今日あったこと、日常の出来事、読んだ本など身近なことを書いていこうと思います。
先日サツマイモを蒸かして、縦方向に10mmほどの厚さに切り、干し芋を作ろうとした。干し加減が分からず、どうも、干し過ぎてしまったようだ。結果は硬くて歯が立たない。再び蒸かして、何とか食べられるようにした。
ネットで検索したら、干し芋の作り方などいくつも書いてあった。中にはオーブンで作るものさえあった。作る前にネットで調べれば良かった。
まったく、徒然草のようだな。『 仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝がまざりければ~~~、少しのことにも先達はあらまほしき事なり 』 である。
懲りずに今度は干し柿を作ろうと柿を10個ほど皮を剥いて干し始めた。干し柿は以前、作った事がある。その時は知人から頂いた渋柿で作った。今度の柿は甘柿である。甘柿でも作れないことはあるまい。ちょっと信じられないようなことなのだが、糖度の面では渋柿の方が糖度が高いのだという。
孫の七五三で 溝口神社に行って来ました。前日の天気予報では荒天との事でした。神社に行く時から、帰りまでの間は、ごく弱い雨か、雨が止んだ時で無事済ますことが出来ました。
神社には令和7年分の厄年や、年祝い、その他の表示がもう貼られていました。年祝いは還暦、古稀、喜寿、傘寿、・・・・などのお祝いを言います。年祝いは数え年で祝うもの。来年、私が該当するようです。
各自の誕生日に関わらず、『 昭和24年生まれ 』の人は令和7年元旦を以って、皆さん一斉に『 喜寿 』であります。大き目の神社には大抵の場合、表示されておりますから、初詣にでも行った際に確認して下さい。それでも、自分なりの解釈で、満年齢で自分の誕生日を以って『 喜寿 』であると云う方はきっといらっしゃいます。そんなことは自由ですから、自分の好きなように勝手に祝って下さい。
七五三ですが、孫は現在満年齢で5歳です。七五三も本当は数え年でやるもの。私、息子に言っておかなかった。本来は昨年が七五三を行う年でした。
元気であれば良いのですから、『 まっ、いいか! 』
やっと心地良い気候になって来ました。食品ス一パ一に行くと、白菜の1/4カットが200円くらいする。早く寒くなって白菜漬けを食べたいなと思う。白菜漬けは自分で漬けます。
後期高齢者でありますが、焼肉、トンカツ、ステ一キなど脂っこいもの大好き。(多少見栄はってます)
でも、時には、白菜漬けの薄い緑色の葉のところに、ちょっぴり醤油を付け、熱いご飯を巻いて食べることや、温かいご飯に削った鰹節をたくさんのせて、ちょっとお醤油を回して食べるのも大好きなんです。
次男のところの孫は今幼稚園の年中5歳男児である。以前、彼の好きな物は働く車だった。消防車、救急車、ゴミ収集車、ブルド一ザ、クレ一ン車などなど。ミニチュアの車だって、たくさん持っている。カミさんがTシャツを買ってやるときも、働く車の絵が描かれたTシャツを買っていた。我が家に来ても、ゴミ収集車が発する音楽が聞こえてくると、夢中になって見ていたものでした。
ここに来て、興味の先が電車に代わってしまったようで、次男の仕事が休みの時にはせがんで、あちこちに電車を乗りに行くようなのだと言う。
10/12に次男のところから、東急電鉄の『 電車とバスの博物館 』に行きませんかの誘いが有って、我が家も同行することになった。
孫はあっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロする。館内のスタンプラリ一も行った。次男夫婦はもうジイジとバアバが面倒を見てくれるのだと思って、椅子に座って平気な顔をしている。孫だって2時間もチョロチョロしていれば、草臥れて来て帰ることになった。
ジイジとバアバはもっと草臥れて、疲れが今日まで持ち越した。今日、昼寝2時間してやっと調子が戻った。子育てなんか若くなければとてもじゃないけど出来ない。かぐや姫や桃太郎の家では、よく育てたものだ。
昨日(10/8)まで半ズボンと云う半袖Tシャツという男児小学生のような格好をしていた。
今朝も始めの内はそうしていた。風邪でも引いて『 年寄りの冷や水 』と云われると嫌なので、Tシャツの上に長袖シャツをはおり、長ズボンに替えた。 更に、後になって靴下も履いた。寒くなって来たね。
私は本好きですが、それでも一日中本を読んでいる訳ではありません。気が多いものですから、本を読む以外にもやりたいことがたくさんあります。本を読むのは夕食後の2~3時間と云ったところでしょうか。
よく『 ヒマを持て余している 』と云って居ますが、それは私の外交上、発している言葉に過ぎません。
もう。歳もだいぶ取っておりますから、私に残された歳月は少ない。本を読んでみてガッカリするような内容のモノはなるべく避けたい。されど、本の内容の良し悪しは読んで見なければ判らない。
『 徒然草 』に『 先達はあらまほしきことなり 』と書いてあります。明治大学の斉藤 孝教授が、”大学生ならこれくらいの本は読んで欲しい ”と云う本の題めいのリストを提示しておられます。
そのリストの中にあります、遠藤周作さんの『 海と海藻 』と云う本を読みました。たぶん2回目かな。
作品中の文章と少し違いますが、
『 俺もお前も、こんな時代の、こんな立場に居たからやっただけや。俺たちを罰する連中かて、同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ 』
『 俺たちの中には、世間や社会の罰しか知らない。発覚しなくて、罪に問われていないかも知れないが、我々は実に多くのやましいことをやって来た 』
そうなのです。私も罪に問われていませんが、実にさまざまな犯罪や、悪ガキの悪戯をやって来た。多分良いこともそれ以上にして来たとは思うが、小学生の時に始まって、実に様々なことをやって来た。ここで一々白状するつもりはありませんが、悪いことをやったのは今でも覚えている。多分、時効だと思うが、申し訳ないと思うことばかりだ。
昨日は10月になっても、30℃を超える暑さだった。玄関に在ったカミさんの夏用のサンダルがだいぶ草臥れていた。
『 サンダルが大分草臥れているじゃないか、新しいの買いなさいよ 』
『 ああ、それ、慣れて履き易いのよ。でも、つま先がちょっと剥がれているけど 』
買いなさいと言っておきながら、接着剤を持って来て、剥がれた部分を補修した。
10月だから、店では夏物のサンダルは、商品の入替で、もう倉庫にしまわれて出ていないのかも知れない。10月が終われば、サンダルを履くような、暑い日もないであろう。カミさんは10月末に捨てようと思っているらしい。
老夫婦の家庭なんて、こんなやり取りをするものだ。
昨日(9/23)墓参りに行った。お盆の時は余りに暑くて、墓参りに出掛けるのは良いけれど、途中で老人が干からびて倒れていたなんてことになると困るのでパスした。春のお彼岸以来の墓参りとなった。お彼岸の休日ともなると、やはり墓参りも混雑する。
8/1の日記に、卒塔婆に書かれている文字はシルク印刷で書かれていると本に出ていたことを書いた。実際に確かめなければならない。卒塔婆に書かれている文字の内、その宗派やお寺さんの決まりきった定型部分は間違いなく印刷だな。人が書いた場合にはこれほど画一的に記載出来ない。個別のおなまえ部分などを比べると、明らかに文字に差が出ているから、お坊さんが書いたものらしい。
墓参りの帰り道にある食品ス一パ一の『オオゼキ』があるので入ってみた。オオゼキさんは『OKストア』と並んで、食品ス一パ一でも安売りで有めいな店舗です。食品ス一パ一は何処も同じようですが、実際に入ってみると雰囲気がそれぞれ違うものです。カミさんも確かに安いと言っています。別にオオゼキさんの宣伝をしている訳ではありません。簡単に言ったら、近くに高級住宅地を控えている店舗と、下町の雰囲気の漂う店舗では明らかに違うね。
季節は秋なのですね。栗が出ていて、2袋買いました。一袋は『渋皮煮』にして、もう一袋は今夜、栗ご飯にする予定です。栗も良いのですが、皮を剥くのが面倒です。
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、本当によく言ったものです。昨夜はエアコンを点けずに寝ること出来ました。
もうたくさん働いたのだから、今の生活を変えようと云う望みもない。一日、一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じない。
それでも、夕方は苦手で夕焼けも時間が過ぎて暗い部分が増してくると、何とも言い難い虚しさを覚えてしまう。
あとは時間の問題で、このまま終わってしまうであろう自分の生涯に対する漠然とした遣り切れなさで溢れて来る。
新聞に、マウスやブタなどの哺乳類のお尻から酸素を注入して、腸呼吸することを発見して、イグ・ノ一ベル賞を受賞した記事が出ていた。将来、人間にも適用し、呼吸ふ全の人の治療に適用できるのではと期待されている。
肛門と言うと直ぐに大便を連想してしまい、何かふ潔のような気がするのは、素人の浅はかな考えのようだ。
でもね、考えてみれば、これも何か嫌な気もする。教室や職場、会議室などの空間で、誰かが知らぬ顔でスカシッペをしたとする。オナラは腸内で大便を掻き分けて出て来たもの。掻き分けなくても、少なくても大便と接触はしているよね。それを冬だったら閉ざされた空間で、皆が共有して肺に取り込んで呼吸していることになる。ただの空気よりは栄養分はありそうな気はするけど。
よくチ一ムワ一クの良さや絆を表わす言葉に、『 同じ釜の飯を食う 』と言うけど、『 同じオナラを呼吸した 』なんて絆は遠慮したいけれど、皆知らん顔してスカシッペをするからどうにも成らない。
月並みな言い方だけれど、台風7号が通り過ぎて、汚れた部分を洗い流して行ったようだ。夕べ、カミさんがパソコン部屋に入って、『 何だかすごく臭い 』と言っていた。そうかもしれない。夕方になると、ほぼ毎日ちょっとした体操をしたり、自重の筋トレなんぞする。真夏であるから汗びっしょりになる。下にバスタオルを敷いたり、汗拭きタオルで汗を拭く。その後、汗をかいたモノを椅子か何かに吊るして干して置くものだから、臭ったのだろう。朝早くから、パソコン部屋では掃除が始まり、汗臭さの温床に成っていそうなタオル、バスタオル類は洗濯に回された。この晴天だから直ぐに乾くであろう。
連日、熱中症警戒アラ一トが出され、ふ要ふ急の外出はするなと言っている。外出は2週に一度図書館に行くだけである。老人が干からびて倒れたと言われるのも嫌だ。ほんの近場に行く以外、『 徘徊 』や『 逊遙 』なるものをしていない。この調子だと、秋になって足が弱ったことを痛切に感じるに違いない。
人がいっぱいの観光地などに行きたいとは思わない。『 ボンカレ一 』とか『 金鳥の蚊取り線香 』など、半分錆びたような琺瑯の看板が壁に貼ってあるような、古い家並みでも歩けたら最高です。目黒川沿いにそんな看板を付けた家があった。
『 東京23区外さんぽ 』と言う本を読んだ。まだ歩く所はたくさんある。東京の日の出町に、”卒塔婆 ”を作っている工場がある。東京でも五日市線沿いの地域なら、卒塔婆の材料を入手するのに立地が良いのかと思ったら、材料は輸入木材で、卒塔婆に書かれる『 定型の部分 』はシルク印刷なんだってね。ビックリだねエ
毎日、暑い日が続き、老体としてはもうバテている。早く涼しくなることを望むが、こればかりは如何ともし難い。よくふ動産屋の広告に『 日当たり抜群 』なる決まり文句がある。我が家は、冬場は日が当たって、暖かく誠に結構な家なのだが、朝から夕方まで途切れることなく日が当たっている家は夏場は『とにかく暑い!』。しかも、パソコン部屋のある3階は耐えられない。かつてはエアコンもあったのだが、壊れて以来更新せず、扇風機のみに頼っているのだ。
新聞に12日夜から14日未明まで、『 ペルセウス座流星群 』の流星を見ることが出来ると言う記事があった。午前3時にトイレに行くのを切っ掛けに起き出して、3階バルコニ一から観測(?)した。
15分間ほど北東の空を眺めたが、それらしき流星が流れるのを観測出来なかった。もちろん、流れ星が見えたときに備え、願いごとは用意しておいたが、極秘である。初め、空を見上げたら、2つしか星が見えなかった。起きたばかりの目が暗さに慣れると、微かではあるが、何十もの数の星を見ることが出来た。
50年ほど前に川崎は『 公害の町 』として、汚れた空が全国に知れ渡った。今は『 環境の町、川崎 』となって、冬の晴れた日には富士山も望まれるのではあるが、夏の晴れた夜でも多くの星をはっきりと見ることは出来ないのです。
昼食にインスタント・ラ一メンを食べた。こちらは昨日のような、非常食ではなく、購入してから幾らも経っていない。
元祖、日清食品の鶏がらス一プの『 チキンラ一メン 』である。袋にSince1958と書いてある。かつて、NHKが『 まんぷく 』と言う題で、朝の連続ドラマとしたから、ご存じの方も多いと思います。
安藤百福さんが開発した当時から、改良は重ねられていると思うが、当時の形態を踏襲しているのであろう。
他のほとんどのインスタント・ラ一メンが粉末ス一プを別袋にしているのに対し、『 チキンラ一メン 』は麺自体に味付けされている。お湯を差す前の、味付けされたカリカリした麺は、駄菓子にも同様のモノがあったような記憶がある。
かつて、『 即席ラ一メン 』と言われたモノに相応しい製品なのであった。
このところ、地震が続いている。我が家でも災害に備えて、非常食の点検をしてみた。1 食ずつ小分けにされた非常食には賞味期限が5年間と書いてあった。保存していた非常食は、その賞味期限が切れて、更に5年が経過していた。製造から都合10年が経過したことになる。ずっと、点検していなかったことになる。
昼に『 白粥 』を食べてみた。我が家は3人家族だから、3個減った。まだ5個残っている。
夕方になっても、誰もおなかが痛くなるとか、下痢も起こっていない。賞味期限は書いてあったけど、消費期限は書いていなかった。
ラ一メンもあった。試しに一つ作ってみたが、こちらはちょっと臭いがきつく、捨てることにした。
どちら様も、非常食の点検をお願い致します。
新型コロナがまた流行しているようです。まだ具体的に『いつから』、『どの医療機関で』と言う事は分かっていませんが、一部費用負担でワクチン接種を受けられるとの通知が来た。
今度受けたら8回目の接種となる。きっと根絶は出来ないで、これからもずっとコロナウイルスとお付き合いするらしい。歓迎しないけど。
今、『 つやつや、ごはん 』と云う本を読んでいます。39人の著めい人が自分の好きなご飯の食べ方を書いた本です。
例えば、『 新米を炊いておかずなしで 』、『 新米を塩おにぎりにして 』、『 新米の冷めたご飯 』などなど、それぞれ好きな食べ方を書いている。
僕は子供の頃からとても幸せな生活を送って来たのかもしれない。自営業の職人だった父の都合で毎日、木の切れ端が出た。その切れ端を処分するために22歳で家を出るまで、かまどを使って、羽釜で炊いて、木のおひつに入れたご飯をずっと食べ続けてきたのです。ご飯の美味しさにはどん感な方ですが、子供の頃からずっと美味しいご飯を食べ続けて来たのでした。本を読んで居て、昨夜、気が付きました。
『 先ず頼む 椎の木も有り 夏木立 』 (芭蕉)
子供だった頃、どの家にもエアコンなど無かった。地面はこんなにもアスファルトに覆われていなかし、木々も多かった。
『 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 』 (芭蕉)
夏の山寺(山形県)に行った事がある。山に登った後は、頭のテッペンから汗だくだった。もう遠い昔の話です。
夏の激しい日差しは人生の過酷さの象徴だろうか? もう勘弁して欲しい。
長い間ずっと更新していませんでした。我が家の3階に在る、パソコン部屋に形だけのエアコンが有っても故障していて使えないのです。コスパを考えて更新する気に成れません。早く涼しくなって欲しいものです。
昨日、浅草演芸ホールに行って来ました。コロナ禍前には毎年2~3回は寄席に行って居ました。コロナ後は今日が初めてです。
寄席は普通、写真撮影、録音はNGですが、最期の大喜利の芸人バンド 『 アロハ・ハワイアンズ 』 の演奏と歌のショーは、写真撮影自由でした。芸人さんのバンドですから、ハワイアンなのに『 高校三年生 』の歌を歌ったり、ハワイアンの曲なのに最期の方で、艶歌のようにこぶしが回ってしまったりと、素人バンドですから何でもありなのです。
寄席の演芸の中に『 紙切り 』 と云う芸があります。観客から希望する題目を聞き、芸人さんが構図を考え、紙に下書きもせずに、即興で紙を切り作品を作る芸です。紙を切っている最中も、客を飽きさせぬように話をしながら切る話術も必要な芸です。
私もリクエストして切って貰いました。今回で2回目です。今回は『 浴衣 』をリクエストしました。前回は『 夕涼み 』 です。季節感のある、芸人さんの遣り易いものをリクエストしなければいけないと思っています。
例題で5年前に切って頂いた作品と、今日切ってもらったものを示します。
令和1年7月14日に『 林家今丸さん 』に切って頂いた『 夕涼み 』の作品です。左が作品本体で、右が紙から作品を切り抜いた『 ヌケガラ 』です。『 ヌケガラ 』も作品に劣らぬものです。
昨日、令和6年7月14日に『 林家喜之輔 』さんに切った頂いた『 浴衣 』です。ヌケガラは他の方が貰ってありません。
今回も『餃子』と云った人が居て、切って貰っていました。餃子を紙切りで明確に示すことが出来ると思っているのか? バカなやつです。説明されなければ分から無い言葉を言っても詰まらない。過去にも『 闇夜のカラス 』、『 雪中の白ウサギ 』など芸人を困らせる目的の題目を求めた客も居たようです。良い趣味ではないと思います。
客の方も何か切って貰いたい場合は、芸人さんのつばが飛んでくるのを覚悟に最前列に座り、前もって題目を考えておいて、問われたら即座にリクエストするタイミングが必要です。希望者の競争率は激しい。
毎日本当に暑いです。僕なんかいつもTシャツに短パン、坊主頭だからまだ良いけれど、女性は本当に大変です。
『そうなのよ。女は大変だわ。家に居るときは、それでもアッパッパのようなものを着て、中はスッポンポンでも分かりゃしないけど。 外出する時にはそういう訳に行かない。ブラ・パン・ガ一ドル・パンスト着けて、 あっ、それだけでもう蒸れちゃうわ。髪だって、薄くなってしまっているから、ウィッグを付けなくちゃ。考えただけで頭がボーッとしそう。どうしても、避けられないのが壁塗り。シミを隠そうと思うとどうしてもファンデ一ション厚塗りになってしまう。こう暑いとしたくないんだけど、指輪、耳飾り、首飾りに鼻輪でしょ。あっ、鼻輪は要らないんだ。』
炎天下に曝されて、帰宅したら、ドアを閉めた途端、全てをおっぽり出して、お風呂にザブン。また、スッポンポンに、アッパッパを被って、エアコンかけて、お昼寝が一番。それほど、暑いのです。
今年は靴下だったけれど、長女のところから、父の日のプレゼントにブル一ベリ一、マダガスカルジャスミン、コ一ヒ一の木と毎年何らかの鉢うえを頂戴してきた。いつ、何を頂いたかは忘れてしまった。
昨年までは、葉が茂るばかりで、いずれも花を付けることは無かった。今年になってブル一ベリ一が咲き、十数粒の実をつけた。そして今、マダガスカルジャスミンが開花した。まだつぼみはたくさん有る。
枕草子 第百五十五段 『 愛(うつく)しき物、瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』
当時の女児は小さな瓜に人間の顔を描き、玩具にして遊ぶ風習があったのだとか。
6月1日に開花し、受粉させた糸瓜、直径90mm、長さ117mmと成りました。何か随分早く成長するものだと思います。6月5日に書いたように、ジジイも戯れに目鼻口など描いてみました。
3階のバルコニ一に置いてあるプランターに毎年、ツルの出る作物をうえて、ネットに這わせて日除けにしょうと言う企みである。今迄に試みたモノは、千成瓢箪、大瓢箪、ミニカボチャ、糸瓜(ソウメン瓜)である。今年は去年と同じく糸瓜にした。どうせなら、食べられるものが良い。タネは買ったものではなく、前年できた実から得たものを使っている。瓢箪も面白いが、中身を腐らせてのタネを取る際に猛烈に臭い。ひょうたんは観賞用、オモチャにしか成らない。いつまでも臭いが取れないので、酒を入れる気にはならない。
今年は何故かうまく発芽して順調に育った。糸瓜が6月になってよく咲くようになった。瓢箪もキュウリの様な瓜も、雄花と雌花が有る。雄花と雌花が同日に咲いて、受粉させないと実は結ばない。ハチが受粉させて呉れれば良いのだが、午前9時くらいまでに済ませないと花は萎み始めてしまう。
左の画層は本日咲いて受粉させた雌花です。将来瓜に成長する部分はまだ2cmほど。右の画像の、実に成り始めているのは6/1に受粉させたもので、花の元の方に5cmほどに成長している。毎朝、仲人をしている。
清少な言の枕草子 第百五十五段に『 愛しき(うつくしき)物 瓜に描きたる、児(ちご)の顔 』という文が有る。糸瓜は長さ15cmほどに育つ。育ったら目鼻口でも書き込んでみようと思っている。
我が家の外壁に多分アゲハチョウのサナギが付いていた。気が付いたのは5/22のことです。お隣の家にはチョウが好のむ柑橘系の木が有り、以前から青虫が葉をかじったり、サナギとなっているのを見てきました。
我が家には柑橘系の木はありません。ただ、玄関先には花が多くアゲハチョウがたびたび飛来して来ていました。よりによって外 壁にサナギが付くとは思っても居ませんでした。
友人から1週間か10日ぐらい経った、午前中に羽化すると聞かされていました。私もネットで調べて、羽化直前にはサナギが黒っぽく変色すると知りました。
サナギの存在に気が付いたのは5/22ですが、実際にはサナギがいつから外壁に付着していたのか分かりません。雨の降る日に羽化することはないであろう。日数と天候から考えて羽化の予測は5/30と想定して、何度も見に行きました。サナギに動きはなく、黒っぽくもなりませんでした。
5/31は朝から雨降りで『この雨じゃ、今日はないな』と思っていた。雨の様子を見るため、外を見ていたカミさんが『黒っぽい鳥がサナギの傍から飛び立った』と言うではありませんか。
早速、傘をさして見に行ったら、サナギはもう跡形もなくなってしまっていた。自然の摂理で起こっても仕方ありませんが、羽化が見られると思って期待していた分、とても残念です。
友人に報告したところ、『目玉の大きなテルテル坊主でも近くに吊るしておけば良かったかも、ヒヨドリの仕業かな?』と言う事でした。外壁にサナギが付くなんてことは滅多にない事でしょうが、もし次もあったら、ピカピカ光るCDでも吊るそうかと思っています。
3階のバルコニーのプランターにタネからうえた糸瓜が順調に育っている。ネットに這わせて日除けにと目論んでいる。
すべてのツル草花に適用できるかどうか知りませんが、発芽後、本葉が5~6枚出た時に目の先端を摘んでしまう。すると、脇から子ツルが出てきます。花芽は子ツルや孫ツルに多く付くのです。アサガオもこうするとたくさん花を付ける。
カボチャやキュウリなど、そして糸瓜も雌花と雄花がある。どちらも満遍なく咲いて呉れれば良いが、単独では結実しない。我が家の糸瓜も既に雌花のツボミがいくつも出来ていて、2~3日うちには咲きそうだ。それに対して、雄花の方は咲くのはまだ先が長そうだ。
かくして、失恋する雌花がいくつも現れそう。管理人であるおさむ爺としては、京都・大原三千院にでも一人旅させてやりたい所ではあるが、叶わぬことである。
三千院ならおさむ爺が行きたいのである。もしかして、失恋して一人旅している女性と出会えるかもしれぬ。出会った後の展開は、川上宗薫先生や、渡辺淳一先生にお任せ致します。両先生に置かれましては、主人公(私のこと)が高齢者であることゆえ、今後の展開にご苦労があるに違いないと察するところであります。
『なに!、両先生とも既にお亡くなりになっている!?』
それでは他の先生に執筆をお任せするしかない。老人と言えど、なるべく濡れ場の多い展開をお願いしたい。
昨日(5/16)、川崎市立図書館に行った。
川崎市の図書館では、皆さんがよく読むような本は開架に置いてあります。読みたい人が自由に手にとってペラペラとペ一ジを繰って確かめてから、借りたり、館内で読むことができる。図書館の所蔵する本は開架に置いてある資料だけでなく、その楽屋裏にもたくさんの本を所蔵しているのである。
検索機では市内の別の図書館に在る本の検索が出来る。開架にないような古い本や貴重な資料は、検索機でこの図書館に在る事を確かめ、印字して職員に申請して閉架より出してもらう。
検索機で吉屋信子作『もう一人の私』という本を探し出し、印字して窓口に持って行った。
『これは大変古い本ですよ』 ほか、職員がブツブツ言っている。構わず、待っていたら、如何にも古そうな本が出て来た。
『こちらの資料は大変こわれやすくなっておりますので、このカバ一を付けたままご覧下さい』と注意書きの貼った透明カバ一に包まれて本が出て来た。
なるほど、今にも壊れそうで、漢字もひらがなも旧字で書かれている。発行は昭和30年である。実際に書かれたのはその2~3年前の短編小説であった。小説の終盤にはいずれもどんでん返しのような展開があり、とても楽しい。僕の未就学の頃には、漢字もひらがなもまだ旧字を使っていたのか。改めて言うほどではないが、私も骨董的存在なのであるな。
三年に一度開催の、東京都無形文化財、九品仏の通称『お面かぶり』が行われるので、九品仏山 浄眞寺へ行って来ました。
浄眞寺が通称九品仏と呼ばれるのは、上品上生、中生、下生、中品上生、中生、下生、下品上生、中生、下生の九体の阿弥陀様が三体ずつ分けられてまつられているからです。
上品堂を極楽浄土に、本堂を現生に見立て、その間に懸橋を設け、阿弥陀如来と25体の菩薩様がお面をかぶり、その他の方々が3回練行列すると言うものです。
私はこの行事を見たのは初めてではありません。30数年前、その当時は八月に行われていた。炎天下にお面をかぶるなんて、灼熱地獄ゆえに5月に開催時期の変更となった。雲ひとつ無い好天で都内でも30℃近くとなった。お面をかぶって懸け橋を往復した方々はさぞや暑かったに違いない。
連休中にお金の掛からない『お面かぶり』見物に身動きが取れないほどの人出がありました。みなさん、『安近短』なんですな。私もおにぎりとゆで卵を作ってもらって、掛かったのは交通費だけの節約モードでした。
昭和記念公園にはそれこそ何万人もの人出がありました。昔、『安近短』と言う言葉があって、円安でなくても、元々海外旅行に行けない、ひたち海浜公園にも行けない人達がたくさん来ておりました。昭和記念公園にもネモフィラの丘があります。
こんなに良い天気の屋外では、熱中症に成らぬよう十分水分補給しなくてはと分かっていても、トイレのことを考えて無意識のうちに水分補給をセーブしてしまっていたようだ。家に帰って何だかお茶ばかり飲んでいる。水も滴るいい男を維持するには、十二分の水分補給をしなくてならないのじゃ一
日焼けしたのだろう。感じもする。顔が突っ張るような感じがする。
『七輪、羽釜、五徳、十能って知っている?』とカミさんが言う。
カミさんは今、南伸坊さんの本を読んでいる。本の中に昭和30年代を懐かしんでいる記述が有るようだ。南伸坊さんは1947年生まれで、ジイより2歳上の団塊の世代である。何故か、昭和30年代が静かなブ一ムになっているようだ。
ジイは昭和31年小学校入学、昭和37年卒業だから、昭和30年代真っ只中で育って来た。
七輪、羽釜、五徳、十能はもちろん知っている。ただ十能だけはジイとカミさんの持つイメ一ジが違った。ネットで調べて見たら、小さなスコップのようなものと、火のついた炭を運ぶ片手鍋のようなものがあり、両方とも十能と言うようだ。
他にも、ハエ取り紙、火消し壷、トイレットペ一パ一の前に『落とし紙』と云うのもあった。落とし紙は今でも雑貨屋さんで置いておく店が有る。
古典落語の世界では、”へっつい”、”水瓶”などが出て来るけれど、どんな物だか分からない若い方も居て、噺家さんも演じ辛いことでありましょう。小田急線向ヶ丘遊園駅から歩くけど日本民家園では大抵の物を見ることが出来ると思います。
今日は雨模様で何とか涼しいけれど、4月末から30℃越えの真夏日やそれに近い気温に成っている。これじゃ、7月、8月となったらどんなことになるやら、先が心配だ。
こんな日が続くとジジイなど干からびてしまう。指を広げて手の甲に現れたシワは隠すことが出来ず、手を見れば年齢を偽ることが出来ない。焼きたてアツアツのハンバ一グを切るとその断面から肉汁が出てとてもジュ一シ一。痛いからやらないけれど、僕の手は切ってももはや肉汁は出ない。こう言うのを『枯れる』と言うのだろう。
枯山水は水気が無くても良いものだが、ジジイの干からびた手は救いようがない。
今年は時間差で3回に分けてタケノコを頂戴した。ありがたいものである。タケノコご飯は大好きです。カミさんが大きな鍋で、ヌカを入れてタケノコを下茹でしようとしている。軟らかそうな先端部と、硬くて時間の掛かりそうな根元に方を同時に茹でるのはおかしいのではないか?
硬そうな根元の方は圧力釜で、軟らかそうな先端部は鍋で別々に茹でてみてはとカミさんに提案した。こんなことは世の中では常識なのかも知れない。圧力釜を使えば短時間で軟らかくなる。効果は上々だった。
玄米を精米すると胚芽が取れる。ヌカを分離して胚芽米や胚芽入りパンにして食べると何となく健康によいような気になる。もう十分長生きしたから、そんなに気にしなくても良いのにと、思うのだが。
歳を取ると云うことは本当に弱ったものだ。4/2に引いた風邪がまだ本調子ではないが、やっと治ってきた。体の具合が悪いと何かをしようと言う気力が起こらない。頑張りが利かなくなっている。
私は子供の頃、3人姉弟であった。姉弟ケンカをすると、『離れていなさい。近付くからケンカになるんだから』と両親から良く言われた。
海上自衛隊のヘリコプタ一2機が深夜の訓練中に衝突して墜落したようだ。またバカなことをして、国の財産と人命をそこねたと思う。ヘリコプタ一が近付き過ぎて接触すれば、落ちるに決まっている。そんな分かり切ったことをして失敗している。
①鳥を含めて、空を飛ぶものは確率は低いかも知れないが、何らかのふ具合で必ず落ちる。飛ぶという事は地球の引力に逆らったことなのだから、ふ具合があれば必ず落ちる。
②近付き過ぎれば、衝突して落ちる。分かり切ったことだ。近付かなければ成らないなら、高低差を付けるとか、これ以上近付くと危険だから、回避する装置を付けるのが当然だ。
訓練中に衝突して墜落するなんて、あまりにバカバカし過ぎて、開いた口が塞がらない。同情する気にもならない。
3月末に私の住む南関東でも気温が上昇して夏日となることがありました。お調子者のおさむ爺はすぐさま穿いていたスパッツを脱ぎ、ポロシャツも半袖とし、おまけに伸びていた髪を3mm坊主としてしまったのがいけなかった。
今までもちょっと具会いが悪いなと思うことが有っても、寝る前に風邪薬を飲んで寝てしまうと、翌朝はもう大丈夫と云うので乗り越えて来ました。油断したせいもあってか、今度ばかりはもうダメだ。医者に行って処方された薬を飲んでも中々症状が改善しないで寝てばかりして居ります。ダメで昼間から寝込んで居るのは10年ぶりくらいでありましょうか?
夏日だからと言って直ぐに調子に乗って脱いだり、坊主になったりは『年寄りの冷や水』であり、一旦こじらせてしまうと中々立ち直れないのは『歳のせい』であります。
4/10くらいに更新できたらと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
他の新聞はどうか知らないけれど、朝日新聞では週に一度テレビ番組の週間視聴率ランキングが発表される。
テレビ局関係者やCMを出している人たちにとっては、重要関心事なのかもしれない。テレビ関連の人は別の方法で視聴率を確認しているのかどうかは分かりません。
同じテレビ番組で何百万人の人たちが一斉に笑ったり、あるいは感動したりとする方が何かとても恐ろしくて可笑しな現象と思わねーのかな? そんなこと思う僕が異常なのか?
みんな一緒とか、テレビ漬けの人生に何かおかしいのではと感じないのかなあ? やっはり、私が異常なジジイなのか?
3/5 図書館から『東京人』と言う雑誌を借りて来た。2023年7月号で、特集は『僕らが愛したなつかしの子供雑誌』であります。『小学 一年生』、『よいこ二年生』と言うようなこども雑誌を特集しています。
『東京人』の表紙からレトロな感じです。雑誌の表紙はパッチリ二重瞼の輝く瞳の、丸い顔。そんな愛らしい子供たちの絵が定番だった。
表紙の題めいが『セイガク』や『コクミン』であったり、横組みのタイトルを左から右へ読ませるなど、戦時下の時代を反映させるものもあってとても興味深いです。こんなものを借りて来て見始めたら終活なんてとても出来ないものです。
昼食におろしニンニクとマヨネ一ズを混ぜてパンに塗り、ト一スタ一で焼いて食べている積もりだった。
『 何よ!これ生姜じゃない!』
とカミさんに言われるまで、生姜と気付かずに食べていた。
徳用の量の多いサイズの容器で、外側の表示は取り除かれていた。まあ、容器も中身の色も似ていると言えば似ているけどね。
『 食べていて、気付かなかったの? 』
『 ウン、人間だもの 』
『 ボンヤリしているのね 』
『 そうさ、人間だもの 』
相田みつをさんは、何にでも活用出来る言葉を見付けてくれた。ありがとう
どうやら、カミさんは僕より鋭いようだ。僕がもし鋭かったら、もうとっくに別れていただろうね。
昨日(2/11)、小田急線 梅が丘駅近くの梅のめい所であります羽根木公園の梅まつりに行って来ました。公園までは駅から歩いてほんの2~3分で、近くて無料となればたくさんの人たちが観梅に来ておりました。皆さん、花鳥風月を愛でる方々なのです。
公園内に”中村汀女”さんの俳句の碑文がありました。
『 外(と)にも出よ ふるるばかりに 春の月 』 です。
外に出て御覧なさい。手を伸ばせば触れられそうなほどの 春の月ですよ。こんな意味です。
大分暖かくなって来ました。
家人がコタツに入ってテレビを見ている。私もコタツで本を読もうと思うのだが、テレビの音声が気になって、本のペ一ジがちっとも進まない。私にとって、テレビの音声が本を読むことの妨げに成っている。番組の音声が気になって、集中出来ない。私はマルチ人間ではないから本を読むことと、テレビの音声を聞くことの両方を同時に出来ないのです。
机の引き出しから耳栓を引っ張り出してきて、耳栓をしながら本を読むことにした。この耳栓は硬めの発泡材で出来ている。耳に入れる部分を指で押し潰して細くした上で、耳の穴に挿入する。少し経つと押し潰されて細くなっていた部分が復元して耳の穴にフィットする仕組になっている。良いアイディアだと思う。
耳栓をしてもテレビの音声が聞こえなく成る訳ではないが、相当減ぜられる。耳栓をすれば脇でテレビがついていても本を読む事が出来る。
テレビやラジオの音声や、音楽などを聴いていない時でも、私たちの耳は絶えず周囲の音を聞いている。これを『暗騒音』と言う。本を読んでいない時でも、耳栓をしていると、『暗騒音』も減ぜられて、いつもとは違った世界に居るような気がする。私に取っては、快適な世界だ。
朝のテレビ番組で、スギ花粉の状況を放送していました。これから花粉症の季節です。私は今のところ、花粉症はOKです。
マスク、アルコ一ル消毒、手洗いうがい、浄水器、空気清浄機、サプリメントなどと言って、人間が本来持っていた免疫力、抵抗力を壊してしまったのか。
内臓も甘やかしてはいけません。まずは肝臓を鍛え上げるには、繰り返して酒を呑んだ方が良いのでは。私は呑みませんけど。
夜店の露店で亀を買ったら、翌朝になったら死んでしまっていた。露店のオニイサンに
『 鶴は千年、亀は万年生きると云うけど、夕べ買った亀が死んでしまった』と言ったら
露店のオニイサン曰く、
『あの亀、丁度、今朝が万年目だったのです』
そんな、小噺があった。
1/28 午前中に久しぶりに私の住む川崎でも『 震度4 』の地震があった。机の前に座って居たので、目の前の本棚の本を押さえてしまった。能登半島地震は『 最大震度7 』と云うから、とても大きな地震です。地域の防災訓練で起震車で震度7を体験したことがあります。それはもう筆舌で言い尽くせないほど、強烈なものでした。
能登半島地震は千年に一回レベルの地震であったと言います。能登半島での余震が収まり、インフラが復旧し、平常な生活に戻れば、たとえ活断層が有っても、あと千年間は大きな地震が起こらない安全な地域と言うことになります。
亀の話ではありませんが、原発の稼働でも、これから延長されて1基100年稼働となったとしても、それより遥かに長い1000年間は大きな地震が発生しない能登半島は安全な地域と言えるのでは・・・?!
昨日から長女の一家4人が1泊していった。孫は小1と小4の女子である。女の子は男の子より大きく成長する時期が早い。女の子の多くは小学校の高学年の時期に大いに伸びる。小4女子の孫は前回見た時よりも随分大きくなっている。
食べる量も『 おい、おい、そんなに食べて大丈夫かよ 』と思うほど良く食べる。まあ、成長期なんてそんなものだろう。おさむ爺だって、中学生の頃は好きなおかずの時は、ご飯茶碗5杯くらい食べていたし、食後1時間も経てば、まだ何か食べたいなと思っていたものです。
今日はドンド焼きの日だった。朝、小学生が登校する群れに混じって、会場の小学校校庭まで正月飾りを持って行った。実際に焼き始めるのは9時40分開始と云うから、正月飾りを持ち込んだだけです。場所によったらこんな行事は出来ないでしょうね。そう言えば、私が行った小学校ではドンド焼きはやらなかった。
新年になって行った所は、1/3~1/4に7つのお寺と、1/7に神社が1つ。ところで、神社やお寺を数える時の単位は何と言うんでしょうね? 『 社 』かな? お賽銭だって、ご縁が有るように全て5円ずつ。何か買った時のお釣りで、1円玉や5円玉がインスタントコ一ヒ一のビンの中にたくさん溜まっている。こんな時に消費? してしまわないと。
神様も仏様も金額の多寡で願い事を叶えて下さる、下さらないはないであろう。『 浮世の沙汰も金次第 』と言うのは人間の世界だけと言う事にして欲しいな。その他の出費は交通費だけの全くの『 年金老人節約モ一ド 』である。
我が家では年金以外に収入は全くない。普段の生活でも行くような場所は、映画館を除けば、主に図書館、神社、寺院、お墓参りくらい。交通費他が掛かるほどです。僕の衣類は、結婚して家を出た息子が残していった『 お上がり 』で済んでいる。ここ数年、パンツ、肌着以外買っていない。
スマホの通信費も格安プランである。水道光熱費、通信費などは仕方ないとして、外食は少ないし、食費は特にセ一ブしているわけでなく、好きなものを食べている。我が家のエンゲル係数はきっと高いに違いない。
正月飾りは今朝外した。どうも正月の雰囲気は好きではない。ただ、お餅はまだ残っているようだから、早めに食べてしまわないと。
噺家の林家木久扇師匠の持ちネタ・・・・若い頃に師匠の林家正蔵(彦六)さんに訊ねた噺
『 師匠、何故お餅にカビが生えるんでしょうね? 』
『 ばかやろ一一、早く喰わねえからだ 』
カビが生える前に食べなくちゃ!
いつも、『 おさむの自由区域 』をお引き立て頂きまして、ありがとうございます。今年は大変お世話になりました。来年も続行を予定して居ります。何卒よろしくお願い致します。
例年の事ですが、108の煩悩を払拭する筈の除夜の鐘も、突き終わる前の午後10時頃にはもう寝てしまいます。寝てしまった“ふ埒な者”の煩悩は払拭されることとはならないでしょう。2024年に持ち越されてしまうことになって、日毎夜毎、『 ああ、金が欲しい 』、『 女が欲しい 』など叫んで、益々“煩悩の累積件数が増える”とか、“煩悩の強度が増してしまう”のではと心配しております。
来年には『 後期高齢者 』となります。バアサンの場合にはママが働きに出ている間に孫のオムツを替える、子守をするとか、料理をするなど何かと役に立つ分野があるものです。その点ジジイは口うるさい割りにつぶしが利きません。ジジイも70を越えれば、自分の立ち位置を評価、検討し、自ら進んで自分の身の処し方を考えるべきです。山奥に庵を結び、粥など煮ながらひっそりと暮らせば良いのですが、何分にも年金生活ゆえ、財も乏しく、自らのめい義の山を所有しておりません。さりとて他人所有の山に無断侵入の上、庵を結ぶこともままなりません。已む無く、なるべく他の人の迷惑に成らぬよう、パソコンを友としてひっそりと暮らして居るのであります。
来年は皆様にとって良い年と成りますようお祈りしております。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
カミさんが年末の買出しに行くのに、付いて行った。年末の大変混雑する時期にジジイが何も買いもしないのに店内をウロチョロするのは邪魔である。『 類は友を呼ぶ 』で、”荷物持ち”か何か知らないけれど、同様のお父さんがかなりの数居る。家に居ても暇を持て余しているのである。
カミさんは色々な買いたい品目をメモしておいて、買い物をしていた。僕が買い物に同行して買いたかったモノはただ一つ。お店では鯛を三枚におろして刺身を作るのだが、いつもなら頭や背骨をパックにして、安く売っている。つまり、鯛から刺身の分を取り除いた残り物なのである。平時なら1パック200円(税抜き)ほどの価格なのだ。
これを買って来て、鱗を取り除き、ネギと一緒に塩で味付けした汁が大好きなのです。頭の部分にはまだ肉が付いているし、眼肉もある。もちろん出汁も出ている。
今日あたり、ス一パ一には多くの客で溢れ、書き入れ時なのである。正月用に肉でも魚でも体裁よくパック詰めされてうず高く積み上げられている。爺が欲しかった鯛の残り物のパックは売られていなかった。鯛の刺身を作る際には必ず出るのに、売り上げにあまり寄与しないものは、出さないらしい。売り場の面積当たりの売上高なども計算するのだろうから、ダメなのであろう。残念!
日曜日の大河ドラマ『 どうする家康 』はずっと見ていました。NHK大河ドラマ史上2番目の人気のなさだったそうな。 だけれど、私はずっと見ていました。最終回で大阪城が燃える中の、女優の北川景子さん演じる“茶々”の発した言葉はきつかった。
大河ドラマは一応史実に則って進んで行くのだけれど、所詮はドラマであります。ドラマとしては始めの部分が長過ぎて、最後は時間が無くて超特急で進行した。
炎に包まれる中、“茶々”が最後にどんな言葉を発したのか、誰も知る訳がない。
それでも、茶々を演じる北川景子さんの発した言葉。『 正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、そねみ、嘲る 』 役者さんだからセリフとして言うだろうけど、間違いなく原作者か脚本家の言葉だよね。正に今の日本に対する批判と何ら変わりがない。クサイ台詞だよ。
11/16 独身寮に居た時の寮母だった方の娘さんから喪中ハガキが来た。僕が独身寮に居た時は、寮母さんのことを『 カ一ちゃん 』と呼んでいた。寮には丸4年間お世話になった。これまでずっと年賀状だけの付き合いだったけど、『 カ一ちゃん 』が96歳で亡くなったのだ。僕と22歳違いだったのか。始めて会った時、随分ぶっきら棒で、おっかない顔をしていたけど、当時44歳だったのか。もっとずっと年上かと思っていた。
肩凝りの酷い人で、寮の食堂で毎日のように肩をもんでやったものです。20分ぐらい肩もみした後、『こっちの方はどうかなぁ?』と、ふくの上からオッパイに触れる。『ヒエ一、こっちは凝っていない!』と、今で言えばセクハラのようなことをしていた。50年以上前にはセクハラと云う言葉がなかった。また次の日になると、『オイ、肩もんでくれ』と言って来る。また前の日と同じことの繰り返しが起きる。寮母は地方出身の方で、声掛けには『オイ』と言っていた。僕が結婚するため退寮してからは一度もお会いしていない。
ここ数年、毎年のように、誰かしらの喪中ハガキが来ているような気がする。
何処をどう間違えたのか、最近、水彩画のようなものをやりだした。水彩画のようなものと言うのは、幼稚園児の絵とそう変わりがないからだ。それどころか、同じにしないでくれと幼稚園児が気を悪くするか。特に水彩画の教室に行くなどの、時間的にも制約の有ることは苦手だから、習いに行かない。思い立って好きな時に始めて、描くことに飽きたら止めたいからだ。自分に『 画才 』とか、『 絵ごころ 』が有るかどうかなんて、全く考えない。その時に描きたいものを描くだけ。そこらに放り出しておくから、カミさんは見るだろうが、その他には誰に見せる訳でもないからだ。
思い起こせば、僕の姉ちゃんが小4、僕が小1の時、東京都目黒区の写生大会で、姉ちゃんが優秀賞、僕が佳作で、学校の朝礼の時に校長先生から賞状を貰った。『 天才姉弟 』と云う人は一人もいない。今、思っても、僕は何事においても姉ちゃんには到底かなわない。家に居たとき、宿題は別として、姉ちゃんが勉強していた姿を見たこともないのに、いつも成績が良かった。愚弟は何かといえば比較されて、肩身の狭い思いをしていた。
そんな僕が何となく画を描いてみたくなったのだ。カミさんに言ったら、長男が小学校か中学の時に使っていた水彩の道具をなん戸の奥から引っ張り出して来た。もう30年以上前のものだから、絵の具はほとんど固まってしまっている。チュ一ブの蓋を開けて、穴を開けスポイトで水を挿入すれば何とか使えそうなものも有る。¥100ショップに行って12色の絵の具も買って来た。画用紙は家に有った。
図書館に行って、水彩画のスケッチ入門の本も借りて来た。昨日はコ一ヒ一カップの画を描いた。今までに4枚描いた。息子の水彩画の道具を使って、今迄に掛かった費用は¥110一だけ。別にケチっている訳ではない。高齢者になって、終活して断捨離しなければならない。品物を増やしたくないのだ。
落語観賞も楽しいけれど、水彩画も結構面白いものです。水彩画の方が主体性がずっと高い。今にしてもまだ、自己顕示欲が高い表れなのか。
昨日(10/27)、川崎臨海部の東扇島まで散策に行った。43年以上川崎市に住んでいるが、湾岸線を利用した時以外に、臨海部の先端の東扇島まで行くことはなかった。東扇島は埋め立てで出来た島で、その先はもう東京湾である。良く晴れていましたが霞んでいて、対岸の千葉県の木更津や君津の影が薄っすらと見える程度でした。
東扇島へは千鳥町とこれまた埋め立てで出来た島を経由して海底トンネルを通って行った。その千鳥町と言う島も工業専用地域で、工場や倉庫ばかりで、大型トラック、トレ一ラ一が行きかっている。この地に通勤している人はたくさんいらっしゃるが、居住している方は一人も居ない。
公害の中にも色々な種類があります。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、地盤沈下、悪臭、騒音、振動などがあります。他の公害は被害がずっと残りますが、『 騒音と振動公害 』はその場限りで無くなってしまう、遠くまで伝わらない性質があります。川崎臨海部の工業専用地域は居住者が居ないようにすれば、公害の被害を受ける人が居なくなる。川崎臨海部では『騒音と振動』だけは、公害防止条例の適用除外に成っているのです。
私も川崎臨海部には大きく関係していました。千鳥町の隣に埋め立てられた島に20年以上通勤していたのです。私が勤めていた島にも通勤する人はたくさん居ましたが、コンビニすら一軒もなかった。
昨日行った東扇島ではコンビニを一軒見掛けた。岸壁には大型輸送船に積むように車がたくさん並べて準備されていた。工場や倉庫、大型トラック、トレ一ラ一ばかりの何か、無機的な殺伐とした場所でした。
川崎市は多摩川に沿った細長い都市です。私が住むのは川崎市内にある7区の内、丁度中ほど。臨海部の反対の方の端は、起伏に富んだ緑の多い里山と言ってもよい場所です。今度は反対方向の探索にでも行こうかい。海外旅行に出掛けられないヤッカミではありませんが、海外など遠くに行かずとも、まだ知らぬような場所はたくさん有ります。
世の中、3連休なのである。子供が居る方だと、学校の都合も有るかも知れないが、真面目で仕事熱心で、それほど裕福でなく、幾らか意思の弱い方がこぞって、一斉に連休を利用して行楽に行こうとするから人出が多い。
『 連休だ 』、『 それ、レジャ一だ 』と煽り立てるマスコミに踊らされ易い人が余りに多いのだ。加えて、この夏は猛暑続き、『 そら、熱中症だ 』、『 外出は控えた方が良い 』と外出を控えるよう、テレビ、ラジオが伝えていた。ここに来て涼しくなったものだから、ここぞとばかり一斉に外に繰り出す方々が多い。
神奈川と東京の境の『 小仏峠 』は、行楽地からの帰り車で混雑する定番の場所である。連休の夕方のラジオの交通ニュ一スに小仏トンネルが出て来ない日はない。
弊爺もこの夏の間、暑くてまったく散歩にも出ていなかった。お蔭さんで脚がすっかりなまってしまった。老人の足は常に努力をしていないと、たちまち弱ってしまう。
東京の出身なのに『 井の頭公園 』に行った事がなく、足慣らしに散策に出掛けた。井の頭公園には池が在る。周期は知りませんが、池の水を抜いて『 かいぼり 』をすることで、ニュ一スになる。時々外来生物の駆除をしないと、元々日本に生息していた在来種の生物が消滅してしまうらしい。
井の頭公園は湧水量が多い地なのだという。みなみこうせつさんの歌で有めいとなった、あの『 神田川 』の水源が井の頭公園であることを、当地に来て初めて知った。末には隅田川に合流し、東京湾に注ぐ。随分と樹木の多いところでもある。東京都の公園で、入園料も取らない。憩いの場として人々が集まって来る。
池を一周したら、歩数計の表示は8000歩ほどであった。ジジイの腰は段々痛くなってきた。足でなく腰の方だった。これから帰って家に辿り着くまでには、まだかなりの距離を歩かねば成らない。
昔は老人の娯楽と言えば、温泉に、社寺巡り、お墓参りと相場が決まっていた。今は社交ダンスを初めとしたお稽古事、カルチャ一センタ一でも様々な品目を教えて下さるようだ。加えて海外旅行、大型クル一ザ一による世界一周までお金次第でやってやれないことはない。でも、最後は自分で歩くことが出来る、気力と体力勝負なんだな。
本を読んでいたら面白いことが書いてあった。構成する4つのひらがなの文字は同じで、順番が違う言葉が有る。『 おざなり 』と『 なおざり 』である。どう違うのであろうか。ちなみに、弊爺は紛らわしいから、この言葉は使わない。頭の中で意味がはっきりしないから辞書を引いてみた。
『 おざなり 』:その場限りの間に合わせ。いいかげん
『 なおざり 』:いいかげんに放っておく様子
どうも『いいかげん方面』の言葉であるようだ。おさむ爺は四角四面のジジイだから、縁のない言葉のようだ。ペロ! (舌を出した音)
スマホを持つようになって、もうどれくらい経っているのだろうか? 7~8年と言うところか。仕事をしている時には、通信手段としてスマホは必要だと感じていた。仕事から退いてしまってからもう1年半も経つと、同じようにリタイアしてしまった友と情報交換する程度である。SMSや Line、Mail をしたり、ニュ一スを読んだり、ちょっとした検索をするのが全てで、肝心の通話の回数を考えたら、この1年間に1~2回しかしていない。
契約している通信会社から、機器をグレ一ドアップして欲しいと、更新の誘いなのか何か分からないが、『 お知らせ 』がたびたび来る。ろくに読みもしないで削除してしまう。僕は今持っているスマホが有する機能をどの程度使いこなしているのであろうか。恐らく10%も使えていないであろう。あるいはもっと低くて、全機能のきっと1%程度しか使っていたいのではないかと思う。もったいない話である。情けないと言うのかなぁ。
通勤時間に電車の座席に座って、化粧をしている女性と、真面目くさってゲ一ムをしている姿は、みっともないとの信念を今でも持っている。『 自分はアホです 』と書いた看板を首から吊るしているのと等しい。『 君たちが明日の日本を担って行くのだぞ 』と唱えたところで、徒労に帰するだけだ。スマホの前のガラケ一の時代から、ゲ一ムは一度もやったことがない。電車で座ったら本を読め。
『 何とかPay 』というのも何となくふ安だからやる気が起こらない。
僕にとっては、スマホに限らず、もう新しい文明は要らないよなぁ。正直言って付いて行けないのです。今まで、何とか自分の中に蓄えて来た技法や文化だって、使い切っていないし、何度か使っただけだから、もう既にやり方だって忘れてしまって居る。
これ以上、何かを仕入れたって、僕の脳内にしまっておく場所がない。何か新しいものを仕入れたら、今まで蓄えて来た別のモノがはじき出されてしなうのです。『 家庭の事情 』と言う言葉があるように、それが『 僕の脳内事情 』なのです。
今日、10月01日は、暦の上では『衣替え』です。この日を境に夏ふくから秋のふく装に変更する日であります。今年は衣替えどころか、猛暑日はもう終わりかも知れませんが、最高気温が30℃を越える日がまだ続きそうな様相です。
普通の年ならこんなこともないのでしょう。私は髪など頓着しない性格でありますが、このところ床屋にも行かずに伸び放題になっていた髪を、これから段々寒くなるのに関わらず、昨日、『 3mm坊主 』に刈ってしまいました。とても清清しい。頭を洗うのも簡単です。『 逆衣替え 』に相当するものでしょう。
外観は本人の温厚な性格を鑑みますと、紛れもなく僧侶のようなものです。こういう短髪にして、頭を撫でるとタワシで擦るように、掌がとても気持ち良いものです。
9/25 NHK午後8時から『 鶴瓶の家族に乾杯 』と云う番組で山形県上山市を散策した放送がありました。18年前、成田空港第2タ一ミナルの電光掲示盤6基を作りに、山形県上山市に単身赴任した。上山温泉には旅館が何軒もかたまった温泉街が幾つかあります。『 新湯 』と云う温泉街の裏手のアパ一トで8ヶ月間暮らしました。
休日には一人で所在無く上山市内を歩いたり、大鍋を使った芋煮会を見に行ったり、車で米沢の上杉神社や蔵王のお釜見物などあちこちフラフラしておりました。
アパ一トにはもちろん風呂がありましたが、折角温泉地に居るのだと思って、放送中に出ていた共同浴場にも何十回と入浴に行きました。浴場の内部は改装されていましたが、当時は入浴料が70 円でした。アパ一トから歩いて15分以内の範囲に共同浴場が4~5 軒あったように記憶しています。足湯もあちこちにあって、こちらはもちろん無料です。
放送中に映し出された場所で、位置関係の分かる場所もたくさん出て来て大変懐かった。
一口に山形弁と言っても、地域に拠って大きく違います。地元の人は僕に対しては、ほとんど共通語を話して下さるので困る事はありませんでした。地元の人同士で地方の言葉を話されるのを横で聞くと、これはもう外国語のようなものです。8ヶ月も山形におりましたので、バイリンガルとまでは行きませんが、大分理解出来るようになりました。仕事を終えて川崎に戻ってからも、慣れてしまった言葉がつい出てしまったものです。
番組の録画をしたのは恐らく7月くらいの事でしょう。東北とは言え、上山市は内陸部で夏はとても暑い。それでも、山形の良いところは『 四季 』がはっきりしていること。
11月に成れば遠くに見える蔵王の山々の頂上辺りが雪で白くなり、段々山裾の方に雪が下がって来る。紅葉は綺麗だったし、11月の下旬には平地でも雪が降り始める。
山形に住む人たちは皆さん雪を嫌っていました。私はと云うと降雪地帯の冬は初めての経験です。雪が積もると普通は雪掻きをします。アパ一トは温泉街の裏手で、側溝には温泉の湯が湯気を立てて流れている。そこに雪を放り込めば雪はたちまち消えて流れて行く。でもね、地元の人は雪掻きをやってもやっても切りがなく、慣れ過ぎてしまい、結構無頓着。降る雪の方が圧倒的に多くて、積み上げられ、踏み締められて凍ってしまって春まで消えない。それだけ、サクラの咲く春が待ち遠しい。
『 暑さ寒さも彼岸まで 』と云うけど、まったくそのように気候がガラリと変わった。これまで、夜通しエアコンを点けていたけど、今はエアコンなしで寝ている。9/12は父の命日であったけれど、あまりに暑く出歩くのが億劫で墓参りは、億劫でお彼岸の墓参りと合同でと言う事にさせてもらい、墓参に行って来た。
墓は目黒ふ動尊の近くの墓苑にある。寺町ゆえに仏花を持った墓参の方々が多くいらっしゃる。このから方もきっと涼しくなってホッとしているに違いない。
日除けのために育てて来た『 夕顔 』だが、7月から9月の暑さが続いて来た日まで大きなツボミをつけるのに、ちっとも咲かずに、ツボミのまま萎んでしまっていた。
このところ涼しくなって、やっと4つ白色夕顔が咲きました。花の直径は12cm以上ある。咲きそうだからと、夕方から何度も様子を見に行った。PM8時ではまだ半開き。この画像はPM10時頃のモノです。これじゃ、夕顔でなく、『 夜顔 』だよね。ちなみに我が家の夕顔ではタネは出来ますがカンピョウの取れる実は成りません。
インスリンのふ足や作用の低下により血糖値が高い状態が続くのが、いわゆる糖尿病である。尿に糖が混じりふ潔と云うイメ一ジから、多くの患者らが病めいに抵抗を感じていて、呼称変更の希望が出ているのだという。
今日の新聞に出ていましたが、糖尿病学会が発表した案が『 ダイアベティス(Diabetes) 』である。なんだ、またカタカナ英語かよ。何の病気か直ぐに分からないように、病気のなまえをカタカナ英語に変えれば、体裁が良くなって、症状が改善されるのか? そんな事は決してない?
ちなみに、Diabetes を英和辞典で調べてみた。ズバリ『 糖尿病 』と書いてあった。そうだろうな。単に『糖尿病』という英単語をカタカナ読みにしたに過ぎない。
その他に、今迄にもめい称変更したものがある。
精神分裂病 ⇒ 統合失調症
痴呆症 ⇒ 認知症
ジャニーズ ⇒ なまえを変えそうだけれど、今と成ったらもう困った団体になってしまった。
なまえ変えて体裁が良く成ったのかなぁ。症状が改善されたのかなぁ。糖尿病もせめて日本語でのなまえにして欲しかった。
そうは言っても、おさむ爺も厳しいところに来ている。8月に受けた健康診断の血糖に関する検査で HbA1c(NGSP)と云う項目が有る。基準値 (4.6~6.2%)と云う数値が有り、推奨値は5.6%未満で有る。これが6.5%以上となれば正真正銘の糖尿病なのである。おさむ爺の値は実に 6.4%がずっと続いて綱渡り状態なのであるのだ。困ったモノです。放置しておくと失明にも成り兼ねない怖い病気です。
コロナワクチン接種に際して、1回目、2回目あたりは、皆さん大変な思いをして、接種の予約を取ったものです。コロナウィルスもワクチン接種や治療費、入院費など無償も国にとっては負担が多すぎるとて、無理やり5類に変更した。今はマスク着用や手洗い、ウガイもそれほど厳しく言われることもなくなりましたが、まだまだ決して油断の出来る状態ではありません。
9/20より、1価:オミクロンXBB 1.5というワクチン接種が始まりました。せっかちと言うか、気が早いと言うか、昨日7回目の接種を受けて来ました。自治体のコ一ルセンタ一経由で、接種の予約した場所は、小児科の医院でした。待合室には主に乳幼児とそのママがたくさん。とても賑やかな所でした。もうすっかり忘れてしまいましたが、小児を育て上げるのは、莫大な根気とエネルギ一が必要であると改めて感じた次第です。
今日は接種の副反応で、ちょっと頭が痛く、ダルイ。ダルイのに、トイレの水漏れの対策をして大汗をかいた。(作文練習帳参照して下さい)
ずっと以前はボ一ルペンをあまり好きではなかった。書き始めにインクの溜まりができるし、うっかりペン先を上にして立てておくと、インクが流れ出て大変なことになる。どなたも一度や二度は経験していることでしょう。
以前であれば、ボ一ルペン1本あれば使い切るまで2~3年かかっていた。かかると言うよりは、先端のボ一ルの動きが悪くなって書けなくなったり、紛失してしまって、ボ一ルペンはインクを使い切ることのない物だと思っていた。
今、私に住む地域の周辺には文具店がない。現在住む所に引っ越して来て40余年経つ。以前は確かに商店街に文房具屋さんが何軒かあった。いつしか一軒減り、二軒減りで、私の住む周辺には文房具屋さんは無くなってしまった。
それでは、何処で文房具を買うかと言うと、¥100ショップである。今使っているボ一ルペンは一袋10本入りのインド製のものである。
かつてはあまり好きでなかったボ一ルペンなのに、今では私に関してボ一ルペン以外の筆記用具をほとんど使わない程にまでなってしまった。
尖ったキリの先端を使って、ボ一ルペンの胴体に使い始めの日付を刻み込んでいる。1本をおおよそ15~20日間で使い切る。実は毎日かなりの量の文字を書いている。前回買った10本入りの袋の中で、途中で使えなくなってしまったものは1本もなく、10本とも全部インクを使い終わった。
今日、新しい包装袋の1本に手を付けた。¥100ショップのボ一ルペンとて、決して侮れない。町の中から文房具屋さんが無くなってしまうのは仕方ないのか。1本当たり10円のボ一ルペンが滞りなく使えるなんてスゴイ。小売価格で1本あたり10円である。SDGsの話になるが、生産者の手取りは極めて低いに違いない。
9/13、内閣改造と自民党役員人事の発表がある日であった筈だ。ところがもう、9/12の内に人事の内容は既に全てが分かってしまっていて、9/13の朝刊には写真から経歴まで一覧表になっていた。まったく茶番だね。
自民党内には幾つ派閥があるのか良く知らないけれど、数えてみたら7派閥以上はありそうだ。まあ、満遍なく各派閥とも役職にありつけているのではないか。 自民党と言えども、考え方が違うから分かれているのだろう。考え方が皆同じならば、分かれて派閥を組まなければ成らぬ理由はない。それとも、人はとかく徒党を組みたがるものだから、単に強そうな親分の下に集まっているのかも知れない。
○○派閥は『自国の防衛』について、△△派閥とは考え方がこの点で違うと云うように、色々な政策について微妙なる考え方が有るに違いない。一度、派閥ごとの考え方の違いの一覧表でも作って頂けるとありがたいものだ。政党でなくても、新聞社でも出来るのではないか。お願いしたいね。
コロナワクチンの無料接種の案内が郵送されて来た。私はもう7回目の申し込みとなる。早速コールセンターに申し込みのTELを入れた。申し込み開始は9/15からなのだと。接種開始は9/20からだそうだ。ワクチン接種をしておけば、感染し難いとか、感染しても症状が軽いと云うならまあ、ワクチン接種をしておこう。
子供たちの夏休みと月遅れのお盆近くのこの時期には、多くのご家庭でもそうであろうが、孫2人(小4、小1女児)とそのママが2泊3日で泊まり、つい先ほど帰ってホッとしたところです。普段、大人3人暮らしの家で、女児2人がかん高い声で騒いでいるのにはちょっと閉口するが、まあ、たまにのことである。その点、ママは慣れていて、平気な顔をしている。
考えてみれば、自分たち夫婦も3人の子を育て、同じような行程を踏んで来た筈である。あの頃は僕らもまだ若く、一生懸命子育てをして来た時期なのであろう。
男児と女児では著しく成長する時期が違う。男児は中学生以降に大きく成長する。女児は小学生高学年から著しい成長が始まる。小4女児は成長のハシリなのか、以前に比べたら驚くほど食べる量が増えた。
昨日、小4とママとで買い物に行っている間、小1はバアバとジイジとお留守番。姉妹でいる時はいつも一番煩く、家中を駆けずり回っている子が、まるで借りて来た猫、夜店のヒヨコのようにおとなしくなって、一人で夏休みの宿題作品の製作をしていた。小4の姉が帰宅するやいなや、今までの静けさは何処かにすっ飛んでしまった。
こんな小4と小1の女児だが、まだ2人だけでは『お泊り』出来なさそうだ。
毎日、暑いです。我がパソコン部屋にはエアコンがなく、正確に言えば壊れて更新していないので使えない。この暑さではとてもパソコン部屋に居られず、しばらくHPも更新していませんでした。訪問して下さる皆様には、大変申し訳ない事です。今は温まった空気を扇風機でかき混ぜてパソコンに向かっております。
中古車大手ビッグモ一タ一が自動車保険金ふ正請求問題で、社長の報酬全額1年間返上、その他の役員もそれぞれ減額と言う報道があった。そんな報酬の返上したって何になるの? 役員に対して報酬を支払わないと言うだけで、社会的制裁を受けた積もりなのか。会社の評判は大いに落ちて売り上げ減少必至ですが。会社が報酬を支払わないのですから、お金の面で会社自体に何もそん害がない。
組織ぐるみの犯罪なのだから、返上した報酬分の全額を何処かの福祉関連にでも全額寄付するというならまだ理解出来るが、役員の報酬返上くらいでニュ一スに取り上げるほどの事はない。
源氏物語の『 夕顔 』とは何の関係もないのですが、我が家の夕顔も毎日大きなツボミを付けております。ところが、ツボミは付けども花咲かず。ツボミのまま翌日には萎んでしまう。一体、どうした訳でしょうか? ジジイは別に何かを象徴して考えている訳ではありません。
昨年もそうだったのです。花が咲き始めたのが8月に入ってからだったのです。
朝顔、昼顔、夕顔とありますが、昨年の経験に拠りますと、夕方に咲かずに午後8時頃になってやっと咲く。これじゃ『 夜顔 』だね。今年育てているモノは、タネを蒔いて育ててきました。大輪の朝顔より一段とスケ一ルが大きいなと思うくらいの花を咲かせました。今年も期待しております。
夕顔と言えばカンピョウの原料ですが我が家のモノはタネを付けてもカンピョウと成るような実は付けません。実は成らずとも早く咲いて欲しいものです。
米飯の民族なのに、恥ずかしながらこの歳になるまで、お米の胚芽を実際に見たことがなかった。もちろん胚芽入りご飯とか、胚芽入りパンが有ることは聞いたことがあります。胚芽は長さ1mmくらいの半透明の白い粒でした。
玄米を精米するとヌカと共にお米から脱落してしまう。精米された白米の粒を良く見ると、何かが欠けたような痕跡がある。家庭用の精米機の説明書をよく読んだら、ヌカの中に胚芽が紛れ込んでいて、ヌカと胚芽を分離する方法が書いてあった。胚芽はわずかしか取れない。2升の玄米を精米して31gの胚芽しか取れなかった。
胚芽入り自家製パンを食べた。ひいき目に、なんとなく美味しいような気がした。
夏越しの大祓え (なごしのおおはらえ) と言う神事のようすを見に神社まで行って来ました。大祓えとは、夏越しの時期 (六月晦日) と、年越えの時期 (十二月大晦日) の年二回、日常生活を過ごす中で犯している罪穢れ(つみけがれ)をお祓いする大切な行事です。神職がお祓いをしながら、大きな輪をくぐり、参拝者も神職に続いて、輪をくぐって罪穢れのお祓いをして頂く神事です。
その神事は午後4時から始まるのです。4時は誠に勝手ではございますが、所用がある故、参列できません。神職のお祓いナシ、まったくの自己流にて輪をくぐり、その後は普段通りに拝殿にて、お賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二礼、二拍手、一礼で参拝して参りました。
夏越しの大祓えとしては、全くそのルーティンを無視しておりますが、どうか、今年前半に犯した罪穢れをお祓いくださいますようお願い申し上げます。神様はそれほど融通が利かない訳でもありますまい。度量が大きいこそ神様として崇め奉られているのです。お願いします。
昨日、区の市民館で開催されている『サ一クル祭』を見に行って来ました。学生で言えば文化系の部活のようなもの。仕事を辞めていますから、少しでも社会的に繋がっていたいと、自分に出来そうなサ一クル活動がないか探しに行ったのです。
『切り絵』、『タロット占い』、『パソコン相談』、『歌声の集い』、『俳句研究』、『民謡、尺八』、『日本舞踊』、『大正琴』、『フラダンス』などなど、たくさんのサ一クル活動がありました。
『サ一クル祭』の開催を予め知って、声を出す『朗読』のようなものが良いかなと思って、市民館まで行ったのです。朗読の会の催し会場では、丁度1時間を掛けて、ヘミングウェイの『老人と海』の朗読を、6人の女性が分担して頑張っていました。すばらしいものです。肺気腫の私にはとても息が続きそうもない。そんなに甘いものではなかった。
他の部屋で初めてタロット占いと云うのもやって頂いた。過去、現在、未来の3枚のカ一ドの図柄と、カ一ドの向き(絵の上下)で判断するカ一ド占いなのだそうだ。プロの占い師でもアマチュアでも、カ一ドによる判断内容の基本部分は同じある。プロとアマでは、基本部分をどのようにアレンジして、相手に伝えるかの話術の優劣が有るかなのだと言う。
『六白金星』、『五黄土星』・・・・などの生まれた年の星で、相手との相性を統計的に調べて、相性占いするのも調べて頂いた。順番を待ちながら、私の前に居たオバサンの様子を聞いていた。星の上でのご亭主との相性を言われて、そのオバサン曰く、亭主は大酒呑みで、呑めば暴力をふるうダメな人間だとしきりに訴えて、相性が良いと言われていることにしきりに反発している。聞いていて、そんなに悪いなら、離婚すれば良いのにと思うのだが、離婚に踏み切れない良い所が何処かに有るのかも知れない。
ちなみに私と言えば、占って頂いて話を聞く分には大変面白くて占いは好きです。その結果を以って、行動が左右されると言う事は全くない。話は面白いけど、全く信じていない。
『性自認』に関する表現を衆議院内閣委員会で審議し、『ジェンダ一アイデンティティ一』と表現すると決めたのだと。『性自認』とも、『性同一性』のいずれにも訳せるからだと言うのが理由らしい。正直な感想を言えば、アホかいなと思う。何でもかんでもカタカナ英語に直せば良いと考えるのが可笑しい。日本語で書けば良いのに、カタカナ英語にすることによって物事を曖昧なものにしているに過ぎないと思う。
マイナンバ一で都合の悪い部分がたくさん発生して来ているようだ。河野担当大臣の発言があって、
*まず、今起きている事案の対応をしっかりやりたい。⇒当然ですね。お願いしますよ。
*『当然、責任は大臣たる私にある。何らかの形で処分をしなければいけない』と言っている。⇒自分で自分を処分するなんて・・・・⇒おさむ爺はこういう考え方嫌いです。もちろん、大臣に責任を感じて頂けなければいけません。まだ原因と対策を考えていかなければならない段階で、河野大臣が『責任は俺にある』と言ってしまうと、この事案に関わったふ具合の原因を起こした人たちから『反省する機会』を奪ってしまい、責任が希薄になってしまう。
大臣は『旗振り』、『司令官』に過ぎない。本当のふ具合の原因を作った人たちは
*システムの設計をした人、家族口座ではダメと考えなかった人
*システムのプログラムを組んだ人、システムの運用テストをした人
*システムのプログラムがこれでOKだと認証した人たち
*個々の人たちを相手にデ一タ入力した人たち
*その他システムを運用に関わって、ミスした人たち
etc. なのでありますよ。
たくさんのミスした人たちが居るのに、河野親方が『旗振り』の仕事しかしていないのに、『俺の責任だ』と言ってしまうと、個々の担当者の反省すべき機会を奪い、個々の担当者の責任が希釈されてしまう。
6月から電気料金が上がるのだという。梅雨が明ければ本格的に暑い夏が始まる。明日から雨だと言うから、良く晴れている今日、脚立やら、雑巾、掃除機などを取り出して来て、3台のエアコンのフィルタ一掃除をした。台所のエアコンのフィルタ一に一番ホコリが溜まっていた。
カミさん:『台所のは一番最近買ったから、今迄一度もフィルタ一掃除をしていない。』
おさむ爺:『最近買ったって、いつなんだ?』
カミさん:『十年以内・・』
おさむ爺:『・・・なるほど・・・』
小田急線の相模大野駅下車、女子美術大学行きのバス終点まで乗って、相模原公園の菖蒲園まで行って来た。
女子美術大学行きの平日のバスだから、女子大生が乗っているのは当たり前だけれど、バスはかなり込んでいて前後左右とも女子大生ばかりである。困ったものだ。嬉しいものだか? ジジイと言えど、間違いが有るといけないから、ずっと両手を上げて、天井の手すりのパイプを掴んでいた。
それにしてもたくさんの女子大生が美術の勉強をしてどうなるのだろうね?デザイナ一やイラストレ一タなどでもそんなに働き口があるものなのか?もっとも、噺家の林家たい平さんのように、美術大学を卒業して落語家をしている人もいるのだから、私が心配することではないな。
以前、私の勤めて居た工業団地の事務局に、東海大学の教授が引率して学生が工場見学に来た。丁度夏場で、今時の女子学生は結構薄着で大胆な格好をして来る。こんな状態を毎日のように見ていて、教員が女子学生にセクハラ行為をしたら、直ちに糊口を失ってしまう。蛇の生殺しの様で近頃の大学教員も大変だ。
肝心の菖蒲園の方は今が丁度見頃で良かった。今年はサクラ、ツツジ、アジサイと見に行ったのが、丁度花の最盛期を外れてしまっていた。今日のアヤメはGood!
カキツバタ、アヤメ、花ショウブと似たような花のモノばかりである。菖蒲園に花の見分け方を描いた掲示が出ていた。それでも実際の花となると、種類を見分けるのは難しい。花に限らないのですが、リタイアした老人の利点は平日の混雑していない状態のところで、見物出来ることを実感しますね
図書館に行こうと家を出ようとした時に、嫁いだ長女からLineが来た。
『結婚記念日おめでとう。今夜はお赤飯と筑前煮ですね』と書いてある。
我家では結婚記念日と言うと、晩ご飯はお赤飯と筑前煮とメニュ一が決まったいるかのようだ。子供が3人居て、一時は父母とも同居して、狭い住居に7人家族で暮らす時もあった。結婚記念日だからと言って、みんなで外食するほど余裕がなかったのであろう。自然と、結婚記念日の夕飯のメニュ一はお赤飯と筑前煮が定着してしまった。
今朝、台所で小豆を水に漬してあるのは知っていた。カミさんに長女から『お赤飯と筑前煮だろう』と言うLineが来たと言ったら、お赤飯の準備は考えても、筑前煮の用意は考えていなかったようだ。
図書館に行った帰りに、食品ス一パ一でハスとシイタケを買っていた。父母が亡くなったり、長女と次男がそれぞれ家を出て、一時の7人家族も今や3人に成ってしまった。それでもどうやら、今夜の夕食はいつものようにお赤飯と筑前煮となるようだ。
被爆地に 武器を求めて ゼレンスキ
川柳の約束事が有るのかどうか知らない。ただ575を並べただけの川柳です。とは言え、G7開催中に武器提供を求めて乗り込んで来るのは効果がある。G7の他にも招待された国々の首脳も来ている。今迄、何も支援していなかった国でも、出席した周りの首脳が応援している中で、何もせずに、一人取り残されるのも勇気が居ることだ。雰囲気作りも大変な演出力なのであろう。
戦争のための武器調達に被爆地を訪れるなんてと思う反面、非情な侵略を受けて入る国の大統領を咎めるのも酷な話である。
どうしたら良いのか分からないけれど、早く戦争が終わって欲しい。新聞代を払いに行ったら、今月の支払い分から随分と値上がりしている。
花は好きですが、私は花の咲く時期を見極める能力に欠けているようだ。我家の赤紫色のアジサイがソフトボ一ル大でもう1週間以上前から咲いている。昨日、そして今日と雨模様でアジサイと雰囲気が合う。
花屋さんで売られているような大輪のアジサイよりも、『額アジサイ』や『山アジサイ』のように可憐に咲くアジサイが好きだ。昨日(5/19)、高幡ふ動まで『山アジサイ』を見に行った。結果はまだ、時期としては1~2週間ほど早そうだ。時期の見極めがハズレ。
ちょっと前のツツジの時もそうだった。ツツジ寺として有めいな等覚院に行った時は遅過ぎで、ほとんどのツツジは咲き終わっていた。実は昨年は早過ぎて、寺の方に聞いて、言われた時期に行き直したのです。今年はサクラもそうでしたが、全般に花の咲く時期が早まっていて、ツツジ寺にはほとんど人が居なかった。
雨が降っていたせいか、高幡ふ動のアジサイもまだまだと言うところでした。
人は何も考えずには生きてはいけない。天気の良い日に、何も考えずに丘の上に腰をかけ、穏やかな海を眺めながら、のんびりしようと思ったって、過去の嫌な出来事のことや、今取り掛かっている仕事の構想などなど、いろいろな事象が自然と頭に浮かんで来てしまうものなのである。
風もなく新緑の季節に、広大な牧場で牛が草をはむ場所を設定されようとも、他の人はともかく、私に関しては何もかも忘れて、頭の中カラッポというわけにはいかない。まあ、貧乏性なのであろう。
私とて、将来に希望を抱くとか、あるいは過去の思い出に浸ることで、変わり映えしない人生を送るについての元気を与えられる。若い人なら希望を抱くことが出来るが、歳を取ると思い出に頼るしかないのであろうか。
座右の銘のようにして、『他人と比較してはいけない』とは思っている。だが、他の人の行動を参考にするのはOKではないかと、色々口実を付けるのである。それもダメというのなら、何処かの高山にでも籠もって仙人のように霞でも食って暮らすしかない。
昨日(5/12)に学生時代の友2人と4時間ほど懇談してきた。2人とは学生時代に隠岐の島を含む山陰地方に、寝袋とフランスパンを持って貧乏旅行をした友である。今はもう出来るのかどうか知りませんが、ステーションホテルと称して、駅待合室で寝たルンペン仲間である。
友2人と会って話をしたかったことは、『日常生活で何をやって過ごしているのか?』、『ボケないように日頃から努めていることがあるのか?』が主な点であった。
両君はもう既に仕事からはリタイアしている。2人とも日常、ウォ一キングをやっていることであった。1人は10000/日以上歩くそうで、朝6時半には始動すると言う。毎日10000歩は辛いのではと尋ねると、習慣と成れば大丈夫。何かの都合で2~3日休んでしまうと、再開した日がきついとのこと。やはり、『継続は力』なのか。他には特に何もやって居なさそうだ。
もう1人の友も10000歩とは言わぬが、継続して歩いているとのこと。他に”数独“を解くのを趣味としているようだ。私のようにボケ防止に午前中は『漢字の書き取り』、『算数の計算ドリル』、『英語の構文の書き取り』をやった後、新聞を読んで午前中を過ごす人は居なかった。私がボ一ルペンを20日~30日で1本使い終わると言ったら呆れていた。机に向かい、何かをして時間を過ごすことはやっていないようだ。私が午前中、机に向かうのは、『私が信じるボケ防止策』なのである。友の2人が信じることは『ウォ一キングであったり、数独』なのである。自分がボケて認知症となるのは構わないが、それによって周りの方々に迷惑を掛けるのが嫌なのであります。
コロナ禍で3年ほど休止していた小学校のクラス会開催の連絡が来た。こちらも同世代の人々の情報収集のチャンスである。あくまでも『比較』でなく、『参考』ですからね。
年中遊休のおさむ爺にとっては連休とて何の意味もないのだが、大型連休が始まった。川崎市内の“とどろきアリ一ナ”で、『大相撲 川崎場所』を行うと云うので事前申し込みをして見に行って来た。
久方ぶりに横綱 照の富士の姿を見た。土俵入りも取り組みもやっていたから、来場所は出場するのではと思われます。
大声で声援を送ったものだから、後できっと喉が痛くなるに違いない。
プログラムの空き時間に“本場所のない普段の日の力士の生活”や、“力士に成ることが出来る体格の基準”などを館内放送していた。体格の基準に拠ると『身長167cm、体重67kg以上』なのである。力士になる体格基準はもっと高いのかと思ったら意外で有る。
今、おさむ爺は減量を試みているから、ほんのちょっと足りないけれど、普通に食べていれば、おさむ爺の体付きで相撲取りに成れるなんて驚きだ。30歳過ぎまでは48kgくらいしかなかったから、力士には到底成れなかった。
プログラムが始まる前に、力士と一緒に写真を撮る機会を設けてあった。おさむ爺は4人の幕内力士と写真を撮らせて頂いた。中に好きな力士に巡り合うことが出来た。
新入幕と成る時に笑顔の面白い力士が居たのが、『隆の勝 関』である。一緒に撮影して頂く時に、『 隆の勝スマイル 』でお願いしますと、リクエストした写真なのであります。
新型コロナウィルスの感染法上の分類が、5/8より『2類』より、季節性インフルエンザと同じ『5類』に引き下げられることが決まった。ここでは引き下げられると扱いがどうなるかなどは書きません。新聞を読む方が正確だからです。
さりとて、新型コロナウィルスは感染力が強い。第9波が来るのではないかと心配する医療関係者の方もいらっしゃる。このところの感染者数の推移は、前週の同じ曜日に比べて多くなっているとの由である。ゴールデンウィ一クで皆さんが開放的になって行動することを思うと心配なところであります。
4/26に『新型コロナワクチン追加接種の案内』が郵送されてきた。今回接種すると6回目となる。分類は5類に移行するものの、今年はまだワクチン接種を継続すると云うわけである。5/8より接種を開始するのだが、対象は高齢者、基礎疾患を持っている方、医療従事者などと、接種対象が限られている。高齢者などは5月からと、9月からの2回/年、それ以外の方々は9月からの1回となります。
川崎市に限ってかどうか知りませんが、今回から大型接種会場はなくなってしまった。地元の医院やクリニックなど近くの接種を行っている医療機関を探さなければいけない。昨日(4/27) は、木曜日でクリニックは休業のところが多く、個別の医院・クリニックに予約の問い合わせをすることが出来なかった。
カミさんは普段通院しているクリニックが個別接種実施場所となっているから、そこで接種の予約をすると言っている。おさむ爺の通っている医院は、『ノバ・バックス』というファイザ一やモデルナとは、ウィルスを防ぐ方式が違うワクチンを接種している医院なのです。ファイザ一やモデルナのワクチンが体質的に合わない方には『ノバ・バックス』が良いらしい。おさむ爺はどうでも良い、いい加減な体をしているので、接種してくれる医療機関を探さねばならぬ。
朝(8:30)から『予約コ一ルセンタ一』に何回も電話した。こういう電話は、いつも例に拠って、『現在、電話が大変混みあっております。しばらく経ってお掛け直し下さい』なのである。
それでも、総計30回くらいは電話を賭けただろうか? 無料通話だし、『再ダイヤル』の機能を使うから、電話機の前にずっと張り付いていたわけではない。16:30頃にやっと通じた。最寄り駅の傍の『○○こどもクリニック』に、5/8の10:30の予約が取れた。
『ヤレヤレ』である。もう長い間、生きたなと思う一方で、まだ命が惜しいらしい。
アメリカのバイデン大統領が彼にとって、2期目となる民主党内の大統領候補として立候補を表明した。どうも呆れ返ったものだ。彼が再び大統領になったとして、2期目の大統領の職務の開始は82歳で、完了時には86歳となる。私の周りに居る82歳や86歳くらいの人と対比したら、米国大統領として、とても国内外を飛び回れる体力と知力を維持し続けることが出来るとは思えない。
ハリス副大統領も影の薄い方で、目立って政治活動されているようには報道されていない。米国大統領の高齢化を心配すると共に、民主党にバイデン氏に代わる、有力後継者が現れないのは情けない。
それでは共和党はどうかと云うと、共和党でも、高齢化が心配だ。トランプ前大統領とて、若いわけでは決してない。日本の言い方では既に『後期高齢者』なのである。先日、共和党の大統領の候補者として、なのり出たロン・デサンティス フロリダ州知事が来日して、福田首相と会談していた。彼とて共和党内での支持率はトランプ氏にはとても及ばない。
民主党、共和党共に今のところは、高齢大統領候補しか居ないのは甚だ情けないことだ。先代が強くて、後継者がなのりを上げ辛い体制になってしまっているのか?何と弁明しようが、高齢大統領の影響は必ず有るに違いないと思う。
将棋の天才藤井聡太さんが、8冠タイトルある内の7冠を取得するような勢いだ。将棋界にも20代から30代前半の棋士が他にも居ると思うのだよ。そうした人たちは何をやっているのだろう? 藤井さんはAIで研究しているのだろうけれど、他の棋士の方だって同じだろう。
藤井さんが7冠や8冠を取った姿は見たいけれど、それでは他の棋士の皆さんが余りにふ甲斐ない。『タイトルの一極集中』より、タイトルを複数の方が分け合い、切磋琢磨して競い合う姿を見たいな。他の棋士の方々の奮闘努力を切望いたします。それが健全の姿であろう。
新型コロナウィルスの『接種券』が郵送されてきた。3月くらいの時点で、5月8日より接種が開始されると新聞に載っていた。接種券が郵送されても別に驚くわけでもなく、『ああ、また来たんだな』と思うだけだったけど。
5月からの接種は高齢者と基礎疾患の有る人だけで、それ以外の一般の希望者は9月以降の年1回の接種になる。高齢者と基礎疾患の有る希望者は5月からと、9月からの年2回接種を受けられる。
以前ほどではないが、テレビのニュ一スで感染者数が増えてきているようだから、コ一ルセンタ一に連絡して予約を取ろうと思っている。政府は医療費の公費負担を考えて、新型コロナウィルスをインフルエンザ並みの『5類』にしたが、5月連休後にまた第9波が来ないことを祈ります。 おさむ爺は無理のような気がするなぁ。
昨日の天気予報で、今日(4/19)東京は夏日になるとの予測だったと思う。髪が伸びて甚だ暑っ苦しい。前回床屋に行ったのが2月の初めだったから、2ヵ月半ほどになる。この際、『夏バ一ジョン』にしたい。
『3mm、坊主でお願いします』と床屋のオバサンに言う。
『朝起きて夕べに顔は変わらねど いつの間にやら年は寄りけり』
『善悪のうつる鏡の影法師 よくよく見ればわが姿なり』
道歌と言います。五七五七七 ですから、短歌の変形したもので有りましょう。昔から言い伝えられたものです。鏡を見ていると、耳が被るほど伸びていた髪が電気バリカンで見る見るうちに刈られて、瞬く間にお坊さんの頭のように大変身しました。髪の有るのと無いのでは感じか全く違う。『とても若く見える』と床屋のオバサンが云うのは、商売上の社交辞令であろう。まあ、自分でもスッキリして満更でもないと思うけどね。
毎年のように『夏バ一ジョン』にしていますから、別段珍しいこともないのですが、やはり1年ぶりとなると懐かしいものです。
床屋さんのドアを出て、まずやったことは、掌で頭を撫でること。タワシで掌をこすって居る様で、掌がとても気持ち良いものなのです。
マイナンバ一カ一ドをやっと受け取った。要領よくやれば、概ね1ヶ月で入手可能のようにパンフレットに書かれている。ノロマの亀がやると、なにかと紆余曲折があって、4ヶ月ほど掛かって、やっとカ一ドだけ入手した。マイナポイント付与手続きには、また明日区役所まで行こうと思っている。
自分で写真を撮ったのがそもそもの間違いだった。昨年、写真を撮り、書類を記入して、郵便ポストに投函したのが昨年12/5だった。セルフタイマ一で撮った私が素人だったものだから、眼鏡の片目に光が反射して、再提出の判定を受けて、書類が戻って来た。
それではと、眼鏡を外して再度撮影、書類も書き直して投函したのが12/24である。最初の時に、3人同時に書類を投函したカミさんと長男の分については、1ヶ月半ほどの期間で『交付通知書(はがき)』が届いた。
再提出した私の分については、再提出から2ヶ月経過後も『交付通知書(ハガキ)』が届かない。どうしたものかと、パンフレットに書かれていた総務省の『お問い合わせ』番号に電話した。この手の電話は中々通じないのはご存じの通りであります。やっと通じて、音声ガイダンスに従いどうにかオペレ一タ一に繋がった。
なまえ、住所、生年月日など必要事項を聞かれた後、暫く調べて下さっている時間経過後、もう既に国がやらなければいけない仕事は終わっていて、次は地方自治体がやらなければいけないことになっている。もう国の作業の手は離れているので、今度は自治体に連絡してくれと言われた。その時、区役所かと聞いたら、『そうだ』との回答だったので、区役所に電話した。川崎市の場合は川崎市が一括して作業しているから、『川崎市の担当窓口』に電話してくれと言われた。電話番号も教えて貰った。
『川崎市のマイナンバ一カ一ドコ一ルセンタ一』に電話すれば、例に拠って『電話が大変混みあって居ます』の案内が流れていて中々通じない。30分位待っただろうか、やっと通じて、ここでもなまえ、住所、生年月日を聞かれ、暫く調べに言った様子だったが分からず、『調べてから返事します』とのこと。当然、パンフレットに概ね1ヶ月で『交付通知書(はがき)』が届くと書いて有るじゃないかと文句は言ったが、そんな事言ったって、惨めなことは明らかだ。
『調べて返事します』の回答貰うまで、土日を挟んで5日掛かった。回答は『3月上旬にお手元に届きます』と随分幅のある回答だった。確かに3月上旬に届いたよ。
それから交付場所に行くのが次のステップなのだが、ただ単に行っても長時間待たされるのだという。予約をしてから来て頂くと待ち時間が少ないとのことで、パソコンで予約した予約日が今日(4/11)で、やっとマイナンバ一カ一ド成るものを入手いたしました。
再提出の投函してから、3ヶ月半掛かった。マイナポイントの手続きの準備をして行かなかったので、明日また手続きに行ってきます。
行政の仕事に間違いが有ってはならないのですが、お役所の仕事はとにかく長い時間掛かる。やれやれ。
今年は史上最速で東京では 3/14 にソメイヨシノの開花宣言があった。普通、開花より1週間か10日で満開となるという。昨日(3/29)夕方に散歩に行った際、確かに花びらは落ちていましたが、大部分はまだしっかりとしがみ付いていてお花見は十分可能な状態でした。
もう少し経てば、サクラ吹雪となって、遠山金四郎の彫り物の図柄の題材となったり、在原業平の歌『世の中に 絶えてサクラの なかりせば 春の心は のどけからまし』状態となるのであります。
そのサクラの花びらが流れの穏やかな川面に一面に浮かべば、いわゆる『花筏(はないかだ)』と言われるモノになるのであります。
落語好きのおさむ爺にとって、『花筏』はもう一つの意味がありました。落語の演目の一つであって、相撲取り、”関取の四股な”なのであります。
『提灯屋相撲』とも呼ばれ、関取の花筏が病気になり巡業に出られず、顔や姿が似ているからと言って、『相撲はとらない。土俵近くに座っていれば良い』と云う約束で、花筏の代役で提灯屋が巡業に出掛けた騒動であります。
大体、噺の設定がデタラメだよね。普段体を鍛えている相撲取りと、そうでない提灯屋は太っていたかも知れないが、体がブヨブヨであろう。提灯屋が花筏の代役を演じられるわけがない。相撲取りの花筏はなまえは艶っぽいかも知れないが、多分無骨であろうから、なまえが相応しくないね。ちっとも強そうでない。
朝から晩まで、更には一夜明けても、新聞のテレビ版は『WBC世界一』、『侍ジャパン』、『侍J』ばっかり。もっとも、結果が分かったから、僕はテレビなど見ないけどね。 選手たちの何処が、何が『侍』なのか? 単に『侍』とな付けただけで、侍とは何の関係もないのではと思う。
浮かれている場合ではない。統一地方選の選挙運動が始まった。立候補者が何をやろうとしているのかの政策と、旧統一教会の関連もよく見極めなければならない。選挙が違うけれども、せっかく投票してもガ一シ一議員のようにまるで票を捨てるような結果にはなりたくないもの。
ところで、旧統一教会の『質問権』の話はどうなったのだろうか。何回も質問権の行使を重ねているようだが、最近めっきり報道されなくなってしまった。”熱し易くて、覚め易い性格の国民性“だから、このまま静かに下を向いて大人しくしていれば、国民はみんな旧統一教会の事など忘れてしまうのではないかと、議員の先生や教会関係者は期待しているのではないのかなぁ。
宗教団体では何らかに形で寄付行為が欠かせない。政権与党に宗教色の有る党もあるから、旧統一教会を責め揚げると、やぶ蛇となることを恐れて、WBCなどで国民の関心を別の方に向けているのではないかと思うのは、ジジイの勘ぐり過ぎか。
お彼岸で墓参りに行った。墓参のついでにサクラのめい所の目黒川沿いを歩いた。サクラの開花状況も木の個体差が大きい。満開に近い物がある一方で、ほぼ大部分の木は未だチラホラ開花と云う状況であった。土地にふ案内の方には申し訳ありませんが、東急目黒線 ふ動前駅より、東横線 中目黒駅まで歩いたことになる。家に戻った時点で、スマホの歩数計は10000歩を越えていた。
午後3時からは、学童の通学路の巡回に参加したから、合計で17000歩を超えてしまった。
年配者には還暦とか、古稀、喜寿、傘寿、・・・・・と言った『年齢の節目』があります。僕はもう『古稀』をとっくに越してしまっている。医学が発達して来て、この年齢まで生きる人は『古来、稀れ』どころか、世の中は数え年70歳(満69歳)を越えるなんて当たり前の事となった。(還暦は数え年61歳で、古稀以降は皆、数え年で祝うものです。満年齢では有りませんからね。知らないと恥かきますよ)
古稀とか喜寿・・・・と言った『年齢の節目』は単に長寿を祝うためのモノではないのではと思うようになっている。今日は自分でも、無理して17000歩も歩いてしまった。平気を装っていたが、5000歩も歩かぬうちから、足が与太って来ているのを自覚し、転ぶことはなかったけれど、ちょっとの段差にもつまずいたりした。
『年齢の節目』は体が自由に動かなくなった合図であり、バランス感覚の衰えの警鐘であるに違いない。くれぐれも自分の身体能力を過信しないように。高齢者はみな、『こんなはずじゃなかったのに状態』に成っているのだから。
『ツクシ誰の子スギナの子』 散歩の途中にツクシを見掛けた。もうそんな時期なのかと思う。そう言えば、ツクシもあまり見なくなってしまった。43年位前に今住んでいる所に引っ越して来た。当時はまだ、周りに田んぼや畑があったから、ツクシはもちろん、我家の猫額の庭にもアマガエルが出張してきた。
長女はまだ2歳だったから、手を繋いで散歩して、ツクシを摘んだっけ。
今日、小学校の校舎脇の鉢にはチュ一リップが咲いていたなぁ。歩いていると、春の花が次々と咲き出しているのに出くわす。春は情緒ふ安定になるので苦手ですが、もう、春なのだ。嬉しくもあり、嬉しくもなし。
昨日、散歩していたら、3人の子を連れた大柄な若いお母さんが飲料の自動販売機の前に居た。一番大きい子で5歳、他は3歳、1歳半といったところか。一番下の子はベビ一カ一に乗っている。僕が歩きながら見ていると、
『みんなが好きなものを、1本だけ買うからね』
とお母さんが言っている。こんな年齢の子供たちばかりなので、それぞれの子に1本ずつ買っていては飲み切れないからなのだろう。飲料の量とすれば、水筒のカップにでも分けてみんなで飲むので丁度良いのであろう。微笑ましくなってしまった。小さい子ばかりでお母さん大変だろうと思う。心の中で思わず、『頑張ってね』と応援してしまった。
僕が子供の頃、やはり3人姉弟であった。まだ、日本中がみんな貧しかった。たまに、祖父が三ツ矢サイダーを買ってくれた。1本のサイダ一をコップ3つに分けて、どれが多いの、少ないのと言いながら飲んだことを思い出した。
今、僕ら夫婦の子もみな成人して、孫ですら昨日散歩の時に見た子供たちより大きくなっている。
リタイアしてしまって、健康維持のためと称して散歩もしなければいけない。成人してそれぞれに家庭を持っている子供たちと、一緒に散歩をする機会などもう無いだろう。
『大変だったけれど、子供が小さい時が一番良かったかな』とも思う。子供が小さかった時には、当たり前だけれど、僕ら夫婦も若かった。
川崎市中原区、高津区、宮前区は史蹟が多く点在する地域です。以前より従姉に誘われていて、昨日(3/12)鎌倉市市民活動センター国宝史蹟研究会の活動に臨時参加させて頂いた。川崎市内の常楽寺(マンガ寺)、春日神社、影向寺に行って来ました。
先導の先生の交渉のお陰で、影向寺では特に普段は見られない本堂内部や収蔵庫内の木像薬師如来や、両脇の日光菩薩、月光菩薩まで住職の解説付きで見せて頂きました。40人もの見学者を前に、住職はノリノリで、隅から隅まで解説して頂いたものですから、予定時間が大幅に遅れ、影向寺以降行く予定でありました、社寺訪問は取り止めになってしまった。
88歳の老住職も良く話を聞いて貰える聴衆を前にすると、調子が上がってしまって、木に登ってしまうものだと終わった後、皆で談笑。住職、きっと晩酌が進んだに違いない。
昨日の史蹟研究会の活動参加者はいずれもジジババで、よくもまあ、40人も集まったものです。影向寺は丘陵地にあり、急な坂道を登らなければ成りません。皆さんお元気なものです。
私は町会でやっている学童の通学路の巡回に参加していて、影向寺はいつも近くを通っている地域でした。改めて住んでいる地域のことを知ることができました。我家の近くだったものですから、従姉が誘ってくれたのでした。
天気は最高だ。新聞の天気予報の欄には北海道から沖縄まで『お日様』のマ一ク一色である。こんな天気を崩しようがないと云う意味で、『一円天気』と云うらしい。
『蝋梅』は見たし、観梅も終わって、サクラの開花はまだだし、今、河津サクラが満開と云うことだが、近くに1本、2本と咲いている所が有るけれども、わざわざ伊豆の方まで遠征する気力もない。
『南町田グランベリ一パ一ク』と云うところにアウトレットと云うのが有ると云うので、はるばるジジババで行って来た。まあ、広大な場所に繰り広げられた商業施設に紛れ込んだジジババであるが、行ってすぐに場違いな所に迷い込んでしまったものだと自覚するのであった。
私には三丁目の夕日と云うか、昭和の古道具屋の方が似合う。もちろんアウトレットと古道具家は違うのを知っているが、たとえ話である。
アウトレットに限らず、最近は老人が行っても、全く心落ち着かない場所が増えて来た。
前回の続きである。もう何年ぶりかで風邪に罹り、寝込んでしまった。医者に行ったのは 2/15 だから、今日で5日目となる。その間、丸2日はほぼ一日中布団の中に居た。良くもまあこんなに眠れるものかと自分でも感心する。
熱もほとんど出ず、インフルエンザの予防接種も受け、コロナワクチンも5回受けていたから、この症状はそのどちらでもないと思っていた。100%全快という訳でもないが、2/18 より起きている。今までだったら、ちょっと具合悪くなっても、市販の風邪薬でも飲んで一晩寝れば大抵直ってしまっていたものだというのは、年寄りの定番の繰言である。それだけ歳取ったのである。
昨日午後から少し喉が痛くなった。今朝になって、昨日よりも痛みが増すようになった。その他の咳、くしゃみ、鼻水、悪寒、発熱、節々の痛み、だるさなど一切ない。喉の痛みだけである。
もしかしたら、インフルエンザかコロナだったら大変である。おさむ爺の周りに居る人で感染者は居ない。インフルエンザのワクチンは昨年秋に接種した。コロナワクチンだって5回目接種を完了している。おさむ爺はかつてタバコの吸い過ぎで肺気腫であるし、心臓にも持病があるからコロナにでも感染したら恐らく重篤な状態になるか、死ぬに違いない。まあ、人間は必ず死ぬのだから仕方ないけど、苦しまないで死ねる方法にて願いたい。
早目に医者に行こう。内科に行けば待合室に患者がたくさん居るであろう。耳鼻咽喉科の方が空いているに違いないと耳鼻科に行った。待合室には誰も居なくて直ぐに呼ばれて診察終了。薬局で処方された薬を買って帰って来た。
どうも、風邪のようだ。インフルエンザの予防接種は毎年受けていたし、コロナが流行するようになってからも、ずっとマスクをしていたものだから、風邪にも罹らなかった。風邪は何年ぶりかねえ。
昨日、南関東でも少し雪が降った。降る前から『大雪だ』、『交通機関が運休する』のかんのといつもの事ながら大騒ぎをしていた。
雨、雪、風、台風、雷を始めとする自然の力の前に、人間はほぼ成す術がない。火山の噴火、地震、津波、大雪、大雨、干ばつ、川の氾濫などなど、被害を無くそうとする努力はほぼ無駄に終わると言っては、言い過ぎか。行政を担う方々のご苦労には頭が下がるが、泥縄に終わることの方が多い様な気がする。
いつ災害が起こるか分からないのが甚だ困るのですが、それらの被害をなるべく少なく出来るように、自然の前には、高台に住んだりするしか方法がない。
数日前から南岸低気圧が接近して関東地方でも雪が降るかもしれないとの予報があった。とうとう降り出して、3階のバルコニ一はたちまち真っ白になってしまった。ただ普段、雪が降る地方の方から見れば、降ったとも言えぬほどの雪でも、雪に慣れていないものだから滑って転んだり、交通事故が起きたりと南関東では大騒ぎをすることでありましょう。
私、山形に単身赴任して、一冬過ごした経験があります。『平成18年豪雪』と言われた年で、ひときわ雪が酷かった。ただ雪に慣れない私でもちょっと滑ることはあっても転倒したことはなかった。首都圏で雪が降った翌日朝などに転んで骨折したなどのニュ一スを聞くたびに、都会の人はどうしょうもないなと思っていました。昨年の1月には、私も通勤途上で2回もはでに転びました。幸いデイバッグを背負っておりましたので、頭を打つことはありませんでした。まあとにかく、首都圏を中心に南関東の人たちを含め、都市機能は脆弱なのです。
南岸低気圧が八丈島より南を通過していけば、それだけ北から寒気が下がって来られるので、南関東でも雪になるのだとか。低気圧が八丈島より北を通れば雨になるそうです。
『春に3日の晴れなし』と云う言葉がある。南関東では冬の内は天気の良い日が続きました。週の内に何回か雨があったり、今日の様に南岸低気圧が通過するようになるのは、春が近付いた証拠です。
40本ほどの真っ赤な花を付けた茎がまとまって上を向いていたシクラメンの鉢うえを買ったのは11月中旬だったと思います。もちろんまだ咲いてはいますが、花を付けた茎が段々とバラけて、まとまりが付かなくなってきました。人間が老いるのと同じで、自然のことだから仕方ないよね。
最近、HPの更新が出来ていないなと自覚しております。HPのことを気にしていない訳でも、時間がない訳でもありません。コロナウイルスのこともあるし、寒いこともあって外出もせず、テレビも夜7時のニュ一スとその後ちょっとの時間しか見ない。あとは新聞読むくらいの生活をしているものだから、はっきり言えば書くネタがないのでしょうね。(本は読んでいるけどね) 加齢により何かに感動すると云う感受性が減耗してしまったのかも知れない。
季節を分けると云う節分にしては、今日は随分寒い。ついこの間、年が改まったと思ったらもう節分だ。月日は、あっと言う間に過ぎて、流れ去って行く。月日の経過は誰もが平等なのですが、感じ方は違うのだそうです。歳を取ると特に早く感じるそうで、若い頃は日々色々な出来事があり、日々色々な経験をし、学んで行く。子供たちは老人達が感じるほど月日は、早く過ぎ去らないそうです。(5歳児のチコちゃんが言っていました)嫌な記憶も、楽しかったことも、あらゆる記憶を呑み込んで流し去ろうとする。
人は『忘却』と言う能力を神から授かっている。どんな辛い、哀しい出来事も忘れさせて貰えるのは、神様からの恵みでありましょう。ただ、決して忘れてはならない記憶さえ、同じように忘れ去ってしまい、防衛費の増額など考えたりする。
雨か雪でも降り出さないうちにと、恵方巻を買いに行った。恵方巻も店によって様々である。この店では売れ残りが出るのではと言う所と、チヨダ鮨のレジ前には18人も並んでいた。我家では、具がロ一スカツ、カルビとごく普通の恵方巻の3種を購入し、家族3人で切り分けて食べることにした。ついでに恵方巻風に作ったロ一ルケ一キも同時購入しました。ちなみにごく普通の具の恵方巻とロ一ルケ一キは、午後2時前にそれぞれ50円引きのラベルが貼ってあった。我家の今日の夕飯は恵方巻とカレ一うどんである。
昔から、『謀(はかりごと)は密なるを良しとす』と言う言葉があります。ロシアによるウクライナ侵攻について、何だかよく分からない。普通なら戦争で、こちら側の軍備の様子を相手方に教えることはない。本来ならば最高機密である筈のものだ。手駒を見せる将棋とは違うのだ。戦車の供与を躊躇っていたドイツ製の世界最高レベルの戦車“レオパルト2” 14台を3月末にウクライナに引き渡すのだという。米国も遅れて燃費の悪い戦車“エイブラム”を31台供与するのだそうだ。
戦争なのだから、相手方に何もこちらの軍備を知らせることはないと思うのだ。これから『こうやりますよ』なんて相手方にお知らせして進める作戦なんかあるものか。織田信長による桶狭間の戦いだって、奇襲したからこそ10ばいもの兵力の違う今川方との戦いに勝てたのだ。 軍備供与について、極秘に行わずにあからさまに報道する意味もあるからするのだろうと思うが、素人には分からない。
過去に『この戦争はロシアが負ける』、『プ一チンは亡命先の目途をもう付けている』、『プ一チン重病説』などなど色々な事が、まことしやかに言われてきた。最近ちっとも聞こえて来なくなってしまったけれど、どうなってしまったのだろう。
今は冬だから寒すぎて、ミサイル攻撃くらいしかできないのだろう。日本だって近頃は最強寒波到来で、ふ要ふ急の外出をしないように言っている。ロシアなんかずっと寒いのだから、寒くて戦闘なんかやって居られない。兵士だって戦意喪失、霜焼けになってしまうよ。
数日前から、10年に一度の最強寒波が襲来すると報道があった。どうやら昨夜から寒波が着始めているようだ。一4℃以下になると、屋外の水道管が凍ると云うので我家でも、屋外の水道の蛇口を雑巾で包んだ上に古い軍手を被せて寒さ対策とした。
夜来の恐ろしいような激しい風の音。昨夜は早々に寝てしまった。今朝、起きてテレビを点ければ、各地の天気の様子を放送していた。昨日の午前中には路面に雪など見られなかったが、夕方にはもう白一色に成ってしまったとビフォ一・アフタ一を示す内容が多かった。それだけ寒波襲来の前後では気候の差が激しいという事であろう。
爺の住む南関東では、朝は確かにいつもより寒い。3階バルコニ一に置いてある水槽には、いつもより厚い氷が張っている。午前9時を過ぎればもう快晴である。昨日、カミさんが切った切干大根を干した。(干したり、家の中にしまうのは爺の担当である)
四季の季節感がはっきりしているとか、”ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川”があるとかで、生まれ故郷が一番だと思っていらっしゃる方がたくさん居るのだけれど、南関東が天候の面や、住み易さでは一番ではないのかなぁ。ちなみに、爺は東京生まれで、神奈川県在住ですけど。ただ、雪が無ければ、山形で暮らした生活もゆったりしていて良かったけどなぁ。
先日、知人宅に咲いたロウバイの花の画像が送られて来た。天気も良いのでネットにてロウバイめい所を調べて散策に行くことにした。
昨夜、雨が降ったようで、雨があがって青空がとても鮮やかである。東京都府中市の『郷土の森』までロウバイを見に行くことにした。園内の一番奥の多摩川の流れを見ることが出来る所にロウバイがうえられていた。パンフレットに拠れば約130本くらいあると書いてある。これだけ本数のロウバイが一斉に咲いているのを見たのは初めてであります。
ロウバイの花は匂いは今迄それほどでもないと思っていました。これだけの本数の花が一斉に咲いていれば、流石に匂いも強く感じます。
園内には梅もたくさんうえられていて、まだ咲いているものはチラホラですが、蕾も膨らんで来ています。園の職員の方にお訊ねした所、2月10日頃からが見頃ではとの話でした。
園のパンフレットに今頃の見頃は『ロウバイとシモバシラ』と書いてありました。漢字で『霜柱』でなくカタカナで書いてあったものですから、てっきりシモバシラという木か花があるのだと思っていて、どんな花なのかと探していた。園内の掲示板の写真に冬に黄色く成ったアジサイの根元あたりに白くなったモノが映っているのが見えます。
園の職員の方に聞いた所、寒い日には霜柱が15~20cmほどまで成長して、それの写真を撮りに来る方もたくさん居るとの事でした。ただ、霜柱も午前10時頃までの命なんだとか。漢字で書いてくれれば良かったのに。
拙宅には結婚した当時から持っている靴箱(下駄箱)があります。結構頑丈な作りになっている。今住んでいる家には作り付けの靴箱があって、引越しをした時に、この靴箱の処理について、後で考えるとして取り合えず、なん戸に入れておいた。
優柔ふ断の性格により、引越しの際にすべき粗大ゴミに出すとか、壊すとかの判断を先送りしたのである。靴箱は頑丈な作りで、ちっとも痛んでいないので、捨てるには忍びないと思ったのです。
ただ、元々が靴箱ゆえに、内部の棚が斜めに設置されており、他のモノを収のうするには甚だ効率が悪く具合が悪く、重いものを乗せるにも適していない。 何故だか靴箱の事を夢に見て、内部の棚一切を取り除いて、内部に新たに棚を設置する改造工事をすることにした。
拙宅には工具箱が4つある。その他にも古いバッグにも工具や部品が詰め込まれている。祖父、父親は職人であった。父が廃業した時、引き継いだ道具に加えて、元々おさむ爺は工具が好きで、知らず知らずの内に工具や色々な部品が溜まってしまったのである。この改造靴箱に溜まった工具、工具箱の半分くらいを収のうしようと言う腹積もりなのである。
旅行の楽しみの半分は、準備の段階で『ああしよう』、『あそこにも立ち寄りたい』などと計画することに有ると言います。この靴箱改造計画も持ち合わせの材料で、どのような物を作るか構想を練ることが楽しいのです。
ネズミ年の生まれではありませんが、『これはきっと後で何かの役に立つ』と思ってガラクタを取って置いたのです。私は丑年生まれです。牛も一度食べた物をまた口の中に戻す反芻をしますから、同じような物かもしれません。出来合いの物を買って来て組み立てれば良いと言うのでは面白くも何ともない。作業小屋や溶接機でも有れば加工できる範囲もずっと広がるのでしょうが、切ったり、削ったり、穴を明けたりする程度の作業範囲でやっております。
何事でもそうでありましょうが、始動するまでは長いのです。作業を始めてしまえば何て言うことなく、収のう用の棚が出来ました。これからの問題は、あちこちに置いてあるカバンや箱、袋に入って居るものを引っ張り出す。当然、ホコリだらけで、何でこんな物まで取ってあるのだ?と云うものばかり。
ふ要な物でも紙やプラ、金属の分別してゴミとして出す物の他に、まだ取っておきたいけれど、自分の歳を考えたら、もはや取って置いても自分が死ぬまでに使ったり、完成させることないだろうなと云う判断も下さなければならない。
年明け3週間ほどで年末にはやらなかった、なん戸の大掃除になってしまった。これも終活の一種かな。
スマホの画面を見ながら思った。
私は貧乏性である。いや、年金収入しかない本当の貧乏である。ごく稀に贅沢な空間に身を置くや、たちまち心落ち付かなくなる。旅行などに行き、旅館に着くと用意された設備やサ一ビスを点検し、くまなく使い尽くしたい衝動に駆られている自分に気が付く。滅多に無いことだから、使わなくちゃ、元を取ってやろうと躍起になる。大浴場には露天風呂と、サウナが有って、浴槽ではジェットの泡が出るとか、シャワ一がどうだと点検する。旅館内の曲がりくねった廊下も探検したくなり、すぐさま実行する。けれどやがて大人気ないと感じ、疲れてくる。
さてスマホである。大昔、500ccのペットボトルくらいの携帯電話を使ったことがある。当時、本当かどうか知らないけど、通話料金が6秒10円と聞かされた。今のスマホは電話の機能だけでなく、様々な機能やサ一ビスが内蔵されている。有料、無料の便利なアプリも取得して、活用出来るようになっているらしい。
貧乏性の僕や君たち、スマホのその用意された機能やサ一ビスをくまなく使い尽くしているんかい? 高い料金(僕のは月額¥1300くらい)払っている分、躍起になって探検し、活用しているんかい? けれど、用意された機能のごく一部しか使ったことがない。設定されたモノを壊してしまうのではないか、カタカナ英語が何を言っているのか分からなくて、怖くて先に進めない。
紙に書かれたトリセツはあったっけ?カタカナ英語でなく、何故日本語を使ってくれないのか? スマホも『今までのままでいいや』 段々草臥れて来る。
1/5 より孫とそのママが来て拙宅に泊まっている。孫は5歳と9歳の女子2人である。我が家は大人ばかりの3人家族であるから、普段の生活は静かなものである。子供が居る生活と言うのは、何とまあ賑やかと言うか、うるさいと言うかである。
ジイジ、バアバも3人の子育てをして来た筈なのに、自分の時の子育て中のことはもうすっかり忘れてしまっている。現役のママの方は慣れているものだから、子供が遊んでいるかん高い声にも何と言う事はないらしい。
『ジイジ、オセロやろうよ』と言って来た。5歳相手にまともにやってはいけないと思って、手加減していたら途中で自分の方の石が全く無くなってしまって完敗だった。5歳の孫はジイジに勝ったとて、『ジイジに勝った、勝った』と大騒ぎである。
今度は9歳の方とやってみた。オセロを孫とやるのは初めてなのである。6対4くらいの比率で負けようと思っていた。どの位手加減をすれば良いのか、さっぱり分からない。まあ、普通にやっていたら、あまりに大差が付いてしまって、9歳児は一時機嫌を崩してしまったようだ。
女児2人の方の孫が来たのはおよそ半年振りくらいか。子供の成長って本当に早いなと実感する。以前は食が細くてどうなるものかと思っていたが、今度は切り餅を2個、3個食べた上に、クロワッサンも食べたりして、下手すれば私より多く食べる。まあ、正月くらいは我慢しておこう。
実は昨日、運動方々地元の2社2寺に初詣に行ったのだけれど、今日また『川崎七福神めぐり』と『日枝神社』の参拝に行って来ました。七福神巡りをした証として色紙に各寺院の印を押印するようになっていて、どうやらお寺さんの資金源になっているるようです。お賽銭は多寡が知れていますが、こちらは印を押すだけで確実にお金が入って来ます。『坊主丸儲け』と言います。冗談ですからね。
色紙¥300、各寺院の印が各¥200で、合計 \1700となります。もちろん、色紙など要らない方はそれでもよし。七福神の内、寿老人に当たる『無量寺』では住職がご病気とかで、参拝者が各自で押印するようになっていて、どうもタダのようでした。道理で『無料寺』なのかなと思った次第です。後になって思ったのですが、並んで押印した私の前の人もお金を払わずに行きました。多分何処かにお金を入れる箱があったのかも知れません。
途中より『川崎歩け歩け運動連合会』の人たち120人と一緒になりました。彼らは参拝だけで色紙なし、こちらは色紙に押印ありなのです。こちらは寺院間の移動を『チャリ』、あちらは『徒歩』なのに、とてもじゃないけど、彼らのペ一スはすごく早い。ほとんど年配者ばかりなのだけど、私などとても付いていけない。お元気な方達ばかりでした。
明けましておめでとうございます。
おさむ爺も大変歳を取って、毎日ぐうたらしています。投資やら家賃収入などふ労所得など一切なく、年金収入以外全く収入はありません。何もここでは拙宅の家計の状況を報告するものでもありません。年始に当たって、今年の座右の銘のようなものを書いておいた方が良い気がします。
1番目は『貧しくても、自由に暮らす』のをモット一としたい。お金に余裕がある時はあるように、ない時はないように暮らせば良いのである。例えば、今まで鯛やマグロを食していたとするなら、サバやメザシを食べれば良いのである。 ステ一キやすき焼きを食べていたなら、合い挽きのハンバ一グで済ませば良いのである。よく書き過ぎました、沢庵とお茶漬けサラサラで生きていれば良いのです。
2番目は記憶力減退についてである。テレビを見ても、タレントさん、歌手のおなまえも咄嗟には出ず、皆さん、『あれ、それ』となってしまうのが常であります。まして私の周りにいらっしゃっても、ごくたまにしか会わぬ人のなまえなど思い出すことなど至難の業。お目に掛っても、『取り敢えずニコニコしている』に限ります。ひたすらニコニコしていることは、耄碌や記憶力減退の兆候を悟られまいとする努力の現れなのであります。このニコニコ顔の下にはひきつった様な悲哀の情が潜んでいるのである。
3番目 “老化は足から、ボケは頭から、廊下は静かに歩きましょう“と申しますから、努めて歩くようにしております。それにしても、昨今は10円玉一つ落ちていません。下を向いて歩くと姿勢が悪くなる。私たち人間の悲しいところは”自分の後ろ姿“を見ることが出来ないことです。しかし、他の人からはバッチリ見られている、そのうつむいて肩を落とした誤魔化しの効かない後ろ姿の老醜を晒して、生きて行かなければならぬのです。散歩の時も油断せず、『ダラダラ歩かないで背筋を伸ばして歩く』ように努めましょう。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
大晦日である。人は生活の中に区切りを付けたがり、今日は1年の最後の日であります。前年までをここでリセットして、新たな年を迎えようと言うわけです。
先入観と云うのは、全く恐ろしいものであると改めて実感した。朝、寝床の中でラジオを聴いていたら、山形県の鶴岡で100mくらいに渡って、斜面の崩壊があったとのニュ一スを聞いた。
寒波襲来で、日本海側は連日の大雪である。大雪が積もって、斜面が雪の重みに耐え切れずに崩壊したに違いないと思い込んでいた。起き出してテレビで現場の画像を見たら、確かに土砂で家が押し潰されているのだけれど、コレは何処の崩壊事故だったけ。
雪がないとは言わないけれど、雪の姿はほとんど皆無。山形でも場所によってはこんなに違うのだろうか。雪の重みで斜面が崩壊したのに違いないと思い込んでいました。大晦日になって、崩壊事故に巻き込まれ可哀想だと思います。テレビの画像で手前側は畑か田か知りませんが、平地が映っていました。崖はいつか必ず崩れる物です。結果論ですけど、崖の下に住まなくても良かったのにと、思いますけど。
私の住む町会の中でも、斜面の上や下に居を構えていらっしゃる方も多い。斜面に限らず、形ある者は必ず壊れることを肝に銘じておく必要があると思います。
五輪組織委員会 高橋元理事が受託収賄罪で起訴され、保釈金8000万円を現金で支払い、保釈された。拘留中は運動もまま成らなかったのでしょう。車椅子に乗った状態で保釈された。本当かどうか知らないが、老人は1週間も入院して歩かないで居ると、歩けなくなってしなうと云う。私たちの年代では切実な問題であります。
若いうちはそんなことは感じませんでしたが、老いが日々、音も無く忍び寄るに連れ、自分の体にガタが来たことを切実に感じるようになりました。動ける状態を少しでも長持ちさせようと、テレビや雑誌に載っていた体操をリストにして、日々記録を取りながらやっています。古い車もそうでしょうが、なだめたりしてようやく走らせて居たものがもう誤魔化しようがなくなったのと同じでありましょう。
老いは目と歯から来ると言いますが、そんな甘っちょろいものではありません。体が随分固くなってしまった。足も上がらなくなった。
それでも、『歩かなければいけない』と人から言われ、自分でもそうであろうと、なるべく歩こうと思っております。その散歩していると、時間帯が一致するからだと思いますが、私と同じような年回りの老人がスポ一ツウェアを着て走っている姿に巡りあいます。
私のひがみかも知れませんが、何とも言えぬ哀しさを感じます。その人は体力を付けるとか、維持するためと言うより、自分もまだ走れるんだという自信を付けるために懸命に手足を動かしているような気がするのです。泳げない人が水中で手足をバタバタしているように見えた。
子育ても大変だけれど、自分が老いるのも大変なことだ。
おさむ爺は落語ファンであります。ラジオの文化放送、日曜日の午前7時から『志の輔ラジオ・落語でデ一ト』という番組の中で、今日は五代目 立川談志の『芝浜』と云う噺を聞いた。1966年収録で談志が30歳の時の収録だと言う。
立川談志は番組進行役 志の輔の師匠であります。もう既に亡くなってしまっている。談志の師匠は人間国宝だった柳家小さんです。談志は頭が良いのでありましょう。旧体質の落語協会に飽き足らず、落語協会を飛び出して『落語立川流』を起こした位の人ですから、人に拠っては生意気だと言って談志を嫌う方もあったようです。
演目の『芝浜』は近代落語の祖 三遊亭圓朝作の人情噺で、この噺を得意としたのが、三代目 桂 三木助(1902~61)であります。落語の中の落語と言うくらいの噺で、中々テレビ、ラジオでは聞くことの出来ない話です。
落語は話の筋を聞くことだけではないと思っています。私も何人かの噺家さんが演じている『芝浜』を聞いています。落語好きのおさむ爺はもちろん噺の筋は知っています。 落語ファンが聞きたいのは、この噺を噺家さんがどう演じるのかなのです。
今日聞いたのは、立川談志が30歳の時に演じた『芝浜』でした。声も若々しくてとても初々しい。時を経た談志の『芝浜』をCDか何かで聞けば、談志の別の『芝浜』を聞く事が出来ると思います。歳を経れば良いと言う訳でもないと思いますが、味わいが違うことでしょう。いつもの事ですが、カセット・テ一プに録音して、これから何度も聞くことになります。従いまして、爺の持っているカセットテ一プには演題は同じでもでも違う噺家さんが演じた物はいくつもあります。
今年もあと1週間になりました。一昨日の次が昨日で、昨日の次が今日、今日の次が明日とほとんど変わらないのだけれども、実はほんの少しずつ変わっていて、暑くなったり寒くなったりする。人はずっと連綿と続くのは好まないらしく、境目と云うのか切れ目を付けたがる。
あと1週間もすれば、その『1年』と云う大きな括りが終わり、また新しい年を始める。それから考えると地球が出来てから46億年と云うのは、とてつもなく長い期間である。太陽が少しずつ膨張して80億年後に地球が太陽に飲み込まれてしまうなんてことは、今爺が心配したって全く意味がない。
昔と違って最近は正月とは言え、コンビニ以外でも開店したいるお店がいくつもあって、ことさら正月用品の買出しなどしなくても良さそうに思いますが、何となく気ぜわしいものです。
商店街やス一パ一マ一ケットなども、今日までがクリスマス関連の飾り付けで、明日からは正月モ一ドにガラリと早替わりをしなければならない。
我家では特別なこともしないのだが、業務ス一パ一に行って牛筋300gの冷凍パック2つと、別に牛の塊の冷凍パックを買ってきた。多分、圧力釜で煮るのであろう。
知人に米国人を紹介された。『 How do you do.Nice to meet you. 』と言うのがやっとだった。それに、Nice to meet you の方はつっかえてしまった。前もって会うことを想定していたら、少しは余裕が有ったかも知れないが、いきなり、咄嗟にはまごつく。少しでも良く演じよう、間違ったら恥ずかしいと云う心がきっといけないのだろうと思う。相手の方は、背はそれほど大きいと思わなかったが、横はお相撲さん並に大きな方で、握手をした手がとても大きかった。今更遅いがもう少し話せるようになりたいな。
本を読んでいたら、初めて見る漢字が出て来た。何も初めて見る漢字など珍しくも無く、しばしばありますが、ルビも付いていなかった。私が読むくらいのレベルの本には、そんな難しい字は出て来ない。『犇めく』と言う字なのですが、読み方そのものが分かりませんでした。漢和辞典で調べてみたら、牛が3つで『ひしめく』でした。
牛はそんなに密集するものなのかなぁ。牧場で草を食む牛はのんびりと離れたイメージだし、酪農家のホルスタインは整然と並べられている。子供の頃に見たアメリカのテレビ番組『ロ一ハイド』は犇めくで良いかもしれない。
おさむ爺の話は古いものばかりで大変恐縮です。塩気のある砂糖と言うけったいななまえのソルティ一・シュガ一と言うグル一プに『走れコ一タロ一』と言うパロディ曲がありました。
これから始まる 大レ一ス
ひしめき合って いななくは
天下のサラブレッド 四歳馬
今日はダ一ビ一 めでたいな
曲の中で犇めき合っていなないていたのは、牛でなく馬でした。
これからの展開はもうあらかた予想できると思いますが、漢字は色々な簡単な『要素』から成り立っている場合があります。
女が3人寄れば、『姦しい(かしましい)』であります。
男2人に女が挟まれて『嬲る(なぶる)』であります。何やら怪しげな展開になりそうで、挟まれた女の運命や如何? になりそうです。
『犇めく』を調べるのには漢和辞典を用いました。漢和辞典は見ていて飽きることがありません。特に『女偏』には面白い文字がたくさん。
『娣』 弟は男に決まっているのに、女偏に弟という字がある。『テイ』と読んで、『弟の妻』と言う意味でした。そう言えば、『花婿』の『婿』と言う字もある。婿は男なのに女偏だね。
『脅威』の『脅』と言う字も『カ』が集合している。テレビドラマの『水戸黄門』で黄門様が笑っているようだ。『カ、カ、カ』
おさむ爺の興味と一緒で、漢字の構成については言い出したら切りがないね。
人間、何処か具合が悪いと精神面でも、運動の面でも影響が出てしまうようだ。おさむ爺も11月22日頃より左ヒザが痛くなって困っている。ヒザが痛くなったのは初めてではなく、数年前に時期をずらして左右のヒザが痛くなり、拙宅の斜め前のドラッグストアにて『コンドロイチン』と云う市販薬を求め、指示通りに飲んでいたらいつしか痛みは飛んで行ってしまった。
今回も同じ薬を飲んでいるが、まだ直っていない。神経が触れるのか、横になって寝ている時も、寝返りを打ったりする時に痛む。
カミさんが時々、鶏の手羽元を甘辛く煮てくれます。酢を少し入れているからか身離れが良く、肉がスルリと剥がれる。丁度手羽元の関節部分に軟骨が付いています。歳を取ると、ヒザの軟骨部分が減って、動いた時の関節部分の緩衝剤の役目が衰え、神経に触れるのだろうなと、手羽元を食べながら思うのであります。好きですからこのコリコリした軟骨も食べてしまいます。 コンドロイチンを摂取すると軟骨が復元するのでしょうか? イソフラボンと云う成分のなまえも聞きますが、おさむ爺の飲んでいる薬には入っているのかしらねえ。
ヒザが痛いことを口実に、日課としている肥満防止の散歩もサボっている。反動が来ないことを祈っています。これ以上お腹に脂肪が付くと拙宅には穿けるズボンがなくなってしまう。
ご近所の方から何回にも分けて柿を頂戴した。そのまま食べたり、カミさん、ネットでレシピを調べて、『柿のパウンドケ一キ』や『柿ジャム』を作って、ご近所に配って、『柿外交』を行っている。
なにか、かつての日本の経済形態のようだ。資源の乏しい日本では、原料を輸入して加工を行ない、加工した製品を輸出すると云う『加工貿易』と言う経済形態であった。小学校の社会科で習ったなぁ。庭のない拙宅には、もちろん柿の木はありません。ご近所から頂いた柿を加工して、『柿のパウンドケ一キ』や『柿ジャム』を作って返戻しています。先日も柚子を頂戴して、『ユズジャム』を作っていた。
おさむ爺はカミさんより柿を10個分けて貰って皮を剥き、タコ糸で縛って軒先に吊るした。干し柿はふつう渋柿で作るものであります。甘柿と渋柿では糖分は渋柿の方が高い。渋柿は渋い成分を取り除けば甘いのであります。拙宅には頂いた甘柿しかないので、甘柿にても出来るだろうと、軒先に吊るしたのです。2週間後のお楽しみ。
冬だと言うのに、真夏に咲くヒマワリをたくさん咲かせているとの新聞記事があった。わざわざ座間市の公園まで見に行った。相当の暇人である。
今日は風もなく絶好の散策日和である。小田急小田原線の相武台駅徒歩10分ほどのところに、『かにが沢公園』がある。東京を離れると公園も大きい。保育園児も保育活動の一環で公園に来ている。この時期に『テントウムシ』を見つけたとて、並んで順番にテントウムシ観察していた。夏場なら何処にでも居るようなテントウムシも冬にはめったに見ることが出来ないという事でしょう。
この時期だからこそ、ヒマワリの花が咲いているのも珍しい。古典落語に『千両みかん』と言う噺がある。大店の若旦那が真夏にミカンを食べたくて食べたくて、病気になってしまう。番頭がたった一つのミカンを探し出したが、そのミカン1個が千両なのだという噺なのだ。江戸時代も時期に拠って貨幣価値が違って、江戸時代の一時期に1両18万円と云う時期がある。仮に、この値で計算すれば、ミカン1個が1億8000万円と云う途方もない価格に成ってしまう。時期が違うと、それほど貴重であると言う事の喩えです。
ヒマワリ畑の脇に立て看板が有りまして、この様に時期をずらせて咲かせようと、プロジェクトチ一ムが結成されて活動していると書いてあります。12月のこの時期に咲かせるには、9月の上旬にタネを蒔いたとかいてありました。ヒマワリ畑には根元に寒さ避けにワラが敷かれており、高さ5~6cmの発芽してから2~3週の苗をうえた一角もありました。時間差で今後も長期間咲き続けさせようとの目論見です。
サッカ一ワ一ルドカップで、日本がクロアチアに惜しくも敗れた。日本チ一ムを応援するサポ一タ一と云うのが一途と云うのか、わざわざ地の果てのオマ一ンまで応援に行くのだからたいしたものです。ただね、ずっと長持ちして応援するなら良いのだけれど、暫くしたら熱が醒めちゃうような、お調子者のにわかファンであって欲しくないな。
日本時間で試合終了時間には、電車やバスなどの公共の交通機関は止まっているのは分かっている上で、外出して皆さんで大型画面を見るなんて、共感する友を求めているのでしょうか。まして、昨夜の東京は冷たい雨でした。家で温かくしてテレビ観戦した方が余程良いのに。帰りにはタクシ一くらいしかないでしょう。タクシ一の争奪戦になるのは判り切っているわな。おさむ爺にはとても理解で来ません。サポ一タ一の方々は、何もおさむ爺に理解して貰いたくもないでしょうが・・・。
日本選手のユニフォ一ムが大変売れたそうな。たぶん、二度と着ることのないような記念(祈念)のユニフォ一ムだけど、金持ちの人はこういうものは絶対に買わない。それなりの人に限ってこういうモノを買いたがる。
日本が負けたと言って、涙流して、洟垂らしている人がテレビに映っていたけど、何か他に、まだ先が長い人生の目標になるようなモノを追い駆けてみる積もりはないのかなぁ。
もっとも一方、別にこんな人たちも居る。本能や感性があるのかないのか、分からない人達もいる。楽しいのか、悲しいのか、怒っているのか、辛いのかさっぱり分からん。どうしたのか聞くと、『別に』と言うだけ。泰然自若って言って良いのかしら。何を見ても無表情。音を上げるとか、愚痴をこぼすとか、何とか言ったらどうだい。世の中、こういう言った人もたくさん居るから、サッカ一に夢中になるだけ、ずっと良いか。
おさむ爺はサッカ一ファンに理解して頂かなくても一向に構いませんが、おさむ爺もサッカ一ファンの気持ちを理解出来ないのです。そう言えばカミさんもスペイン戦とクロアチア戦を起きてテレビ観戦していたなぁ。
午前中は曇りであった。今日は午後から風が強く、冷たい雨となったと言えば良いのだろう。実際には11月末なのに、南の風でさほど寒くはない。寒くなるのは、北の方から寒気が下って来る明日以降だ。
11/25(金)には、私、カミさん、私の従姉の3人で、何年も前に計画して居ためい所巡りをやっと実現した。その日は『風もなく、これ以上の好天はない』と言うほどの日で、歩いていると暑いと云うほどであった。雨か晴れかでこうも違うものなのか。
もう12月になってしまうかと思うと、とても寂しい気がする。いつも私は何事もネガティブに考えてしまうのがいけない。3月末に仕事を止めた後、カルチャ一センタ一か何かで習い事か、地域の活動でも探そうと思っていた。本当は自分の行動力がないのが原因なのに、コロナや膝痛のせいにして、何もしないうちに、今年も終わってしまいそうだ。
575の数合わせだけの川柳を作ってみて、面白いものだと思っていますが、実際に行動することを考え、実施しないと直ぐに月日など過ぎてしまうものだと感じています。
11月22日はゴロ合わせで『いい夫婦』の日なのだとか。我家にては『いい夫婦』なのかどうか知らないけれど、たぶん後、数年で金婚式の50年となる。これはひとえにおさむ爺の『忍耐の賜物』でありますが、配偶者に置いても同様の発言があることだろうから、これ以上言っても無駄である。おそらく夫婦なんて、『ヤジロベエ』のように微妙なバランスを取っているものだ。でもこのバランスは微妙な物であろうからこそ、どちらかから信頼の置けぬ行為があったり、病気などがあれば、ヤジロベエも大いに揺れるに違いない。当たり前ですが、どちらかが亡くなれば夫婦は成り立たない。『心の中には居る』と言うのは別に次元の事です。
もう一つ、昭和44年11月22日とぞろ目ばかりの日は、私が虫垂炎つまり盲腸の手術を受けた日でもあります。丁度二十歳でありました。多感な時期で有ります。若い看護婦さんに下腹部の毛を剃られた時には、本人の意に反して血液が集合して恥ずかしかった日でもありました。
今日はかなり寒い。JAで例年のように『農業祭』をやると言うハガキが着ていたので覗きに行った。地域の農作物の品評会と、農産品の即売会、草花の販売などをやっていた。産地直送、地産地消で安い物が買えるのではと、多くの人が集まっていた。このところ、すべてのモノが値上がりして、農業祭の即売会と言ってもそれほど安い物はなさそうだ。農業祭に来ている人は雰囲気で買ってしまうのだな。普段、食品ス一パ一などで売られている商品価格を知っているから、カミさんはキャベツ 1球買っただけ。
その後、業務ス一パ一に立ち寄って、色々食材を買って帰ってきた。農業祭の価格設定は『切りの良い数字』にしていたが、業務ス一パ一や食品ス一パ一は価格設定が『1円単位』だから、シビアなんだよ。
おさむ爺は老人だから、午後9時過ぎには就寝のことを考え始め、たいていは遅くも10時には布団に入っている。その分、朝は早く目が覚めてしまう。それでもまだ暗いから布団の中でじっとしていて、最近は指折り数えて川柳を作っています。今朝は7句作って見たので読んで下さい。
1.ぬるま湯に 甘んじいつか ユデガエル
(ユデガエル現象と云うのを知らないと理解出来ないかも)
2.失恋歌 行き先いつも 北の旅
(南に旅する失恋の歌ってあるのかな?)
3.壊れてる 成果示さぬ 体重計
(体重計のせいにしているけど、本当は運動量が足りないらしい)
4.主人公 あこがれあれは 物語り
(映画かドラマの主人公に憧れるけど、あれはフィクションなんだよ)
5.働いて いるよに見える 汗っかき
(汗っかきの人は得するよね。汗びっしょりで一所懸命働いているように見えるものね)
6.働きが なくても黒い 待機アリ
(一所懸命働くたとえで、真っ黒になって働くと言います。実は働きアリの2割ほどは実際には働いていないで待機しているのです。アリが事故か何かで欠員が出来て初めて待機していたアリが補充され働くのです。働いても居ないのに黒いから働いているように見える)
7.テレサテン 南に合わぬ 失恋歌
(テレサテンはもう大分前に亡くなってしまいましたが、台湾出身の女性歌手でした。日本に来て歌っておりましたが、失恋の歌は南の方では似合わない。古いことを題材とした川柳でした)
おさむ爺の川柳はただ575と字数を考え、言葉を並べているだけ。誰かに習って川柳を作っているのではありません。ただの字数合わせで言葉を並べているだけです。もし、川柳に流儀や約束事があるなら、そんな事全く無視の破天荒なものであります。
昨日、えらく久しぶりに映画を見に行った。コロナ禍のせいで2年以上、映画を見ていないのではと思う。映画もしばらく経てばテレビでも見られるようになるようです。おさむ爺はたいていの場合、映画の放送時間には就寝時刻となってしまうのと、チャンネル権がないので、テレビで映画を見る機会はほとんど有りません。
また、レンタルのDVDを見る機械も持っていないので、DVDを借りて見ることもありません。別にケチして機械を買わないわけでもなく、単にDVDで何かを見ることに習慣と言うか、あまり興味がないと言うのが正解だと思います。
昨日見た映画は『あちらにいる鬼』という映画です。小説家 瀬戸内晴美(後の寂聴)さんと、小説家 井上光晴さんと、その妻の男女3人の特別な関係をモデルとして綴った同めいの小説を映画化したものです。ちなみに井上光晴さんの娘さんが原作の小説の著者です。
かなり度々濡れ場が出て来る“ふ倫”を扱った映画ではありますが、タダの”ふ倫“映画では決してありません。映画のモデルの小説家 井上光晴は女と見れば手当たり次第、ウソばかりの人と描かれ、演じる俳優の豊川悦司さんも裸の女優さんに接することが出来て、とても羨ましいけれど、演技ですから挿入・発射のない、いつも中途半端ばかりで辛い仕事ですね。
映画のモデルとなった現実の瀬戸内晴美さんは、婚家に自身の4歳になる子を置き去りにして、夫の元教え子の年下の男と出奔した恋多き方でした。後になって出家するのは『女としての性』を捨てるためですが、剃髪したからと言って、人の心がそう簡単に反転すると言う訳でもなく、苦しかったに違いないと想像します。
私もそうですけど、映画館にはたくさんの高齢者の方が見えていました。『あちらにいる鬼』と言う映画の予備知識を持たずに、『瀬戸内寂聴さんをモデルにした映画』だとして来られた多くの高齢者の方は、濡れ場の多い内容にきっとビックリしたと思います。
高齢者となって『首から下の性』は疎遠に成っても、若い人ほどでは有りませんが、『首から上の性』は恐らく死ぬまで枯れ果てることはないと思います。後期高齢者と見えるオバアサンが連れ立って、たくさん見に来らて居られましたが、どう刺激されたのでしょうかね。
映画を見た後、我が人生と照らして、『何の面白味のない人生』を送って来たものだと思う反面、『面白味のある人生』を送ったら、どんなことに成っていただろうな?と危惧した次第であります。
ただ、おさむ爺は、これから違う人生をやり直そうにも、既に歳を取り過ぎていて、プラトニックではともかく、男女関係のある恋愛においては、全くの対象外なのであります。『つまらない人生』だったのか、『これで良かった』のか分からない。ただスクリ一ンを見て、今にして思えば、成長期の若い頃、毎日牛乳でも飲んで、身長180cm以上のがっしりした体に成っておきたかった。若い頃の『チビとヤセ』では魅力など無かったに違いない。
ちょっと前に、NHKの50代のエグゼクティブ・アナウンサ一の方が、局内の30代の女性とふ倫して発覚してしまった。男性は担当していた番組の降板を申し出て受理された。
職務時間内でなく、社員規則でも有ってそれに反していなければ、プライベ一トな恋愛なのだから構わないのではと、おさむ爺は思っていた。
結果は職務規定に照らして、反したところはないのでお咎めなしと言う裁定になったようだ。他の職員のやっかみはきっとあるよね。ただ、NHKだから彼が以前のような仕事を担当できるようにはならないだろうなと思う。映画では自由業の小説家だったからこそ出来た恋愛も、社会通念として、NHKにおける勤め人である彼の仕事は終わってしまった。
『双方ともお互いの家庭を壊さないよう』にと言うのが大原則のようですが、関係が長く続けば、原則を全うできるなんてケ一スは多くないのではと思います。余命幾ばくもないのだから、独身者ならともかく、波風起こせないよね。
おさむ爺は、おおよそ菊の花など興味がなかった。年を経たせいなのだろうか、拙宅近くの神社で行われている菊花展に行って来た。菊の花を背景に写真を映すなんて、まるで棺桶に入っているようでと、嫌う人も居るだろうけど、爺はそんな事、ちっとも気にしない。まあ、どうせそう遠くない話だから、予行演習と云ったところです。
管理人の写真を載せることは、余り慣行としないのかも知れない。若い女性でもあるまいに、おさむ爺の顔が知れても実害はないであろう。帽子を被っているのは、最近とみに薄くなってハゲて居るからです。これでも、まだ色気はわずかに残っている。こんな、写真を載せておけば、妙齢の女性が『あら、おさむ爺って、割りにイイ男じゃない』なんて顔を覚えられ、電車の中で見掛けた時、女性の方から声を掛けないとも限らないと、思うからであります。そんなこと絶対無いとは言わせないぞ。
菊花展と言っても、大規模な会場のものではありません。私の住む町にある小さな神社で約1週間開催されていて、テント4張りの小規模な物であります。菊の花の栽培を始めると、何処かに旅行に行くことも出来ないと聞いたことがあります。おさむ爺にはそんなことは、とてもとても無理で、人が丹精こめて出来上がった結果だけを観賞させて頂くだけであります。
このところ、どうした訳か『川柳』に凝っているのであります。爺の作るものだと、果たして川柳と言える物だか、さっぱり分かりませんが、とにかく 575を考えて『言葉の行列』を作っております。
『川柳など、新聞を読んでいれば直ぐ出来る』とばかり、本日だけで10句作りました。『粗製乱造』と言いますか『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』をモットウにやっております。
昨夜は皆既月食だった。しかも、天王星食でもあって、太陽、地球、月、天王星が一直線に並ぶ、極めて稀な現象だった。天体ショ一には差して興味もないのだが、私が生きている間にはもう見ることが出来ないこととて、知らずの内に口を明けて、月食を見上げていました。
たぶん月食はどういう事なのか、小学生の時に習ったと思うが、この歳になると月食はどういう状態なのか定かではなくなってしまう。今一度新聞を読んで確認した。太陽⇒地球⇒月のように並んだ時に、丁度地球の影が月に映って、月が暗く見える現象であると確認した。
普段、見る月だって、三日月に成ったり、満月、新月になったりするじゃないか。『皆既月食と新月とはどう違うのだ』 当然誰しも思うよね。 太陽⇒月⇒地球の順なんだってさ。
『思わないな』と言う人はきっと居ると思うのです。多分、2つのタイプがあって、
1.そんな事、分かっているから『思わない』と言う人
2.そんな事には全く興味がなくて、無関心だからどうでも良くて『思わない人』
2のような人は、将来ボケて可哀想な道を辿るのである。もっとも、ボケて困るのはボケた本人でなく、周囲の方で、ボケてしまった本人は自分がボケてしまったことは解らないのだから、案外幸せなのかも知れない。
話しガラリと変わって、元勤めて居た会社の方から、先日来、Lineで川柳を送ってくる。中々面白そうなので、
おさむ爺も作ることにした。次のものは、おさむ爺が今日作ったものです。
*トランプの あの元気だけ うらやまし
*飲み屋から 出て見上げるは 酔いの月
*赤い月 次は何年 もう居ない
*腹筋の 運動むなし 腹脂肪
*わかってる コロナの前から 腹ぽこり
直ぐ出来る。誰に川柳の作法を習った訳でもない。ただ、575で闇雲に作っているだけだか、『あぁでもない、こうでもない』と、これ、案外に頭使う。良いかも知れない。
もう働いていないのだから、着ることのない作業着がたくさんあるから処分してと、カミさんに言われた。押入れからビニ一ル袋に入っている作業着を引き出して来た。衣裳持ちと言うのでしょうか、物持ちが良いと言うのか、体は一つしかないのに、何でこんなに着ることもない作業着があるのかと自分でも呆れてしまう。
最近は作業着と言っても、カラフルで素敵なデザインの物もあります。そんな業績の良さそうな会社に勤めた経験も無く、おさむ爺の作業着は灰色の昔風のものばかりなのは、ちょっと寂しい。
40年間もずっと製造業の工場勤めだったものだから、僕にはス一ツは似合わない。やはり、作業着が一番しっくりする。中には28歳まで勤めた最初に就職した会社の作業着まで紛れ込んでいて、45年以上経つ物もあった。
まだ、これからペンキ塗りなどすることも有るだろうから、未練がましく数着は残して置くことにした。実を言って、家の中でゴロゴロしている分には作業着が一番楽なんだよな。僕はジャ一ジより作業着の方が着慣れていて好きなのです。低級国民、元労働者丸出しです。
昨日(10/29)、もう既に潰れてしまって、今は存在しない会社のOB、OGの集まりである『懇親会』へ行って来た。10人出席だったが、出席者の最年少が65歳くらい、最年長が85歳である。コロナ禍では開催されなかったが、原則年4回の開催で、最多出席回数の方の出席数から換算すると、もう16年以上継続していることになる。おさむ爺は出席率が甚だ悪くて、1年に一度くらいの出席である。
おさむ爺がまだ働いていた頃は、『年4回の開催』には、『何だこれ?』 これでは頻繁に開催し過ぎではと思ったものだ。仕事を辞めた今は、それほどでもないような気になって来た。仕事を辞めた老人には、社会との繋がりが少なくなってしまったのだ。配偶者でも居ればそうでもないのだろうが、配偶者に先立たれてしい、ご近所とのお付き合いも希薄となると、お喋りをする相手も居なくなってしまっているのであろう。そうなると、年4回の開催も人に拠っては、あるいは少ないと感じるのかも知れない。多過ぎると感じる人はまだ社会的にも繋がりに恵まれているのであろう。多過ぎると感じた方は、単に出席しなければ良いだけのことである。
テレビは癒しにはなるかもしれないけれど、話し掛けても返事はしてくれないものね。
懇親会終了後は、皆で近くの真言宗のお寺に『ボケ封じ』のお願いに行った。出席者が如何に高齢者ばかりであることが分かる。四国八十八箇所霊場巡りに行きたいと思っても叶わぬ人のために、同じご利益があるとの地下仏様があり、参拝させていただきました。川崎大師境内にも同じようなご利益のある場所がある。おさむ爺はそこでもお参りしているから、2ばいのご利益を頂戴できるのかな。まあ、体は一つですから欲張ってはいけません。もっとも、拙宅は日蓮宗であります。異教徒として『シッ、シッ、あっち行け』と言われてしまうか、ムチ打ちされてしまうかなぁ。でも、『お賽銭 10円入れましたし、拝観料500円払いましたけど』と念のため、大きな声で言っておこう。
15時過ぎに新型コロナウィルスの5回目のワクチン接種に行って来るつもりでいます。第8波到来に備えてのことである。従前は前回接種から5ヶ月経過してから次のワクチン接種ということであった。10月21日に3ヶ月経過でOKと言う事に決まって、早速予約し、今日これから行って来ます。
1回目、2回目はワクチン接種の予約を取るだけで大変な思いをしました。今は予約も随分楽になりました。おさむ爺の場合、接種券が郵送されて来たのは今月25日夕方である。直ぐに電話予約をした。2日後の予約が取れた。もちろん大規模会場です。
ワクチン接種は自分が感染しないためのものでありますが、周囲に抗体を持った人の率が高くなると、感染が広がり難くなる性質があると言いますから、特段の用事のない、おさむ爺のような者は率先して接種するべきだと思います。
新聞に拠りますと、今広がっているのは、『BA.5 』と云うオミクロン株ですが、オミクロンからの派生株『BA.4.6』、『BA.2.75』、『BQ.1』、『XBB』と、次々に変異しているようです。いったい第何波まで行くのでしょうかね。
これも受け売りばかりで済みませんが、ウイルスは増殖して行きますが、生物ではないとのことで、死なないのだそうです。生物の細胞の中に入り込んで、コピ一を作って増えるとのこと。型式に、良く耳にするDNA型とRNA型があって、天然痘はDNA型で変化し難いから撲滅できた。コロナウィルスはRNA型でコピ一する時に、コピ一ミスを起こしてしまい、それが変異株なのだとか。とても厄介なものです。
テレビで外国において、消毒液の噴霧をしている画像を何度も見ましたが、生物でないのに、消毒していた行為そのものは有効だったのでしょうか?気になるところです。
ウイルスは生物でないから、死なないとは困ったモノです。人類はこれからもずっとコロナウィルスと付き合っていかなければならないのですかね。おさむ爺なんかばドン感ですから、接種した箇所がちょっと赤くなる程度で済みますが、熱が出たり、倦怠感など副反応が酷い方はこれからもワクチン接種を継続していかなければならないとなると大変です。
色々話を伺っていると、私たちの周囲でも実は、『コロナに感染したのです』と言う方が結構いらっしゃる。
『なあに、10日間は家から出られなかったけど、風邪を引いたのと変わらなかったよ』
と言う方がほとんどです。ただ、テレビなどで放送されている中では、重い後遺症に苦しんでいる方も多いようです。後遺症の期間も長いとのこと。
私だって、後遺症はご免被りたい。面倒でもワクチン接種は必須なのでしょうかね。
孫の幼稚園の運動会へ行ってきた。『親ばかチャンリン』でなく、『ジジ・ババばかチャンリン』である。孫が行っている幼稚園まで、徒歩と電車を乗り継いで1時間半ほど掛かる。
よくもまあ、訳の分からないような3~5歳児に根気良く教え込んで、演技をやらせるものである。おさむ爺にはとても出来ないような根気が必要であるに違いない。
孫が真剣に演技したり、走ったりしているところを見ると、涙が出て来る。たくさん子供たちが居れば、数人はお友だちと同じように出来ない子が必ず出て来ます。拙宅の長男もそうだが、そういった子も含めて子供たちを教育して行くのは本当に大変だ。
見た範囲では、染色体異常、つまりダウン症のお子さんを見掛けなかった。妊娠の初期の検査が近年は行き届いて来たに違いない。折角授かった命なのだけれど、障害を持った親の苦労は大変である。『自分が生きている間はまだ良い。自分たち夫婦が死んでしまったあと、この子はどうなってしまうのだろう』と思うと、将来、本当にどうして良いのか分からない。
私たちが子育てしていた頃、運動会と云うと、大きなビデオカメラを持ったお父さんたちをたくさん見掛けた。今はそんなビデオカメラを持った人はいない。ビデオカメラと言っても掌に乗る大きさだ。
おさむ爺はデジタル一眼レフを持って行った。一眼レフにも色々なクラスが有って、『エントリ一クラス』の一眼レフは本当に『老人向け』だと思う。昔のフィルムカメラの時代と違って、24枚取り、36枚取りなんて、撮影枚数を気にする必要がない。ダメだった画像は後で簡単に削除してしまえば良い。
オ一トフォ一カスだから、ピンボケがほとんどない。動くものが対象の場合には連続撮影できる。運動会のように子供たちがたくさん居る中で、自分の孫を撮るには標準レンズではダメで、望遠ズ一ムレンズが必要だけど。
撮影した後は、パソコンに取り込んでおけば、いつでも大きくしてみることが出来る。連写もしたから100枚以上撮影したのだけれど、画面を見てまた涙腺が緩くなってくる。まさに『ジジ・ババばかチャンリン』だ。一眼レフの『エントリ一クラス』は本当に老人にぴったりだと思う。
何の特別な理由もないのに、『飛鳥山公園』と『十条銀座商店街』に行ってきた。拙宅からは1時間以上掛かる。雨が上がった後、飛鳥山公園はとても清清しかった。ほんの少しだけれど、ツツジが咲いていた。これまた一つの木ではほんの少しだけれど、花を付けているサクラの木が何本もあった。入場無料だから、近くの保育園児と思われるカラーの帽子を被った子供たちが多数遊んでいた。
飛鳥山は実業家の渋沢栄一の別荘があった所です。先にNHK 大河ドラマ『青天に衝け』で渋沢栄一を題材としていただけに、飛鳥山には渋沢栄一の幟がそこここに立てられ、お土産店では渋沢栄一にちなんだ商品ばかりが並べられていた。大河ドラマに取り上げられると、その経済効果は絶大でありますな。
十条銀座商店街は、戸越銀座商店街、武蔵小山商店街、板橋のハッピーロード大山商店街と並び称される都内有数の規模の商店街の一つです。ここを訪れるのは2回目なのですが、前回訪れた時は定休日の店が多く、今日が再訪となりました。拙宅の近くの商店街でも、かつてはおでんタネや、惣菜の量り売りをするお店がありましたが、もう何年も前に無くなってしまった。
十条銀座商店街にはまだおでんタネ屋さんや、惣菜の量り売りの店が何軒かあり、拙宅用にも購入して来ました。おさむ爺は若い頃の想いがいじらしくまだ残っていて、もう年寄りでたくさんは食べられもしないのに、油ものを多めに食べてしまって、ちょっと腹の調子が悪い。全般的に言って、物価は安いと思いました。
おさむ爺は『ウインナーパン』が好きです。パン屋さんでウインナーパンだと思って買ったら、『ちくわパン』であった。さすが、十条銀座だなと思った次第。
前回来た時も、何処の放送局だか分かりませんが、ロケをやっていました。そして今日も商店街を紹介すると思われるロケの撮影隊が来ていて、私は顔もなまえも知らないタレントさんらしき人が二人待機していました。ここは余程話題の場所らしい。そう言えばあべ総理が視察に来ていた写真を、いまだに貼ってある和菓子屋さんもあったな。あべさんの顔が総理でもまだ若かった。
今度は板橋のハッピーロード大山商店街にいつか行ってみようと思っています。おさむ爺は一応、東京23区内の生まれなのです。今や地下鉄ほか鉄道が縦横に整備されていて、目的地に行く経路が幾つもある。その中で『早さと乗り換え数、安さ』で選択できる。スマホなしで何処かに行くなんて出来ない。帰りも鉄道の検索をして、一番早い経路で帰って来たのですが、スマホのアプリが指定する時刻の電車に乗って、途中乗り換えもあったが、我家の最寄り駅に時間通り着いた。日本の鉄道が時刻通り運行するのもすごいけど、スマホの鉄道経路のアプリも寸時に要求に応じて、様々な経路を示せるなんて本当にすごい。
自殺願望の女子中学生とSNSで知り合って、相模原市緑区まで連れて行った男が自殺幇助の疑いで逮捕された。『緑区』と言うめい称は何処にでも有りそうななまえです。緑が多くて体裁が良さそうですが、きっと雑木林や森の多い辺鄙なところなのかな。
何かに絶望して、一時的に『死にたい』と思うことは、どなたにでもある事かも知れません。
『死にたい』、『死にたい』と思いながらも、実は心の何処かに『死ななくて済むなら、死にたくない』と言う気持ちを持つのが人間の本来です。本当に『死にたい』のならSNSなどに投稿せずに、自分でサッサと死ねば良いのです。心の中で自殺しようと思っている人を、一日中見張っていることなど出来ないのですから。
SNSに投稿するのは、『死にたくないことの現れ』であります。自殺願望を持っているものの、少しでも『死にたくない』と言う気持ちを持っている人を、崖っぷちに立たせ、その背中を押すことはないのです。『死にたくない』と言う気持ちの糸口をしっかり握って離さず、死の誘惑と闘うことが出来れば良いのですが、そもそも、『死にたい』と思う人は『生きる』と言う気力が萎えているから、自殺願望など持つのです。
戦後、食べる物さえなく、駅の地下道などで寝起きしていた戦争孤児や、戦後の復興期を書いた本を時たま読みます。そんな悪条件下でも、自死しようとした人など居ないと言います。皆、したたかに『生きよう』と言う気持ちが強かったのだと思います。
自殺してしまった女子中学生の本人の事や、その環境、周囲の条件など何も知りません。誰もがお互いに一人ひとりを見張っているなんてことは出来ませんから、これからも自殺はあるでしょう。『生きる』と言う事をもう一度考え直すことと、自分だけで悩まずに必ずどなたかに相談してもらいたいと思います。
もう、何ヶ月振りかになるのだけれど、今日、Twitter に投稿してみた。このところ、Twitter 自体、覗くこともしていなかった。爺のHPなんか、訪問者が1日に数人有るかないかである。もっとも、熱心に『更新』しないから当たり前なんだけどね。Twitterにある時投稿したら、1000以上のアクセスがあったこともある。ちょっとまともな投稿をすればこんな爺のものでも、100~200の人が読んでくれる。
でもね、文字数が限られるし、ブログの目的が『ボケ』防止であることから、Twitterとのお付合いはほどほどにして置こうと思ったのでした。今日のTwitter投稿は本の気まぐれでした。
法令違反が疑われる宗教団体に対し、『質問権』を使って宗教団体の管理・運営の調査を行うか検討すると、新聞に書いてあった。
前々から随分可笑しなことだと思っていた。自民党の他、野党議員も含めて、どのような関係があるのか問われていて、『以後、このような団体と一切関わりません』と宣言していた。
何やら憶測でいけないことやっているようだ。確かに信者が多額のお金を巻き上げられて、生活に困っている被害者の話はあるのだけれど、『悪いこと』やっていると言う発表も、逮捕者も一人も出ていない。
『悪そうなことやっているのでは』と言うだけで、『今後一切、関連の団体とは関わりません』と議員さんは言っている。悪いなら悪いとして、悪い人を何故検挙しないのか?何故、解散させないのだ? おさむ爺は全く分からんのです。
でもね、もう、これだけ騒げば、『悪いことをしている団体だ』と国民の頭に、確りとインプットされてしまった。
これから、法令違反が疑われる宗教団体の管理運営に関することについて、関係各省庁が『質問権』を使って調査することを検討しますという。ここで調査が行われた結果、『全く清廉潔白、問題ありません』なんて報告が出来る訳ないじゃないか。国民の頭にはしっかり『悪』がインプットされているのだから、今更『善良な宗教団体でした』なんて報告して、後から悪事が発覚したら面目丸つぶれになるから、『プラスの回答』など出る筈がない。始めから『結論ありき』の調査である気がする。やることが遅いよな。
『日本は過去に朝鮮半島を統治して酷いことをしたのだから、その償いをするのが当然』と文 鮮明は考え、信者をだまして莫大なお金を吸い上げている。もう、こうなったら、とことん調査でも何でもして、慰安婦の話も強制労働の話もチャラにしてくれよ。
ちゃんと賠償しているのに、『一粒で二度美味しい』じゃないけど、手を替え、品を替えして、賠償請求して来る隣国にはうんざりだ。
『おさむの自由区域』もこの10月で開設してから22年が経過した。表紙に書いてあった『21年』を『22年』に修正しました。開設した当時は丁度、家の建て替え中で、仮住まいしていたアパ一トでデ一タの打ち込みをしていた。
アクセスカウンタ一は途中から設置したので、それを考慮してもアクセス数年間平均2000弱の全く人気の無いサイトであります。若い女性のHPならともかく、ジジイが管理人の、それも文字ばかりのサイトが訪問者多数で有る訳がない。
それでも、22年過ぎてもまだ継続しようと考えるのは、こうして作文をやっていれば、認知症の発症を少しでも遅らせることが出来るのではと言う淡い望みがあるからだ。独りよがりかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。
読み始めたのはまだ暑く成りかけた頃だったから、大変時間が掛かったけれども今日、『 Gulliver's Travels (ガリバ一旅行記)』と言う中学生だか高校生向きの英語の本142ペ一ジを読み終わった。1ペ一ジ丸々絵が描かれているペ一ジもあるから、本文は実質130ペ一ジくらいか。英語の勉強をしなくなってから、かれこれ50年経った。英単語など分からないことだらけ。英和辞典と首っ引きで、巻末の解説も参照しながら、とにもかくにも全部読み終えた。
ガリバ一は『小人の国』、『大人の国』へ行ったのは覚えているが、『賢人の国』、『馬の国』へ行ったことは記憶が曖昧であった。ガリバ一は争いも無く平和な馬の国にずっと住みたかった。結局は馬の国からはじき出され、現実世界に連れ戻された。現実の生活に戻った際に、精神的に適応障害のようになってしまったようだ。何しろ、小学生の時に読んで以来だったから、結末まで覚えていない。
仕事で知り合った、英国に留学した事のある方と話をした時に、『分からない単語があっても、一々辞書で調べずに、意味を想像してとにかく読み進めなさい。その単語がしばしば出て来るようなら、そこで初めて辞書で調べなさい。とにかく、たくさん読むことです』とのアドバイスを頂戴した。
爺は今回、そのアドバイスを守らず、分からない単語は逐一、辞書で調べて単語帳に記載して読み進めたものだから、余計に時間が掛かったものと思う。家で何もしないでブラブラしていたら、『アホ』になると思って始めたことなのだが、一応完読出来てとても嬉しい。
今度読んで思ったのだが、語順を換えて『倒置』を使って書かれたり、関係代めい詞を使って文が長かったり、もう少し『カンマ』を入れてくれれば、より読み易かったのではと思うな。何しろ50年も英語から遠ざかっていた爺が読むのだから。
味をしめて、次は『 I am a cat.』を読むことにしている。どうなることかね。英語に堪能な方にとっては、恐らく中学生向けの本を読んで『大袈裟だ』と思うかもしれません。爺のように50年も英語から遠ざかっていても、ただ『しぶとく』だけを頼りにしているだけで、ちょっとだけ達成感があって嬉しい。
仕事を辞めて毎日が日曜日と同じなのに、何故か土曜日や日曜日が気になり、連休がなんとなく待ち遠しいのであります。どうしてなのかね。それでいて、いざ自分が何処かに出掛ける時は混雑を避けて、平日に出かけている。
3連休も終わる夕方になれば『小仏トンネルで○○kmの渋滞・・・・』ラジオでいつも同じことの交通ニュ一スの放送をしている。ガソリンが上がっているのだから、旅行したけりゃ電車、バスで行けよ。車を所有も出来ない、運転免許も返のうしてしまった我家のやっかみか?
人間の悲しくて、とっても情けないことは目先の便利さ、取り敢えずの利便性に目が眩んで、直ぐに考えが変わってしまうことにあると思います。現代の便利な生活や技術は人間がみんな考え出したものです。
人は実在するエビデンス(証拠)のないものの存在を信じなくなってしまった。国際規格であるISO-9001でもISO-14001やその他の国際規格でも、規格の認証を審査する審査員はいつも証拠を要求する。多民族間の取引では、証拠の提示なしに相手を信じられないのだ。単民族の日本とは感覚がまったく異なっている。
物質的価値観にどっぷりと浸かってしまっているのだ。今ではどの国も、どの人々も経済的発展のみを追い駆けている。
自然を破壊し、地球が温暖化して、一旦台風でも発生すれば軒並み、とてつもなく発達し、大雨をもたらし、土砂崩れが起きるような、気候の変化が起きていても、考えることは文明を進歩させることばかり。
地球が滅びの道を辿っていることにも口先だけで反省はないな。相変わらず世界中では戦争や、紛争が止んだことがない。戦争がどれだけ無駄にエネルギ一を消費していることを知らない訳では有るまい。クリミア半島とロシアを結ぶ橋が壊わされたからと言って、また、ウクライナの首都キウイへの攻撃が始まった。戦争が一番自然を破壊し、自然環境を汚していることを、指導者たちが知らない訳がない。
私が小学生の頃、『地球の石油はあと50年くらいでなくなる』と言っていたけど、幸いまだ枯渇していない。そうは言っても地球が46億年掛けて作って来た資源を、ほんの200~300年で食い尽くしてしまう気なのか?!
あとは、宇宙開発に向かうのでしょうかね?
私の住む南関東ではここのところ2~3日、雨が降ったりして急に涼しくなった。昨夜など我家では夕飯にモツ鍋を食べた。モツは他の肉に比べれば安い物である。鍋の中に入れる具の一部として、バルコニ一でプランタ一にうえてあるニラを切って入れた。誠にささやかと言うか慎ましいものである。
こう一気に涼しくなると、老年とも成れば体調管理に気を配らなければならない。ちょっと前までエアコンの冷房を掛けずに居られなかったことや、『地球温暖化』のことなど、今となったら、もうすっかり忘れてしまって居るのである。
昨日のテレビで、大リ一グ・エンゼルスの大谷選手へのインタビューで
『今年、一番印象に残ったことは何ですか』と問われて、
『過去のことは忘れました』と答えていた。予め意識していなかったことを、咄嗟に聞かれて思い付かなかったのでしょうが、大谷選手らしく大らかで良かったと思っています。
人は誰もが『希望』や『目標』を持って、生きているのではないのです。どなたでも、お正月とか、何かの切っ掛けの時に、一時、『希望』や『目標』を持つことは有っても、いつとはなしに現実の生活の中に紛れて『希望』や『目標』は消えてしまうものなのです。それが多くの人生です。
朝8時半頃、拙宅の並びのワンル一ムアパ一トの建築現場で、公道上に停めたトラックの荷をタワ一クレ一ンで吊り上げ、電線を越えて建設工事構内に運び入れようとして、荷が電線に引っ掛かり切断、周辺一体が4時間に渡り停電となった。
公道でクレ一ンを使って荷卸するのに道路使用許可を取っていたのだろうか?取っていたなら、道路のこちら側とあちら側に各1めいの交通誘導員を置かなければいけないのに、警備会社の人は1人しか居なかったけどな。
突然の停電はどこも困る。今はオ一ル電化の家もあるから何も出来なくなってしまう。弊ジイとてパソコンで文字の打ち込みをしていた。それまでのデ一タはパ一になってしまい、また打ち込みしなければ成らぬ。プンプン
仏壇用に花屋さんで仏花を買うと、茎が少し長目になっている。昨年、菊の茎を切ってプランターに挿しておいた。菊はすぐに根付いて、成長して今それが盛んに咲き始めている。菊ばかりの赤紫の単色だけれども、これでしばらくの間、仏花を買わなくても間に合う。事前に新聞やテレビでも10月から値上げがあると報道されてきた。それにしても、10月になって見事に、物価は軒並み上がって来た。仏花の節約など、ささいなことでありますが、年金生活の庶民は、『小さなことでもコツコツと節約』しなければなりませんね。
昨日(9/29)、『徘徊・老人日記』にて、おさむ爺のスマホ(アンドロイド)では、『クズ』と言う漢字が似ているけれど異なる文字に変換されると指摘した。爺は Windows パソコンの『メモ帳』でホ一ムペ一ジの原稿を作っている。パソコンとスマホで使っているワ一プロソフトが違うのであろう。
爺がパソコンで辞書に載っている正しい漢字で入力しても、スマホで『再生』すると『似て非なる』文字で表示してしまう。いつもはスマホで見直しなどしないのだが、気になってスマホで表示してみた。スマホ(アンドロイド)で9/29分の『徘徊・老人日記』を読むと、何がなんだか意味ふ明の文になってしまっている。
物好きで 9/29分の『徘徊・老人日記』を読んで下さる方は、是非パソコンで読んで下さるようお願い致します。
先日、知人とLineでメッセ一ジ交換していて、『秋の七草』が話題となった。その中で、『クズ』と云うつる草の話になった。クズは薄紫の可憐な花を咲かせるが、茎や葉が獰猛と言っても良いほど繁茂する。『葛』の文字の中の下の方『人』の部分が、Lineでは『一』となった見慣れぬ漢字を表示していた。どうも、おかしい。おさむ爺の記憶違いであろうか?『褐』や『喝』のように、下の部分がカタカナの『ヒ』のような物ではないと思っていた。
『葛藤』と言う言葉があります。昔から『クズ』と『フジ』は双方ともつる草で繁茂する縄張り争いで、仲が良くないらしい。一方で『葛根湯』と言ってクズの根はカゼ薬として使われていたようだ。
Lineが変換する『クズ』の漢字(私にはこの漢字をパソコンで表示できない)は、おさむ爺が普段使っている国語辞典でも、漢和辞典でも使われていない漢字だ。Lineで『かっとう』と云う変換しても、同じ見慣れぬ漢字に変換する。
パソコンで読み方も分からない漢字を探す時に使う、『IMEパット・手書き』で入力しても、Lineが変換した漢字は、類似の文字として候補にすら出て来ない。どうしたものか?
ここまで来ればとことん調べようと、『漢辞海』と云う我家には相応しくないような分厚い漢和辞典で『葛』と云う文字を調べたら有った。『異字体』と表示されて、Lineが変換していた漢字が出てきた。『略字』『でも可』と言う表示もない。正しい漢字があるのに、常用漢字や高校生が使うような辞書にも出て来ない文字に変換するのは、どう考えても、ミスだと思うな。(後で調べたら、『葛』も常用漢字ではなかった)
それはそれで良いけど、何か有ると些細などうでも良いことを、トコトン調べたくなってしまうのがおさむ爺の悪い癖だと思っている。
それとは別に、漢字の方もちょっとの違いで違う漢字を作るなんて、もう一度利便性を考慮して考え直してもらいたいなぁ。『気候』の『候』と『諸侯』の『侯』は1年くらい前まで同じ文字だと思っていたよ。違う漢字だと70歳過ぎて初めて知った。『専門』の『専』には右上に『 ’』が付かないけれど、『博士』の『博』には『点』が付く。どうなっているんだ。音読みにして『博』や『補』、『簿』のように『ハ行』のモノには『点』が付いて、『恵』や『専』のように『ハ行』ではないモノは『点』は付かない。『専門』の門には『口』が付かないけれど、『訪問』の問には『口』が付く。紛らわしい。どうなっているんだ。『文部大臣出て来い!』と言いたくなる。何とかして欲しいよ。
自分自身がもうどうしょうもないアホだなと思う。
長男が小学校に入る時だから、もうかれこれ35年も前の事になる。祖父母が孫に入学祝として、木製の学習机と椅子を買って呉れた。今、その机と椅子をおさむ爺が使っている。子供用の椅子なんて、主にネジ止めとステ一プルで組み立ててあるから、そんなに頑丈に出来ているわけではない。今迄も何度も壊れたが、貧乏性のおさむ爺は金物屋で補強用の金具を買って来て、その都度直して使っていた。
今度はいよいよ、補強金具そのものが疲労破壊してしまった。椅子を修理することを諦め、ホ一ムセンタ一に行ってパイプ椅子を買ってきた。会議室などで出席者が多くて、臨時に使うあのパイプ椅子である。税抜き¥1790であります。
問題は壊れた木製の椅子の処分であります。粗大ゴミの伝票を買って来て、そのまま粗大ゴミの日に出すのが普通かなと思われます。
椅子に使っている木材は硬くて丈夫だからと思って、おさむ爺は『今度、何か工作をする時にきっと使える』と思い、16個付いていた補強金具を締め付けていた木ネジを全部外し、ステ一プルも抜いて椅子の部品をバラバラにして、机の裏に貯蔵するため束ねたのであった。(布やスポンジは捨てました)
果たして、『今度、工作する物や機会』があるものでしょうかね。『もったいない教の教祖』に成れるかな。
台風15号が去った後、昨日今日と絶好の行楽日和である。我が夫婦は計画性がなく、今日その場になって、天気が良いから『何処か行こうか』となるものだから、手近な所にしか行くことが出来ない。今度はちゃんと計画しようと思うのだが、『今度とオバケは出た事ない』で中々うまく行かないものである。
とりあえず、外の空気を吸おうと言うことで、市内の『緑地』に行くことにした。『緑地』は最寄り駅からも、かなりの距離を歩かなければならない。おおよそ、市の緑地は中に売店などない。途中のコンビニでおにぎり、サンドウィッチなどを調達していかなければならない。
行ってみて気が付いたのだが、今日は月曜日で隣接する『民家園』は休業であった。已む無く、今迄行ったことのない、緑地内の山の上、『梅林』、『つつじ苑』など探索。当たり前の事だが、今の季節にこれらの花を見ることは出来ない。今度来る時のための下見である。
これも『今度』で、私もカミさんももう歳だから、再訪するという保証は全くない。今日でさえ息が上がって休み休み登った階段を、今度来る時に登れるか自信は全くない。
偶然友と出合った時に交わす、『今度、何処かで呑もうよ』と云う言葉と一緒で、単なる社交辞令である。大人だから一緒に飲む機会など、きっと来ないであろうことは、双方とも承知しているのである。本当に呑みに行く気なら、出合ったその場で日時と集合場所くらいは決めないとね。
『秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる』 沖縄方面では非常に強い台風12号の接近で大荒れなので心配です。南関東では晴れて、北東から気持ち良い風が吹いています。古今和歌集に収められている『秋来ぬと~』の歌に相応しい気候です。この歌は立秋に詠われたものだと云いますが、現代では立秋の頃と言えばもう暑い盛りで、とてもじゃないけど『目にはさやかに~』どころではありません。
9月になっても、いまだに寝る時はエアコンをかけ、肌掛けもかけずに寝ています。9月9日の重陽の節句や十五夜も済んで、やっとどうやら少し涼しくなった。昨日、出先で人通りの少ない坂道を下っていました。何やら畳の縁の布地が落ちているのかと思って近付いたら、1.5mくらいの青大将でした。蛇だって、夏の熱せられた道路上を這うことは出来ない。道路の温度も下がって来た証かな。これも秋の兆しなのでしょう。自然の状態で蛇を見たのは何年ぶりでしょうか。離れた所には山があり、林があるのできっと散策にでも出たのでしょう。それでも蛇を見たところは住宅地の中です。車にでも轢かれたら大変です。草の茂った脇道に追い込みました。無事、山に戻れるか案ぜられます。
何処かで2mのニシキヘビが逃げたのではという放送がありました。私が見たのは1.5mくらいでしたが、それから推測するとニシキヘビもそう大きいモノではないなとの推測です。
『目にはさやかに~』ですが、夕方暗くなるのも明らかに早くなって来ました。一時は午後7時近くになっても明るかったのに、自然というのは偉大なものです。
先般、作文練習帳 第1470で『実業と虚業』と云うのを書きました。『お金を稼ぐ重み』を書こうと思っていたのですが全く恥ずかしい作文になってしまった。一時は削除してしまおうかと思いましたが、いつもいつも
自分にとって、それなりの物が書けるわけではないので、そのまま残しております。
大きな花が咲き、ネットに這わせれば日陰を作ることが出来るとして、『夕顔』の苗を春に買った。葉っぱは茂り、蕾は長さ15cmにもなって先端が紡錘形のものを幾つも付けて来た。これが咲いたらさぞかし大きな花が咲くと期待した。8月中は蕾は出来るものの、咲かずに皆落ちてしまってこれではダメだと諦めていました。
9/8の朝、昨夜咲いたらしい痕跡を見つけ、9/8夜に開花を確認しました。花の大きさは大輪の朝顔の花と同等か、やや大きめです。夕顔と言うからには夕方咲くのかと思いましたら、我家のものは午後8時頃咲きました。この夏はとても暑く幾分涼しくなった今頃から咲き始めたようです。
夕顔の実からは『かんぴょう』が取れるそうですが、我家のものでは無理のようです。
立秋はとうに過ぎて『暑い!』と言ったって、まだやはり暑いけれど、ひと頃の35℃を越えるような日は、もう今年はないのではと期待したい。空の雲の様子も秋めいて来た。
Lineでグル一プを組んでいる学生時代の友人から、山陰旅行で、隠岐の島に行った時の、懐かしい写真が送られて来た。丁度、大阪万博があった年のことである。
あの時の、隠岐の島の空も『ああ、夏も終わりだ』と言うような雲だった。夏の残りを惜しむキリギリスみたいに、感傷的に成ったものである。友人は50年も前のフイルムで撮った写真を、スキャナ一で撮り、Lineで送ってくれたのである。なんとまあ、物持ちの良いことで、ありがとうございます。
あの隠岐の島の澄み切った青空と海、形容も出来ない降るような星空に感動した。『いつの日かまた、来て見たい』とその時思った。そして、今も時々行きたいと思うけど、恐らく生涯で再び隠岐の島を訪れる事はないであろう。
なまえだけ立秋ではなくて、立秋を過ぎれば『残暑見舞い』であり、近頃は夕方暗くなるのも目に見えて早くなって来た。我家には夏休みの宿題を心配する子供が居ないから気が楽だ。次男が小学生の頃は、夏休み終わり間際になって、泣き泣き宿題をやっていた。
偶然久ぶりに友人と出会って、『今度、呑もうよ』と言う言葉と同じである。その場で呑みに行くか、呑みに行く日程を約束しなければ、『今度、呑もうよ』は社交辞令で、決して実現しない。やらなければいけない宿題は先延ばしにせず、計画してせっせとやらないと後で泣くだけである。
あのどうでも良いような『自由研究』と言う物は、出来栄えの良さを狙う人には厄介なモノである。もっとも、出来栄えを競うような作品を作る子は、初めから構成もしっかりしていてもう、ほとんど出来上がっているのか。”心構えと日々の行ない”がしっかりしていないのに、『出来栄えの良さ』を欲するから、自由研究は難しいのである。『努力もしないで結果の良さ』を求めるのは何処の世界も同じか。
夏場は滴るほど汗をかきます。特別の事でもない限り1年365日、毎日風呂に入ります。夏場はともかく、汗をかかない季節は仕方なしに入って“チャチャ”と洗って出て来てしまう。基本的には風呂嫌い、面倒くさいからだ。
朝、顔を洗わなくなったのは22歳からで、独身寮に入ったのが切っ掛けです。顔は洗わずとも、元々歯が弱かったから、歯だけは入念に磨いてきました。朝、顔を洗わなかった分、夜、風呂に入って、顔だけは洗顔ブラシを使って入念に洗います。朝顔を洗うと言っても、ただ水を付けているに過ぎない程度の方も多く見受けられる。困るのは、風邪など引いて風呂に入るのを休むと、日毎に顔の色が黒くなると言われたことがあります。ただ、『猫だって顔を洗う』と言って、猫を引き合いに出す方がいらっしゃいますが、猫とは比較されたくない。
何処の洗面所にも大抵は鏡がある。何となく気恥ずかしくて、鏡に映る我が身を正視することなく過ごして来た。これは床屋にても同じであります。
古稀も数年前に過ぎて、“ひょい”と鏡に映るわが容貌を確かめると、『なるほど、私もジジイになったものだ』とビックリする。正直なところを言えば『こんな筈じゃない、もう少しマシだったのでは』と思う。現実に直面して慌てて顔を引き締め、ポ一ズを取って、角度を変えて見ても、ジジイはジジイに変わりがない。少しでも見栄えが良くならないかと鏡に相談するも、無駄と悟り、最近は再び鏡を見て、改めて『老醜』を確認することもなくなった。かくして、人は老いていく。
かつて『老いらくの恋』と云う言葉もあった。この老醜では、もはや『対象外』と云うものである。いやいや、歳相応の相手の方もそれなりであろうから、そう卑下することもないのかも知れない。人間、幾つに成っても、たとえ微かでも希望は持っていなければならない。
容貌の話はもう如何ともしがたい。今はコロナと”暑くてかなわん“から大人しくしています。『秋くらいから何か探そうかな』と思っております。こう毎日家に居てゴロゴロしているのにも、気が引けます。
人は社会的動物です。人の幸せは一生涯働くことを通じて社会貢献出来ることなのではないでしょうか。一生同じ仕事をするという事でもありません。今更、給料をもらえるとも思いません。仕事には体力、知力などが必要です。体力を必要とする仕事も老年になっては出来ません。
老後を充実させたいと思うなら、若い頃から準備していないといけないのだったと、今頃になって思っています。『老後の生き甲斐』と云う言葉もしばしば耳にしますが、老年になって突然『生き甲斐』が出て来る筈がありません。
『生き甲斐』の問題は人それぞれで、極めて個人的な問題です。もちろん、国や地方自治体が援助しなければ行けない事はたくさんあるでしょう。しかし個人の出発点には公的機関が介入出来ない、極めて個人的な部分だと言う考えが必要だと思います。
こう毎日ゴロゴロしている怠惰な生活にも飽きました。
昨日夜、本を読んでいて、文中に『全国津々浦々』と言う文字が出て来た。大変なこと見付けたと思った。
『興味津々』と云う文字で『津々』は『シンシン』と読む。
『全国津々浦々』では『津々』のことを『ツツ』と読む。
同じ文字なのに『シンシン』と読んだり、『ツツ』と読んだりして、こんなことが有って良いものだろうか。大変なことを見つけたと、しばし気持ちが高ぶってしまった。よく考えてみたら、『津』と言う字は音読みで『シン』と言い、訓読みだったら『ツ』である。同じ文字で『音・訓』で違う読み方するものなどたくさん有る。
大変なこと見付けたと、振り上げた拳の落とし処がなくなってしまった。仕方なしに方向転換する。
『々』と言う字は何て読むのだろう。『佐々木』では『サ』だし、『津々』では『シン』又は『ツ』だし、誠に便利な後に付けば何にでも使える文字の発明なのだけれど、甚だ自らの主体性のない、『あなた色に染まります』と云った数世紀前のお嫁さんのような文字なのであります。
一体単独ではなんて読むのであろうか?かつて、何処かでカタカナの『ノ マ』と言うのだと聞いたことがある。『ノ』と『マ』という字を近づけると『々』と言う字になるからだ。ちなみにワ一プロ機能でこの文字を単独で出そうとすると、『同じ』と入力すると選択した候補の中に『々』の文字が入っている。
結局のところ、大変な発見でも何でもなかったことから、つまらないことを書いてしまった。
図書館では2週間の間、本を貸してくれる。一度に6~7冊の本を借りる。ほぼ2週間に一度図書館に行く。朝9時半の開館時間からまだ幾らも経っていないのに、閲覧席はほぼ満席状態。夏休みで学生が多いのは当然だけれど、定年過ぎたと思われる年配者も多い。平日だから主婦らしき方は居ても、勤め人らしき人はほとんど居ない。
本を読んだり、ノ一トに向かって何か書いている。真夏の暑い日に、図書館にエアコンの『涼』を求めた目的だけではないと思う。冷房、暖房を必要としない時期でも、年配者が居るのは同じだからだ。定年過ぎても何か学んでいるに違いないと思いたい。それに引き換え、私には生涯に渡って成し遂げるようなことがない。
『書斎』から『作文練習帳』となまえを換えた1400件以上書いたものが有るけど、単にその場その時に思い付いたことを書き続けただけで、『こんな物ではない』と思っている。
『元気があれば何でも出来る』と言います。その『何でも』が何であるかが大切です。ライフワ一クと言うのでしょうか、たとえ他の人から評価されずとも、自己満足でも良い。自分はこの世に生を受けて『これをやった』と云う証が欲しい。自分にはない。焦る。もう、私の年齢でこれからでは無理か。いつも、気が付くのが遅すぎる。よく言われる『自分史』だけは書きたくないもんね。
同居している息子がカレ一ライスやラ一メンを食べているのを見ると、額から汗が噴出している。ジジイもカミさんも食べる量は息子よりも少ないけれど、同じ物を食べてもそんなに汗は出てこない。歳を取っているせいで、代謝が少なくなってしまっているのであろう。
ジジイにも若い頃があった。幾らたくさん食べても『無駄食い』となり、35歳くらいまでは体重が50kgに届かなかった。よく健康診断の問診表に『20歳の時の体重に比べ、10kg以上増えましたか?』と言う問いが有る。今のジジイの体重では10kgどころか、ほぼ20kg増量なのである。
今の食事では腹8分目くらいで済ませている積もりなのに、まだまだ少しずつ増えているような気がする。
このところ連日、猛暑の日が続いている。都心の気温が35℃越えの昨日午後、扇風機だけしか掛けていない、我がパソコン部屋は気持ちだけでは、もうサウナ状態に成っている。(実際のサウナはもっと暑い)
その暑い部屋の中でジジイは給水に十分注意しながら、自作ダンベルを使った筋トレ他、腹筋運動、柔軟体操など、1時間弱の運動をした。もちろん、アスリ一トの皆さんが出す汗の量とは比べようもないが、ジジイ自身も自分で驚くほどの量の汗がでた。
その後、程なく風呂に向かったが、汗の染みたTシャツやパンツは体に張り付いてしまい、容易に脱げない。汗拭きタオルもこれ以上汗を吸い込まないくらいビショビショとなった。水だって1リットル近く飲めば汗も出るわな。こんなに汗をかいたのは何十年振りか。汗をたくさん出した後は、何故か体がスッキリする。眠気も吹き飛んで爽やかな気分になる。
余り汗をかかない生活をしていると、『汗をかかない体質』となってしまうらしい。体の温度調節のために『汗をかく体質』にしておく必要が有る。
人間の過去の活動のツケで、地球の気候に変化が起きている。温暖化と成っている。夏にはとても暑い日が増えてきた。雨も一旦降ると、とてつもない量の雨が降る。猛烈な風が吹く、大型の台風が増えてきた。
今まで、住む場所を選べば、暑からず、寒からず地球は微妙なバランスで生物が生きて行ける奇跡の環境を保ってきた。人類が活発な活動をしてきたので、微妙なバランスが崩れつつある。
ここのところ、ほとんど外出らしいものをしていない。何となくウツウツして来る。上海のゼロコロナ政策はさぞかし大変だったろうと想像する。そうは言えども、これと言って行くところもない。図書館に行ったついでに、足を延ばして川崎大師まで行って来た。
初詣の時には、明治神宮、成田山新勝寺などと同じように川崎大師も参拝客で賑わいます。盛夏の折に無理に外出して熱中症にでも成っては大変と、参拝者は誠に少ないのであります。
何もせねばお賽銭も入らない。今、川崎大師では参道の商店と連携して『風鈴市』を企画、実施中でありますが、『笛吹けど踊らず』で、この暑さで参拝するのは弊ジイのような、『ひま人、物好き、野次馬』だけで、境内の参拝者の様子は画像のような有様であります。
川崎大師のめい物は『久寿餅』と『のど飴』です。参道の商店で『飴切り』の実演をして、職人さんが包丁でまな板をトントコトントコ叩くのですが、こう客足が少なければ開店休業で、飴切りもお休みでありました。客足がなければ、大師さんへの祈祷の申し込みや、お賽銭の投入、参道の商店へのお土産購入の売り上げも全く伸びないのでありましょう。
あまりの暑さに早々に帰途につきました。帰りの京急電車に乗ったとき、エアコンの有り難さをしみじみ感じたのに、懲りずに川崎駅近くの地下街で昼食にカレ一うどん大盛りを食し、また大汗ドットコム状態となりました。
疲れて夜は早々寝てしまった。『体力がなくなってしまったなぁ』とつくづく思うのだが、それでもまだ『暑いせいだから』と、暑さのせいにしたがる自分であります。
先日コロナウィルスに対する規制が緩和されたと思ったら、全く正直なもので、このところまた感染が拡大して来た。小池都知事は昨日には第7波突入だと言っていた。今度はBA.5株と云うのだそうだけど、またまた新株が出来て増殖しているらしい。
増殖と言うけど、何とも分からないことに、コロナウイルスは生物ではないのだと言う。生物には3要素と言うのがあって、
① 細胞膜に覆われている。
② 自ら代謝がある。
③ 自ら分裂していく。
ウイルスには細胞膜がなく、代謝が出来ない。生物の細胞内に入り込んでコピ一を作る。生きていないので死なないのだとか。死なないとなると厄介な者だ。コロナウイルスもこれまで、アルファ一株、デルタ株、オミクロン株、BA.2、BA.5だとかに変異してきた。これはコピ一する時のコピ一ミスで違うのが出来てしまうのだとか。
単なるRNA遺伝情報なのだとか。ウイルスにはDNA型とRNA型があるのだそうで、今迄、親子や兄弟、従姉妹で『同じ血が流れている』なんて、かつては言って来ました。今では同じ血ではなく、同じDNAが存在すると言うようになったらしい。DNA型は変化しにくて、天然痘や今話題の『サル痘』が該当するので比較的撲滅し易い。
一方RNA型はコピ一する時にコピ一ミスが起こり、変異してしまい中々撲滅出来ない。ウイルスに1~2個感染しても何も出来ない。100億個のようなレベルまで増えて初めて症状がでる。感染しても潜伏期間があるのは、増えるまで、それだけ時間が掛かると云うこと。RNAを包んでいるタンパク質は石鹸では溶けるけど、水で手を洗っただけではダメなんだって。帰宅したら、石鹸で手を洗ってください。
と言う講釈を聞いたのだけど、まだ何かコピ一と云うのが釈然としない。
今日、集団接種会場に行って、『4回目の接種 武田/モデルナ』のワクチン接種を受けて来た。今のところ、4回目の接種の対象は、60歳以上の高齢者と18歳以上の基礎疾患のある人に成っている。予約するに際して、1~2回目のように、何処に電話をしても通じないとか、パソコンで申し込もうにも直ぐに締め切りになってしまうなんというかつての喧騒はない。
今のBA.5の感染拡大の状況では、速やかに接種の年齢制限を撤去して、皆さんが接種を受けれらるようにした方が良いと思う。感染して医療費が掛かるより、ワクチン接種の方が負担が軽い。感染して後遺症が出てしまった方の情報を新聞やTVで見ますが、あんな辛い思いをするようなら、面倒でも予防接種をした方が余程楽です。羅漢さんも手で目を塞いでいますが、そんな痛いわけでもなく、人に拠っては接種後、大変な方も居るかも知れませんが、後々の事考えたら、機会が有れば是非接種することをお勧めします。
どうした風の吹き回しか、『暑中見舞い』のハガキを2枚書き、ポストまで投函しに行って来た。『暑中見舞い』はいつ出すのか時期と言うモノがあるに違いないと思って、一応ネットで調べてみた。 『小暑』から『立秋』の前日までは暑中見舞いでOKなのだとか。今日はその『小暑』なのである。
もし今日が暑中見舞いを出す適期でなければ、『猛暑見舞い』とでも書いて、何かしら書いて、ハガキで出しておきたかったのだ。今年は例年になく梅雨も早く終わってしまった後は猛暑の連続で、『猛暑見舞い』でも少しもおかしくないと思っていたのである。
今日に限っては全て手書きで、ハガキを出した。宛先は2枚とも80代の方で、e一mailやLINEで出すには馴染まなかったこともあるが、今日に限っては、仮にもっと若い方相手でもハガキで出していたと思う。
いつも友人、知人と連絡する場合にパソコンやスマホで簡単に済ませていた自分に、ちょっと心境の変化が起こっただけなのです。
たまには宛な書きも含めて手書きの手紙も趣が有って良いかなと思った。手書きで書かずに、キ一ボ一ドばかり叩いていると、きっと人間の能力が衰えてしまうのではと、漠然と思った気まぐれの日でした。
50年働いて、3月末より『毎日が日曜日』の生活になった。毎日休みなのだが、金曜日の夕方になると、何かホッとした気持ちになる。
前からずっと欲しいと思っていたスキレットを買ったよ。英語で書くとSkillet。もしご存じなければ、画像のような鋳鉄製の小さなフライパンのようなもの。ちょっとワイルドでアウトドア風だけれど、アウトドアに限らない。調理後、お皿に移さずそのままテ一ブルの上に置くのもカッコ良いのではと思っている。
大袈裟だけれど、買った場所は¥100shopのダイソ一。¥100shopでも¥100以外の商品もたくさん売っている。価格は¥330だから、全く大した価格ではない。別なものを買いに行ったら、すぐに目について即購入の運びとなった。
持ち帰れば、『こんなに重たいもの、何に使うのよ。他の食器に触れたら、食器の方が壊れてしまう』と早速言われてしまった。調理するために加熱すると、"持ち手”まで熱くなってしまう。今までも3人家族だから、ちょっとした小さなアルミ製のフライパンで済んでいた。何も重たい鋳鉄製のスキレットを使う必要などなさそうで、どうやらカミさんにはふ評なのである。とにかく明朝、ワイルドに目玉焼きを作ってみよう。鋳物だから熱の伝わり方がマイルドなのだと思うのだ。そんな違いが分かる舌を持っている自信はない。
季節は梅雨時期となった。梅雨と言えばアジサイとデンデン虫である。子供の頃、アジサイに大きなカタツムリが這っているのを見たような気がするが、最近はカタツムリをちっとも見ない。うえ木鉢を傾けると同類のナメクジばかりである。一軒家を持ちながら移動するよりも、賃貸住宅で暮らすナメクジの方が気楽で、暮らし易いのであろうか?
花鳥風月を愛でるおさむ爺は、アジサイ寺に見物に行ってきた。アジサイ寺と言えば、鎌倉の『明月院』が定番であります。アジサイは挿し木にすれば直ぐに増える関係で、鎌倉でも『長谷寺』もアジサイが多い。
おさむ爺の住む川崎市内にも、通称『アジサイ寺』と呼ばれるお寺さんはいくつかございます。6/8は川崎市麻生区の『浄慶寺』という浄土宗のお寺さんに『花』を求めて行ったところ、ウグイスも鳴いていたから『鳥』も、もちろん風も吹いていて『花鳥風』までは楽しんで来ました。
本当はアジサイを求めて行ったのですが、境内にはたくさんの楽しい羅漢が置かれておりまして、さながら『花より羅漢』状態で梅雨空の一時を楽しんで来ました。
予防接種をしている羅漢、コ一ヒ一を飲んでいるもの、ダンゴ食べるもの、腕相撲しているもの、パソコンをしているもの、二人でババ抜きをしているもの、酒を飲んでいるもの、雑巾掛けしているもの、携帯電話しているものなどなど様々な羅漢を見てきました。ここではその中の一部の画像を紹介いたします。
前回、川崎市中原区の『せせらぎ遊歩道』にカルガモの親子を見に行ったのは、3月上旬でした。今日また見た親子は、その時と同じくらいの大きさです。産卵の時期には随分個体差があるようです。
川崎市内の中原街道沿いで黄色い道路標識を見付けました。『クマやシカが出る』と言う標識は見たことがあります。カルガモの親子の標識は初めて見ました。
カルガモの親子が中原街道を横断するのは至難の業。運転手さん、カルガモの親子の道路横断を見かけたら、必ず停止してくださいな。
4月に学生時代の時の友人2人と会って話をした。二人とも健康に留意していて、毎日ウォ一キングをしているとの由。一人は1日に16000歩、もう一人は8000歩目標で、いつも10000歩くらい歩いているのだと言う。
3人の中で一番背が低いのに、一番体重があるのが弊爺である。2人に触発されて以来なるべく歩くように努めている。中々『歩数』は伸びないし、腹もへこまない。1万歩と軽く言うけど、私の場合では1万歩には2時間掛かるし、8kmは歩かなければ成らない。今日は珍しく1万歩以上歩いたが、そんなに歩いた後は、疲れてその日の生活に滞りが発生する。弊爺の場合にはせいぜい5000歩が良いところである。
事件についてネットに何か書いても、何でもかんでも直ぐには誹謗中傷には成らないであろうと思って、前々から思っていたことをちょっと書いてみる。
山口県阿武町の4630万円誤振込み事件で何か有ると直ぐ電話を掛けたり、SNSに投稿する人が居るらしいが、こうしてHPに書くジジイも『 ONE OF THEM 』であるのかしら。
*振り込まれた青年は品行方正とは言えなさそうだけれど、行政のふ手際に拠って、一人の青年を犯罪者に仕立て、人生を狂わしてしまう原因を作ってしまったのは確かだね。もちろん、誤振込みの通知を受けた時、そのまま返却しておれば問題なかったのだが、一生に一度あるかないかの大金が自分の口座にあれば、人間誰しも戸惑うよね。9割以上のお金が戻ったようだけれど、彼がこれから就職する場合に実めい報道されたから、間違いなくハンデになってしまう。
*週刊誌を読んでいないから、実めい報道された田口容疑者がどんな人なのか分からない。彼は生活に困窮する世帯に給付する臨時特別給付金の受給対象なのですかね。単に働くのが嫌で、働くことが出来るのに働かなければ生活に困窮するのは当たり前で、受給資格の判断基準がどうなっているのか知りたいところですね。
私が以前からずっと思っていた『ボ一ルペン』に対するイメ一ジは、1本のボ一ルペンのインクがなくなるまで使い切るという事がほとんどなくて、使い切る前にインクが固まってしまうのか、文字が擦れたり、書けなくなってしまうことが大半であると思っていた。言い換えるとボ一ルペンは最後まで書けないものだと。
私のイメ一ジに反して、ここ何ヶ月間で何本かのボ一ルペンを使い切った。最後まで使えると、何となく嬉しいものである。1本のボ一ルペンはどのくらいの期間使えるものかと、試みに使い始めの日付をナイフを使って、ボ一ルペンの軸に『4/18』と刻んでおいた。
昨日5/5に使い終えた。延べ18日間で1本使い切ったと言う訳だ。インクを消費させようと意識してメチャクチャに線を引くなど無駄なことをした訳ではない。普通に文字を書いての話です。ただ、仕事を辞めてから家に居て文字を書く量が以前に比べたら格段に増えたという事です。それでも小学生の頃にあって痛かった『ペンだこ』はまだ萎んだままだから、キ一ボ一ドに打ち込む方がまだまだずっと多いと言う訳だ。
4/13 に引き続いてこの春2回目のツツジ寺に行って来た。前回は早過ぎて、『十日後にいらっしゃい』と言われた通りに行ったら丁度良かった。それでも、まだちょっと早いかとも感じる。『まだはもう、もうはまだ』と言う株屋さん言葉ではないが、全てのツツジが必ずしも一斉に咲くのではなく、まだ咲いていないのもあるけど、咲くのを待っていたら、今迄咲いていたものが枯れてしまうのも有って、いつが一番とは言い切れない最大公約数的なものが有るのであろう。もう何度こうした処を見る機会があるかどうか分からない年代になったことを身に染みて思うようになった。
連日ウクライナの戦況が報道される殺伐とした世の中で、こんなひなた水のようなこと書いて良いものかと迷う。通称ツツジ寺と呼ばれる等覚院と云う天台宗のお寺さんまでツツジ見物に行って来た。実は昨年も行ったのですが、遅過ぎて大半のツツジは咲き終わっていた。今年こそはと意気込んで行ったら、今度は早過ぎた。寺の人に聞いたら十日後くらいにいらっしゃいと云う。自然相手には中々うまく行かない。
『春に三日の晴れなし』と云う。目まぐるしく日によって天候が変わると云う意味だ。新学期を前に孫たちの一家と花見を計画して居た。折角の楽しみも雨と寒さでは即中止の連絡を取った。久しぶりに孫の成長振りを見られると思ったのに残念。
『 Retired 一年生』である。明日は社会保険の資格喪失連絡票を持って区役所に行き、国民健康保険加入の手続きをして来なければ成らない。現在は健康保険の無保険状態にある。年寄りだから早いところ手続きを済ませないと医者にも掛かれない。
Retired 一年生なのだが、実を言って、習慣で目覚まし時計をセットしてしまうし、まだ勤めていた時と同じ時間に目覚めてしまう。家で考えたことをメモしてカバンに入れようとして、『ああ、こんなこともうしなくて良いんだ』と思うことしばしば。慣れるまで少し時間が掛かるかも。『身に病あり、胸に愁あり』今日読んだ本に出てきた。幸田露伴の言葉です。
4/1よりは毎日がSundayとなる。死ぬまでは毎日有り余る時間があるわけだから、先駆けてTwitterとfacebook に登録してみた。先に始めたTwitterの方ではもう20回以上つぶやいた。Twitterを辞書で調べると動詞では『ぴ一ぴ一さえずる、くすくす笑う、おどおどする』で、めい詞では『さえずり、くすくす笑い』である。
今迄ツイ一トした感じでは、時事問題に絡めてツイ一トすれば『食い付き』が良いが、自分の周辺の事柄をツイ一トしたのでは、甚だ『食い付き』が悪い。そりゃ一そうだよな。オネエチャンじゃあるまいし、ジジイの『つぶやき・愚痴・ため息・戯れ言』の類に興味有る訳ないよ。ちょっと期待したジジイが間違いだった。
ずっと更新していなかったけれど、設定をいじったら使えなくなってしまったのです。ゴメンなさい
南関東では、あと10日もすれば、ソメイヨシノや山桜が咲き始めてしまう。決して風流人ではないが、高齢者であるからして、後何回春を迎えられるかも分からない。散ってしまわないうちに観梅に行って来た。梅を見たからって、筵を敷いて酒を呑むわけでも、俳句をひねる訳でもない。ただ歩き回って梅の花の香を楽しむだけ。
天気が悪ければまだまだ寒いが、晴天の日には大分温かくなって来た。時々散歩に行くコ一スに成っている川崎市中原区の『江川せせらぎ遊歩道』に、河津さくらを見に行った。花の方は8分咲きと言ったところでしょうか。
例年なら4月中旬以降から5月連休頃にかけて見られるカルガモの赤ちゃんを、3月上旬だと言うのに見ることが出来た。今年はとても早い。この時、雛は9羽だったが、いつも遊歩道を散歩している知人に聞いたところ、初めは11羽だったそうな。2羽は既にカラスか鵜に食われてしまった様子。雛の傍に付き添っていたのはお母さんであろう。どの世界でも同じでしょうが、カルガモの世界でもお父さんは何処かに行ってしまっていてふ在でありました。
昨年より21日遅れて、今日、関東地方に『春一番』が吹いた。
知的障害の息子は電車を使って作業所に通っている。何らかの理由で電車がふ通になってしまった時に、一人で自宅に帰って来る練習して備えておかなければならない。先日は、一緒に自宅近くのバス停まで路線バスを乗り継いで帰って来る練習をした。
今日はJR線5駅分の距離を、主に電車線路に沿った道を息子と歩いて、自宅まで帰って来る練習をして、所要時間とコ一スの確認をした。今日は春一番である。追い風の時は快適だが、風向きが変わって向かい風となった場合は老体には全くキツイ。以前歩いた時より、所要時間が大分増えた。体力が落ちたものだ。
オリンピック・カーリング女子決勝戦の一部を見た。残念ながら銀メダルであった。こちらのストーンを使って、相手のストーンをはじき、さらにその先の相手ストーンをはじき出す。単に正面から衝突させるのではなく、何処に当てればどうなってと『読み』が大切な競技である。頭を使う競技である。『読みの深さ・速さ』では抜群の藤井君でもメンバー入りさせれば良いのにな。彼は優しい顔しているし。股間のモノは押し付けて大腿で挟んで内股でヨチヨチ歩けば何とかなるかもしれない。
税務申告の時期です。おさむ爺も公的年金の他に、年間で20万円以上のパート収入があるモノだから税務申告を午前中に済ませました。
日大の田中元理事長のように脱税で捕まりたくないものね。もうとっくに亡くなってしまった母が『お金と灰皿は溜まれば溜まるほど汚い』とよく言っていた。
払わなければならないものは早く決まりを付けてしまいたい。税務署で申告期間中に2回くらい休日に開所する日があって、以前は朝早くから並びました。私よりもっと早くから来ている人が居て、いつも長蛇の列になる。余程たくさん収入があって、税金を払いたくてウズウズしているらしい。そんなこんなで申告が終わるまで4時間くらい掛かっていた。昨年度からパソコンでの申告に変えた。医療費の領収書の集計作業も含めて、2時間以内に完了。まるでe*taxの宣伝みたい。税務署のまわしものだなこりゃ。
今日は節分である。バレンタインデイのチョコレ一トと一緒で、誰が広めたのか分からないけれど、商用一辺倒の『恵方巻』である。こんなに何処でも『恵方巻』を売り出すものだから、売れ残って廃棄される食品ロスの恵方巻でもあります。今年の『恵方』は『北北西』なんだとか。どちらを向いてもオミクロン株の爆発的感染拡大で『恵方』なんかあるモノか。
明日は立春である。寒さはまだ一向に衰えないが、日差しは大分春めいてきたし、日も明らかに長くなって来た。『もう春は直ぐそこまで来ている』
昨日、勤めから帰ると、新型コロナワクチンの3回目に接種券が届いていた。2回目までの接種をして頂いたクリニックに直接電話すると、コ一ルセンタ一経由で予約してくれと言われた。
自分のかかり付け医院は接種協力医療機関ではない。何処かで接種して頂ける機関を探さなければならない。コ一ルセンタ一に電話しようにも、繋がりっこないと云う『先入観』があった。その日の受付終了時間の20分前である。まあ、ダメモトで電話したら、運よく直ぐに繋がった。
コ一ルセンタ一の案内のオネエサンに、接種の案内書に書いてある協力医療機関の一覧表の中から自分の知っているクリニックのなまえを伝え、予約状態を調べて頂いた。5つほどクリニックを調べて頂いた。クリニックによってそれぞれ予約の仕方が違っていて、中々予約出来ない。
オネエサンに『何処か、お勧めの所ないですか?』 と訊ねた。
『モデルナで良いですか?』と問われて
『良いですよ』と答えたら、即決、集団接種会場で4日後の2/6日曜日の15時15分からの予約が取れた。
集団接種会場の予約は『毎週火曜日午前8時半から、1週間分の予約受付を行います』と案内書に書いてある。その場で予約できたのは、前回の週の予約枠に空きがあったに違いない。ラッキ一である。
コ一ルセンタ一のオネエサンはとても親切な方だった。2回目まででコ一ルセンタ一に電話しても通じない理由が分かったような気がする。すごく優しく懇切丁寧に対応して頂けるからだ。その分、時間が掛かるわな。優しく懇切丁寧に対応しなければ、直ぐに苦情が来るからな。難しい話です。
一般的なことを言えば若い頃、難なく出来たことが、段々出来なくなることが増えた。同じくちょっとした事で直ぐ間違いを起こす。だからと言って何か新たなことを始めることに躊躇するのは良くない。
もう何年も前からやろうと思っていたが、やらずに居たものに Twitter がある。図書館で Twitter の指導書を借りてきて、今日、ユ一ザ一登録して Twitter のアカウントを作ってみた。
指導書に『どんな人が利用している? Twitter 利用者の年齢分布』の円グラフが書いてあった。10代 10%、20代 15%、30代 23%、40代 24% 50代 28%であった。60代と弊爺が属する70代がない。60代以上は利用する人が居ないということか。余計なこと書きやがる。
まだツイ一トを投稿するところまで行っていないが、NHKニュ一スを始め各社のニュ一スばかり何件かアカウントをフォロ一した。さて、どうなることかな。
昨日スマホに着信が有ったのに気付かず、内容を今朝見た。従姉が第3回目のコロナワクチン接種を済ませたとの知らせであった。医療従事者ではないから、高齢者で基礎疾患がある者に該当するのであろう。それにしても早いな。
今度の新型コロナ・オミクロン株と云うのは感染力が強いらしく、毎日夜に見るニュ一スに示される感染者の数字はもう爆発的と言っても良いほど増えている。オミクロン株は重症化しにくいと言えど、私など肺気腫なのだから、感染したら重症化必至。気を付けなければいけない。とは言え、感染したら怖いけど、雷と一緒で『自分の所には当たらない』と言った何の根拠もない楽観な気持ちが有るのも否めない。
コロナも執拗だな。もう丸2年は感染を広げているのだから、良い加減に無害化、終息して下さいよ。
1/8~9に掛けて孫とその親達が我家にやって来た。孫は3人で、一番上は8歳の女の子である。家ではあまりパソコンはやらないようだ。ただ今時は学校の授業でタブレットを使うらしい。
我家に来ると良くパソコンで遊んでいる。ただ闇雲にパソコンに触れるのではなく、Wordでお絵描きを教えた。少しお絵描きの仕方を教えればたちまち使い始める。マウスを動かしているうちに、自ら自然と知った技法まで使っている。
孫の世代を『α(アルファ)世代』と言うらしい。産まれた時からパソコンを始めとした電子機器が自分の周りに溢れていて、キ一ボ一ドに触れることに臆するところが全く無い。操作をしている様子を見ると驚きである。当たり前だけれどカミさんにパソコンを教えるのとは大違いである。
3億円事件以降、給料の支払いが銀行振り込みとなっている会社がほとんどだ。給料日にはカミさんに明細書を渡すだけで、銀行へ行って自分で下ろすことがなかった。数年前、カミさんに一緒に銀行に行ってもらい、記帳、送金、引き出し方を教えてもらった。いまだに銀行のATMの前では極度に緊張する。銀行によって機械が違うのが忌々しい。
新年明けましておめでとうございます。
いつもなら、年末年始とかゴ一ルデンウィ一クのような長い休みはだらけてしまい、途中でもう嫌だなと思ってしまうのだ。昨年12年の28日から、今日までの8日間の休みはアッという間に終わってしまいそうだ。明日からは早く起きなければ成らない。目覚ましのセットを確認しておこう。
今となってしまえばもう大分年月が経過したが、父母と同居して見送ってしまい、最近では親しい友の訃報を聞く機会が増えた。
自分は欲が深いから、これからあれもしたい、コレも食べたい、何処そこへも行きたいと希望だけが浮かぶ。もう一方で、頭に浮かぶのはそう遠くない時間に訪れるであろう自らの終焉の場面である。
残りの人生、何を大事に生きていこうかとの心境になる。毎日、毎日少しずつの老いが、カチカチ山の泥舟に水が染み込んで来るがごとく、少しずつ体の隅々に押し寄せて来るのを実感する。
さて、今年は何を目指そうか。