幕末の1867年に完成した吉田橋から、本町まで外国人を乗せた馬車の走る道が馬車道通りで、開港当時の横浜のメイン・ストリートであった。ここからはアイスクリームなど様々な日本初のものが生まれていった。市電もこの通りを明治38年(1905)から走り出し、それは昭和3年(1928)の廃止まで23年間続いた。