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徘徊・老人日記

今日あったこと、日常の出来事、読んだ本など身近なことを書いていこうと思います。

 2018.05.23(水)

 第一生命保険の『サラリーマン川柳コンクール』の結果が発表された。
1位  スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
2位  『ちがうだろう!』 妻が言うなら そうだろう
3位以下、省略
 私にとって、2位の作品は当を得ている。カミさんはそうは思っていないかも知れないが、我が家はカミさんを中心に回っている。自分の結婚式の時に初めて会ったカミさんの弟に言われた。
 『絶対にカカア殿下になるから』
 そもそも、結婚して42年になるが、初めから貰った給料は袋ごとカミさんに渡し、その中から小遣いを貰っていた。その後、給料は銀行振り込みになったが、通帳や銀行のカードは皆、カミさんが持っている。お金の管理をせずに済むのは楽だが、何と言っても家計を管理している方が強い。
 明らかに誤っていても大多数の人が賛成したり、ある人が持っている権力が絶大だと、その人が言ったことが正解になってしまうことが大いに見受けられる。日大のアメフト前監督の内田氏もその典型のようだ。

 2018.05.17(木)

 昨日、朝にザリガニに餌を与えている時は元気に動き回っていた。しばらくして再び見たら、中の1匹が脱皮を始めていた。ザリガニの脱皮の様子を実際に見ることが出来るなんて滅多にないことである。成長につれて今までの殻が窮屈になって脱皮をする。まるで下着のシャツを脱ぐかのように腰のつなぎ目からすっぽり脱げた。その後、静かになってしまった。飼育の本に脱皮中は触れてはいけないと書いてある。30分ほど見ていたが、外出の予定があり、出掛けてしまった。帰って来て見たら、死んでしまっていた。上手く脱皮が出来なかったのだ。脱皮も命がけなんだ。
 ある施設の会報を読んでいた。所長のコメントがあり、始めの方にコスモスが盛んに咲いていると書いてある。
 『何だ、所長はコスモスも知らないのか』
 コスモスは秋桜と書いて、普通は9月~10月に咲くものだ。違う花と間違えているに違いない。今日、たまたまその施設に行ったら、なるほど花も、葉っぱも紛れもなくコスモスだった。濃いピンク、淡いピンク、白などの花が盛んに咲いていた。鉢椊えでなく露地で咲いていた。帰りに全く別の所でもコスモスを見た。季節感がなくなってしまう。
 せせらぎ遊歩道を歩いた。早いものではもう咲き始めているが、あと1~2週間でアジサイが満開になりそうだ。梅雨の雨上がりの合間にみるアジサイは素敵だ。やはり時期に合わせて咲いてもらいたいものです。

 2018.05.13(日)

 今日は母の日だ。僕の母はもう既にいない。存命と仮定すれば今年98歳である。まあ、亡くなっていて当然な年齢である。母のことは好きでなかった。大人になって考えても、外面は良かったが、内面はずいぶんわがままな人であったと思う。老年になって父母だけでは暮らせなくなって、我が家で一緒に暮らすことになった。姉は同居すると考えただけで、鳥肌が立つと言っていた。それでも母は母である。
 昨日、散歩のコースで商店街を通ったら、花屋の前には花の小鉢が並んでいた。母の日の花として、最近は必ずしもカーネーションだけではないようだ。宅配便で長女から我が家に届いたのは、カーネーション、カスミソウ、キンセンカを盛り合わせたものだ。次男の夫婦からはカーネーションの鉢だった。
 次男夫婦は電車で駅の数で4つほど離れた所に住んでいるが、中々我が家に遊びに来ない。昔と違って、夫婦仲良く暮らしていれば良いと思っている。あれこれ干渉したくない。そう言えば、早いもので結婚して丸一年過ぎた。早いものである。

 2018.05.04(金)

 昨日から長女と孫たちが1泊して帰って行った。上の孫は幼稚園の年中である。ザリガニを見せた。初めて見ると云う。手を近づけると、ザリガニは威嚇してハサミを上げる。どうも怖くて触れない。慣れてきたやっと指先で触れることが出来た。
 幼稚園でウサギやハムスターをだっこしているのに、初めて見るザリガニの威嚇は怖いらしい。
 見ているとそのうちジャンケンを始めた。ザリガニはいつもチョキしか出せない。いつも勝ってばかりだからつまらなくなって、すぐに止めてしまった。ザリガニとジャンケンするなんて、子供の発想は突拍子もないものだ。3~8歳向けの飼育の本があったので持ち帰らせた。
 色々な小動物の飼い方が書いてある。そのうち、カブトムシでも何でも良いから飼ってみたら良いと思う。

 2018.04.29(日)

 世の中、GWモード真っ盛りである。家の前を通って行く通勤の人も少なく、車の通行も幾分少ない感じがする。通常、週3日しか勤めに出ないから、わざわざ混んでいる時期に出なくと良いと言う考えと、外出すると疲れてしまう。こんな筈じゃないと思いつつも出掛けた後の疲労感を思うと外出が億劫に成ってしまう。
 かくして、前半の3連休は自宅での静養としている。4/21にGETしたザリガニは元気である。8日間の間に2匹が脱皮した。成長するにつれて、硬い鎧のような外皮が窮屈になると脱皮する。本棚に在った子供向けの飼育の本に拠れば、年に2~3回脱皮するそうだが、ハサミの先まですっかり抜け替わるから、知らない人が見れば、死んでしまったか、突然匹数が増えたと早合点してしまうほどだ。僕は子供の頃、ザリガニを飼っていたから経験済みで承知していたが、カミさんは死んでしまったと思ったようだ。
 勤めるようになって、通勤時間が出来たことにより、本を読む冊数が復活した。もちろん、何でもかんでも読めば良いとは思っていない。新書版が多いが、読む内容についても考えている積もりだ。冊数はやはり目安になる。4月はそれでも9冊読んだ。休職中で有り余る暇があると返って読めないものだ。
 ホームセンターに行ったら、ナス、キュウリ、トマト、シシトウなどの苗をたくさん売っていた。今が丁度苗のうえつけ時期である。2年前までは畑が有ったのでたくさん買った。今はもう買うことができない。若い夫婦が大きめのプランターとナスの苗を買っていた。分かっている振りをしてアドバイスしようと思ったが止めた。余計なお世話である。自分だって他人の助言は受けたくなかった。自分の思うようにやって段々経験して理解していく方がよほどためになる。

 2018.04.22(日)

 朝っぱら7:30に我が家を出て、ホームセンターに行ってきた。昨夜寝る前にザリガニの様子を見に行った。容器の中に4 匹居る筈なのに、2 匹しか居ない。水面から容器のふちまで10cmくらいあったから、逃げ出すことはないと思っていた。夜中の12時近くに懐中電灯を持って、バルコニーの大捜索である。もっとも、捜索隊員は一人である。1匹はすぐに見付かった。もう1匹は中々見付からない。うえ木鉢や、水を貯めて置く容器を移動したりと随分てこずった。
 ザリガニはエラ呼吸である。湿っている所なら何とかなるかも知れないが、長い時間水のない所では生きていけない。急遽、押入れからふたつきの飼育ケースとエアーポンプを出して来て、容器を入れ替えた。飼育ケースは小さいので買い換えざるを得ない。
     ホームセンターに直径40mmの塩ビパイプ500mm長さのもの¥179*が丁度有った。水槽のコーナーに廻ると、結構な値段である。売り場をあちこち見て廻ったら、透明の衣装ケースふた付きがあった¥529*。これなら大きさも十分である。
 家に戻り、塩ビパイプを四等分に切って、4つの部屋を作った。ザリガニの隠れ家には持ってこいの長さである。衣装ケースに水を張り、塩ビパイプを入れ、濾過器付きのエヤーポンプをセットした。ザリガニを移動しようとしたら、1匹が亡くなっていた。残念、共食いで頭の部分が無かった。土の中に埋葬した。お経はなし。
 水槽に残り3匹を入れてしばらくしたら、1つの隠れ家に3匹とも潜り込んでしまった。後になって見たら、やはり一部屋に3匹は窮屈らしく、一部屋に1匹ずつに収まっていた。落ち着いたのは誠に結構なのだが、隠れ家に篭りっきりで、昼間はちっとも散策に出ないから見ることが出来ない。ザリガニの世界には、ずっと家に篭りっきりでなく、1日何歩歩くことが望ましいと云う指針がないものなのでしょうか。メタボになってしまうよ。

 2018.04.21(土)

 川崎ではちょっと知られた通称『つつじ寺』と呼ばれる等覚院にツツジ見物に行って来た。ネットで調べても、ツツジのめい所は多々あるが、老年になる疲れることを考えるとどうも遠くは億劫になる。近場で済ませることにした。

 

 桜もそうだったが、今年はツツジの開花が早い。今が丁度見頃だ。来週末ではもう遅いかも知れない。
 等覚院の後は東高根森林公園に行った。新緑が素晴らしい。森の中を歩いている匂いがする。何とかイオンが発生しているのだろう。思う存分深呼吸をする。
 公園内では動しょく物の採集は禁止である。唯一、アマリカザリガニだけは増えすぎてしまい、採集、持ち帰りを許している。子供たちが棒の先にタコ糸をぶら下げ、糸の先端に裂きイカと5 円玉の重しを付け、池でザリガニ釣りをしている。せいぜい、小学校低学年までか。
 見ているとザリガニの居そうもない所に糸を垂れている。通り掛かりのジイサンが見かねて、ザリガニ釣りの指南をすることになった。夜行性のザリガニは池の周囲近くの石を積み重ねた所に隠れている。そこに糸を垂らすように指示した。
 今日は嬉しいことがあった。実は水生動物が大好きなのだ。多摩川に行って2cmほどの魚を網ですくい大きなフナまで育てた。ザリガニも孵化させて育てたことがある。今日はザリガニをGETしたのだ。
 ザリガニ釣りをやって持ち帰っても家で飼えない子供たちのために、森林公園の出口にバケツが備えられている。ザリガニ釣りをやっても持ち帰られない子供たちが、そのバケツにザリガニを入れて帰る。バケツを覗くと5 匹入っている。その内、4 匹をビニール袋に入れて持ち帰ったのだ。
 我が家の近くにもザリガニが居る場所がある。いつも子供たちがザリガニ釣りをしている。実は僕もやりたかったのだけれど、いい歳をしたジイサンがザリガニ釣りは情けない。ダシにする子供がいない。わが子が小さい時は連れて、ザリガニ釣りに行かなかった。次男はセミ取りに連れて行っても、セミすら掴めなかった。昆虫全般ダメのようだ。結婚して、嫁さんもゴミブリが嫌いのようだから、ゴキブリが出たら二人で震えているのだろうか?生活体験のないのには困ったものだ。
 バルコニーの日の当たらない所に容器をおいて、溜めておいた雨水を入れて放した。煮干も入れておいた。ただ、このままではダメだ。ザリガニが身を隠す場所がない。近くの金物屋に行ったが、適当な物がない。明日はホームセンターまで足を延ばして、アルミ角パイプか塩ビパイプを買って来て、15cmほどの長さに切って住みかを作ってやろう。犬猫は飼う気になれない。ペットの居る生活も良いね。楽しみは続く。

 2018.04.05(木)

 昼ご飯を食べた後、寝転んで新聞を読んだ。読み終わって日課の散歩に出た。昨日に比べて10℃くらい低いと天気世予報で言っていたが、薄着ではやはり寒い。年寄りにはこう温度差があるときつい。途中まで行って、商店街の中にあるBOOKOFFに入ってしまった。
 年金暮らしで限られた小遣いでは、中々新刊書の本屋で購入と云う機会も減った。最近は、BOOKOFFで古本ばかりである。本の中にはやはり賞味期限があるモノがある。古本では現在の時勢が変化してしまっている物が多くて、内容が陳腐化してしまっていることがある。それほど社会の動きは激しい。
 まあ、その点は古本だからと諦める。読んだ本は一応記録している。本を読むと言ってももちろん大切なことは内容である。だが、内容は本を読んで見なければ解らぬ。それでも、H系の本、漫画、バイオレンス、推理小説は始めから読む気が全く起こらず、対象外にしている。
 昨年は余り数多くの冊数を読んでいない。理由は至極簡単、通勤していないからだ。僕にとっては通勤時間と、夕食後風呂から出たあと寝転んで読むのが読書時間だった。夕食後は家人がテレビを見るので、そちらもチラチラ気になり中々ページが進まない。
 出版関係に携わる人の中には、年間500~1000冊も本を読む人がいるそうだが、僕は多くて高々年間100冊と言う所か。昨年なんかは50冊も読んでいない。
 通勤時間に読むための本の調達にBOOKOFFに立ち寄った。新書版のコーナーで本を探していた。BOOKOFFでは始め、新刊の半値くらいの価格を設定するらしい。売れないと段々価格を下げて行き、最終的には『100円+税』のコーナーに移って行く。僕の行く商店街のBOOKOFFは規模が小さい。新書版だと『半値くらいのコーナー』と『100円+税』のコーナーが2~3mしか離れていない。
 始め、460円と260円の2冊の本を買おうと選んだ。横並びの100円のコーナーにも行けば、同じ本が有るではないか。100円の本が汚れているとか、破れている等の形跡は全くない。直ぐに半値のコーナーに本を戻し、100円の方の本を手に取った。他にも同じ題めいの本が両コーナーに見受けられる。何かうんと得したような気になった。始めだと合計720円の物が、税込み216円で済んだ。
 『同一労働同一賃金』と云う言葉があったけれど、素人には『同一本同一価格』としておいた方が良いと思うのだが、古本屋も本の数が多過ぎて、手が廻らないのであろう。
 寒いのと、勤めに復帰して毎日たくさん歩いているので、古本を買ったところで、今日の散歩は途中で止めて帰って来てしまった。

 2018.03.30(金)

 犬や猫のような動物ではないけれど、昨日、頭髪を夏バージョンにして来た。一昨年後半より、免疫機能が誤って頭髪を攻撃してしまうことにより発症する脱毛症に罹ってしまった。昨年は次男の結婚式と言う事もあり、新郎の父親の挨拶もせねば成らぬので髪を伸ばしていた。
 僕の髪は元来硬めである。頭を掻く癖があり、整髪料を付けていると、手のひらが油染みてしまい、整髪料は嫌いだった。付けずにいれば、総毛立つってしまって中々厄介だ。昨日床屋に行って、3mmの坊主頭にして来てしまった。3mmの頭髪では指で掴むことは出来ない。
 短髪にして分かったが、頭髪の円形脱毛症はステロイド剤を毎日塗布して来た効果もあって、大分良くなった。それでも小さなハゲはあちこちに存在している。まだ小さなハゲは幾つもあるが、目立たない。免疫機能の異常攻撃で、体中のあちこちに脱毛症状は出ていて、そちらにはステロイド剤を塗布しないので、症状の改善は全く進んでいない。別に銭湯にでも行くわけではないので、良しとする。
 鏡で見る短髪は2年ぶりか。僧侶のように見える。頭の外観は僧侶でも心の中は煩悩に満ち溢れている。差し詰め『生臭坊主』と云うところであろう。掌で撫でると、たわしを撫でるような久しぶりの感触で、掌がとても気持ちが良い。この感触は短髪の人しか味わえないのだ。
 第一、頭を洗うのがとても簡単だ。風呂に入って、洗顔する延長で頭まで洗えてしまう。乾かすのもそのまま放っておけば直ぐに乾いてしまうので、ぶ精者の私には至って簡便である。

 こうしてブログを書き続けている僕が云うのは変な話である。SNSの『いいね』というのも、変な現象だね。投稿者が『いいね』の数が期待したほどないので、ガッカリしているとの新聞記事があった。投稿者が期待するほど、皆さん、有めい人でもない他人の生活なんか興味がないんだよ。自分の生活に精一杯なのだ。
 僕は第一目的がボケ防止で書き続けている。どうせ書いたのだから、UPしているだけだ。ただ、たまたまごく少数の方が訪問して下さり、閲覧して下さるからそれが続けることの励みになっているのは確かだ。元来が露出狂なのかも知れない。

2018.03.28(水)

 市の委託業務の受注ができ、4月から元の職場に復帰する事になった。根っからのおっちょこちょいで、いつも失敗ばかりしている。今日は業務確認の打ち合わせが有るのに、別の所に行ってしまい、打ち合わせに遅れてしまった。
 この歳(68歳)になって、再就職出来るのは誠にありがたいことである。家に居ても若干の家事手伝いくらいで、これと言ってやることがない。仕事も1年前までやっていた事だから、案ずることもない。ずっと家に居て、所在ないのは辛いものがある。動ける間は社会と繋がって、誰かの役に立っていたい。
 自分はこれと言った趣味がないものだから、『定年になってやっとこれから自由に自分の時間を趣味に使える』というタイプではない。出来れば体力的に続く限り継続したいと思っている。それには役に立つように勉強しなければならないな。

 2018.03.25(日)

 幼稚園が休みになって、22日から3つ泊まっていた孫たちが帰って行った。ママはベビーカーを押さなければいけないし、幼稚園児はチョロチョロして、手を繋いでいないといけないと、カミさんが送って行った。
 見送って誰も居ない家に入ると、まるで嵐の去った後のように静かになっている。ママである長女が乳幼児の頃、静かに一人で遊んでいるからいいやと、あまり話し掛けしなかった。言葉の遅れた子になってしまった。普通の子と同じようになったのは幼稚園年長になってからのことだ。僕ら夫婦には子育ての要領が分からなかったのだ。これではいけないと思い、次男には分からなくてもやたらと話し掛けた。小学生終わるまでとてもお喋りな子に育った。中学生になった途端に寡黙になった切り替えがとてもふ思議だ。
 孫が出来て、分からなくても赤ちゃんに努めて話し掛けるようにママに伝えておいた。今、幼稚園児の孫はその成果も有って、起きている間中、ベチャクチャお話ばかりしている。普段大人ばかりの生活を送っている身では、速射砲のように繰り出す孫のお話相手をしなければいけないジイジとバアバは戸惑うばかり。この分では、1歳2ヶ月の妹も今はまだ『あー』とか『うー』とかしか云えないけれど、きっとお話好きになるに違いない。こんなことジイジとバアバにとってお金で買えない小さな幸せと云うんだろうな。

 2018.03.24(土)

 幼稚園が春休みになって、22日から孫たちが来ている。4歳と1歳2ヶ月の女の子だ。寒いうちから来る来ると言っていたが、インフルエンザに罹ったり、熱が出たりと中々来られなかった。春休みになったとたんに来た。
 オモチャ箱から色々な物を引きずり出して遊ぶ。下の子は棚に置いてあるものを取り出して、一々渡してくれる。危ないと云うことがまだ分からないから目が離せない。5年前は大人ばかりの7人家族だったのに、一気に減って今は3人になってしまった。
 いつも静かなのに、孫とそのママが来て急に賑やかになってしまった。ジイジもバアバも子育ての頃をもう忘れてしまって、小さな孫達に翻弄される。散々、ジイジとバアバと遊んだ後、眠くなるとコテンと横になって、何でもなかったかのように寝てしまう。日曜日に帰る予定だが、老爺も老婆は疲れ果ててしまうことだろう。

 2018.03.15(木)

 すでにリタイアした身であれど、このところ野暮用ばかりで何かと忙しく更新していなかった。訪問して下さっている方々には申し訳なく思っております。
 子曰く、学びて時に之を習う、またよろこばしからずや。朋あり、朋の遠方より来たる有り、また楽しからずや。
 論語の最も有めいな節の一つである。明日、今は遠くにお住まいの小学校時代の友にお目に掛かる約束に成っている。多分、所要で上京されるらしい。その一時を割いて私と話をして下さるのであろう。とても嬉しい。ありがたいことだ。
 昨年はお目に掛からなかったけれど、2年前のクラス会の時にはろくに話もしなかった。彼とは小学生の頃良く遊んで頂いた。2人とも悪ガキだった。4年生で担任の先生が代わった。全体朝礼の時お喋りしていたのだろう。教室に入ってまず一番先に先生から叩かれたのは、僕と彼だ。今と違って先生は生徒を叩くし、授業中、黒板消しも飛んできた。
 明日、彼と話をするとなると、それこそ56年振りとなる。小学生の時のように『僕、お前(君かな)』で話が出来るかな?
 世間でとかく、同窓会と言うと、社会的地位や属性で勝ち組、負け組なんて言う嫌な話を耳にするものだ。2人とも既にリタイアしてしまった身だから、そんな情けない話も笑のうできるであろう。とにかく楽しみだ。連絡をくれた彼に感謝したい。頭の中で小学校の頃の出来事の記憶が駆け巡る。

 2018.03.04(日)

 雨が降らなければ、殆ど毎日ウォーキングをしている。毎日、5000歩を目標だ。距離にして4km弱というところだ。現実に毎日歩くとなると、中々難しいものだ。苦しいこと、面倒なことから逃れて、サボりたい気持ちを誰しも持つからだ。体のメンテナンスを思い、ウォーキングをするなどと思うから面倒なのである。ウォーキングは楽しいことだと自己暗示すれば良いのだ。・・・・・・・どうも私は暗示に掛かりにくいタイプらしい。

 いつも同じコースを歩いてもつまらない。このコースを歩けばほぼ何千歩と云うのが、もう分かっている。画像は"せせらぎ遊歩道”の今頃咲くのだから多分、河津桜だと思う。昨日、今日ととても暖かい。河津桜も一気に咲くことだろう。
 こうして蕾が膨らみ、色々な花が咲き始める。花を見る人たちのそれぞれの思いには全く頓着せずに、時期になれば葉を伸ばし、咲き始めるのにちょっと忌々しさを感じる。こう思うのは、私がひねくれているかに違いない。
 北海道では低気圧の通過で大荒れだったようだ。北国ではまだまだ雪に囲まれ、春の到来はまだまだ先のことだろう。もう、12年も前のことになるが山形に単身赴任していた時、積もった雪が日に日に少なくなって、桜の蕾が膨らんで来る様子を、休日にはいつもアパートの裏にある上山城址に見に行っていたことを思い出す。そんな長い間居る訳でもない私でも、春の到来を待ち侘びていた。冬には雪に閉ざされてしまう雪国に住む人に取ってはなお更春が恋しい。
 当時、通勤途中に車のラジオを聴いていて、開花予想が4/20だと知っていた。丁度その日はあいにく吹雪になってしまった。結局春を待ちわびて咲こうと思っていた開花を見ずに帰京してしまって、とても残念だった。もう、そんなに時間が経ってしまったのか。

 2018.02.24(土)

 冬季平昌五輪もあと2日となった。冬の五輪では最高のメダル数を獲得したのだから凄い。メダルを取れば、その人は世界で何番目かの実力なのだ。
 メダルあるいは入賞者のインタビューを聞いていると、内容はいつも同じだ。
 『メダルを取れたのは(入賞できたのは)支えてくれたスタッフ始め、応援して下さった皆さんのお陰です』
 というのばかり。
 『どんなもんだ。これが私(俺)の実力だ』
 という答えは一つもなかった。
 団体でメダルを取れなくても、
 『あいつがボケッとしているから負けた』
 と云う人も居なかった。何か当たり障りのない答えばかりである。これでは、インタビューを聞く必要もない。
 韓国女子パシュートで一人遅れてゴールインした。その時のインタビューを巡ってSNSで炎上が起こった。謝罪会見を巡っても、またまた多数の異議がSNS上を賑わしたようだ。
 今まで、誰もが自分の考えを述べる『場や手段』が無かった。SNSにより誰もが気軽に意見を言えるようになった。その意見、批判が膨大な数になり、表現が過激になれば、暴力に成りかねない。喜ぶべきことなのか、嘆くべきことなのか分からない。SNSではないが、大げさに言えば、このHPも世界中に発信しているのだ。ただ、悲しいかなアクセス数は2~3人/日だ。世界中の2~3人に発信している。トホホ・・・・
 トランプ米大統領が Twitter で自らたびたび発信する。これほど発信する指導者は過去にいなかった。マスコミを信用していないからである。いずれのマスメディアも、いずれかの資本系列下にある。資本系列の利害関係で主張が歪められて伝えられるのを嫌ってのことである。
 斯く云うトランプ氏の属する共和党でも、支持基盤である軍需産業や、ライフル協会の圧力や献金を無視できない。何度も銃による乱射事件が起きても、銃規制をする気配さえない。
 お金に抑えられてしまうと、偏ったものばかりになってしまう。読売新聞が巨人軍のキャンプばかり紙面に載せるのも、そういうモノだと思いながら、見ていないと世の中、見誤ってしまう。

 

 2018.02.20(火)

 今日は暖かい。花鳥風月を愛でる風流人でもないのだが、観梅に行った。生来のせっかちで、例年、行く時期が早過ぎて、ちらほら咲きの段階でガッカリしてしまう。今年は落ち着いて時期を待った。

 ネットで梅のめい所を調べた。めい所ランキングをやっていて、小田急線梅が丘駅近くの『羽根木公園』が梅のめい所人気 No1と言う事が分かり、行くことにした。ここならば、我が家からそう遠くもない。手頃な梅園である。梅が丘駅から歩いてほんの数分の距離である。
 公園に着いた途端、感動した。なんと、入口に咲く梅の木になんとウグイスがいるではないか。鶯色の小さな鳥だ。盛んにくちばしで梅の花を突っついている。もちろん、例の『ホーホケキョ』とは鳴いていない。食事の真っ最中で鳴くどころではないようだ。その後、梅園に入って行ったが、結局ウグイスを見たのはこの一羽だけだった。公園の『看板』あるいは『呼び込み』『梅園大使』の任を帯びていたのかも知れない。
 平日故に、観梅に来ている人たちは殆どが老人である。子供は未就学の幼児だけ。子供が走り回ることなく、落ち着いて一時を過ごせた。青空に梅の花が映えて。とても綺麗だ。花も桜と違って清楚な感じがする。
 その場で食べるもの用と、お土産用に饅頭を買った。外観は真っ白、中も白餡で、青梅を甘く煮たものが一つずつ入っている。お茶は売店横に準備されていて、紙のカップにセルフで注いで無料だ。安い観梅である。

 2018.02.14(水)

 絶ふ調である。インフルエンザに罹っている訳でもなし、風邪を引いていることもない。お通じも、お通じは関係ないか。大体便秘などになったことがない。夜も寝られぬことはない。新聞の広告を見ていると、夜中に何度もトイレに起きる人が居て、ヤシガラに由来する薬が良いという。寝てから、夜中にトイレに起きるということも、夜中に目覚めることも滅多にない。夕方の散歩も欠かさず、雨が降らなければ毎日4kmほど歩いている。花粉症も今のところ大丈夫だ。
 つまり、体の方は何ともないのだ。精神的にダメなのだ。恋でもしているのかしら。だが、残念ながら、思い当たる方はいらっしゃらない。こちらが勝手に素敵な方だなと思って、思念を飛ばしても、総白髪のジジイに対し、応答など有る筈もない。思念もFadedなのであろう。
 昼間の日の光も大分、春めいて来た。散歩コースにうえられている、河津桜ももう開花寸前になっている。毎年の事ながら、この季節は精神的におかしくなる。何となくふあんになり、ソワソワした感じとなる。猫のように、何とも言えぬ声を張り上げたり、狼のように小高い丘の上から、月に向かって遠吠えしたくなる。近くに小高い丘もない。我が家の前の道路で遠吠えでもすれば良いのかも知れぬが、バケツで水でも浴びせられるといけないから、目下のところ自粛している。
 何が原因なのか分からないが、毎年春先にはこのような状態になる。以前、精神科に通院していた頃の薬がまだ残っている。今朝一錠飲んでみた。夜の外出はしないようにしよう。万一魔がさして、他家の軒下に吊るしてある下着泥棒でも遣りかねない。こんな事を『李下に冠を正さず』と云うんだな。ワォォォーーーー!!

 2018.01.30(火)

 寒い日が続いている。先週降った雪を積み上げた道端では、埃で汚れた雪がまだ消えていない。また南岸低気圧が近付いているというから、雪が降るかもしれない。
 散歩をする時には毛糸の帽子を被る。帽子の中を見ると白髪が何本も抜けている。一旦生えた部分がまたハゲているようだ。もう1年2ヶ月になる。いつになったら直るのかいな。
 円形脱毛の塗り薬ステロイド剤が残り僅かになったので医者に行った。私の行く医院は内科、小児科、皮膚科をやっている。昨日も午後に覗いたら、待合室は小さい子とお母さん達で一杯だった。昨日は諦めた。いよいよ薬の残りが少なくなって、待つのを覚悟で行った。
 受付横の表示は35人待ち、診察までの予測待ち時間1時間40分と示されていた。『ウヘー』である。待合室にはそれほど人数は居ないのだが、インターネット予約する制度が有るらしい。待合室には子連れのお母さん、お父さんばかりで、本人が具合悪いような大人は見受けられなかった。インフルエンザは今がピークらしい。そう云えば、二人居る孫も相継いでインフルエンザになったっけ。薬だけ処方して貰えないかと受付で言ったが、この医院では先生が診なければ処方しませんと断られてしまった。
 実際には30分ほど待ったら、なまえを呼ばれて診察を受けた。僕のようにつむじの辺りをちょっと診るだけで、いつもの薬を処方して終わるような、てっとり早い患者は優先して片付けるのかも知れない。ちょっと診て『ああ、大分良くなっているようですよ』と気休めなのか、励ましているのか分からぬことを云う。帽子の中の抜けた白髪を集めるのは寂しいものだ。
 10月の終わりにワクチン接種をしたお陰かどうか、今のところインフルエンザの兆候はない。小さな子供が夜中に40度近い熱を出して、ずっとぐずってろくに眠れなかっただろうお母さん達の子育ては本当に大変だ。子供は国の宝だから、丈夫に育てて貰いたい。
 『冬来たりなば 春遠からじ』と云うが、今年はまだまだ寒い日が続きそうだ。

 2018.01.27(土)

 今週は何かと忙しかった。南関東で雪が積もるのは珍しい。南関東に住む私たちにとって、雪は非日常の事だ。公共交通機関が止まってしまったり、間引き運転となってしまって影響は大きい。
 ISO14001の審査もあったが、どうやら乗り越えた。まだ最終結論は先の話だが、改善報告書提出を要する指摘が無かったから、継続出来る見込みだ。あまり心配もしていなかったが、ちょっとホッとした。
 この週末には、長女の家族が来る予定だった。1番目の孫が幼稚園で熱を出し、それが2番目の孫に移転して発熱してしまい、長女の家族が来ることはなくなってしまった。丁度2番目の孫が1歳になり、誕生祝いに『誕生餅』を予約してあった。仕方なく、餅を長女の家に持って行った。
 青梅線拝島駅でホームを降りれば、空気がヒヤリと冷たい。私の住む川崎とは大分違う。道を歩くと道端に積み上げられた雪の量は遥かに多い。
 1番目の孫はもう元気になったが、2番目の孫は大分熱が下がったとのことだが、まだ完全ではない。元気がない。座っていると、いつもならハイハイして寄って来るのに、今回はない。早くまた元気な姿をジイジに見せてくれることを切に望む。すっかりジジイになってしまった。

 2018.01.22(月)

 太平洋側の関東地方で雪が降るのは、例年1~2月のことだ。南岸低気圧の接近により、今日は雪が降っていて積もりそうだ。雪に対する備えがないものだから、直ぐに交通機関が止まってしまう。朝からテレビ、ラジオとも雪に関する報道ばかりだ。
 雪が多い地方の方にとっては笑ってしまうほどの雪でも、慣れない地方の人々にとっては大事なのである。明日はISO14001の審査があるので、出掛けなければならない。滅多に降らない雪に、下校途中の子供たちは遊びながら我が家の前を通って行くが、これ以上積もらんで欲しいと願うばかりである。

 2018.01.16(火)

 町内会で10区域に分けて当番を決め、学区の防犯パトロールをしている。ほぼ週1回の頻度で当番が廻ってくる。黄緑色のチョッキのような物を着て、揃いの帽子を被り、小中学校の下校時間に合わせて町内を巡回している。ただ廻るだけでなく、ゴミを拾ったりもする。揃いのユニフォームを着るのは『変なオジサン』『ふしん者』と間違われない防護策なのだ。情けない世の中だ。
 町会の区域は広いので、1時間くらいの巡回で、7000歩くらいは歩く。参加者は概ね高齢者で、私などグループ内では年齢的に若い方だ。話を聞くと、皆さんこの防犯パトロールの他に、日課としてウォーキングをされている方が多い。巡回の仲間にはボランティア活動をなさっている方もいる。
 先日、公園脇の掲示板にシルバー人材センターの掲示が出ていた。自治体の組織が運営していて、シルバー人材センターに登録して、草刈り、うえ木の剪定、駐輪場の管理、マンションの清掃、スーパーの荷出しなどの仕事を紹介してもらう制度のようだ。
 巡回中、メンバーの方と世間話をしている時、『シルバー人材センターに申し込んだらどうですか』と言ったら、もう彼は一度登録したことが有るそうだった。ところが、登録後3年目に初めてセンターから連絡があったそうです。それほど登録している人が多く、仕事は少ないらしく、仕事が中々廻って来ない。
 彼は屋内作業を希望して登録していた。連絡があったの時は夏季で、屋外駐輪場の仕事だったので、自信がなく断ってしまったと言う。
 世は人手ふ足だという。それは若年、壮年者の話のようだ。先日TVで高齢者の活用を紹介する番組を放送していた。その会社ではもはや高齢者なしでは立ち行かないとのこと。売り上げも伸びたという事だった。
 高齢者だとて、小遣い銭くらいは自分で稼いでみたい。現実には高齢者だと中々働き口が見付からない。大きな町会なので、町内を10区域に分けて、当番の日程を決めている。私の住む区域の当番の日の昨日は10人以上の人が集まって来た。
 『各企業の皆さん、シルバー人材センターに仕事を出して下さい。元気な人、たくさん居ますから』

 

 2018.01.02(日)

 正月はどうしても運動ふ足になってしまう。初詣がてらに一家3人で散策に行った。
 お賽銭の5円玉を6枚持って出た。近くの神社にお参りした後、もの足りないから、徒歩で神社仏閣巡り。結局、2神社、2寺院を廻って、家に戻れば歩数計の表示は8000歩。
 しめ縄、門松は神様に関することだと思っていた。寺院の山門の所にしめ縄と門松があった。神仏習合で、お寺の敷地内に神社があるわけでもない。私の思い違いかも知れないが、寺院にしめ縄や門松はそぐわないと思いつつ帰って来た。

 

 2017.12.30(土)

日課にしている散歩も、寒くなるといけないので、いつもより1時間ほど早めに出た。商店街を歩いた。普段よりちょっと混んでいるかなくらいの印象である。バブル以降最高値を記録したという株価も、今年は企業収益好調と言われているものの、企業が内部留保して従業員に配分していないという報道の通りなのか、好況の筈なのに庶民感覚とのズレがある。年末の慌しさはあまり感じられない。
 近隣の人たちが皆知っている安値の食品スーパーでも、まだ蟹が大量に残っていた。明日の夕方にあると思われる値引きを狙っている人が多いということか。我が家も今年は蟹はナシということになっている。例年作る煮しめも少なくして下さいとカミさんにお願いした。年が明けていつまでも食卓に煮しめが出て来るのは適わない。
 散歩のコースも昨日と今日とでは変えて、より広い範囲を歩いた。青竹の先端を斜めに切って、3本を束ね、裾に松の枝を配してこもで巻いた、門松もただ1軒、米屋の前で見掛けただけである。この門松ももはや年賀状印刷素材のイラスト集の中でしか、見ることが出来なくなってしまうであろう。
 いつも私が管理人であるHPを訪問して下さる皆様に感謝すると共に、皆様のご健康と益々のご繁栄をお祈りして、今年の更新は終わりかな。良いお年をお迎え下さい。

 2017.12.22(金)

 例年に比べれば、とてつもなく早く出来た。年賀状である。年賀ハガキの裏面作成は、手作りと言えるかどうか分からない。パソコンを使って作っているとは言え、独自の物である。月2回通っているパソコン教室でワードを使って手間隙かけて作ったものです。ネットからの引用や、雑誌に添えられているCDからイラストを選び出したものではありません。
 図柄の案は6種類作った。そのうちの一つをカミさんが選びました。我が家は『かかあ天下』だからカミさんの指示に従います。少しでも手書きの文字が入れられるようなスペースを確保して、テキストボックスを使って書いた文字を配列した。
 住所録に登録してあるデーターで住所が変わった方や、間違いを修正後、宛な書きや差出人印刷はチョチョイのチョイ。それほど簡単でもないか。
 相手先の顔を思い浮かべながら、細字のボールペンを使って細かい字で手書きのコメントをそれぞれ書いた。会社勤めをしていた頃に比べれば、圧倒的に枚数も少ない。まあ、仕方がないね。プリンターのインクのマゼンダがなくなりそうでハラハラした。これで一年の残りの行事もあとわずかです。

 2017.12.12(火)

 昨日の次が今日、今日の次が明日。あまり変化のない日が続く。このところ体調があまり良くない。精神的にも芳しくない。やはり、働き口を探した方が良いのかも知れない。
 スマホを買ったら、ある時からSMSが届くようになった。相手が分からないものは何だか気持ち悪い。同じアドレスから、1日に10通以上届く。当然返事もせず完全無視、削除してしまう。迷惑メールの設定もした。ある時から諦めたのだろうか、ちっとも来なくなった。贅沢なもので、来ないとまた寂しくも感じる。
 仕事をしていないと、電話もメールも全くと言って良いほど来ない。やはり、リタイアしてしまった身の上をつくづく思う。
 新聞のテレビ番組欄を見ると、相変わらず元横綱 日馬富士の暴行番組をやっているらしい。僕はほとんどその手の番組を見ない。日馬富士は書類送検された。相撲協会もハッキリしない。へそ曲がりの貴乃花親方。出て来る相撲記者はどれも協会寄りの発言しかしない。こんな状態で毎日毎日番組を編成するなど、日本はよほどのんびりしている物だ。視聴者も馬鹿にされているに違いない。外交問題は別として、こんな国民では、あべ首相も安閑としていられる。
 番組に出て来る相撲記者はどれも協会寄りの発言しかしないというのは、とても興味深い。協会に反発するような発言をすれば、後々その局は相撲協会から締め出しを食うとの配慮があるからだろう。
 トランプ大統領が、フェイクニュースという発言を盛んにしていた。どの報道媒体でもオーナーや組織の資本系列と言う物がある。当然、その報道媒体の利害関係がある。自分に都合の悪い記事は報道しないし、敵対する事項の報道には力を入れる。相撲記者は当然、協会に当たり障りのない事しか言わない。
 年末になって、読売新聞の購読継続契約を更新した。朝日新聞は嫌だし、読み慣れているから、読売にしているけど、結局は評論家のように複数の新聞を読まなければならぬのか。経済的に余裕がないから出来ないし、読む気力もない。
 トランプ氏がTwitterを使って、たびたび意思表明するのは、既存メディアを使うと意思が歪曲されてしまうのを恐れてのことであろう。
 先の衆議院選挙前に我が家にも世論調査というアンケートが何回も来た。一応、毎度答えたけれど、あれとて固定電話を対象とした、偏った世論調査であろう。息子夫婦の所では固定電話がない。今若い人の世帯では固定電話の契約をしていない世帯が多いと聞く。当然、世論調査結果も偏ったものになる。新聞すら取っていず、ネットのニュースを読んでいる人達も多いのであろう。
 一時、力を増していたISも携帯電話やインターネットを駆使していた。言論統制の中国では仲間と連絡し合うには、スマホとネットなのだろう。今や、固定電話の世論調査など存在価値が薄れてしまう。
 今、何が正しくて、何が歪曲されているのか、分からないと最近つくづく思う。

  

 2017.12.09(土)

 昨日と、うって変わって快晴である。昨日は寒かったと思っていたら、今朝雨水を溜める容器に氷が張っていた。どおりで寒かった。
 あまりに良い天気なので、皇居の『乾通り一般公開』に出掛けた。
 私は東京生まれの、東京育ちである。誇ることでも何でもない。奥多摩の方まで東京だが、私は目黒区の端っこの方。東京育ちでも、東京都心の方は全く分からない。行き先の皇居にも、生まれて初めて行く。途中、遠くに東京駅のレンガの建物が見えた。東京駅は乗換えで何度も行っているが、丸の内側の東京駅外観はこれも今まで1回しか見た事がない。まるっきり、東京の田舎っぺである。
 皇居もネットで地図を検索しないと、どうやって行くのかすら分からない。地下鉄大手町駅を降りて、矢印の指示通りに行けば、今回の乾通り一般公開の入口である『坂下門』の方に向かって人々がぞろぞろ歩いて行く。入場する前に、荷物検査があり、続いて金属探知機で体の裏表の検査を受ける。何とも物々しい。着いたのが12時頃だったから、それでもスムーズに入場出来た。朝方ならもっと混んだように思える。
 亡くなった島倉千代子さんの『東京だよ おっかさん』と言う曲を思い浮かべてしまった。初めて皇居と言うところに来た。静かなとてつもなく広い場所だ。この乾通りの一般公開は確か、桜の咲く頃にもある。石垣の大きいのにビックリする。トラック、クレーン、フォークリフトなどの重機械がない時代に、良くもまあこれだけの石を切り出し、運び、整然と積み上げたものだと、ただただ感心するばかり。
 乾通りの一般公開は、紅葉見物のためのものであろう。イチョウはもう完全に葉が落ちてしまったものと、青空の下にまだ黄色い葉を輝かせているものがある。モミジは最早、時期が遅すぎた。赤色を通り越して、暗い色に褪せてしまって居た。それにしても、大変な人出だ。
 坂下門から乾門まではあちこち見ながらでも30分ほどの行程である。折角ここまで来たものだから、乾門を出て右に曲がり、北詰門から入場して皇居東御苑に行った。ここでもやはり手荷物検査。ここも大変な広さの場所だった。こんな広い場所を歩くのも本当に大変だ。東御苑を横断して大手門から退場した。


 朝見た東京駅に行くことにした。東京駅のドーム内壁に干支の図があることを以前、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組で知った。東京駅には十二支の内、十の絵柄しかありません。後の二支が何処にあるかも、番組で紹介していた。
 遅い時間の昼食を摂ろうと、地下街に行こうとした。さて地下街への入り口が分からない。やっとのことで、地下街に入った。都心の人たちは歩くのが滅法早い。通路を歩く人の流れに、翁と媼はただおろおろするばかり。はぐれても互いに携帯を持っているから連絡し合えば良い。ただ、悲しいことに、連絡をし合っても指定の場所に辿り着けるか甚だ自信がない。離れ離れにならぬよう手を繋いだ。
 カミさんと手を繋いだのは、恐らく結婚して以来のこと。42年振りか。手がとても大きくなっている。あの頃は手が小さくてすべすべしていた。思えば、結婚以来カミさん17kg、僕とて14kg体重が増えている。幸せ太りであって呉れれば良いのだが。3人子育てをすればこうなってしまうのも仕方がない。天皇のご夫婦が歩く時に、美智子さんがさり気なく天皇と腕を組むのとは、やはりキャリアが違う。
 結局、地下街では食にありつけず、都心の力に気後れして、昼食抜きで帰って来た。帰りの電車の中で気が付いた。東京駅の地下街は八重洲口の方であった。丸の内側でうろうろしても、あまり店はない。ただ人混みにおろおろして帰って来てしまった。歩数計を見たら、15600歩だった。

 

2017.12.02(土)

 園芸店に行くと今頃、シクラメン、ポインセチア、ビオラ、パンジー、サクラソウの類の花を売っている。我が家でも、家の中に置くシクラメン、外に置くガーデンシクラメン、ビオラ、パンジー、サクラソウなど買って来ている。
 ポインセチアだけは買わなかった。昨年買ったポインセチアがコタツの上にずっと置いてある。葉は赤くなっておらず、緑のまま。
 葉を赤くするには日照時間を調節しなければならない。八月中旬から十月中旬まで午後6時頃にダンボール箱を被せて真っ暗な状態にする。朝8時頃ダンボール箱を除去して日に当てる。これを繰り返すと、葉が赤くなると園芸の本に書いてあった。
 居間に置きっぱなしで、夜になっても明かりが点いているから、ポインセチアはまだずっと昼間だと思って、葉はちっとも赤くならない。来年は是非挑戦てみたい。
 ちなみに、ポインセチアは12月頃売り始めるが、寒さに強いと思いがちだ。実は暑い所が原産だから、クリスマスが終わったからと言って、屋外に出すと途端に枯れてしまいます。くれぐれもご注意を。

 2017.11.25(土)

 5月まで借用していた畑の場所に、畑の大家さんが家を新築した。かつて我が家の建て替え時にお祝いを頂いている。いつも何かとお世話になっている。新築祝いの品を買おうとカミさんと花屋まで出掛けた。
 花屋には胡蝶蘭が幾つも並んでいる。安くて、見栄えが良さそうで、長持ちしそうな、とかく要求事項が多い。結局、素人には良く分かたない。予算を告げて店員のおねえさんに選んでもらった。配達して貰う積もりで行ったら、店では配達の取扱いをしていないと言う。仕方なしに自転車の後ろのカゴに入れて固定し、静かに帰って来た。
 幸い今日は大安である。早速、持って行ってしまう。胡蝶蘭も一鉢くらい置いてあるのが丁度良い。いくつも並べると、まるで、選挙事務所か、店の新装開店のようだ。並べるとどうしても品物の良し悪しを比較したくなる。
 まだ、花などの新築祝いは届いていないようだ。我が家の向かい側だから、気にしないようにしていても自然と見えてしまう。一番先に持って行けば、それだけ印象深いであろう。後から持って行くと、何故か促されているようで具合が悪い。打算の気持ちがあるのであろうか。

 2017.11.21(火)

 昨日、今日と12月末頃の気温だという。我が書斎であるパソコン部屋には暖房器具がない。なんどから電気ストーブを引っ張り出すのも面倒だ。昨日は寒いから好きなパソコンにもあまり触れなかった。同じく脱衣場にも暖房がない。風呂に入る時寒くて、暖まって顔を洗うだけで出てきてしまった。最近、面倒臭いことが増えた。生きているのも面倒臭いか。
 思えば、あと1ヶ月ちょっとで『古稀』である。ご存知のように、古稀は70歳の祝いである。6月生まれだから、満69歳になるのは半年先だ。古稀、喜寿、傘寿、米寿、白寿など長寿の祝いは『数え年』で行う。満69歳にもなっていないのに、昭和24年生まれの人は全員、正月を迎えた時点で『数え年70歳』である。ここまで生きるのは『古来、稀』となって、無駄飯を食って来てしまった。
 今日は雲一つない快晴である。日差しが有る分、暖かく感じる。紅葉を見に行くことにした。東京都立の公園には随分と行った。パンフレットを見たら、砧(きぬた)公園を紹介していた。イチョウ、ケヤキ、モミジと書いてあった。
 田園都市線の用賀駅からバスに乗ると書いてある。久しく用賀には行ったことがない。用賀に親戚が居て、子供の頃、母に連れられて行った記憶がある。多分、小学校低学年の頃か。親戚の家まで行く途中、水溜りに大きなオタマジャクシが居た。トノサマガエルの子なのか、用賀は大変な田舎という印象だった。二子玉川から玉電と言う路面電車に乗って行った。だから、恐らく60年も前のことだ。
 砧公園に着いた。時たま強い風が吹いて、ケヤキの落ち葉がつむじ風のように回転しながら吹き上げられていた。世田谷にはこんな広大な公園があるのかと、感心するほどの広大な敷地である。例に拠って平日だから、幼児以外の子供は来ていないし、とても静かである。
 松の幹にはコモが巻かれていて、いかにも冬らしい光景だ。松以外の木にはコモが巻かれていない処を見ると、マツクイ虫は松だけを害するのであろう。砧公園にモミジの紅葉を期待して来るのは、的外れだった。確かにモミジの木はあるが、数は少ない。色も鮮やかな紅葉ではなく、既にくすんでいた。1本のモミジの木でも紅葉している部分はくすんでいて、残りはまだ青々している。
 イチョウも個体差が激しい。日に照らされて木の全体が黄色く輝いている物もあれば、まだ全く緑色のままの物も多い。それでも、満遍なく色が変わっているのがケヤキである。砧公園にはケヤキの木は多い。勝手なイメージだが、ケヤキの木はどこか武蔵野を連想させる。
 砧公園に巨木が多いことに驚かされる。色々な都立公園に行ったが、こんなに巨木が多かった所はない。種類で言えば、桜とケヤキが多い。自由にノビノビ枝を広げている桜が多い。桜のめい所と呼ばれる所にも多く行ったが、砧公園ほど枝を伸ばした巨木は見なかった。日立製作所のCMの『この木何の木』のように枝を広げている桜が多くある。砧公園は紅葉よりは、むしろ花見時に適しているのではないか。まだ生きていて歩けるようなら、来年の春に再訪してみたい。
 帰りは二子玉川までバスに乗る。二子玉川には月に一度くらい映画を見に来る。その変貌振りには慣れたが、僕の比較の対象時点が、まだ大井町線の電車が車と混在して二子橋を渡っていた頃だから、五つ昔くらいのことになる。何処もかしこもすっかり変わってしまったから、用賀の変貌振りにも特別驚くようなことはなかった。人は心の何処かに、昔のイメージを持っている。昔のままで居て欲しいという気はあるものだ。

 2017.11.04(土)

 世は3連休である。長男を何処かに連れ出さないと、ずっと家の中に篭り切りになる。
 九品仏(くほんぶつ)に行った。東急大井町線の九品仏駅を降り、信号のある交差点を渡れば直ぐである。紅葉のめい所であるが、まだ時期が早い。浄真寺という。九品仏と言うように、大きな仏像が9体あり、3つの建物に分けて3体ずつ安置されていることになっている。
 『なっている』というのは、仏像を1体ずつ移動させて、修復作業を行っている。全部終わるのが2034年まで掛かると言うから、私などそれまで生きて居まい。何とも気の長い話だ。高さ4~5メートルの仏像1体修復するのに1年から1年半掛かると言う。
 紫雲門(仁王門)をくぐる。両脇に赤い仁王様がある。立派な門で、何やら上に部屋があるように見える。芥川龍之介作の『羅生門』で、下人が雨止みを待って、羅生門の下で雨宿りをしていた。何やら上の方で音がするのに気が付く。狐狸かあるいは誰か居るのかと、下人が階段を登って、恐る恐る覗けば、老婆が放置された女の死体から髪を抜き取って居た。
 紫雲門にも階段がないのかしらと思って見れば、両脇に階段があり、登れるような構造になっている。
 実は私、九品仏には何度も行ったことがある。いつも、いい加減に見ていたものだから、こんなに大きくて立派なお寺さんだと思って居なかった。そんなに有めいでもないのに改めて感心した。また、知る人ぞ知るで、『サギ草』でも知られた所だ。だが、時期ハズレで花は見られなかった。
 駅に続く商店街を歩いてみた。店先に木製の大きな桶が干してあった。
 『豆腐屋かな?』
 と、戻って改めて見たら、豆腐の製造所兼販売店であった。このところ、スーパーの安売りの豆腐しか食べていない。やはり、豆腐屋で作った豆腐は味が違う。この店では大きなアルミの桶も有ったが、まだ、木の桶も使っているのか。大変懐かしい。
 私の父は桶職人だった。本業は『豆腐の道具屋』だったのだろう。この店先にある大きな桶はもちろん、『売り箱』と言って、豆腐屋さんが自転車の後ろに載せて移動販売する箱や、岡持ちと言って天秤棒の前後に吊り下げて売り歩く桶も作って居た。家には豆腐屋のラッパもあった。
 豆腐屋の若い衆が、親方から『のれんわけ』して貰って、開店する時など、豆腐製造設備全般を請け負ったりして、子供の頃からよく家の手伝いをした。仕事が終わって帰りには、がんもどき、生揚げ、油揚げなどたくさん頂戴したものだ。だから、豆腐の本当の美味さを知っている積もりだ。
 かつて、東京の人形町に行った時も、豆腐屋さんの店内で豆腐を食べたことがある。あまり店内で豆腐を食べる人も居ないらしい。その時は、赤ん坊を背負って店番をしていたおかみさんが、奥から醤油とスプーンを持って来て下さった。これからは何処か散策に行くにはマイ箸持参で行かなければと思っている。
 九品仏の商店街を抜けると、環八に当たる。横断して一駅分歩いて、母校の方に行く。時節柄、 何か『催しもの』をやっているらしい様子。外観だけちょこっと見たが、卒業して50年近くにもなれば、大変なる様変わりだ。
 学校の隣に『たまき』という学生相手の定食屋があった。きたない店だった。『もやし炒め定食』というメニューが有り、もやしの他に野菜は入っていない。もやしを炒め、山盛りにして、どんぶり飯と何度も温め返した味噌汁が付いていた。こればかり良く食べたものだ。
 行って見れば、『たまき』なる定食屋はあった。50年も経てば、あのきたない店は建て替えてあった。学生相手のスタンスは相変わらずだ。店に入れば、ほぼ満席状態。年金暮らしではあるが、昔に比べれば財布に少し余裕がある。『レバニラ定食』を注文した。もやしもたくさん入っているが、ニラとレバの分だけ裕福になった。出来上がるのを待って、周囲を見渡せば、学生と催し物に来た卒業生の夫婦らしき人たちばかり。隣に座った夫婦の所に来た、注文のチャーハンとナポリタンを見たら、どちらも普通街中の店で出す3ばいの量があり、山盛りだ。幾らなんでもこれでは多過ぎだろう。
 別のテーブルの所に来た定食らしき物は、大き目のご飯茶碗2個をもなかのようにして合わせ、上の茶碗だけ取り除いたほど、山盛りにしてある。死んだ人にご飯茶碗に山盛りにした飯を備えるが、これを大げさにしたようなものだ。そんなことしないで、どんぶり飯の大盛り目にすれば良いのに。学生相手に商売するにはこのようにしないとならないのであろう。

 2017.11.02(木)

 9月9日は『重陽の節句』である。『菊の節句』とも言われます。私の住む南関東では、9月9日頃はまだまだ残暑が厳しく、とても菊の季節とは思えない。各所で開かれる菊の展示も、やはり11月に入ってからだ。しからば、旧暦なのかと思いカレンダーを見れば、今日が10/12である。遡れば新暦の10/28が旧暦の9/9に相当する。それなら、さもありなん。
 我が家に小さな仏壇がある。仏壇に供える花も維持していくのは中々大変である。毎朝、お茶と線香をあげている。今、あがっている花は白の菊に花。
 花屋さんで、仏花を買うと幾分丈が長い。仏壇にお供えするには、下の方を切る。その切った茎をプランターに差しておいた。菊の挿し木はすぐにつく。昨年挿しておいたのが、今盛んに咲いている。仏壇に備えている花は、プランターで育って咲いた花なのだ。
 我が家で菊は一年中、咲くわけではないが、ここ1ヶ月くらいは家の経済が助かる。
 菊は挿し木で本当にすぐつく。これからは鍋物が美味しい時期である。食品スーパーで鍋の具剤の春菊を買って、茎が長いから切ってしまう。挿し木のように土中に挿さなくとも、土の上に放り出して置くだけで、しばらくすると根が出ている。
 春菊は食用の菊だから、育てても大した花は咲かないと思う。土の上に置いた茎は生ゴミとしてだしてしまった。何でも試してみると言うのが、私の癖だ。

2017.10.30(月)

 台風22号が通り過ぎ、今朝起きれば快晴だった。その後、強い北風が吹き、『木枯らし1号』との放送があった。台風は何号と続き番号で呼ぶが、木枯らしも1号、2号と呼ばれるのか。あまり2号以降は聞いたことがない。
 同じ風でも、早春に最初に吹く強い風を『春一番』と言う。これまた、二番以降は聞いたことがない。
 もはや、死語になってしまったか、若い人には分からないと思うが、『二号さん』と二番目から始まる言葉もある。一番目は、本妻さんである。二号さんは囲った愛人のことだ。三号さん、四号さんを囲った豪傑もいらしただろうが、三号さん以降は、言葉として聞いたことがない。
 タレントのデビ・スカルノさんは、元インドネシア大統領だった、スカルノ氏の第三夫人だった。一夫多妻制度のもとで第四夫人までいたそうだから、何とも羨ましい。結婚して夫人となった場合は、第一夫人、第二夫人・・・となるようだ。
 最後に『突撃一番』と言うのをご存知だろうか。まず、このHPの訪問者の年齢層では恐らくご存知ないであろう。それも、先の大戦で兵隊さんに行った年齢層の方でないと、恐らくご存知あるまい。慰安所で使った避妊具、コンドームである。これにも、二番、三番はない。

 2017.10.26(木)

 月2回、知人所有のアパートの空き部屋で開催される、パソコン教室のようなものに行っている。『ようなもの』と甚だ自信のないような書き方だ。空き部屋は学習塾に使われたり、小規模な集会に使われているようだ。
 先生、生徒合わせて5人。年齢ふ詳だが、恐らく僕が68歳にして最年少だろう。先生も他の生徒も70歳あるいは、80歳オーバーの女性ばかり。僕のはWindows7のネットで買った中古パソコンだが、他の生徒さんは皆、Windows10搭載の綺麗なパソコンばかり。高齢者はお金を持っていることがここでも分かる。貧乏人は僕一人。
 初めはよく知らないで通い出したが、Wordを使った『お絵描き』教室だった。オートシェイブやテキストボックスを使って、絵や文字を入れた図柄や、写真を取り込んだ図を描いている。一応、毎回テーマはあるが、時間内に何を描いても自由である。時節柄、今日は年賀状作り。
 他の皆さんの作品を覗き見れば、イラスト集を手本に、オートシェイブを使って、『犬張子』を描いている。僕の座り位置からは皆の作品の具合が見える。どうも、顔付きが犬ではなく、タヌキだったり、ネコに見えるのは仕方がない。
 僕は絵の才能が皆無だ。何回か通ったから、オートシェイブのやり方もある程度分かった。今日の教習は年賀状作りだなと予想していた。予め、家にてネットのイラスト集から画像を取り込んでおいて、それをハガキに貼り付けして、もう既に2種類の年賀状の図柄を作ってしまった。こんなズルするのは僕だけで、他の人は真面目くさってオートシェイブを使い、頭をひねりながら、丸や四角、三角など様々な図形を組み合わせて描いている。本来はそういう事をやる教室だ。
 オートシェイブで絵を描くと、どうしても平面的な絵になってしまう。何を描いても自由だ。先般は皆がリンドウの花の絵を描いている時、僕はさっさとリンドウを描き終え、紙で折った『折鶴』を斜めから見た、斜視図で描いた。影を付けたりすると、立体的に見える。
 折角、習うのだから、絵を描きつつも、使い方を知らない技法の取得をメインテーマとして、質問するように心掛けている。

2017.10.21(土)

 昨日、『おさむの書斎』で『優先順』と言う事を書いた。趣旨は変わりません。ただ、挙げた例として、月の空洞、ハワイの望遠鏡、ニュートリノなどを挙げた。
 今朝、TVのニュースを見て驚いた。アフガニスタンで紛争が続いている。政府系とタリバンの紛争だ。日本がアフガニスタン政府系の兵士の給与に相当するものに、アメリカに次いで二位の30%の金額を負担しているのだという事を知った。額にして1465億円なのだという。しかも、兵士の人数を水増し提示され、水増し分を横領されているらしいという事なのだ。
 私はアフガニスタンの政府系兵士の給料の負担を、日本がしているなんて全く知らなかった。開いた口が塞がらないし、改めて、日本が『見栄っ張り』と感じるし、怒りを覚える。税金など払いたくなくなる。自分の頭のハエを追って欲しい。
 明日の衆議院選投票日は台風接近により荒天が予想される。気象庁でも出来れば期日前投票をした方が良いのではと勧めている。昼食後、近くの出張所に投票に行った。今までふ在者投票をしたり、期日前投票をしたことはない。同じように考えている人がかなり居た。投票をしてしまったら、ちょっと気が抜けた。
 考えが一致する党などない。自分に取って良い政党でなく、少しでも悪くない政党で選ばなければならないところから、選ばなければならないところが残念である。

 2017.10.14(土)

 反省している。ここのところ、HP上で政治に関することを書き過ぎた。今、衆議院の選挙運動は真っ盛りだ。人がそれぞれの考えをもとに、どの政党の候補者に投票するかは全く自由です。政治に関する考えを、HPなんかに載せなければ良かった。それぞれの方が、新聞や広報、政見放送、街頭演説を見て、聞いて判断すべきであります。ただ、くれぐれも棄権はしないで、権利を行使して貰いたく思います。
 もう数年前の選挙には関係ない時期のこと、ある政党の主催と思われるお祭りのようなイベントの入場券が、旧友から2枚送られて来た。1枚¥2000くらいのチケットだったと思う。旧友がその政党を支持していることは前から知っていた。気心知った旧友だからはっきり断った。
 『何故このチケットを送ってきたか知りませんが、この歳になって、君は僕が、自分の考えを持っていないとでも思っているのですか。君自身の考えて、どの政党を支持しても、僕はとやかく言いません。だから、君も僕の考えに干渉しないで欲しい。チケットはゴミ箱に捨ててしまうよ』
 と言って、チケットを返送しないで捨ててしまった。4000円くらいだろうが、勝手に送ってきた物だ。僕が送料を払って送り返す理由はない。
 言いたかったのは、他人の権利の部分にまで、入り込んで、自分の考えを押し付けてはいけないと言う事だ。近所の創価学会の人が、『お願いしますね』と言って通る。近所の方には、私が旧友に述べたようなことまでは決して言わない。近所付き合いの手前、殊更荒立てたくない。笑って聞き流す。

 2017.10.06(金)

 新聞の折込みチラシに私の住む地域の広報が入っていた。衆議院選挙の公示前だから、まだ、私の住む神奈川18 区の立候補者はハッキリしない。2009年の民主党が政権を奪還した選挙で、H氏は民主党議員として当選した。民主党政権の迷走で、それ以後の選挙では落選した。浪人である。
 日常、街中でH氏のポスターはよく見掛ける。『ぶれない政治』と彼のスローガンが書いてあった。衆議院が解散するずっと前から、彼の宣伝カーが街中を流していた。今度こそ当選したいと、日頃から地元を廻って、印象付けていたのだ。
 『ぶれない政治』と言いながら、以前は民主党だったのに、今は自由党に移った事を知った。どうも、小沢さんの側近らしい。『ぶれているのは、お前じゃないか』と思いながら、風采の無い感じのH氏のことは印象深く記憶していた。新聞に『希望の党』から出馬する人として、H氏の記載があった。自由党が希望の党と連携だけで、まだ彼は自由党なのかどうかは知らない。一応、民主党⇒自由党⇒希望の党と渡り歩く。『Hさん、これでは、ぶれ過ぎだよ』。
 今朝、折込みチラシを見たら、私の住む神奈川18区の立候補予定者が出ていた。H氏が載っていない。希望の党からはM氏が公認候補と成っている。どうしたんだろうと記事を読み進めれば、H氏は千葉12 区からの出馬と書いてある。
 折角、日頃から神奈川18 区を地元として、広報活動して来たのに。多分、希望の党の都合で縁もゆかりもない所からの出馬に持って行かれたに違いない。
 別にH氏を支持しているわけでも何も無い。何か会社の都合で、突然転勤させられるサラリーマンのようだ。H氏にとっては、事務員が1~2人しかいないカムチャッカ出張所に左遷されたかのような気がする。希望の党も立候補者を配分するに当たり、苦労も多いのだとは思うが、H氏も地盤も何も無く、辛いところだね。

 2017.10.05(木)

 昨日夕方、散歩の出掛けに、カミさんからそんな格好で大丈夫なのかと聞かれた。大丈夫と 答えたものの、歩き始めてみれば、やはり、半袖Tシャツに半ズボンでは肌寒い。外は家の中に居るのと訳が違う。散歩がてら、気にして見れば、僕のような格好で歩いている人は居ない。小学生は半ズボンだが、上の方はそれなりに長袖を着ている。もう季節は大分変わった。
 商店街を歩いてみれば、十五夜とあって、ススキとダンゴを売っている。子供の頃、ススキなどどの原っぱにもあったような気がするのに、穂が1本付いて¥210であった。ススキを持っている人を何人も見掛けた。夕飯にはダンゴを食べるのであろうか。年来の風習をやっている家庭もあるのだなと感心した。ちなみに我が家もダンゴであったが、汁粉になっていた。
 私も今朝から衣替えで、長ズボンと長袖シャツに替えた。昨夜、寝ていて寒かったとみえて、お隣では薄い上掛けを日に干している。日が翳っても干して置くと、良い加減で取り込まないと冷たくなってしまうよ。
 家を建てる時、電気屋さんが階段の灯りの位置を、ちょっと掃除しにくい所に設置した。カミさんに言われて、脚立を持って来て取り外して掃除した。片手で柱に摑まりながらでないと外せない。16年くらいで初めて掃除をした。カミさん、前々から思っていたらしいが、自分では出来ないので、そのままにしていた。16年も経てば、それなりに、ホコリも溜まる。
 ついでに、階段の灯りだけでなく、あちこちの照明も掃除する。脚立に乗り、片手で摑まりながらでないと外せないとなると、10年後に果たして自分に出来るかなと、ちょっと心配になる。それまで生きているかどうか分からないが。
 以前、このところ、ちっとも本を読んでいないと書いた。今、森 鴎外の『雁』という作品を読んでいる。夏目漱石、芥川龍之介、石川達三、その他の小説は随分読んだ。森 鴎外だけは何故か『高瀬舟』、『山椒大夫』くらいしか読んでいない。
 恐らく、先入観であろう。自分には、鴎外は敷居が高い、難しいと思っていて、何となく避けていた。『高瀬舟』は読んで、良い作品だと思ったが、読んだのは遥か昔だ。『雁』を読み始める時、ゆっくり読もうと思って取り掛かった。読み始めて、『何だ、親しみ易いじゃないか』と思った。食わず嫌いであったのだ。ただ、明治時代の作品と外国の単語が含まれているゆえ、巻末の注釈を見ながら読み進めなければならぬのが、ちょっと難ですな。

 2017.10.02(月)

 10月になった。アサガオが2鉢ある。一鉢はもう花芽が見当たらない。もう一鉢はまだ花芽もあり、今朝も3つ咲いた。だが、往時の勢いはなく、やっと咲いているような感じがする。葉もだいぶ黄色くなって来た。アサガオの花を見ると、何か自分を鏡に映しているかのような気がする。
 歳を取ったなら、取ったで、自分なりの輝き方があるはずだと思うのだが、今の自分には見当たらない。希望の党ではないが、『しがらみ』があるのか。
 子育ては終わったとは言え、障害を持つ息子が居る。夫としての役目もあるかな。役目を捨てて、一人、家を出て、風の向くまま旅をするとは行かないだろう。おおよそ、しがらみのない人生なんて考えられないのだ。同じく、希望の党の言う『しがらみのない政治、政党』もウソだな。

 2017.09.25(月)

 近頃、何かおかしいと思っていた。ずっと、本を読んでいないのだ。何の本を読んだかメモ書きしてきた。ちなみに、昨年から今年6月まで、平均すれば月に7冊くらいは読んでいた。ところが、調べて見たら、7月中旬からほぼ2ヶ月の間、1冊も読んでいないのだ。ただ、新聞だけは読んでいるつもりだから、活字離れしている訳ではない。
 電車での移動時間や医院の待合時間など、自分で無駄と思うような時間が発生すると思うような時には、必ず本を持参して読んでいた。そう言えば、医院には一人で行くが、一人で電車に乗って出掛けることが減った。カミさんと出掛け、並んで座った場合、僕一人が本の中に没頭しているのは、カミさんに申し訳ないと思い、本は持ち歩かない。
 電車の中で、若い男女が並んで座っているのをよく見掛ける。結婚して長い時間が経過している組み合わせならともかく、デートか何かで出掛ける二人の場合、どちらか一方、又は双方ともが、スマホを操作しているのは良くないなと思う。
 折角、二人で出掛けるのに、スマホに没頭しているのは、パートナーに失礼ではないのかなぁ。
 電車の中で本を読んでいる人を見ると、何かよく分からない憧れを感じる。電子書籍だって読書には変わらないのに、周りがスマホを見ている中、紙の本を読んでいる人がことさら素敵に見える。やはり、読書や辞書は紙ベースが良い。
   気が付いたところで、また読むことを再開するのだが、ちょっとしたはずみで習慣が途切れてしまうのは恐ろしいものだ。人間、何もしないとか、楽な方、楽な方に向かってしまう傾向にあるのだと思うな。

 2017.09.18(月)

 大型の台風18号の接近で、雨戸に打ち付ける夜来の風雨に、かつて布団の中で怖いと思いながら、いつしか寝入ってしまった小学校低学年だった頃を思い出した。今、思い起こせば多分、昭和34年の伊勢湾台風のことであったと思う。当時はまだ、木の雨戸であった。随分経っているが、気象の情報が十分でなかった当時は、5000人以上の方々が亡くなった。
 TVのニュースを見ていないのであろうか。買い物に出ようとして風に煽られ怪我をした人や、家に留まって居れば、徒らに怪我などせずに済んだ方々が居る。自分だけは大丈夫と思っているのであろうか。
 災害に遭われた方はお気の毒だが、一夜明ければよく晴れている。我が家では草花の鉢が倒されたり、アマリリスの葉がバラバラになった程度で、特に被害もなかった。
 今回の台風18号は、海水温が高いため、いつまでも成長し続けた。風よりも雨による被害が多かったように思う。一旦雨が降れば1時間に何十mmと降り、河川の排出能力を超えてしまう。やはり、温暖化の影響は大きい。
 欧州ではガソリン車やディーゼル車に向かう指針を出しているし、中国でも電気自動車や、PHV車の方向に向かうことを提示している。日本も化石燃料による発電だけに頼らず、先送りせず、再生可能エネルギーへの道を示して欲しいものだ。
 万が一、原発事故が起きると被害は甚大である。ただ、『原発反対』と言い、拒否反応を起こす人はたくさん居る。相変わらず火力発電偏重を続け、その結果、大雨で亡くなったり、家を流されたり、土砂崩れで家が潰されてしまう被害も大変多いことも忘れてはならない。
 今朝の新聞に、衆議院の解散、総選挙の予測日程が出ていた。今の世の中は、電気なしでは成り立たない。環境に優しいEV車も電気をたくさん使う。温暖化に影響しない、安くて、安全な発電方法の確立を切に望みます。