今日あったこと、日常の出来事、読んだ本など身近なことを書いていこうと思います。
公園内に桜の木が1700本あると言う小金井公園まで花見に行って来ました。風もなく、花も丁度満開で、青空に桜の花が映えます。ビニ一ルシ一トを敷いて花見をしているグル一プや家族連れが多数。平日の昼間ゆえ、お酒を呑んでいる方は見掛ませんでした。
ベンチで隣に座ったお爺さんと話をして驚きました。小金井公園まで一時間歩いて来たと言っています。杖も使わずにスタスタ歩いてきた小さなお爺さんで、80代後半かなと思っていたら、大正14年生まれの、今年7月で100歳に成るのだと言います。
学徒動員で戦争にも行ったと言っていました。男ばかりの5人兄弟の末っ子で、兄たちは戦死して早死にだったので、兄たちの分まで自分は長生きしなければいけないと言っていました。頭もはっきりしていて、認知症なんか縁がない、とても羨ましいような方でした。
その後話は進んで、第35回全国日曜画家大展覧会で、特賞『銀杏並木』と言う油絵の作品を絵葉書にしたものまで頂戴した。
話が終わって立ち去ったが、とても99歳とは思えぬ歩みだった。75歳の僕なんか鼻垂れ小僧なのでした。
昨日(3/30)、NHKテレビ『 日本の話芸 』という演芸番組で、演者の春風亭昇太さんが、『 大晦日の紅白歌合戦の番組を年配者がご覧になって、若い出演者の歌や演技を見ても、誰も知らないと年配者がぼやいていると言っているようですが、全部の出演者を知っている方なんて居ないのです。若い人たちだって、年配の出演者のことを知らないのです 』と言っていた。 なるほどね。
この文を読んでいる方は僕よりずっとお若いのだと思います。こんな曲きっと聞いた事ないでしょう。
『 愛ちゃんはお嫁に 』(1956) 『 さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる オイラの心を知りながら~~』
守屋 浩さんの『 僕は泣いちっち 』(1959) 愛ちゃんは年号から言えば、僕の小1、僕は泣いちっちは小4年くらいでしょうかね? 僕もラジオのリクエストの番組でも聴いた記憶がありません。
最近のことは覚えられないし、一時覚えても直ぐに忘れてしまうのに、小学1年頃の歌は覚えている。このほかにも、フランク永井さんの『 有楽町で会いましょう 』も確か小1の頃だった。僕が育った所の最寄り駅に、映画館が在って、同めいの映画も見た記憶が有るけど、雨の西銀座でパ一トの情景を覚えているだけで、小1には映画の意味も内容もちっとも理解できなかった。負け惜しみではないけれど、色々なことを知っているのは言ってみれば財産だよね。役に立つかどうかは別として。
お彼岸なので、墓参りに行って来ました。我が家の墓は宗派をと問わずの墓苑に在る。前から気が付いていたのですが、お墓に『 ○○家 奥津城 』と文字を掘ってあるお墓があります。何なのだろうと思っていましたが、そのままにしていました。3/14に川崎市麻生区に行った時に、琴平神社という神社の傍にあった墓地には軒並み『 奥津城 』と書いてあるのです。
墓参りから帰って来て調べたよ。まったく意外な結論でした。神道ではお墓と言わないで、お墓のことを『 奥津城 』と云うのだって。仏教徒のお墓と区別する神道のお墓なのでした。ついでに読み方も『 オクツキ 』と云うんだとか。僕は75歳なのですが、まだまだ知らないことばかりですね。
墓参りに行くのに電車に乗って、JR南武線がワンマン運転になった事を初めて知りました。各駅にホームドアが設置され、駆け込み乗車がされ難くなったからだと思います。運転手さんもますます厳しくなったような気がします。そういえば3月15日がダイア改正だったから、ワンマン運転はその時からなのでしょうか? 『 ワンマン 』と云うと、『 ワンマン社長 』とか自分の思い通りに何か貫きたい人のことも云いますが、電車の運転はくれぐれも『 安全第一 』でお願い致します。
川崎市には7つの区があります。市内に住んでいても、麻生区の方には滅多に行くことがありませんでした。川崎市は細長い自治体で、両端では様子が大違い。JR川崎駅があったり、東京湾に面した臨海部の京浜工業地帯がある川崎区と、もう一方の多摩区や麻生区は大違い。特に麻生区は山坂が多く、場所を選べば里山の雰囲気も残っております。
今日は野越え、山越え王禅寺方面に行って来ました。王禅寺に行くにはバスで行ったのですが、上り下りの坂道の連続でした。バスの通るような道沿いには、市内の別の区に比べれば、大きな家が多いと思いましたが、商店やコンビニが見当たりませんでした。電車駅近くまで行かないと商店がない。日常の買い物に行くにも、車かバスに頼らざるを得ないようで、普段の買い物はどうなさっているのかな?
まさに里山がありました。王禅寺と言うお寺さんはかなり大きなお寺ですが、参拝者はどなたも居りませんでした。次に琴平神社と言う神社に行っても誰も居ない。まあ、静かで良いですけど。
小田急線 柿生駅近く(それでも10分くらいは歩く)の浄慶寺で、フキノトウを見付けました。境内にはたくさんの羅漢さんが、それぞれ様々な演技をしておりました。浄慶寺さんは以前にも行った事があり、今回は全部の羅漢さんの写真を撮ってきた積もりです。60体以上ありましたが、全部載せるわけに行かないのが残念です。
小石川後楽園に観梅に行って来ました。梅のめい所なら他にもっと梅の木の本数が多かったり、規模の大きなところがあると思います。
都会の喧騒を逃れて静かな一時を過ごすには良い所かなと思います。そうでもないかな。車や電車の音はほとんど気になりません。隣に後楽園遊園地があるのです。そのジェットコ一スタ一がコ一スの急な下り坂を降りるときには、悲鳴が聞こえました。今日は平日の昼間でしたので、遊園地の入場者も少ないらしく、そう頻繁ではありませんでしたが、聞こえることは確かです。
日記なのに書きそびれてしまい、2/24(月)のことを書きます。
私の住んでいる所から、池袋はなかり遠い。僕が育った家を出るまで、住んでいた目黒区からでも、同じ東京23区内でもかなり離れていて、池袋は馴染みの薄い所です。行った場所は、池袋からさらに東武東上線の各駅停車の電車に乗って、3つ目の大山駅まで行って来ました。
武蔵小杉駅から池袋に行くには、ずっと以前だったら東横線で渋谷まで行き、山手線に乗り換えて池袋まで行くのが常套な経路です。今なら、東横線から地下鉄 副都心線で乗り換えせずに行けることは、ジジイでも知っています。念のためにスマホのアプリで検索したら、武蔵小杉から湘南新宿ラインで行けば、運賃も安くて早く行くことが出来ると知り、スマホの提示された通りの経路で往復しました。まったく、ジジイの頭は世間の進歩から遅れてしまっている。
池袋には僕の生涯でも2~3度しか行ったことがない。それも前回行った時から何十年も経過している。初めて乗る東武東上線に乗り換えるのには、駅に表示されている矢印に従うしかない。
大山駅に行く目的は『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』と『 遊座大山商店街 』を見に行くためであります。商店街には何か欲しい物を売っている店があって、それを買い(あるいは見に)行くのが、普通である。ジジイは特に買いたいものがあった訳ではない。商店街を見に行ったのであります。商店街を見に行く僕の趣味のようなものです。
東京都内には有めいで大きな商店街が幾つもあります。『 戸越銀座商店街 』、『 十条銀座商店街 』、『武蔵小山商店街パルム 』、もちろん、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』もいずれ劣らぬ商店街であります。他の商店街には何度か足を運んだのですが、遠いせいもあって、『 ハッピ一ロ一ド大山商店街 』には一度も行った事が無かった。前々から機会を探していて、『 遊座大山商店街 』も合わせて、3連休の1日を使って行って来ました。
東武東上線の大山駅は各駅停車しか停まらない、はっきり言ったら、あまり風采の上がらないような駅でした。そんな駅に何でこんなに大きな商店街が出来、多くの買い物客で賑わっています。何処からこんなに多くの人が湧いて出て来るのでしょうかね? 後になりますが、商店街の自称研究家としては調べてみる必要がありそうです。
駐車場の完備した大規模小売店の影響で、多くの商店街の中でシャッタ一を閉じてしまう店が存在している。こんなに大きな商店街が栄えて、存続しているのには関係者の並々ならぬ努力があった筈です。
僕は古臭い昭和の趣がする商店街が好きだな。予め発泡スチロ一ルのお皿に乗せて、ラップで包んで値札のラベルが貼られているのでなく、客の指示で量り売りする惣菜屋さんがあること。骨董品屋さんでなく、『 古道具屋 』さんが在るような商店街が好きなのです。古道具屋さんはリサイクルショップとはちょっとイメ一ジが異なります。
残念ながら、ハッピ一ロ一ド商店街には、量り売りの総菜屋さんと、古道具屋さんは見掛けませんでした。往復で¥1300一近く電車賃かけて行ったけど、買ったのは歩きながら食べるように鯛焼き1個と、ノ一ト2冊を買っただけでした。趣味でなければ、こんなにコスパの悪いものはありません。
先日行った『 ジョイフル三ノ輪商店街 』や、埴輪展を見に行ったついでに行った『 佐竹商店街 』のような昭和の匂いのする商店もありませんでした。でもね、僕の郷愁に合わせて商店を運営して行ったなら、たちまち潰れてしまうかもね。昭和の匂いのする商店街を探す方が頭がおかしいのです。
東京都荒川区の『 ジョイフル三ノ輪商店街 』に行ってきました。丁度、都電荒川線の起点 『 三ノ輪橋駅』から都電の線路に沿って伸びている商店街です。一部に昭和の商店街の雰囲気を残しているような情報を得て行ってきました。確かに私の住んでいるところ近くとは違った雰囲気を持った商店街でした。
この商店街もそうでしょうが、広い駐車場を持つ大規模ショッピングセンタ一に押されて、経営が成り立たずに廃業されてしまう商店が多いそうです。ジョイフル三ノ輪商店街 もシャッタ一を下ろして営業されていないような商店も多かった。雨の日も買い物が出来るようにと、商店が揃ってア一ケ一ドを作りました。廃業する時にネックになるのではないかなぁ。
三ノ輪橋駅にオロナミンC、ボンカレ一、金鳥の鉄の看板が有ったけど、最近はほんと見なくなって、記念に写真を撮りました。懐かしいね。
連日、新聞やテレビで北海道や本州の日本海側、および九州や四国の豪雪の状況が報じられています。あまりの凄さにもう可哀想になってしまうが、こちらではどうすることも出来ない。相反して私の住む南関東では、連日晴天が続いている。
府中の『 郷土の森 』までロウバイを見に行った。何百本のロウバイがうえられているのか分かりませんが、一斉に咲くとそれは見事なものです。ちょっと高いところに立つと多摩川の流れが見えます。多摩川まで距離にすれば、100mくらいでしょうか? 土手を自転車を連ねサイクリングしている様子が見えます。
郷土の森では 2/1 から、『 梅まつり 』を開催していて、あちこちに幟が立てられています。梅の咲き具合はまだまだで、ほとんどがツボミを固く閉じているようです。樹の根元には夜間のライトアップ用にライトが配置されています。日向はとても暖かかったですが、雲で日がかげるとやはり風は冷たい。ライトアップされても、夜間の観梅は震えながらで、風流とは程遠いものと成りそうでした。
4~5日前から、2/2は雨か雪が降ると天気予報で言っていた。昨日ですら、さも雪が降りそうな言い方をしていた。ニュ一スでもホ一ムセンタ一で、雪かき用のスコップや融雪剤の売れ行きが上昇している様子を映していた。
私の住む太平洋側の南関東でも1年に一度くらいは雪が積もる。積もると言ってもほんの1cmくらいであります。2月から3月くらいになると、南岸低気圧と言って、列島の太平洋側を低気圧が通過するようになります。昔、一時期は『 台湾坊主 』と言っていた時期もあったが、外交上まずいと言う理由で『 南岸低気圧 』となまえが変更となった。
この南岸低気圧がどのコ一スを通るかによって、雪となったり、雨になったりするのだと言う。低気圧が八丈島の北側を通ると、大陸から下がってくる冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がって来られずに雨となる。
低気圧が八丈島の南側を通ると、大陸からの冷たい寒気が太平洋沿岸まで下がることが出来るので、太平洋岸にも雪が降ると言う理屈だそうで、大雑把な境目は八丈島にあるそうな。
東京など南関東では雪が1cmでも積もるのは、年に一度ほどである。どなたもが雪に慣れていないものですから、歩いていて滑って転んで骨折したり、雪が凍って車がスリップして事故を起こしたりして困るのです。でも基本的には、大人も子供もたまに降る雪が嬉しいのだと思います。
一応、東京都ではありますが、青梅線の奥多摩の方では、雪が降る前の2/1 夜の段階で、電車を運休することに決めたとニュ一スで言っていた。南関東では雪が降らなくても、東京都でも奥多摩方面では積雪があるのかも知れない。電車の運行情報で、”シカと衝突して電車に遅れが出ている”なんて言っていて、都会では想像出来ないことが起きている。雪が降る前から運休を決めるなんて気が早いと言うのは、当地の状況が分からない者の言い方で、それぞれ事情はシカと分からん。
斯く言うジジイも、頭の片隅に雪を期待する所があるのであろう。起きて直ぐに窓のカ一テンをずらして見たら、冷たそうな雨が降っていた。
長女の嫁ぎ先の義父が亡くなり、葬儀に参列して来ました。白木の箱に入れられ、参列された皆さんに間近でマジマジ視られ、おまけに寄ってたかって、顔以外の全身に花を置かれる。多分、飾られているのであろう。
こんなこと、もし自分が生きていたなら、恥ずかしくて、照れ臭くて、とてもじゃないけど出来ない。死んだ人だから照れずに耐えられるのであろう。
僕も近々経験するのだろうから、予行演習の積もりでよく見てきた。きっと照れ臭いことだ。
年末にのし餅を4枚頂戴しました。今朝、雑煮にして全て食べ終えた。私、雑煮が好きなのです。
ずっと以前、山形県に単身赴任していた時、飲み会以外で、外食したことが8ヶ月間で一度も有りませんでした。すべて自炊しましたと言うと体裁が良い。コンビニ弁当も買った記憶がありません。温泉街の裏に有ったアパ一トの近くに飲食店が無かったこともありますが、雪掻きして車で出掛けるのも面倒だったからでしょう。
思い起こせば、チンゲン菜と豚バラ肉の雑煮ばかり食べていたような気がします。野菜を食べる量が少ないといけないと思って、野菜ジュ一スばかり飲んでいたっけ。
雑煮を食べる度に、侘しかったことを思い出します。『 男やもめにウジがわく 』と云う言葉が有ります。私はやもめでなく単身赴任でしたが、男の一人暮らしなんて、いい加減な生活をしているものです。
昨日、図書館に行って、落語のCDを借りようとして探していた。ふと、他の棚に研 ナオコさんのCDが有るのに気が付いて借りてきました。2枚一組で、昨日から2回聴きました。その30曲全てが失恋の歌。
もちろん虚構の世界のことなのですが、女性もこんなに失恋の哀しみに苦しんでいるのかと、ちょっとしんみりとした気分に成ります。男の方でも、”彼女の居ない歴、何十年 ”なんて方はそれこそ掃いて捨てるほど居るのですから、何とかマッチングする方法などないものですかね。今になって思うのは、全ては『 勇気を出すことと、行動力の問題 』だと思うのですけどね。
75歳の今、若かった頃の妄想に浸っても遅いのですが、独身の頃、もっとたくさんの女性とお付き合いしてみたかったなぁ。『 ヤセのチビなんか魅力ないわ 』と言われましたが、あれからもう何十年も経過していますが忘れませんなぁ。
知人が亡くなったと云う知らせが来ました。寒い日が続いていたり、インフルエンザが流行して年配者には厳しい環境になっているのではないのでしょうか。
式に出席することを想定し、もう暫くのあいだ着ていない礼ふくの点検をした。
この年になれば、周囲のかた関連の結婚式や葬儀の時期・機会もほぼ通り越してしまっいる。ここ数年、私に関しては礼ふくを着る機会などほとんど無い。それどころか、立場は逆転して、自分の葬儀のために、周囲の方に礼ふくを着て頂く立場が間近に迫っているのではないか。
ダブルの礼ふくの上着はパンパン、はちきれそう。ズボンの方はまったく受け付けない。リタイアして体型がまったく変わってしまったのだ。夏用のシングルの礼ふくは何とか着る事が出来た。ズボンは黒色の他のモノで間に合わせることにするか。
今更、これから着る機会もほとんどないふくを新調する気もほとんど無い。レンタルを考えるか?
カミさんの方はどうにもならなくて、午前中、急遽吊るしのフォーマルを買いに行った。女性のふくのサイズは判らないけれど、若い頃は確か9号であった。今日買ったのは17号。夫婦共々高齢になって横に背が高くなって、困ったものだ。
秋に買ったシクラメンも春に花が終わり、球根が猛暑の夏を越して、次の冬にまた咲かせるのは中々難しい。
画像の シクラメンは一昨年の秋に購入したものですこの冬にやっと咲かせることが出来ました。
正月も5日とも成れば、少しは混雑も緩和されるのではと、『 相模 一之宮 寒川神社 』まで行って来ました。今時分、首都圏では珍しい単線の相模線 宮山駅を降りれば、正月限定の『 臨時職員 』の応援の駅員さんも喉をからしての混雑でありました。駅から徒歩5~6分なのでありましょうが、寒川神社の場所が分からなくても、行列についていけば、神社まで辿り着けると云う状態でありました。
『 御縁がありますように 』と5円玉を握り締めた、他力本願のご利益を求めた欲深のにわか信者が列を成して進む。山門にはネブタの飾り付けがしてあった。新聞にも出ていたけど、『 参拝者寄せネブタ 』でした。
拝殿に臨めば、お賽銭の額にそぐわないほどたくさんのお願いをして来ました。賽銭箱に入らない硬貨も落ちていました。100円玉もある。諸般値上がりの折、『 やはり、5円ではダメか? 』
年賀状の宛な書きをやりました。パソコンとプリンタ一を使って、住所録のデ一タがあれば、直ぐに終わってしまう。先日、図柄を印刷したから、後は一枚ずつ裏面の手書きをするだけ。
来年は全部止めてしまうわけではないが、年賀状の枚数を大幅に減らす予定です。ワ一ドで縦書きにして年賀状に止める挨拶の文言も作って印刷した。ハガキの代金が上がったのは確かだけれど、年賀状の枚数を大幅に減らすのも何となく寂しい。実は来年、数え年77歳で、ジイも『 喜寿 』なのであります。終活もしなければね。
義妹のところから、野菜が来ました。そのうち大根2本を切り干し大根にするために刻んだ。地方ならともかく、今時切り干し大根など作る家庭など珍しいのではないか?
妹の自家製の大根なので、ス一パ一などで売っている物より遥かに大きい。僕も以前、家庭菜園をやっていたから分かるけど、冬大根は畑で放っておくと、どんどん大きくなる。当時は自分の栽培した大根は、売っている物より遥かに大きいと思ったものです。
本当は、プロの農家の人と競争して敵う訳が無いのに、世間知らずであった。大根をどんどん大きく育ててしまうと、流通用の箱に入らなくなってしまって、ふ良品になってしまうのだ。農家ではほど良い大きさになったところで出荷するのです。
例年、切干大根用に刻むのは僕の役目。大根2本も刻めば、飽きるし、肩が凝ってしまうのです。
久しぶりにア一ケ一ドの商店街を歩いた。『 何か変だな 』と思った。いつも道にはみ出して置いてあった"テリ一伊藤さん”の似顔の人形の像が置いてなかった。『 から揚げの天才 』と云うから揚げ屋さんが閉店するようだ。店舗の中には灯りは点いていないし、厨房設備も搬出されてしまって、閉店の旨、張り紙がしてある。
この店はどのくらいの期間営業していたのであろうか。多分、2年間くらいだろうか? 開店当初は客が列を成していて、から揚げを予約しないと買えないなんて言っていた。
たかが、から揚げである。ニンニク味にしようが、その店の特徴を出そうが、驕ってはいけないよ。物珍しさが無くなれば、客足は遠のいてしまう。その内、から揚げだけでは勝負が出来ないと、弁当屋のようなこともやっていたが、ついには客足は戻らず、閉店になってしまったようだ。
閉店となったことを知って、思い浮かべたことは、『 驕る平氏は久しからず 』と、方丈記の『 消えてはすぐに結ぶ”うたかた”のように、人の命も、人のすみかも、消えたと思ったら生じ、生じたと思ったら消えることを繰り返す 』 のことであった。
最近ちっともHPを更新していない。おさむ爺も老いたのである。それと余り家から出なくなってしまった。外出してこその話題である。出なければ、話題が無い。題材が無ければ、おさむ爺とて書けないのである。それではいけないと思うし、認知症予防のためにも、努めて外出をしなければと思う。
モミジが色付いたかと思って、世田谷区の九品仏浄真寺に行ってみた。ごくごく一部が色付いていましたが、他はまったく緑色。何でもかんでも温暖化のせいにするのは嫌なのだが、11月も下旬と云うのに、歩くと汗をかく。子供の頃、父に連れられて、酉の市に行った記憶がある。その時には寒くて厚手のジャンパーを着て、マフラーに手袋をして行った。数字が伴っていないけれど、昔の方がずっと寒かった。
浄真寺にある東京都天然記念物の大銀杏も、まだ、半分くらいしか黄色くなっていない。
大相撲の大関 大の里も大銀杏がまだ結えない。 まだのモノばかりです。
九品仏浄真寺には大きな阿弥陀様の座像が9体ある。それで、九品仏と言うのだろうけど、参道は昔の風情が継続して残っている。浄土宗のお寺です。我が家の宗旨は日蓮宗なのだけれど、皆、宗旨に関係なくお寺にお参りに行く。
『 日本人には宗教がない 』と言う人が居る。それどころか、何でもかまわず多神教でもある。その時々の都合で神様、仏様、イエス様、その他宗教を変える。信仰とは関係ないものなのであろう。それでも、苦境に陥ると『 神様、お助け下さい 』と思うから身勝手なものだ。
私の好きな落語の世界には『 今日様(こんにちさま)』と言うのがある。先代の桂 文楽の噺によく出て来る。『 お天道様はお見通しだ 』とか、何かって言うと、『 天が許しません 』と言っていたっけ。
まったく持って、日本人には宗教に関して、定見がないな。
ガラリ、話し変わって、南関東の平地の紅葉は 12月初旬らしい。
先日サツマイモを蒸かして、縦方向に10mmほどの厚さに切り、干し芋を作ろうとした。干し加減が分からず、どうも、干し過ぎてしまったようだ。結果は硬くて歯が立たない。再び蒸かして、何とか食べられるようにした。
ネットで検索したら、干し芋の作り方などいくつも書いてあった。中にはオーブンで作るものさえあった。作る前にネットで調べれば良かった。
まったく、徒然草のようだな。『 仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝がまざりければ~~~、少しのことにも先達はあらまほしき事なり 』 である。
懲りずに今度は干し柿を作ろうと柿を10個ほど皮を剥いて干し始めた。干し柿は以前、作った事がある。その時は知人から頂いた渋柿で作った。今度の柿は甘柿である。甘柿でも作れないことはあるまい。ちょっと信じられないようなことなのだが、糖度の面では渋柿の方が糖度が高いのだという。
孫の七五三で 溝口神社に行って来ました。前日の天気予報では荒天との事でした。神社に行く時から、帰りまでの間は、ごく弱い雨か、雨が止んだ時で無事済ますことが出来ました。
神社には令和7年分の厄年や、年祝い、その他の表示がもう貼られていました。年祝いは還暦、古稀、喜寿、傘寿、・・・・などのお祝いを言います。年祝いは数え年で祝うもの。来年、私が該当するようです。
各自の誕生日に関わらず、『 昭和24年生まれ 』の人は令和7年元旦を以って、皆さん一斉に『 喜寿 』であります。大き目の神社には大抵の場合、表示されておりますから、初詣にでも行った際に確認して下さい。それでも、自分なりの解釈で、満年齢で自分の誕生日を以って『 喜寿 』であると云う方はきっといらっしゃいます。そんなことは自由ですから、自分の好きなように勝手に祝って下さい。
七五三ですが、孫は現在満年齢で5歳です。七五三も本当は数え年でやるもの。私、息子に言っておかなかった。本来は昨年が七五三を行う年でした。
元気であれば良いのですから、『 まっ、いいか! 』
やっと心地良い気候になって来ました。食品ス一パ一に行くと、白菜の1/4カットが200円くらいする。早く寒くなって白菜漬けを食べたいなと思う。白菜漬けは自分で漬けます。
後期高齢者でありますが、焼肉、トンカツ、ステ一キなど脂っこいもの大好き。(多少見栄はってます)
でも、時には、白菜漬けの薄い緑色の葉のところに、ちょっぴり醤油を付け、熱いご飯を巻いて食べることや、温かいご飯に削った鰹節をたくさんのせて、ちょっとお醤油を回して食べるのも大好きなんです。
次男のところの孫は今幼稚園の年中5歳男児である。以前、彼の好きな物は働く車だった。消防車、救急車、ゴミ収集車、ブルド一ザ、クレ一ン車などなど。ミニチュアの車だって、たくさん持っている。カミさんがTシャツを買ってやるときも、働く車の絵が描かれたTシャツを買っていた。我が家に来ても、ゴミ収集車が発する音楽が聞こえてくると、夢中になって見ていたものでした。
ここに来て、興味の先が電車に代わってしまったようで、次男の仕事が休みの時にはせがんで、あちこちに電車を乗りに行くようなのだと言う。
10/12に次男のところから、東急電鉄の『 電車とバスの博物館 』に行きませんかの誘いが有って、我が家も同行することになった。
孫はあっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロする。館内のスタンプラリ一も行った。次男夫婦はもうジイジとバアバが面倒を見てくれるのだと思って、椅子に座って平気な顔をしている。孫だって2時間もチョロチョロしていれば、草臥れて来て帰ることになった。
ジイジとバアバはもっと草臥れて、疲れが今日まで持ち越した。今日、昼寝2時間してやっと調子が戻った。子育てなんか若くなければとてもじゃないけど出来ない。かぐや姫や桃太郎の家では、よく育てたものだ。
昨日(10/8)まで半ズボンと云う半袖Tシャツという男児小学生のような格好をしていた。
今朝も始めの内はそうしていた。風邪でも引いて『 年寄りの冷や水 』と云われると嫌なので、Tシャツの上に長袖シャツをはおり、長ズボンに替えた。 更に、後になって靴下も履いた。寒くなって来たね。
私は本好きですが、それでも一日中本を読んでいる訳ではありません。気が多いものですから、本を読む以外にもやりたいことがたくさんあります。本を読むのは夕食後の2~3時間と云ったところでしょうか。
よく『 ヒマを持て余している 』と云って居ますが、それは私の外交上、発している言葉に過ぎません。
もう。歳もだいぶ取っておりますから、私に残された歳月は少ない。本を読んでみてガッカリするような内容のモノはなるべく避けたい。されど、本の内容の良し悪しは読んで見なければ判らない。
『 徒然草 』に『 先達はあらまほしきことなり 』と書いてあります。明治大学の斉藤 孝教授が、”大学生ならこれくらいの本は読んで欲しい ”と云う本の題めいのリストを提示しておられます。
そのリストの中にあります、遠藤周作さんの『 海と海藻 』と云う本を読みました。たぶん2回目かな。
作品中の文章と少し違いますが、
『 俺もお前も、こんな時代の、こんな立場に居たからやっただけや。俺たちを罰する連中かて、同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ 』
『 俺たちの中には、世間や社会の罰しか知らない。発覚しなくて、罪に問われていないかも知れないが、我々は実に多くのやましいことをやって来た 』
そうなのです。私も罪に問われていませんが、実にさまざまな犯罪や、悪ガキの悪戯をやって来た。多分良いこともそれ以上にして来たとは思うが、小学生の時に始まって、実に様々なことをやって来た。ここで一々白状するつもりはありませんが、悪いことをやったのは今でも覚えている。多分、時効だと思うが、申し訳ないと思うことばかりだ。
昨日は10月になっても、30℃を超える暑さだった。玄関に在ったカミさんの夏用のサンダルがだいぶ草臥れていた。
『 サンダルが大分草臥れているじゃないか、新しいの買いなさいよ 』
『 ああ、それ、慣れて履き易いのよ。でも、つま先がちょっと剥がれているけど 』
買いなさいと言っておきながら、接着剤を持って来て、剥がれた部分を補修した。
10月だから、店では夏物のサンダルは、商品の入替で、もう倉庫にしまわれて出ていないのかも知れない。10月が終われば、サンダルを履くような、暑い日もないであろう。カミさんは10月末に捨てようと思っているらしい。
老夫婦の家庭なんて、こんなやり取りをするものだ。
昨日(9/23)墓参りに行った。お盆の時は余りに暑くて、墓参りに出掛けるのは良いけれど、途中で老人が干からびて倒れていたなんてことになると困るのでパスした。春のお彼岸以来の墓参りとなった。お彼岸の休日ともなると、やはり墓参りも混雑する。
8/1の日記に、卒塔婆に書かれている文字はシルク印刷で書かれていると本に出ていたことを書いた。実際に確かめなければならない。卒塔婆に書かれている文字の内、その宗派やお寺さんの決まりきった定型部分は間違いなく印刷だな。人が書いた場合にはこれほど画一的に記載出来ない。個別のおなまえ部分などを比べると、明らかに文字に差が出ているから、お坊さんが書いたものらしい。
墓参りの帰り道にある食品ス一パ一の『オオゼキ』があるので入ってみた。オオゼキさんは『OKストア』と並んで、食品ス一パ一でも安売りで有めいな店舗です。食品ス一パ一は何処も同じようですが、実際に入ってみると雰囲気がそれぞれ違うものです。カミさんも確かに安いと言っています。別にオオゼキさんの宣伝をしている訳ではありません。簡単に言ったら、近くに高級住宅地を控えている店舗と、下町の雰囲気の漂う店舗では明らかに違うね。
季節は秋なのですね。栗が出ていて、2袋買いました。一袋は『渋皮煮』にして、もう一袋は今夜、栗ご飯にする予定です。栗も良いのですが、皮を剥くのが面倒です。
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、本当によく言ったものです。昨夜はエアコンを点けずに寝ること出来ました。
もうたくさん働いたのだから、今の生活を変えようと云う望みもない。一日、一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じない。
それでも、夕方は苦手で夕焼けも時間が過ぎて暗い部分が増してくると、何とも言い難い虚しさを覚えてしまう。
あとは時間の問題で、このまま終わってしまうであろう自分の生涯に対する漠然とした遣り切れなさで溢れて来る。
新聞に、マウスやブタなどの哺乳類のお尻から酸素を注入して、腸呼吸することを発見して、イグ・ノ一ベル賞を受賞した記事が出ていた。将来、人間にも適用し、呼吸ふ全の人の治療に適用できるのではと期待されている。
肛門と言うと直ぐに大便を連想してしまい、何かふ潔のような気がするのは、素人の浅はかな考えのようだ。
でもね、考えてみれば、これも何か嫌な気もする。教室や職場、会議室などの空間で、誰かが知らぬ顔でスカシッペをしたとする。オナラは腸内で大便を掻き分けて出て来たもの。掻き分けなくても、少なくても大便と接触はしているよね。それを冬だったら閉ざされた空間で、皆が共有して肺に取り込んで呼吸していることになる。ただの空気よりは栄養分はありそうな気はするけど。
よくチ一ムワ一クの良さや絆を表わす言葉に、『 同じ釜の飯を食う 』と言うけど、『 同じオナラを呼吸した 』なんて絆は遠慮したいけれど、皆知らん顔してスカシッペをするからどうにも成らない。
月並みな言い方だけれど、台風7号が通り過ぎて、汚れた部分を洗い流して行ったようだ。夕べ、カミさんがパソコン部屋に入って、『 何だかすごく臭い 』と言っていた。そうかもしれない。夕方になると、ほぼ毎日ちょっとした体操をしたり、自重の筋トレなんぞする。真夏であるから汗びっしょりになる。下にバスタオルを敷いたり、汗拭きタオルで汗を拭く。その後、汗をかいたモノを椅子か何かに吊るして干して置くものだから、臭ったのだろう。朝早くから、パソコン部屋では掃除が始まり、汗臭さの温床に成っていそうなタオル、バスタオル類は洗濯に回された。この晴天だから直ぐに乾くであろう。
連日、熱中症警戒アラ一トが出され、ふ要ふ急の外出はするなと言っている。外出は2週に一度図書館に行くだけである。老人が干からびて倒れたと言われるのも嫌だ。ほんの近場に行く以外、『 徘徊 』や『 逊遙 』なるものをしていない。この調子だと、秋になって足が弱ったことを痛切に感じるに違いない。
人がいっぱいの観光地などに行きたいとは思わない。『 ボンカレ一 』とか『 金鳥の蚊取り線香 』など、半分錆びたような琺瑯の看板が壁に貼ってあるような、古い家並みでも歩けたら最高です。目黒川沿いにそんな看板を付けた家があった。
『 東京23区外さんぽ 』と言う本を読んだ。まだ歩く所はたくさんある。東京の日の出町に、”卒塔婆 ”を作っている工場がある。東京でも五日市線沿いの地域なら、卒塔婆の材料を入手するのに立地が良いのかと思ったら、材料は輸入木材で、卒塔婆に書かれる『 定型の部分 』はシルク印刷なんだってね。ビックリだねエ
毎日、暑い日が続き、老体としてはもうバテている。早く涼しくなることを望むが、こればかりは如何ともし難い。よくふ動産屋の広告に『 日当たり抜群 』なる決まり文句がある。我が家は、冬場は日が当たって、暖かく誠に結構な家なのだが、朝から夕方まで途切れることなく日が当たっている家は夏場は『とにかく暑い!』。しかも、パソコン部屋のある3階は耐えられない。かつてはエアコンもあったのだが、壊れて以来更新せず、扇風機のみに頼っているのだ。
新聞に12日夜から14日未明まで、『 ペルセウス座流星群 』の流星を見ることが出来ると言う記事があった。午前3時にトイレに行くのを切っ掛けに起き出して、3階バルコニ一から観測(?)した。
15分間ほど北東の空を眺めたが、それらしき流星が流れるのを観測出来なかった。もちろん、流れ星が見えたときに備え、願いごとは用意しておいたが、極秘である。初め、空を見上げたら、2つしか星が見えなかった。起きたばかりの目が暗さに慣れると、微かではあるが、何十もの数の星を見ることが出来た。
50年ほど前に川崎は『 公害の町 』として、汚れた空が全国に知れ渡った。今は『 環境の町、川崎 』となって、冬の晴れた日には富士山も望まれるのではあるが、夏の晴れた夜でも多くの星をはっきりと見ることは出来ないのです。
昼食にインスタント・ラ一メンを食べた。こちらは昨日のような、非常食ではなく、購入してから幾らも経っていない。
元祖、日清食品の鶏がらス一プの『 チキンラ一メン 』である。袋にSince1958と書いてある。かつて、NHKが『 まんぷく 』と言う題で、朝の連続ドラマとしたから、ご存じの方も多いと思います。
安藤百福さんが開発した当時から、改良は重ねられていると思うが、当時の形態を踏襲しているのであろう。
他のほとんどのインスタント・ラ一メンが粉末ス一プを別袋にしているのに対し、『 チキンラ一メン 』は麺自体に味付けされている。お湯を差す前の、味付けされたカリカリした麺は、駄菓子にも同様のモノがあったような記憶がある。
かつて、『 即席ラ一メン 』と言われたモノに相応しい製品なのであった。
このところ、地震が続いている。我が家でも災害に備えて、非常食の点検をしてみた。1 食ずつ小分けにされた非常食には賞味期限が5年間と書いてあった。保存していた非常食は、その賞味期限が切れて、更に5年が経過していた。製造から都合10年が経過したことになる。ずっと、点検していなかったことになる。
昼に『 白粥 』を食べてみた。我が家は3人家族だから、3個減った。まだ5個残っている。
夕方になっても、誰もおなかが痛くなるとか、下痢も起こっていない。賞味期限は書いてあったけど、消費期限は書いていなかった。
ラ一メンもあった。試しに一つ作ってみたが、こちらはちょっと臭いがきつく、捨てることにした。
どちら様も、非常食の点検をお願い致します。
新型コロナがまた流行しているようです。まだ具体的に『いつから』、『どの医療機関で』と言う事は分かっていませんが、一部費用負担でワクチン接種を受けられるとの通知が来た。
今度受けたら8回目の接種となる。きっと根絶は出来ないで、これからもずっとコロナウイルスとお付き合いするらしい。歓迎しないけど。
今、『 つやつや、ごはん 』と云う本を読んでいます。39人の著めい人が自分の好きなご飯の食べ方を書いた本です。
例えば、『 新米を炊いておかずなしで 』、『 新米を塩おにぎりにして 』、『 新米の冷めたご飯 』などなど、それぞれ好きな食べ方を書いている。
僕は子供の頃からとても幸せな生活を送って来たのかもしれない。自営業の職人だった父の都合で毎日、木の切れ端が出た。その切れ端を処分するために22歳で家を出るまで、かまどを使って、羽釜で炊いて、木のおひつに入れたご飯をずっと食べ続けてきたのです。ご飯の美味しさにはどん感な方ですが、子供の頃からずっと美味しいご飯を食べ続けて来たのでした。本を読んで居て、昨夜、気が付きました。
『 先ず頼む 椎の木も有り 夏木立 』 (芭蕉)
子供だった頃、どの家にもエアコンなど無かった。地面はこんなにもアスファルトに覆われていなかし、木々も多かった。
『 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 』 (芭蕉)
夏の山寺(山形県)に行った事がある。山に登った後は、頭のテッペンから汗だくだった。もう遠い昔の話です。
夏の激しい日差しは人生の過酷さの象徴だろうか? もう勘弁して欲しい。
長い間ずっと更新していませんでした。我が家の3階に在る、パソコン部屋に形だけのエアコンが有っても故障していて使えないのです。コスパを考えて更新する気に成れません。早く涼しくなって欲しいものです。
昨日、浅草演芸ホールに行って来ました。コロナ禍前には毎年2~3回は寄席に行って居ました。コロナ後は今日が初めてです。
寄席は普通、写真撮影、録音はNGですが、最期の大喜利の芸人バンド 『 アロハ・ハワイアンズ 』 の演奏と歌のショーは、写真撮影自由でした。芸人さんのバンドですから、ハワイアンなのに『 高校三年生 』の歌を歌ったり、ハワイアンの曲なのに最期の方で、艶歌のようにこぶしが回ってしまったりと、素人バンドですから何でもありなのです。
寄席の演芸の中に『 紙切り 』 と云う芸があります。観客から希望する題目を聞き、芸人さんが構図を考え、紙に下書きもせずに、即興で紙を切り作品を作る芸です。紙を切っている最中も、客を飽きさせぬように話をしながら切る話術も必要な芸です。
私もリクエストして切って貰いました。今回で2回目です。今回は『 浴衣 』をリクエストしました。前回は『 夕涼み 』 です。季節感のある、芸人さんの遣り易いものをリクエストしなければいけないと思っています。
例題で5年前に切って頂いた作品と、今日切ってもらったものを示します。
令和1年7月14日に『 林家今丸さん 』に切って頂いた『 夕涼み 』の作品です。左が作品本体で、右が紙から作品を切り抜いた『 ヌケガラ 』です。『 ヌケガラ 』も作品に劣らぬものです。
昨日、令和6年7月14日に『 林家喜之輔 』さんに切った頂いた『 浴衣 』です。ヌケガラは他の方が貰ってありません。
今回も『餃子』と云った人が居て、切って貰っていました。餃子を紙切りで明確に示すことが出来ると思っているのか? バカなやつです。説明されなければ分から無い言葉を言っても詰まらない。過去にも『 闇夜のカラス 』、『 雪中の白ウサギ 』など芸人を困らせる目的の題目を求めた客も居たようです。良い趣味ではないと思います。
客の方も何か切って貰いたい場合は、芸人さんのつばが飛んでくるのを覚悟に最前列に座り、前もって題目を考えておいて、問われたら即座にリクエストするタイミングが必要です。希望者の競争率は激しい。
毎日本当に暑いです。僕なんかいつもTシャツに短パン、坊主頭だからまだ良いけれど、女性は本当に大変です。
『そうなのよ。女は大変だわ。家に居るときは、それでもアッパッパのようなものを着て、中はスッポンポンでも分かりゃしないけど。 外出する時にはそういう訳に行かない。ブラ・パン・ガ一ドル・パンスト着けて、 あっ、それだけでもう蒸れちゃうわ。髪だって、薄くなってしまっているから、ウィッグを付けなくちゃ。考えただけで頭がボーッとしそう。どうしても、避けられないのが壁塗り。シミを隠そうと思うとどうしてもファンデ一ション厚塗りになってしまう。こう暑いとしたくないんだけど、指輪、耳飾り、首飾りに鼻輪でしょ。あっ、鼻輪は要らないんだ。』
炎天下に曝されて、帰宅したら、ドアを閉めた途端、全てをおっぽり出して、お風呂にザブン。また、スッポンポンに、アッパッパを被って、エアコンかけて、お昼寝が一番。それほど、暑いのです。
今年は靴下だったけれど、長女のところから、父の日のプレゼントにブル一ベリ一、マダガスカルジャスミン、コ一ヒ一の木と毎年何らかの鉢うえを頂戴してきた。いつ、何を頂いたかは忘れてしまった。
昨年までは、葉が茂るばかりで、いずれも花を付けることは無かった。今年になってブル一ベリ一が咲き、十数粒の実をつけた。そして今、マダガスカルジャスミンが開花した。まだつぼみはたくさん有る。
枕草子 第百五十五段 『 愛(うつく)しき物、瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』
当時の女児は小さな瓜に人間の顔を描き、玩具にして遊ぶ風習があったのだとか。
6月1日に開花し、受粉させた糸瓜、直径90mm、長さ117mmと成りました。何か随分早く成長するものだと思います。6月5日に書いたように、ジジイも戯れに目鼻口など描いてみました。
3階のバルコニ一に置いてあるプランターに毎年、ツルの出る作物をうえて、ネットに這わせて日除けにしょうと言う企みである。今迄に試みたモノは、千成瓢箪、大瓢箪、ミニカボチャ、糸瓜(ソウメン瓜)である。今年は去年と同じく糸瓜にした。どうせなら、食べられるものが良い。タネは買ったものではなく、前年できた実から得たものを使っている。瓢箪も面白いが、中身を腐らせてのタネを取る際に猛烈に臭い。ひょうたんは観賞用、オモチャにしか成らない。いつまでも臭いが取れないので、酒を入れる気にはならない。
今年は何故かうまく発芽して順調に育った。糸瓜が6月になってよく咲くようになった。瓢箪もキュウリの様な瓜も、雄花と雌花が有る。雄花と雌花が同日に咲いて、受粉させないと実は結ばない。ハチが受粉させて呉れれば良いのだが、午前9時くらいまでに済ませないと花は萎み始めてしまう。
左の画層は本日咲いて受粉させた雌花です。将来瓜に成長する部分はまだ2cmほど。右の画像の、実に成り始めているのは6/1に受粉させたもので、花の元の方に5cmほどに成長している。毎朝、仲人をしている。
清少な言の枕草子 第百五十五段に『 愛しき(うつくしき)物 瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』という文が有る。糸瓜は長さ15cmほどに育つ。育ったら目鼻口でも書き込んでみようと思っている。
我が家の外壁に多分アゲハチョウのサナギが付いていた。気が付いたのは5/22のことです。お隣の家にはチョウが好のむ柑橘系の木が有り、以前から青虫が葉をかじったり、サナギとなっているのを見てきました。
我が家には柑橘系の木はありません。ただ、玄関先には花が多くアゲハチョウがたびたび飛来して来ていました。よりによって外 壁にサナギが付くとは思っても居ませんでした。
友人から1週間か10日ぐらい経った、午前中に羽化すると聞かされていました。私もネットで調べて、羽化直前にはサナギが黒っぽく変色すると知りました。
サナギの存在に気が付いたのは5/22ですが、実際にはサナギがいつから外壁に付着していたのか分かりません。雨の降る日に羽化することはないであろう。日数と天候から考えて羽化の予測は5/30と想定して、何度も見に行きました。サナギに動きはなく、黒っぽくもなりませんでした。
5/31は朝から雨降りで『この雨じゃ、今日はないな』と思っていた。雨の様子を見るため、外を見ていたカミさんが『黒っぽい鳥がサナギの傍から飛び立った』と言うではありませんか。
早速、傘をさして見に行ったら、サナギはもう跡形もなくなってしまっていた。自然の摂理で起こっても仕方ありませんが、羽化が見られると思って期待していた分、とても残念です。
友人に報告したところ、『目玉の大きなテルテル坊主でも近くに吊るしておけば良かったかも、ヒヨドリの仕業かな?』と言う事でした。外壁にサナギが付くなんてことは滅多にない事でしょうが、もし次もあったら、ピカピカ光るCDでも吊るそうかと思っています。
3階のバルコニーのプランターにタネからうえた糸瓜が順調に育っている。ネットに這わせて日除けにと目論んでいる。
すべてのツル草花に適用できるかどうか知りませんが、発芽後、本葉が5~6枚出た時に目の先端を摘んでしまう。すると、脇から子ツルが出てきます。花芽は子ツルや孫ツルに多く付くのです。アサガオもこうするとたくさん花を付ける。
カボチャやキュウリなど、そして糸瓜も雌花と雄花がある。どちらも満遍なく咲いて呉れれば良いが、単独では結実しない。我が家の糸瓜も既に雌花のツボミがいくつも出来ていて、2~3日うちには咲きそうだ。それに対して、雄花の方は咲くのはまだ先が長そうだ。
かくして、失恋する雌花がいくつも現れそう。管理人であるおさむ爺としては、京都・大原三千院にでも一人旅させてやりたい所ではあるが、叶わぬことである。
三千院ならおさむ爺が行きたいのである。もしかして、失恋して一人旅している女性と出会えるかもしれぬ。出会った後の展開は、川上宗薫先生や、渡辺淳一先生にお任せ致します。両先生に置かれましては、主人公(私のこと)が高齢者であることゆえ、今後の展開にご苦労があるに違いないと察するところであります。
『なに!、両先生とも既にお亡くなりになっている!?』
それでは他の先生に執筆をお任せするしかない。老人と言えど、なるべく濡れ場の多い展開をお願いしたい。
昨日(5/16)、川崎市立図書館に行った。
川崎市の図書館では、皆さんがよく読むような本は開架に置いてあります。読みたい人が自由に手にとってペラペラとペ一ジを繰って確かめてから、借りたり、館内で読むことができる。図書館の所蔵する本は開架に置いてある資料だけでなく、その楽屋裏にもたくさんの本を所蔵しているのである。
検索機では市内の別の図書館に在る本の検索が出来る。開架にないような古い本や貴重な資料は、検索機でこの図書館に在る事を確かめ、印字して職員に申請して閉架より出してもらう。
検索機で吉屋信子作『もう一人の私』という本を探し出し、印字して窓口に持って行った。
『これは大変古い本ですよ』 ほか、職員がブツブツ言っている。構わず、待っていたら、如何にも古そうな本が出て来た。
『こちらの資料は大変こわれやすくなっておりますので、このカバ一を付けたままご覧下さい』と注意書きの貼った透明カバ一に包まれて本が出て来た。
なるほど、今にも壊れそうで、漢字もひらがなも旧字で書かれている。発行は昭和30年である。実際に書かれたのはその2~3年前の短編小説であった。小説の終盤にはいずれもどんでん返しのような展開があり、とても楽しい。僕の未就学の頃には、漢字もひらがなもまだ旧字を使っていたのか。改めて言うほどではないが、私も骨董的存在なのであるな。
三年に一度開催の、東京都無形文化財、九品仏の通称『お面かぶり』が行われるので、九品仏山 浄眞寺へ行って来ました。
浄眞寺が通称九品仏と呼ばれるのは、上品上生、中生、下生、中品上生、中生、下生、下品上生、中生、下生の九体の阿弥陀様が三体ずつ分けられてまつられているからです。
上品堂を極楽浄土に、本堂を現生に見立て、その間に懸橋を設け、阿弥陀如来と25体の菩薩様がお面をかぶり、その他の方々が3回練行列すると言うものです。
私はこの行事を見たのは初めてではありません。30数年前、その当時は八月に行われていた。炎天下にお面をかぶるなんて、灼熱地獄ゆえに5月に開催時期の変更となった。雲ひとつ無い好天で都内でも30℃近くとなった。お面をかぶって懸け橋を往復した方々はさぞや暑かったに違いない。
連休中にお金の掛からない『お面かぶり』見物に身動きが取れないほどの人出がありました。みなさん、『安近短』なんですな。私もおにぎりとゆで卵を作ってもらって、掛かったのは交通費だけの節約モードでした。
昭和記念公園にはそれこそ何万人もの人出がありました。昔、『安近短』と言う言葉があって、円安でなくても、元々海外旅行に行けない、ひたち海浜公園にも行けない人達がたくさん来ておりました。昭和記念公園にもネモフィラの丘があります。
こんなに良い天気の屋外では、熱中症に成らぬよう十分水分補給しなくてはと分かっていても、トイレのことを考えて無意識のうちに水分補給をセーブしてしまっていたようだ。家に帰って何だかお茶ばかり飲んでいる。水も滴るいい男を維持するには、十二分の水分補給をしなくてならないのじゃ一
日焼けしたのだろう。感じもする。顔が突っ張るような感じがする。
『七輪、羽釜、五徳、十能って知っている?』とカミさんが言う。
カミさんは今、南伸坊さんの本を読んでいる。本の中に昭和30年代を懐かしんでいる記述が有るようだ。南伸坊さんは1947年生まれで、ジイより2歳上の団塊の世代である。何故か、昭和30年代が静かなブ一ムになっているようだ。
ジイは昭和31年小学校入学、昭和37年卒業だから、昭和30年代真っ只中で育って来た。
七輪、羽釜、五徳、十能はもちろん知っている。ただ十能だけはジイとカミさんの持つイメ一ジが違った。ネットで調べて見たら、小さなスコップのようなものと、火のついた炭を運ぶ片手鍋のようなものがあり、両方とも十能と言うようだ。
他にも、ハエ取り紙、火消し壷、トイレットペ一パ一の前に『落とし紙』と云うのもあった。落とし紙は今でも雑貨屋さんで置いておく店が有る。
古典落語の世界では、”へっつい”、”水瓶”などが出て来るけれど、どんな物だか分からない若い方も居て、噺家さんも演じ辛いことでありましょう。小田急線向ヶ丘遊園駅から歩くけど日本民家園では大抵の物を見ることが出来ると思います。
今日は雨模様で何とか涼しいけれど、4月末から30℃越えの真夏日やそれに近い気温に成っている。これじゃ、7月、8月となったらどんなことになるやら、先が心配だ。
こんな日が続くとジジイなど干からびてしまう。指を広げて手の甲に現れたシワは隠すことが出来ず、手を見れば年齢を偽ることが出来ない。焼きたてアツアツのハンバ一グを切るとその断面から肉汁が出てとてもジュ一シ一。痛いからやらないけれど、僕の手は切ってももはや肉汁は出ない。こう言うのを『枯れる』と言うのだろう。
枯山水は水気が無くても良いものだが、ジジイの干からびた手は救いようがない。
今年は時間差で3回に分けてタケノコを頂戴した。ありがたいものである。タケノコご飯は大好きです。カミさんが大きな鍋で、ヌカを入れてタケノコを下茹でしようとしている。軟らかそうな先端部と、硬くて時間の掛かりそうな根元に方を同時に茹でるのはおかしいのではないか?
硬そうな根元の方は圧力釜で、軟らかそうな先端部は鍋で別々に茹でてみてはとカミさんに提案した。こんなことは世の中では常識なのかも知れない。圧力釜を使えば短時間で軟らかくなる。効果は上々だった。
玄米を精米すると胚芽が取れる。ヌカを分離して胚芽米や胚芽入りパンにして食べると何となく健康によいような気になる。もう十分長生きしたから、そんなに気にしなくても良いのにと、思うのだが。
歳を取ると云うことは本当に弱ったものだ。4/2に引いた風邪がまだ本調子ではないが、やっと治ってきた。体の具合が悪いと何かをしようと言う気力が起こらない。頑張りが利かなくなっている。
私は子供の頃、3人姉弟であった。姉弟ケンカをすると、『離れていなさい。近付くからケンカになるんだから』と両親から良く言われた。
海上自衛隊のヘリコプタ一2機が深夜の訓練中に衝突して墜落したようだ。またバカなことをして、国の財産と人命をそこねたと思う。ヘリコプタ一が近付き過ぎて接触すれば、落ちるに決まっている。そんな分かり切ったことをして失敗している。
①鳥を含めて、空を飛ぶものは確率は低いかも知れないが、何らかのふ具合で必ず落ちる。飛ぶという事は地球の引力に逆らったことなのだから、ふ具合があれば必ず落ちる。
②近付き過ぎれば、衝突して落ちる。分かり切ったことだ。近付かなければ成らないなら、高低差を付けるとか、これ以上近付くと危険だから、回避する装置を付けるのが当然だ。
訓練中に衝突して墜落するなんて、あまりにバカバカし過ぎて、開いた口が塞がらない。同情する気にもならない。
3月末に私の住む南関東でも気温が上昇して夏日となることがありました。お調子者のおさむ爺はすぐさま穿いていたスパッツを脱ぎ、ポロシャツも半袖とし、おまけに伸びていた髪を3mm坊主としてしまったのがいけなかった。
今までもちょっと具会いが悪いなと思うことが有っても、寝る前に風邪薬を飲んで寝てしまうと、翌朝はもう大丈夫と云うので乗り越えて来ました。油断したせいもあってか、今度ばかりはもうダメだ。医者に行って処方された薬を飲んでも中々症状が改善しないで寝てばかりして居ります。ダメで昼間から寝込んで居るのは10年ぶりくらいでありましょうか?
夏日だからと言って直ぐに調子に乗って脱いだり、坊主になったりは『年寄りの冷や水』であり、一旦こじらせてしまうと中々立ち直れないのは『歳のせい』であります。
4/10くらいに更新できたらと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
他の新聞はどうか知らないけれど、朝日新聞では週に一度テレビ番組の週間視聴率ランキングが発表される。
テレビ局関係者やCMを出している人たちにとっては、重要関心事なのかもしれない。テレビ関連の人は別の方法で視聴率を確認しているのかどうかは分かりません。
同じテレビ番組で何百万人の人たちが一斉に笑ったり、あるいは感動したりとする方が何かとても恐ろしくて可笑しな現象と思わねーのかな? そんなこと思う僕が異常なのか?
みんな一緒とか、テレビ漬けの人生に何かおかしいのではと感じないのかなあ? やっはり、私が異常なジジイなのか?
3/5 図書館から『東京人』と言う雑誌を借りて来た。2023年7月号で、特集は『僕らが愛したなつかしの子供雑誌』であります。『小学 一年生』、『よいこ二年生』と言うようなこども雑誌を特集しています。
『東京人』の表紙からレトロな感じです。雑誌の表紙はパッチリ二重瞼の輝く瞳の、丸い顔。そんな愛らしい子供たちの絵が定番だった。
表紙の題めいが『セイガク』や『コクミン』であったり、横組みのタイトルを左から右へ読ませるなど、戦時下の時代を反映させるものもあってとても興味深いです。こんなものを借りて来て見始めたら終活なんてとても出来ないものです。
昼食におろしニンニクとマヨネ一ズを混ぜてパンに塗り、ト一スタ一で焼いて食べている積もりだった。
『 何よ!これ生姜じゃない!』
とカミさんに言われるまで、生姜と気付かずに食べていた。
徳用の量の多いサイズの容器で、外側の表示は取り除かれていた。まあ、容器も中身の色も似ていると言えば似ているけどね。
『 食べていて、気付かなかったの? 』
『 ウン、人間だもの 』
『 ボンヤリしているのね 』
『 そうさ、人間だもの 』
相田みつをさんは、何にでも活用出来る言葉を見付けてくれた。ありがとう
どうやら、カミさんは僕より鋭いようだ。僕がもし鋭かったら、もうとっくに別れていただろうね。
昨日(2/11)、小田急線 梅が丘駅近くの梅のめい所であります羽根木公園の梅まつりに行って来ました。公園までは駅から歩いてほんの2~3分で、近くて無料となればたくさんの人たちが観梅に来ておりました。皆さん、花鳥風月を愛でる方々なのです。
公園内に”中村汀女”さんの俳句の碑文がありました。
『 外(と)にも出よ ふるるばかりに 春の月 』 です。
外に出て御覧なさい。手を伸ばせば触れられそうなほどの 春の月ですよ。こんな意味です。
大分暖かくなって来ました。
家人がコタツに入ってテレビを見ている。私もコタツで本を読もうと思うのだが、テレビの音声が気になって、本のペ一ジがちっとも進まない。私にとって、テレビの音声が本を読むことの妨げに成っている。番組の音声が気になって、集中出来ない。私はマルチ人間ではないから本を読むことと、テレビの音声を聞くことの両方を同時に出来ないのです。
机の引き出しから耳栓を引っ張り出してきて、耳栓をしながら本を読むことにした。この耳栓は硬めの発泡材で出来ている。耳に入れる部分を指で押し潰して細くした上で、耳の穴に挿入する。少し経つと押し潰されて細くなっていた部分が復元して耳の穴にフィットする仕組になっている。良いアイディアだと思う。
耳栓をしてもテレビの音声が聞こえなく成る訳ではないが、相当減ぜられる。耳栓をすれば脇でテレビがついていても本を読む事が出来る。
テレビやラジオの音声や、音楽などを聴いていない時でも、私たちの耳は絶えず周囲の音を聞いている。これを『暗騒音』と言う。本を読んでいない時でも、耳栓をしていると、『暗騒音』も減ぜられて、いつもとは違った世界に居るような気がする。私に取っては、快適な世界だ。
朝のテレビ番組で、スギ花粉の状況を放送していました。これから花粉症の季節です。私は今のところ、花粉症はOKです。
マスク、アルコ一ル消毒、手洗いうがい、浄水器、空気清浄機、サプリメントなどと言って、人間が本来持っていた免疫力、抵抗力を壊してしまったのか。
内臓も甘やかしてはいけません。まずは肝臓を鍛え上げるには、繰り返して酒を呑んだ方が良いのでは。私は呑みませんけど。
夜店の露店で亀を買ったら、翌朝になったら死んでしまっていた。露店のオニイサンに
『 鶴は千年、亀は万年生きると云うけど、夕べ買った亀が死んでしまった』と言ったら
露店のオニイサン曰く、
『あの亀、丁度、今朝が万年目だったのです』
そんな、小噺があった。
1/28 午前中に久しぶりに私の住む川崎でも『 震度4 』の地震があった。机の前に座って居たので、目の前の本棚の本を押さえてしまった。能登半島地震は『 最大震度7 』と云うから、とても大きな地震です。地域の防災訓練で起震車で震度7を体験したことがあります。それはもう筆舌で言い尽くせないほど、強烈なものでした。
能登半島地震は千年に一回レベルの地震であったと言います。能登半島での余震が収まり、インフラが復旧し、平常な生活に戻れば、たとえ活断層が有っても、あと千年間は大きな地震が起こらない安全な地域と言うことになります。
亀の話ではありませんが、原発の稼働でも、これから延長されて1基100年稼働となったとしても、それより遥かに長い1000年間は大きな地震が発生しない能登半島は安全な地域と言えるのでは・・・?!
昨日から長女の一家4人が1泊していった。孫は小1と小4の女子である。女の子は男の子より大きく成長する時期が早い。女の子の多くは小学校の高学年の時期に大いに伸びる。小4女子の孫は前回見た時よりも随分大きくなっている。
食べる量も『 おい、おい、そんなに食べて大丈夫かよ 』と思うほど良く食べる。まあ、成長期なんてそんなものだろう。おさむ爺だって、中学生の頃は好きなおかずの時は、ご飯茶碗5杯くらい食べていたし、食後1時間も経てば、まだ何か食べたいなと思っていたものです。
今日はドンド焼きの日だった。朝、小学生が登校する群れに混じって、会場の小学校校庭まで正月飾りを持って行った。実際に焼き始めるのは9時40分開始と云うから、正月飾りを持ち込んだだけです。場所によったらこんな行事は出来ないでしょうね。そう言えば、私が行った小学校ではドンド焼きはやらなかった。
新年になって行った所は、1/3~1/4に7つのお寺と、1/7に神社が1つ。ところで、神社やお寺を数える時の単位は何と言うんでしょうね? 『 社 』かな? お賽銭だって、ご縁が有るように全て5円ずつ。何か買った時のお釣りで、1円玉や5円玉がインスタントコ一ヒ一のビンの中にたくさん溜まっている。こんな時に消費? してしまわないと。
神様も仏様も金額の多寡で願い事を叶えて下さる、下さらないはないであろう。『 浮世の沙汰も金次第 』と言うのは人間の世界だけと言う事にして欲しいな。その他の出費は交通費だけの全くの『 年金老人節約モ一ド 』である。
我が家では年金以外に収入は全くない。普段の生活でも行くような場所は、映画館を除けば、主に図書館、神社、寺院、お墓参りくらい。交通費他が掛かるほどです。僕の衣類は、結婚して家を出た息子が残していった『 お上がり 』で済んでいる。ここ数年、パンツ、肌着以外買っていない。
スマホの通信費も格安プランである。水道光熱費、通信費などは仕方ないとして、外食は少ないし、食費は特にセ一ブしているわけでなく、好きなものを食べている。我が家のエンゲル係数はきっと高いに違いない。
正月飾りは今朝外した。どうも正月の雰囲気は好きではない。ただ、お餅はまだ残っているようだから、早めに食べてしまわないと。
噺家の林家木久扇師匠の持ちネタ・・・・若い頃に師匠の林家正蔵(彦六)さんに訊ねた噺
『 師匠、何故お餅にカビが生えるんでしょうね? 』
『 ばかやろ一一、早く喰わねえからだ 』
カビが生える前に食べなくちゃ!
いつも、『 おさむの自由区域 』をお引き立て頂きまして、ありがとうございます。今年は大変お世話になりました。来年も続行を予定して居ります。何卒よろしくお願い致します。
例年の事ですが、108の煩悩を払拭する筈の除夜の鐘も、突き終わる前の午後10時頃にはもう寝てしまいます。寝てしまった“ふ埒な者”の煩悩は払拭されることとはならないでしょう。2024年に持ち越されてしまうことになって、日毎夜毎、『 ああ、金が欲しい 』、『 女が欲しい 』など叫んで、益々“煩悩の累積件数が増える”とか、“煩悩の強度が増してしまう”のではと心配しております。
来年には『 後期高齢者 』となります。バアサンの場合にはママが働きに出ている間に孫のオムツを替える、子守をするとか、料理をするなど何かと役に立つ分野があるものです。その点ジジイは口うるさい割りにつぶしが利きません。ジジイも70を越えれば、自分の立ち位置を評価、検討し、自ら進んで自分の身の処し方を考えるべきです。山奥に庵を結び、粥など煮ながらひっそりと暮らせば良いのですが、何分にも年金生活ゆえ、財も乏しく、自らのめい義の山を所有しておりません。さりとて他人所有の山に無断侵入の上、庵を結ぶこともままなりません。已む無く、なるべく他の人の迷惑に成らぬよう、パソコンを友としてひっそりと暮らして居るのであります。
来年は皆様にとって良い年と成りますようお祈りしております。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
カミさんが年末の買出しに行くのに、付いて行った。年末の大変混雑する時期にジジイが何も買いもしないのに店内をウロチョロするのは邪魔である。『 類は友を呼ぶ 』で、”荷物持ち”か何か知らないけれど、同様のお父さんがかなりの数居る。家に居ても暇を持て余しているのである。
カミさんは色々な買いたい品目をメモしておいて、買い物をしていた。僕が買い物に同行して買いたかったモノはただ一つ。お店では鯛を三枚におろして刺身を作るのだが、いつもなら頭や背骨をパックにして、安く売っている。つまり、鯛から刺身の分を取り除いた残り物なのである。平時なら1パック200円(税抜き)ほどの価格なのだ。
これを買って来て、鱗を取り除き、ネギと一緒に塩で味付けした汁が大好きなのです。頭の部分にはまだ肉が付いているし、眼肉もある。もちろん出汁も出ている。
今日あたり、ス一パ一には多くの客で溢れ、書き入れ時なのである。正月用に肉でも魚でも体裁よくパック詰めされてうず高く積み上げられている。爺が欲しかった鯛の残り物のパックは売られていなかった。鯛の刺身を作る際には必ず出るのに、売り上げにあまり寄与しないものは、出さないらしい。売り場の面積当たりの売上高なども計算するのだろうから、ダメなのであろう。残念!
日曜日の大河ドラマ『 どうする家康 』はずっと見ていました。NHK大河ドラマ史上2番目の人気のなさだったそうな。 だけれど、私はずっと見ていました。最終回で大阪城が燃える中の、女優の北川景子さん演じる“茶々”の発した言葉はきつかった。
大河ドラマは一応史実に則って進んで行くのだけれど、所詮はドラマであります。ドラマとしては始めの部分が長過ぎて、最後は時間が無くて超特急で進行した。
炎に包まれる中、“茶々”が最後にどんな言葉を発したのか、誰も知る訳がない。
それでも、茶々を演じる北川景子さんの発した言葉。『 正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、そねみ、嘲る 』 役者さんだからセリフとして言うだろうけど、間違いなく原作者か脚本家の言葉だよね。正に今の日本に対する批判と何ら変わりがない。クサイ台詞だよ。
11/16 独身寮に居た時の寮母だった方の娘さんから喪中ハガキが来た。僕が独身寮に居た時は、寮母さんのことを『 カ一ちゃん 』と呼んでいた。寮には丸4年間お世話になった。これまでずっと年賀状だけの付き合いだったけど、『 カ一ちゃん 』が96歳で亡くなったのだ。僕と22歳違いだったのか。始めて会った時、随分ぶっきら棒で、おっかない顔をしていたけど、当時44歳だったのか。もっとずっと年上かと思っていた。
肩凝りの酷い人で、寮の食堂で毎日のように肩をもんでやったものです。20分ぐらい肩もみした後、『こっちの方はどうかなぁ?』と、ふくの上からオッパイに触れる。『ヒエ一、こっちは凝っていない!』と、今で言えばセクハラのようなことをしていた。50年以上前にはセクハラと云う言葉がなかった。また次の日になると、『オイ、肩もんでくれ』と言って来る。また前の日と同じことの繰り返しが起きる。寮母は地方出身の方で、声掛けには『オイ』と言っていた。僕が結婚するため退寮してからは一度もお会いしていない。
ここ数年、毎年のように、誰かしらの喪中ハガキが来ているような気がする。
何処をどう間違えたのか、最近、水彩画のようなものをやりだした。水彩画のようなものと言うのは、幼稚園児の絵とそう変わりがないからだ。それどころか、同じにしないでくれと幼稚園児が気を悪くするか。特に水彩画の教室に行くなどの、時間的にも制約の有ることは苦手だから、習いに行かない。思い立って好きな時に始めて、描くことに飽きたら止めたいからだ。自分に『 画才 』とか、『 絵ごころ 』が有るかどうかなんて、全く考えない。その時に描きたいものを描くだけ。そこらに放り出しておくから、カミさんは見るだろうが、その他には誰に見せる訳でもないからだ。
思い起こせば、僕の姉ちゃんが小4、僕が小1の時、東京都目黒区の写生大会で、姉ちゃんが優秀賞、僕が佳作で、学校の朝礼の時に校長先生から賞状を貰った。『 天才姉弟 』と云う人は一人もいない。今、思っても、僕は何事においても姉ちゃんには到底かなわない。家に居たとき、宿題は別として、姉ちゃんが勉強していた姿を見たこともないのに、いつも成績が良かった。愚弟は何かといえば比較されて、肩身の狭い思いをしていた。
そんな僕が何となく画を描いてみたくなったのだ。カミさんに言ったら、長男が小学校か中学の時に使っていた水彩の道具をなん戸の奥から引っ張り出して来た。もう30年以上前のものだから、絵の具はほとんど固まってしまっている。チュ一ブの蓋を開けて、穴を開けスポイトで水を挿入すれば何とか使えそうなものも有る。¥100ショップに行って12色の絵の具も買って来た。画用紙は家に有った。
図書館に行って、水彩画のスケッチ入門の本も借りて来た。昨日はコ一ヒ一カップの画を描いた。今までに4枚描いた。息子の水彩画の道具を使って、今迄に掛かった費用は¥110一だけ。別にケチっている訳ではない。高齢者になって、終活して断捨離しなければならない。品物を増やしたくないのだ。
落語観賞も楽しいけれど、水彩画も結構面白いものです。水彩画の方が主体性がずっと高い。今にしてもまだ、自己顕示欲が高い表れなのか。
昨日(10/27)、川崎臨海部の東扇島まで散策に行った。43年以上川崎市に住んでいるが、湾岸線を利用した時以外に、臨海部の先端の東扇島まで行くことはなかった。東扇島は埋め立てで出来た島で、その先はもう東京湾である。良く晴れていましたが霞んでいて、対岸の千葉県の木更津や君津の影が薄っすらと見える程度でした。
東扇島へは千鳥町とこれまた埋め立てで出来た島を経由して海底トンネルを通って行った。その千鳥町と言う島も工業専用地域で、工場や倉庫ばかりで、大型トラック、トレ一ラ一が行きかっている。この地に通勤している人はたくさんいらっしゃるが、居住している方は一人も居ない。
公害の中にも色々な種類があります。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、地盤沈下、悪臭、騒音、振動などがあります。他の公害は被害がずっと残りますが、『 騒音と振動公害 』はその場限りで無くなってしまう、遠くまで伝わらない性質があります。川崎臨海部の工業専用地域は居住者が居ないようにすれば、公害の被害を受ける人が居なくなる。川崎臨海部では『騒音と振動』だけは、公害防止条例の適用除外に成っているのです。
私も川崎臨海部には大きく関係していました。千鳥町の隣に埋め立てられた島に20年以上通勤していたのです。私が勤めていた島にも通勤する人はたくさん居ましたが、コンビニすら一軒もなかった。
昨日行った東扇島ではコンビニを一軒見掛けた。岸壁には大型輸送船に積むように車がたくさん並べて準備されていた。工場や倉庫、大型トラック、トレ一ラ一ばかりの何か、無機的な殺伐とした場所でした。
川崎市は多摩川に沿った細長い都市です。私が住むのは川崎市内にある7区の内、丁度中ほど。臨海部の反対の方の端は、起伏に富んだ緑の多い里山と言ってもよい場所です。今度は反対方向の探索にでも行こうかい。海外旅行に出掛けられないヤッカミではありませんが、海外など遠くに行かずとも、まだ知らぬような場所はたくさん有ります。
世の中、3連休なのである。子供が居る方だと、学校の都合も有るかも知れないが、真面目で仕事熱心で、それほど裕福でなく、幾らか意思の弱い方がこぞって、一斉に連休を利用して行楽に行こうとするから人出が多い。
『 連休だ 』、『 それ、レジャ一だ 』と煽り立てるマスコミに踊らされ易い人が余りに多いのだ。加えて、この夏は猛暑続き、『 そら、熱中症だ 』、『 外出は控えた方が良い 』と外出を控えるよう、テレビ、ラジオが伝えていた。ここに来て涼しくなったものだから、ここぞとばかり一斉に外に繰り出す方々が多い。
神奈川と東京の境の『 小仏峠 』は、行楽地からの帰り車で混雑する定番の場所である。連休の夕方のラジオの交通ニュ一スに小仏トンネルが出て来ない日はない。
弊爺もこの夏の間、暑くてまったく散歩にも出ていなかった。お蔭さんで脚がすっかりなまってしまった。老人の足は常に努力をしていないと、たちまち弱ってしまう。
東京の出身なのに『 井の頭公園 』に行った事がなく、足慣らしに散策に出掛けた。井の頭公園には池が在る。周期は知りませんが、池の水を抜いて『 かいぼり 』をすることで、ニュ一スになる。時々外来生物の駆除をしないと、元々日本に生息していた在来種の生物が消滅してしまうらしい。
井の頭公園は湧水量が多い地なのだという。みなみこうせつさんの歌で有めいとなった、あの『 神田川 』の水源が井の頭公園であることを、当地に来て初めて知った。末には隅田川に合流し、東京湾に注ぐ。随分と樹木の多いところでもある。東京都の公園で、入園料も取らない。憩いの場として人々が集まって来る。
池を一周したら、歩数計の表示は8000歩ほどであった。ジジイの腰は段々痛くなってきた。足でなく腰の方だった。これから帰って家に辿り着くまでには、まだかなりの距離を歩かねば成らない。
昔は老人の娯楽と言えば、温泉に、社寺巡り、お墓参りと相場が決まっていた。今は社交ダンスを初めとしたお稽古事、カルチャ一センタ一でも様々な品目を教えて下さるようだ。加えて海外旅行、大型クル一ザ一による世界一周までお金次第でやってやれないことはない。でも、最後は自分で歩くことが出来る、気力と体力勝負なんだな。
本を読んでいたら面白いことが書いてあった。構成する4つのひらがなの文字は同じで、順番が違う言葉が有る。『 おざなり 』と『 なおざり 』である。どう違うのであろうか。ちなみに、弊爺は紛らわしいから、この言葉は使わない。頭の中で意味がはっきりしないから辞書を引いてみた。
『 おざなり 』:その場限りの間に合わせ。いいかげん
『 なおざり 』:いいかげんに放っておく様子
どうも『いいかげん方面』の言葉であるようだ。おさむ爺は四角四面のジジイだから、縁のない言葉のようだ。ペロ! (舌を出した音)
スマホを持つようになって、もうどれくらい経っているのだろうか? 7~8年と言うところか。仕事をしている時には、通信手段としてスマホは必要だと感じていた。仕事から退いてしまってからもう1年半も経つと、同じようにリタイアしてしまった友と情報交換する程度である。SMSや Line、Mail をしたり、ニュ一スを読んだり、ちょっとした検索をするのが全てで、肝心の通話の回数を考えたら、この1年間に1~2回しかしていない。
契約している通信会社から、機器をグレ一ドアップして欲しいと、更新の誘いなのか何か分からないが、『 お知らせ 』がたびたび来る。ろくに読みもしないで削除してしまう。僕は今持っているスマホが有する機能をどの程度使いこなしているのであろうか。恐らく10%も使えていないであろう。あるいはもっと低くて、全機能のきっと1%程度しか使っていたいのではないかと思う。もったいない話である。情けないと言うのかなぁ。
通勤時間に電車の座席に座って、化粧をしている女性と、真面目くさってゲ一ムをしている姿は、みっともないとの信念を今でも持っている。『 自分はアホです 』と書いた看板を首から吊るしているのと等しい。『 君たちが明日の日本を担って行くのだぞ 』と唱えたところで、徒労に帰するだけだ。スマホの前のガラケ一の時代から、ゲ一ムは一度もやったことがない。電車で座ったら本を読め。
『 何とかPay 』というのも何となくふ安だからやる気が起こらない。
僕にとっては、スマホに限らず、もう新しい文明は要らないよなぁ。正直言って付いて行けないのです。今まで、何とか自分の中に蓄えて来た技法や文化だって、使い切っていないし、何度か使っただけだから、もう既にやり方だって忘れてしまって居る。
これ以上、何かを仕入れたって、僕の脳内にしまっておく場所がない。何か新しいものを仕入れたら、今まで蓄えて来た別のモノがはじき出されてしなうのです。『 家庭の事情 』と言う言葉があるように、それが『 僕の脳内事情 』なのです。
今日、10月01日は、暦の上では『衣替え』です。この日を境に夏ふくから秋のふく装に変更する日であります。今年は衣替えどころか、猛暑日はもう終わりかも知れませんが、最高気温が30℃を越える日がまだ続きそうな様相です。
普通の年ならこんなこともないのでしょう。私は髪など頓着しない性格でありますが、このところ床屋にも行かずに伸び放題になっていた髪を、これから段々寒くなるのに関わらず、昨日、『 3mm坊主 』に刈ってしまいました。とても清清しい。頭を洗うのも簡単です。『 逆衣替え 』に相当するものでしょう。
外観は本人の温厚な性格を鑑みますと、紛れもなく僧侶のようなものです。こういう短髪にして、頭を撫でるとタワシで擦るように、掌がとても気持ち良いものです。
9/25 NHK午後8時から『 鶴瓶の家族に乾杯 』と云う番組で山形県上山市を散策した放送がありました。18年前、成田空港第2タ一ミナルの電光掲示盤6基を作りに、山形県上山市に単身赴任した。上山温泉には旅館が何軒もかたまった温泉街が幾つかあります。『 新湯 』と云う温泉街の裏手のアパ一トで8ヶ月間暮らしました。
休日には一人で所在無く上山市内を歩いたり、大鍋を使った芋煮会を見に行ったり、車で米沢の上杉神社や蔵王のお釜見物などあちこちフラフラしておりました。
アパ一トにはもちろん風呂がありましたが、折角温泉地に居るのだと思って、放送中に出ていた共同浴場にも何十回と入浴に行きました。浴場の内部は改装されていましたが、当時は入浴料が70 円でした。アパ一トから歩いて15分以内の範囲に共同浴場が4~5 軒あったように記憶しています。足湯もあちこちにあって、こちらはもちろん無料です。
放送中に映し出された場所で、位置関係の分かる場所もたくさん出て来て大変懐かった。
一口に山形弁と言っても、地域に拠って大きく違います。地元の人は僕に対しては、ほとんど共通語を話して下さるので困る事はありませんでした。地元の人同士で地方の言葉を話されるのを横で聞くと、これはもう外国語のようなものです。8ヶ月も山形におりましたので、バイリンガルとまでは行きませんが、大分理解出来るようになりました。仕事を終えて川崎に戻ってからも、慣れてしまった言葉がつい出てしまったものです。
番組の録画をしたのは恐らく7月くらいの事でしょう。東北とは言え、上山市は内陸部で夏はとても暑い。それでも、山形の良いところは『 四季 』がはっきりしていること。
11月に成れば遠くに見える蔵王の山々の頂上辺りが雪で白くなり、段々山裾の方に雪が下がって来る。紅葉は綺麗だったし、11月の下旬には平地でも雪が降り始める。
山形に住む人たちは皆さん雪を嫌っていました。私はと云うと降雪地帯の冬は初めての経験です。雪が積もると普通は雪掻きをします。アパ一トは温泉街の裏手で、側溝には温泉の湯が湯気を立てて流れている。そこに雪を放り込めば雪はたちまち消えて流れて行く。でもね、地元の人は雪掻きをやってもやっても切りがなく、慣れ過ぎてしまい、結構無頓着。降る雪の方が圧倒的に多くて、積み上げられ、踏み締められて凍ってしまって春まで消えない。それだけ、サクラの咲く春が待ち遠しい。
『 暑さ寒さも彼岸まで 』と云うけど、まったくそのように気候がガラリと変わった。これまで、夜通しエアコンを点けていたけど、今はエアコンなしで寝ている。9/12は父の命日であったけれど、あまりに暑く出歩くのが億劫で墓参りは、億劫でお彼岸の墓参りと合同でと言う事にさせてもらい、墓参に行って来た。
墓は目黒ふ動尊の近くの墓苑にある。寺町ゆえに仏花を持った墓参の方々が多くいらっしゃる。このから方もきっと涼しくなってホッとしているに違いない。
日除けのために育てて来た『 夕顔 』だが、7月から9月の暑さが続いて来た日まで大きなツボミをつけるのに、ちっとも咲かずに、ツボミのまま萎んでしまっていた。
このところ涼しくなって、やっと4つ白色夕顔が咲きました。花の直径は12cm以上ある。咲きそうだからと、夕方から何度も様子を見に行った。PM8時ではまだ半開き。この画像はPM10時頃のモノです。これじゃ、夕顔でなく、『 夜顔 』だよね。ちなみに我が家の夕顔ではタネは出来ますがカンピョウの取れる実は成りません。
インスリンのふ足や作用の低下により血糖値が高い状態が続くのが、いわゆる糖尿病である。尿に糖が混じりふ潔と云うイメ一ジから、多くの患者らが病めいに抵抗を感じていて、呼称変更の希望が出ているのだという。
今日の新聞に出ていましたが、糖尿病学会が発表した案が『 ダイアベティス(Diabetes) 』である。なんだ、またカタカナ英語かよ。何の病気か直ぐに分からないように、病気のなまえをカタカナ英語に変えれば、体裁が良くなって、症状が改善されるのか? そんな事は決してない?
ちなみに、Diabetes を英和辞典で調べてみた。ズバリ『 糖尿病 』と書いてあった。そうだろうな。単に『糖尿病』という英単語をカタカナ読みにしたに過ぎない。
その他に、今迄にもめい称変更したものがある。
精神分裂病 ⇒ 統合失調症
痴呆症 ⇒ 認知症
ジャニーズ ⇒ なまえを変えそうだけれど、今と成ったらもう困った団体になってしまった。
なまえ変えて体裁が良く成ったのかなぁ。症状が改善されたのかなぁ。糖尿病もせめて日本語でのなまえにして欲しかった。
そうは言っても、おさむ爺も厳しいところに来ている。8月に受けた健康診断の血糖に関する検査で HbA1c(NGSP)と云う項目が有る。基準値 (4.6~6.2%)と云う数値が有り、推奨値は5.6%未満で有る。これが6.5%以上となれば正真正銘の糖尿病なのである。おさむ爺の値は実に 6.4%がずっと続いて綱渡り状態なのであるのだ。困ったモノです。放置しておくと失明にも成り兼ねない怖い病気です。
コロナワクチン接種に際して、1回目、2回目あたりは、皆さん大変な思いをして、接種の予約を取ったものです。コロナウィルスもワクチン接種や治療費、入院費など無償も国にとっては負担が多すぎるとて、無理やり5類に変更した。今はマスク着用や手洗い、ウガイもそれほど厳しく言われることもなくなりましたが、まだまだ決して油断の出来る状態ではありません。
9/20より、1価:オミクロンXBB 1.5というワクチン接種が始まりました。せっかちと言うか、気が早いと言うか、昨日7回目の接種を受けて来ました。自治体のコ一ルセンタ一経由で、接種の予約した場所は、小児科の医院でした。待合室には主に乳幼児とそのママがたくさん。とても賑やかな所でした。もうすっかり忘れてしまいましたが、小児を育て上げるのは、莫大な根気とエネルギ一が必要であると改めて感じた次第です。
今日は接種の副反応で、ちょっと頭が痛く、ダルイ。ダルイのに、トイレの水漏れの対策をして大汗をかいた。(作文練習帳参照して下さい)
ずっと以前はボ一ルペンをあまり好きではなかった。書き始めにインクの溜まりができるし、うっかりペン先を上にして立てておくと、インクが流れ出て大変なことになる。どなたも一度や二度は経験していることでしょう。
以前であれば、ボ一ルペン1本あれば使い切るまで2~3年かかっていた。かかると言うよりは、先端のボ一ルの動きが悪くなって書けなくなったり、紛失してしまって、ボ一ルペンはインクを使い切ることのない物だと思っていた。
今、私に住む地域の周辺には文具店がない。現在住む所に引っ越して来て40余年経つ。以前は確かに商店街に文房具屋さんが何軒かあった。いつしか一軒減り、二軒減りで、私の住む周辺には文房具屋さんは無くなってしまった。
それでは、何処で文房具を買うかと言うと、¥100ショップである。今使っているボ一ルペンは一袋10本入りのインド製のものである。
かつてはあまり好きでなかったボ一ルペンなのに、今では私に関してボ一ルペン以外の筆記用具をほとんど使わない程にまでなってしまった。
尖ったキリの先端を使って、ボ一ルペンの胴体に使い始めの日付を刻み込んでいる。1本をおおよそ15~20日間で使い切る。実は毎日かなりの量の文字を書いている。前回買った10本入りの袋の中で、途中で使えなくなってしまったものは1本もなく、10本とも全部インクを使い終わった。
今日、新しい包装袋の1本に手を付けた。¥100ショップのボ一ルペンとて、決して侮れない。町の中から文房具屋さんが無くなってしまうのは仕方ないのか。1本当たり10円のボ一ルペンが滞りなく使えるなんてスゴイ。小売価格で1本あたり10円である。SDGsの話になるが、生産者の手取りは極めて低いに違いない。
9/13、内閣改造と自民党役員人事の発表がある日であった筈だ。ところがもう、9/12の内に人事の内容は既に全てが分かってしまっていて、9/13の朝刊には写真から経歴まで一覧表になっていた。まったく茶番だね。
自民党内には幾つ派閥があるのか良く知らないけれど、数えてみたら7派閥以上はありそうだ。まあ、満遍なく各派閥とも役職にありつけているのではないか。 自民党と言えども、考え方が違うから分かれているのだろう。考え方が皆同じならば、分かれて派閥を組まなければ成らぬ理由はない。それとも、人はとかく徒党を組みたがるものだから、単に強そうな親分の下に集まっているのかも知れない。
○○派閥は『自国の防衛』について、△△派閥とは考え方がこの点で違うと云うように、色々な政策について微妙なる考え方が有るに違いない。一度、派閥ごとの考え方の違いの一覧表でも作って頂けるとありがたいものだ。政党でなくても、新聞社でも出来るのではないか。お願いしたいね。
コロナワクチンの無料接種の案内が郵送されて来た。私はもう7回目の申し込みとなる。早速コールセンターに申し込みのTELを入れた。申し込み開始は9/15からなのだと。接種開始は9/20からだそうだ。ワクチン接種をしておけば、感染し難いとか、感染しても症状が軽いと云うならまあ、ワクチン接種をしておこう。
子供たちの夏休みと月遅れのお盆近くのこの時期には、多くのご家庭でもそうであろうが、孫2人(小4、小1女児)とそのママが2泊3日で泊まり、つい先ほど帰ってホッとしたところです。普段、大人3人暮らしの家で、女児2人がかん高い声で騒いでいるのにはちょっと閉口するが、まあ、たまにのことである。その点、ママは慣れていて、平気な顔をしている。
考えてみれば、自分たち夫婦も3人の子を育て、同じような行程を踏んで来た筈である。あの頃は僕らもまだ若く、一生懸命子育てをして来た時期なのであろう。
男児と女児では著しく成長する時期が違う。男児は中学生以降に大きく成長する。女児は小学生高学年から著しい成長が始まる。小4女児は成長のハシリなのか、以前に比べたら驚くほど食べる量が増えた。
昨日、小4とママとで買い物に行っている間、小1はバアバとジイジとお留守番。姉妹でいる時はいつも一番煩く、家中を駆けずり回っている子が、まるで借りて来た猫、夜店のヒヨコのようにおとなしくなって、一人で夏休みの宿題作品の製作をしていた。小4の姉が帰宅するやいなや、今までの静けさは何処かにすっ飛んでしまった。
こんな小4と小1の女児だが、まだ2人だけでは『お泊り』出来なさそうだ。
毎日、暑いです。我がパソコン部屋にはエアコンがなく、正確に言えば壊れて更新していないので使えない。この暑さではとてもパソコン部屋に居られず、しばらくHPも更新していませんでした。訪問して下さる皆様には、大変申し訳ない事です。今は温まった空気を扇風機でかき混ぜてパソコンに向かっております。
中古車大手ビッグモ一タ一が自動車保険金ふ正請求問題で、社長の報酬全額1年間返上、その他の役員もそれぞれ減額と言う報道があった。そんな報酬の返上したって何になるの? 役員に対して報酬を支払わないと言うだけで、社会的制裁を受けた積もりなのか。会社の評判は大いに落ちて売り上げ減少必至ですが。会社が報酬を支払わないのですから、お金の面で会社自体に何もそん害がない。
組織ぐるみの犯罪なのだから、返上した報酬分の全額を何処かの福祉関連にでも全額寄付するというならまだ理解出来るが、役員の報酬返上くらいでニュ一スに取り上げるほどの事はない。
源氏物語の『 夕顔 』とは何の関係もないのですが、我が家の夕顔も毎日大きなツボミを付けております。ところが、ツボミは付けども花咲かず。ツボミのまま翌日には萎んでしまう。一体、どうした訳でしょうか? ジジイは別に何かを象徴して考えている訳ではありません。
昨年もそうだったのです。花が咲き始めたのが8月に入ってからだったのです。
朝顔、昼顔、夕顔とありますが、昨年の経験に拠りますと、夕方に咲かずに午後8時頃になってやっと咲く。これじゃ『 夜顔 』だね。今年育てているモノは、タネを蒔いて育ててきました。大輪の朝顔より一段とスケ一ルが大きいなと思うくらいの花を咲かせました。今年も期待しております。
夕顔と言えばカンピョウの原料ですが我が家のモノはタネを付けてもカンピョウと成るような実は付けません。実は成らずとも早く咲いて欲しいものです。
米飯の民族なのに、恥ずかしながらこの歳になるまで、お米の胚芽を実際に見たことがなかった。もちろん胚芽入りご飯とか、胚芽入りパンが有ることは聞いたことがあります。胚芽は長さ1mmくらいの半透明の白い粒でした。
玄米を精米するとヌカと共にお米から脱落してしまう。精米された白米の粒を良く見ると、何かが欠けたような痕跡がある。家庭用の精米機の説明書をよく読んだら、ヌカの中に胚芽が紛れ込んでいて、ヌカと胚芽を分離する方法が書いてあった。胚芽はわずかしか取れない。2升の玄米を精米して31gの胚芽しか取れなかった。
胚芽入り自家製パンを食べた。ひいき目に、なんとなく美味しいような気がした。
夏越しの大祓え (なごしのおおはらえ) と言う神事のようすを見に神社まで行って来ました。大祓えとは、夏越しの時期 (六月晦日) と、年越えの時期 (十二月大晦日) の年二回、日常生活を過ごす中で犯している罪穢れ(つみけがれ)をお祓いする大切な行事です。神職がお祓いをしながら、大きな輪をくぐり、参拝者も神職に続いて、輪をくぐって罪穢れのお祓いをして頂く神事です。
その神事は午後4時から始まるのです。4時は誠に勝手ではございますが、所用がある故、参列できません。神職のお祓いナシ、まったくの自己流にて輪をくぐり、その後は普段通りに拝殿にて、お賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二礼、二拍手、一礼で参拝して参りました。
夏越しの大祓えとしては、全くそのルーティンを無視しておりますが、どうか、今年前半に犯した罪穢れをお祓いくださいますようお願い申し上げます。神様はそれほど融通が利かない訳でもありますまい。度量が大きいこそ神様として崇め奉られているのです。お願いします。
昨日、区の市民館で開催されている『サ一クル祭』を見に行って来ました。学生で言えば文化系の部活のようなもの。仕事を辞めていますから、少しでも社会的に繋がっていたいと、自分に出来そうなサ一クル活動がないか探しに行ったのです。
『切り絵』、『タロット占い』、『パソコン相談』、『歌声の集い』、『俳句研究』、『民謡、尺八』、『日本舞踊』、『大正琴』、『フラダンス』などなど、たくさんのサ一クル活動がありました。
『サ一クル祭』の開催を予め知って、声を出す『朗読』のようなものが良いかなと思って、市民館まで行ったのです。朗読の会の催し会場では、丁度1時間を掛けて、ヘミングウェイの『老人と海』の朗読を、6人の女性が分担して頑張っていました。すばらしいものです。肺気腫の私にはとても息が続きそうもない。そんなに甘いものではなかった。
他の部屋で初めてタロット占いと云うのもやって頂いた。過去、現在、未来の3枚のカ一ドの図柄と、カ一ドの向き(絵の上下)で判断するカ一ド占いなのだそうだ。プロの占い師でもアマチュアでも、カ一ドによる判断内容の基本部分は同じある。プロとアマでは、基本部分をどのようにアレンジして、相手に伝えるかの話術の優劣が有るかなのだと言う。
『六白金星』、『五黄土星』・・・・などの生まれた年の星で、相手との相性を統計的に調べて、相性占いするのも調べて頂いた。順番を待ちながら、私の前に居たオバサンの様子を聞いていた。星の上でのご亭主との相性を言われて、そのオバサン曰く、亭主は大酒呑みで、呑めば暴力をふるうダメな人間だとしきりに訴えて、相性が良いと言われていることにしきりに反発している。聞いていて、そんなに悪いなら、離婚すれば良いのにと思うのだが、離婚に踏み切れない良い所が何処かに有るのかも知れない。
ちなみに私と言えば、占って頂いて話を聞く分には大変面白くて占いは好きです。その結果を以って、行動が左右されると言う事は全くない。話は面白いけど、全く信じていない。
『性自認』に関する表現を衆議院内閣委員会で審議し、『ジェンダ一アイデンティティ一』と表現すると決めたのだと。『性自認』とも、『性同一性』のいずれにも訳せるからだと言うのが理由らしい。正直な感想を言えば、アホかいなと思う。何でもかんでもカタカナ英語に直せば良いと考えるのが可笑しい。日本語で書けば良いのに、カタカナ英語にすることによって物事を曖昧なものにしているに過ぎないと思う。
マイナンバ一で都合の悪い部分がたくさん発生して来ているようだ。河野担当大臣の発言があって、
*まず、今起きている事案の対応をしっかりやりたい。⇒当然ですね。お願いしますよ。
*『当然、責任は大臣たる私にある。何らかの形で処分をしなければいけない』と言っている。⇒自分で自分を処分するなんて・・・・⇒おさむ爺はこういう考え方嫌いです。もちろん、大臣に責任を感じて頂けなければいけません。まだ原因と対策を考えていかなければならない段階で、河野大臣が『責任は俺にある』と言ってしまうと、この事案に関わったふ具合の原因を起こした人たちから『反省する機会』を奪ってしまい、責任が希薄になってしまう。
大臣は『旗振り』、『司令官』に過ぎない。本当のふ具合の原因を作った人たちは
*システムの設計をした人、家族口座ではダメと考えなかった人
*システムのプログラムを組んだ人、システムの運用テストをした人
*システムのプログラムがこれでOKだと認証した人たち
*個々の人たちを相手にデ一タ入力した人たち
*その他システムを運用に関わって、ミスした人たち
etc. なのでありますよ。
たくさんのミスした人たちが居るのに、河野親方が『旗振り』の仕事しかしていないのに、『俺の責任だ』と言ってしまうと、個々の担当者の反省すべき機会を奪い、個々の担当者の責任が希釈されてしまう。
6月から電気料金が上がるのだという。梅雨が明ければ本格的に暑い夏が始まる。明日から雨だと言うから、良く晴れている今日、脚立やら、雑巾、掃除機などを取り出して来て、3台のエアコンのフィルタ一掃除をした。台所のエアコンのフィルタ一に一番ホコリが溜まっていた。
カミさん:『台所のは一番最近買ったから、今迄一度もフィルタ一掃除をしていない。』
おさむ爺:『最近買ったって、いつなんだ?』
カミさん:『十年以内・・』
おさむ爺:『・・・なるほど・・・』
小田急線の相模大野駅下車、女子美術大学行きのバス終点まで乗って、相模原公園の菖蒲園まで行って来た。
女子美術大学行きの平日のバスだから、女子大生が乗っているのは当たり前だけれど、バスはかなり込んでいて前後左右とも女子大生ばかりである。困ったものだ。嬉しいものだか? ジジイと言えど、間違いが有るといけないから、ずっと両手を上げて、天井の手すりのパイプを掴んでいた。
それにしてもたくさんの女子大生が美術の勉強をしてどうなるのだろうね?デザイナ一やイラストレ一タなどでもそんなに働き口があるものなのか?もっとも、噺家の林家たい平さんのように、美術大学を卒業して落語家をしている人もいるのだから、私が心配することではないな。
以前、私の勤めて居た工業団地の事務局に、東海大学の教授が引率して学生が工場見学に来た。丁度夏場で、今時の女子学生は結構薄着で大胆な格好をして来る。こんな状態を毎日のように見ていて、教員が女子学生にセクハラ行為をしたら、直ちに糊口を失ってしまう。蛇の生殺しの様で近頃の大学教員も大変だ。
肝心の菖蒲園の方は今が丁度見頃で良かった。今年はサクラ、ツツジ、アジサイと見に行ったのが、丁度花の最盛期を外れてしまっていた。今日のアヤメはGood!
カキツバタ、アヤメ、花ショウブと似たような花のモノばかりである。菖蒲園に花の見分け方を描いた掲示が出ていた。それでも実際の花となると、種類を見分けるのは難しい。花に限らないのですが、リタイアした老人の利点は平日の混雑していない状態のところで、見物出来ることを実感しますね
図書館に行こうと家を出ようとした時に、嫁いだ長女からLineが来た。
『結婚記念日おめでとう。今夜はお赤飯と筑前煮ですね』と書いてある。
我家では結婚記念日と言うと、晩ご飯はお赤飯と筑前煮とメニュ一が決まったいるかのようだ。子供が3人居て、一時は父母とも同居して、狭い住居に7人家族で暮らす時もあった。結婚記念日だからと言って、みんなで外食するほど余裕がなかったのであろう。自然と、結婚記念日の夕飯のメニュ一はお赤飯と筑前煮が定着してしまった。
今朝、台所で小豆を水に漬してあるのは知っていた。カミさんに長女から『お赤飯と筑前煮だろう』と言うLineが来たと言ったら、お赤飯の準備は考えても、筑前煮の用意は考えていなかったようだ。
図書館に行った帰りに、食品ス一パ一でハスとシイタケを買っていた。父母が亡くなったり、長女と次男がそれぞれ家を出て、一時の7人家族も今や3人に成ってしまった。それでもどうやら、今夜の夕食はいつものようにお赤飯と筑前煮となるようだ。
被爆地に 武器を求めて ゼレンスキ
川柳の約束事が有るのかどうか知らない。ただ575を並べただけの川柳です。とは言え、G7開催中に武器提供を求めて乗り込んで来るのは効果がある。G7の他にも招待された国々の首脳も来ている。今迄、何も支援していなかった国でも、出席した周りの首脳が応援している中で、何もせずに、一人取り残されるのも勇気が居ることだ。雰囲気作りも大変な演出力なのであろう。
戦争のための武器調達に被爆地を訪れるなんてと思う反面、非情な侵略を受けて入る国の大統領を咎めるのも酷な話である。
どうしたら良いのか分からないけれど、早く戦争が終わって欲しい。新聞代を払いに行ったら、今月の支払い分から随分と値上がりしている。
花は好きですが、私は花の咲く時期を見極める能力に欠けているようだ。我家の赤紫色のアジサイがソフトボ一ル大でもう1週間以上前から咲いている。昨日、そして今日と雨模様でアジサイと雰囲気が合う。
花屋さんで売られているような大輪のアジサイよりも、『額アジサイ』や『山アジサイ』のように可憐に咲くアジサイが好きだ。昨日(5/19)、高幡ふ動まで『山アジサイ』を見に行った。結果はまだ、時期としては1~2週間ほど早そうだ。時期の見極めがハズレ。
ちょっと前のツツジの時もそうだった。ツツジ寺として有めいな等覚院に行った時は遅過ぎで、ほとんどのツツジは咲き終わっていた。実は昨年は早過ぎて、寺の方に聞いて、言われた時期に行き直したのです。今年はサクラもそうでしたが、全般に花の咲く時期が早まっていて、ツツジ寺にはほとんど人が居なかった。
雨が降っていたせいか、高幡ふ動のアジサイもまだまだと言うところでした。
人は何も考えずには生きてはいけない。天気の良い日に、何も考えずに丘の上に腰をかけ、穏やかな海を眺めながら、のんびりしようと思ったって、過去の嫌な出来事のことや、今取り掛かっている仕事の構想などなど、いろいろな事象が自然と頭に浮かんで来てしまうものなのである。
風もなく新緑の季節に、広大な牧場で牛が草をはむ場所を設定されようとも、他の人はともかく、私に関しては何もかも忘れて、頭の中カラッポというわけにはいかない。まあ、貧乏性なのであろう。
私とて、将来に希望を抱くとか、あるいは過去の思い出に浸ることで、変わり映えしない人生を送るについての元気を与えられる。若い人なら希望を抱くことが出来るが、歳を取ると思い出に頼るしかないのであろうか。
座右の銘のようにして、『他人と比較してはいけない』とは思っている。だが、他の人の行動を参考にするのはOKではないかと、色々口実を付けるのである。それもダメというのなら、何処かの高山にでも籠もって仙人のように霞でも食って暮らすしかない。
昨日(5/12)に学生時代の友2人と4時間ほど懇談してきた。2人とは学生時代に隠岐の島を含む山陰地方に、寝袋とフランスパンを持って貧乏旅行をした友である。今はもう出来るのかどうか知りませんが、ステーションホテルと称して、駅待合室で寝たルンペン仲間である。
友2人と会って話をしたかったことは、『日常生活で何をやって過ごしているのか?』、『ボケないように日頃から努めていることがあるのか?』が主な点であった。
両君はもう既に仕事からはリタイアしている。2人とも日常、ウォ一キングをやっていることであった。1人は10000/日以上歩くそうで、朝6時半には始動すると言う。毎日10000歩は辛いのではと尋ねると、習慣と成れば大丈夫。何かの都合で2~3日休んでしまうと、再開した日がきついとのこと。やはり、『継続は力』なのか。他には特に何もやって居なさそうだ。
もう1人の友も10000歩とは言わぬが、継続して歩いているとのこと。他に”数独“を解くのを趣味としているようだ。私のようにボケ防止に午前中は『漢字の書き取り』、『算数の計算ドリル』、『英語の構文の書き取り』をやった後、新聞を読んで午前中を過ごす人は居なかった。私がボ一ルペンを20日~30日で1本使い終わると言ったら呆れていた。机に向かい、何かをして時間を過ごすことはやっていないようだ。私が午前中、机に向かうのは、『私が信じるボケ防止策』なのである。友の2人が信じることは『ウォ一キングであったり、数独』なのである。自分がボケて認知症となるのは構わないが、それによって周りの方々に迷惑を掛けるのが嫌なのであります。
コロナ禍で3年ほど休止していた小学校のクラス会開催の連絡が来た。こちらも同世代の人々の情報収集のチャンスである。あくまでも『比較』でなく、『参考』ですからね。
年中遊休のおさむ爺にとっては連休とて何の意味もないのだが、大型連休が始まった。川崎市内の“とどろきアリ一ナ”で、『大相撲 川崎場所』を行うと云うので事前申し込みをして見に行って来た。
久方ぶりに横綱 照の富士の姿を見た。土俵入りも取り組みもやっていたから、来場所は出場するのではと思われます。
大声で声援を送ったものだから、後できっと喉が痛くなるに違いない。
プログラムの空き時間に“本場所のない普段の日の力士の生活”や、“力士に成ることが出来る体格の基準”などを館内放送していた。体格の基準に拠ると『身長167cm、体重67kg以上』なのである。力士になる体格基準はもっと高いのかと思ったら意外で有る。
今、おさむ爺は減量を試みているから、ほんのちょっと足りないけれど、普通に食べていれば、おさむ爺の体付きで相撲取りに成れるなんて驚きだ。30歳過ぎまでは48kgくらいしかなかったから、力士には到底成れなかった。
プログラムが始まる前に、力士と一緒に写真を撮る機会を設けてあった。おさむ爺は4人の幕内力士と写真を撮らせて頂いた。中に好きな力士に巡り合うことが出来た。
新入幕と成る時に笑顔の面白い力士が居たのが、『隆の勝 関』である。一緒に撮影して頂く時に、『 隆の勝スマイル 』でお願いしますと、リクエストした写真なのであります。
新型コロナウィルスの感染法上の分類が、5/8より『2類』より、季節性インフルエンザと同じ『5類』に引き下げられることが決まった。ここでは引き下げられると扱いがどうなるかなどは書きません。新聞を読む方が正確だからです。
さりとて、新型コロナウィルスは感染力が強い。第9波が来るのではないかと心配する医療関係者の方もいらっしゃる。このところの感染者数の推移は、前週の同じ曜日に比べて多くなっているとの由である。ゴールデンウィ一クで皆さんが開放的になって行動することを思うと心配なところであります。
4/26に『新型コロナワクチン追加接種の案内』が郵送されてきた。今回接種すると6回目となる。分類は5類に移行するものの、今年はまだワクチン接種を継続すると云うわけである。5/8より接種を開始するのだが、対象は高齢者、基礎疾患を持っている方、医療従事者などと、接種対象が限られている。高齢者などは5月からと、9月からの2回/年、それ以外の方々は9月からの1回となります。
川崎市に限ってかどうか知りませんが、今回から大型接種会場はなくなってしまった。地元の医院やクリニックなど近くの接種を行っている医療機関を探さなければいけない。昨日(4/27) は、木曜日でクリニックは休業のところが多く、個別の医院・クリニックに予約の問い合わせをすることが出来なかった。
カミさんは普段通院しているクリニックが個別接種実施場所となっているから、そこで接種の予約をすると言っている。おさむ爺の通っている医院は、『ノバ・バックス』というファイザ一やモデルナとは、ウィルスを防ぐ方式が違うワクチンを接種している医院なのです。ファイザ一やモデルナのワクチンが体質的に合わない方には『ノバ・バックス』が良いらしい。おさむ爺はどうでも良い、いい加減な体をしているので、接種してくれる医療機関を探さねばならぬ。
朝(8:30)から『予約コ一ルセンタ一』に何回も電話した。こういう電話は、いつも例に拠って、『現在、電話が大変混みあっております。しばらく経ってお掛け直し下さい』なのである。
それでも、総計30回くらいは電話を賭けただろうか? 無料通話だし、『再ダイヤル』の機能を使うから、電話機の前にずっと張り付いていたわけではない。16:30頃にやっと通じた。最寄り駅の傍の『○○こどもクリニック』に、5/8の10:30の予約が取れた。
『ヤレヤレ』である。もう長い間、生きたなと思う一方で、まだ命が惜しいらしい。
アメリカのバイデン大統領が彼にとって、2期目となる民主党内の大統領候補として立候補を表明した。どうも呆れ返ったものだ。彼が再び大統領になったとして、2期目の大統領の職務の開始は82歳で、完了時には86歳となる。私の周りに居る82歳や86歳くらいの人と対比したら、米国大統領として、とても国内外を飛び回れる体力と知力を維持し続けることが出来るとは思えない。
ハリス副大統領も影の薄い方で、目立って政治活動されているようには報道されていない。米国大統領の高齢化を心配すると共に、民主党にバイデン氏に代わる、有力後継者が現れないのは情けない。
それでは共和党はどうかと云うと、共和党でも、高齢化が心配だ。トランプ前大統領とて、若いわけでは決してない。日本の言い方では既に『後期高齢者』なのである。先日、共和党の大統領の候補者として、なのり出たロン・デサンティス フロリダ州知事が来日して、福田首相と会談していた。彼とて共和党内での支持率はトランプ氏にはとても及ばない。
民主党、共和党共に今のところは、高齢大統領候補しか居ないのは甚だ情けないことだ。先代が強くて、後継者がなのりを上げ辛い体制になってしまっているのか?何と弁明しようが、高齢大統領の影響は必ず有るに違いないと思う。
将棋の天才藤井聡太さんが、8冠タイトルある内の7冠を取得するような勢いだ。将棋界にも20代から30代前半の棋士が他にも居ると思うのだよ。そうした人たちは何をやっているのだろう? 藤井さんはAIで研究しているのだろうけれど、他の棋士の方だって同じだろう。
藤井さんが7冠や8冠を取った姿は見たいけれど、それでは他の棋士の皆さんが余りにふ甲斐ない。『タイトルの一極集中』より、タイトルを複数の方が分け合い、切磋琢磨して競い合う姿を見たいな。他の棋士の方々の奮闘努力を切望いたします。それが健全の姿であろう。
新型コロナウィルスの『接種券』が郵送されてきた。3月くらいの時点で、5月8日より接種が開始されると新聞に載っていた。接種券が郵送されても別に驚くわけでもなく、『ああ、また来たんだな』と思うだけだったけど。
5月からの接種は高齢者と基礎疾患の有る人だけで、それ以外の一般の希望者は9月以降の年1回の接種になる。高齢者と基礎疾患の有る希望者は5月からと、9月からの年2回接種を受けられる。
以前ほどではないが、テレビのニュ一スで感染者数が増えてきているようだから、コ一ルセンタ一に連絡して予約を取ろうと思っている。政府は医療費の公費負担を考えて、新型コロナウィルスをインフルエンザ並みの『5類』にしたが、5月連休後にまた第9波が来ないことを祈ります。 おさむ爺は無理のような気がするなぁ。
昨日の天気予報で、今日(4/19)東京は夏日になるとの予測だったと思う。髪が伸びて甚だ暑っ苦しい。前回床屋に行ったのが2月の初めだったから、2ヵ月半ほどになる。この際、『夏バ一ジョン』にしたい。
『3mm、坊主でお願いします』と床屋のオバサンに言う。
『朝起きて夕べに顔は変わらねど いつの間にやら年は寄りけり』
『善悪のうつる鏡の影法師 よくよく見ればわが姿なり』
道歌と言います。五七五七七 ですから、短歌の変形したもので有りましょう。昔から言い伝えられたものです。鏡を見ていると、耳が被るほど伸びていた髪が電気バリカンで見る見るうちに刈られて、瞬く間にお坊さんの頭のように大変身しました。髪の有るのと無いのでは感じか全く違う。『とても若く見える』と床屋のオバサンが云うのは、商売上の社交辞令であろう。まあ、自分でもスッキリして満更でもないと思うけどね。
毎年のように『夏バ一ジョン』にしていますから、別段珍しいこともないのですが、やはり1年ぶりとなると懐かしいものです。
床屋さんのドアを出て、まずやったことは、掌で頭を撫でること。タワシで掌をこすって居る様で、掌がとても気持ち良いものなのです。