「いま、むかし、みらい 大相鉄展」
この展示は終了しています

横浜高島屋8階特設会場で、16日(土)〜25日(月)まで

入場無料!




会場内に展示されているBRCプロからの提供写真

左上
横浜駅で荷物の積み下ろしを行っていた時代もあった。荷物電車でも活躍した1000形は、元小田急創業時の車両だった。
昭和39年頃

右上
昭和39年頃の星川駅前は、まだ未舗装のジャリ道で、人々の服装にも懐かしさが感じられる。

左下
黄一色となった2003他2000系4連が横浜で発車を待つ。
まだ「相鉄ジョイナス」完成以前の地上駅時代の横浜にて、2003を先頭にした2000系4連大和行きが発車を待つ。ホームは板張りで屋根もなく、雨の日はかなりの不便を強いられた時代だった。
昭和40年2月

右下
懐かしい「赤電話」と「たばこ」の看板が吊り下がる天王町駅の海老名方面改札口。星川〜西横浜間は昭和4年(1929)に開通していたが、天王町駅は翌5年の開業となった。
昭和40年12月

木造駅舎時代の海老名
駅周辺には何もなく、木造の駅舎がポツンとあるだけの寂しい時代が長く続いた終点・海老名駅。
駅舎・改札口の向きが現在とは逆で、ホームの横浜側に建っていたところから、海老名で降りる乗客は最後尾に集中していた。海老名駅が開業したのは昭和16年(1941)のことで、それまでは小田急側にも駅がなく、相鉄の開通に合わせて小田急の海老名も同時に開業し、相鉄は本厚木まで乗り入れ運転を始めた。
昭和43年2月


西谷にも開業時からの木造駅舎が残っていた。駅の入口には、まるで万屋のような売店が店を広げていた。どこか昔懐かしいローカル線の駅のようでもあり、ここが横浜市内であることを忘れさせてくれるような
のんびりとした駅前風景であった。駅前にあった桜の木は、春になると乗客や住民を和ませてくれていた。
昭和38年4月
かつての改札口といえば、こうした石造りの囲いの中に駅員が立ち、常に切符切りハサミの音を「カチャカチャ」とさせ、現在の自動改札からは想像も出来ないような光景が展開されていた。
昭和34年11月


会場入口では無料で記念の硬券切符を配布。
昔のように切符を切ってくれる!
これらの会場内に展示されている写真7点は、
BRCプロ発行の下記プチ写真集@〜Bに掲載されており、
全て天野洋一氏撮影。
*会場販売分のプチ写真集は、完売となりました。
ありがとうございました!
尚、今後の追加販売は、有隣堂西口店(鉄道書籍コーナー)、
または伊勢佐木町・本店(6階鉄道書籍コーナー)にて
行なっておりますので、引き続きお求めになれます。

プチ写真集 今よみがえる昭和30年代の相模鉄道 (A5版)
撮影/天野洋一
編著/BRCプロ

モノクロ28頁

本体価格860円
撮影/天野洋一
編著/BRCプロ

モノクロ28頁

本体価格860円
過去の写真:天野洋一
現在の写真と文:須藤賢太
32頁 写真点数/80点
(カラー48点・モノクロ32点)

本体価格1000円

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