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まるでタイムスリップしたかのような風景が、どこまでも続いていた蒲原鉄道。五泉〜加茂間21.9キロが全通したのは昭和5年(1930)10月20日の事であった。それから55年間も小さな田舎電車は、ただひたすら15の駅に一つ一つ止まって行く毎日を繰り返していった。
この駅から出征した人、嫁いで故郷を後にした人、通勤・通学で毎日利用した人々やスキー場へ向かう子供たちなど、様々な人生(ドラマ)を乗せて、いつもと変わりなく運び続けた電車と、それを運転し続けた人々。電車とここで働く人々にも、またそれぞれの人生があった。
鉄道とは、人と人とが触れ合う何と人間臭い乗り物であろうか。そんな蒲原鉄道も時代の大きな流れには逆らえず、昭和60年(1985)3月31日限りで路線の5分の4に相当する村松〜加茂間17.7キロと12の駅を廃止してしまった。
今、蒲原鉄道の全線廃止を目前に控え、かつての廃線跡を辿り数々の懐かしい写真で当時を思い出してみる。(特記以外の写真は1999.7.30武相高鉄研撮影)
写真協力・小野打 真(O)
白勢久恭(S)
小林 公宏 (K)
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廃線跡のすぐ脇の城跡公園には昭和5年の加茂全通時 に導入された日本車輛製のモハ11が保存されている
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廃線跡巡りの中で、最も現役当時の姿をとどめているのが、交換駅だった七谷駅跡である。
線路と架線柱は撤去されてしまったが、ここには駅舎とホームがそのまま残り、かつての情景を満喫する事が出来る。
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