオレンジ色の旗を目印に、ゾロゾロ付いて行くしかありません。
画像は『 箱根ガラスの森美術館 』の庭園部分の一部を写したものです。建物の中には精巧に加工されたガラス工芸品・芸術作品が展示されています。画像をちょっとだけ解説すると、アジサイの花の部分のほとんどはクリスタルガラスで出来ています。全部ではなく、中に本物の花も混じっております。
小田急線箱根湯本駅辺りからは、毎年のテレビで見慣れた、正月の『箱根駅伝・5区』のコ一スに沿って走ります。こちらは大型バスに揺られてゆったり登って行きます。このコ一スを日頃練習しているとは言え、学生が延々と続く登坂を走って行くとは、『 こりゃ、拷問だな 』と思った次第。後ろからは『 陸上部(駅伝部)の監督 』が伴走車に乗りスピ一カを使って叱咤激励し、全国で何千万と言う人達がお屠蘇気分で『 視線のムチ・アイ・ビ一ム 』を振るっているのです。選手は苦しくて、口から心臓が飛び出しそうになっても、足を止めて休むと言う訳にも行きません。この責めは拷問と言う以外譬え様がありません。
しかも、駅伝部の部員諸君は、どなたも艱難辛苦の山登りの5区を走って『 被虐の喜び 』を味わいたいのだと言うのですから、これはどうも驚きで、駅伝部は倒錯の世界の集団なのか?!
そんなことを考えながら、冷房の効いたバスに乗って、『 ここが、大平台のヘアピンカ一ブだな 』と想いながら、爺は気楽に揺られて登って行きました。『 左脳 ヨイヨイ 』だなこりゃ

今日も、とてつもなく暑い。その暑さを少しでもしのごうと、グリ一ンカ一テンで日陰を作ろうとしている。今年はプランタ一にミニカボチャをうえ、ネットに這わせてカ一テンを作ろうとの目論見である。
カボチャやキュウリなどは雌雄で花が別々なのである。当たり前だが、雄花だけでも、雌花だけでも、花が咲いても実は付けない。花の数では雄花の方が圧倒的に多く、雄花はせっかく咲いても本来の役を演じる機会もなく、悲しい運命をたどる雄花が多い。
3階バルコニ一で、昨日雌花が1個、今朝2個咲いた。本来なら虫が来て、受粉の運びとなるのだが、受粉を確実とするためにジジイが仲介している。
そのうち、3人家族が食べるには1個で丁度良いほどの大きさの実がなる筈である。
いつからなのか、確とは分からないのだけれど、皮下に何かが集中し、局部的にコブのような出っ張りが出来ていた。ほとんどは痛くも痒くもなく、放っておいた。主に右半身に多く、稀に左側にも出て来るようになった。
あまり多くあるので、6/3 最寄り駅前の形成外科に行って診察を受けた。医師曰く、『 良性の脂肪種であると思うが、切り出して病理検査をしてみないと分からない。紹介状を書くから、提携している日医大の形成外科に行ってはどうか 』と
その日に電話連絡して日医大に行き、CT検査、超音波検査、感染症対策の血液検査を行った上、手術日程を決め、本日、手術の運びとなった。
朝から晴天の絶好の手術日和である。そんな手術日和などあるのかよ。とにかく朝から猛烈に暑い。行く先々でなまえ、生年月日など繰り返し確認を受けておよそ、予定時刻より10分ほど遅れて手術開始。執刀は若い女医さん一人である。右上腕内側のしこりを取り除くのであるから、部分麻酔である。
人によっては、切開の模様など見たくないと言う方もおられようが、ジジイは手術の様子をずっと見ていた。切り口から脂肪の塊が直径10mmほど、高さ5mmほど顔を出しているが、その先が中々進展しない。そののち、ゴチョゴチョしていたら、長さ25mmほどのプヨプヨと思われる脂肪の塊が掘り出された。(プヨプヨはジジイの推測) ブヨブヨのモノはその後、良性か悪性か判定され、抜糸の日にジジイに通告される。一箇所だけ調べただけで、その他大勢の塊も同様であろうとの判断が下されるのである。
私が自分の皮膚の上から想像していたよりもずっと大きな塊であった。今日取り出した部位は私の身体に出来ている皮下の塊では、大きさで言えば5~6番目くらいのものである。1番大きなものを取って頂いたら大変な事になっていただろう。この部分を選んだのは、唯一触ると痛いからである。
僕は肉の脂身が好きなのです。鳥のササミなど油っ気がなくどこが美味しいのかと思っている。皮のすぐ下の黄色い所が美味しい。すき焼きをする時にも、最初に脂身で鍋に油を引く。最期に残ったあの脂身が好きなのです。そんなものだから、脂肪種が出来てしまうのか? 裕福な方はそんな所は取り除いて食べない。貧乏人丸出しだ。
手術している最中に、おとぎ話の『こぶとり爺さん』のコブも脂肪種なのか聞いてみたら、恐らくそうであろうとの回答でした。女医さん、きっと『 こっちが真剣に仕事しているのに、全くうるさいジジイだね 』と思っていたに違いない。
手術終了後、抜糸予定日を決め、代金払って帰って来た。今のところ工事をした部分は痛くも痒くもない。ただ、この猛暑で汗をかいたのに、今日は入浴もシャワ一もふ可。シャワ一のみ明日からOKとのこと。受ける前はふ安だったけれど、やってみてしまうと何てことはないね。人生の出来事もやってしまえば、それほどでもないことが多い。人生訓のようなものでした。


横浜と言うとすぐに港町を思い浮かべてしまうのは、頭が固くなってしまったか、想像力の欠乏・貧弱さの証拠。『 横浜と言っても広うござんす 』なのであります。横浜市営地下鉄ブル一ラインの “センタ一南駅” 下車6分ほどの『 正覚寺 』までアジサイを見に行って来ました。市営地下鉄ブル一ラインに乗ったのは、生涯2回目であります。前回乗ってから20年以上経過している。ジジイの生活する世界は狭く、行動範囲に偏りのある表われであります。
横浜市内でも繁華街とは大違いです。センタ一南駅周辺こそ賑やかですが、少し離れれば、住宅街が続きます。正覚寺には竹林があり、水連、菖蒲が咲き、ウグイスまで鳴いて、落ち着いた雰囲気に浸って来ました。
簡単に『 菖蒲 』と書きました。本当のところを吐露すれば、ジジイはアヤメ、ショウブ、カキツバタ、アイリスの区別を何度教わっても習得できません。3歩歩くと区別の方法をすっかり忘れてしまうのも一因ではありますが、ヤツめらも似通った花あるだけでなく、それぞれの花にバリエ一ションも多く、あながちジジイの記憶力・判断力が衰えていると結論付けるのも酷なのであります。(自己を正当化する) 先ほど書いた菖蒲も『多分』と追加した方が良いのかも知れない。
この日は日中28℃まで上がるとの天気予報でした。正覚寺境内の鬱蒼とした木々の下では、おそらく1~2℃は気温が下がっているのではとの推測です。(気分的に)
この時期、毎年のようにアジサイ見物に行っています。ごく近場で我が家にも1株アジサイが咲いています。やはり広い境内のお寺や神社に行くと、様々なアジサイを見ることができます。
私の住む川崎市内の近場でも、長尾の妙楽寺、生田緑地、柿生駅近くの浄慶寺とアジサイのめい所があります。足を伸ばして鎌倉まで行けば、長谷寺、明月院、成就寺、光則寺、東慶寺、円覚寺などなどアジサイのめい所は数々ございます。もう、おさむジイも後期高齢者で、足腰衰えております関係上、パソコンでアジサイのめい所を探す場合にも、すでに行ったことのある場所は避けた上で、『 安・近・短 』が選択の大きな要素とならざるを得ません。簡単に書いてしまったけど、『 短 』って何だろうな?
何はともあれ、静かな雰囲気の中で落ち着いた時間を過ごすことができました。
今日は一日中雨が降る空模様だ。49年前の今日も同じような一日中、雨降りの日でした。実は今日、カミさんと僕の結婚記念日なのです。時の経つのが早いような、ようやくなのか、ともかく丸49年経ちました。変人の僕を相手にカミさんはよく耐えたものだと思います。僕も暴力をふるったり、ギャンブルしたり、ふ倫をしたことは一度もありません。二度住宅ロ一ンのお世話になり、一所懸命働きました。ごく平々凡々の『 亭主の鏡 』のようだったのではと自分では思っております。
来年は『金婚式』なのでしょうが、改まって何か旅行するとか、会食をする積りもありません。今日もカミさんは夕食に『 ちらし寿司 』の準備をしています。僕も後でささやかながら、ケーキでも買いに行く積もりです。
49年経ちましたが、僕が26歳の時の結婚式前後のことはよく覚えています。それまで独身寮に住んでいました。新婚旅行に行くのに、新しい背広でも新調しようと、町田のデパ一トに行った。およそ、僕は身なりに気を配るタイプではない。下駄を履いて紳士ふく売り場に行った。身なりからなのだろう、『 変な客だ 』と店員さんが寄って来ない。已む無く、若い女性の店員さんに声を掛け、新婚旅行に行くための背広を調達したい旨を言って、背広だけでなく、ワイシャツやネクタイまで揃える助言を頂いたのでした。
結婚すると決まってから、式を上げるまでの期間が比較的短かった。場末のホテルで結婚式をあげました。その日は『 赤口 』であまり日柄が良くなかったのでしょう。当日、そのホテルでは1組しか挙式がありませんでした。通常、新郎新婦は披露宴では座っているのが普通です。披露宴の出席者には芸達者な方が多かったせいもあって。新郎も自らも演芸を披露した。ホテル側からも『 好きな時間だけやって良いですよ 』と言われ、3時間半披露宴をやってしまった。まだまだ、人々の心に余裕がある時代だったのでありましょう。
今ではそんなことする人たちはいませんが、東京駅の新幹線ホ一ムの一画で『 胴上げ 』されたのも懐かしい思い出です。新婚旅行にはごく普通の格好をして、その後も1~2度しか乗ったことのないグリ一ン車に乗りました。
49年間を思い出しても、失業したり、転職、引っ越し、中古住宅の購入、単身赴任、家の建て替えなど色々ありました。もちろん、辛いこともたくさんあった。うつ病にも苦しめられました。でも、何とか乗り越えて来られたのも、若かったからです。若いことは財産だとつくづく思います。今から引越しなど、とてもで来ません。そんな意欲も活力も最早ほとんど残っていません。これからはごくごく普通に、周りにあまり迷惑の掛からないよう静かに生きて行こうと思っています。


僕のように老人となると、自分で旅行の計画を立て、自分で車を運転して移動するとか、計画も立てずに風の吹くまま気の向くままの旅など出来なくなってしまった。毎度のことで読売旅行のバスツア一に行って来ました。バスで移動中は居眠りが自由にできるのが最高。
バスツア一はコ一スも旅行会社が決め、こんなコ一スがありますよとパンフレットが新聞広告に入って来るから、希望するものが有れば申し込む。全てあなた任せ。バスの席も決められ、行った先の場所では自由行動ですが、会場入口まで添乗員さんの掲げる旗に従ってゾロゾロ歩く。次の場所に向かうバスへの集合時間は指定され、時間までに戻って、次の目的地へと移動する。何も考えなくて良い。全く以って老人向けのバスツア一であります。
今回の参加者は44人でその内、男7人、女37人で、圧倒的に女性の方が元気なのであります。50歳以下と思われる人は2~3人しかいなかった。バ一ちゃんばかり。
ともあれ、本日参加したコ一スは栃木県方面のプログラムです。
① イチゴの30分間食べ放題
② アウトレット
③ 足利フラワ一パ一ク
が今回組み込まれたバスツア一プログラムでした。
イチゴ30分食べ放題は会場に到着すると、バスの中に係員が乗り込んで来る。イチゴのむしり方をレクチャ一後、旗に連なってゾロゾロとビニ一ルハウスに案内される。温室の入り口で食べたイチゴのヘタを入れる紙コップを渡される。練乳が支給されるのかと思ったがナシ。食べ放題と言うけれど、イチゴばかりそんなにガツガツ食べられるものではないよ。『 腹いっぱい食べるぞ! 』の初めの意気込みは直ぐに消え去り、大抵の方は10~15分くらいで食べ飽きてしまう。
次はアウトレット。コ一スの中にアウトレットが組み込んであるけれど、老人ばかりの集団をアウトレットに連れて行ったって、どなたも買う物などアリャしない。買い物したと思われる紙袋をバスの中に持ち帰った方は若干めいでした。
5月1日は平日とは言え、GW中ですから、足利フラワ一パ一クは人が一杯。しかもあっちを向いてもこっちを見ても中国人がたくさん来ている。黙っていれば日本人と区別が付かないが、彼らはやたら騒々しく、声高に喋るものだからすぐ分かる。
足利フラワ一パ一クと言えば大藤ですが、フジだけでなく、他の花もとにかく一杯の花がこれでもか、これでもかと言うほど咲き誇っています。もちろん大藤も咲いていましたが、薄紫色のフジは最盛期をちょっと過ぎている感じ。代わって白い花のフジが最盛期でした。パ一ク内はとにかく目を楽しませてくれますが、香りもすごいのです。フジの花がこんなに匂うなんて思っても居ませんでした。
もうじき、菖蒲湯に入る時期になります。菖蒲湯は5月5日の『 端午の節句 』に行う日本の風習です。
中国では菖蒲の香りが邪気を払い、無病息災を祈る厄除けの行事として、『 端午の節句 』の日に菖蒲を風呂に浮かべて入浴するという事に成ったようです。
今日、ス一パ一に行ったら、変わったものを売っていました。紅茶のティ一パックのような方式にして、菖蒲の葉を乾燥させ、細かく刻んで袋入りにしたものを売っていました。
菖蒲のエキスを抽出させようと思っているらしいけど、僕はそんな菖蒲湯には入りたいと思わないな。


大相撲の地方巡業であります、川崎場所に行って来ました。巡業と云うのは年6回の本場所に間に、地方巡業と言ってあちらこちらで興行を行うものであります。
朝9時から、おおむね午後3時くらいまで、大相撲を知って貰うための催し物を実演するものです。主なプログラムは、
1.幕内力士の稽古の実演
2.ちびっこ相撲 幼稚園児~小学3年生くらいの子供と力士の取り組み
3.相撲甚句実演
4.初っ切り
5.相撲の太鼓を打つ実演
6.横綱の装着の実演 土俵入りのある日は毎回、伸ばしてある綱を装着する。
7.序二段~幕下力士の取り組み
8.幕内力士の土俵入り
9.横綱土俵入り
10.幕内力士取り組み
11.弓取り式
ざっと、このようなプログラムで巡業がおこなわれます。力士の稽古は別として、力士同士の取り組みが行われますが、巡業で怪我をしては力士に取って大変なことになります。どうしても、傍から見て、手抜きで、手加減しているなと云うのがミエミエでちょっと残念なところであります。
力士は大きな体をしています。ちょっとした所で怪我をしては堪りません。まあ、仕方ないですね。
相撲の席は平らな床に座布団を敷いて座るのが、土俵近くの上等な席なのでしょうが、6時間も座って居るのは大変辛いことです。私は正面側の椅子席にしました。それでも腰もお尻も痛くなってしまった。その席で¥1万円で、お弁当が¥3000一であります。床に座っている人は土俵に近いことは近いですが、6時間は苦痛でしょうな。

公園内に桜の木が1700本あると言う小金井公園まで花見に行って来ました。風もなく、花も丁度満開で、青空に桜の花が映えます。ビニ一ルシ一トを敷いて花見をしているグル一プや家族連れが多数。平日の昼間ゆえ、お酒を呑んでいる方は見掛ませんでした。
ベンチで隣に座ったお爺さんと話をして驚きました。小金井公園まで一時間歩いて来たと言っています。杖も使わずにスタスタ歩いてきた小さなお爺さんで、80代後半かなと思っていたら、大正14年生まれの、今年7月で100歳に成るのだと言います。
学徒動員で戦争にも行ったと言っていました。男ばかりの5人兄弟の末っ子で、兄たちは戦死して早死にだったので、兄たちの分まで自分は長生きしなければいけないと言っていました。頭もはっきりしていて、認知症なんか縁がない、とても羨ましいような方でした。
その後話は進んで、第35回全国日曜画家大展覧会で、特賞『銀杏並木』と言う油絵の作品を絵葉書にしたものまで頂戴した。
話が終わって立ち去ったが、とても99歳とは思えぬ歩みだった。75歳の僕なんか鼻垂れ小僧なのでした。
昨日(3/30)、NHKテレビ『 日本の話芸 』という演芸番組で、演者の春風亭昇太さんが、『 大晦日の紅白歌合戦の番組を年配者がご覧になって、若い出演者の歌や演技を見ても、誰も知らないと年配者がぼやいていると言っているようですが、全部の出演者を知っている方なんて居ないのです。若い人たちだって、年配の出演者のことを知らないのです 』と言っていた。 なるほどね。
この文を読んでいる方は僕よりずっとお若いのだと思います。こんな曲きっと聞いた事ないでしょう。
『 愛ちゃんはお嫁に 』(1956) 『 さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる オイラの心を知りながら~~』
守屋 浩さんの『 僕は泣いちっち 』(1959) 愛ちゃんは年号から言えば、僕の小1、僕は泣いちっちは小4年くらいでしょうかね? 僕もラジオのリクエストの番組でも聴いた記憶がありません。
最近のことは覚えられないし、一時覚えても直ぐに忘れてしまうのに、小学1年頃の歌は覚えている。このほかにも、フランク永井さんの『 有楽町で会いましょう 』も確か小1の頃だった。僕が育った所の最寄り駅に、映画館が在って、同めいの映画も見た記憶が有るけど、雨の西銀座でパ一トの情景を覚えているだけで、小1には映画の意味も内容もちっとも理解できなかった。負け惜しみではないけれど、色々なことを知っているのは言ってみれば財産だよね。役に立つかどうかは別として。
お彼岸なので、墓参りに行って来ました。我が家の墓は宗派をと問わずの墓苑に在る。前から気が付いていたのですが、お墓に『 ○○家 奥津城 』と文字を掘ってあるお墓があります。何なのだろうと思っていましたが、そのままにしていました。3/14に川崎市麻生区に行った時に、琴平神社という神社の傍にあった墓地には軒並み『 奥津城 』と書いてあるのです。
墓参りから帰って来て調べたよ。まったく意外な結論でした。神道ではお墓と言わないで、お墓のことを『 奥津城 』と云うのだって。仏教徒のお墓と区別する神道のお墓なのでした。ついでに読み方も『 オクツキ 』と云うんだとか。僕は75歳なのですが、まだまだ知らないことばかりですね。
墓参りに行くのに電車に乗って、JR南武線がワンマン運転になった事を初めて知りました。各駅にホームドアが設置され、駆け込み乗車がされ難くなったからだと思います。運転手さんもますます厳しくなったような気がします。そういえば3月15日がダイア改正だったから、ワンマン運転はその時からなのでしょうか? 『 ワンマン 』と云うと、『 ワンマン社長 』とか自分の思い通りに何か貫きたい人のことも云いますが、電車の運転はくれぐれも『 安全第一 』でお願い致します。



川崎市には7つの区があります。市内に住んでいても、麻生区の方には滅多に行くことがありませんでした。川崎市は細長い自治体で、両端では様子が大違い。JR川崎駅があったり、東京湾に面した臨海部の京浜工業地帯がある川崎区と、もう一方の多摩区や麻生区は大違い。特に麻生区は山坂が多く、場所を選べば里山の雰囲気も残っております。
今日は野越え、山越え王禅寺方面に行って来ました。王禅寺に行くにはバスで行ったのですが、上り下りの坂道の連続でした。バスの通るような道沿いには、市内の別の区に比べれば、大きな家が多いと思いましたが、商店やコンビニが見当たりませんでした。電車駅近くまで行かないと商店がない。日常の買い物に行くにも、車かバスに頼らざるを得ないようで、普段の買い物はどうなさっているのかな?
まさに里山がありました。王禅寺と言うお寺さんはかなり大きなお寺ですが、参拝者はどなたも居りませんでした。次に琴平神社と言う神社に行っても誰も居ない。まあ、静かで良いですけど。
小田急線 柿生駅近く(それでも10分くらいは歩く)の浄慶寺で、フキノトウを見付けました。境内にはたくさんの羅漢さんが、それぞれ様々な演技をしておりました。浄慶寺さんは以前にも行った事があり、今回は全部の羅漢さんの写真を撮ってきた積もりです。60体以上ありましたが、全部載せるわけに行かないのが残念です。


小石川後楽園に観梅に行って来ました。梅のめい所なら他にもっと梅の木の本数が多かったり、規模の大きなところがあると思います。
都会の喧騒を逃れて静かな一時を過ごすには良い所かなと思います。そうでもないかな。車や電車の音はほとんど気になりません。隣に後楽園遊園地があるのです。そのジェットコ一スタ一がコ一スの急な下り坂を降りるときには、悲鳴が聞こえました。今日は平日の昼間でしたので、遊園地の入場者も少ないらしく、そう頻繁ではありませんでしたが、聞こえることは確かです。
日記なのに書きそびれてしまい、2/24(月)のことを書きます。
私の住んでいる所から、池袋はなかり遠い。僕が育った家を出るまで、住んでいた目黒区からでも、同じ東京23区内でもかなり離れていて、池袋は馴染みの薄い所です。行った場所は、池袋からさらに東武東上線の各駅停車の電車に乗って、3つ目の大山駅まで行って来ました。
武蔵小杉駅から池袋に行くには、ずっと以前だったら東横線で渋谷まで行き、山手線に乗り換えて池袋まで行くのが常套な経路です。今なら、東横線から地下鉄 副都心線で乗り換えせずに行けることは、ジジイでも知っています。念のためにスマホのアプリで検索したら、武蔵小杉から湘南新宿ラインで行けば、運賃も安くて早く行くことが出来ると知り、スマホの提示された通りの経路で往復しました。まったく、ジジイの頭は世間の進歩から遅れてしまっている。
池袋には僕の生涯でも2~3度しか行ったことがない。それも前回行った時から何十年も経過している。初めて乗る東武東上線に乗り換えるのには、駅に表示されている矢印に従うしかない。
大山駅に行く目的は『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』と『 遊座大山商店街 』を見に行くためであります。商店街には何か欲しい物を売っている店があって、それを買い(あるいは見に)行くのが、普通である。ジジイは特に買いたいものがあった訳ではない。商店街を見に行ったのであります。商店街を見に行く僕の趣味のようなものです。
東京都内には有めいで大きな商店街が幾つもあります。『 戸越銀座商店街 』、『 十条銀座商店街 』、『武蔵小山商店街パルム 』、もちろん、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』もいずれ劣らぬ商店街であります。他の商店街には何度か足を運んだのですが、遠いせいもあって、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』には一度も行った事が無かった。前々から機会を探していて、『 遊座大山商店街 』も合わせて、3連休の1日を使って行って来ました。
東武東上線の大山駅は各駅停車しか停まらない、はっきり言ったら、あまり風采の上がらないような駅でした。そんな駅に何でこんなに大きな商店街が出来、多くの買い物客で賑わっています。何処からこんなに多くの人が湧いて出て来るのでしょうかね? 後になりますが、商店街の自称研究家としては調べてみる必要がありそうです。
駐車場の完備した大規模小売店の影響で、多くの商店街の中でシャッタ一を閉じてしまう店が存在している。こんなに大きな商店街が栄えて、存続しているのには関係者の並々ならぬ努力があった筈です。
僕は古臭い昭和の趣がする商店街が好きだな。予め発泡スチロ一ルのお皿に乗せて、ラップで包んで値札のラベルが貼られているのでなく、客の指示で量り売りする惣菜屋さんがあること。骨董品屋さんでなく、『 古道具屋 』さんが在るような商店街が好きなのです。古道具屋さんはリサイクルショップとはちょっとイメ一ジが異なります。
残念ながら、ハッピ一ロ一ド商店街には、量り売りの総菜屋さんと、古道具屋さんは見掛けませんでした。往復で¥1300一近く電車賃かけて行ったけど、買ったのは歩きながら食べるように鯛焼き1個と、ノ一ト2冊を買っただけでした。趣味でなければ、こんなにコスパの悪いものはありません。
先日行った『 ジョイフル三ノ輪商店街 』や、埴輪展を見に行ったついでに行った『 佐竹商店街 』のような昭和の匂いのする商店もありませんでした。でもね、僕の郷愁に合わせて商店を運営して行ったなら、たちまち潰れてしまうかもね。昭和の匂いのする商店街を探す方が頭がおかしいのです。



東京都荒川区の『 ジョイフル三ノ輪商店街 』に行ってきました。丁度、都電荒川線の起点 『 三ノ輪橋駅』から都電の線路に沿って伸びている商店街です。一部に昭和の商店街の雰囲気を残しているような情報を得て行ってきました。確かに私の住んでいるところ近くとは違った雰囲気を持った商店街でした。
この商店街もそうでしょうが、広い駐車場を持つ大規模ショッピングセンタ一に押されて、経営が成り立たずに廃業されてしまう商店が多いそうです。ジョイフル三ノ輪商店街 もシャッタ一を下ろして営業されていないような商店も多かった。雨の日も買い物が出来るようにと、商店が揃ってア一ケ一ドを作りました。廃業する時にネックになるのではないかなぁ。
三ノ輪橋駅にオロナミンC、ボンカレ一、金鳥の鉄の看板が有ったけど、最近はほんと見なくなって、記念に写真を撮りました。懐かしいね。


連日、新聞やテレビで北海道や本州の日本海側、および九州や四国の豪雪の状況が報じられています。あまりの凄さにもう可哀想になってしまうが、こちらではどうすることも出来ない。相反して私の住む南関東では、連日晴天が続いている。
府中の『 郷土の森 』までロウバイを見に行った。何百本のロウバイがうえられているのか分かりませんが、一斉に咲くとそれは見事なものです。ちょっと高いところに立つと多摩川の流れが見えます。多摩川まで距離にすれば、100mくらいでしょうか? 土手を自転車を連ねサイクリングしている様子が見えます。
郷土の森では 2/1 から、『 梅まつり 』を開催していて、あちこちに幟が立てられています。梅の咲き具合はまだまだで、ほとんどがツボミを固く閉じているようです。樹の根元には夜間のライトアップ用にライトが配置されています。日向はとても暖かかったですが、雲で日がかげるとやはり風は冷たい。ライトアップされても、夜間の観梅は震えながらで、風流とは程遠いものと成りそうでした。
4~5日前から、2/2は雨か雪が降ると天気予報で言っていた。昨日ですら、さも雪が降りそうな言い方をしていた。ニュ一スでもホ一ムセンタ一で、雪かき用のスコップや融雪剤の売れ行きが上昇している様子を映していた。
私の住む太平洋側の南関東でも1年に一度くらいは雪が積もる。積もると言ってもほんの1cmくらいであります。2月から3月くらいになると、南岸低気圧と言って、列島の太平洋側を低気圧が通過するようになります。昔、一時期は『 台湾坊主 』と言っていた時期もあったが、外交上まずいと言う理由で『 南岸低気圧 』となまえが変更となった。
この南岸低気圧がどのコ一スを通るかによって、雪となったり、雨になったりするのだと言う。低気圧が八丈島の北側を通ると、大陸から下がってくる冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がって来られずに雨となる。
低気圧が八丈島の南側を通ると、大陸からの冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がることが出来るので、太平洋岸にも雪が降ると言う理屈だそうで、大雑把な境目は八丈島にあるそうな。
東京など南関東では雪が1cmでも積もるのは、年に一度ほどである。どなたもが雪に慣れていないものですから、歩いていて滑って転んで骨折したり、雪が凍って車がスリップして事故を起こしたりして困るのです。でも基本的には、大人も子供もたまに降る雪が嬉しいのだと思います。
一応、東京都ではありますが、青梅線の奥多摩の方では、雪が降る前の2/1 夜の段階で、電車を運休することに決めたとニュ一スで言っていた。南関東では雪が降らなくても、東京都でも奥多摩方面では積雪があるのかも知れない。電車の運行情報で、”シカと衝突して電車に遅れが出ている”なんて言っていて、都会では想像出来ないことが起きている。雪が降る前から運休を決めるなんて気が早いと言うのは、当地の状況が分からない者の言い方で、それぞれ事情はシカと分からん。
斯く言うジジイも、頭の片隅に雪を期待する所があるのであろう。起きて直ぐに窓のカ一テンをずらして見たら、冷たそうな雨が降っていた。
長女の嫁ぎ先の義父が亡くなり、葬儀に参列して来ました。白木の箱に入れられ、参列された皆さんに間近でマジマジ視られ、おまけに寄ってたかって、顔以外の全身に花を置かれる。多分、飾られているのであろう。
こんなこと、もし自分が生きていたなら、恥ずかしくて、照れ臭くて、とてもじゃないけど出来ない。死んだ人だから照れずに耐えられるのであろう。
僕も近々経験するのだろうから、予行演習の積もりでよく見てきた。きっと照れ臭いことだ。
年末にのし餅を4枚頂戴しました。今朝、雑煮にして全て食べ終えた。私、雑煮が好きなのです。
ずっと以前、山形県に単身赴任していた時、飲み会以外で、外食したことが8ヶ月間で一度も有りませんでした。すべて自炊しましたと言うと体裁が良い。コンビニ弁当も買った記憶がありません。温泉街の裏に有ったアパ一トの近くに飲食店が無かったこともありますが、雪掻きして車で出掛けるのも面倒だったからでしょう。
思い起こせば、チンゲン菜と豚バラ肉の雑煮ばかり食べていたような気がします。野菜を食べる量が少ないといけないと思って、野菜ジュ一スばかり飲んでいたっけ。
雑煮を食べる度に、侘しかったことを思い出します。『 男やもめにウジがわく 』と云う言葉が有ります。私はやもめでなく単身赴任でしたが、男の一人暮らしなんて、いい加減な生活をしているものです。
昨日、図書館に行って、落語のCDを借りようとして探していた。ふと、他の棚に研 ナオコさんのCDが有るのに気が付いて借りてきました。2枚一組で、昨日から2回聴きました。その30曲全てが失恋の歌。
もちろん虚構の世界のことなのですが、女性もこんなに失恋の哀しみに苦しんでいるのかと、ちょっとしんみりとした気分に成ります。男の方でも、”彼女の居ない歴、何十年 ”なんて方はそれこそ掃いて捨てるほど居るのですから、何とかマッチングする方法などないものですかね。今になって思うのは、全ては『 勇気を出すことと、行動力の問題 』だと思うのですけどね。
75歳の今、若かった頃の妄想に浸っても遅いのですが、独身の頃、もっとたくさんの女性とお付き合いしてみたかったなぁ。『 ヤセのチビなんか魅力ないわ 』と言われましたが、あれからもう何十年も経過していますが忘れませんなぁ。
知人が亡くなったと云う知らせが来ました。寒い日が続いていたり、インフルエンザが流行して年配者には厳しい環境になっているのではないのでしょうか。
式に出席することを想定し、もう暫くのあいだ着ていない礼ふくの点検をした。
この年になれば、周囲のかた関連の結婚式や葬儀の時期・機会もほぼ通り越してしまっいる。ここ数年、私に関しては礼ふくを着る機会などほとんど無い。それどころか、立場は逆転して、自分の葬儀のために、周囲の方に礼ふくを着て頂く立場が間近に迫っているのではないか。
ダブルの礼ふくの上着はパンパン、はちきれそう。ズボンの方はまったく受け付けない。リタイアして体型がまったく変わってしまったのだ。夏用のシングルの礼ふくは何とか着る事が出来た。ズボンは黒色の他のモノで間に合わせることにするか。
今更、これから着る機会もほとんどないふくを新調する気もほとんど無い。レンタルを考えるか?
カミさんの方はどうにもならなくて、午前中、急遽吊るしのフォーマルを買いに行った。女性のふくのサイズは判らないけれど、若い頃は確か9号であった。今日買ったのは17号。夫婦共々高齢になって横に背が高くなって、困ったものだ。

秋に買ったシクラメンも春に花が終わり、球根が猛暑の夏を越して、次の冬にまた咲かせるのは中々難しい。
画像の シクラメンは一昨年の秋に購入したものですこの冬にやっと咲かせることが出来ました。

正月も5日とも成れば、少しは混雑も緩和されるのではと、『 相模 一之宮 寒川神社 』まで行って来ました。今時分、首都圏では珍しい単線の相模線 宮山駅を降りれば、正月限定の『 臨時職員 』の応援の駅員さんも喉をからしての混雑でありました。駅から徒歩5~6分なのでありましょうが、寒川神社の場所が分からなくても、行列についていけば、神社まで辿り着けると云う状態でありました。
『 御縁がありますように 』と5円玉を握り締めた、他力本願のご利益を求めた欲深のにわか信者が列を成して進む。山門にはネブタの飾り付けがしてあった。新聞にも出ていたけど、『 参拝者寄せネブタ 』でした。
拝殿に臨めば、お賽銭の額にそぐわないほどたくさんのお願いをして来ました。賽銭箱に入らない硬貨も落ちていました。100円玉もある。諸般値上がりの折、『 やはり、5円ではダメか? 』